万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その477)―奈良市神功4丁目 万葉の小径(13)―万葉集 巻五 八〇二

●歌は、「瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆいづくより・・・」である。

 

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奈良市神功4丁目 万葉の小径(13)万葉歌碑(山上憶良 くり)

●歌碑は、奈良市神功4丁目 万葉の小径(13)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆宇利波米婆 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯堤葱斯農波由 伊豆久欲利

枳多利斯物能曽 麻奈迦比尓 母等奈可利堤 夜周伊斯奈佐農

               (山上憶良 巻五 八〇二)

 

≪書き下し≫瓜食(うりはめ)めば 子ども思ほゆ 栗(くり)食めば まして偲(しの)はゆ いづくより 来(きた)りしものぞ まなかひに もとなかかりて 安寐(やすい)し寝(な)さぬ

 

(訳)瓜を食べると子どもが思われる。栗を食べるとそれにも増して偲(しの)ばれる。こんなにかわいい子どもというものは、いったい、どういう宿縁でどこ我が子として生まれて来たものなのであろうか。そのそいつが、やたら眼前にちらついて安眠をさせてくれない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)まなかひ【眼間・目交】名詞:目と目の間。目の辺り。目の前。 ※「ま」は目の意、「な」は「つ」の意の古い格助詞、「かひ」は交差するところの意。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)もとな 副詞:わけもなく。むやみに。しきりに。 ※上代語。(学研)

(注)やすい【安寝・安眠】名詞:安らかに眠ること。安眠(あんみん)。 ※「い」は眠りの意(学研)

 

 

 「クリは落葉高木で、実は食用に、葉は薬用に、樹皮は染料に、材は建築用材になる木である。万葉集では、食用として歌われ、毬(いが)のなかに三つあるのが普通であるから『三栗の』と表現されている。

 どうしてウリやクリを食べると子供のことがそれほど意識されるのであろうか。必ずしもウリとクリとが最高においしい果実だからというのでもあるまい。ウリとクリとの響きの良さもあっただろう。それよりも、山上憶良がこの歌を選定した時期が問題である。神亀五年七月 筑前守として赴任していた憶良は、ちょうど現在の初秋の気候の中で、その時の植物の中からウリとクリとを選んでいるのだ。これらは、季節の果実であり、その上にウリ・クリ・ヨリ・来たり という一つの調子が出来上がっている。憶良六十九才の頃の作であるから、我が子二人に限った心ではなく、子を持つ親の心というものを歌ったうたである。」

                        (万葉の小径 くりの歌碑)

 

 この歌の題詞は「思子等歌一首幷序」<子等(こら)を思ふ歌一首幷(あは)せて序>である。

序は、「釈迦如来金口正説 等思衆生如羅睺羅 又説 愛無過子 至極大聖尚有愛子之心 况乎世間蒼生誰不愛子乎」<釈迦如来(しゃかにょらい)、金口(こんく)に正(ただ)に説(と)きたまはく、「等(ひと)しく衆生(しうじゃう)を思うこと羅睺羅(らごら)のごとし」と。また、説きたまはく、「愛は子に過ぎたることなし」と。至極(しごく)の大聖(たいせい)すらに、なほ子を愛したまふ心あり。いはむや、世間(せけん)の蒼生(そうせい)、誰れか子を愛せずあらめや>である。

 

≪序の訳≫釈尊が御口ずから説かれるには、「等しく衆生を思うことは、我が子羅睺羅(らごら)を思うのと同じだ」と。しかしまた、もう一方で説かれるには、「愛執(あいしゅう)は子に勝るものはない」と。この上なき大聖人でさえも、なおかつ、このように子への愛着に執(とら)われる心をお持ちである。ましてや、俗世の凡人たるもの、誰が子を愛さないでいられようか。(同上)

(注)こんく【金口】〘仏〙:釈迦の口や、その言葉を敬っていう語。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)羅睺羅(らごら):釈迦の出家以前の一子。

(注)そうせい【蒼生】:多くの人々。庶民。国民。あおひとぐさ。(三省堂

 

反歌(八〇三)もみてみよう。

 

◆銀母 金母玉母 奈尓世武尓 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母

              (山上憶良 巻五 八〇三)

 

≪書き下し≫銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに)まされる宝子にしかめやも

 

(訳)銀も金も玉も、どうして、何よりすぐれた宝である子に及ぼうか。及びはしないのだ。(同上)

(注)なにせむに【何為むに】分類連語:どうして…か、いや、…ない。▽反語の意を表す。 ※なりたち代名詞「なに」+サ変動詞「す」の未然形+推量の助動詞「む」の連体形+格助詞「に」(学研)

 (注)しかめやも【如かめやも】分類連語:及ぼうか、いや、及びはしない。※なりたち動詞「しく」の未然形+推量の助動詞「む」の已然形+係助詞「や」+終助詞「も」(学研)

万葉集にはクリを詠んだ歌は三首と意外と少ないのである。

 

他の二首もみてみよう。

 

◆三栗乃 中尓向有 曝井之 不絶将通 彼所尓妻毛我

                (高橋虫麻呂 巻九 一七四五)

 

≪書き下し≫三栗(みつぐり)の那賀(なか)に向へる曝井(さらしゐ)の絶えず通(かよ)はむそこに妻もが

 

(訳)那賀の村のすぐ向かいにある曝井の水、その水が絶え間なく湧くように、ひっきりなしに通いたい。そこに妻がいてくれたらよいのに。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)みつぐりの【三栗の】分類枕詞:栗のいがの中の三つの実のまん中の意から「中(なか)」や、地名「那賀(なか)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)曝井:愛宕山古墳の西方、北に下る滝坂の中程、曝台といわれる右手にあって、「千歳湧く曝井の泉」と郷土かるたに選定された1,200年の歴史を秘めた萬葉ゆかりの湧き水です。(中略)水戸市唯一の萬葉の遺跡です。この歌は、乙女達のこの華やいだ仕草に、遠く大和から派遣された萬葉歌人が、妻を偲んで詠んだものとされています。(一般社団法人 水戸観光コンベンション協会HP)

 

 

◆松反 四臂而有八羽 三栗 中上不来 麻呂等言八子

               (柿本人麻呂歌集 巻九 一七八三)

 

≪書き下し≫松反(まつがへ)りしひてあれやは三栗(みつぐり)の中上(なかのぼ)り来(こ)ぬ麻呂(まろ)といふ奴(やっこ)

 

(訳)鷹の松返りというではないが、ぼけてしまったのかしら、機嫌伺に中上りもして来ない。麻呂という奴は。(同上) 鷹が手許に戻らず松の木に帰る意か。

(注)松反り(読み)まつがへり:[枕]「しひ」にかかる。かかり方未詳。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)しふ【癈ふ】自動詞:目や耳などの感覚がまひする。身体の器官がだめになる。老いぼれる。(学研)

(注)中上り:地方官が任期中に報告に上京すること。

 

「みつぐりの(三栗の)」は、栗のいがの中の三つの実のまん中の意から「中(なか)」や、地名「那賀(なか)」にかかる枕詞であるが、万葉びとの自然観察力に驚かされる。またそれが、支持され定着していくのもすごいものである。いまでこそ、SNSで「いいね」で反響をよび、いとも簡単に伝播していくが、口誦から記載への時代であるだけに、感動ものである。それだけに、「万葉集」が万葉びとに与えた影響力は計り知れないものがある。当時のいわゆる知的レベルの高いと考えられる層の構成比等から考えるとなおさらである。

 万葉集の存在自体が奇跡としか思えなくなってくる。しかもそれが千二百年の時を経て、接することができるのである。時間軸では相当の隔たりがあっても、空間軸では共有できる不思議さがなんともいえない万葉集の魅力なのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「一般社団法人 水戸観光コンベンション協会HP」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「万葉の小径 くりの歌碑」