万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2306)―

●歌は、「東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」である。

富山県氷見市葛葉 臼が峰山頂公園地蔵園地万葉歌碑(柿本人麻呂) 
20230704撮影

●歌碑は、富山県氷見市葛葉 臼が峰山頂公園地蔵園地にある。

 

●歌をみてみよう。

 

 四五~四九歌の歌群の題詞は、「軽皇子宿干安騎野時柿本朝臣人麻呂作歌」<軽皇子(かるのみこ)、安騎(あき)の野に宿ります時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌>である。

(注)軽皇子草壁皇子の子。天武・持統の孫。後の文武天皇。歌の時一〇歳。(伊藤脚注)

(注)安騎野:奈良県宇陀市の山野。この野への遊猟は持統六年冬。(伊藤脚注)

 

■巻一 四五歌■

◆八隅知之 吾大王 高照 日之皇子 神長柄 神佐備世須等 太敷為 京乎置而 隠口乃 泊瀬山者 真木立 荒山道乎 石根 禁樹押靡 坂鳥乃 朝越座而 玉限 夕去来者 三雪落 阿騎乃大野尓 旗須為寸 四能乎押靡 草枕 多日夜取世須 古昔念而

       (柿本人麻呂 巻一 四五)

 

≪書き下し≫やすみしし 我(わ)が大君 高照らす 日の御子(みこ) 神ながら 神さびせすと 太(ふと)敷(し)かす 都を置きて こもくりの 泊瀬(はつせ)の山は 真木(まき)立つ 荒山道(あらやまみち)を 岩が根 禁樹(さへき)押しなべ 坂鳥(さかとり)の 朝越えまして 玉かぎる 夕(ゆふ)さりくれば み雪降る 安騎(あき)の大野(おほの)に 旗(はた)すすき 小竹(しの)を押しなべ 草枕 旅宿(たびやど)りせす いにしへ思ひて

 

(訳)あまねく天の下を支配せられるわれらが大君、天上高く照らしたまう日の神の皇子(みこ)は、神であられるままに神々しく振る舞われるとて、揺るぎなく治められている都さえもあとにして、隠り処(こもりく)の泊瀬の山は真木の茂り立つ荒々しい山道なのに、その山道を岩や遮(さえぎ)る木々を押し伏せて、朝方、坂鳥のように軽々とお越えになり、光かすかな夕方がやってくると、み雪降りしきる安騎の荒野(あらの)で、旗のように靡くすすきや小竹(しん)を押し伏せて、草を枕に旅寝をなさる。過ぎしいにしえのことを偲んで。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)やすみしし【八隅知し・安見知し】分類枕詞:国の隅々までお治めになっている意で、「わが大君」「わご大君」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)たかてらす【高照らす】分類枕詞:空高く照るの意で、「日」にかかる。(学研)

(注)ふとしく【太敷く】他動詞:居を定めてりっぱに統治する。(宮殿を)りっぱに造営する。(柱を)しっかり立てる。 ※「ふと」は接頭語、「しく」は統治する意。上代語。(学研)

(注)こもりくの【隠り口の】分類枕詞:大和の国の初瀬(はつせ)の地は、四方から山が迫っていて隠れているように見える場所であることから、地名の「初(=泊)瀬」にかかる。(学研)

(注)さへき【禁樹】名詞:通行の妨げになる木。(学研)

(注)さかどりの【坂鳥の】分類枕詞:朝早く、山坂を飛び越える鳥のようにということから「朝越ゆ」にかかる。(学研)

(注)たまかぎる【玉かぎる】分類枕詞:玉が淡い光を放つところから、「ほのか」「夕」「日」「はろか」などにかかる。また、「磐垣淵(いはかきふち)」にかかるが、かかり方未詳。(学研)

(注)はたすすき【旗薄】名詞:長く伸びた穂が風に吹かれて旗のようになびいているすすき。(学研)

(注)いにしへ:亡き父草壁皇子の安騎野遊猟をいう。(伊藤脚注)

 

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感想(1件)

この歌については、万葉集に詠われた安騎野といわれる「かぎろひの丘」の歌碑とともにブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その370)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 



 次に「短歌」をみてみよう。

 

■巻一 四六歌■

◆阿騎乃野尓 宿旅人 打靡 寐毛宿良目八方 古部念尓

       (柿本人麻呂 巻一 四六)

 

≪書き下し≫安騎の野に宿る旅人(たびひと)うち靡(なび)き寐(い)も寝(ね)らめやもいにしへ思ふ

 

(訳)こよい、安騎の野に宿る旅人、この旅人たちは、のびのびとくつろいで寝ることなどできようか。いにしえのことを思うにつけて。(同上)

(注)うちなびく【打ち靡く】自動詞:①草・木・髪などが、横になる。なびき伏す。②人が横になる。寝る。 ③相手の意に従う。(weblio古語辞書 三省堂大辞林第三版)

(注)いもぬらめやも【寝も寝らめやも】分類連語:寝ていられようか、いや、寝てはいられない。 ※なりたち名詞「い(寝)」+係助詞「も」+動詞「ぬ(寝)」の終止形+現在推量の助動詞「らむ」の已然形+係助詞「や」+終助詞「も」(学研)

 

 

■巻一 四七歌■

◆真草苅 荒野者雖有 葉 過去君之 形見跡曽来師

       (柿本人麻呂 巻一 四七)

 

≪書き下し≫ま草刈る荒野(あらの)にはあれど黄葉(もみちば)の過ぎにし君が形見とぞ来(こ)し

 

(訳)廬草(いおくさ)刈る荒野ではあるけれども、黄葉(もみちば)のように過ぎ去った皇子の形見の地として、われらはここにやって来たのだ。(同上)

 

 

■巻一 四八歌■

◆東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡

       (柿本人麻呂 巻一 四八)

 

≪書き下し≫東(ひむがし)の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ   

 

(訳)東の野辺には曙の光がさしそめて、振り返ってみると、月は西空に傾いている。(同上)

(注)かぎろひ【陽炎】名詞:東の空に見える明け方の光。曙光(しよこう)。②「かげろふ(陽炎)」に同じ。[季語] 春。※上代語。(学研)

(注)かへり見すれば:体験からの確信に基づく行為。(伊藤脚注)

 

 

 

■巻一 四九歌■

◆日雙斯 皇子命乃 馬副而 御﨟立師斯 時者来向

       (柿本人麻呂 巻一 四九)

 

≪書き下し≫日並皇子(ひなみしみこ)の命(みこと)の馬並(な)めてみ狩(かり)立たしし時は来向(きむか)ふ

 

(訳)日並皇子(ひなみしみこ)の命、あのわれらの大君が馬を勢揃いしてみ猟(かり)に踏み立たれたその時刻は、今まさに到来した。(同上)

(注)日並皇子(ひなみしみこ):日に並ぶ皇子の意。草壁皇子に限っていう。

(注)きむかふ【来向かふ】自動詞:近づいて来る。 ※参考 こちらを主とした場合は「迎ふ」であるが、「来向かふ」は向かって来るものを主にして、その近づくのを期待する気持ちがある。(学研) 

 

 

 

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感想(3件)

 梅原猛氏は、その著「水底の歌 柿本人麿論 上」(新潮文庫)のなかで、人麿の流刑と刑死について語られているが、この歌群についても、「・・・藤原不比等と君臣一体となって政治を執った元明天皇を讃える歌が人麿には一首もなく、またその子文武帝の阿騎野の猟に扈従(こじゅう)した歌(巻一・四五―四九番)があるが、その中でも彼は軽皇子(かるのみこ)(文武)よりむしろその死んだ父、草壁皇子をしきりに思い出して讃えているのはどういうわけであろうか。おそらく、専制体制のもとにあっての一種の抵抗だったのであろう。多くの皇族を讃えた人麿は、新しい実権者からも自己を讃える歌を期待あるいは強要されたはずである。その期待に応えないとしたら、彼はやはり政治的実権者の猜疑(さいぎ)の眼を免れることは出来ないであろう。ここで歌わないことが一つの抵抗であり、追放の原因となるのである。」と書かれている。

 

 島根県江津市都野津町柿本神社境内には、「鴨島(鴨山)遺跡改訂調査状況」という解説案内板が設置されている。そこには、「昭和五十二年七月梅原猛先生、考古学、地質学の先生等は、人麿公終焉の地である鴨島を科学的に立証するため十日間の海底遺跡調査を試みられた。(海底調査資料より抜粋の箇所は省略) 調査終了後、現地座談会の締括りに於いて『やはりここに鴨島はあるんだというぬき難い確信がある。』と述べられた。」と書かれている。人麿が刑死により終焉を迎えた鴨島を特定したという件については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1330)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 



 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「水底の歌 柿本人麿論 上」 梅原 猛 著 (新潮文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio古語辞書 三省堂大辞林第三版」