万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その891)―太宰府市吉松 太宰府歴史スポーツ公園(2)―万葉集 巻五 八三九 

●歌は、「春の野に霧立ちわたる降る雪と人の見るまで梅の花散る」である。

 

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太宰府歴史スポーツ公園(2)万葉歌碑(田氏真上)

●歌碑は、太宰府市吉松 太宰府歴史スポーツ公園(2)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆波流能努尓 紀理多知和多利 布流由岐得 比得能美流麻提 烏梅能波奈知流  筑前目田氏真上

                                   (田氏真上 巻五 八三九)

 

≪書き下し≫春の野に霧(きり)立ちわたる降る雪と人の見るまで梅の花散る  筑前目(つくしのみちのくちのさくわん)田氏真上(でんじのまかみ)

 

(訳)“あれは春の野に霧が立ちこめてまっ白に降る雪なのか”と、誰もが見紛(みまが)うほどに、この園に梅の花が散っている。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

梅花の歌三十二首のうちの一首である。

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歌の解説碑


 

 

 四季の最初は春、希望が膨らむ春、生物が躍動しだす春、エネルギー上昇といったイメージである。春の野とくれば、時間的・空間的広がりを感じさせる。

 「万葉集 四」(伊藤 博 著 角川ソフィア文庫)の初句索引を参考に番号順にみていくことにする。なお、書き下しと訳での構成とする。

 

◆春の野に鳴くやうぐひすなつけむと我(わ)が家(へ)の園(その)に梅が花咲く

              (志氏大道 巻五 八三七)

 

(訳)春の野で咲く鴬、その鴬を手なずけようとして、この我らが園に梅の花が咲いている。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 

◆春の野に霧(きり)立ちわたる降る雪と人の見るまで梅の花散る  

 

(訳)“あれは春の野に霧が立ちこめてまっ白に降る雪なのか”と、誰もが見紛(みまが)うほどに、この園に梅の花が散っている。(同上)

 

 

◆≪書き下し≫春の野にすみれ摘(つ)みにと来(こ)しわれぞ 野をなつかしみ一夜寝(ね)にける

                (山部赤人 巻八 一四二四)

 

(訳)春の野に、すみれを摘もうとやってきた私は、その野の美しさに心引かれて、つい一夜を明かしてしまった。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)なつかし【懐かし】形容詞:①心が引かれる。親しみが持てる。好ましい。なじみやすい。②思い出に心引かれる。昔が思い出されて慕わしい。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その417)」で紹介している。

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◆春の野にあさる雉(きざし)の妻恋(つまご)ひにおのがあたりを人に知れつつ

                (大伴家持 巻八 一四四六)

 

(訳)春の野で餌(えさ)をあさる雉(きじ)が、妻恋しさに鳴きたてて、自分のありかを人に知られてしまって…」(同上)

 

 

◆春の野に心延(の)べむと思ふどち来(こ)し今日(けふ)の日は暮れずもあらぬか

                (作者未詳 巻十 一八八二)

 

(訳)この春の野で心をのびのびさせようと、親しい者同士とやって来た今日の一日は、暮れずにあってくれないものか。(同上)

(注)のぶ【伸ぶ・延ぶ】他動詞:①伸ばす。長くする。②延ばす。延期する。③のんびりさせる。ゆったりとさせる。(学研)

 

この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その794-8)」で紹介している。

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◆春の野に霞たなびき咲く花のかくなるまでに逢はぬ君かも

                (作者未詳 巻十 一九〇二)

 

(訳)春の野に霞がたなびいて、咲く花がこんなに見事になっても、いっこうに逢っては下さらないあの方よ。(同上)

 

 

◆春の野に草食(は)む駒(こま)の口やまず我(あ)を偲(いの)ふらむ家の子ろはも

                (作者未詳 巻十四 三五三二)

 

(訳)春の野で草を食む駒の口がちっとも止(や)まないように、口の休まる間(ま)とてなく私のことを偲んでいるであろう家の子、ああ、残してきた我が妻よ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は序。「口やまず」を起こす。

(注)ころ【子ろ・児ろ】名詞:女性や子供を親しんで呼ぶ語。 ※「ろ」は接尾語。「子ら」の上代の東国方言。(学研)

 

◆春の野の下草(したくさ)靡(なび)き我(わ)れも寄りにほひ寄りなむ友のまにまに

                 (作者未詳 巻十六 三八〇二)

 

(訳)春の野の下草が靡くように、私も靡いて、同じ色に染まって爺さんに身を寄せよう。皆さんのなさるとおりに。(同上)

(注)上二句は序。「寄り」を起こす。

 

 

◆春の野に霞(かすみ)たなびきうら悲(がな)しこの夕影(ゆふかげ)にうぐひす鳴くも

               (大伴家持 巻十九 四二九〇)

 

(訳)春の野に霞がたなびいて、何となしに物悲しい、この夕暮れのほのかな光の中で、鴬が鳴いている。(同上)

(注)春たけなわの夕暮れ時につのるうら悲しさが主題。

(注)うらがなし【うら悲し】形容詞:何とはなしに悲しい。もの悲しい。 ※「うら」:心の意。(学研)

(注)ゆふかげ【夕影】名詞:①夕暮れどきの光。夕日の光。 [反対語] 朝影(あさかげ)。②夕暮れどきの光を受けた姿・形。(学研)ここでは①の意

 

この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その551)」で紹介している。

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前向きの明るいエネルギーを感じさせる「春の野」と詠いだす万葉歌が多いと思ったのであるが、あにはからんや大伴家持の四二九〇歌(「春愁三歌」の一つ)に代表されるように、春を詠うことによって逆に憂いを前に押し出している歌が多いのである。

 一八八二歌や山部赤人の一四二四歌がかろうじて春を謳歌しており、八三七、八三九歌の梅花の歌三十二首の二首は、その時点の停止した時間軸・空間軸として「春の野」を詠っているのであるが、他の多くは、春と真逆のイメージを前面に押し出す効果を狙って「春の野」と歌い上げている歌が多いのには驚かされたのである。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一~四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「太宰府万葉歌碑めぐり」 (太宰府市

万葉歌碑を訪ねて(その890)―太宰府市吉松 太宰府歴史スポーツ公園(1)―万葉集 巻五 八二三

●歌は、「梅の花散らくはいづくしかすがにこの城の山に雪は降りつつ」である。

 

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太宰府歴史スポーツ公園(1)

●歌碑は、太宰府市吉松 太宰府歴史スポーツ公園(1)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆烏梅能波奈 知良久波伊豆久 志可須我尓 許能紀能夜麻尓 由企波布理都ゝ  大監伴氏百代

              (伴氏百代 巻五 八二三)

 

≪書き下し≫梅の花散らくはいづくしかすがにこの城(き)の山に雪は降りつつ

 

(訳)梅の花が雪のように散るというのはどこなのでしょう。そうは申しますものの、この城の山にはまだ雪が降っています。その散る花はあの雪なのですね。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)しかすがに【然すがに】副詞:そうはいうものの。そうではあるが、しかしながら。※上代語。 ⇒参考 副詞「しか」、動詞「す」の終止形、接続助詞「がに」が連なって一語化したもの。中古以降はもっぱら歌語となり、三河の国(愛知県東部)の歌枕(うたまくら)「志賀須賀(しかすが)の渡り」と掛けて用いることも多い。一般には「しか」が「さ」に代わった「さすがに」が多く用いられるようになる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典

(注)-く 接尾語 〔四段・ラ変動詞の未然形、形容詞の古い未然形「け」「しけ」、助動詞「けり」「り」「む」「ず」の未然形「けら」「ら」「ま」「な」、「き」の連体形「し」に付いて〕①…こと。…すること。▽上に接する活用語を名詞化する。②…ことに。…ことには。▽「思ふ」「言ふ」「語る」などの語に付いて、その後に引用文があることを示す。③…ことよ。…ことだなあ。▽文末に用い、体言止めと同じように詠嘆の意を表す。

⇒ 参考(1)一説に、接尾語「らく」とともに、「こと」の意の名詞「あく」が活用語の連体形に付いて変化したものの語尾という。(2)多く上代に用いられ、中古では「いはく」「思はく」など特定の語に残存するようになる。(3)この「く」を準体助詞とする説もある。(学研)

(注)城(き)の山:大野山と同じ。

大野山については、日本山岳会HPの「四王寺山(しおうじやま)」で次のように書かれている。「大宰府市のすぐ北になだらかに広がる四王寺山は、最高点のある大城山(410m)を中心に岩屋山・水瓶山・大原山と呼ばれる4つの山から構成され、総称として四王寺山と呼ばれる。白村江の戦いの翌年である664年、大城山の山頂に古代山城である大野城が設置され、中世には岩屋山の山腹に岩屋城が築かれ、戦国時代末期の岩屋城の戦いの舞台にもなった歴史ある里山。」

 

 「梅花の歌三十二首」の一首である。

 

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歌の解説碑

 

 大宰府市発行のパンフレット「太宰府万葉歌碑めぐり」を見ながら、博多のホテルで二日目の計画をたてていく。グーグルマップのストリートヴューも駆使する。

 二日目のトップバッターは、大宰府歴史スポーツ公園である。園内に10基ある。北に篠振池、南に大池があり、小高い丘もある。岡と公園と大池の周囲に遊歩道がぐるりと巡っている。その遊歩道に4基、小高い丘に6基といったシチュエーションである。遊歩道を廻って小高い丘を攻めることにする。

 

 到着。ウォーキングしている人やゲートボールに興じている人が大勢いる。スポーツ公園と呼ばれるだけのことはある。 

 遊歩道では、人の流れに乗る。駐車場から少し歩いたところの左手に歌碑があった。

 眼の前にあるのは、大宰府の一番目の歌碑である。なぜか、写真を撮ることも一瞬忘れて佇んでしまったのである。

 

 

 原文に「烏梅」と書かれているが、これについては吉海 直人氏(同志社女子大学日本語日本文学科教授)の「日本人と梅」(同大学HP)に次のように詳しく書かれているので引用させていただく。

 「梅は外来種です。その証拠に『古事記』・『日本書紀』に梅は描かれていません。漢詩集『懐風藻』にはじめて出ていることから、中国から伝来したことが察せられます。8世紀に中国との交易の中で、薬用の「烏梅(うばい)」(梅干の一種)が輸入されたのです。その際、梅の種や苗も輸入され、日本で栽培されたのでしょう。ですから『万葉集』では、最初に大宰府の梅が詠まれています。

ところでみなさん、『うめ』は訓読みで『ばい』は音読みと思っていませんか。実は両方とも梅の中国語読みから変化したものです。『うめ』は古語では『むめ』ですから、『ばい』とも近いのです。そのため『うめ』も音読みとする説もあります。要するに日本語に『梅』に当るものが存在しなかったのです(『菊』も同様です)。

いずれにしても舶来ということで、当時はとても高価かつ有用な植物でした。必然的に都の中に植えて管理されたようです。山桜が野生であるのに対して、梅は人間の手によって栽培されたのです。そのため『万葉集』において、梅は桜の3倍(119首)も歌に詠まれています。(後略)」

 当初は、数種類の白花だけが輸入されていたので、雪に喩えられる歌が多いのである。

 

上記の吉海 直人氏(同志社女子大学日本語日本文学科教授)の「日本人と梅」(同大学HP)に、「『菊』も同様です」と書かれているので、「『植物で見る万葉の世界』 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)」をみてみると、「万葉集中の植物名」の中には無いのである。他も調べてみたが、万葉集では詠まれていないのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「日本人と梅」 吉海 直人 著 (同志社女子大学HP)

★「太宰府万葉歌碑めぐり」 (太宰府市

★「四王寺山(しおうじやま)」 (日本山岳会HP)

万葉歌碑を訪ねて(その888-3、889)―北九州市八幡西区岡田町 岡田宮(3)、遠賀郡芦屋町 魚見公園―万葉集 巻七 一二三一

―その888-3-

●歌は、「天霧らひひかた吹くらし水茎の岡の港に波立わたる」である。

 

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岡田宮(3 左端)万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、北九州市八幡西区岡田町 岡田宮(3)にある。

 

●歌をみていこう。

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その633)」で、明石の瀬戸から内海を進み筑紫の港に泊てたことを歌った三首のうちの一首として紹介している。

 ➡ 

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◆天霧相 日方吹羅之 水巠之 岡水門尓 波立渡

               (作者未詳 巻七 一二三一)

 

≪書き下し≫天霧(あまぎ)らひひかた吹くらし水茎(みずくき)の岡(おか)の港に波立ちわたる

 

(訳)今にも空がかき曇って日方風(ひかたかぜ)が吹いてくるらしい。岡の港に波が一面立っている。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)あまぎらふ【天霧らふ】分類連語:空が一面に曇っている。 ⇒なりたち 動詞「あまぎる」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典

(注)ひかた【日方】名詞:東南の風。西南の風。 ※日のある方角から吹く風の意。(学研)

(注)みづくきの【水茎の】分類枕詞:①同音の繰り返しから「水城(みづき)」にかかる。

②「岡(をか)」にかかる。かかる理由は未詳。 参考 中古以後、「みづくき」を筆の意にとり、「水茎の跡」で筆跡の意としたところから、「跡」「流れ」「行方も知らず」などにかかる枕詞(まくらことば)のようにも用いられた。(学研)

(注)岡の港:「芦屋町観光協会HP(福岡県遠賀郡芦屋町)」の岡湊神社の説明に「『岡湊』は『おかのみなと』と読み、『日本書紀』には『崗之水門』として登場する芦屋の大変古い呼称です。実に1800年の歴史を誇り、『古事記』にもその記載があります。」とある。

 

 万葉の時代の船旅は、手漕ぎ船であるから、船旅に関する歌は「海のこわさ」を詠っているものが多い。

 上述の三首の書き下しをみてみよう。

 

◆(一二二九歌)我(わ)が舟は明石(あかし)の水門(みと)に漕ぎ泊(は)てむ沖(おき)へな離(さか)りさ夜更(ふ)けにけり

 

◆(一二三〇歌)ちはやぶる鐘(かね)の岬(みさき)を過ぎぬとも我(わ)れは忘れじ志賀(しが)の統(す)め神(かみ)

 

◆(一二三一歌)天霧(あまぎ)らひひかた吹くらし水茎(みずくき)の岡(おか)の港に波立ちわたる

 

一二二九歌は、「沖へな離りさ夜更けにけり」(沖の方に行かないようにしてくれ。夜も更けてきたことだし)、

 一二三〇歌では、「ちはやぶる」(恐ろしい神の荒れ狂う)、「志賀の統め神」(志賀にいます海の守り神のご加護を)、

一二三一歌も、「天霧(あまぎ)らひひかた吹くらし」(今にも空が一面に曇って風が吹いてくるらしい)、そして「波立ちわたる」(波が一面に立っている)と、海のこわさを詠っている。

 怖さをかきたてるのは、「潮」であり「風」であり「波」であったのである。

 

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岡田宮境内 

 

―その889―

●歌は、前稿888-3と同じである。

 

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●歌碑は、遠賀郡芦屋町 魚見公園にある。

 

 

【岡田宮➡魚見公園】

岡田宮から約30分ほどで国民宿舎マリンテラスあしやに到着。

国民宿舎の側に魚見公園に行く小道がある。そこを上ってしばらく行くと第一展望台があり、そこにこの万葉歌碑が建てられている。

 あいにく当日は、曇りがちだったので写真も歌碑の背景の海がはっきりと写っておらず残念であったが、歌碑に巡り逢うという目的は達した。

 

芦屋町HPに「魚見公園は、遠賀川河口に位置し、響灘や玄海灘、宗像の山々が一望できる見晴らしのすばらしい公園です。春には桜やツツジ、秋にはモミジやカエデの紅葉などを楽しむこともできます。また、公園内には散策道があり、身近に自然と触れ合うことができます。(中略) 第一展望台の中には万葉の歌碑があります。」と記されている。

 

 

いよいよ明日は大宰府である。

中継地の宇部を経って、豊前国府跡公園、貴布祢神社勝山公園万葉の庭、夜宮公園、岡田宮、魚見公園と駆け足での歌碑巡りであったが、頑張ったものである。

 

魚見公園の次は、宗像大社に行きたかったのであるが、日が落ちてから地理不案内な街を運転するのは危ないので、あきらめて、宿泊地博多へ向かった。

 途中、渋滞などもありなんやかやで約2時間かかってしまい、日没ぎりぎりでホテルに滑り込んだのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「芦屋町HP」

★「「芦屋町観光協会HP」

万葉歌碑を訪ねて(その887、その888-1、その888-2)―北九州市戸畑区 夜宮公園、八幡西区 岡田宮(1、2)―万葉集 巻十二 三一六五、巻三 三〇四

―その887―

●歌は、「ほととぎす飛幡の浦にしく波のしばしば君を見むよしもがも」である。

 

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夜宮(よみや)公園万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、北九州市戸畑区 夜宮(よみや)公園にある。

 

●歌をみていこう。

この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その881)」で紹介している。

 ➡ 

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◆霍公鳥 飛幡之浦尓 敷浪乃 屡君乎 将見因毛鴨

              (作者未詳 巻十二 三一六五)

 

≪書き下し>ほととぎす飛幡(とばた)の浦(うら)にしく波のしくしく君を見むよしもがも

 

(訳)時鳥(ほととぎす)が飛ぶというではないが、その飛幡の浦に繰り返し寄せる波のように、しばしば重ねてあの方にお逢いできるきっかけがあったらなあ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ほととぎす:飛幡(とばた 北九州市)の枕詞。

(注)しきなみ【頻波・重波】名詞:次から次へと、しきりに寄せて来る波。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)上三句は序。「しくしく」を起こす。

(注)しくしく(と・に)【頻く頻く(と・に)】副詞:うち続いて。しきりに。(学研)

(注)もがも 終助詞《接続》体言、形容詞・断定の助動詞の連用形などに付く。:〔願望〕…があったらなあ。…があればいいなあ。 ※上代語。終助詞「もが」に終助詞「も」が付いて一語化したもの。(学研)

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現代語読み副碑


 

勝山公園・万葉の庭➡夜宮公園】

小倉北区 勝山公園から約10分ほどで、次の目的地、戸畑区夜宮 夜宮公園に到着。

住宅地のなかの丘陵地の公園である。入り口からしばらく上り道である。ほどなく丘陵の頂上部の開けた公園にでる。花菖蒲が有名で、日本庭園や菖蒲の池がある。万葉歌碑の設置される場所としてはイメージ的にはそちらの方ではないかと思いぶらついてみるが、見つからない。

 

 園内地図を見ると見当違いで反対の方向のようであるが、ファインチューニングができない。携帯ナビを頼りに探索する。ほぼ丘陵の頂上部を一周した感じである。頂上部の広場のようなところでなく、少し松林に入ったところでようやく歌碑を見つける。

 歌碑の前の小道わ下って行くと、何と先ほどの入口横に出るではないか。正面からでなく正面左の道を上ればすぐであったのだ。良い運動をしたと自分を慰める。しかし、よく見つかったものである。

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歌の解説案内板

 

 

【夜宮公園➡岡田宮】

 夜宮公園をあとにし次の目的地、岡田宮に向かう。

 岡田宮HPには「御鎮座二千六百年」とあり、御由緒には、神武天皇神功皇后などの名前が書かれている由緒ある神社である。

 境内には、七五三詣りに来た家族連れが何組か、着飾って写真を撮ったり談笑していた。

 

歌碑は、社殿近くの駐車場にあり、本を立てて開いたような形の歌碑に三首が刻されている。

 

 

―その888-1―

●一首目は、「大君の遠の朝廷とあり通ふ島門を見れば神代し思ほゆ」である。

 

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岡田宮万葉歌碑(1 右端)(柿本人麻呂

●歌碑は、北九州市八幡西区 岡田宮(1)にある。

 

●歌をみていこう。

 

                           

◆大王之 遠乃朝庭跡 蟻通 嶋門乎見者 神代之所念

               (柿本人麻呂 巻三 三〇四)

 

≪書き下し≫大君(おほきみ)の遠(とほ)の朝廷(みかど)とあり通(がよ)ふ島門(しまと)を見れば神代(かみよ)し思ほゆ

 

(訳)我が大君の遠いお役所として、人びとが常に往き来する島門を見ると、この島々が生み成された神代が偲ばれる。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)とほのみかど【遠の朝廷】分類連語:朝廷の命を受け、都から遠く離れた所で政務をとる役所。諸国の国府大宰府(だざいふ)をさす。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典

(注)ありがよふ【有り通ふ】自動詞:いつも通う。通い続ける。 ※「あり」は継続の意の接頭語。(学研)

(注)しまと【島門】名詞:島と島との間や島と陸地との間の狭い海峡。(学研) ここでは、明石海峡を「遠の朝廷」への門口と見立てたもの。

 

題詞は、「柿本朝臣人麻呂下筑紫國時海路作歌二首」<柿本朝臣人麻呂、筑紫(つくし)の国に下(くだ)る時に、海道(うみつぢ)にして作る歌二首>である。

 

三〇三歌もみてみよう。

 

◆名細寸 稲見乃海之 奥津浪 千重尓隠奴 山跡嶋根者

               (柿本人麻呂 巻三 三〇三)

 

 ≪書き下し≫名ぐはしき印南(いなみ)の海(うみ)の沖つ波千重(ちへ)に隠(かく)りぬ大和島根(やまとしまね)は

 

(訳)名も霊妙な印南の海の沖つ波、その波の千重にたつかなたに隠れてしまった。大和の山なみは。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)なぐはし【名細し・名美し】形容詞:名が美しい。よい名である。名高い。「なくはし」とも。 ※「くはし」は、繊細で美しい、すぐれているの意。上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)印南の海:播磨灘

(注)ちへ【千重】名詞:幾重もの重なり。(学研)

(注)しまね【島根】名詞:島。島国。 ※「ね」はどっしりと動かないものの意の接尾語。(学研)

 

この二首は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その627)」で紹介している。

 ➡ 

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―その888-2―

●歌は、「ほととぎす飛幡の浦にしく波のしばしば君を見むよしもがも」である。

 

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岡田宮万葉歌碑(2 中央)(作者未詳)

●歌碑は、北九州市八幡西区 岡田宮(2)にある。

 

●歌をみていこう。

この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その881)」ならびに前稿887で紹介しているのでここでは省略する。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「岡田宮HP」

 

万葉歌碑を訪ねて(その884,885,886)―北九州市小倉北区 勝山公園万葉の庭(4,5,6)―万葉集 巻十二 三二二〇、三二一九、巻十六 三八七六 

―その884―

●歌は、「豊国の企救の高浜高々に君待つ夜らはさ夜更けにけり」である。

 

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北九州市小倉北区 勝山公園万葉の庭(4)万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、北九州市小倉北区 勝山公園万葉の庭(4)にある。

 

●歌をみてみよう。

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その879、880)で紹介している。

 ➡ 

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◆豊國能 聞乃高濱 高ゝ二 君待夜等者 左夜深来

               (作者未詳 巻十二 三二二〇)

 

≪書き下し≫豊国の企救の高浜(たかはま)高々(たかたか)に君待つ夜(よ)らはさ夜更(よふ)けにけり

 

(訳)豊国の企救の高浜、高々と砂丘の続くその浜ではないが、高々と爪立(つまだ)つ思いであなたの帰りを待っているこの夜は、もうすっかり更けてしまいました。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より))

(注)上二句は序。「高々に」を起こす。

 

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歌碑と現代語読み「副碑」

 

―その885―

●歌は、「豊国の企救の長浜行き暮らし日の暮れゆけば妹をしぞ思ふ」である。

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勝山公園万葉の庭(5)万葉歌碑(作者未詳)


 

●歌碑は、北九州市小倉北区 勝山公園万葉の庭(5)にある。

 

●歌をみていこう。

この歌については、前稿に同じで、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その879,880)」で紹介している。

 

 

◆豊國乃 聞之長濱 去晩 日之昏去者 妹食序念

               (作者未詳 巻十二 三二一九)

 

≪書き下し≫豊国(とよくに)の企救(きく)の長浜(ながはま)行き暮らし日の暮れゆけば妹(いも)をしぞ思ふ

 

(訳)豊国の企救の長浜、この長々と続く浜を日がな一日歩き続けて、日も暮れ方になってゆくので、あの子のことが思われてならない。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)企救:北九州市周防灘沿岸の旧郡名。

(注)ゆきくらす【行き暮らす】他動詞:日が暮れるまで歩き続ける。一日じゅう歩く。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典

 

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歌碑と現代語読み「副碑」

 

 

―その886―

●歌は、「豊国の企救の池なる菱の末を摘むとや妹がみ袖濡れけむ」である。

 

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勝山公園万葉の庭(6)万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、北九州市小倉北区 勝山公園万葉の庭(6)にある。

 

●歌をみてみよう。

この歌はブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その874)」で紹介している。

➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

◆豊國 企玖乃池奈流 菱之宇礼乎 採跡也妹之 御袖所沾計武

(作者未詳 巻十六 三八七六)

 

≪書き下し≫豊国(とよくに)の企救(きく)の池なる菱(ひし)の末(うれ)を摘むとや妹がみ袖濡れけむ

 

(訳)豊国の企救(きく)の池にある菱の実、その実を摘もうとでもして、あの女(ひと)のお袖があんなに濡れたのであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)企救(きく):北九州市周防灘沿岸の旧都名。フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』の小倉市の歴史の項に「律令制下では豊前国企救郡(きくぐん)の一地域となる。」とある。

(注)袖濡れえむ:自分への恋の涙で濡れたと思いなしての表現。

 

 題詞は、「豊前國白水郎歌一首」<豊前(とよのみちのくち)の国の白水郎(あま)の歌一首>である。

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歌碑と現代語読み「副碑」


 

 

 

 「万葉集 四」(伊藤 博 著 角川ソフィア文庫)の初句索引で見ると、「とよくにの きくの」ではじまる歌は次の五首である。

 原文と書き下しを改めて掲載してみる。

 

(巻七 一三九三歌)ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その883)」で紹介している。

◆豊國之 聞之濱邊之 愛子地 真直之有者 何如将嘆

              

≪書き下し≫豊国(とよくに)の企救(きく)の浜辺(はまへ)の真砂地(まなごつち)真直(まなほ)にしあらば何か嘆かむ

 

(巻十二 三一三〇歌)ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その882)」で紹介している。

豊洲 聞濱松 心哀 何妹 相云始

           

≪書き下し≫豊国(とよくに)の企救(きく)の浜松ねもころに何(なに)しか妹(いも)に相(あひ)言(い)ひそめけむ

 

(巻十二 三二一九歌)ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その885)」で紹介している。

◆豊國乃 聞之長濱 去晩 日之昏去者 妹食序念

               

≪書き下し≫豊国(とよくに)の企救(きく)の長浜(ながはま)行き暮らし日の暮れゆけば妹(いも)をしぞ思ふ

 

(巻十二 三二二〇歌)ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その884)」で紹介している。

◆豊國能 聞乃高濱 高ゝ二 君待夜等者 左夜深来        

 

≪書き下し≫豊国の企救の高浜(たかはま)高々(たかたか)に君待つ夜(よ)らはさ夜更(よふ)けにけり

 

(巻十六 三八七六歌)ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その886)で紹介している。

◆豊國 企玖乃池奈流 菱之宇礼乎 採跡也妹之 御袖所沾計武

 

≪書き下し≫豊国(とよくに)の企救(きく)の池なる菱(ひし)の末(うれ)を摘むとや妹がみ袖濡れけむ

 

 この五首の原文を見ていても、人麻呂歌集の「略体」書記や「豊國」と「豊洲」、「聞」と「企救」、「之」と「乃」などが見えて来る。

万葉集の歌そのものだけでなく、用字法、音韻等々様々な研究がなされており、それだけ万葉集の奥深さを物語っている。

 万葉集万葉集たる所以にはまだまだ迫りえない思いである。

 

 時と風の博物館「万葉の庭:勝山公園(文学碑・巨岩碑)に書かれている「巨大な自然石に刻んだ最大50トンと言われる本碑6石と現代語読みの副碑6石、および建設趣旨説明碑1石」の圧巻の万葉歌碑群、勝山公園そして小倉城ともおさらばし、次なる目的地である夜宮公園に向かったのである。

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勝山公園

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小倉城



 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「万葉の庭:勝山公園(文学碑・巨岩碑)」 (時と風の博物館HP)

万葉歌碑を訪ねて(その883)―北九州市小倉北区 勝山公園万葉の庭(3)―万葉集 巻七 一三九三 

●歌は、「豊国の企救の浜辺の真砂地真直にしあらば何か嘆かむ」である。

 

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勝山公園万葉の庭(3)万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、北九州市小倉北区 勝山公園万葉の庭(3)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆豊國之 聞之濱邊之 愛子地 真直之有者 何如将嘆

               (作者未詳 巻七 一三九三)

 

≪書き下し≫豊国(とよくに)の企救(きく)の浜辺(はまへ)の真砂地(まなごつち)真直(まなほ)にしあらば何か嘆かむ

 

(訳)豊国の企救の浜辺の細かい砂地、その砂地が、名のとおり平らかであったなら、何で嘆くことなどありましょう。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)企救の浜辺:北九州市企救半島の付け根あたりの海岸

(注)上三句は相手の男の譬え

(注)まなごつち【真砂地】:こまかい砂の土地。砂地。まなごじ。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)まなほ【真直】:[形動ナリ]正しく偽りのないさま。心のまっすぐなさま(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

一三九二、一三九三歌の題詞は、「寄浦沙」<浦の沙(まさご)に寄す>である。

一三九二歌もみてみよう。

 

◆紫之 名高浦之 愛子地 袖耳觸而 不寐香将成

               (作者未詳 巻七 一三九二)

 

≪書き下し≫紫(むらさき)の名高(なたか)の浦(うら)の真砂地(まなごつち)袖のみ触れて寝ずかなりなむ

 

(訳)名高の浦の細かい砂地には、袖が濡れただけで、寝ころぶこともなくなってしまうのであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)紫の(読み)ムラサキノ[枕]:① ムラサキの根で染めた色の美しいところから、「にほふ」にかかる。② 紫色が名高い色であったところから、地名「名高(なたか)」にかかる。③ 濃く染まる意から、「濃(こ)」と同音を含む地名「粉滷(こがた)」にかかる。(コトバンク  小学館デジタル大辞泉

(注)まなご【真砂】名詞:「まさご」に同じ。 ※「まさご」の古い形。上代語。 ⇒まさご【真砂】名詞:細かい砂(すな)。▽砂の美称。 ※古くは「まなご」とも。「ま」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)真砂土は、愛する少女の譬えか。

 

題詞「浦の沙に寄す」の歌二首については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その745)」でも紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

一三九二歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その748)」でも触れている。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 上記の歌が収録されている万葉集の巻七は、巻一~巻六のような年代的構成、年次を記し作者名も明記する「歴史」的収録から一変して、年代別構成でなく、主題別、類聚的構成へと姿を変えている。

 巻七は、雑歌・比喩歌・挽歌という部立を立てているが、雑歌は「詠天」、「詠月」、「詠雲」・・・、譬喩歌は「寄衣」、「寄玉」、「寄木」・・・というように、主題となるものを前に押し出しているのである。

 さらに、柿本人麻呂歌集を核として展開されているという特徴を持っている。

譬喩歌の題詞は、人麻呂歌集では主題が、衣、玉、木、花、川、海であり、続いて、「衣」、糸、「玉」、日本琴、弓、草、稲、「木」、「花」、鳥、獣、雲、雨、月、赤土、神、「河」、埋木、「海」、浦沙、藻、船、となっている。(「 」は人麻呂歌集の主題)

 「海」の場合はそれに関連する主題が、浦沙、藻、船、と収録されている。

明らかに人麻呂歌集が核となって構成されているとみることができるのである。

 

一二九三歌は、今の福岡県、一二九二歌は、今の和歌山県で詠われたものであると考えられるが、のの二首が万葉集巻七の題詞「寄浦沙」に収録されたのであろうか。今の出た分析であれば、「真砂土」でソートをかければ簡単であるが、口誦から記録の時代に、と考えると編纂と簡単にいっているがどれほどの工数がかかっているのかを考えると頭が下がる。

 

 それ以降も、「写本」「写本」の繰り返しの中で今日まで伝わって来ているのも奇跡に近い。

 万葉集のパワーに脱帽である。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉)」

★「コトバンク デジタル大辞泉

万葉歌碑を訪ねて(その882)―北九州市小倉北区 勝山公園万葉の庭(2)―万葉集 巻十二 三一三〇

●歌は、「豊国の企救の浜松ねもころに何しか妹に相言ひそめけむ」である。

 

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勝山公園万葉の庭(2)万葉歌碑(柿本朝臣人麻呂歌集)

●歌碑は、北九州市小倉北区 勝山公園万葉の庭(2)にある。

 

●歌をみていこう。

 

豊洲 聞濱松 心哀 何妹 相云始

                 (柿本人麻呂歌集 巻十二 三一三〇)

 

≪書き下し≫豊国(とよくに)の企救(きく)の浜松ねもころに何(なに)しか妹(いも)に相(あひ)言(い)ひそめけむ

 

(訳)豊国の企救の浜松、地に食い込んだその松の根のように、どうして、ねんごろにあの子と契り合ってしまったのか。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)企救:北九州市周防灘沿岸の旧郡名。

(注)上二句は序。「ねもころに」を起こす。

(注)ねもころなり【懇なり】形容動詞:手厚い。丁重だ。丁寧だ。入念だ。「ねもごろなり」とも。 ※「ねんごろなり」の古い形。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)なにしか【何しか】分類連語:どうして…か。▽原因・理由についての疑問に用いる。 ※なりたち 副詞「なに」+副助詞「し」+係助詞「か」(学研)

(注)そむ【染む】自動詞:①染まる。しみ込んで色がつく。②感化される。とらわれてなじむ。執着する。③深く感じる。心に深くしみいる。(学研)

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歌碑と現代語読み「副碑」

 

 部立は「羈旅發思」<羇旅発思(きりよはつし)>である。

(注)羇旅発思:旅にあって家や妻を思う歌。旅の男の歌を主とする。

 

三一二七から三一三〇歌四首が収録されている。

他の三首をみてみよう。

 

◆度會 大川邊 若歴木 吾久在者 妹戀鴨

                (作者未詳 巻十二 三一二七)

 

≪書き下し≫度会(わたらひ)の大川(おほかわ)の辺(へ)の若(わか)久木(ひさぎ)我(わ)が久(ひさ)ならば妹(いも)恋ひむかも

 

(訳)度会の大川の川べりに立つ若い久木、その名のように、我が旅が久しく続いたならば、家に待つあの子はきっと恋い焦がれて苦しむことだろう。(同上)

(注)度会:伊勢の度会。

(注)上三句は序。類音で「我が久ならば」を起こす。

(注)久木:「楸(ひさぎ)」とも表記する。現代名はアカメガシワのこと。名の通り新芽は赤い。

 

 

◆吾妹子 夢見来 倭路 度瀬別 手向吾為

               (作者未詳 巻十二 三一二八)

 

≪書き下し≫吾妹子(わぎもこ)を夢(いめ)に見え来(こ)と大和道(やまとぢ)の渡(わた)り瀬(ぜ)ごとに手向(たむけ)けぞ我(あ)がする

 

(訳)いとしい子よ、夢にでも姿を見せてくれと願いながら、大和へ向かう道の、川の渡り瀬ごとに手向けの幣帛(ぬさ)を私は捧げている。(同上)

 

 

◆櫻花 開哉散 及見 誰此 所見散行

               (作者未詳 巻十二 三一二九)

 

≪書き下し≫桜花(さくらばな)咲きかも散ると見るまでに誰れかもここに見えて散り行く

 

(訳)桜の花が咲いたかと思うとすぐ散る、そんな風に見えるほどに、どこの誰だろうか、この目の前に、現れてはすぐまた散り散りになって行くのは。(同上)

(注)「誰此 所見散行」:往来の人を見ての表現。消え行く人の中に妻の幻影がある。

 

 三一二七から三一三〇歌の歌群の左注は、「右四首柿本朝臣人麻呂歌集出<右の四首は、柿本人麻呂が歌集に出づ>である。

 

 

 三一二七歌にある「久木」が詠まれた歌は、万葉集には四首収録されている。

 他の三首をみてみよう。

 

◆烏玉乃 夜乃深去者 久木生留 清河原尓 知鳥數鳴

              (山部赤人 巻六 九二五)

 

≪書き下し≫ぬばたまの夜(よ)の更(ふ)けゆけば久木(ひさぎ)生(お)ふる清き川原(かはら)に千鳥(ちどり)しば鳴く

 

(訳)ぬばたまの夜が更けてゆくにつれて、久木の生い茂る清らかな川原で、千鳥がちち、ちちと鳴き立てている。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

 

 九二五歌は、題詞「山部宿禰赤人が作る歌二首 幷(あは)せて短歌」の、長歌(九二三歌)の反歌二首の一首である。九二三から九二七歌までは、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その125)」で紹介している。(初期のブログですので、朝食のサンドイッチやデザートの写真も掲載していますので、ご容赦下さい。)

 ➡ 

山部赤人は、万葉集に四十九首収録されている。犬養 孝氏は、山部赤人は、美の創作意識が旺盛で、自然にぶつかった時に情熱を感じさせる」と言っておられる。(万葉歌碑を訪ねて―その125―) - 万葉集の歌碑めぐり

 

 

◆去年咲之 久木今開 徒 土哉将堕 見人名四二

               (作者未詳 巻十 一八六五)

 

≪書き下し≫去年(こぞ)咲きし久木(ひさぎ今咲くいたづらに地(つち)にか落ちむ見る人なしに

 

(訳)去年咲いた久木が、今また咲いている。しかし、やがてむなしく地面に散り落ちてしまうのではなかろうか。見に来る人もいないままに。(同上)

 

 

◆浪間従 所見小嶋之 濱久木 久成奴 君尓不相四手

               (作者未詳 巻十一 二七五三)

 

≪書き下し≫波の間(ま)ゆ見ゆる小島(こしま)の浜久木(はまひさぎ)久しくなりぬ君に逢はずして

 

(訳)波の間からはるかに見える小島の浜の久木、その名のようにずいぶん久しくなってしまった。あの方にお逢いしないままに。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上三句は序。「久しく」を起こす。

 

奈良県HPの「はじめての万葉集 vol,2」に、九二五歌の解説のなかに、久木について触れられているので引用させていただく。「(前略)『久木』がどういった植物なのか、キササゲや雑木、老木と諸説ありますが、現在はアカメガシワとする説が有力です。アカメガシワは芽が赤色であるためその名が付けられました。かつて食べ物を葉にのせたことから五菜葉(ごさいば)という別名もあります。野生のものでも川原に生えることがあるので、『久木生ふる清き川原』の表現と合致しています。

 アカメガシワは北海道・沖縄を除く日本の各地でみることができ、山歩きをされる方にとっては馴染みのある樹木ではないでしょうか。褐色の樹皮は漢方の生薬になり、胃潰瘍(かいよう)などに効能があります。

 アカメガシワの特徴としては、その成長が著しく早く、開墾地でも他の樹木に先立って育つという点が挙げられます。そのため『久木』が吉野の宮を讃える歌に詠まれたのは、アカメガシワが豊かな生命力をもつ樹木であったからと考えられます。(本文 万葉文化館 小倉 久美子)」

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「はじめての万葉集」 (奈良県HP)