●歌は、「銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」である。
●歌をみていこう。
八〇二と八〇三の題詞は、「思子等歌一首 幷序」<子等(こら)を思ふ歌一首 幷せて序>である。
序からみてみよう。
◆序◆釈迦如来金口正説 等思衆生如羅睺羅 又説 愛無過子 至極大聖尚有愛子之心 况乎世間蒼生誰不愛子乎
◆序の書き下し◆釈迦如来(しゃかにょらい)、金口(こんく)に正(ただ)に説(と)きたまはく、「等(ひと)しく衆生(しうじゃう)を思うこと羅睺羅(らごら)のごとし」と。また、説きたまはく、「愛は子に過ぎたることなし」と。至極(しごく)の大聖(たいせい)すらに、なほ子を愛したまふ心あり。いはむや、世間(せけん)の蒼生(そうせい)、誰れか子を愛せずあらめや
◆序の訳◆釈尊が御口ずから説かれるには、「等しく衆生を思うことは、我が子羅睺羅(らごら)を思うのと同じだ」と。しかしまた、もう一方で説かれるには、「愛執(あいしゅう)は子に勝るものはない」と。この上なき大聖人でさえも、なおかつ、このように子への愛着に執(とら)われる心をお持ちである。ましてや、俗世の凡人たるもの、誰が子を愛さないでいられようか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)こんく【金口】〘仏〙:釈迦の口や、その言葉を敬っていう語。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)
(注)「等(ひと)しく衆生(しうじゃう)を思うこと羅睺羅(らごら)のごとし」:釈迦の語としては涅槃経に見える。(伊藤脚注)
(注)羅睺羅(らごら):釈迦の出家以前の一子。(伊藤脚注)
(注)「愛は子に過ぎたることなし」:釈迦の語としては仏典に見当たらないという。憶良の作為か。「愛」は愛執、愛欲の意。(伊藤脚注)
(注)子を愛したまふ心あり:子への愛着にとらわれる心。(伊藤脚注)
(注)そうせい【蒼生】:多くの人々。人民。あおひとぐさ。蒼氓(そうぼう)。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
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◆宇利波米婆 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯堤葱斯農波由 伊豆久欲利 枳多利斯物能曽 麻奈迦比尓 母等奈可利堤 夜周伊斯奈佐農
(山上憶良 巻五 八〇二)
≪書き下し≫瓜食(うりはめ)めば 子ども思ほゆ 栗(くり)食めば まして偲(しぬ)はゆ いづくより 来(きた)りしものぞ まなかひに もとなかかりて 安寐(やすい)し寝(な)さぬ
(訳)瓜を食べると子どもが思われる。栗を食べるとそれにも増して偲(しの)ばれる。こんなにかわいい子どもというものは、いったい、どういう宿縁でどこ我が子として生まれて来たものなのであろうか。そのそいつが、やたら眼前にちらついて安眠をさせてくれない。(同上)
(注)まして偲(しぬ)はゆ:それにも増して偲ばれる。「偲(しぬ)ふ」は「偲(しの)ふ」に同じ(伊藤脚注)
(注)いづくより来(きた)りしものぞ:いかなる宿縁で、どこから我が子として生まれ来ったのか。(伊藤脚注)
(注)まなかひ【眼間・目交】名詞:目と目の間。目の辺り。目の前。 ※「ま」は目の意、「な」は「つ」の意の古い格助詞、「かひ」は交差するところの意。(学研)
(注)もとな 副詞:わけもなく。むやみに。しきりに。 ※上代語。(学研)
(注)やすい【安寝・安眠】名詞:安らかに眠ること。安眠(あんみん)。 ※「い」は眠りの意(学研)
◆銀母 金母玉母 奈尓世武尓 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母
(山上憶良 巻五 八〇三)
≪書き下し≫銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに まされる宝子にしかめやも
(訳)銀も金も玉も、どうして、何よりすぐれた宝である子に及ぼうか。及びはしないのだ。(同上)
(注)何せむに:反語の表現と呼応する副詞。「子にしかめやも」にかかる。いったい何になろう、の意。(伊藤脚注)
(注)まされる宝:結句「子」の連体修飾句。(伊藤脚注)
八〇三歌に関して、犬養 孝氏は、その著「万葉の人びと」(新潮文庫)のなかで、「・・・子供に対する熱愛の歌であることにはまちがいがない、『万葉集』には恋の歌は非常に多いけれど、子供を思う歌というのは大変珍しいのです。こういう点も憶良の、いかにも憶良らしいところですね。」と書いておられる。
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これまで巡って来た八〇二ならびに八〇三の歌碑に焦点をあわせてみよう。
この歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1508)」で紹介している。
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この歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1709)」で紹介している。
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この歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1934)」で紹介している。
➡ こちら1934
※ロビーで待機中の人を修正した関係で一部見苦しくなっておりますがご容赦ください。
この歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1934,1935)」で紹介している。
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この歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1958)」で紹介している。
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この歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1959)」で紹介している。
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この歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その289)」で紹介している。
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■奈良市神功4 万葉の小径■
この歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その477)」で紹介している。
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■西宮市西田町西田公園万葉植物苑■
この歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その591)」で紹介している。
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この歌碑(プレート)については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1448)」で紹介している。
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この歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1967)」で紹介している。
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この歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2006)」で紹介している。
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(参考文献
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」