2025-08-01から1ヶ月間の記事一覧
第六章 加茂真淵の<批評>―江戸時代における「万葉集」 一 印刷本の『万葉集』 【特別な地位を与えられた『万葉集』】 「慶長八年(一六〇三)、徳川家康が征夷大将軍となり、江戸に幕府を開きました。江戸時代では、文化の担い手は貴族や武士から下級武士…
【明瞭な意味を宿したことば】 「『心』と『詞』の調和という考え方の基礎には、『『万葉集』の『心』は全て明瞭である』、つまり『万葉集』のことばは細部に至るまで明瞭な意味を宿しているはずである」という見方があります。・・・『ヤスミシシ』について…
【新しい万葉集の誕生】 「仙覚寛元本以後も、仙覚は・・・有力御家人(ごけにん)で優れた文化人であった北条実時(ほうじょうさねとき)の支援を受けながら、治定本の精度を高めることに努め、仙覚独自の見解が隅々まで行き渡った『万葉集』の写本を文永(…
三 学僧仙覚による新しい『万葉集』 【東路の道の果てに】 「鎌倉時代中期の東国において、・・・学僧仙覚によって、二十巻本の『万葉集』の大規模な本文校訂が行われ、『万葉集』の歌の全てが初めて読み下されました。仙覚は『万葉集』の初めての本格的な注…
【自然への畏敬と国土讃美】 「『万葉集』を本歌取りした実朝の傑作とされているのが、『金槐和歌集』雑(ぞう)の部の次の一首です。 荒磯(あらいそ)に波(なみ)の寄(よ)るを見てよめる ◆大海(おほうみ)の 磯(いそ)もとどろに 寄(よ)する波(な…
第五章 「道理」のよって『万葉集』を解読した仙覚―中世における『万葉集』 一 鎌倉武士の『万葉集』 【東国の新しい波】 「藤原定家以後も、都では『万葉集』の書写・研究・享受は続けられました。・・・しかし、『新古今和歌集』によって『万葉集』の秀歌…
【<古代>への憧憬】 「定家は晩年に秀歌集『百人一首』を編みました。・・・『百人一首』は天智天皇・持統天皇から後鳥羽院・順徳院に至る和歌のエッセンスを示すものです。 この『百人一首』に万葉歌人の歌が五首選ばれています。持統天皇の歌と山部赤人…
九 「うたの源なり」 【『新古今和歌集』と『万葉集』】 建仁(けんにん)元年(一二〇一)三月の後鳥羽院は、・・・勅撰和歌集『新古今和歌集』撰進(せんじん)の院宣(いんぜん)を下し、元久(げんきゅう)二年(一二〇五)三月に完成をみた。 「『新古…
七 動乱の時代の中の『万葉集』 【新たな『証本』の作成】 十二世紀後半に、二条天皇の(在位:一一五八~一一六五)の命を受けた藤原清輔によって、革新的なスタイルの二十巻本の『万葉集』の写本『二条院御本(にじょういんぎょほん)』(現存はしていない…
【元暦校本の姿】 「元暦校本の書写は、当時の能書(のうしょ)たちが分担して担当して」いる。「元暦校本は調度本の冊子本ですが、平安時代中期の、優美で、形式にとらわれない冊子本とは異なり、巻子本に似た表情を持って」いるという。「元暦校本は巻子本…
四 『堀河百首』と『万葉集』 【勅撰和歌集に準ずる『堀河百首』】 宮廷の歌壇(白河院歌壇・堀河天皇歌壇)では『万葉集』の歌句を典拠とする和歌が作られ、この流れは堀河天皇歌壇において大きなものとなる。複数の歌人が百題百首を詠む公的な百歌集は『堀…
【新しいスタイルの『万葉集』】 「藍紙本は、題詞を歌より低い位置から書き」「題詞を歌より高い位置から書く」「平安時代中期の桂本(かつらぼん)とは大きく異なっています。」 「題詞を高く書くレイアウトは道長・頼通圏の写本の形式で、平安時代後期に…
万葉集の世界へ飛び込もう―書籍掲載歌を中軸に(Ⅲ)―平安時代後期の『万葉集』 第四章 藤原定家の<古代>―平安時代後期における『万葉集』 一 平安時代後期の『万葉集』 【激動する時代の中で】 「・・・後三条天皇(一〇六八~一〇七二在位)が即位してか…
七 紫式部が読んでいた『万葉集』 【二十巻本『万葉集』を読んでいた紫式部】 「・・・『源氏物語』を執筆した紫式部は、『かな』で書かれた『古今和歌六帖(こきんわかろくじょう)』などの『万葉歌』や『人麿集』『赤人集』『家持集』などはもちろん、二十…
六 藤原道長・頼道による書写 【二十巻本『万葉集』の書写の開始】 十一世紀初頭、藤原行成の日記『権記(ごんき)』に、藤原文範(ふじわらのふみのり)が曾孫の女性の為に、二十巻本の『万葉集』の美しい写本を調えることを思い立ち、その書写を行成に依頼…
万葉集の世界へ飛び込もう(その3002)―書籍掲載歌を中軸に(Ⅲ)―『万葉集』への関心の高まり 五 『万葉集』への関心の高まり 【『万葉集』への景慕】 古点では、「漢字本文を『かな』に移し変えましたが、漢字本文を削除することは」なく、「『万葉集』…
四 「訓読」の始まり 【『万葉集』の『訓読』の下命】 「村上天皇の時代に入るといよいよ『万葉集』の『訓読』が始まります。・・・第二の勅撰和歌集『後撰和歌集(ごせんわかしゅう)』の編纂を進めたのも、醍醐天皇の『古今和歌集』を引き継ぎ、天皇を中心…
三 <訓み>による「万葉歌」 【『古今和歌集』の『万葉歌』】 「村上天皇の命による『訓読』以前には、抄出本の『万葉集』の他に、『古今和歌集』に収められた、『万葉集』に由来する歌が一〇首程度知られて」おり「『万葉集』研究においては、これを『万葉…
【調度本としての抄出本】 「醍醐天皇宸筆の抄出本の『万葉集』以後、美しい調度本の抄出本が次々と制作された」という。これらは、断簡として今に伝わっているという。「伝藤原佐理(ふじわらのすけまさ)筆『下絵万葉集抄切(したえまんようしゅうしょうぎ…
第三章 紫式部と複数の『万葉集』――平安時代中期における『万葉集』 一 平安時代中期の『万葉集』 【さまざまな『万葉集』】 「『万葉集』は、『古今和歌集』によって『和歌』の最も繁栄した<古代>に編まれた“勅撰和歌集”と明確に位置付けられ・・・十世紀…
四 紀貫之と『万葉集』―<古代>世界への参入 【『古今和歌集』編纂の時代】 醍醐天皇の治世に、最初の勅撰和歌集である『古今和歌集』は、「和歌に漢詩文に匹敵する地位を与え、・・・『かな』をその和歌を記すための公的な文字に押し上げ」たという。一方…
三 「古今和歌集」の万葉像 【『万葉集』を強く意識した『古今和歌集』】 小川氏は、「『古今和歌集』が『万葉集』を強く意識したという点について、「『古今和歌集』の巻数が二十」である点、また「『古今和歌集』の巻頭の在原元方(ありはらのもとかた)の…
二 菅原道真の『新撰万葉集』 【菅原道真の『万葉集』への評価】 「万葉集を<訓ん>でいたことがあきらかな上に、『万葉集』についての評価を初めて書き記した・・・資料が菅原道真(すがわらのみちざね)の編んだ歌集『新撰(しんせん)万葉集』」の序文に…
第二章 『万葉集』を読んでいた紀貫之――平安時代前期における『万葉集』 一 平安時代初期の『万葉集』 【嵯峨天皇の万葉集抄出本】 「『万葉集』はいつ、どのようにして読まれ始めたか」について、「『源氏物語』の『梅枝(うめがえ)』の巻に嵯峨(さが)天…
【「読む」ことと「訓む」こと】 「『万葉集』を『読む』ためには、漢字で書かれた原文(漢字本文)を解読して、歌の〈ことば〉を再現することが必要」であるが、「解読は意識・無意識にその時代の考え方や日本語のあり方に強く影響を受け」、「解読は『万葉…
本稿から、「『万葉集と日本人』 小川靖彦著 (角川図書)」を中軸に、万葉集に新たな切口で迫っていきたい。 同著の「はじめに」に、「『万葉集』の読み方は時代とともに大きく変化しています。」とあり「『万葉集』は時代によって人々の心に映る姿を変えな…
【妹として 二人作りし 我が山斎は……】 「さらには、たとえ、平城京に無事にたどり着いたとしても、二人の思い出のある家に入れば、思いが乱れることを予測していたのでした。そして、それは現実のものとなってしまいます。 (挽歌 巻三の四五一)(同 同四…
【失意の帰路、旅人の場合】 「・・・夫婦や恋人どうしで、庭に好みの植物を植えて楽しむ歌の初見は、いったいどれなのでしょうか。わたしが見たかぎりでは、大伴旅人(おほとものたびと)の例ではないか、と思います。・・・ 神亀(じんき)五(七二八)年…
「・・・松を植えたカップルもうたようです。 (寄物陳思 柿本人麻呂歌集 巻十一の二四八四)(歌は省略) 二人で松を植えたんだから、待ったらあなたも来てくれるでしょうという、これも『待つ女の文芸』です。ここでは、『松』と『待つ』が掛かっています…
【逢えないことを嘆き、形見に偲ぶ】 「・・・男が女に見てもらおうと植えた萩もあったようです。 (秋の雑歌 詠花 巻十の二一二七)(歌は省略) おそらく、男は女に見せるために、自分の家の庭に萩を植えたのでしょう。しかし、その女が見ないうちに散って…