万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1111)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(71)―万葉集 巻十一 二七七一

●歌は、「我妹子が袖を頼みて真野の浦の小菅の笠を着ずて来にけり」である。

 

f:id:tom101010:20210725121416j:plain

奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(71)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(71)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆吾妹子之 袖乎憑而 真野浦之 小菅乃笠乎 不著而来二来有

                  (作者未詳 巻十一 二七七一)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)が袖(そで)を頼みて真野(まの)の浦の小菅(こすげ)の笠を着ずて来にけり

 

(訳)かわいいお前さんの袖をあてにして、真野の浦の小菅で編んだよい笠があるのに、かぶりもしないで一目散にやって来たんだよ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)袖を頼みて:袖を枕に共寝をする意をこめる。

(注)真野:兵庫県内と思われる

 

 「真野」を追って、みよう。

 

二七七二歌も「真野の池の小菅」と詠んでいるのでこちらもみてみよう。

 

◆真野池之 小菅乎笠尓 不縫為而 人之遠名乎 可立物可

                 (作者未詳 巻十一 二七七二)

 

≪書き下し≫真野の池の小菅(こすげ)を笠に縫(ぬ)はずして人の遠名(とほな)を立つべきものか

 

(訳)真野の池の小菅、その小菅を笠に編み上げもしないように、まだ関係が成り立ってもいないうちから、人の浮名を遠くまで広げるなんていうことがあってよいものか。(同上)

(注)縫う:契ることの譬え

(注)とほな【遠名】〘名〙:広く世間に知れわたっている名。遠くまで広まっている評判。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 

「真野」については、高市黒人の二八〇歌ならびに黒人の妻の二八一歌に見られる。

 

 題詞は、「高市連黒人歌二首」<高市連黒人(たけちのむらじくろひと)が歌二首>である。

 

◆去来兒等 倭部早 白菅乃 真野乃榛原 手折而将歸

               (高市黒人 巻三 二八〇)

 

≪書き下し≫いざ子ども大和(やまと)へ早く白菅(しらすげ)の真野(まの)の榛原(はりはら)手折(たお)りて行かむ

 

(訳)さあ皆の者よ、大和へ早く帰ろう。白菅の生い茂る真野の、この榛(はんのき)の林の小枝を手折って行こう。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)いざこども…:「さあ、諸君。」 ※「子ども」は従者や舟子、場に居合わせた者らをさす。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典+加筆)

(注)しらすげの【白菅の】分類枕詞:白菅(=草の名)の名所であることから地名「真野(まの)」にかかる。(学研)

(注の注)しらすげ【白菅】:カヤツリグサ科の多年草。湿った林に生え、高さ30〜60センチ。地上茎は三角柱で、白みを帯びた葉をつける。夏、茎の頂に淡緑色の雄花の穂を、その下に数個の雌花の穂をつける。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

二八一歌の題詞は、「黒人妻答歌一首」<黒人が妻(め)の答ふる歌一首>である。この歌もみてみよう。

 

◆白菅乃 真野之榛原 徃左来左 君社見良目 真野乃榛原

                (黒人妻 巻三 二八一)

 

≪書き下し≫白菅の真野の榛原行(ゆ)くさ来(く)さ君こそ見らめ真野の榛原

 

(訳)白菅の生い茂る真野の榛の林、この林をあなたは往(ゆ)き来(き)にいつもご覧になっておられるのでしょう。けれど、私は初めてです、この美しい真野の榛原は。(同上)

(注)ゆくさくさ【行くさ来さ】分類連語:行くときと来るとき。往復。 ※「さ」は接尾語。(学研)

 

 この歌ならびに「白菅の真野の榛原」を詠んだ一三五四歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その788)」に紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 地名「真野」を特定していくべく検索するもファインチューニングができない。

 

「地図に載らない文学館 ネットミュージアム兵庫文学館」のHPの「文学マップ 古典紹介」コンテンツ「万葉集」に、「兵庫県との関係」として下記の地名が次のようにあげられている。

「巻一に『印南国原』、巻三に『真野の榛原(はりはら)』『敏馬(みぬめ)』『敏馬の崎(みぬめのさき)』『猪名野(いなの)』『名次山(なすきやま)』『角の松原(つののまつばら)』『須磨の海人(あま)』『縄(那波)の浦』『藤江の浦』『印南の海』『淡路島』『明石の門(あかしのと)』『明石大門(あかしおおと)』『飼飯の海(けひのうみ)』『淡路の野島の崎』、巻四に『真野の浦』『真野の榛原』、巻六に『敏馬(みぬめ)の浦』『大輪田』『明石潟』『藤江の浦』『名寸隅(なきすみ)』『淡路島』『松帆の浦』「野島」、巻七に『猪名野』『印南野』『有馬山』『飾磨江』『日笠の浦』『明石の水門(あかしのみと)』『淡路島』、巻九に『菟原処女(うばらおとめ)』『芦屋処女(あしやおとめ)』『芦屋菟原処女(あしやのうばらのおとめ)』、巻十に『有馬菅(ありますげ)』、巻十一に『真野の浦』『真野の池』、巻十二に『淡路島』『松帆の浦』『名寸隅(なきすみ)』『船瀬の山』『室の浦』『鳴島(なきしま)』『飼飯(けひ)の浦』、巻十五に『印南つま』『飾磨川』、巻十六に『猪名川(ゐながは)』、巻十七に『須磨人(すまひと)』『淡路島門(しまと)』『角の松原』、巻二十『印南野』、などが見える。」

 

 「真野」は兵庫県内であることは間違いないようである。

 

 巻四 四九〇歌に「真野の浦」が詠まれている。こちらをみてみよう。

 

 

題詞は、「吹芡刀自歌二首」<吹芡刀自(ふきのとじ)が歌二首>である。

 

◆真野之浦乃 与騰乃継橋 情由毛 思哉妹之 伊目尓之所見

                 (吹芡刀自 巻四 四九〇)

 

≪書き下し≫真野(まの)の浦の淀(よど)の継橋(つぎはし)心ゆも思へや妹(いも)が夢(いめ)にし見ゆる

 

(訳)真野の浦の淀みにかかる継橋、その橋に切れ目がないように、切れ目なく心底私のことを思ってくださっているからなのか、あなたの顔が夢に見えます。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は序。「継ぎて」の意を下三句に及ぼす。

(注)真野の浦:神戸市長田区の海岸

(注)つぎはし【継ぎ橋】名詞:水中に柱を立て、板を何枚か継いで渡した橋。(学研)

四九一歌もみてみよう。

 

◆河上乃 伊都藻之花乃 何時ゝゝ 来益我背子 時自異目八方

                  (吹芡刀自 巻四 四九一)

 

≪書き下し≫川の上(うへ)のいつ藻(も)の花のいつもいつも来ませ我が背子時じけめやも

 

(訳)川の水面に咲く厳藻(いつも)の花の名のように、夢といわず現実(うつつ)にいつもいつもおいでくださいな、あなた。私の方に折りが悪いなどということがあるものですか。(同上)

(注)上二句は序。同音で「いつも」を起こす。

(注)いつ藻:「イツ」讃美の接頭語。

(注)ときじ【時じ】形容詞:①時節外れだ。その時ではない。②時節にかかわりない。常にある。絶え間ない。 ⇒参考 上代語。「じ」は形容詞を作る接尾語で、打消の意味を持つ。(学研)

(注)めやも 分類連語:…だろうか、いや…ではないなあ。 ⇒なりたち 推量の助動詞「む」の已然形+反語の係助詞「や」+終助詞「も」(学研)

 

 「真野」は、今の兵庫県神戸市長田区真野町であろう。

いろいろ検索しているうちに、先達のブログに、平成二十二年三月に真野地区ゆかりの万葉歌碑として、高市黒人の二八〇歌の歌碑が、長田区東尻池町 尻池街園に建てられたと書かれているのを見つけた。

 機会を見つけて訪ねて行きたいものである。

 

 吹芡刀自の歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その38改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております。ご容赦下さい。)

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「万葉名『すげ・すが』は『すがすがしい』が語源となったらしく、スゲ属の総称で種類も50種類を超える。現在では今日のスゲ属に当たるものかどうか、又、そのものも特定できないようだが、ある歌の中に『小菅(コスゲ)の笠』とあるので、笠に編まれる『笠菅(カサスゲ)』を代表として開設する。『笠菅(カサスゲ)』は水辺や湿地に群生する多年草で、昔は需要が多かったので水田でも栽培された。『蓑菅(ミノスゲ)』とも呼ばれる。茎は三角柱状でざらつき、1メートル程の高さになる。花は5~6月に茎の先に雄花穂が付きその下に雌花穂が2~3個斜めに付く。(後略)」と書かれている。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「文学マップ 古典紹介」コンテンツ「万葉集」 (地図に載らない文学館 ネットミュージアム兵庫文学館HP)

万葉歌碑を訪ねて(その1110)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(70)―万葉集 巻十一 二四六八

●歌は、「港葦に交れる草のしり草の人皆知りぬ我が下思ひは」である。

 

f:id:tom101010:20210724132404j:plain

奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(70)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(70)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆湖葦 交在草 知草 人皆知 吾裏念

                                   (作者未詳 巻十一 二四六八)

 

≪書き下し≫港葦(みなとあし)に交(まじ)れる草のしり草の人皆知りぬ我(あ)が下思(したも)ひは

 

(訳)河口の葦に交じっている草のしり草の名のように、人がみんな知りつくしてしまった。私のこのひそかな思いは。(伊藤 博 著 「万葉集三」 角川ソフィア文庫より)

(注)しりくさ【知り草・尻草】名詞:湿地に自生する三角藺(さんかくい)の別名。また、灯心草の別名ともいう(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)上三句が序。「知り」をおこす。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その278)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 その278のブログを書いたとき、「知り草」なる名前を初めて知りましたが、この歌が万葉集に収録されているということは、万葉時代の人々は「知り草」を知っていたということになる。自然のなかの題材をもとに、このような歌をつくるセンスの良さにあらためて感動をおぼえる。

 

 この歌は、巻十一の柿本人麻呂歌集にある「寄物陳思」(二四一五~二五〇七歌)の一首である。

 

 「寄物陳思」とは、景物に寄せて思いを述べるという意味であるが、歌の前段において景物を例示し、その景物に寄せて人事内容を詠う「序詞」を持つ歌のことである。

二四六八歌でみてみると、「『港葦(みなとあし)に交(まじ)れる草のしり草の』人皆知りぬ我(あ)が下思(したも)ひは」の歌の前段で「河口の葦に交じっている草のしり草の名のように、」と「葦に交っているしり草」に寄せて、後段で「人がみんな知りつくしてしまった。私のこのひそかな思いは。」と人事内容をより際立たせる効果を有するある種のテクニックといってもよいだろう。

 このような序詞を使った歌は、「相聞歌」に多い。その源流は、歌垣における真剣勝負にあったとみてよいだろう。ある意味、知的感動を与えることで、意中の相手の心を得るために培われた手法であったといっても過言ではないだろう。

 歌垣が人を鍛え、歌の力も培われていったと言っても過言ではない。

(注)歌垣 分類文芸:古代、春か秋かに特定の地に男女が集まり、歌を詠み交わしたり踊ったりした交歓の行事。若い男女の求愛・求婚の機会ともなった。もとは豊作を祈願する宗教的行事の一面もあったが、のちには、風流な遊びとして宮廷行事にも取り入れられた。「うたがき」は筑紫(つくし)(=九州の古名)地方の言葉で、東国では「かがい(嬥歌)」といわれ、筑波(つくば)山のものが名高い。(学研)

 

 

 二四七七歌をみてみよう。

 

◆足引 名負山菅 押伏 君結 不相有哉

                 (作者未詳 巻十一 二四七七)

 

≪書き下し≫あしひきの名負(なお)ふ山菅(やますげ)押し伏せて君し結ばば逢はずあらめやも

 

(訳)足を引っ張るという名を持つ山菅、その荒々しい菅をなぎ倒すように、私を押し伏せてあなたが契りを結ばれるのでしたら、お逢いしないこともありませんよ。(同上)

(注)上二句は序。「押し伏せて」を起こす。

 

 結構激しい歌である。掛け合いで問いかけに対し答えているから、男性側の歌を見てみたいものである。受け手の女性の歌からも相当激しく、しかも知的に響く歌だったと想像できる。歌垣の参加者が思わず息をのんで、一瞬静まり返った次の瞬間の返しの歌であるように思える。

序詞の効果を最大限発揮するかのように、三句目で間を置き、「押し伏せて」とまた間を置く。どうする、どうなる、といった期待的想像力がめぐらされる。そして一気に結句に向かう。当事者はもちろん参加者全員がこの二人を別格に祭り上げたのはいうまでもないだろう。

 

 こういったテクニックもさらに進化を見せる。いわゆる「二重の序」である。主に近畿の歌謡で見られるという。このことも歌垣等が歌のレベルを上げていった好例であろう。

 二重の序についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1053)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、『『しりくさ』は尻に敷く草の意味らしく、池や川辺の泥(デイ)湿地に群生する多年草で、別名を『三角菅(サンカクスゲ)』、『灯心草(トウシングサ)』・『鷺(サギ)尻草』と言うが、単に『尻草(知り草)』とも称した。一般的に『三角藺(サンカクイ)』と言われているが、これによく似た『七島(シチトウ)』や『害枯藺(カンガレイ)』も候補に挙がる。

 『三角藺(サンカクイ)』は茎が三角形で、藺草(イグサ)によく似ているためこの名が付く。茎の先がとがっているため『鷺の尻刺し』・『鷺の尻剣』の異名が付いているが、鷺(サギ)の尾を刺すのでという説と、鷺(サギ)の尾の形に見立てた説がある。(後略)」と書かれている。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「萬葉集相聞の世界」 伊藤 博 著 (塙書房

★「「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

万葉歌碑を訪ねて(その1109)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(69)―万葉集 巻三 二五六

●歌は、「笥飯の海の庭よくあらし刈菰の乱れて出づ見ゆ海人の釣船」である。

 

f:id:tom101010:20210723150936j:plain

奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(69)万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(69)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆飼飯海乃 庭好有之 苅薦乃 乱出所見 海人釣船

     一本云 武庫乃海能 尓波好有之 伊射里為流 海部乃釣船 浪上従所見

               (柿本人麻呂 巻三 二五六)

 

≪書き下し≫笥飯(けひ)の海(うみ)の庭(には)よくあらし刈薦(かりこも)の乱れて出(い)づ見ゆ海人(あま)の釣船(つりぶね)

     一本には「武庫(むこ)の海船庭(ふなには)ならし漁(いざ)りする海人の釣船波の上(うへ)ゆ見ゆ」といふ

 

(訳)笥飯(けい)の海の漁場は風もなく潮の具合もよいらしい。刈薦のように入り乱れて漕ぎ出ているのが見える。たくさんの漁師の釣船が。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(一本の訳)武庫の海、この海は漁場であるらしい。漁をする海人の釣船が波の上に群れているのが見える。

(注)笥飯(けひ)の海:淡路島西岸一帯の海

(注)海の庭:海の仕事場

(注)かりこもの【刈り菰の・刈り薦の】分類枕詞:刈り取った真菰(まこも)が乱れやすいことから「乱る」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

二四九から二五六歌までの歌群の題詞は、「柿本朝臣人麿羈旅歌八首」<柿本朝臣人麻呂が羈旅(きりょ)の歌八首>である。

 

この歌並びに歌群すべての歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その560、561)」で紹介している。 

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

羈旅歌八首の内の二五〇歌については、神戸市灘区岩屋中町 敏馬神社に歌碑があり、歌と共にブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その563)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「『真菰(マコモ)』はイネ科の雌雄同種の大型多年草で、戦前は各地の池や沼・小川のふちに高さ1~3メートルにもなって群生し、秋には花が咲き50cmあまりの長い穂が付く。1億数千年前の化石からもマコモが発見されており、今も形を変えることなく生息し続ける貴重な植物である。

 『菰(コモ)』は「組む」から転じた名前で、イネ科の草で『粗く織ったむしろ』をいい、後にいろんな植物でも『むしろ』が作られるようになり、本当のコモを作る草という意味で『真菰(マコモ)』と呼ばれるようになった。(後略)」と書かれている。

 

 

f:id:tom101010:20210723152225p:plain

マコモ」 (草花図鑑 野田市HPより引用させていただきました。)

 

 

 

 

 巻十五の遣新羅使人等の歌の、題詞「當所誦詠古歌」<所に当たりて誦詠(しようえい)する古歌>の中で三六〇六から三六〇九歌の四首は、同じ航路を旅した柿本人麻呂の羇旅の歌八首から四首を選び、現状に合わせて脚色している歌が収録されている。これらをみてみよう。

 

 

◆多麻藻可流 乎等女乎須疑弖 奈都久佐能 野嶋我左吉尓 伊保里須和礼波

                 (巻十五 三六〇六)

 

≪書き下し≫玉藻(たまも)刈る処女(をとめ)を過ぎて夏草の野島(のしま)が崎(さき)に廬(いほ)りす我れは

 

(訳)玉藻を刈るおとめという、その処女(おとめ)の地なのに、そこを素通りして、夏草の生い茂る野島の崎で仮の宿りをしている、我らは。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)たまもかる【玉藻刈る】分類枕詞:玉藻を刈り採っている所の意で、海岸の地名「敏馬(みぬめ)」「辛荷(からに)」「乎等女(をとめ)」などに、また、海や水に関係のある「沖」「井堤(ゐで)」などにかかる。(学研)

(注)処女:芦屋市から神戸市東部にかけての地。処女塚がある。

 

処女塚についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その562)」で紹介している。

➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

左注は、「柿本朝臣人麻呂歌曰 敏馬乎須疑弖 又曰 布祢知可豆伎奴」<柿本朝臣人麻呂が歌には「敏馬(みぬめ)を過ぎて」といふ。また「船近(ちか)づきぬ」といふ>である。

 

 

◆之路多倍能 藤江能宇良尓 伊射里須流 安麻等也見良武 多妣由久和礼乎

                 (巻十五 三六〇七)

 

≪書き下し≫白栲(しろたへ)の藤江(ふぢえ)の浦に漁(いざ)りする海人(あま)とや見らむ旅行く我(わ)れを

 

(訳)白栲(しろたえ)の藤というではないが、藤江の浦で漁をする海人だと人は見ていることだろうか、都を離れてはるばる船旅を続けて行くわれらであるのに。(同上)

(注)藤江明石市西部

 

左注は、「柿本朝臣人麻呂歌曰 安良多倍乃 又曰 須受吉都流 安麻登香見良武」<柿本朝臣人麻呂が歌には「荒栲(あらたへ)のといふ。また「鱸(すずき)釣る海人(あま)とか見らむ」といふ>である。

 

 

◆安麻射可流 比奈乃奈我道乎 孤悲久礼婆 安可思能門欲里 伊敝乃安多里見由

                 (巻十五 三六〇八)

 

≪書き下し≫天離(あまざか)る鄙(ひな)の長道(ながち)を恋ひ来(く)れば明石(あかし)の門(と)より家(いへ)のあたり見ゆ

 

(訳)都を遠く離れた鄙の地の長い道、その道中ずっと恋い焦がれながらやって来ると、明石の海峡から、我が故郷、家のあたりが見える。(同上)

 

左注は、「柿本朝臣人麻呂歌曰 夜麻等思麻見由」<柿本朝臣人麻呂が歌には「大和島(やまとしま)見ゆ」といふ>である。

 

 

◆武庫能宇美能 尓波余久安良之 伊射里須流 安麻能都里船 奈美能宇倍由見由

                  (巻十五 三六〇九)

 

≪書き下し≫武庫(むこ)の海の庭(には)よくあらし漁(いざ)りする海人(あま)の釣舟(つりぶね)波の上(うへ)ゆ見ゆ

 

(訳)武庫の海の漁場はおだやかで潮の具合もよいらしい。漁をしている海人の釣舟、その舟が今しも波の彼方に浮かんでいる。(同上)

(注)庭:仕事場。ここは漁をする海面。

 

左注は、「柿本朝臣人麻呂歌曰 氣比乃宇美能 又曰 可里許毛能 美太礼弖出見由 安麻能都里船」<柿本朝臣人麻呂が歌には、「笥飯(けひ)の海の」といふ。また、「刈り薦の乱れて出(い)づ見(み)ゆ海人の釣舟」といふ>である。

 

遣新羅使等の中で、ショータイムを演出し、長旅の一行を楽しませたり慰めるような担当の人が配置されていたのであろう。もちろん折々に一行の詠う歌を記録している者もいたのだろう。柿本人麻呂歌集や古歌集を持っていったのであろう。木簡に書かれたものを必要なだけ持って行ったのか。

 万葉集以前に存在したであろう柿本人麻呂歌集や古歌集が、万葉集に収録され、存在したであろうことが記録されているだけでも身震いがする。

 万葉集プロジェクトの偉大さがひしひしと伝わって来る。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「草花図鑑」 (野田市HP)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

万葉歌碑を訪ねて(その1108)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園   (68)―万葉集 巻十六 八三三二

●歌は、「からたちの茨刈り除け倉建てむ尿遠くまれ櫛造る刀自」である。

 

f:id:tom101010:20210722160248j:plain

奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園    (68)万葉歌碑<プレート>(忌部首黒麻呂)

●歌碑は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園    (68)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 

◆枳 棘原苅除曽氣 倉将立 尿遠麻礼 櫛造刀自

               (忌部黒麻呂 巻十六 三八三二)

 

≪書き下し≫からたちの茨(うばら)刈り除(そ)け倉(くら)建てむ屎遠くまれ櫛(くし)造る刀自(とじ)

 

(訳)枳(からたち)の痛い茨(いばら)、そいつをきれいに刈り取って米倉を建てようと思う。屎は遠くでやってくれよ。櫛作りのおばさんよ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)まる【放る】他動詞:(大小便を)する。(学研)

 

 題詞は、「忌部首詠數種物歌一首 名忘失也」<忌部首(いむべのおびと)、数種の物を詠む歌一首 名は、忘失(まうしつ)せり>である。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その209改)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 万葉集の歌の中でお下劣な歌になるだろう。このような歌まで収録するところが万葉集のふところの深さといってもよいのだろう。

 「まる(放る)」は、古語で「(大小便を)する」意であるが、「おまる」とのつながりはあるのだろうか。

 

 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「カラタチは中国原産の落葉低木で『唐橘(カラタチバナ)』の呼び名が略されたもの。春、葉が出る前に真っ白い花が咲き、甘い香りを放つ。果実は夏の間は濃い緑色で葉に入り混じって目立ちにくい。晩秋になれば黄色に熟し ピンポン玉ほどになる。ミカンと同じ香りはするが種が多く、酸っぱい上に苦いので食べられない。(後略)」と書かれている。実は漢方で利用されるようである。

 

 作者の忌部黒麻呂の歌は、もう一首収録されている。こちらもみてみよう。

 

題詞は、「夢裏作歌一首」<夢(いめ)の裏(うら)に作る歌一首>である。

 

◆荒城田乃 子師田乃稲乎 倉尓擧蔵而 阿奈干稲ゝゝ志 吾戀良久者

                  (忌部首黒麻呂 巻十六 三八四八)

 

≪書き下し≫荒城田(あらきだ)の鹿猪田(ししだ)の稲を倉に上(あ)げてあなひねひねし我(あ)が恋ふらくは

 

(訳)開いたばかりの田の、鹿や猪が荒らす山田でやっと獲った稲、その稲をお倉に納めてやたら干稲(ひね)にしてしまうように、ああ何とまあ、ひねびてからからしているんだろう、私の恋は。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)あらきだ【新墾田】:新しく切り開いて作った田。新小田(あらおだ)。(weblo辞書 デジタル大辞泉

(注の注)荒城田の鹿猪田:開墾したての実りの少ない田で、しかも鹿や猪が荒らす田

(注)倉に上げる:税を納めること。

(注)上三句は序。「ひねひねし」を起こす。

(注)ひねひねし[形シク]:いかにも古びている。盛りを過ぎている。(goo辞書)

 

 

左注は、「右歌一首忌部首黒麻呂夢裏作此戀歌贈友 覺而令誦習如前」<右の歌一首は、忌部首黒麻呂(いむべのおびとくろまろ)、夢の裏にこの恋の歌を作りて友に贈る。 覚(おどろ)きて誦習(しようしふ)せしむるに、前(さき)のごとし。>である。

(注)おどろく【驚く】自動詞:①はっと気がつく。②驚く。びっくりする。③はっと目をさます。(学研) ここでは③の意

(注)しょうしゅう【誦習】[名]:(スル)書物などを口に出して繰り返し読むこと。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)うら【裏】名詞:①内側。内部。②表に現れない内容・意味。③裏面。裏。④(衣服の)裏地。⑤連歌(れんが)・俳諧(はいかい)で、二つ折りの懐紙の裏面。また、そこに書かれた句。[反対語]①~⑤表(おもて)。(学研)

 

「荒城田の鹿猪田(開墾したての実りの少ない田で、しかも鹿や猪が荒らす田)」のフレーズで、万葉の時代から、田畑を荒らす鹿や猪などには苦労していたことがうかがえる。

 

遠い所の田んぼを守るためには、田盧(たぶせ)を立てそこで寝泊りもしたようである。

「田盧(たぶせ)」については、大伴坂上郎女の、題詞、「大伴坂上郎女竹田庄作歌二首」<大伴坂上郎女竹田庄(たけたのたどころ)にして作る歌二首>の次の歌に詠われている。

歌をみてみよう。

 

◆然不有 五百代小田乎 苅乱 田盧尓居者 京師所念

                  (大伴坂上郎女 巻八 一五九二)

 

≪書き下し≫しかとあらぬ五百代(いほしろ)小田(をだ)を刈り乱り田盧(たぶせ)に居(を)れば都し思ほゆ

 

(訳)それほど広いとも思われぬ五百代(いおしろ)の田んぼなのに、刈り乱したままで、いつまでも田中の仮小屋暮らしをしているものだから、都が偲ばれてならない。(同上)

(注)たぶせ【田伏せ】:耕作用に田畑に作る仮小屋。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その81改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております。ご容赦下さい。)

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 山の中などに作った田んぼなどは鹿や猪から守る必要があるので「山田守(やまだもる)」と詠まれている。この歌をみてみよう。

 

◆足日木乃 山之跡陰尓 鳴鹿之 聲聞為八方 山田守酢兒

                   (作者未詳 巻十 二一五六)

 

≪書き下し≫あしひきの山の常蔭(とかげ)に鳴く鹿の声聞かすやも山田守(も)らす子

 

(訳)日の射すこととてない山陰で鳴く鹿の声をいつも聞いておられることでしょうか。山田の番をしていらっしゃるあなたは。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)とかげ【常陰】名詞:(山の陰など)いつも日の当たらない場所(学研)

(注)山田守る 読み方:ヤマダモル:鳥獣に田を荒らされぬように番をすること、またその人(weblio辞書 季語・季題辞典)

 

 

◆足日木之 山田守翁 置蚊火之 下粉枯耳 余戀居久

                 (作者未詳 巻十一 二六四九)

 

≪書き下し≫あしひきの山田守(も)る翁(をぢ)が置く鹿火(かひ)の下焦(したこ)がれのみ我(あ)が恋ひ居(を)らく

 

(訳)山の田んぼを見張る翁(おきな)の焚(た)く鹿遣(かや)りの火が燻(いぶ)るように、胸の底でくすぶってばかり、私は恋い焦がれている。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)かびや【鹿火屋/蚊火屋】《「かひや」とも》田畑を鹿や猪(いのしし)などから守るために火をたく番小屋。一説に、蚊やり火をたく小屋とも。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)上三句は序。「下焦がれ」を起こす。

 

 

 農耕の様子も歌によって知ることができる。万葉集自体に事典的側面も有している。一つの歌がトリガーとなって新たな境地へ誘ってくれるのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「weblio辞書 季語・季題辞典」

 

万葉歌碑を訪ねて(その1107)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(67)―万葉集 巻十四 三四一七

●歌は、「上つ毛野伊奈良の沼の大藺草外に見しよは今こそまされ」である。

 

f:id:tom101010:20210721153822j:plain

奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(67)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(67)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆可美都氣努 伊奈良能奴麻乃 於保為具左 与曽尓見之欲波 伊麻波曽麻左礼  柿本朝臣人麻呂歌集出也

              (作者未詳 巻十四 三四一七)

 

≪書き下し≫上(かみ)つ毛(け)野(の)伊奈良(いなら)の沼の大藺草(おほゐぐさ)外(よそ)に見しよは今こそまされ

 

(訳)上野の伊奈良(いなら)の沼に生い茂る大藺草(おほゐぐさ)ではないけど、ただよそながら見ていた時よりは、我がものとした今の方が思いがつのるとは・・・。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)上三句は序。下二句の譬喩。

 

 大藺草を遠くから眺め愛しい人に喩えているのである。

 

 

 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板には、「『大藺草(オホイグサ)』は大群落をなして生える『太藺(フトイ)』のことで、別名『オオイ』とも言う。『藺草(イグサ)』に似て太いことから、太い藺草で『フトイ』の名が付くが、イグサの仲間ではない。(中略)古代の畳は、菅(スガ)・動物の皮・太糸の絹布などが用いられた。(後略)」と書かれている。

 

大藺草が詠まれた歌は、万葉集ではこの一首だけである。

 

左注に、「右廿二首上野國歌」<右の二十二首(三四〇二~三四二三歌)は上野(かみつけの)の国の歌>とあり、そのうちの一首である。(部立は「相聞」)

 

この歌ならびに上野の国の歌の他の二十一首は、原文と書き下しの形ですべてをブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その287)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

三四〇二と三四〇四歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1071)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 この歌を含め三四一五から三四一七歌の三首は、上野の国の沼が詠まれているので他の二首もみてみよう。

 

 

◆可美都氣努 伊可保乃奴麻尓 宇恵古奈宜 可久古非牟等夜 多祢物得米家武

                  (作者未詳 巻十四 三四一五)

 

≪書き下し≫上つ毛野伊香保(いかほ)の沼(ぬま)に植(う)ゑ小水葱(こなぎ)かく恋ひむとや種(たね)求めけむ 

 

 

(訳)上野の伊香保の沼に植えられたかわいい小水葱(こなぎ)、そんな子にこんなにも悩まされようってなわけで、俺はわざわざ種を求めたのだったけなあ。(同上)

(注)伊香保の沼:榛名山麓地帯の湿地。

(注)こなぎ【小水葱】名詞:「水葱(なぎ)」の別名。水生の食用植物の一つ。今のみずあおい。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)植ゑ小水葱:植え付けられた水あおい。女の譬え。

 

 

 「植ゑ小水葱」を童女に喩えた歌があるので、こちらもみてみよう。

 

題詞は、「大伴宿祢駿河麻呂娉同坂上家之二嬢歌一首」<大伴宿禰駿河麻呂、同じき坂上家の二嬢(おといらつめ)を娉(つまど)ふ歌一首>である。

(注)坂上家之二嬢:宿奈麻呂と坂上郎女との二女

 

◆春霞 春日里之 殖子水葱 苗有跡云師 柄者指尓家牟

                (大伴駿河麻呂 巻三 四〇七)

 

≪書き下し≫春霞(はるかすみ)春日(かすが)の里の植ゑ小水葱(こなぎ)苗(なへ)なりと言ひし枝(え)はさしにけむ

 

(訳)春日の里に植えられたかわいい水葱、あの水葱はまだ苗だと言っておられましたが、もう枝がさし伸びたのことでしょうね。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)植ゑ小水葱:栽培された小水葱の意

(注)枝(え)はさしにけむ:成長して大人びてきただろうの意。

 

 

 

◆可美都氣努 可保夜我奴麻能 伊波為都良 比可波奴礼都追 安乎奈多要曽祢

                  (作者未詳 巻十四 三四一六)

 

≪書き下し≫上つ毛野可保夜(かほや)が沼のいはゐつら引かばぬれつつ我(あ)をな絶えそね 

 

(訳)上野の可保夜(かほや)が沼のいわい葛(ずら)、そのかわいい葛のように、引き寄せたらすなおに寄り添うて寝て、俺との仲を絶やさないでおくれ。(同上)

(注)上三句は序。「ひかなばぬる」を起こす。

(注)いわゐづら:現在のスベリヒユ。赤みを帯びた茎は、地面をすべるように這い、枝分かれしてのびていく。(「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 )

(注)ぬる:寝るの東国形

 

 この歌の類歌が「武蔵の国の歌」にある。こちらもみてみよう。

 

◆伊利麻治能 於保屋我波良能 伊波為都良 比可婆奴流ゝゝ 和尓奈多要曽祢

                  (作者未詳 巻十四 三三七八)

 

≪書き下し≫入間道(いりまぢ)の於保屋が原(はら)のいはゐつら引かばぬるぬる我(わ)にな絶(た)えそね 

 

(訳)入間の地の於保屋(おおや)が原(はら)のいわい葛(ずら)のように、引き寄せたならそのまま滑らかに寄り添って寝て、私との仲を絶やさないようにしておくれ。(同上)

(注)於保屋(おおや)が原:入間郡越生町大谷あたりか。

 

  

f:id:tom101010:20210721155119p:plain

スベリヒユ(狛江市HPから引用させていただきました。)

 

 

 

 植物の性質を良く観察し、その特徴を自分の心情に重ねあわせて巧みな歌を詠いあげる万葉の人びとの繊細さには改めて感動させられる。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

 

万葉歌碑を訪ねて(その1106)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(66)―万葉集 巻一 六四

●歌は、「葦辺行く鴨の羽交ひに霜振りて寒き夕は大和し思ほゆ」である。

 

f:id:tom101010:20210720135832j:plain

奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(66)万葉歌碑<プレート>(志貴皇子

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(66)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆葦邊行 鴨之羽我比尓 霜零而 寒暮夕 倭之所念

                (志貴皇子 巻一 六四)

 

≪書き下し≫葦辺(あしへ)行く鴨(かも)の羽交(はが)ひに霜振(しもふ)りて寒き夕(ゆうへ)は大和し思ほゆ

 

(訳)枯葦のほとりを漂い行く羽がいに霜が降って、寒さが身にしみる夕暮は、とりわけ故郷大和が思われる。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)はがひ【羽交ひ】名詞:鳥の左右の翼が重なり合う部分。また、転じて、鳥の翼。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)おもほゆ【思ほゆ】自動詞:(自然に)思われる。 ※動詞「思ふ」+上代の自発の助動詞「ゆ」からなる「思はゆ」が変化した語。「おぼゆ」の前身。(学研)

 

 

題詞は、「慶雲三年丙午幸于難波宮時 志貴皇子御作歌」<慶雲(きやううん)三年丙午(ひおえうま)に、難波(なには)の宮に幸(いでま)す時 志貴皇子(しきのみこ)の作らす歌>である。

(注)慶雲三年:706年、文武天皇時代。

 

 

「葦」を詠みこんだ歌は万葉集では五〇首にのぼる。

 

「植物で見る万葉の世界」 (國學院大學 萬葉の花の会 著)には、「アシはイネ科の多年草で、根茎を縦横に張り、高さ1~3mになる。(中略)発音が『悪し』と同じであることを嫌い、その反対の意味の『良し』=ヨシに言い変えられている。日本人の暮らしに深く根を張っている葦は、生活材、祭事等に広く使われている。葦簀(よしず)や簾(すがれ)、葦葺き屋根の材料や壁材、和楽器の笙やひちりきにも使われる。若芽は食用となり、葉は粽(ちまき)を包む笹の代わりにも使われる。根茎は、漢方薬で、健胃・利尿に、あるいは、消炎剤として使われる」とある。

 

 日本の美称は「豊葦原の瑞穂の国」である。

 

 この歌ならびに、「あしはらのみずほのくに」で始まる歌のさわりについてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その272)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

志貴皇子の子供には、万葉歌人湯原王、白壁皇子(後の光仁天皇)、春日王らがいるが、春日王ならびに湯原王の歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1077)」で紹介している。

➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 志貴皇子の歌は万葉集では六首収録されているが、五一、六四、一四一八歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その28改)」で紹介している。(28、29改いずれも、初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております。ご容赦下さい。)

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 二六七、五一三、一四六六歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その29改)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 五一三歌については、奈良県高市郡明日香村の大原で詠まれている。明日香村     万葉文化館入口交差点近くにあるこの歌碑については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その179改)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 大原の里は、藤原鎌足の誕生の地と言われている。

 

 大原の里に降った大雪を巡って、天武天皇と藤原夫人のユーモアあふれる贈答歌が微笑ましい。歌をみてみよう。

 

標題は、「明日香清御原宮御宇天皇代 天渟中原瀛真人天皇天武天皇」<明日香(あすか)の清御原(きよみはら)の宮(みや)に天の下知らしめす天皇の代 天渟中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)謚(おくりな)して天武天皇(てんむてんのう)といふ>である。

 

 題詞は、「天皇賜藤原夫人御歌一首」<天皇、藤原夫人(ふぢはらのぶにん)に賜ふ御歌一首>である。

(注)藤原夫人:藤原鎌足の女(むすめ)、五百重娘(いおえのいらつめ)

 

 

◆吾里尓 大雪落有 大原乃 古尓之郷尓 落巻者後

                (天武天皇 巻二 一〇三)

 

≪書き下し≫我(わ)が里に大雪(おほゆき)降(ふ)れり大原(おほはら)の古(ふ)りにし里に降(ふ)らまくは後(のち)

 

(訳)わがこの里に大雪が降ったぞ。そなたが住む大原の古ぼけた里に降るのは、ずっとのちのことでござろう。(同上)

(注)まく :…だろうこと。…(し)ようとすること。 ※派生語。 ⇒ 語法 活用語の未然形に付く。 ⇒ なりたち 推量の助動詞「む」の古い未然形「ま」+接尾語「く」(学研)

 

 

 次に、藤原夫人の歌をみてみよう。

 

題詞は、「藤原夫人奉和歌一首」<藤原夫人、和(こた)へ奉(まつ)る歌一首>である。

 

 

◆吾岡之 於可美尓言而 令落 雪之摧之 彼所尓塵家武

              (藤原夫人 巻二 一〇四)

 

≪書き下し≫我が岡のおかみに言ひて降らしめし雪のくだけしそこに散りけむ

 

(訳)私が住むこの岡の水神に言いつけて降らせた雪の、そのかけらがそちらの里に散ったのでございましょう。(同上)

(注)おかみ:水を司る龍神

(注)ふじん【夫人】名詞:①天皇の配偶者で、皇后・妃に次ぐ位の女性。②貴人の妻。 ※「ぶにん」とも。(学研)

 

  この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その158改)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 「大原(おほはら)の古(ふ)りにし里に降(ふ)らまくは後(のち)」との揶揄に対して、藤原夫人は、「おかみに言ひて降らしめし雪のくだけしそこに散りけむ」と言い返している。相手の突っ込みに、知的にうまく反発していく「ああ言えばこう言う」式のやり取りは、お互いの距離を近づけるようである。

 

万葉集は口誦歌を記録するという意味で画期的なプロジェクトである。また、それを支えるインフラとして膨大な歌が、「歌垣」で生み出されていたと考えられるのである。「歌垣」は個人的に見れば人生を左右する場であり、よき伴侶を得られる機会であるので、当然、人となりが注目される場である。衆目の眼の中で、自分のこれという相手を選び、また相手からも認めてもらわないといけない。こういう真剣勝負的な場であったから、大勢のライバルの中で際立ち周りを納得させた歌は、口誦され、さらに磨きがかけられて、やがては万葉集に収録されるという結果になったのであろう。

 歌垣は「歌掛き」であり、東国では「カガヒ」と言った。「掛ケ合ヒ」あるいは「掛キ合ヒ」である。歌垣の本質は、歌を掛け合うことにあったのである。

 万葉集を支えたであろう膨大な口誦された歌が生まれたであろう歌垣についても機会があれば調べて行きたい。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「万葉集の心を読む」 上野 誠 著 (角川文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

 

 

万葉歌碑を訪ねて(その1105)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(65)―万葉集 巻六 九四二

●歌は、「・・・敷栲の枕もまかず桜皮巻き作れる船に真楫貫き我が漕ぎ来れば・・・」である。

 

f:id:tom101010:20210719141316j:plain

奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(65)万葉歌碑<プレート>(山部赤人

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(65)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 

◆味澤相 妹目不數見而 敷細乃 枕毛不巻 櫻皮纒 作流舟二 真梶貫 吾榜来者 淡路乃 野嶋毛過 伊奈美嬬 辛荷乃嶋之 嶋際従 吾宅乎見者 青山乃 曽許十方不見 白雲毛 千重尓成来沼 許伎多武流 浦乃盡 徃隠 嶋乃埼ゝ 隈毛不置 憶曽吾来 客乃氣長弥

                 (山部赤人 巻六 九四二)

 

≪書き下し≫あぢさはふ 妹(いも)が目離(か)れて 敷栲(しきたへ)の 枕もまかず 桜皮(かには)巻(ま)き 作れる船に 真楫(まかぢ)貫(ぬ)き 我が漕(こ)ぎ来(く)れば 淡路(あはぢ)の 野島(のしま)も過ぎ 印南(いなみ)都(つ)麻(ま) 唐荷(からに)の島の 島の際(ま)ゆ 我家(わぎへ)を見れば 青山(あをやま)の そことも見えず 白雲(しらくも)も 千重(ちへ)になり来(き)ぬ 漕ぎたむる 浦のことごと 行(ゆ)き隠(かく)る 島の崎々 隈(くま)も置かず 思ひぞ我(わ)が来る 旅の日(け)長み

 

(訳)いとしいあの子と別れて、その手枕も交わしえず、桜皮(かにわ)を巻いて作った船の舷(ふなばた)に櫂(かい)を通してわれらが漕いで来ると、いつしか淡路の野島も通り過ぎ、印南都麻(いなみつま)をも経て唐荷の島へとやっと辿(たど)り着いたが、その唐荷の島の、島の間から、わが家の方を見やると、そちらに見える青々と重なる山のどのあたりがわが故郷なのかさえ定かでなく、その上、白雲までたなびいて幾重にも間を隔ててしまった。船の漕ぎめぐる浦々、行き隠れる島の崎々、そのどこを漕いでいる時もずっと、私は家のことばかりを思いながら船旅を続けている。旅の日数(ひかず)が重なるままに。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

(注)あぢさはふ 分類枕詞:①「目」にかかる。語義・かかる理由未詳。②「夜昼知らず」にかかる。語義・かかる理由未詳。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)しきたへの【敷き妙の・敷き栲の】分類枕詞:「しきたへ」が寝具であることから「床(とこ)」「枕(まくら)」「手枕(たまくら)」に、また、「衣(ころも)」「袖(そで)」「袂(たもと)」「黒髪」などにかかる。(学研)

 

(注)かにわ〔かには〕【樺/桜皮】:シラカバの古名か。この木の皮を刀や弓の柄に巻いたり、舟や器物に巻いたという。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注の注)桜皮(かには):万葉の時代、器物では表面に巻き付けて、蔽(おおい)や接合に用い、船では木材の接合部に用い防水の役目を果たしていた。

(注)まかぢ【真楫】名詞:楫の美称。船の両舷(りようげん)に備わった楫の意とする説もある。「まかい」とも ※「ま」は接頭語。(学研)

(注)ぬく【貫く】他動詞:通す。つらぬく。(学研)

(注)印南都麻(いなみつま):加古川河口の三角州か

 

 題詞は、「過辛荷嶋時山部宿祢赤人作歌一首并短歌」<唐荷(からに)の島を過ぐる時に、山部宿禰赤人が作る歌一首并せて短歌>である。

(注)辛荷(からに)の島:兵庫県西部、室津沖合の島。

 

これらの歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その284)」でも紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

反歌三首」も見ておこう。

 

◆玉藻苅 辛荷乃嶋尓 嶋廻為流 水島二四毛有哉 家不念有六

               (山部赤人 巻六 九四三)

 

≪書き下し≫玉藻(たまも)刈る唐荷(からに)の島に島廻(しまみ)する鵜(う)にしもあれや家思(おも)はずあらむ

 

(訳)この私は、玉藻を刈る唐荷(からに)の島で餌を求めて磯を巡っている鵜ででもあるというのか、鵜ではないのだから、どうして家のことを思わずにいられよう。(同上)

(注)鵜にしもあれやの「や」は疑問的反語

 

 

◆嶋隠 吾榜来者 乏毳 倭邊上 真熊野之船

                 (山部赤人 巻六 九四四)

 

≪書き下し≫島隠(がく)り我(わ)が漕ぎ来(く)れば羨(とも)しかも大和(やまと)へ上(のぼ)るま熊野(くまの)の船

 

(訳)島陰を伝いながらわれらが漕いで来ると、ああ、何とも羨ましい。家郷大和の方へ上って行くよ、ま熊野の船が。(同上)

(注)ともし【羨し】形容詞: ①慕わしい。心引かれる。②うらやましい。(学研)

(注)ま熊野の船」熊野製の船。熊野は良船の産地。

 

 

◆風吹者 浪可将立跡 伺候尓 都太乃細江尓 浦隠居

             (山部赤人 巻六 九四五)

 

≪書き下し≫風吹けば波か立たむとさもらひに都太(つだ)の細江(ほそえ)に浦隠(うらがく) り居(を)り

 

(訳)風が吹くので、波が高く立ちはせぬかと、様子を見て都太(つだ)の細江の浦深く隠(こも)っている。(同上)

(注)さもらふ【候ふ・侍ふ】自動詞:①ようすを見ながら機会をうかがう。見守る。②貴人のそばに仕える。伺候する。 ※「さ」は接頭語。(学研)

(注)都太の細江:姫路市船場川の河口の入江。

 

相生市相生金ヶ崎 万葉岬(HOTEL万葉岬前)に行った時の歌碑についてブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その687)」で紹介している万葉岬からは歌の舞台「辛荷島」が見渡せる。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

「桜皮(かには)」を詠みこんだ歌は、万葉集ではこの一首であるので、具体的にどの植物であるかについては特定しづらく、シラカバ、チョウジザクラ、ウワミズザクラなどの諸説がある。

 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「『かには』は各地の山野に自生する10m程の落葉高木『上溝桜(ウワミズザクラ)』を指す説が有力である。他説に『白樺(シラカバ)【カバノキ科】』『丁子桜(チョウジザクラ)【バラ科】』などの他説がある。『かには』は『桜皮(カニワ)』と書き、文字通り『桜の樹皮』だとする説があり、器物では表面に巻き付けて蔽(オオ)いや接合を、船では木材の接合部分に用い防水効果に使われた。(後略)」と書かれている。

 

 万葉の時代の造船技術も大したものである。万葉集を通じてこのようなことを学べるのも有り難いことである。

 「ウワミズザクラ (みんなの趣味の園芸 NHK出版HPより引用させていただきました。)」

 

 

 枕詞「あぢさはふ」について、「目」あるいは「夜昼知らず」にかかる、とあり、語義・かかる理由未詳となっている。

 朴炳植氏は、「『万葉集』は韓国語で歌われた 『万葉集の発見』」(学習研究社)のなかで、「『味沢相』は、『非常にしげしげと会う」の意である。この場合の『味』は、韓国語の『アズ(AJU)=非常に』または『マッ=味』から終子音を省略した『マ=真=ほんとうに』のどちらとも取れる。『沢』は「サハ=多い・たくさん」であり、『相』はずばり『会う』であるから、総合すると『非常にしげしげと会う』という意味に使われた(後略)』と書かれている。

 これはなかなか説得力がある。「目」あるいは「夜昼知らず」にかかる枕詞として違和感はない。

 韓国語からのアプローチもすてたものではないように思える。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「『万葉集』は韓国語で歌われた 『万葉集の発見』」 朴 炳植 著 (学習研究社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「みんなの趣味の園芸」 (NHK出版HP)