万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1298、1299、1300)―島根県益田市 県立万葉公園(P9、10,11)―万葉集 巻二 二二三,二二四,二二五

「鴨山五首」は、個々の歌ごとに紹介してきましたが、島根県立万葉公園の歌碑(プレート)の写真を見ながら、一括してみます。

 

 まず、五首(書き下し)を並べて見る。

◆鴨山の岩根しまける我れをかも知らにと妹が待ちつつあるらむ(柿本人麻呂

◆今日今日と我が待つ君は石川の峽に交りてありといはずやも(依羅娘子)

◆直に逢はば逢ひかつましじ石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ(依羅娘子)

◆荒波に寄り来る玉を枕に置き我れここにありと誰れか告げなむ(丹比真人)

◆天離る鄙の荒野に君を置きて思ひつつあれば生けるともなし(作者未詳)

 

 

―その1298―

●歌は、「鴨山の岩根しまける我れをかも知らにと妹が待ちつつあるらむ」である。

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島根県益田市 県立万葉公園(P9)万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂

●歌碑(プレート)は、島根県益田市 県立万葉公園(P9)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「柿本朝臣人麻呂在石見國臨死時自傷作歌一首」<柿本朝臣人麻呂、石見(いはみ)の国に在りて死に臨む時に、自(みづか)ら傷(いた)みて作る歌一首>である。

 

◆鴨山之 磐根之巻有 吾乎鴨 不知等妹之 待乍将有

       (柿本人麻呂 巻二 二二三)

 

≪書き下し≫鴨山(かもやま)の岩根(いはね)しまける我(わ)れをかも知らにと妹(いも)が待ちつつあるらむ

 

(訳)鴨山の山峡(やまかい)の岩にして行き倒れている私なのに、何も知らずに妻は私の帰りを今日か今日かと待ち焦がれていることであろうか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)鴨山:石見の山の名。所在未詳。

(注)いはね【岩根】名詞:大きな岩。「いはがね」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)まく【枕く】他動詞:①枕(まくら)とする。枕にして寝る。②共寝する。結婚する。※②は「婚く」とも書く。のちに「まぐ」とも。上代語。(学研)ここでは①の意

(注)しらに【知らに】分類連語:知らないで。知らないので。 ※「に」は打消の助動詞「ず」の古い連用形。上代語。(学研)

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1266)」で紹介している。

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―その1299―

●歌は、「今日今日と我が待つ君は石川の峡に交りてありとはいはずやも」である。

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島根県益田市 県立万葉公園(P10)万葉歌碑<プレート>(依羅娘子)

●歌碑(プレート)は、島根県益田市 県立万葉公園(P10)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「柿本朝臣人麻呂死時妻依羅娘子作歌二首」<柿本朝臣人麻呂が死にし時に、妻依羅娘子(よさみのをとめ)が作る歌二首>である。

 

◆且今日ゝゝゝ 吾待君者 石水之 貝尓 <一云 谷尓> 交而 有登不言八方

       (依羅娘子 巻二 二二四)

 

≪書き下し≫今日今日(けふけふ)と我(あ)が待つ君は石川(いしかは)の峽(かひ)に <一には「谷に」といふ> 交(まじ)りてありといはずやも

 

(訳)今日か今日かと私が待ち焦がれているお方は、石川の山峡に<谷間(たにあい)に>迷いこんでしまっているというではないか。(同上)

(注)石川:石見の川の名。所在未詳。諸国に分布し、「鴨」の地名と組みになっていることが多い。

(注)まじる【交じる・雑じる・混じる】自動詞:①入りまじる。まざる。②(山野などに)分け入る。入り込む。③仲間に入る。つきあう。交わる。宮仕えする。④〔多く否定の表現を伴って〕じゃまをされる。(学研)ここでは②の意

(注)やも [係助]《係助詞「や」+係助詞「も」から。上代語》:(文中用法)名詞、活用語の已然形に付く。①詠嘆を込めた反語の意を表す。②詠嘆を込めた疑問の意を表す。 (文末用法) ①已然形に付いて、詠嘆を込めた反語の意を表す。…だろうか(いや、そうではない)。②已然形・終止形に付いて、詠嘆を込めた疑問の意を表す。…かまあ。→めやも [補説] 「も」は、一説に間投助詞ともいわれる。中古以降には「やは」がこれに代わった。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1267)」で紹介している。

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―その1300―

●歌は、「直に逢はば逢ひかつましじ石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ」である。

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島根県益田市 県立万葉公園(P11)万葉歌碑<プレート>(依羅娘子)

●歌碑(プレート)は、島根県益田市 県立万葉公園(P11)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞「柿本朝臣人麻呂死時妻依羅娘子作歌二首」<柿本朝臣人麻呂が死にし時に、妻依羅娘子(よさみのをとめ)が作る歌二首>の二首目である。

 

◆且今日ゝゝゝ 吾待君者 石水之 貝尓 <一云 谷尓> 交而 有登不言八方

       (依羅娘子 巻二 二二四)

 

≪書き下し≫今日今日(けふけふ)と我(あ)が待つ君は石川(いしかは)の峽(かひ)に <一には「谷に」といふ> 交(まじ)りてありといはずやも

 

(訳)今日か今日かと私が待ち焦がれているお方は、石川の山峡に<谷間(たにあい)に>迷いこんでしまっているというではないか。(同上)

(注)石川:石見の川の名。所在未詳。諸国に分布し、「鴨」の地名と組みになっていることが多い。

(注)まじる【交じる・雑じる・混じる】自動詞:①入りまじる。まざる。②(山野などに)分け入る。入り込む。③仲間に入る。つきあう。交わる。宮仕えする。④〔多く否定の表現を伴って〕じゃまをされる。(学研)ここでは②の意

(注)やも [係助]《係助詞「や」+係助詞「も」から。上代語》:(文中用法)名詞、活用語の已然形に付く。①詠嘆を込めた反語の意を表す。②詠嘆を込めた疑問の意を表す。 (文末用法) ①已然形に付いて、詠嘆を込めた反語の意を表す。…だろうか(いや、そうではない)。②已然形・終止形に付いて、詠嘆を込めた疑問の意を表す。…かまあ。→めやも [補説] 「も」は、一説に間投助詞ともいわれる。中古以降には「やは」がこれに代わった。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1268)」で紹介している。

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次の二首の歌碑(プレート)はなかったので歌のみの紹介となります。

 

題詞は、「丹比真人〔名闕〕擬柿本朝臣人麻呂之意報歌一首」<丹比真人(たぢひのまひと)〔名は欠けたり〕、柿本朝臣人麻呂が意に擬(なずら)へて報(こた)ふる歌一首>である。

(注)まひと【真人】名詞:奈良時代天武天皇のときに定められた「八色(やくさ)の姓(かばね)」の最高位。皇族に賜った。(学研)

(注の注)やくさのかばね【八色の姓・八種の姓】名詞:家柄の尊卑を八段階に分けた姓。天武天皇の十三年(六八四)に定められた、真人(まひと)・朝臣(あそみ)・宿禰(すくね)・忌寸(いみき)・道師(みちのし)・臣(おみ)・連(むらじ)・稲置(いなき)の八つ。「八姓(はつしやう)」とも。

(注)なずらふ【準ふ・擬ふ】他動詞:①同程度・同格のものと見なす。比べる。②同じようなものに似せる。まねる。 ※「なぞらふ」とも。(学研)

 

◆荒浪尓 縁来玉乎 枕尓置 吾此間有跡 誰将告

       (丹比真人 巻二 二二六)

 

≪書き下し≫荒波に寄り来る玉を枕に置き我れここにありと誰れか告げなむ

 

(訳)荒波に寄せられて来る玉、その玉を枕辺に置いて、私がこの浜辺にいると、誰が妻に告げてくれたのであろうか。(同上)

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1269)」で紹介している。

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題詞は、「或本歌曰」<或本の歌に曰はく>である。

 

◆天離 夷之荒野尓 君乎置而 念乍有者 生刀毛無

       (作者未詳 巻二 二二七)

 

≪書き下し≫天離(あまざか)る鄙(ひな)の荒野(あらの)に君を置きて思ひつつあれば生けるともなし

 

(訳)都を遠く離れた片田舎の荒野にあの方を置いたままで思いつづけていると、生きた心地もしない。(同上)

(注)あまざかる【天離る】分類枕詞:天遠く離れている地の意から、「鄙(ひな)」にかかる。「あまさかる」とも。(学研)

(注)いけ【生】るともなし:(「いけ」は四段動詞「いく(生)」の命令形、「と」は、しっかりした気持の意の名詞) 生きているというしっかりした気持がない。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

左注は、「右一首歌作者未詳 但古本以此歌載於此次也」<右の一首の歌は、作者未詳、ただし、古本この歌をもちてこの次に載す>である。

(注)古本:いかなる本とも知られていない。一五・一九歌の左注にある「旧本」とは別の本と思われる。

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1270)」で紹介している。

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 梅原 猛氏は、その著「水底の歌 柿本人麿論 下」(新潮文庫)の中で、「万葉集の歌を一首ずつ切り離して観賞するくせがついているが、私は、こういう観賞法は根本的にまちがっていると思う。」と書かれ、万葉集の歌物語性を強調、「鴨山五首」を通して、柿本人麻呂流罪、刑死説を展開されている。非業の死故、「神」としてあがめられ、さらに柿本人麻呂が正史に登場しないことに関しても、持統帝への讃歌等華やかな側面があるが、持統帝の挽歌がないことなどから罪に問われ、柿本佐留と変名させられたのではと推測、「人麻呂=佐留(猨)(=猿丸大夫)」説を展開されている。「歌の聖」としての復権も諸々の資料を踏まえ展開されている。

 万葉集の編纂経緯にもふれ、万葉集は、藤原権力への告発歌物語というとらえ方もされている。

 

 島根県益田市の県立万葉公園「人麻呂展望広場」を訪れ、同氏の「水底の歌 柿本人麿論 上下」を読んで、万葉集への見方の視野が違ってきた。

今までは、歌を中心に、深耕をと思っていたが、空間的な広がりとともに更なる深耕が必要だと痛感させられたのである。

今まで見ていた万葉集は儚く消え去り、想像を超え巨大化した万葉集が目の前に立ちはだかったのである。

 一歩、一歩、一歩・・・

 

 もう一度、五首(書き下し)をながめてみよう。

◆鴨山の岩根しまける我れをかも知らにと妹が待ちつつあるらむ(柿本人麻呂

◆今日今日と我が待つ君は石川の峽に交りてありといはずやも(依羅娘子)

◆直に逢はば逢ひかつましじ石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ(依羅娘子)

◆荒波に寄り来る玉を枕に置き我れここにありと誰れか告げなむ(丹比真人)

◆天離る鄙の荒野に君を置きて思ひつつあれば生けるともなし(作者未詳)

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「水底の歌 柿本人麿論 上下」 梅原 猛 著 (新潮文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「weblio辞書 デジタル大辞泉