万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その197)―京都府城陽市寺田 正道官衙遺跡公園№2―

●歌は、「岩代の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまた返り見む」である。

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京都府城陽市 正道官衙遺跡公園万葉歌碑(有間皇子


 

●歌碑は、京都府城陽市寺田 正道官衙遺跡公園にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆磐白乃 濱松之枝乎 引結 真幸有者 亦還見武

             (有間皇子 巻二 一四一)

 

≪書き下し≫岩代(いはしろ)の浜松が枝(え)を引き結びま幸(さき)くあらばまた帰り見む

 

(訳)ああ、私は今、岩代の浜松の枝と枝を引き結んでいく、もし万一この願いがかなって無事でいられたなら、またここに立ち帰ってこの松を見ることがあろう。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 題詞は、「有間皇子自傷結松枝歌二首」<有間皇子(ありまのみこ)、自みづか)ら傷(いた)みて松が枝(え)を結ぶ歌二首>である。

 

 もう一首もみておこう。

 

◆家有者 笱尓盛飯乎 草枕 旅尓之有者 椎之葉盛

            (有間皇子 巻二 一四二)

 

≪書き下し≫家なれば笱(け)に盛(も)る飯(いひ)を草枕旅(たび)にしあれば椎(しひ)の葉に盛る

 

(訳)家にいる時にはいつも立派な器物(うつわもの)に盛ってお供えをする飯(いい)なのに、その飯を、今旅の身である私は椎(しい)の葉に盛って神祭りをする。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 有間皇子孝徳天皇左大臣安倍倉橋麻呂のむすめ小足媛(おたらしひめ)の間にできた子である。

 大化の改新孝徳天皇は難波に都を遷すが、大化の改新の立役者中大兄皇子は飛鳥へもう一度都を戻すべきと主張、対立激化。 

 孝徳天皇の死後、中大兄皇子の母が、斉明天皇として飛鳥板葺宮で即位。実質的な主導者中大兄皇子の政治方針等への反発は大きく、有間皇子を支持する気運が高まってくる。

 斉明天皇四年(658年)、斉明天皇牟婁(むろ)の湯の湯治に行かれる。中大兄皇子も同行。留守を蘇我赤兄(そがのあかえ)に託す。

 有間皇子は、赤兄の謀略にはまり謀反のかどで捕えられ、白浜の牟婁に連行される。中大兄皇子の尋問に対し、「天と赤兄と知る。吾(われ)全(もは)ら解(し)らず」と答えたという。

 しかし、十一月十一日、有間皇子は、「自らくびらしむ」ことになったのである。(松の枝を結んで無事を祈ったが皇子は、帰路、藤白の坂(海南市)で殺されたのである。)上記の歌二首は、十一月九日、今の和歌山県日高郡な南部町(みなべちょう)岩代(いわしろ)で、殺されることになろうと思って、祈りを込めて詠んだ歌である。十九歳の若さである。 

 

 持統上皇紀伊の国に幸(いでま)したときに、同行者らが、有間皇子に対する同情の念を詠った歌が続いて四首収録されているので、こちらもみていこう。

 

 題詞は、「長忌寸意吉麻呂見結松哀咽歌二首」<長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおおきまろ)、結び松を見て哀咽(かな)しぶる歌二首>である。

 

◆磐代乃 崖之松枝 将結 人者反而 復将見鴨

            (長忌寸意吉麻呂 巻二 一四三)

 

≪書き下し≫岩代(いわしろ)の崖(きし)の松が枝結びけむ人は帰りてまた見けむかも

 

(訳)岩代の崖(がけ)のほとりの松の枝、この枝を結んだというそのお方は、立ち帰って再びこの松をご覧になったことであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

◆磐代之 野中尓立有 結松 情毛不解 古所念  未詳

             (長忌寸意吉麻呂 巻二 一四四)

 

≪書き下し≫岩代の野中(のなか)に立てる結び松心も解(と)けずいにしへ思ほゆ  いまだ詳らかにあらず

 

(訳)岩代の野中に立っている結び松よ、お前の結び目のように、私の心もふさぎ結ぼおれて、去(い)にし時代のことが思われてならない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)野中に立てる:崖の上に続く野の側から「結び松」をとらえたもの。

(注)未詳:一四三歌と同時の作か未詳の意。

 

 題詞は、「山上臣憶良追和歌一首」<山上臣憶良(やまのうえのおみおくら)が追和(ついわ)の歌一首>である。

 

◆鳥翔成 有我欲比管 見良目杼母 人社不知 松者知良武

            (山上憶良 巻二 一四五)

 

≪書き下し≫鳥翔成あり通(がよ)ひつつ見らめども人こそ知らぬ松は知るらむ

(注)第一句は定訓を得ず。①あまがけり、②かけるなす、③つばさなす、④とりはなす

 

(訳)皇子の御霊(みたま)は天空を飛び通いながらいつもご覧になっておりましょうが、人にはそれがわからない、しかし、松はちゃんと知っているのでしょう。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)伊藤博氏は第一句を「あまがけり」とよんでおられる。

 

 左注は、「右件歌等雖不挽柩之時所作准擬歌意故以載于挽歌類焉」<右の件(くだり)の歌どもは、柩(ひつき)を挽(ひ)く時に作るところにあらずといへども歌の意(こころ)を准擬(なずら)ふ。この故に挽歌の類に載す。>である。

 

 そしてもう一首の題詞は、「大寶元年辛丑幸于紀伊國時見結松歌一首  柿本朝臣人麻呂歌集中出也」<大宝元年辛丑(かのとうし)に、紀伊の国幸(いでま)す時に、結び松を見る歌一首  柿本朝臣人麻呂が歌集の中に出づ>である。

(注)持統上皇紀伊の国に幸(いでま)した時をさす。

 

 

◆後将見跡 君之結有 磐代乃 子松之宇礼乎 又将見香聞

             (柿本人麻呂 巻二 一四六)

 

≪書き下し≫後(のち)見むと君が結べる岩代の小松(こまつ)がうれをまたも見むかも

 

(訳)のちに見ようと、皇子が痛ましくも結んでおられた岩代の松の梢(こずえ)よ、この梢を、私は再び見ることがあろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 有間皇子の歌二首は、万葉集巻二 部立「挽歌」の冒頭歌である。

 標題は、「後岡本宮御宇天皇代 天豊財重日足姫天皇譲位後即後岡本宮」<後(のち)の岡本(をかもと)の宮(みや)に天(あめ)の下(した)知(し)らしめす天皇(すめらみこと)の代(みよ) 天豊財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)、譲位の後に、後の岡本の宮に即(つ)きたまふ>である。

(注)後(のち)の岡本(をかもと)の宮(みや):斉明天皇の皇居

(注)天豊財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと):斉明天皇斉明天皇は、用明天皇の孫にあたる高向王に嫁いだが、その後舒明天皇に再嫁してのちの天智天皇天武天皇らを生んだ。

645年「乙巳の変(いっしのへん)」で孝徳天皇に譲位したが、654年に孝徳天皇崩御すると翌655年に飛鳥板蓋宮で即位して天皇の位についた(重祚という)。(weblio辞書 歴代天皇事典より抜粋)

 

 有間皇子の悲劇は、或る意味「反逆」であるが、部立「挽歌」の冒頭に収録し、後の世の有間皇子への同情歌を収録するという寛大さも、万葉集万葉集たる所以と言えるのであろう。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「万葉の心」 中西 進 著 (毎日新聞社

★「weblio辞書 歴代天皇事典」

 

●本日のザ・モーニングセット&フルーツフルデザート

 サンドイッチは、オープンサンドにした。サニーレタス、焼き豚、トマトそしてニンジンと玉ねぎのスライスである。マスタードを少しトッピングした。デザートは、キウイのスライスの半カットを6枚並べ、バナナとブドウで加飾した。

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9月15日のザ・モーニングセット

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9月15日のフルーツフルデザート

万葉歌碑を訪ねて(その196)―京都府城陽市寺田 正道官衙遺跡公園 №1―

●歌は、「昼は咲き夜は恋ひ寝る合歓木の花君のみ見めや戯奴さへに見よ」である。

 

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正道官衙衙遺跡公園万葉歌碑(1:紀女郎)

●歌碑は、「京都府城陽市寺田 正道官衙遺跡公園」にある。

 

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「史蹟 正道官衙遺跡」の碑

 

 「城陽市の万葉歌碑」で検索してみると、「城陽市の万葉歌碑の画像検索結果」に「正道官衙遺跡公園の万葉歌碑」が写真に出ている。

 京都府城陽市観光協会HPによると、正道官衙遺跡(しょうどうかんがいせき)〔国指定史跡〕について、次のように記されている。

「大規模な掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)を中心に、整然と配置された掘立柱建物群がみつかりました。出土した土器から、これらの建物群は奈良時代のものと考えられ、城陽市一帯に置かれた「久世郡」の郡衙(ぐんが)(役所)跡と推定されています。西側には、飛鳥時代掘立柱建物群がみつかっており、奈良時代郡衙に先立つ建物群と考えられています。また東側には、寺(正道廃寺)の存在も推定されています。

この他には、5世紀前半の小規模な方墳群や6世紀末から8世紀にかけての竪穴住居群もみつかっています。

〈見学〉

JR奈良線城陽駅」から北東へ徒歩約10分。

遺跡公園として、遺構の一部が復元されています。」

 

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正道官衙遺跡公園の復元建物(柱にみ)

 遺跡公園には、万葉植物にちなんだ歌碑が30碑あり、「古代城陽を詠んだ万葉歌」という碑もあることがわかった。

 

●歌をみていこう。

 

◆晝者咲 夜者戀宿 合歡木花 君耳将見哉 和氣佐倍尓見代

                (紀女郎 巻八 一四六一)

 

≪書き下し≫昼は咲き夜(よる)は恋ひ寝(ね)る合歓木(ねぶ)の花君のみ見めや戯奴(さへ)に見よ。

 

(訳)昼は花開き、夜は葉を閉じ人に焦がれて眠るという、ねむの花ですよ。そんな花を主人の私だけが見てよいものか。そなたもご覧。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

 題詞は、「紀女郎贈大伴宿祢家持歌二首」<紀女郎(きのいらつめ)、大伴宿禰家持に贈る歌二首>である。

 

 もう一首もみておこう。

◆戯奴<變云和氣>之為 吾手母須麻尓 春野尓 抜流茅花曽 御食而肥座

               (紀女郎 巻八 一四六〇)

 

≪書き下し≫戯奴(わけ)<変して「わけ」といふ>がため我が手もすまに春の野の抜ける茅花(つばな)ぞ食(め)して肥(こ)えませ

 

(訳)そなたのために、私が手も休めずに春の野で抜き採った茅花(つばな)ですよ、これは。食(め)し上がってお太りなさいませよ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)わけ【戯奴】代名詞: ①私め。▽自称の人称代名詞。卑下の意を表す。②おまえ。▽対称の人称代名詞。目下の者にいう。 ここでは②の意味。

(注)つばな【茅花】:ちがやの花。ちがや。つぼみを食用とした。「ちばな」とも。

 

 左注は、「右折攀合歡花幷茅花贈也」<右は、合歓(ねぶ)の花と茅花(つばな)とを攀(よ)ぢて贈る>とある。

 

 この、紀女郎の歌に対して、家持は次の二首を贈っている。

題詞は、「大伴家持贈和歌二首」<大伴家持、贈り和(こた)ふる歌二首>である。

 

◆吾君尓 戯奴者戀良思 給有 茅花乎雖喫 弥痩尓夜須

              (大伴家持 巻八 一四六二)

 

≪書き下し≫我が君に 戯奴(わけ)は恋ふらし賜(たば)りたる茅花(つばな)を食(は)めどいや痩(や)せに痩す

 

(訳)ご主人様に、この私めは恋い焦がれているようでございます。頂戴した茅花をいくら食べても、ますます痩せるばかりです。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

◆吾妹子之 形見合歡木者 花耳尓 咲而蓋 實尓不成鴨

               (大伴家持 巻八 一四六三)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)が形見(かたみ)の合歡木(ねぶ)は花のみ咲きてけだしく実にならじかも

 

(訳)あなたが下さった形見のねむは、花だけ咲いて、たぶん実を結ばないのではありますまいか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)けだし【蓋し】副詞:①〔下に疑問の語を伴って〕ひょっとすると。あるいは。

②〔下に仮定の表現を伴って〕もしかして。万一。

③おおかた。多分。大体。

(注)「実にならじ」は交合が実らないことのたとえ。

 

 一四六二歌の「君」についてであるが、万葉では、「君」は一般的には相手に対する敬称で、女から男を呼ぶ場合に用いられている。男である大伴家持が女である紀女郎を明らかに「君」と呼んでいる。これは、一四六〇歌で、紀女郎が戯れて、「戯奴」と呼んだ歌への答え歌である。すなわち、女郎がわざと家持を卑しんで呼んだことを受けて、逆に、家持は、「我が君」と敬意を込めてウイットに富んだ言い方で切り返しているのである。

 

 実際には、どのようなシチュエーションでやり取りされたのかはわからないが、読みようによっては、衣の下の鎧どころではない。しかし、衣と言うバッファーがかなり効いているのも事実である。年上の紀女郎の直球勝負と家持の変化球勝負の面白さである。

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奈良時代の郡司をモチーフにしたキャラクター


 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「萬葉集相聞の世界」 伊藤 博 著 (塙書房

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「京都府城陽市観光協会HP」

 

●本日のザ・モーニングセット&フルーツフルデザート

 サンドイッチは、サニーレタス、トマトそして焼き豚である。。三角形に切りお皿に盛り付けた。デザートは、バナナのカットとブドウのカットを交互に組み合わせた。干しぶどうはアクセントに使った。

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9月14日のザ・モーニングセット

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9月14日のフルーツフルデザート


 

万葉歌碑を訪ねて(その195)―京都府城陽市久世 久世神社―

●歌は、「山背の久世の鷺坂神代より春は萌りつつ秋は散りけり」である。

 

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城陽市久世神社万葉歌碑(作者未詳)「久世鷺坂舊跡」の碑も見える

●歌碑は、京都府城陽市久世 久世神社横にある。

 

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鷺坂と万葉歌碑

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久世神社境内

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鳥居と社

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久世神社社


                      

 

●歌をみていこう。

 

◆山代 久世乃鷺坂 自神代 春者張乍 秋者散来

              (作者未詳 巻九 一七〇七)

 

≪書き下し≫山背(やましろ)の久世(くせ)の鷺坂(さぎさか)神代(かみよ)より春は萌(は)りつつ秋は散りけり

 

(訳)山背の久世の鷺坂、この坂では、遠い神代の昔から、春には木々が芽吹き、秋には散って来たのである。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)はる【張る】①(氷が)はる。一面に広がる。②(芽が)ふくらむ。出る。芽ぐむ。

   ※ここでは②の意

(注)さぎざか【鷺坂】: 京都府城陽市久世を南北に走る旧大和街道の坂。坂のある台地が鷺坂山であり、丘上に久世神社がある。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 題詞は、「鷺坂作歌一首」<鷺坂にして作る歌一首>である。

 

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歌の解説案内板


 巻九には題詞「鷺坂作歌一首」とある歌がもう二首ある。

こちらもみていこう。

 

◆白鳥 鷺坂山 松影 宿而往奈 夜毛深往乎

              (作者未詳 巻九 一六八七)

 

≪書き下し≫白鳥(しらとり)の鷺坂(さぎさかやま)山の松陰(まつかげ)の宿(やど)りて行かな夜(よ)も更(ふ)けゆくを

 

(訳)白鳥の鷺坂山の松、この人待ち顔の松の木陰で一夜の宿を取って行こう。夜も更けて行くことだし。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)しらとりの【白鳥の】分類枕詞:白鳥が飛ぶことから地名「飛羽山(とばやま)」に、また、鷺(さぎ)が白い鳥であることから同音を含む地名「鷺坂山(さぎさかやま)」にかかる。

(注)松:「松」に男を待つ意を懸け、家で待つ妻を匂わしている

 

◆細比礼乃 鷺坂山 白管自 吾尓尼保波尼 妹尓示

              (作者未詳 巻九 一六九四)

 

≪書き下し≫栲領巾(たくひれ)の鷺坂山の白つつじ我(わ)れににほはに妹(いも)に示(しめ)さむ

 

(訳)栲領巾のように白い鳥、鷺の名の鷺坂山の白つつじの花よ、お前の汚れのない色を私に染め付けておくれ。帰ってあの子にみせてやろう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)たくひれの【栲領巾の】分類枕詞:「たくひれ」の色が白いことから、「白(しら)」「鷺(さぎ)」に、また、首に掛けるところから、「懸(か)く」にかかる。

(注)にほふ【匂ふ】①美しく咲いている。美しく映える。

          ②美しく染まる。(草木などの色に)染まる。

          ③快く香る。香が漂う。

          ④美しさがあふれている。美しさが輝いている。

          ⑤恩を受ける。おかげをこうむる。

         ※ここでは、②の意

 

(参考文献) 

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社) 

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」」

 

●本日のザ・モーニングセット&フルーツフルデザート

 サンドイッチは、サニーレタス、トマトそして焼き豚である。パセリを添えてみた。デザートは、バナナの縦切りを十字手裏剣のように並べ、ブドウを加飾。干しぶどうをアクセントにつかった。

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9月13日のザ・モーニングセット

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9月13日のフルーツフルデザート

 

万葉歌碑を訪ねて(その194)―京都府久世郡久御山町荒見神社―

●歌は、「巨椋の入江響むなり射目人の伏見が田居に雁わたるらし」である。

 

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久御山町 荒見神社 万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、京都府久世郡久御山町 荒見神社 にある。

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久御山町 荒見神社名碑

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荒見神社鳥居と手前に見えるのが万葉歌碑

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久御山町 荒見神社境内

 

 アスピアやましろの万葉歌碑がすんなり見つかった。幸先良しである。駐車場でナビに「荒見神社」とセットする。ナビ通り国道24号線を北上する。指示通り左折。15分ぐらいで現地到着。

 駐車場に車を止め、鳥居をくぐる。境内を探す。しかし見つからない。拝殿から本殿脇を通りさらに奥に進む。歌碑らしいものがあったが良く見ると違う。見落とすまいと左右を見まわしながら駐車場まで戻る。

 車に戻り検索し直す。まさか!またか!である。目の前の荒見神社は、城陽市の荒見神社である。

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荒見神社(城陽市)鳥居

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荒見神社(城陽市)名碑

 気を取り直し、ナビをセットし直す。国道1号線から脇道に入ると、神社までは、またしても車幅一杯程度の道が続くのである。しかも縫うように走らざるを得ない。約15分のドライブで到着。やれやれである。

 

●歌をみてみよう。

 

◆巨椋乃 入江響奈理  射目人乃 伏見何田井尓 鴈相良之

                 (作者未詳 巻九 一六九九)

 

≪書き下し≫巨椋(おほくら)の入江(いりえ)響(とよ)むなり射目人(いめひと)の伏見(ふしみ)が田居(たゐ)に雁(かり)渡るらし

 

(訳)巨椋の入江がざわざわと鳴り響いている。射目人の伏すという伏見の田んぼに、雁が移動してゆくのであるらしい。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)巨椋の入江:宇治市の西にあった巨椋(おぐら)池。

(注)いめひとの【射目人の】 枕詞:獲物を伏してねらうことから、地名「伏見」にかかる。

(注)たゐ【田居】名詞 ①田。たんぼ。②田のあるような田舎。

 

 「巨椋(おぐら)」という地名に関しては、京滋バイパスに「巨椋IC」がある。宇治方面を走ると久御山ICの次のICである。近鉄京都線に「小倉駅」(京都府宇治市小倉町神楽田)がある。小倉の次の次の駅は「伏見桃山駅」である。普段何気なく通過している漠然と名前が頭にあったが、ぐっと身近になった感じである。時間軸は千年を超える開きがあるが、空間軸はさほどの開きがないと考えるだけで、万葉びとに近づけたような感動を覚えるのである。

 

 題詞は、「宇治河作歌二首」<宇治川にして作る歌二首>である。

 

 もう一首の方もみておこう。

◆金風 山吹瀬乃 響苗 天雲翔 鴈相鴨

                (作者未詳 巻九 一七〇〇)

 

≪書き下し≫秋風に山吹の瀬の鳴るなへに天雲(あまくも)翔(かけ)る雁に逢(あ)へるかも

 

(訳)秋風が、山吹の瀬の瀬音が鳴り響く折も折、はるか天雲の彼方(かなた)を飛びかける雁の群れにであった。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)なへ 接続助詞《接続》活用語の連体形に付く。〔事柄の並行した存在・進行〕…するとともに。…するにつれて。…するちょうどそのとき。

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂大辞林 第三版」

 

●本日のザ・モーニングセット&フルーツフルデザート

 サンドイッチは、レタスと焼き豚である。8等分に切り、市松模様に並べた。デザートは、バナナとブドウである。ブドウの切合わせを主に配し、干しぶどうをアクセントに使った。

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9月12日のザ・モーニングセット

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9月12日のフルーツフルデザート


 

万葉歌碑を訪ねて(その193)―京都府木津川市山城町 アスピアやましろ―

●歌は、「手束弓手に取り持ちて朝猟に君は立たしぬ棚倉の野に」である。

 

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木津川市山城町 アスピアやましろ万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、京都府木津川市山城町 山城総合文化センター(アスピアやましろ) にある。

 

 8月いっぱいは、熱中症対策ではないが、外出を控えていたので、久しぶりの万葉歌碑めぐりである(令和元年9月5日)。

 「一日一万葉歌碑紹介」をしようと毎日ブログを書いているが、そろそろ手持ちの万葉歌碑の在庫が少なくなってきたといった事情もある。

 木津川市アスピアやましろ➡久世郡荒見神社➡城陽市正道官衙遺跡公園➡城陽市久世神社➡宇治市朝霧橋東詰➡宇治市中の島➡宇治市観光センターと欲張った計画をたてる。

 

 手始めが、アスピアやましろである。

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アスピアやましろ

 精華町役場横の道を府道22号線を北に進み、交差点「谷」を右折、木津川の開橋を渡る。左手斜め前方にまわりにそぐわない比較的大きな建物が見えて来る。それが、「アスピアやましろ」である。

歌碑は、正面入口向かって左手にあった。

 

●歌をみていこう。

 

◆手束弓 手尓取持而 朝獦尓 君者立之奴 多奈久良能野尓

                                              (作者未詳 巻十九 四二五七)

 

≪書き下し≫手束弓(たつかゆみ)手に取り持ちて朝猟(あさがり)に君は立たしぬ棚倉の野に

 

(訳)手束弓をしっかりと手に取り持って、朝の猟場に我が君はお立ちになっている。ここ棚倉の野に。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)たつかゆみ【手束弓】:手に握り持つ弓。一説に握るところの太い弓。手束の弓。

(注)棚倉の野(たなくらのの)については、木津川市観光協会HP「木津川市ゆかりの万葉歌」に次のような説があると紹介されている。

       ①「旧棚倉村周辺」説  木津川市山城町平尾・綺田など

  ②「井手」説      綴喜郡井手町大字井手

  ③「棚倉孫神社周辺」説    京田辺市田辺棚倉付近

  ※ちなみに、アスピアやましろは、京都府木津川市山城町平尾前田24である。

 

 題詞は、「十月廿二日於左大辨紀飯麻呂朝臣家宴歌三首」<十月二十二日に、左大辨(さだいべん)紀飯麻呂朝臣(きのいひまろあそみ)が家にして宴(うたげ)する歌三首>である。

 

 左注は、「右一首治部卿船王傳誦之 久迩京都時歌 未詳作主也」<右の一首は、治部卿(ぢぶきょう)船王(ふねのおほきみ)伝誦(でんしょう)す。 久邇(くに)の京都(みやこ)の時の歌。 いまだ作主を詳(つばひ)らかにせず。>である。

 

 

 他の二首もみていこう。

 

◆明日香河 ゝ戸乎清美 後居而 戀者京 弥遠曽伎奴

                (中臣清麻呂 巻十九 四二五八)

 

≪書き下し≫明日香川(あすかがは)川門(かはと)を清み後(おく)れ居(ゐ)て恋ふれば都いや遠そきぬ

 

(訳)明日香川、この川の渡し場が清らかなので、旧い都に残って今の都を恋い慕ううちに、都はさらにかえっていよいよ遠退いてしまった。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

 

 左注は、「右一首左中辨中臣朝臣清麻呂傳誦 古京時歌也」<右の一首は、左中弁(さちゆうべん)中臣朝臣(なかとみのあそん)清麻呂(きよまろ)伝誦す。 古京の時の歌>である。

(注)古京時歌:旧都明日香に残っていた時の意で、一族の気持ちを代弁する清麻呂自身の旧作を伝誦したものか。

 

 堀内民一氏は、著「大和万葉―その歌の風土」(創元社)のなかで、「飛鳥川の川瀬(川の渡し場)が、清らかなのに心ひかれて、後にのこって焦がれていると、都が非常に遠くへ行ってしまった感に打たれたのである。この歌は清麿が歌い伝えていたもので、奈良へ都が移った当時、藤原の都にのこっていた人の歌だという左注である。」と解説しておられる。

 

 

◆十月 之具礼能常可 吾世古河 屋戸乃黄葉 可落所見

                 (大伴家持 巻十九 四二五九)

 

≪書き下し≫十月(かむなづき)しぐれの常(つね)か我が背子(せこ)がやどの黄葉(もみぢば)散りぬべく見ゆ

 

(訳)十月(かんなづき)のこの時雨(しぐれ)の雨の習いなのか、あなた様のお庭のもみじは、美しく色づいて今にも散りそうに見えます。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

 

 左注は、「右一首少納言大伴宿祢家持當時矚梨黄葉作此歌也」<右の一首は、少納言(せうなごん)大伴宿禰家持、時に当りて梨の黄葉を矚(み)てこの歌を作る>である。

 

 巻十九は、家持の「歌日記」的色彩が強いといわれるが、この三首も形体的な特徴をもっていると言える。

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大和万葉―その歌の風土」 堀内民一 著 (創元社

★「木津川市ゆかりの万葉歌」 (木津川市観光協会HP)

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

 

●本日のザ・モーニングセット&フルーツフルデザート

 サンドイッチは、レタス、トマトそして焼き豚である。砥部焼の大皿に井戸枠組にし真ん中に野菜ジュースのグラスを配した。デザートは、いちぢくを六等分に縦切りし、並べ、周囲をブドウで加飾、干しぶどうをアクセントに使った。

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9月11日のザ・モーニングセット

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9月11日のフルーツフルデザート

 

万葉歌碑を訪ねて(その192)―京都府京田辺市咋岡神社(飯岡)―

●歌は、「春草を馬咋山ゆ越え来なる雁の使は宿り過ぐなり」である。

 

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京田辺市咋岡神社<飯岡>万葉歌碑(作者未詳)

●歌は、京田辺市 咋岡神社(くいおかじんじゃ)(飯岡:いのおか)にある。

 

 井手町の歌碑2つを巡ったあと、京田辺市の咋岡神社に向かう。ナビをセットし目的地に到着。車を空き地に止め、鳥居をくぐる。神社の横には小学校があり元気な子供たちの声がこだまする。

 境内を探すが、見つからない。神社の場合境内との接点上にあることがある。用水路の外から神社の境界線上を探しながら周りを一周する。見当たらない。

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咋岡神社(草内)名碑

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咋岡神社(草内)鳥居と境内

 諦めて車に戻る。スマホで再検索。京田辺市観光協会の「万葉歌碑」を見ると歌碑の写真があり、歌碑の後ろに社の一部が写っている。もう一度この写真をてがかりにありそうな場所を探す。結局見つからずに車に戻る。もう一度スマホで検索する。地図を拡大してみると、括弧書きで(飯岡)と書いてある。現在地を見ると、目の前の神社は、咋岡神社(草内)であることが判明。

 

 気を取り直して、咋岡神社(飯岡)へと向かう。神社近くは、車幅一杯の道である。車を止められそうにないので、木津川に出る。少し道路わきの広いところに車を止め、歩いて神社に向かう。漸く歌碑を見つける。写真のとおり、歌碑のうしろに社が!

 

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咋岡神社(飯岡)名碑

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咋岡神社(飯岡)鳥居t境内

 

 そういえば、平城宮跡の北に位置する、佐紀神社は、池をはさんで東西に同名の神社があった。佐紀神社(亀岡)と同(西畑)である。

実は、一か月後、城陽市の荒見神社でも同じ経験をするのである。近隣に同名の神社があることが不思議である。

 

 どちらの咋岡神社も、拝殿の上方に「枡と枡掻き」が奉納されていた。よく見ると、奉納者の歳はいずれも八十八歳となっている。

 枡の摺り切り棒は、一般的に何というのかを調べてみると、「コトバンク 大辞林 第三版の解説」に「ますかき【枡掻き・枡搔き・升掻き・升搔き】」とあり、「① 枡に盛った穀類などを、縁の高さにならすのに使う棒。とかき。② 『八十八の升搔き』の略。」と解説があった。②の【八十八の升掻き・八十八の升搔き】を検索すると、「八八歳(=米寿)の人に米の升搔きを切ってもらい、商売繁盛の縁起を祝うこと」とあった。長寿を祝う意味も込めて、奉納されたのであろう。

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「枡と枡掻き」の奉納


 

 

●歌をみていこう。

 

◆春草 馬咋山自 越来奈流 鴈使者 宿過奈利

                                    (作者未詳 巻九 一七〇八)

 

≪書き下し≫春草を馬咋山ゆ越え来(く)なる雁の使(つかひ)は宿り過ぐなり

 

(訳)春の若草を馬が食うという、その咋山(くひやま)を越えて鳴き渡って来た雁の使いは、今しもこの旅の宿りの上空を素通りして行く。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)咋山(くひやま):京都府京田辺市の飯岡という。木津川(泉川)の西岸。

(注)かりのつかひ【雁の使ひ】:《「漢書」蘇武伝の、匈奴(きょうど)に捕らえられた前漢の蘇武が、手紙を雁の足に結びつけて放ったという故事から》便り。手紙。かりのたまずさ。かりのたより。かりのふみ。雁書。雁信。雁使(がんし)。(コトバンク デジタル大辞泉より)

 

題詞は、「泉河邊作歌一首」<泉川(いづみがわ)の辺(へ)にして作る歌一首>である。

(注)泉川:木津川の古名。

 

 木津川堤防の道に車を止めたが、題詞の如く「泉河邊作歌」であることが納得できた。近くには「飯岡の渡し場跡」の碑もあった。

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「飯岡の渡し場跡」の碑

 また、「玉露の郷 飯岡(いのおか)」の説明案内板もあった。

 

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玉露の郷 飯岡」の碑

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「コトバンク 大辞林 第三版」

★「万葉歌碑」 京田辺市観光協会HP

 

●本日のザ・モーニングセット&フルーツフルデザート

 サンドイッチは、レタスと焼き豚である。三角形に切り皿に盛り付けた。デザートは、キウイの切り抜きを中心にいちぢく、バナナ、ブドウで加飾した。

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9月10日のザ・モーニングセット

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9月10日のフルーツフルデザート


 

万葉歌碑を訪ねて(その191)―京都府綴喜郡井手町 井堤寺跡―

●歌は、「賄しつつ君が生ほせるなでしこが花のみ問はむ君ならなくに」である。

 

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井堤寺跡万葉歌碑(橘 諸兄)

●歌碑は、京都府綴喜郡井手町 井堤寺跡にある。

 

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井堤寺故址の碑

●井堤寺(井出寺)については、井手町HP「観光・名所旧跡」に、「橘諸兄が建立したと伝えられる、井手寺は、東西南北とも約240メートルの規模を誇り、塔や金堂を中心に七堂伽藍の整った大きな寺であったと伝えられています。

井手寺跡周辺では、平成16年から本格的に発掘調査がはじまり、彩色を施した「垂木先瓦」や「軒丸瓦」「軒平瓦」、建物の礎石をおいた跡などが発見されました。

交通:JR玉水駅より東に約1.0キロメートル 徒歩約15分」と記されている。

 

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井堤寺跡説明案内板

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山城國井堤郷舊地全図


 

●歌をみてみよう。

 

◆麻比之都ゝ 伎美我於保世流 奈弖之故我 波奈乃未等波無 伎美奈良奈久尓

             (橘諸兄 巻二十 四四四七)

 

≪書き下し≫賄(まひ)しつつ君が生(お)ほせるなでしこが花のみ問(と)はむ君ならなくに

 

(訳)贈り物をしてはあなたがたいせつに育てているなでしこ、あなたは、そのなでしこの花だけに問いかけるようなお方ではないはずです。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)まひ:依頼や謝礼のしるしとして神にささげたり、人に贈ったりする物。「まひなひ」とも。

 

 題詞は、「同月十一日左大臣橘卿宴右大辨丹比國人真人之宅歌三首」<同じき月の十一日に、左大臣橘卿(たちばなのまへつきみ)、右大弁(うだいべん)丹比國人真人(たぢひのくにひとのまひと)が宅(たく)にして宴(うたげ)する歌三首>である。

 

 他の二首もみてみよう。

 

 

◆和我夜度尓 佐家流奈弖之故 麻比波勢牟 由米波奈知流奈 伊也乎知尓左家

                (丹比國人真人 巻二十 四四四六)

 

≪書き下し≫我がやどに咲けるなでしこ賄(まひ)はせむゆめ花散るやいやをちに咲け

 

(訳)我が家の庭に咲いているなでしこよ、贈り物はなんでもしよう。決して散るなよ。いよいよ若返り続けて咲くのだぞ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

 

 左注は、「右一首丹比國人真人壽左大臣歌」<右の一首は、丹比國人真人、左大臣を寿(ほ)ぐ歌>である。

 

◆安治佐為能 夜敝佐久其等久 夜都与尓乎 伊麻世和我勢故 美都ゝ思努波牟

                 (橘 諸兄 巻二十 四四四八)

 

≪書き下し≫あぢさいの八重(やへ)咲くごとく八(や)つ代(よ)にをいませ我が背子(せこ)見つつ偲ばむ

 

(訳)あじさいが次々と色どりを変えてま新しく咲くように、幾年月ののちまでもお元気でいらっしゃい、あなた。あじさいをみるたびにあなたをお偲びしましょう。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

 

 左注は、「右一首左大臣寄味狭藍花詠也」≪右の一首は、左大臣、味狭藍(あじさゐ)の花に寄せて詠(よ)む。>である。

                                                                                               

 この歌が収録されている巻二十については、巻十七からの万葉集最後の四巻は、大伴家持の「歌日記」とも言われている。この四巻は部立てもなく日次的であることから、巻一から巻十六と構成内容が異なっているという。

 神野志隆光氏は、「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」の中で、「家持を軸にして構成するものであることは、全体に占める家持歌の比重によってあきらかです。歌数として言えば、巻十七は一四二首(構成等略以下同様)のうち家持歌は七六首、巻十八では、一〇七首のうち六九首、巻十九では一五四首のうち一〇三首、巻二十では二二四首うち七八首を占めます。巻二十で家持歌の比重が少ないように見えるのは、九〇首をこえる防人歌を載せることによります。ともあれ四巻全体の歌の過半は家持歌であり、他もかれにかかわる歌としてあります。」と述べておられる。

 

 天平勝宝七歳(この年から「年」でなく「歳」という)は防人交替の年にあたり、大伴家持は前年の四月に兵部少輔となり、難波の地で防人に関する業務を担当している。防人たちの歌が各国の防人部領使(さきもりのことりづかひ)を通して上進され家持はこれを記録した。家持はこの防人歌から拙劣な歌を除いて自分の歌記録に収めているのである。防人歌群の左注にある、「但拙劣歌者不取載之」<ただし、拙劣(せつれつ)の歌は取り載せず>からもみてとれる。

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「観光・名所旧跡」(井手町HP)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」    

 

●本日のザ・モーニングセット&フルーツフルデザート

 サンドイッチは、レタス、トマトそして焼き豚である。小鹿田焼の皿に盛り付けた。デザートは、無花果の花としゃれてみた。

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9月9日のザ・モーニングセット

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9月9日のフルーツフルデザート