万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1788)―橿原市明日香村 紀寺跡(明日香庭球場)―万葉集巻七 一〇九六

●歌は、「いにしへのことは知らぬを我れ見ても久しくなりぬ天の香具山」である。

橿原市明日香村 紀寺跡<明日香庭球場>万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、橿原市明日香村 紀寺跡(明日香庭球場)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆昔者之 事波不知乎 我見而毛 久成奴 天之香具山

       (作者未詳 巻七 一〇九六)

 

≪書き下し≫いにしへのことは知らぬを我(わ)れ見ても久しくなりぬ天(あめ)の香具山(かぐやま)

 

(訳)過ぎ去った遠い時代のことはわからないけれども、私が見はじめてからでも、もうずいぶんのあいだ、変わることもなく神々(こうごう)しく聳(そび)えている。天の香具山は。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)を 接続助詞《接続》活用語の連体形に付く。まれに体言に付く。:①〔逆接の確定条件〕…のに。…けれども。②〔順接の確定条件〕…ので。…から。③〔単純接続〕…と。…ところ。…が。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意

(注)我見ても:私が見始めてからも・(伊藤脚注)

 

 奈良県HP「はじめての万葉集 vol15『天の香具山』」に「・・・万葉歌にもさまざまな山が詠まれていますが、その中のひとつに、香具山(現在の地名は天香久山)があります。

 香具山は『万葉集』の中で唯一『天の』と表現されています。歴代の天皇が登って『国を見る』ことで国土を治める儀式をしたという場所であり、天から降ってきたという伝説もある山です。天照大神(あまてらすおおみかみ)が岩戸に隠れて地上は闇に閉ざされた、という『古事記』や『日本書紀』にある神話の中にも、天上世界の山として同じ名が登場します。実際の香久山は、わずか百五十メートル程の高さしかありませんが、天に続く神聖な山だと考えられていたようです。・・・」と書かれている。

 

 「天の香具山」、「香具山」と詠まれた歌は十三首収録されている。みてみよう。

 

■二歌■

◆山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多都 怜A國曽 蜻嶋 八間跡能國者

       (舒明天皇 巻一 二)

 

≪書き下し≫大和(やまと)には 群山(むらやま)あれど とりよろふ 天(あめ)の香具山 登り立ち 国見(くにみ)をすれば 国原くにはら)は 煙(けぶり)立ち立つ 海原(うなはら)は 鷗(かまめ)立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は                        

(訳)大和には群がる山々があるけれども、中でも精霊のとりわけ神々しくよりつく天の香具山、この山の頂きに出で立って国見をすると。国原にはけむりが盛んに立ち上っている。海原にはかもめが盛んに飛び立っている。ああよい国だ。蜻蛉(あきず)島大和の国は。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)とりよろふ 自動詞:天(あま)の香具山(かぐやま)をほめていう語。 ※用例が引用した歌の一例しかなく、語義未詳の語。上代語。(学研)

(注の注)とりよろふ:精霊の神々しくよりつく意か。(伊藤脚注)

(注)海原は 鷗立ち立つ海原:池を海に、池辺の水鳥を鷗に見立てたもの。(伊藤脚注)

(注)うまし【甘し・旨し・美し】(シク活用):すばらしい。立派だ。よい。 ⇒参考:中古以降ク活用が一般的になった。上代には、シク活用は、用例(うまし国)のように、語幹(終止形と同形)が体言を修飾した。(学研)

(注)あきづしま【秋津島蜻蛉島】分類枕詞:「やまと(大和・日本)」にかかる。「あきづしま大和」(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1784)」で紹介している。

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■十三歌■

高山波 雲根火雄男志等 耳梨與 相諍競伎 神代従 如此尓有良之 古昔母 然尓有許曽 虚蝉毛 嬬乎 相格良思吉

       (中大兄皇子 巻一 十三)

 

≪書き下し≫香具山(かぐやま)は 畝傍(うねび)を惜(を)しと 耳成(みみなし)と 相争(あいあらそ)ひき 神代(かみよ)より かくにあるらし 古(いにしえ)も しかにあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき

 

(訳)香具山は、畝傍をば失うには惜しい山だと、耳成山と争った。神代からこんな風であるらしい。いにしえもそんなふうであったからこそ、今の世の人も妻を取りあって争うのであるらしい。(同上)

(注)畝傍を惜しと:畝傍を失うのは惜しいと。(伊藤脚注)

(注)古も:現在にずっと続いてきている過去をいう。伊藤脚注)

(注)しかにあれこそ うつせみも:そうであればこそ現世の人も・・・。今在る事を神代からの事として説明するのは神話の型。(伊藤脚注)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1713)で紹介している。

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■十四歌■

高山与 耳梨山与 相之時 立見尓来之 伊奈美國波良

      (中大兄皇子 巻一 十四)

 

≪書き下し≫香具山耳成山と闘(あ)ひし時立ちて見に来(こ)し印南国原(いなみくにはら)

 

(訳)香具山と耳成山とが妻争いをした時、阿菩大神(あぼのおおみかみ)がみこしをあげて見にやって来たという地だ、この印南国原は。(同上)

(注)立ちて見に来し:御輿をあげて見に来たという(伊藤脚注)

(注)印南国原:明石から加古川あたりにかけての平野(伊藤脚注)

(注)阿菩大神(あぼのおおみかみ):出雲系神話の神。大和(やまと)三山の妻争い神話で、仲裁に出雲から大和へ行く途中、いさかいが終わったことを聞き、播磨(はりま)国揖保(いぼ)郡上岡の里に鎮座したという。「播磨国風土記」に見える。(コトバンク 三省堂大辞林 第三版)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その622)」で紹介している。

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■二八歌■

◆春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山

    (持統天皇 巻一 二八)

 

≪書き下し≫春過ぎて夏来(きた)るらし白栲(しろたへ)の衣干したり天の香具山

 

(訳)今や、春が過ぎて夏がやってきたらしい。あの香具山にまっ白い衣が干してあるのを見ると。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)しろたへ【白栲・白妙】名詞:①こうぞ類の樹皮からとった繊維(=栲)で織った、白い布。また、それで作った衣服。②白いこと。白い色。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 (注の注)ここは、まっ白いの意。「栲」は楮の樹皮で作った白い布。(伊藤脚注)

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その117改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。)

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■五二歌■

◆八隅知之 和期大王 高照 日之皇子 麁妙乃 藤井我原尓 大御門 始賜而 埴安乃 堤上尓 在立之 見之賜者 日本乃 青香具山者 日經乃 大御門尓 春山跡 之美佐備立有 畝火乃 此美豆山者 日緯能 大御門尓 弥豆山跡 山佐備伊座 耳為之 青菅山者 背友乃 大御門尓 宣名倍 神佐備立有 名細 吉野乃山者 影友乃 大御門従 雲居尓曽 遠久有家留 高知也 天之御蔭 天知也 日之御影乃 水許曽婆 常尓有米 御井之清水

       (作者未詳 巻一 五二)

 

≪書き下し≫やすみしし 我ご大君 高照らす 日の皇子 荒栲の 藤井が原に 大御門 始めたまひて 埴安の 堤の上に あり立たし 見したまへば 大和の 青香具山は 日の経の 大御門に 春山と 茂みさび立てり 畝傍の この瑞山は 日の緯の 大御門に 瑞山と 山さびいます 耳成の 青菅山は 背面の 大御門に よろしなへ 神さび立てり 名ぐはし 吉野の山は かげともの 大御門ゆ 雲居にぞ 遠くありける 高知るや 天の御蔭 天知るや 日の御蔭の 水こそば とこしへにあらめ 御井のま清水

 

(訳)あまねく天の下を支配せられるわが大君、高々と天上を照らしたまう日の神の皇子、われらの天皇(すめらみこと)が藤井が原のこの地に大宮(おおみや)をお造りになって、埴安の池の堤の上にしっかと出で立ってご覧になると、ここ大和の青々とした香具山は、東面(ひがしおもて)の大御門(おおみかど)にいかにも春山(はるやま)らしく茂り立っている。畝傍のこの瑞々(みずみず)しい山は、西面(にしおもて)の大御門にいかにも瑞山(みずやま)らしく鎮まり立っている。耳成の青菅(あおすが)茂る清々(すがすが)しい山は、北面(きたおもて)の大御門にふさわしく神さび立っている。名も妙なる吉野の山は、南面(みなみおもて)の大御門からはるか向こう、雲の彼方(かなた)に連なっている。佳山々に守られた、高く聳え立つ御殿、天(あめ)いっぱいに広がり立つ御殿、この大宮の水こそは、とこしえに湧き立つことであろう。ああ御井(みい)の真清水は。(同上)

(注)藤井が原:藤の茂る井のある原。(伊藤脚注)

(注)埴安の(池):香具山の麓にあった池。(伊藤脚注)

(注)ありたつ【あり立つ】自動詞:①いつも立っている。ずっと立ち続ける。②繰り返し出かける。(学研)ここでは①の意

(注)よろしなへ【宜しなへ】副詞:ようすがよくて。好ましく。ふさわしく。 ※上代語。(学研)

(注)たかしる 高知る】他動詞:①立派に造り営む。立派に建てる。②立派に治める。 ※「たか」はほめことば、「しる」は思うままに取りしきる意。(学研)ここでは①の意

 

 

■一九九歌■

◆・・・吾大王之 萬代跡 所念食而 作良志之 香来山之宮 萬代尓 過牟登念哉 天之如 振放見乍 玉手次 懸而将偲 恐有騰文

      (柿本人麻呂 巻二 一九九)

 

≪書き下し≫・・・我(わ)が大君の 万代(よろづよ)と 思ほしめして 作らしし 香具山(かぐやま)の宮 万代に 過ぎむと思へや 天(あめ)のごと 振り放(さ)け見つつ 玉たすき 懸けて偲はむ 畏(かしこ)くあれども

 

(訳)・・・我が大君が千代万代(よろずよ)にと思し召して造られた香具山の宮、この宮はいついつまでも消えてなくなることなどあるはずがない。天(あま)つ空(ぞら)を仰ぎ見るように振り仰ぎながら、深く深く心に懸けてお偲びしてゆこう。恐れ多いことではあるけれども。(同上)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1787)」で紹介している。

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■二五七歌■

◆天降付 天之芳来山 霞立 春尓至婆 松風尓 池浪立而 櫻花 木乃晩茂尓 奥邊波 鴨妻喚 邊津方尓 味村左和伎 百礒城之 大宮人乃 退出而 遊船尓波 梶棹毛 無而不樂毛 己具人奈四二

      (鴨君足人 巻三 二五七)

 

≪書き下し≫天降(あも)りつく 天(あめ)の香具山 霞(かすみ)立つ 春に至れば 松風に 池波立ちて 桜花(さくらばな) 木(こ)の暗茂(くれしげ)に 沖辺(おきへ)には 鴨(かも)妻(つま)呼(よ)ばひ 辺(へ)つ辺(へ)に あぢ群騒(むらさわ)き ももしきの 大宮人(おおみやひと)の 退(まか)り出(で)て 遊ぶ船には 楫棹(かぢさを)も なくてさぶしも 漕(こ)ぐ人なしに

 

(訳)天から降って居ついたという天の香具山、この山では、霞のかかる春になると、松を渡る風に麓の池の波が立て、桜の花も木蔭いっぱいに咲き乱れ、池の沖の方には鴨がつがいを呼び、岸辺ではあじ鴨の群れが騒いでいるけれども、ももしきの宮仕えの人びとが御殿から退出していつも遊んだ船には、今や櫂(かい)も棹(さお)もなくて物さびしい。船を漕ぐ人もいなくて。(同上)

(注)あもりつく【天降り付く】の解説:[枕]香具山 (かぐやま) が天上から降ったという伝説から、「天の香具山」「神の香具山」にかかる。(goo辞書)

(注)かすみたつ【霞立つ】分類枕詞:「かす」という同音の繰り返しから、地名の「春日(かすが)」にかかる。「かすみたつ春日の里」(学研)>春の枕詞。(伊藤脚注)

(注)このくれ【木の暗れ・木の暮れ】名詞:木が茂って、その下が暗いこと。また、その暗い所。「木の暮れ茂(しげ)」「木の暮れ闇(やみ)」とも。(学研)

(注)へつ【辺つ】分類連語:海辺近くの。岸辺の。 ※「つ」は「の」の意の上代の格助詞。(学研)

(注)あぢ【䳑】名詞:水鳥の名。秋に飛来し、春帰る小形の鴨(かも)。あじがも。ともえがも。(学研)

 

 

■二五九歌■

◆何時間毛 神左備祁留鹿 香山之 鉾椙之本尓 薜生左右二

       (鴨君足人 巻三 二五九)

 

≪書き下し≫いつの間(ま)も神(かむ)さびけるか香具山(かぐやま)の桙杉(ほこすぎ)の本(もと)に苔(こけ)生(む)すまでに

 

(訳)いつの間にこうも人気がなく神さびてしまったのか。香具山の尖(とが)った杉の大木の、その根元に苔が生すほどに。(同上)

(注)ほこすぎ【矛杉・桙杉】:矛のようにまっすぐ生い立った杉。(広辞苑無料検索)

(注)桙杉(ほこすぎ)の本(もと):矛先の様にとがった、杉の大木のその根元。(伊藤脚注)

 

 

■二六〇歌■

◆天降就 神乃香山 打靡 春去来者 櫻花 木暗茂 松風丹 池浪飆 邊都遍者 阿遅村動 奥邊者 鴨妻喚 百式乃 大宮人乃 去出 榜来舟者 竿梶母 無而佐夫之毛 榜与雖思

       (作者未詳 巻三 二六〇)

 

≪書き下し>天降(あも)りつく 神(かみ)の香具山 うち靡(なび)く 春さり来れば 桜花 木の暗茂に 松風に 池波立ち 辺つ辺には あぢ群騒き 沖辺には 鴨妻呼ばひ ももしきの 大宮人の 退り出て 漕ぎける船は 棹楫も なくて寂しも 漕がむと思へど

 

(訳)天から降って居ついた神山である天の香具山、この山に草木の靡く春がやってくると、桜の花が木蔭いっぱいに咲き乱れ、松を渡る風に、麓の池の波が立ち、その岸辺にはあじ鴨の群れが騒ぎ、沖の方には鴨がつがいを呼んでいる。だがしかし、ももしきの宮仕えの人びとが御殿から退出していつもここで漕いでいた船には、今や棹(さお)や櫂(かい)もなく、物さびしい。その船を漕いでみようと思ったものの。(同上)

(注)うちなびく【打ち靡く】分類枕詞:なびくようすから、「草」「黒髪」にかかる。また、春になると草木の葉がもえ出て盛んに茂り、なびくことから、「春」にかかる。(学研)

 

 二五七、二五九、二六〇歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1466)」で紹介している。

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■三三四歌■

◆萱草 吾紐二付 香具山乃 故去之里乎 忘之為

       (大伴旅人 巻三 三三四)

 

≪書き下し≫忘れ草我(わ)が紐(ひも)に付く香具山の古りにし里を忘れむがため

 

(訳)忘れ草、憂いを忘れるこの草を私の下紐に付けました。香具山のあのふるさと明日香の里を、いっそのこと忘れてしまうために。(同上)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その506)」で紹介している。

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■一〇九六歌■

前出の歌碑の歌

 

 

■一八一二歌■

◆久方之 天芳山 此夕 霞霏▼ 春立下

      (柿本人麻呂歌集 巻十 一八一二)

※ ▼は、「雨かんむり+微」である。「霏▼」で「たなびく」と読む。

 

≪書き下し≫ひさかたの天(あめ)の香具山(かぐやま)この夕(ゆうへ)霞(かすみ)たなびく春立つらしも                           

 

(訳)ひさかたの天の香具山に、この夕べ、霞がたなびいている。まさしく春になったらしい。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1785)」で紹介している。

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■二四四九歌■

香山尓 雲位桁曵 於保々思久 相見子等乎 後戀牟鴨

       (柿本人麻呂歌集 巻十一 二四四九)

 

≪書き下し≫香具山に雲居たなびきおほほしく相見し子らを後恋ひむかも

 

(訳)香具山に雲がたなびいてはっきり見えないように、ぼんやりと見ただけの子なのに、この子にのちになって恋い焦がれることであろうか。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は序。「おほほしく」を起こす。(伊藤脚注)

(注)おほほし 形容詞:①ぼんやりしている。おぼろげだ。②心が晴れない。うっとうしい。③聡明(そうめい)でない。 ※「おぼほし」「おぼぼし」とも。上代語。(学研)ここでは①の意

 

 香具山も「高山」、「香来山」、「芳来山」、「香具山」、「芳山」、「香山」と表記されている。

 

 前に来た時は明日香庭球場駐車場に停めてからあちこち探し回ったのである。テニスコート周辺、隣接する田畑などうろつき回りあきらめかけていた時に駐車場の道路わきの茂みの中で見つけたのである。

 今回は駐車場北西角に車を停める。歌碑はすぐそこにある。前回の経験がいきたのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 三省堂大辞林 第三版」

★「橿原の万葉歌碑めぐり」 (橿原市パンフレット)

万葉歌碑を訪ねて(その1787)―橿原市木之本町 畝尾都多本神社―万葉集巻二 二〇二

●歌は、「哭沢の神社に御瓶据ゑ折れども我が大君は高日知らしぬ」である。

橿原市木之本町 畝尾都多本神社万葉歌碑(檜隈女王)

●歌碑は、橿原市木之本町 畝尾都多本神社にある。

 

●歌をみていこう。

 

 この歌は、一九九から二〇一歌の歌群の題詞「高市皇子尊城上殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首 幷短歌」<高市皇子尊(たけちのみこのみこと)の城上(きのへ)の殯宮(あらきのみや)の時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首 幷(あは)せて短歌>の「或書の反歌一首」のである。

 

■二〇二歌■

 題詞は、「或書反歌一首」<或書の反歌一首>である。

(注)長歌の異文系統の反歌だったのか。(伊藤脚注)

 

◆哭澤之 神社尓三輪須恵 雖祷祈 我王者 高日所知奴

       (檜隈女王 巻二 二〇二)

 

≪書き下し≫哭沢(なきさわ)の神社(もり)に御瓶(みわ)据(す)ゑ祈れども我(わ)が大君は高日(たかひ)知らしぬ

 

(訳)哭沢(なきさわ)の神社(やしろ)に御酒(みき)を据え参らせて無事をお祈りしたけれども、我が大君は、空高く昇って天上を治めておられる。(同上)

(注)哭沢(なきさわ)の神社(もり):香具山西麓の神社。(伊藤脚注)

(注)たかひしる【高日知る】分類連語:死んで神として天上を治める。または、天皇・皇子が死ぬことを婉曲的にいう。(学研)

 

左注は、「右一首類聚歌林曰 檜隈女王怨泣澤神社之歌也 案日本紀云十年丙申秋七月辛丑朔庚戌後皇子尊薨」<右の一首は、類聚歌林(るいじうかりん)には、「檜隈女王(ひのくまのおほきみ)、哭沢(なきさわ)の神社(もり)を怨(うら)むる歌なり」といふ。日本紀(にほんぎ)を案(かむが)ひるに、日(い)はく、「十年丙申(ひのえさる)の秋の七月辛丑(かのとうし)の朔(つきたち)の庚戌(かのえいぬ)に、後皇子尊(のちのみこのみこと)薨(こう)ず」といふ>である。

(注)檜隈女王( ひのくまのおほきみ):「?-? 奈良時代歌人。『万葉集』の高市(たけちの)皇子への挽歌(ばんか)の中に泣沢(なきさわ)神社をうらんだ反歌1首がみえる。高市皇子の縁者とおもわれる。天平(てんぴょう)9年(737)には従四位上をさずけられている。」(コトバンク 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus)

(注)後皇子尊:高市皇子草壁皇子尊に対して「後皇子尊」という。(伊藤脚注)

歌の解説案内板

 

 一九九歌ならびに反歌二首も併せてみてみよう。

 

■一九九歌■

◆挂文 忌之伎鴨 <一云 由遊志計礼抒母> 言久母 綾尓畏伎 明日香乃 真神之原尓 久堅能 天都御門乎 懼母 定賜而 神佐扶跡 磐隠座 八隅知之 吾大王乃 所聞見為 背友乃國之 真木立 不破山越而 狛劔 和射見我原乃 行宮尓 安母理座而 天下 治賜 <一云 掃賜而> 食國乎 定賜等 鶏之鳴 吾妻乃國之 御軍士乎 喚賜而 千磐破 人乎和為跡 不奉仕 國乎治跡 <一云 掃部等> 皇子随 任賜者 大御身尓 大刀取帶之 大御手尓 弓取持之 御軍士乎 安騰毛比賜 齊流 鼓之音者 雷之 聲登聞麻▼ 吹響流 小角乃音母 <一云 笛之音波> 敵見有 虎可▼2吼登 諸人之 恊流麻▼尓 <一云 聞或麻▼> 指擧有 幡之靡者 冬木成 春去来者 野毎 著而有火之 <一云 冬木成 春野焼火乃> 風之共 靡如久 取持流 弓波受乃驟 三雪落 冬乃林尓<[一云 由布乃林> 飃可毛 伊巻渡等 念麻▼ 聞之恐久 <一云 諸人 見或麻▼尓> 引放 箭之繁計久 大雪乃 乱而来礼 <一云 霰成 曽知余里久礼婆> 不奉仕 立向之毛 露霜之 消者消倍久 去鳥乃 相競端尓 <一云 朝霜之 消者消言尓 打蝉等 安良蘇布波之尓> 渡會乃 齋宮従 神風尓 伊吹或之 天雲乎 日之目毛不令見 常闇尓 覆賜而 定之 水穂之國乎 神随 太敷座而 八隅知之 吾大王之 天下 申賜者 萬代尓 然之毛将有登 <一云 如是毛安良無等> 木綿花乃 榮時尓 吾大王 皇子之御門乎 <一云 刺竹 皇子御門乎> 神宮尓 装束奉而 遣使 御門之人毛 白妙乃 麻衣著 埴安乃 門之原尓 赤根刺 日之盡 鹿自物 伊波比伏管 烏玉能 暮尓至者 大殿乎 振放見乍 鶉成 伊波比廻 雖侍候 佐母良比不得者 春鳥之 佐麻欲比奴礼者 嘆毛 未過尓 憶毛 未不盡者 言左敝久 百濟之原従 神葬 々伊座而 朝毛吉 木上宮乎 常宮等 高之奉而 神随 安定座奴 雖然 吾大王之 萬代跡 所念食而 作良志之 香来山之宮 萬代尓 過牟登念哉 天之如 振放見乍 玉手次 懸而将偲 恐有騰文

      (柿本人麻呂 巻二 一九九)

 ▼は、「亻に弖」⇒「麻▼」=「まで」  

 ▼2は、「口偏にリ」⇒「虎可▼2吼登」=「虎か吼(ほ)ゆると」

 

≪書き下し≫かけまくも ゆゆしきかも <一には「ゆゆしけれども」といふ> 言はまくも あやに畏(かしこ)き 明日香の 真神(まかみ)の原に ひさかたの 天(あま)つ御門(みかど)を 畏くも 定めたまひて 神(かむ)さぶと 磐隠(いはがく)ります やすみしし 我(わ)が大君の きこしめす 背面(そもと)の国の 真木(まき)立つ 不破山(ふはやま)超えて 高麗剣(こまつるぎ) 和射見(わざも)が原の 行宮(かりみや)に 天降(あも)りいまして 天(あめ)の下(した) 治めたまひ <一には「掃ひたまひて」といふ> 食(を)す国を 定めたまふと 鶏(とり)が鳴く 東(あづま)の国の 御軍士(みいくさ)を 召したまひて ちはやぶる 人を和(やは)せと 奉(まつ)ろはぬ 国を治めと <一には「掃へと」といふ> 皇子(みこ)ながら 任(よさ)したまへば 大御身(おほみみ)に 大刀(たち)取り佩(は)かし 大御手(おほみて)に 弓取り持たし 御軍士(みいくさ)を 率(あども)ひたまひ 整(ととのふ)ふる 鼓(つづみ)の音は 雷(いかづち)の 声(こゑ)と聞くまで 吹き鳴(な)せる 小角(くだ)の音も <一には「笛の音は」といふ> 敵(あた)見たる 虎か吼(ほ)ゆると 諸人(もろひと)の おびゆるまでに <一には「聞き惑ふまで」といふ> ささげたる 旗(はた)の靡(なび)きは 冬こもり 春さり来れば 野ごとに つきてある火の <一には「冬こもり 春野焼く火の」といふ> 風の共(むた) 靡(なび)くがごとく 取り持てる 弓弭(ゆはず)の騒き み雪降る 冬の林に <一には「木綿の林」といふ> つむじかも い巻き渡ると 思ふまで 聞きの畏(かしこ)く <一には「諸人の 見惑ふまでに」といふ> 引き放つ 矢の繁(しげ)けく 大雪の 乱れて来(きた)れ <一には「霰なす そちより来れば」といふ> まつろはず 立ち向(むか)ひしも 露霜(つゆしも)の 消(け)なば消(け)ぬべく 行く鳥の 争ふはしに <一には「朝霜の 消なば消とふに うつせみと 争ふはしに」といふ> 渡会(わたらひ)の 斎(いつ)きの宮ゆ 神風(かむかぜ)に い吹き惑(まと)はし 天雲(あまくも)を 日の目も見せず 常闇(とこやみ)に 覆(おほ)ひたまひて 定めてし 瑞穂の国を 神(かむ)ながら 太敷(ふとし)きまして やすみしし 我(わ)が大君の 天の下 奏(まを)したまへば 万代(よろづよ)に しかしもあらむと <一には「かくしもあらむと」といふ> 木綿花(ゆふばな)の 栄ゆる時に 我(わ)が大君 皇子(みこ)の御門(みかど)を <一には「刺す竹の 皇子の御門を」といふ> 神宮(かむにや)に 装(よそ)ひまつりて 使はしし 御門の人も 白栲(しろたへ)の 麻衣(あさごろも)着て 埴安(はにやす)の 御門の原に あかねさす 日のことごと 鹿(しし)じもの い匍(は)ひ伏しつつ ぬばたまの 夕(ゆうへ)になれば 大殿(おほとの)を 振り放(さ)け見つつ 鶉(うづら)なす い匍(は)ひ廻(もとほ)り 侍(さもら)へど 侍ひえねば 春鳥(はるとり)の さまよひぬれば 嘆きも いまだ過ぎぬに 思ひも いまだ尽きねば 言(こと)さへく 百済(くだら)の原ゆ 神葬(かむはぶ)り 葬りいまして あさもよし 城上(きのへ)の宮を 常宮(とこみや)と 高く奉(まつり)りて 神(かむ)ながら 鎮(しづ)まりましぬ しかれども 我(わ)が大君の 万代(よろづよ)と 思ほしめして 作らしし 香具山(かぐやま)の宮 万代に 過ぎむと思へや 天(あめ)のごと 振り放(さ)け見つつ 玉たすき 懸けて偲はむ 畏(かしこ)くあれども

 

(訳)心にかけて思うのも憚(はばか)り多いことだ。<憚り多いことであるけれども、>ましてや口にかけて申すのも恐れ多い、明日香の真神(まかみ)の原に神聖な御殿を畏(かしこ)くもお定めになって天の下を統治され、今は神として天の岩戸にお隠れ遊ばしておられる我が天皇(すめらみこと)(天武)が、お治めになる北の国の真木生い茂る美濃(みの)不破山を越えて、高麗剣和射見(わざみ)が原の行宮(かりみや)に神々しくもお出ましになって、天の下を治められ<掃(はら)浄(きよ)められて>国中をお鎮めになろうとして、鶏が鳴く東の国々の軍勢を召し集められて、荒れ狂う者どもを鎮めよ、従わぬ国を治めよと<掃い浄めよと>、皇子であられるがゆえにお任せになったので、わが皇子は成り代わられた尊い御身に太刀(たち)を佩(は)かれ、尊い御手(おんて)に弓をかざして軍勢を統率されたが、その軍勢を叱咤(しった)する鼓の音は雷(いかずち)の声かと聞きまごうばかり、吹き鳴らす小角笛(つのぶえ)の音<笛の音は>も敵に真向かう虎がほえるかと人びとが怯(おび)えるばかりで<聞きまどうばかり>、兵士(つわもの)どもが捧(ささ)げ持つ旗の靡くありさまは、春至るや野という野に燃え立つ野火が<冬明けて春の野を焼く火の>風にあおられて靡くさまさながらで、取りかざす弓弭(ゆはず)のどよめきは、雪降り積もる冬の林<まっしろな木綿(ゆう)の林>に旋風(つむじかぜ)が渦巻き渡るかと思うほどに<誰しもが見まごうほどに>恐ろしく、引き放つ矢の夥(おびただ)しさといえば大雪の降り乱れるように飛んでくるので<霰(あられ)のように矢が集まってくるので>、ずっと従わず抵抗した者どもも、死ぬなら死ねと命惜しまず先を争って刃向かってきたその折しも<死ぬなら死ねというばかりに命がけで争うその折りしも>、度会(わたらい)に斎(いつ)き奉(まつ)る伊勢の神宮(かむみや)から吹き起こった神風で敵を迷わせ、その風の呼ぶ天雲で敵を日の目も見せず真っ暗に覆い隠して、このようにして平定成った瑞穂(みずほ)の神の国、この尊き国を、我が天皇(すめらみこと)(天武・持統)は神のままにご統治遊ばされ、我が大君(高市)は天の下のことを奏上なされたので、いついつまでもそのようにあるだろうと<かくのごとくであるだろうと>、まさに木綿花のようにめでたく栄えていた折も折、我が大君(高市)その皇子の御殿を<刺し出る竹のごとき皇の御殿を>御霊殿(みたまや)としてお飾り申し、召し使われていた宮人たちも真っ白な麻の喪服を着て、埴安の御殿の広場に、昼は日がな一日、鹿でもないのに腹這(はらば)い伏し、薄暗い夕方になると、大殿を振り仰ぎ見ながら鶉(うずら)のように這いまわって、御霊殿にお仕え申しあげるけれども、何のかいもないので、春鳥のむせび鳴くように泣いていると、その吐息(といき)もまだ消えやらぬのに、その悲しみもまだ果てやらぬのに、百済(くだら)の原を通って神として葬り参らせ、城上(きのえ)の殯宮(あらき)を永遠の御殿として高々と営み申し、ここに我が大君はおんみずから神としてお鎮まりになってしまわれた。しかしながら、我が大君が千代万代(よろずよ)にと思し召して造られた香具山の宮、この宮はいついつまでも消えてなくなることなどあるはずがない。天(あま)つ空(ぞら)を仰ぎ見るように振り仰ぎながら、深く深く心に懸けてお偲びしてゆこう。恐れ多いことではあるけれども。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)かけまくも 分類連語:心にかけて思うことも。言葉に出して言うことも。 ⇒なりたち 動詞「か(懸)く」の未然形+推量の助動詞「む」の古い未然形「ま」+接尾語「く」+係助詞「も」(学研)

(注)まかみがはら【真神原】:現在の奈良県明日香村飛鳥の中央部にあった原野をさす古代地名。《万葉集》に,〈大口の真神の原〉とうたわれているから,かつては真神すなわちオオカミのすむような原野と意識されていたらしい。(後略)(コトバンク 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版)

(注)天つ御門:清御原宮に対する神話的表現。(伊藤脚注)

(注)神さぶ:今は神として天上におられる。(伊藤脚注)

(注)背面(そとも)の国:北の国。近江のかなた美濃の国。(伊藤脚注)

(注の注)そとも 名詞:【背面】(山の)北側。北。日光を受ける側の背面、日の当たらない方。◇上代語。[反対語] 影面(かげとも)。(学研)

(注)不破山:不破関址の西伊増峠あたりか。(伊藤脚注)

(注)こまつるぎ【高麗剣】分類枕詞:高麗(こま)伝来の剣は、柄頭(つかがしら)に輪があるところから、輪と同音の「わ」にかかる。(学研)

(注)あんぐう【行宮】名詞:天皇の旅行の際、その地に一時的に設けられる御所。行在所(あんざいしよ)。(学研)伊藤氏は「行宮」を「かりみや」と読まれている。

(注)天降り:アマオリの約。天武の行幸を神話的にいったもの。(伊藤脚注)

(注)とりがなく【鳥が鳴く・鶏が鳴く】分類枕詞:東国人の言葉はわかりにくく、鳥がさえずるように聞こえることから、「あづま」にかかる。(学研)

(注)おほみみ【大御身】名詞:天皇のおからだ。 ※「おほみ」は接頭語。(学研)

(注の注)おほみ-【大御】接頭語」主として神・天皇に関する語に付いて、最大級の尊敬を表す。 ⇒参考 尊敬の意を表す「おほ」と「み」を重ねた語。(学研)

(注)くだのふえ【管の笛/小角】古代の軍楽器の一。大角(はらのふえ)とともに戦場で用いた、管の形をした小さい笛。くだ。(学研)

(注)ふゆごもり【冬籠り】分類枕詞:「春」「張る」にかかる。かかる理由は未詳。 ※古くは「ふゆこもり」。(学研)

(注)ゆはず【弓筈・弓弭】名詞:弓の両端の弦をかけるところ。上の弓筈を「末筈(うらはず)」、下を「本筈(もとはず)」と呼ぶ。 ※「ゆみはず」の変化した語。(学研)

(注)「そち」は未詳。「さち(矢)」か。(伊藤脚注)

(注の注)さち【幸】名詞:①(山海の)獲物をとるための道具。弓矢・釣り針の類にいう。②漁や狩りで獲物があること。また、その獲物。③幸福。しあわせ。(学研)ここでは①の意

(注)まつろふ【服ふ・順ふ】自動詞:服従する。つき従う。仕える。 ⇒参考 動詞「まつ(奉)る」の未然形に反復継続の助動詞「ふ」が付いた「まつらふ」の変化した語。貢ぎ物を献上し続けるの意から。(学研)

(注)定めてし:このようにして平定の成った。(伊藤脚注)

(注)木綿花の:「栄ゆ」の枕詞(伊藤脚注)

(注)ししじもの【鹿じもの・猪じもの】分類枕詞:鹿(しか)や猪(いのしし)のようにの意から「い這(は)ふ」「膝(ひざ)折り伏す」などにかかる。(学研)

(注)ことさへく【言さへく】分類枕詞:外国人の言葉が通じにくく、ただやかましいだけであることから、「韓(から)」「百済(くだら)」にかかる。「ことさへく韓の」 ※「さへく」は騒がしくしゃべる意。(学研)

(注)あさもよし【麻裳よし】分類枕詞:麻で作った裳の産地であったことから、地名「紀(き)」に、また、同音を含む地名「城上(きのへ)」にかかる。(学研)

 

 短歌二首と「或る書の反歌1首」をみてみよう。

 

■二〇〇歌■

◆久堅之 天所知流 君故尓 日月毛不知 戀渡鴨

       (柿本人麻呂 巻二 二〇〇)

 

≪書き下し≫ひさかたの天(あめ)知らしぬる君(きみ)故(ゆゑ)に日月(ひつき)も知らず恋ひわたるかも

 

(訳)ひさかたの天(あめ)をお治めになってしまわれたわが君ゆゑに、日月の経つのも知らず、われらはただひたすらお慕い申しあげている。(同上)

(注)日月も知らず恋ひわたるかも:死後やや時を経ているので、以下の表現がある。(伊藤脚注)

 

 

■二〇一歌■

◆埴安乃 池之堤之 隠沼乃 去方乎不知 舎人者迷惑

       (柿本人麻呂 巻二 二〇一)

 

≪書き下し≫埴安(はみやす)の池の堤(つつみ)の隠(こも)り沼(ぬ)のゆくへを知らに舎人(とねり)は惑(まと)ふ

 

(訳)埴安の池、堤に囲まれた流れ口もないその隠(こも)り沼(ぬ)のように、行く先の処そ方もわからぬまま、皇子の舎人たちはただ途方に暮れている。(同上)

(注)こもりぬ【隠り沼】名詞:茂った草などに覆われて隠れて、よく見えない沼。うっとうしいものとしていうこともある。(学研)

(注)上三句は嘱目の序。「ゆくへを知らに」にかかる。(伊藤脚注)

(注)ゆくへを知らに:どうしてよいかあてどもなくて。ニは打消のヌの連用形。(伊藤脚注)

 

 

橿原市HP「かしはら探訪ナビ」によると、「畝尾都多本神社(うねおつたもとじんじゃ)は、『哭澤の神社』(なきさわのもり)とも言います。祭神の哭澤女神(なきさわめのかみ)は、「古事記」によると国生みの最後の段階で、伊邪那美神(いざなみのかみ)が火の神である火之迦具土神(ひのかぐちのかみ)を生み亡くなったのを、父の伊邪那岐神(いざなぎのかみ)が悲しんで泣いた涙から生まれた女神だと言われています。

神殿はなく玉垣で囲んだ空井戸をご神体とし、境内には末社の八幡(はちまん)神社が鎮座しています。

桧隈女王(ひのくまのおおきみ)が、『哭澤の 神社(もり)に神酒据(みわす)ゑ 祈れども 我が大君は 高日(たかひ)知らしぬ』と詠んだと言われる万葉歌碑が境内にあります。」と書かれている。

 

 神社名碑には「畝」でなく「畞」の字が使われている。


畞尾都多本神社(うねおつたもとじんじゃ)名碑と鳥居

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版」

★「コトバンク 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus」

★「橿原の万葉歌碑めぐり」(橿原市パンフレット)

★「橿原市HP」

万葉歌碑を訪ねて(その1786)―橿原市南浦町 古池―万葉集巻三 四二六

●歌は、「草枕旅の宿りに誰が夫か国忘れたる家待たまくに」である。

橿原市南浦町 古池万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌碑は、橿原市南浦町 古池にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「柿本朝臣人麻呂見香具山屍悲慟作歌一首」<柿本朝臣人麻呂。見香具山の屍(しかばね)を見て、悲慟(かな)しびて作る歌一首>である。

 

草枕 羈宿尓 誰嬬可 國忘有 家待真國

       (柿本人麻呂 巻三 四二六)

 

≪書き下し≫草枕旅の宿(やど)りに誰(た)が夫(つま)か国忘れたる家待たまくに   

 

(訳)草を枕のこの旅先の宿りで、いったいどなたの夫なのであろうか、故郷へ帰るもの忘れて臥せっているのは。家の妻たちは帰りをひたすら待っているのであろうに。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)やどり【宿り】名詞:①旅先で泊まること。宿泊。宿泊所。宿所。宿。②住まい。住居。特に、仮の住居にいうことが多い。③一時的にとどまること。また、その場所。 ⇒参考:「宿り」は、住居をさす「やど」「すみか」とは異なり、旅先の・仮のの意を含んでいる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)国忘れ:死んで横たわっていることをいう。「国」は故郷。(伊藤脚注)

(注)家:家人。(伊藤脚注)

 

 この歌では、「死」について、目の当たりにした「行路の死」を家で「待つ妻」に焦点をあて、「死」の悲しみをより強く打ち出している。

 

 このパターンは、題詞、「讃岐狭岑嶋視石中死人柿本朝臣人麿作歌一首并短歌」<讃岐(さぬき)の狭岑(さみねの)島にして、石中(せきちゅう)の死人(しにん)を見て、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首并(あは)せて短歌>の長歌(二二〇歌)と反歌二首(二二一、二二二歌)の歌群についてもあてはまるのである。

(注)狭岑(さみねの)島:香川県塩飽諸島中の沙美弥島。今は陸続きになっている。

(注)石中の死人:海岸の岩の間に横たわる死人。

 

 歌をみてみよう。

◆玉藻吉 讃岐國者 國柄加 雖見不飽 神柄加 幾許貴寸 天地 日月與共 満将行 神乃御面跡 次来 中乃水門従 船浮而 吾榜来者 時風 雲居尓吹尓 奥見者 跡位浪立 邊見者 白浪散動 鯨魚取 海乎恐 行船乃 梶引折而 彼此之 嶋者雖多 名細之 狭岑之嶋乃 荒磯面尓 廬作而見者 浪音乃 茂濱邊乎 敷妙乃 枕尓為而 荒床 自伏君之 家知者 往而毛将告 妻知者 来毛問益乎 玉桙之 道太尓不知 鬱悒久 待加戀良武 愛伎妻等者

       (柿本人麻呂 巻二 二二〇)

 

≪書き下し≫玉藻(たまも)よし 讃岐(さぬき)の国は 国からか 見れども飽かぬ 神(かむ)からか ここだ貴(たふと)き 天地(あめつち) 日月(ひつき)とともに 足(た)り行(ゆ)かむ 神の御面(みおも)と 継ぎ来(きた)る 那珂(なか)の港ゆ 船浮(う)けて 我(わ)が漕(こ)ぎ来(く)れば 時つ風 雲居(くもゐ)に吹くに 沖見れば とゐ波立ち 辺(へ)見れば 白波騒く 鯨魚(いさな)取り 海を畏(かしこ)み 行く船の 梶引き折(を)りて をちこちの 島は多(おほ)けど 名ぐはし 狭岑(さみね)の島の 荒磯(ありそ)面(も)に 廬(いほ)りて見れば 波の音(おと)の 繁(しげ)き浜辺を 敷栲(しきたへ)の 枕になして 荒床(あらとこ)に ころ臥(ふ)す君が 家(いへ)知らば 行きても告(つ)げむ 妻知らば 来(き)も問はましを 玉桙(たまほこ)の 道だに知らず おほほしく 待ちか恋ふらむ はしき妻らは

 

(訳)玉藻のうち靡(なび)く讃岐の国は、国柄が立派なせいかいくら見ても見飽きることがない。国つ神が畏(かしこ)いせいかまことに尊い。天地・日月とともに充ち足りてゆくであろうその神の御顔(みかお)であるとして、遠い時代から承(う)け継いで来たこの那珂(なか)の港から船を浮かべて我らが漕ぎ渡って来ると、突風が雲居はるかに吹きはじめたので、沖の方を見るとうねり波が立ち、岸の方を見ると白波がざわまいている。この海の恐ろしさに行く船の楫(かじ)が折れるなかりに漕いで、島はあちこちとたくさんあるけれども、中でもとくに名の霊妙な狭岑(さみね)の島に漕ぎつけて、その荒磯の上に仮小屋を作って見やると、波の音のとどろく浜辺なのにそんなところを枕にして、人気のない岩床にただ一人臥(ふ)している人がいる。この人の家がわかれば行って報(しら)せもしよう。妻が知ったら来て言問(ことど)いもしように。しかし、ここに来る道もわからず心晴れやらぬままぼんやりと待ち焦がれていることだろう、いとしい妻は。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)たまもよし【玉藻よし】分類枕詞:美しい海藻の産地であることから地名「讚岐(さぬき)」にかかる。(学研)

(注)那珂(なか)の港:丸亀市金倉川の河口付近。(伊藤脚注)

(注の注)金倉川:中津万象園・丸亀美術館の東側を流れる川である。

(注)ときつかぜ【時つ風】名詞:①潮が満ちて来るときなど、定まったときに吹く風。②その季節や時季にふさわしい風。順風。 ※「つ」は「の」の意の上代の格助詞(学研)

(注)とゐなみ【とゐ波】名詞:うねり立つ波。(学研)

(注)なぐはし【名細し・名美し】形容詞:名が美しい。よい名である。名高い。「なくはし」とも。 ※「くはし」は、繊細で美しい、すぐれているの意。上代語。(学研)

(注)狭岑(さみね)の島:今の沙弥島(しゃみじま)(香川県HP)

(注)ころふす【自伏す】:ひとりで横たわる。(weblio辞書 三省堂大辞林第三版)

(注)たまほこの【玉桙の・玉鉾の】分類枕詞:「道」「里」にかかる。かかる理由未詳。「たまぼこの」とも。(学研)

(注)おほほし 形容詞:①ぼんやりしている。おぼろげだ。②心が晴れない。うっとうしい。③聡明(そうめい)でない。※「おぼほし」「おぼぼし」とも。上代語。(学研)

 

 

◆妻毛有者 採而多宜麻之 作美乃山 野上乃宇波疑 過去計良受也

        (柿本人麻呂 巻二 二二一)

 

≪書き下し≫妻もあらば摘みて食(た)げまし沙弥(さみ)の山野(の)の上(うへ)のうはぎ過ぎにけらずや

 

(訳)せめて妻でもここにいたら、一緒に摘んで食べることもできたろうに、狭岑のやまの野辺一帯の嫁菜(よめな)はもう盛りが過ぎてしまっているではないか。(同上)

 

「うはぎ」は、古名はオハギ(『出雲風土記(いずもふどき)』)あるいはウハギで、『万葉集』にはウハギの名で二首が収録されている。春の摘み草の対象とされ、「春日野(かすがの)に煙(けぶり)立つ見ゆ娘子(おとめ)らし春野のうはぎ摘(つ)みて煮らしも」(巻十 一八七九)と詠まれているように、よく食べられていたとみられる。(コトバンク 日本大百科全書<文化史>)

 

 

◆奥波 来依荒磯乎 色妙乃 枕等巻而 奈世流君香聞

       (柿本人麻呂 巻二 二二二)

 

≪書き下し≫沖つ波来(き)寄(よ)る荒磯(ありそ)を敷栲(しきたへ)の枕とまきて寝る(な)せる君かも

 

(訳)沖つ波のしきりに寄せ来る荒磯なのに、そんな磯を枕にしてただ一人で寝ておられるこの夫(せ)の君はまあ。」(同上)

(注)なす【寝す】動詞:おやすみになる。▽「寝(ぬ)」の尊敬語。※動詞「寝(ぬ)」に尊敬の助動詞「す」が付いたものの変化した語。上代語。(学研)

 

 この歌群についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1726)」で紹介している。

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 四一五歌もみてみよう・

 

題詞は、「上宮聖徳皇子出遊竹原井之時見龍田山死人悲傷御作歌一首 小墾田宮御宇天皇代墾田宮御宇者 豊御食炊屋姫天皇也諱額田謚推古」<上宮聖徳太子(かみつみやのしょうとくのみこ)、竹原の井(たかはらのゐ)に出遊(いでま)す時に、竜田山(たつたやま)の死人を見て悲傷(かな)しびて作らす歌一首<小墾田の宮(おはりだのみや)に天の下知らしめす天皇の代。小墾田の宮に天の下知らしめすは豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)天皇なり。諱は額田、謚は推古>である。

(注)竹原井:大阪府柏原市高井田

(注)小墾田宮御宇天皇推古天皇

(注)推古天皇(554~628):記紀で第三三代天皇(在位592~628)の漢風諡号しごう。名は額田部(ぬかたべ)。豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)とも。欽明天皇第三皇女。敏達天皇の皇后。崇峻天皇蘇我馬子に殺されると、推されて即位。聖徳太子を皇太子・摂政として政治を行い、飛鳥文化を現出。(コトバンク 「大辞林第三版」)

 

◆家有者 妹之手将纏 草枕 客尓臥有 此旅人▼怜

      (聖徳太子 巻三 四一五)

   ▼は「りっしんべんに『可』」 「▼怜」で「あはれ」と読む

 

≪書き下し≫家ならば妹(いも)が手まかむ草枕旅に臥(こ)やせるこの旅人(たびと)あはれ   

 

(訳)家にいたなら、いとしい妻の腕(かいな)を枕にしているであろうに、草を枕に旅先で一人倒れ臥しておられるこの旅のお方は、ああいたわしい。(同上)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その114改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。)

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 四一五歌も、行路にある「この旅人」の死を空間軸で「家ならば妹(いも)が手まかむ」と「妻」を呼びだし、「哀れ」感を最大に持って行っているのである。

 

 

 「なれば笥に盛る飯を草枕にしあれば椎の葉に盛る(有間皇子 一四二歌)

 「ならば妹が手まかむ草枕に臥やせるこの旅人あはれ(聖徳太子 四一五歌)

 

行路を嘆く歌にあっては、「家」と「旅」との対比は一つのパターンであり、行路の死を悲しむうたにあっては、「家・妻」と「旅の宿り」、「旅に臥やせる」などと対比させ、読者の涙を誘っているのである。

 

 万葉集の心憎いところはこのような所にもある。恐るべし万葉集である。

 

 

 香具山の東麓に「万葉の森」が整備されている。ここには九基の歌碑が立てられている。万葉の森の北出口あたりの空き地に車を停め、古池の池畔を歩いていく。道の両端には草が生い茂っている。車での移動も不可能ではないが、草による洗車状態になるので歩きが正解である。やがて左手に歌碑が見えて来る。

 

古池からの耳成山遠望

古池から二上山遠望

北西の方向には耳成山、西には二上山が見える絶景ポイントである。

歌碑と景色を堪能し次の目的地「畝尾都多本神社」を目指す。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉の心」 中西 進 著 (毎日新聞社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 大辞林第三版」

★「コトバンク 日本大百科全書<文化史>」

★「weblio辞書 三省堂大辞林第三版」

★「香川県HP」

 

万葉歌碑を訪ねて(その1785)―橿原市南浦町 天香山神社―万葉集巻十 一八一二

●歌は、「ひさかたの天の香具山この夕霞たなびく春立つらしも」である。

橿原市南浦町 天香山神社万葉歌碑(柿本人麻呂歌集)

●歌碑は、橿原市南浦町 天香山神社にある。

 

●歌をみていこう。

 

部立は「春雜歌」、巻十の巻頭歌である。

 

◆久方之 天芳山 此夕 霞霏▼ 春立下

       (柿本人麻呂歌集 巻十 一八一二)

※ ▼は、「雨かんむり+微」である。「霏▼」で「たなびく」と読む。

 

≪書き下し≫ひさかたの天(あめ)の香具山(かぐやま)この夕(ゆうへ)霞(かすみ)たなびく春立つらしも                           

 

(訳)ひさかたの天の香具山に、この夕べ、霞がたなびいている。まさしく春になったらしい。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その73改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。)

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歌の解説案内板

 巻頭歌群(一八一二から一八一八歌)についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その73改)」でふれているが、改めてみてみよう。

 

■一八一三歌■

◆巻向之 檜原丹立流 春霞 欝之思者 名積米八方

       (柿本人麻呂歌集 巻十 一一二四)

 

≪書き下し≫巻向(まきむく)の檜原(ひはら)に立てる春霞(はるかすみ)おほにし思はばなづみ來(こ)めやも

 

(訳)この巻向の檜原にぼんやりと立ち込めている春霞、その春霞のように、この地をなおざりに思うのであったら、何で歩きにくい道をこんなに苦労してまでやって来るものか。(同上)

(注)上三句は序。「おほに」を起こす。

(注)おほなり【凡なり】形容動詞:①いい加減だ。おろそかだ。②ひととおりだ。平凡だ。※「おぼなり」とも。上代語。(学研)

(注)なづむ【泥む】自動詞:①行き悩む。停滞する。②悩み苦しむ。③こだわる。気にする。(学研)

(注)めやも 分類連語:…だろうか、いや…ではないなあ。 ⇒なりたち:推量の助動詞「む」の已然形+反語の係助詞「や」+終助詞「も」(学研)

 

 

■一八一四歌■

◆古 人之殖兼 杉枝 霞霏▼ 春者来良之

     (柿本人麻呂歌集 巻十 一八一四)

   ※ ▼は、「雨かんむり+微」である。「霏▼」で「たなびく」と読む。

 

≪書き下し≫いにしへの人の植ゑけむ杉が枝に霞(かすみ)たなびく春は来(き)ぬらし

 

(訳)遠く古い世の人が植えて育てたという、この杉木立の枝に霞がたなびいている。たしかにもう春はやってきたらしい。(同上)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その693)」で紹介している。

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■一八一五歌■

◆一八一五 子等我手乎 巻向山丹 春去者 木葉凌而 霞霏▼

   ※ ▼は、「雨かんむり+微」である。「霏▼」で「たなびく」と読む。

       (柿本人麻呂歌集 巻十 一八一五)

 

≪書き下し≫子らが手を巻向山(まきむくやま)に春されば木(こ)の葉しのぎて霞たなびく

 

(訳)あの子の手をまくという名の巻向山、その山に春がやって来たので、木々の葉を押し伏せるようにして霞がたなびいている・(同上)

(注)こらがてを【児等が手を】:[枕]妻や恋人の腕を巻く(=枕にする)の意から、「巻く」と同音の部分を含む地名「巻向山(まきむくやま)」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 

■一八一六歌■

◆玉蜻 夕去来者 佐豆人之 弓月我高荷 霞霏▼

      (柿本人麻呂歌集 巻十 一八一六)

※ ▼は、「雨かんむり+微」である。「霏▼」で「たなびく」と読む。

 

≪書き下し≫玉かぎる夕(ゆふ)さり来(く)ればさつ人(ひと)の弓月が岳に霞たなびく

 

(訳)玉がほのかに輝くような薄明りの夕暮れになると、猟人(さつひと)の弓、その弓の名を負う弓月が岳に、いっぱい霞がたなびいている。(同上)

(注)たまかぎる【玉かぎる】分類枕詞:玉が淡い光を放つところから、「ほのか」「夕」「日」「はろか」などにかかる。また、「磐垣淵(いはかきふち)」にかかるが、かかり方未詳。(学研)

(注)さつひとの【猟人の】分類枕詞:猟師が弓を持つことから「弓」の同音を含む地名「ゆつき」にかかる。「さつひとの弓月(ゆつき)が嶽(たけ)」 ※「さつひと」は猟師の意。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1186)」で紹介している。

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■一八一七歌■

◆今朝去而 明日香来る牟等 云子鹿丹 旦妻山丹 霞霏微

       (柿本人麻呂歌集 巻十 一八一七)

 

≪書き下し≫今朝(けさ)行(ゆ)きて明日(あす)には来(こ)ねと言ひし子か朝妻山(あさづまやま)に霞たなびく

 

(訳)今朝はひとまずお帰りになっても、今夜はまたきっと来て下さいと言ったあの子ででもあるのか、その朝妻の山に霞がたなびいている。(同上)

(注)明日:今夜の意。日没から一日が始まるという考えによる。

(注)朝妻山:奈良県御所市、金剛山の東麓。(伊藤脚注)

 

 

■一八一八歌■

◆子等名丹 關之宣 朝妻之 片山木之尓 霞多奈引

       (柿本人麻呂歌集 巻十 一八一八)

 

≪書き下し≫子らが名に懸(か)けのよろしき朝妻(あさづま)の片山崖(かたやまきし)に霞たなびく

 

(訳)あの子の名に懸けて呼ぶにふさわしい朝妻山の、その片山の崖に霞がたなびいている。

(注)片山崖:平野部の方にだけ傾斜面を持つ端山。(伊藤脚注)

 

 左注は、「右柿本朝臣人麻呂歌集出」である。

 

 一八一五歌の巻向山については次の様に書かれている。

「まきむくやま【巻向山】:奈良県桜井市の北部,三輪山の北東にある山。標高567m。〈纏向山〉とも書く。2峰からなり,《万葉集》に詠まれる弓月ヶ嶽(ゆつきがたけ)(由槻ヶ嶽)はこの一峰にあてられる。またこの付近の山を含めて巻向山とよぶ。西麓は垂仁天皇の纏向珠城(たまき)宮,景行天皇の纏向日代(ひしろ)宮が置かれたと推定される地。付近には山辺(やまのべ)の道が通り,巻向山に発し南西流して初瀬(はせ)川に注ぐ巻向川とともに古来,歌に詠まれている。」(コトバンク 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版)

 

 天の香具山の歌碑を訪ねたあと、山沿いの道を天香山神社へと向かう。途中、二上山が遠望できた。白い雲波を下に漂わせ、高山の連峰の雰囲気である。

二上山遠望

 やがて鳥居が見えて来る。以前来た時と変わっていない。時が止まっているような感じである。人の姿も見えない。

天香山神社拝殿

 歌碑を撮影し、社殿に向かい深々と頭を下げる。

 神々しさに包まれる。

境内

 鳥居から出ると現実に戻った感が。山道を急ぐ。駐車場の側の畑の蓮の実も撮影。

蓮畑

 次の目的地古池に向かう。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

 

万葉歌碑を訪ねて(その1784)―橿原市南浦町 香具山―万葉集巻一 二

●歌は、「大和には群山あれどとりよろふ天の香具山登り立ち国見をすれば・・・」である。

橿原市南浦町 香具山万葉歌碑(舒明天皇

●歌碑は、橿原市南浦町 香具山にある。

 

●歌をみていこう。

 

標題は、「高市岡本宮御宇天皇代  息長足日廣額天皇」<高市(たけち)の岡本(をかもと)の宮に天の下知らしめす天皇の代  息長足日広額(おきながたらしひひろぬか)の天皇(すめらみこと)>である。

(注)岡本:奈良県高市郡明日香村岡寺付近(伊藤脚注)

(注)息長足日広額の天皇:三四代舒明天皇(伊藤脚注)

題詞は、「天皇登香具山望國之時御製歌」<天皇(すめらみこと)、登香具山(かぐやま)に登りて国を望(み)たまふ時の御製歌>である。

 

◆山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多都 怜A國曽 蜻嶋 八間跡能國者

       (舒明天皇 巻一 二)

 

≪書き下し≫大和(やまと)には 群山(むらやま)あれど とりよろふ 天(あめ)の香具山 登り立ち 国見(くにみ)をすれば 国原くにはら)は 煙(けぶり)立ち立つ 海原(うなはら)は 鷗(かまめ)立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は                        

(訳)大和には群がる山々があるけれども、中でも精霊のとりわけ神々しくよりつく天の香具山、この山の頂きに出で立って国見をすると。国原にはけむりが盛んに立ち上っている。海原にはかもめが盛んに飛び立っている。ああよい国だ。蜻蛉(あきず)島大和の国は。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)とりよろふ 自動詞:天(あま)の香具山(かぐやま)をほめていう語。 ※用例が引用した歌の一例しかなく、語義未詳の語。上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注の注)とりよろふ:精霊の神々しくよりつく意か。(伊藤脚注)

(注)海原は 鷗立ち立つ海原:池を海に、池辺の水鳥を鷗に見立てたもの。(伊藤脚注)

(注)うまし【甘し・旨し・美し】(シク活用):すばらしい。立派だ。よい。 ⇒参考:中古以降ク活用が一般的になった。上代には、シク活用は、用例(うまし国)のように、語幹(終止形と同形)が体言を修飾した。(学研)

(注)あきづしま【秋津島蜻蛉島】分類枕詞:「やまと(大和・日本)」にかかる。「あきづしま大和」(学研)

神野志隆光氏は、その著「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」(東京大学出版会)のなかで、この歌について、「歌によって(天皇の)世界をことほぐものです。」と書かれ、「『うまし国そ蜻嶋大和の国は』と結ばれます。」「天皇の世界『やまとの国』」は、歌のことばの力がはたらき、意味をもつものだということをあらわすはじまりかたといえます。そのように、自分たちの世界をあらわしだし、つくるというべきです。」と書かれている。

 そして、雄略天皇の巻一 一歌(万葉集の冒頭歌)について、「天皇は、『そらみつやまとの国』の支配者として名乗り出ます。」「春を背景に、求婚のかたちをとって、天皇が、世界を支配する王たることを宣言する歌」と書かれている。さらに「そうした歌とともにあった、独自な分明世界として、(万葉集の)『歴史』世界と、その先頭に立つ雄略天皇があらわれてくるとうけとられます。」とされている。

歌の解説案内板

大和三山」碑と歌碑




 雄略天皇の一歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その95改)」で紹介している。

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橿原市HP「かしはら探訪ナビ」の「香具山」について「平成17年に名勝指定された大和三山(やまとさんざん)と呼ばれる香具山(かぐやま)・畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)のうちの1つです。

標高152.4m。万葉集では『天香具山』(あまのかぐやま)と詠われて、山というよりは丘の印象が強い南から続く竜門山地の先端部分に連なる山です。

山塊は、閃緑岩や斑レイ岩などの堅い岩石で構成されているため浸食の度合いが低かったようです。

大和三山の中で、最も神聖視されています。『天の』を冠するのは、天から降り来た山と言われていますが、その山の位置や山容が古代神事にふさわしいゆえに、あがめられたものだとも思われています。

山中には南に天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)、北に天香山神社(あまのかぐやまじんじゃ)、さらに国常立神社(くにのとこたちじんじゃ)があり、それらが一種の霊気のようなものを発散させています。(後略)」と書かれている。

 

 

■吉備池廃寺跡→天香具山・天香山(あまのかぐやま)神社■

 天香具山・天香山(あまのかぐやま)神社に行くのは、前回「香具山観光トイレ駐車場」に車を停めて、そこから歩いて行った事を思いだした。

駐車場からは結構きつい上りであったことを家内も覚えており、今回は車で待機することに。

 傘をさして香具山万葉歌碑を目指す。息が切れる。体力が落ちていることを実感する。短い距離であるが、やっとの思いで歌碑と肩で息をしながら再会する。

 そして山道を天香山神社に向かったのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「橿原市HP」

 

万葉歌碑を訪ねて(その1783)―桜井市橋本 吉備池廃寺跡―万葉集巻三 四一六

●歌は、「百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」である。

桜井市橋本 吉備池廃寺跡万葉歌碑(大津皇子

●歌碑は、桜井市橋本 吉備池廃寺跡にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆百傳 磐余池尓 鳴鴨乎 今日耳見 雲隠去牟

      (大津皇子 巻三 四一六)

 

≪書き下し≫百伝(ももづた)ふ磐余(いはれ)の池に鳴く鴨を今日(けふ)のみ見てや雲隠りなむ

 

(訳)百(もも)に伝い行く五十(い)、ああその磐余の池に鳴く鴨、この鴨を見るのも今日を限りとして、私は雲の彼方に去って行くのか。(伊藤 博 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)ももづたふ【百伝ふ】分類枕詞:①数を数えていって百に達するの意から「八十(やそ)」や、「五十(い)」と同音の「い」を含む地名「磐余(いはれ)」にかかる。②多くの地を伝って遠隔の地へ行くの意から遠隔地である「角鹿(つぬが)(=敦賀(つるが))」「度逢(わたらひ)」に、また、遠くへ行く駅馬が鈴をつけていたことから「鐸(ぬて)(=大鈴)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意

(注)くもがくる【雲隠る】自動詞:①雲に隠れる。②亡くなる。死去する。▽「死ぬ」の婉曲(えんきよく)的な表現。多く、貴人の死にいう。 ※上代語。(学研)ここでは②の意

 

 題詞は、「大津皇子被死之時磐余池陂流涕御作歌一首」<大津皇子(おほつのみこ)、死を被(たまは)りし時に、磐余の池の堤(つつみ)にして涙を流して作らす歌一首>、

 

 左注は、「右藤原宮朱鳥元年冬十月」≪右、藤原の宮の朱鳥(あかみとり)の元年の冬の十月>とある。

 

 大津皇子辞世の歌である。悲劇の皇子である。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その118改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。)

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 大津皇子は、謀反の疑いで叔母にあたる持統天皇によって誅殺された。磐余には大津皇子の住いがあった。皇子は文武両道に秀でていたが、持統天皇はわが子草壁皇子皇位を継承させるべく大津皇子を謀反の罪に問うたと言われている。

 この歌に関して、亀山郁夫氏は「万葉集の詩性(ポエジー) 令和時代の心を読む」 中西 進 編著 (角川新書)の中の自稿「万葉集とわたし」で、「明日の死を運命づけられた青年に、これほどにも冷静におのれの死を見つめる余裕が生まれえるものなのか。辞世の歌にしてはリアルな叫びからあまりに遠ざけられてはいないか。・・・わたしが先に述べた疑念は、『万葉の秀歌』を読み進めるなかで氷解した。」とし、中西 進氏の「『雲隠る』が敬語表現であること、かつ『なむ』という推量の助詞がついていることから、この歌が大津自身の作であることを否定」していることにふれ、さらに「当時は歌はだれが代作してもよく、人びとは大津の作として享受し涙したのである。・・・われわれも、大津の心をこの一首から理解すればよく、実作者はだれでもかまわないのである。」と引用されている。

 万葉集の「歌物語」的側面に言及されているのである。

 

 

愛知県、静岡県広島県福井県香川県と遠征が続いていたが、近場の「桜井市吉備池ならびに橿原市万葉歌碑巡り」を行なったというか行わざるをえなくなったのは、8月29日にブログ(その1713)「東山魁夷せとうち美術館前庭の歌碑(プレート):中大兄皇子 巻一 十三歌」について書こうとした時、橿原市白橿町近隣公園の歌碑が頭に浮かび前回紹介事例としようとした。ところが、調べてみると、この歌については、2019年5月2日作成の(その64改)ブログ「桧原井寺池畔の同歌の歌碑」しかリストに出てこない。こちらも初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。

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 橿原市の万葉歌碑リストの資料メモを探し出してチェックしてみると2019年6月18日に巡った、⑦南浦町古池、⑩畝尾都多本神社、⑪天香具山、⑫天香山神社、⑭紀寺跡、㉑白橿町近隣公園のデータが完全に抜け落ちていることが分かったのである。作成したものと思っていただけにショックである。もう一度写真も含め取り直す必要性から計画を立てたのである。

 桜井市吉備池の万葉歌碑も一度トライしているが果たせなかったので、今回の計画に組み入れたのである。

 天気予報を見て「曇り一時雨」を信じて決行した。

しかし、結局は歌碑巡りの間ずっと降っていたのである。

 

 

吉備池畔には、大津皇子と大伯皇女の歌碑が2つある。先達のブログなどから、吉備池の北西の土手に大津皇子の、その西側に大伯皇女の歌碑があることを確認した。

北西角に近い空き地に車を滑り込ませる。北西角の上に歌碑がある。胸躍る気持ちで近づくも草ぼうぼうの状態である。この一角から土手に上がるルートが見つからない。少し遠回りになるが、前回トライした吉備春日大社前の道から土手に上がる。そこから右手に進む。幸いに雨は小降りになっているが、進めば進むほどズボンの先から濡れて来る。北西コーナー部は完全に草に蔽われている。足で草をかき分け踏みしめ道を作る。やっと石碑の頭が、草の間から見えた。ここまで来てあきらめるわけにはいかない。びしょ濡れ覚悟であたりの草を踏みしめる。ようやく大津皇子の歌碑と対面することが出来た。そこから西に進めば大伯皇女の歌碑があるが、雨の中、ほぼ身の丈に近いこの草むら相手に突進することはあきらめる。現地の「史跡 吉備池廃寺跡案内図」を参考に葛に覆われた木の下あたりに大伯皇女の歌碑があるであろうと思われるので写真に収めて次の目的地に向かったのである。

     「史跡 吉備池廃寺跡案内図」(赤丸が万葉歌碑)

 

     葛に覆われた木の下あたりに大伯皇女の歌碑?

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集の詩性(ポエジー) 令和時代の心を読む」 中西 進 編著 (角川新書)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

万葉歌碑を訪ねて(その1782)―、高松市庵治町鎌野 鎌野海岸―万葉集巻十一 二七四七

●歌は、「あぢかまの塩津をさして漕ぐ舟の名はのりてしを逢はずあらめやも」である。

高松市庵治町鎌野 鎌野海岸万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、高松市庵治町鎌野 鎌野海岸にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆味鎌之 塩津乎射而 水手船之 名者謂手師乎 不相将有八方

           (作者未詳 巻十一 二七四七)

 

≪書き下し≫あぢかまの塩津(しほつ)をさして漕ぐ舟の名は告(の)りてしを逢はずあらめやも

 

(訳)あじかまの塩津を目指して漕ぎ進む舟が大声で名を告げるように、はっきりと私の名はうち明けたのだもの。逢って下さらないなんていうことがあるはずはない。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)あぢかまの:未詳。塩津の枕詞か。(伊藤脚注)

(注)塩津:琵琶湖北東端の港。北陸道の入り口。

(注)上三句は「名は告(の)りてし」を起こす序。出航に際して大声で舟の名を告げる慣習によるものか。(伊藤脚注)

この歌は、部立「寄物陳思」の歌群の一つである。                           

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その401,402)」で紹介している。

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 「万葉歌碑を訪ねて(その401,402)」では、「塩津」を地名ととらえ、北陸道の入り口、琵琶湖北東端の港としての解説がなされている。

 

 今回の歌碑は、高松市庵治町鎌野 鎌野海岸にある。「庵治」「鎌野」の塩津(港)として見ているようである。

 

 「あぢ」については、鴨君足人の巻三 二五七歌に「・・・奥邊波 鴨妻喚 邊津方尓 村左和伎 ・・・」<・・・ 沖辺(おきへ)には 鴨(かも)妻(つま)呼(よ)ばひ 辺(へ)つ辺(へ)に あぢ群騒(むらさわ)き ・・・>(訳)「・・・池の沖の方には鴨がつがいを呼び、岸辺ではあじ鴨の群れが騒いでいるけれども・・・」とあり、この「あぢ」を「あじ鴨」ととらえ、「塩津」にかかる枕詞として見ているようである。

 「沖辺(おきへ)には 鴨(かも)妻(つま)呼(よ)ばひ 」「辺(へ)つ辺(へ)に あぢ群騒(むらさわ)き 」と対句として見た場合、「鴨」と「あぢ」(あじ鴨)と対句でもってくるのは不自然なように思えるのである。「あぢ群騒(むらさわ)き」は、「あぢさはふ」の「あぢ」と同じととらえ非常に群れて騒ぎとした方が、「沖辺」では、「鴨」が「妻よばひ」、「辺つ辺」では(鴨が)「群騒(むらさわ)き」となりしっくりいくように思える。

(注)(注)あぢ【䳑】名詞:水鳥の名。秋に飛来し、春帰る小形の鴨(かも)。あじがも。ともえがも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)枕詞「あぢさはふ」について、「目」あるいは「夜昼知らず」にかかる、とあり、語義・かかる理由未詳となっている。

 朴炳植氏は、「『万葉集』は韓国語で歌われた 『万葉集の発見』」(学習研究社)のなかで、「『味沢相』は、『非常にしげしげと会う」の意である。この場合の『味』は、韓国語の『アズ(AJU)=非常に』または『マッ=味』から終子音を省略した『マ=真=ほんとうに』のどちらとも取れる。『沢』は「サハ=多い・たくさん」であり、『相』はずばり『会う』であるから、総合すると『非常にしげしげと会う』という意味に使われた(後略)』と書かれている。

 

 「民俗学の広場HP」で庵治の名前の由来を検索してみると、「庵治(あじ): 香川県高松市庵治町あじちょう)  地名の由来については、弘法大師が掘ったと伝える阿伽井(あかい)の泉があり、その上の石に阿の字が刻まれていたことによるとする説、葦の生えている地、つまり葦地が『あじ』となったという説などがある。」と書かれており奈良万葉まで遡ることが出来なかった。

副碑(書き下し文)

鎌野海岸と歌碑



 「あぢかまの」で始まる歌は万葉集にはあと二首が収録されている。いずれも東歌である。

みてみよう。

 

◆阿遅可麻能 可多尓左久奈美 比良湍尓母 比毛登久毛能可 加奈思家乎於吉弖

       (作者未詳 巻十四 三五五一)

 

≪書き下し≫阿遅可麻(あぢかま)の潟(かた)にさく波平(ひら)せにも紐解くものか愛(かな)しけを置きて

 

(訳)阿遅可麻(あぢかま)の干潟に白く咲く波、その波が広がる平瀬のように、のべつまくなしに他(あだ)しの女の下紐を解いたりなんかするもんか。いちしいお前さまをさしおいて。(同上)

(注)上二句は序。「平せに」を起こす。咲く波の広がる平瀬の意。(伊藤脚注)

(注)ものか 分類連語:①…ものか。…ていいものか。▽非難の意をこめて問い返す意を表す。②(なんとまあ)…ことよ。(驚いたことに)…ではないか。▽意外な事態に驚いたときの強い感動を表す。 ⇒参考:活用語の連体形に接続する。 ⇒なりたち:形式名詞「もの」+係助詞「か」(学研)ここでは①の意

(注)かなしけ【愛しけ】形容詞「かなし」の連体形の変化した形。: ※上代の東国方言。(学研)

 

 

◆安治可麻能 可家能水奈刀尓 伊流思保乃 許弖多受久毛可 伊里弖祢麻久母

       (作者未詳 巻十四 三五五三)

 

≪書き下し≫安治可麻(あじかま)の可家(かけ)の港に入(い)る潮(しほ)のこてたずくもか入りて寝(ね)まくも

 

(訳)安治可麻(あじかま)の可家(かけ)の川口に入ってくる潮が緩やかなように、人の噂がおだやかであってくれたらなあ。あの子の寝床に入って寝たいんだ、俺は。(同上)

(注)上三句は序。「こてたずく」を起こす。(伊藤脚注)

(注)こてたずくもか:噂が静まってほしい意か。(伊藤脚注)

 

 いずれも未勘国の歌である。阿遅可麻(あぢかま)の干潟も安治可麻(あじかま)の可家(かけ)もどこか未詳である。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「『万葉集』は韓国語で歌われた 『万葉集の発見』」 朴 炳植 著(学習研究社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「民俗学の広場HP」