今日の歌碑は奈良県生駒市北大和の四季の森公園にあり、後方遠くに生駒山を望む位置にある(万葉歌碑を訪ねて―その84―)

●今日の歌碑は、奈良県生駒市北大和の四季の森公園にある。歌は拙稿ブログ(万葉歌碑を訪ねて―その82―)に紹介したのと同じである。歌碑のロケーションとしては、こちらの方が、歌碑後方にはるか生駒山を望む位置にあるだけに軍配が上がる。

 

●サンドイッチは、米粉のロールパンにサンチュと焼き豚を挟んだやつである。デザートは、スイカを中心に、キウイ、トンプソン、レッドグローブ、りんごを使った。

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5月21日のザ・モーニングセット

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5月21日のフルーツフルデザート

●万葉歌碑を訪ねて―その84―

 「君があたり 見つつも居らむ 生駒山雲なたなびき 雨は降るとも」

 

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奈良県生駒市北大和四季の森公園万葉歌碑(作者未詳)

 この歌碑は、生駒市北大和一丁目 四季の森公園にある。

 ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて―その82―」と同じ歌である。

 

 四季の森公園は、時々ぶらっと立ち寄ることがあったが、万葉歌碑があるとはこれまで気が付かなかった。歌碑の後方には、遠く生駒山が見え、ロケーションとしてはなかなかのものである。

 

◆君之當 見乍母将居 伊駒山 雲莫蒙 雨者雖零

                (作者未詳 巻十二 三〇三二)

≪書き下し≫君があたり見つつも居(を)らむ生駒山雲なたなびき雨は降るとも

(訳)我が君の家のあたりを見やりながらお待ちしていよう。あの生駒山に、雲よ、たなびかないでおくれ。たとえ雨は降っても。(伊藤 博 著 「万葉集 三」角川ソフィア文庫より)

 

 昨日、生駒市役所の田邊福麻呂歌集の一〇四七歌(長歌)を紹介した。(ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて―その83―)」

 これの題詞は、「悲寧楽故郷作歌一首并短歌」とあるので、ここで、反歌二首を取り上げてみる。

 

◆立易 古京跡 成者 道之志婆草 長生尓異煎

             (田邊福麻呂歌集 巻六 一〇四八)

 

≪書き下し≫たち変わり古き都となりぬれば道の芝草長く生(お)ひにけり

(訳)打って変わって、今や古びた都となってしまったので、道の雑草、ああこの草も、丈高く生い茂ってしまった。(伊藤 博 著 「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)

(注)たちかわる:移り変わる。

 

◆名付西 奈良乃京之 荒行者 出立毎尓 嘆思益

             (田邊福麻呂歌集 巻六 一〇四九)

 

≪書き下し≫なつきにし奈良の都の荒れゆけば出(い)で立つごとに嘆きし増さる

(訳)すっかり馴染となった奈良の都が日ごとに荒れすさんでゆくので、外に出で立って見るたびに、嘆きはつのるばかりだ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)

(注)なつく【懐く】:慣れ親しむ。親しみ寄る。馴染む。なつく。

 

 田邊福麻呂は宮廷歌人として、天平十二年から十七年までの間は都が奈良から久邇、紫香楽、難波と目まぐるしく往復した時期に、その都度新都賛美や荒都悲傷の歌を作っている。

柿本人麻呂、笠金村、山部赤人と流れて来た宮廷歌の伝統を背負ってるのである。

 宮廷歌人の位は低くいわゆる下級官人である。中西 進氏は「万葉の心」(毎日新聞社)のなかで、田邊福麻呂は、「時の左大臣橘諸兄の使者として越中に家持を訪れているから、諸兄とも親しかったらしい。赤人は藤原不比等、虫麻呂は藤原宇合とそれぞれの関係があり、このありかたも、同じである。石上乙麻呂と金村もこれに準じている。天平のころ、和歌としうものは、どうやらこのように大官にしたがった下級官人の中に伝統が保たれていたらしい。」と書いておられる。

 宮廷歌人万葉集の時代区分に整理してみると、万葉集第二期の代表的な宮廷歌人柿本人麻呂、第三期は、山部赤人、笠金村、高橋虫麻呂、そして第四期は田邊福麻呂となる。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二、三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の心」 中西 進 著 (毎日新聞社

★「奈良女子大万葉集データベース」

★「weblio古語辞書」

 

歌碑は生駒山シリーズ第2弾、田邊福麻呂(たなべのさきまろ)の歌集にある歌である(万葉歌碑を訪ねて―その83―)

●歌碑は生駒山シリーズ第2弾。平城京から恭仁京に遷都した後に平城京のさびれた様を歌った歌であり、その中に生駒山がうたわれている。田邊福麻呂(たなべのさきまろ)の歌集にある歌である。旧都平城京のさびれた様も、テンポ良いリズムでまさに儀礼的に詠っており逆に遷都をたたえる雰囲気を醸し出している。

 

●サンドイッチの中味は、ポテトサラダとサンチュである。デザートは頂き物のスイカを使った。熊本産、初物である。

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5月20日のザ・モーニングセット

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5月20日のフルーツフルデザート

●万葉歌碑を訪ねて―その83―

 「露霜の 秋去り来れば 生駒山 飛火が丘に 萩の枝を しがらみ散らし さ雄鹿は 妻呼びとよむ 山見れば 山も見が欲し 里見れば 里も住み良し」

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奈良県生駒市生駒市役所正面入口横万葉歌碑(田邊福麻呂歌集)

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生駒市役所


 

 この歌碑は、奈良県生駒市東新町 生駒市役所前庭にある。長歌の一部である。

 

 歌をみていこう。(下記アンダーライン部が歌碑)

◆八隅知之 吾大王乃 高敷為 日本國者 皇祖乃 神之御代自 敷座流 國尓之有者 阿礼将座 御子之嗣継 天下 所知座跡 八百萬 千年矣兼而 定家牟 平城京師者 炎乃 春尓之成者 春日山 御笠之野邊尓 櫻花 木晩牢■鳥者 間無數鳴 露霜乃 秋去来者 射駒山 飛火賀▲丹 芽乃枝乎 石辛見散之 狭男壮鹿者 妻呼令動 山見者 山裳見皃石 里見者 里裳住吉 物負之 八十伴緒乃 打經而 思煎敷者 天地乃 依會限 萬世丹 榮将徃迹 思煎石 大宮尚矣 恃有之 名良乃京矣 新世乃 事尓之有者 皇之 引乃真尓真荷 春花乃 遷日易 村鳥乃 旦立徃者 刺竹之 大宮人能 踏平之 通之道者 馬裳不行 人裳徃莫者 荒尓異類香聞

             ■は「白」に「八」である

             ▲はやまへんに鬼である

                        

             (田邊福麻呂之歌集中出也とある 巻六 一〇四七)

 

≪書き下し≫やすみしし 我が大君の 高敷(たかし)かす 大和の国は すめろきの 神の御代(みよ)より 敷きませる 国にしあれば 生(あ)れまさむ 御子の継ぎ継ぎ 天(あめ)の下(した) 知らしまさむと 八百万(やほよろづ) 千年(ちとせ)をかねて 定めけむ 奈良の都は かぎろひの 春にしなれば 春日山 三笠の野辺(のへ)に 桜花(さくらばな) 木(こ)の暗隠(くれがく)り 貌鳥(かほどり)は 間(ま)なくしば鳴く 露霜の 秋去り来れば 生駒山 飛火(とぶひ)が岳に 萩の枝(え)を しがらみ散らし さを鹿は 妻呼び響(とよ)む 山見れば 山も見が欲(ほ)し 里見れば 里も住みよし もののふの 八十伴(やそとも)の男(を)の うちはへて 思へりしくは 天地の 寄り合ひの極(きは)み 万代(よろづよ)に 栄え行かむと 思へりし 大宮すらを 頼めりし 奈良の都を 新代(あらたよ)の ことにしあれば 大君の 引きのまにまに 春花(はるはな)の うつろひ変はり 群鳥(むらとり)の 朝立ち行けば さす竹の 大宮人の 踏み平(なら)し 通ひし道は 馬もいかず 人も行かねば 荒れにけるかも

 

(注)やすみしし 【八隅知し・安見知し】分類枕詞 国の隅々までお治めになっている

                   意で、「わが大君」「わご大君」にかかる。

(注)たかしく【たかしく】:立派に治める

(注)すめろき【天皇】:天皇。「すめろぎ」「すめらぎ」「すべらき」とも。

(注)かほとり【貌鳥・容鳥】鳥の名。未詳。顔の美しい鳥とも。

             「かっこう」とも諸説ある。「かほどり」とも。

(注)とぶひがたけ【飛火が岳】:合図のための烽火台のある峰。

(注)しがらむ【柵む】:①からみつける。からめる。②「しがらみ」を作りつける。

(注)やそ【八十】:八十(はちじゅう)。数の多いこと。

(注)とも【伴】(一定の職能をもって朝廷に仕える)同一集団に属する人々。

 

(訳)あまねく天下を支配されるわれらの大君が治められている日の本の国は、皇祖の神の御代以来ずっとお治めになっている国であるから、この世に現れ給う代々の御子が次々にお治めになるべきものとして、千年にも万年にもわたるとこしえの都としてお定めになったこの奈良の都は、陽炎の燃える春ともなると、春日山の麓の御笠の野辺で、桜の花の木陰に隠れて、貌鳥(かほどり)はとくに絶え間なく鳴き立てる。露が冷たく置く秋ともなると、生駒山の飛火が岳で、萩の枝をからませ散らして、雄鹿は妻呼び求めて声高く鳴く。山を見れば山も見飽きることがないし、里を見れば里も住み心地がよい。もろもろの大宮人がずっと心に思っていたことには、天地の寄り合う限り、万代ののちまでも栄え続けるであろうと、そう思っていた大宮であるのに、そのように頼りにしていた奈良の都であったのに、新しい御代(みよ)になったこととて、大君のお指図のままに、春の花が移ろうように都が移り変わり、群鳥が朝立ちするように人びとがいっせいに去って行ってしまったので、今まで大宮人たちが踏み平(な)らして往き来していた道は、馬も行かず人も通わないので、今はまったく荒れ放題になってしまった。(伊藤 博著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

 題詞は、「悲寧楽故郷作歌一首并短歌」(寧楽の故郷を悲しびて作る歌一首 并(あは)せて短歌)である。

 天平十三年(741年)元正天皇恭仁京遷都を行った折に詠った歌か。

 

 巻六の巻末に「右廿一首田邊福麻呂之歌集中出也」とある。この一〇四七から巻末の一〇六七まですべて田邊福麻呂之歌集(たなべのさきまろのかしふ)にあり、宮廷儀礼歌である。

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歌碑

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書き下しの歌碑


 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞書」

★「奈良女子大万葉集データベース」

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

 

万葉歌碑めぐりには、奈良女子大学の「万葉歌碑データベース」は欠かせない(万葉歌碑を訪ねて―その82―)

●万葉歌碑めぐりには、奈良女子大学の「万葉歌碑データベース」は欠かせない。

 

●サンドイッチは、ロメインレタスとパックハムである。ロメインレタスのシャキシャキ感が眠気を吹き飛ばしてくれる。デザートは、りんご、トンプソン、レッドグローブそしてキウイである。昨日ご近所さんからいただいた大根の花つきをカットして水のつけておいたら少ししおれかけていた花も完全復活。朝食の飾りに使った。

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5月19日のザ・モーニングセット

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5月19日のフルーツフルデザート

●万葉歌碑を訪ねて―その81―

  「君があたり 見つつも居らむ 生駒山雲なたなびき 雨は降るとも」

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奈良県生駒市芸術会館美楽来(作者未詳)

この歌碑は、生駒市西松ヶ丘 芸術会館美楽来にある。

 

 奈良市HPの「万葉ゆかりの地を訪ねて~万葉歌碑めぐり~」を参考に、ほぼほぼ万葉歌碑を見て来た。さらに天理市HPも参考にし、現在は桜井市に及んでいる。近辺に見落としはないかと「奈良女子大の万葉歌碑データベース」を探る。

 同データベースには、次のように紹介されている。「このデータベースは、奈良女子大学地域貢献特別事業『万葉故地の確定・データ化と歴史的景観再現事業』による成果をもとに、学生たちが万葉歌碑を訪ね、撮影した写真などをもとに作成されています。

古代、奈良盆地の南と北に都が置かれ、多くの土地が万葉集に詠まれました。現在、奈良県内には数多くの万葉歌碑が建立されています。それらのすべてが必ずしも万葉歌が詠まれた場所に建てられているとは言えませんが、万葉集を土地に即して、詠まれた場所とのかかわりを通じて理解するには、これらの歌碑の存在は助けとなるといえます。そこで万葉歌碑を訪ねる際に活用できるように、地図上で表示できるデータベースにしました。今後、歌の現代語訳および解説を順次加えていきます。」とある。

 強力な助っ人である。マップも作成されている。このマップを参考に近隣を探ってみると生駒山周辺に結構歌碑があることが分かった。このマップをベースに計画をたてる。

 芸術会館美楽来、生駒山頂公園、生駒市役所、四季の森公園の順に見ていく計画をたてる。

 芸術会館美楽来(みらく)の駐車場に車を止める。これまでの経験では、こういう会館等では歌碑は、たいてい前庭にあるのだが、周辺を見渡すが見つからない。思い切って会館の中に入ってみる。ガラス越しに中庭が広がっている。ざーと見通すがありそうにない。受付窓口で訪ねてみる。女性職員のかたが、「こちらです」と、中庭へのカギをあけ案内していただく。飛び石を渡り右手の小山を少し回り込む。「これが歌碑です」と。見るとこれまで見て来た歌碑と比べれば十分の一くらいの大きさである。お礼を述べ写真を撮る。これは案内していただかないと見つけられない。写し終え、受付窓口に寄り改めてお礼を言って会館を後にした。(4月26日)

 

歌をみてみよう。

◆君之當 見乍母将居 伊駒山 雲莫蒙 雨者雖零

                (作者未詳 巻十二 三〇三二)

≪書き下し≫君があたり目つつも居(を)らむ生駒山雲なたなびき雨は降るとも

(訳)我が君の家のあたりを見やりながらお待ちしていよう。あの生駒山に、雲よ、たなびかないでおくれ。たとえ雨は降っても。

 

 萬葉集には、「生駒山」は七首収録されており、そのうちの一首である。

 堀内民一氏は「大和万葉―その歌の風土」の中で、「生駒山を遠く見て、あの辺があの人の住んでいる辺かと思っている。この歌、『伊勢物語』二十三段にもあらわれている。」と書かれている。

 伊勢物語の歌は、「君があたり目つつも居(を)らむ生駒山なかくしそ雨は降るとも」である。

 相思相愛で結婚するも男に河内国高安に「いきかよふ所」ができたのである。しかし奥さんは「悪しと思へる気色もなく」送り出してくれるので、「こと心あり」と疑い、行くふりをして様子をみていると、奥さんは、「かぜ吹けばおきつしら波たつた山よはにや君がひとり越ゆらむ」と歌を詠んだのを聞き、「かぎりなくかなしと思ひ」高安に行かなくなったのである。これに対して、高安の女が詠んだ歌が「君があたり」である。男もこの情にほだされ「来む」という返事をだすが、結局は通わなくなってしまうというストーリーである。

 万葉集の歌を踏まえ伊勢物語はストーリーを展開させている。

「雲なかくしそ」と万葉集よりもより強く気持ちを打ち出し、男の気持ちを手繰り寄せているのである。

 歌は心の叫びである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大和万葉―その歌の風土」 堀内民一 著 (創元社

★「万葉歌碑データベース」(奈良女子大学

 

 

 

 

                           

 

大伴坂上郎女は竹田庄(今の奈良県橿原市東竹田町)に住んでいたことがある。その地ではるか泊瀬の山々を見やり思いを馳せ歌った歌がある(万葉歌碑を訪ねて―その81―)歌

大伴坂上郎女は竹田庄(今の奈良県橿原市東竹田町)に住んでいたことがある。その地ではるか泊瀬の山々を見やり思いを馳せ歌った歌の歌碑が長谷寺本堂横にある。

 

●サンドイッチは、サンチュとパックハムである。デザートはりんごの輪切りの型抜きにトンプソンとレッドグローブで加飾。久しぶりにキウイも使った。

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5月18日のザ・モーニングセット

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5月18日のフルーツフルデザート

●万葉歌碑を訪ねて―その81―

  「こもりくの泊瀬の山は色づきぬしぐれの雨は降りにけらしも」

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長谷寺鐘楼横万葉歌碑(大伴坂上郎女

 

 

 この歌碑は、奈良県桜井市長谷寺本堂近くの鐘楼横にある。

仁王門から登廊の左右のぼたんを見ながら一段一段登っていく。ぼたんは咲き始めであるがあちこちで大輪の花をつけている。

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長谷寺登廊長谷寺と左右のぼたん

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登廊と遠望

 登り切った右手に納経・朱印所御守授与所があり、ベンチに座っている人がいる。階段上りの疲れを癒しているのだろう。その前の見晴らしの良い広場に、松尾芭蕉の句碑と並んでいる。

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長谷寺本堂(愛染堂から撮影)

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鐘楼(写真左下に歌碑が見える)

 

歌をみていこう。

◆隠口乃 始瀬山者 色附奴 鍾礼乃雨者 零尓家良思母

                (大伴坂上郎女 巻八 一五九三)

 

≪書き下し≫こもりくの泊瀬の山は色づきぬしぐれの雨はふりにけらしも

(訳)隠り処(こもりく)の泊瀬の山は見事に色づいてきた。時雨の雨は、早くもあの山々に降ったのであるらしい。

 

題詞は、「大伴坂上郎女竹田庄作歌二首」とある。(大伴坂上郎女竹田庄(たけたのたどころ)にして作る歌二首)

 

 歌碑を見て、大伴坂上郎女長谷寺にお参りした時にでも作ったのだろうと思ったが、題詞にあるように竹田庄で作った歌だという。

 竹田庄は、今の、橿原市東竹田町であるという。耳成山の東側にあり、桜井市にも隣接している。

 堀内民一氏の著書「大和万葉―その歌の風土」によると、大伴氏の荘園が竹田庄にあったので、大伴坂上郎女がそこに住んでいたそうである。同著の中で、「真東に三輪山が見えて、その右奥の手の泊瀬渓の山々や椋橋山が特に高く見わたされる。泊瀬の山は黄葉した。あの山の辺ではしぐれが降ったにちがいない、とうたった。目に見えわたる山々の中で、特に奥まった峡谷の泊瀬の山に心がうごいている。」と書いておられる

 

もう一首の歌もみていこう。

◆然不有 五百代小田乎 苅乱 田盧尓居者 京師所念

                  (大伴坂上郎女 巻八 一五九二)

 

≪書き下し≫しかとあらぬ五百代(いほしろ)小田(をだ)を刈り乱り田盧(たぶせ)に居(を)れば都し思ほゆ

(訳)それほど広いとも思われぬ五百代(いおしろ)の田んぼなのに、刈り乱したままで、いつまでも田中の仮小屋暮らしをしているものだから、都が偲ばれてならない。

(注)代(しろ):頃とも書く。おもに大化前代に用いられた田地をはかる単位。1代とは稲1束 (当時の5升,現在の2升にあたる) を収穫しうる面積であり、高麗尺 (こまじゃく) で 30尺 (10.68m) ×6尺 (2.13m) の長方形の田地の面積をいう。これは大化改新の制の5歩にあたる。大化改新以後,町,段,歩に改められた。(コトバンク>ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)

(注)たぶせ【田伏せ】:耕作用に田畑に作る仮小屋。

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大和万葉―その歌の風土」 堀内民一 著 (創元社

★「万葉歌碑めぐり」(桜井市HP)

★「コトバンク>ブリタニカ国際大百科事典 小項目」

★「weblio古語辞書」

 

泊瀬(初瀬)の名は万葉集に三十八回出てくるがその中の十九例は、枕詞「隠口(こもりく)の」を冠している(万葉歌碑を訪ねて―その80―

●泊瀬(初瀬)名は万葉集に三十八回出てくるがその中の十九例は、枕詞『隠口(こもりく)の』を冠しているという。その1首「こもりくの泊瀬の山に照る月はみちかけすてふ人の常なき」が今日のテーマである。

 

●サンドイッチはフランスパンを使い、ピーナツペーストを挟んだものと、サンチュと焼き豚のもの二通りを作った。デザートは、りんごの横切りの中心を型抜き、ヨーグルトの真ん中にたてた。バナナ、トンプソン、レッドグローブで加飾した。

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5月17日のザ・モーニングセット

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5月17日のフルーツフルデザート

●万葉歌碑を訪ねて―その80―

  「こもりくの泊瀬の山に照る月はみちかけすてふ人の常なき」

 

 

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長谷寺山門前万葉歌碑(作者未詳)

 この歌は、長谷寺山門前にある。

 この日は、桜井市HPの「万葉歌碑>歌碑一覧」を参考に、三輪平等寺、金屋磯城瑞籬宮址、初瀬川堤(仏教伝来地の碑側)、金屋海柘榴市観音近くと万葉歌碑を巡って来た。もう一か所「桜井市水道局」に柿本人麻呂の歌碑があるとなっている。マップなども参考に検索するもヒットしない。県道199号線をしばらく走ると、式島橋北東詰交差点に至るも見つけられず、中和幹線道路と立体交差しているのでユーターンすべく幹線道路に沿って走る。  

 いたるところで長谷寺のぼたん祭りの案内が目につく。10連休に入れば近づけないのは明らか。長谷寺も2つ万葉歌碑があるので、方針変更、急きょ長谷寺を目指す。それでもそこそこの人である。駐車場に車を止め山門前の参拝入山受付に。拝観料を支払、万葉歌碑の場所を訪ねる。説明資料「大和國長谷寺 境内地図付き」をもらう。境内地図付きである。親切にその地図で場所を教えてもらった。受付のすぐそばと本堂前にある。

 ぼたんは咲き始めたところであるが、大輪の花があちこちで見られた。

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長谷寺登廊

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長谷寺のぼたん

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長谷寺のぼたん



 歌を見てみよう。

◆隠口の 泊瀬之山丹 照月者 盈呉為焉 人之常無

                   (作者未詳 巻七 一二七〇)

 ※「かけ」の漢字が見当たらないので、「呉」としているが、口の所が日である。

 

≪書き下し≫こもりくの泊瀬の山に照る月は満ち欠けしけり人の常なき

(訳)あの泊瀬の山に照っている月は、満ちたり欠けたりしている。ああ、人もまた不変ではありえないのだ。

(注)こもりくの【隠り口の】分類枕詞

大和の国の初瀬(はつせ)の地は、四方から山が迫っていて隠れているように見える場所であることから、地名の「初(=泊)瀬」にかかる。「こもりくの泊瀬(はつせ)」(weblio古語辞典>学研全訳古語辞典)

(注)つねなし【常無し】:変わりやすい。無常だ。はかない。(goo辞書)

 

 題詞は「寄物發思」である。 

(注)景物に寄せて、人生万般に関する感慨を述べた歌。

 

 初瀬(泊瀬)について、犬養 孝氏は、「万葉の大和路」(旺文社文庫)の中で次のように述べられている。

 「桜井市の東方、北は三輪山、南は忍坂(おさか)山のあいだの東にはいった谷は、初瀬(はつせ)である。まん中を初瀬川が東から西へ流れている。初瀬の名は万葉に三十八回出てくるがその中の十九例は、『隠口(こもりく)の』の枕詞を冠している。『山と山のあいだにかこまれた別天地』の心で、ほめ言葉であろう。万葉はすべて『はつせ』だが、いまは、『はせ』と呼ぶ。上流の初瀬には『長谷寺(はせでら)』がある。」

  初瀬川は今は水量は少ないが、平城遷都に際しても、この水運を利用したようであり、「泊瀬」には、船着き場的な意味合いがあったのであろう。

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の大和路」 犬養 孝/文 入江泰吉/写真 (旺文社文庫

★「(weblio古語辞典>学研全訳古語辞典)」

★「goo辞書」

奈良県桜井市HP「はじまりの街桜井物語」に①万葉集の巻頭の歌が詠まれた地、②相撲発祥の地、③芸能発祥の地、④仏教伝来の地が紹介されている(万葉歌碑を訪ねて―その79―)

桜井市HPに「はじまりの街桜井物語」がある。それによると、①万葉集の巻頭の歌が詠まれた地、②相撲発祥の地、③芸能発祥の地、④仏教伝来の地とある。今日の万葉歌碑は、④の「仏教伝来の地」碑の側にある。

 

●サンドイッチは、サンチュとパックハムである。デザートは、りんごを中心に、レッドグローブの大きさを活かしたデザインにした。

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5月16日のザ・モーニングセット

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5月16日のフルーツフルデザート

 

 

●万葉歌碑を訪ねて―その79―

 「夕さらず河蝦鳴くなる三輪川の清き瀬の音を聞かくし良しも」

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奈良県桜井市金屋初瀬川堤万葉歌碑(作者未詳)

 

 この歌碑は、奈良県桜井市金屋 初瀬川(大和川)の堤にある。すぐ隣には「仏教伝来の地」の碑が建っている。

 

 歌をみていこう。

 

◆暮不去 河蝦鳴成 三和河之 清瀬音乎 聞師吉毛

              (作者未詳 巻十 二二二二)

 

≪書き下し≫夕さらずかはづ鳴くなる三輪川の清き瀬の音を聞かくしよしも

(訳)夕方にはいつも河鹿が鳴いている三輪川の清らかな瀬の音を聞くのは、本当に気持ちがよい。

(注)ゆうさらず【夕去らず】:<夕方を離れない意から>夕方になるたびに。毎夕。

(注)三輪川:三輪山麓あたりでの初瀬川の称。

 

●「仏教伝来の地」の碑 

桜井市金屋の河川敷のあたりは、昔、大陸からの船が大阪(難波津)から大和川をさかのぼって到着する船着場があった場所で、諸国や外国から多くの遣いや物資が上陸したと伝えられています。

欽明天皇の時代に、百済(いまの韓国西部)からの使節も川をさかのぼり、この地に上陸し、仏教を伝えたと言われています。現在、その地には金屋河川敷公園が整備され、『佛教伝来之地』の碑が建てられています。」(「はじまりの街桜井物語>仏教伝来の地」(桜井市HP)

 

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「仏教伝来の地」の碑

 

●「飾り馬」

「仏教伝来の地」の碑の前方に「うまいでばし」がある。

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大和川にかかる「うまいでばし」

この橋の東側の川原にかわいらしい馬の置物が並べられている。「飾り馬」といい、「遣隋使小野妹子が隋国の使いを伴って帰国したとき、飾り馬75頭遣わして出迎えた」との故事を再現したものである。

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大和川川原の「飾り馬」のかわいい置物

堤の上にも大きな馬の像が建てられている。

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堤防の上に建つ飾り馬の像

 

 ①万葉集の巻頭の歌が詠まれた地

  「桜井市黒埼にある白山神社境内には、万葉集がこの地からはじまられたことをたたえる意味で、『萬葉集發耀讃仰碑/保田與重郎拝書』と書かれた記念碑があります。このあたりは、雄略天皇泊瀬朝倉宮があったといわれていて、碑のそばには天皇が歌った歌碑が建てられています。」

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萬葉集發耀讃仰碑

 

②相撲発祥の地

 「日本の国技・相撲。日本書紀の中にはじめて相撲がとられたときの話があります。

垂仁天皇の時代のことです(中略)天皇の前(今でいう天覧試合)で、当麻蹴速野見宿禰に力比べをさせようということになり(中略)野見宿禰が勝ちました。これが相撲のはじまりと言われています。

相撲神社境内には、勝った宿禰を祀る祠や、土俵などがひっそりとたたずんでいます。」

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相撲神社の案内板


 

③芸能発祥の地

 「JR・近鉄桜井駅から南へ、約700~800メートルほどにある桜井小学校の西側にある小高い丘は『土舞台』と呼ばれています。

聖徳太子が摂政のときのことです。日本に帰化した百済(今の韓国)から味摩之(みまし)が「呉(今の中国)で伎楽を学びました。」と太子に言いました。そこで太子は子どもたちを集め、この土舞台にて伎楽を習わせたと伝えられています。(中略)それまで日本には「神楽」がありましたがこの時以来、宮廷に伎楽が加わって日本の芸能はバラエティ豊かなものになりました。(中略)「土舞台」は、日本最初の国立劇場があった場所として、日本芸能発祥の地になっています。」

 

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高台の頂上部が平らになっている(土舞台)

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土舞台の碑

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土舞台の説明案内板

④仏教伝来の地

  上述のとおり。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉歌碑めぐり」(桜井市HP)

★「はじまりの街桜井物語」(桜井市HP)

★「デジタル大辞典(小学館)」(goo辞書)

 

磯城瑞籬宮址は第十代崇神天皇の皇居跡とつたえられている(万葉歌碑を訪ねて―その78―)

●今日の万葉歌碑は、奈良県桜井市金屋の磯城瑞籬宮址にある。同宮址は、第十代崇神(すじん)天皇の皇居跡と伝えられている。宮址の面影はなく、志貴御懸神社の境内に「崇神天皇磯城瑞籬宮址」の碑がたてられている。

 

●サンドイッチは、ロメインレタスとサンチュに焼き豚である。デザートは、りんごの輪切りを土台に、バナナを配し、トンプソン、レッドグローブで加飾した。

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5月15日のザ・モーニングセット

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5月15日のフルーツフルデザート

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5月15日のフルーツフルデザート

 

●万葉歌碑を訪ねて―その78―

 「磯城島の日本の国に二人ありとし思はば何か嘆かむ」  

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磯城瑞籬宮址万葉歌碑(作者未詳)


 この歌碑は、奈良県桜井市金屋磯城瑞籬宮(しきみずがきのみや)址にある。 

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崇神天皇磯城瑞籬宮址の碑


            

 志貴御懸坐(しきのみあがたいます)神社境内に「磯城瑞籬宮跡」の碑が建てられている。

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志貴御懸神社鳥居

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志貴御懸神社拝殿

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志貴御懸神社社殿

 境内の案内説明板によると、磯城瑞籬宮とは、「第十代崇神(すじん)天皇の皇居跡と伝えられています。神山・三輪山を背後に負い、歌垣の伝えで名高い海柘榴市を却下に控えて、大和平野を見渡す高燥の地です。東へは、泊瀬道(はつせみち)、伊勢を経て東国へ。南へは、磐余道(いわれみち)、飛鳥を通じて紀伊方面へ。

北へは、山の辺の道、奈良、京を経て北陸、日本海方面へ。西へは、大和川の水運を利用して難波(なにわ)、瀬戸内海方面に繋がる交通の要衝です。古代大和王権、発展の拠点であったとも場所です。」とある。

 

 

 歌をみていこう。

◆式嶋乃 山跡乃土丹 人二 有年念者 難可将嗟

              (作者未詳 巻十三 三二四九)

 

≪書き下し≫磯城島(しきしま)の国に人ふたりありとし思はば何か嘆かむ

(訳)この磯城島の大和の国に、あの方というお方が二人あると思うことができたら、何でこんなに嘆いたりなどしようか。

 

 三二四九歌は部立「相聞」の先頭歌三二四八歌(長歌)の反歌となっている。

 

 三二四八歌をみていこう。

◆式嶋乃 山跡乃土丹 人多 満而雖夕 藤浪乃 思纒 若草乃 思就西 君目二 戀八将明 長此夜乎

               (作者未詳 巻十三 三二四八)

 

≪書き下し≫磯城島(しきしま)の 大和(やまと)の国に 人さはに 満ちてあれども 藤浪(ふじなみ)の 思ひもとほり 若草の 思ひつきにし 君が目に 恋ひや明かさむ 長きこの夜(よ)を

(訳)この磯城島の大和の国に、人はいっぱいに満ち満ちているけれども、まつわりついて咲く藤の花のように心がまつわりついて萌え出した若草の色が目につくように心が寄りついて離れない方、あの方と目を見合わすことだけに心を尽くしながら明かすことになるのか。長い長いこの夜を。

(注)さはに【多に】:たくさん

(注)藤浪の:「思ひもとほり」の枕詞

(注)若草の:「思ひつきにし」の枕詞

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉歌碑めぐり」(桜井市HP)

★「weblio 古語辞書」