万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2308)―

●歌は、「我れも見つ人にも告げむ勝鹿の真間の手児名が奥つ城ところ」である。

富山県氷見市葛葉 臼が峰山頂公園地蔵園地万葉歌碑(山部赤人) 20230704撮影

●歌碑は、富山県氷見市葛葉 臼が峰山頂公園地蔵園地にある。

 

●歌をみていこう。

 

 四三一から四三三歌の題詞は、「過勝鹿真間娘子墓時山部宿祢赤人作歌一首 幷短歌  東俗語云可豆思賀能麻末能弖胡」<勝鹿(かつしかの)真間(まま)の娘子(をとめ)が墓を過ぐる時に、山部宿禰赤人が作る歌一首 幷(あは)せて短歌  東の俗語には「かづしかのままのてご」といふ >である。

(注)勝鹿:東京・埼玉・千葉にまたがる江戸川沿岸一帯の地。(伊藤脚注)

(注)真間娘子:市川市真間のあたりにいたという、伝説上の娘子。(伊藤脚注

 

 四三一歌からみてみよう。

◆古昔 有家武人之 倭文幡乃 帶解替而 廬屋立 妻問為家武 勝壮鹿乃 真間之手兒名之 奥槨乎 此間登波聞杼 真木葉哉 茂有良武 松之根也 遠久寸 言耳毛 名耳母吾者 不可忘

        (山部赤人 巻三 四三一)

 

≪書き下し≫いにしへに ありけむ人の 倭文機(しつはた)の 帯解き交(か)へて 伏屋(ふせや)立て 妻(つま)どひしけむ 勝鹿(かつしか)の 真間(まま)の手児名(てごな)が 奥(おく)つ城(き)を こことは聞けど 真木(まき)の葉や 茂りたるらむ 松が根や 遠く久しき 言(こと)のみも 名のみも我(われ)は 忘らゆましじ

 

(訳)ずっとずっと以前、このあたりにいたという男が、倭文織(しずお)りの帯を解きあって、寝屋を設けて共寝をしたという、葛飾(かつしか)の真間の手児名の墓どころ、その墓どころはここだとは聞くけれど、真木の葉が茂っているからであろうか、松の根が伸び年古(ふ)りたからであろうか、その墓の跡はわからないが、昔の話だけでも、手児名の名だけでも、私は、忘れることができない。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ありけむ人:「妻どひしけむ」の主語。(伊藤脚注)

(注)しづはた【倭文機】名詞:「倭文(しづ)」を織る織機。またそれで織った「倭文」。※上代は「しつはた」。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注の注)しづ【倭文】名詞:日本固有の織物の一種。梶(かじ)や麻などから作った横糸を青・赤などに染めて、乱れ模様に織ったもの。倭文織。 ※唐から伝来した綾(あや)に対して、日本(=倭)固有の織物の意。上代は「しつ」。(学研)

(注)伏屋立て:二人の寝室を設けて。(伊藤脚注)

(注の注)ふせや【伏せ屋】:屋根の低い小さい家。みすぼらしい家。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)おくつき【奥つ城】名詞:①墓。墓所。②神霊をまつってある所。 ※「つ」は「の」の意の上代の格助詞。「き」は構え作ってある所の意。(学研)

(注)言のみも:上に、「その跡はわからないが」を補う。(伊藤脚注)

 

 

反歌もみてみよう。

 

◆吾毛見都 人尓毛将告 勝壮鹿之 間ゝ能手兒名之 奥津城處

       (山部赤人 巻三 四三二)

 

≪書き下し≫我(わ)れも見つ人にも告げむ勝鹿の真間の手児名が奥(おく)つ城(き)ところ

 

(訳)私もこの目でたしかに見た。人にもここだと語って聞かせよう。葛飾の真間の手児奈のこの墓どころを。(同上)

 

 

◆勝壮鹿乃 真ゝ乃入江尓 打靡 玉藻苅兼 手兒名志所念

       (山部赤人 巻三 四三三)

 

≪書き下し≫勝鹿の真間の入江(いりえ)にうち靡(なび)く玉藻(たまも)刈りけむ手児名し思ほゆ

 

(訳)昔、この葛飾の真間の入江で、波に靡く美しい藻を刈ったという手児奈のことが、はるかに偲(しの)ばれる。(同上)

 

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 四三一から四三三歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1149)」で紹介している。

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 伝説の歌人といわれる高橋虫麻呂の「勝鹿の真間娘子」を詠んだ歌もみてみよう。

 

題詞は、「詠勝鹿真間娘子歌一首幷短歌」<勝鹿(かつしか)の真間(まま)の娘子(をとめ)を詠む歌一首 幷せて短歌>である。

 

◆鶏鳴 吾妻乃國尓 古昔尓 有家留事登 至今 不絶言来 勝壮鹿乃 真間乃手兒奈我 麻衣尓 青衿著 直佐麻乎 裳者織服而 髪谷母 掻者不梳 履乎谷 不著雖行 錦綾之 中丹▼有 齊兒毛 妹尓将及哉 望月之 満有面輪二 如花 咲而立有者 夏蟲乃 入火之如 水門入尓 船己具如久 歸香具礼 人乃言時 幾時毛 不生物呼 何為跡歟 身乎田名知而 浪音乃 驟湊之 奥津城尓 妹之臥勢流 遠代尓 有家類事乎 昨日霜 将見我其登毛 所念可聞

 ▼=「果」の下に「衣」 「中丹▼有」=「中(なか)に包(つつ)める」

       (高橋虫麻呂 巻九 一八〇七)

 

≪書き下し≫鶏(とり)が鳴く 東(あづま)の国に いにしへに ありけることと 今までに 絶えず言ひける 勝鹿(かつしか)の 真間(まま)の手児名(てごな)が 麻衣(あさぎぬ)に 青衿(おをくび)着(つ)け ひたさ麻(を)を 裳(も)には織り着て 髪だにも 掻(か)きは梳(けづ)らず 沓(くつ)をだに 穿(は)かず行けども 錦綾(にしきあや)の 中(なか)に包(つつ)める 斎(いは)ひ児(こ)も 妹(いも)に及(し)かめや 望月(もちづき)の 足(た)れる面(おも)わに 花のごと 笑(ゑ)みて立てれば 夏虫(なつむし)の 火に入るがごと 港入(みなとい)りに 舟漕(こ)ぐごとく 行きかぐれ 人の言ふ時 いくばくも 生(い)けらじものを 何すとか 身をたな知りて 波の音(おと)の 騒(さわ)く港の 奥つ城(おくつき)に 妹(いも)が臥(こや)せる 遠き代(よ)に ありけることを 昨日(きのふ)しも 見けむがごとも 思ほゆるかも

 

(訳)鶏が鳴く東の国に、はるか遠くの世に実際にあったことだと、今の世まで絶えず言い伝えてきた話の主、勝鹿の真間の手児名が、粗末な麻の着物に青色の襟を付け、麻だけで織った裳を着て、たいせつな髪に櫛を入れず、沓(くつ)も履かずに行き来するのだけれども、錦や綾にくるまれて育てられたお姫様だって、この子にかなうわけがない。満月のように満ちたりた顔で、咲く花のような笑みを浮かべて立っていると、夏の虫が火の中に飛び込むように、港に入ろうと舟が漕ぎ集まって来るように、娘子めがけて寄り集まり男たちがわれもわれもと婚を求めたその時に、人はどうせどれほども生きられないものなのに、いったいどういうつもりで、我が身の上をすっかり分別して、波の音の騒々しい港の奥つ城なんぞに、このいとしい子が臥せっておいでなのか。はるか遠い世にあった出来事なのに、ほんの昨日見たことのように思われてならない。(伊藤 博 著 「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)

(注)とりがなく【鳥が鳴く・鶏が鳴く】分類枕詞:東国人の言葉はわかりにくく、鳥がさえずるように聞こえることから、「あづま」にかかる。「とりがなくあづまの国の」(学研)

(注)「麻衣に」以下「はかず行けども」までの八句、寝くずれた髪の乱れも厭わずに、朝早くから水汲みに忙しく立ち働く娘子の姿を描いたものとする説がある。一八〇八参照。八句は、同時に、続けて述べる、娘子の容貌の美しさを浮き立たせてもいる。(伊藤脚注)

(注)あをくび【青衿】名詞:青い布で作った着物の襟(えり)。▽粗末な着物につける(学研)

(注)ひたさを【直さ麻】名詞:ほかの糸が混じらない麻糸。 ※「ひた」「さ」は接頭語。(学研)

(注)も【裳】名詞:①上代、女性が腰から下を覆うようにまとった衣服。「裙(くん)」とも。◇「裙」とも書く。②平安時代、成人した女性が正装のときに、最後に後ろ腰につけて後方へ長く引き垂らすようにまとった衣服。多くのひだがあり、縫い取りをして装飾とした。③僧が、腰から下にまとった衣服。 ⇒参考:②の用例は、平安時代の貴族の女子の成人の儀式である「髪上(かみあ)げ」と「裳着(もぎ)」をいっている。⇒もぎ(学研)ここでは①の意

(注)にしきあや【錦綾】〘名〙 錦と綾。ともに美しく立派な絹織物。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)いはひこ【斎ひ児】名詞:いとおしんで育てている子ども。「いはひご」とも。(学研)

(注)もちづきの【望月の】分類枕詞:①満月には欠けた所がないことから「たたはし(=満ち足りる)」や「足(た)れる」などにかかる。②満月の美しく心ひかれるところから「愛(め)づらし」にかかる。(学研)

(注)おもわ【面輪】名詞:顔。顔面。(学研)

(注)港入りに:港に入ろうとして。(学研)

(注)行きかぐれ:「かぐれ」は未詳。集まる意かとも、「焦がれ」の類義語かともいう。(伊藤脚注)

(注)いくばくも生けらじものを:人生どれほども生きられないのに。作者の批評。(伊藤脚注)

(注)何すかと身をたな知りて:何だってまあ我が身の上をすっかり見通して。挽歌のくどき文句の伝統を承ける表現。(伊藤脚注)

(注の注)たなしる【たな知る】自動詞:すっかり知る。十分わきまえる。 ※上代語。「たな」は接頭語。(学研)

 

 

◆勝壮鹿之 真間之井見者 立平之 水挹家武 手兒名之所念

       (高橋虫麻呂 巻九 一八〇八)

 

≪書き下し≫勝鹿(かつしか)の真間(まま)の井(ゐ)見れば立ち平(なら)し水汲(く)ましけむ手児名(てごな)し思(おも)ほゆ

 

(訳)勝鹿の真間の井を見ると、毎日何度もやって来ては、ここで水を汲んでおられたという手児名が偲(しの)ばれてならない。(同上)

(注)立ち平し:地面が平らになるほど何度も来て立って。(伊藤脚注)

(注)手児名:女への愛称。「手児」は手に抱く子が原義だが、ここはいとしい娘子の意。「名」は愛称の接尾語。(伊藤脚注)

 

 

 巻十四には、伝説を聞いた人の感嘆の歌が収録されている。こちらもみてみよう。

 

◆可都思加能 麻末能手兒奈乎 麻許登可聞 和礼尓余須等布 麻末乃弖胡奈乎

       (作者未詳 巻十四 三三八四)

 

≪書き下し≫葛飾(かつしか)の真間(まま)の手児名(てごな)をまことかも我(わ)れに寄すとふ真間の手児名を

 

(訳)葛飾の真間の手児名、あの子、ほんとうかいな、世間の人がこの私に言い寄せているそうな。あの真間の手児名をさ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」角川ソフィア文庫より)

(注)真間の手児名:伝説上の美女。背後に現実の美女がいる。(伊藤脚注)

 

 

◆可豆思賀能 麻萬能手兒奈我 安里之可婆 麻末乃於須比尓 奈美毛登杼呂尓

       (作者未詳 巻十四 三三八五)

 

≪書き下し≫葛飾の真間の手児名がありしかば真間のおすひに波もとどろに

 

(訳)昔、葛飾の真間の手児名という、それは美しい女がいたからさ、この真間の磯辺で、寄せる波までが大騒ぎしたものさ(同上)

(注)おすひ:イソへ(磯辺)の訛りか。(伊藤脚注)

 

 

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◆尓保杼里能 可豆思加和世乎 尓倍須登毛 曽能可奈之伎乎 刀尓多弖米也母

      (作者未詳 巻十四 三三八六)

 

≪書き下し≫にほ鳥(どり)の葛飾(かづしか)早稲(はせ)をにへすともその愛(かな)しきを外(と)に立てめやも

 

(訳)にほ鳥が水に潜(かず)くというではないが、葛飾の早稲(わせ)の新穂(にいほ)を、神に捧げて斎(い)み籠(こも)っている夜でも、あのいとしい人、その方を外に立たせておくことなどできるものか。(同上)

(注)にほどりの【鳰鳥の】分類枕詞:かいつぶりが、よく水にもぐることから「潜(かづ)く」および同音を含む地名「葛飾(かづしか)」に、長くもぐることから「息長(おきなが)」に、水に浮いていることから「なづさふ(=水に浮かび漂う)」に、また、繁殖期に雄雌が並んでいることから「二人並び居(ゐ)」にかかる。(学研)

(注)にへす【贄す】他動詞:その年の新しい穀物を神に供える。(学研)

(注)にへすとも:神に新物をささげて新嘗の祭りを行う時でも。 ⇒この時には家族でも内に入れるのを禁じた。

 

 

◆安能於登世受 由可牟古馬母我 可豆思加乃 麻末乃都藝波思 夜麻受可欲波牟

       (作者未詳 巻十四 三三八七)

 

≪書き下し≫足の音せず行かむ駒もが葛飾の真間の継橋やまず通はむ

 

(訳)足音を立てずに行くような駒でもあったらなあ。そしたら、その駒で、葛飾の真間の継橋を、しょっちゅう通うことができように。(同上)

(注)あ 【足】名詞:足(あし)。 ⇒参考:上代語。「足占(あうら)」「足結(あゆひ)」などのように多く複合語の形で使われた。(学研)

 

 

 「真間の手児名」も虫麻呂と赤人によってとらえ方が異なっている。

 「別冊國文學 万葉集必携」稲岡耕二編(學燈社)の「真間の手児奈伝説」の項に、「真間の手児奈は、虫麻呂によって永遠のおとめとして伝えられるが、赤人によると、『いにしへに ありけむ人の 倭文機(しつはた)の 帯解き交(か)へて 伏屋(ふせや)立て 妻(つま)どひしけむ』というように伝える。これでは男を通わせていたことになる。」と書かれている。

 この違いについて、「神を祭る女性のうちには、その信仰を宣布するために諸国を遊行することから、いわゆる『遊行女婦(うかれめ)』を発生させ、また『遊女』も生み出したのであって、そうした巫女零落史に関わる伝承の変化とみるべきであろう。」と書かれている。

 

 万葉集に収録されている「遊行女婦」の歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1721)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典