万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2307)―

●歌は、「家なれば笱に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」である。

富山県氷見市葛葉 臼が峰山頂公園地蔵園地万葉歌碑(有間皇子) 20230704撮影

●歌碑は、富山県氷見市葛葉 臼が峰山頂公園地蔵園地にある。

 

●歌をみていこう。

 

 巻一、巻二 は、部立のうえでは、雑歌(巻一)、相聞・挽歌(巻二)をもって一つの構造を成し、「―――宮御宇天皇代」という天皇代標示を立て、歴史的な位置づけの中に歌を配しており、他の巻とは異なる佇まいをみせている。

 

 一四一ならびに一四二歌は、巻二 部立「挽歌」のトップであり、「天皇代標示」を冠している。

天皇代標示は、「後岡本宮御宇天皇代 天豊財重日足姫天皇譲位後即後岡本宮」<後(のち)の岡本(をかもと)の宮(みや)に天(あめ)の下(した)知(し)らしめす天皇(すめらみこと)の代(みよ) 天豊財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)、譲位の後に、岡本の宮に即(つ)きたまふ>である。

(注)後の岡本宮:三七代斉明天皇の皇居。(伊藤脚注)

(注の注)岡本宮(おかもとのみや):7世紀の舒明天皇及び斉明天皇が営んだ宮。舒明天皇岡本宮飛鳥岡本宮(あすかのおかもとのみや)、斉明天皇岡本宮後飛鳥岡本宮(のちのあすかのおかもとのみや)と区別して呼称される。両者とも奈良県明日香村岡にある飛鳥京跡にあったとされている。(weblio辞書 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)

 

そして一四一ならびに一四二歌の題詞は、「有間皇子自傷結松枝歌二首」<有間皇子(ありまのみこ)、自(みづか)ら傷(いた)みて松が枝(え)を結ぶ歌二首>である。

(注)いたむ【痛む・傷む】他動詞:(人の死を)悲しむ。 ※「悼む」とも書く。(学研)

(注)松が枝を結ぶ:草木を結ぶのは、無事・安全を祈る呪的習俗。(伊藤脚注)

 

 

◆磐白乃 濱松之枝乎 引結 真幸有者 亦還見武

       (有間皇子 巻二 一四一)

 

≪書き下し≫岩代(いはしろ)の浜松が枝(え)を引き結びま幸(さき)くあらばまた帰り見む

 

(訳)ああ、私は今、岩代の浜松の枝と枝を引き結んでいく、もし万一この願いがかなって無事でいられたなら、またここに立ち帰ってこの松を見ることがあろう。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)岩代:和歌山県日高郡みなべ町岩代。(伊藤脚注)

(注)引き結びま幸くあらば:枝と枝を引き寄せて結んでいく、ああもし無事だったら。「引き結び」は現在の情景を述べた中止法。(伊藤脚注)

(注の注)ちゅうしほう【中止法】:日本語の表現法の一。「昼働き、夜学ぶ」の「働き」や、「冬暖かく、夏涼しい」の「暖かく」などのように述語となっている用言を連用形によっていったん切り、あとへ続ける方法。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 

◆家有者 笱尓盛飯乎 草枕 旅尓之有者 椎之葉盛

       (有間皇子 巻二 一四二)

 

≪書き下し≫家なれば笱(け)に盛(も)る飯(いひ)を草枕旅(たび)にしあれば椎(しひ)の葉に盛る

 

(訳)家にいる時にはいつも立派な器物(うつわもの)に盛ってお供えをする飯(いい)なのに、その飯を、今旅の身である私は椎(しい)の葉に盛って神祭りをする。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)盛る:盛って神に手向ける。(伊藤脚注)

(注)「家」と「旅」:この両者の対比は行路を嘆く歌の型。(伊藤脚注)

 

新版 万葉集 一 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) [ 伊藤 博 ]

価格:1,056円
(2023/9/4 16:35時点)
感想(1件)

 一四一、一四二歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その番外岩代)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 


 有間皇子の墓は、海南市の藤白の坂に立てられており、その横には巻一四一の歌碑もある。

 皇子の墓については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その747)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 


 一四一、一四二歌の題詞をもう一度みてみよう。

有間皇子自傷結松枝歌二首」<有間皇子(ありまのみこ)、自(みづか)ら傷(いた)みて松が枝(え)を結ぶ歌二首>である。

(注)いたむ【痛む・傷む】他動詞:(人の死を)悲しむ。 ※「悼む」とも書く。(学研)

 

 万葉集にあって、「自傷」という言葉は、有間皇子の題詞と、柿本人麻呂の二二三歌に使われている。

 

人麻呂の二二三歌をみてみよう。

 

題詞は、「柿本朝臣人麻呂在石見國臨死時自傷作歌一首」<柿本朝臣人麻呂、石見(いはみ)の国に在りて死に臨む時に、自(みづか)ら傷(いた)みて作る歌一首>である。

 

◆鴨山之 磐根之巻有 吾乎鴨 不知等妹之 待乍将有

       (柿本人麻呂 巻二 二二三)

 

≪書き下し≫鴨山(かもやま)の岩根(いはね)しまける我(わ)れをかも知らにと妹(いも)が待ちつつあるらむ

 

(訳)鴨山の山峡(やまかい)の岩にして行き倒れている私なのに、何も知らずに妻は私の帰りを今日か今日かと待ち焦がれていることであろうか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)鴨山:石見の山の名。所在未詳。

(注)いはね【岩根】名詞:大きな岩。「いはがね」とも。(学研)

(注)まく【枕く】他動詞:①枕(まくら)とする。枕にして寝る。②共寝する。結婚する。※②は「婚く」とも書く。のちに「まぐ」とも。上代語。(学研)ここでは①の意

(注)しらに【知らに】分類連語:知らないで。知らないので。 ※「に」は打消の助動詞「ず」の古い連用形。上代語。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1266)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

水底の歌(上) 柿本人麿論 (新潮文庫 うー5-2 新潮文庫) [ 梅原 猛 ]

価格:990円
(2023/9/4 16:37時点)
感想(3件)

水底の歌 柿本人麿論 下巻/梅原猛【1000円以上送料無料】

価格:990円
(2023/9/4 16:39時点)
感想(0件)

 梅原 猛氏は、その著「水底の歌 柿本人麿論(上・下)」(新潮文庫)のなかで柿本人麻呂の「流刑」と「刑死」説を展開されている。

自傷」という言葉を手掛かりに、「・・・非業の死をとげた有間皇子の歌の詞書と同じ表現である点に、その死が尋常な死でないことを感じさせる。『自傷』とは、どういうことか。自らの死を傷むとは、どういう場合にありうることか。死とは予期しがたく、実際にその死がきたときには、人間は意識を失っているはずである。それゆえ、自らの死が確実であるという意識が必要であろう。」と書かれている。

さらに「・・・自らの死を傷む歌をつくるのは、自らの死が確実であることが意識されながら、しかもその死が自らにとってのぞましくない場合である。・・・真に自らの死を傷む歌をつくりうるのは、不本意に、死が他人によって与えられた人のみである・・・」とも書かれている。

 

梅原氏は、様々な観点から人麿の刑死説を展開しておられるが、この「自傷」という言葉の手がかりもかなり説得力がある。

 

自傷」に関しては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1267)」で紹介している。

➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 言葉一つ一つの意味を深く掘り下げて行くと違った万葉集の見方が見えてくる。作者の思い、万葉集の編纂者の思い、書き手の思い、それぞれをじっくり見つめ万葉集に迫っていきたい。

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「水底の歌 柿本人麿論(上・下)」 梅原 猛 著 (新潮文庫

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「weblio辞書 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』」