奈良県橿原市城殿町(きどのちょう)の本薬師寺(もとやくしじ)跡には、現在では遺構として金堂跡と東西両塔跡に大きな礎石だけが残されているが、伽藍配置などは現在の西ノ京の薬師寺と全く同じものであったという。(万葉歌碑を訪ねて―その135―)

奈良県橿原市城殿町(きどのちょう)の本薬師寺(もとやくしじ)跡は、現在の西ノ京の薬師寺の前身である。現在では遺構として金堂跡と東西両塔跡に大きな礎石だけが残されているが、伽藍配置などは西ノ京の薬師寺と全く同じものであったという。この近くの水田では、八月中旬から九月初旬にかけてホテイアオイの花が盛りを迎えるのである。

 

●サンドイッチは、サニーレタス、焼き豚、トマト、キュウリを使い、オープンサンドイッチにした。デザートは、ヨーグルトの池にバナナを浮かべ、その上にトンプソンとレッドグローブの半切りを並べた。レッドグローブの大きさを活かした。他はトンプソンとクリムゾンシードレスの縦切りで加飾、干しぶどうもアクセントに使った。

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7月15日のザ・モーニングセット

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7月15日のフルーツフルデザート

 

●万葉歌碑を訪ねて―その135―

 「忘れ草我が紐に付く香具山の古りにし里を忘れむがため」

 

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奈良県橿原市城殿町 本薬師寺跡近くの万葉歌碑(大伴旅人

 この歌碑は、奈良県橿原市城殿町の本薬師寺跡近くにある。道路わきの民家の駐車場の前にあり、観光標識の下にあり、なんとなく大宰府ではるかこの地を思い詠った旅人の歌碑としては設置場所があわれに感じた。

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史跡元薬師寺阯の碑

薬師寺(もとやくしじ)はについては、奈良県観光公式サイト「なら旅ネット」によると、「天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒祈願のために建立した寺。文武天皇2(698)年、藤原京に完成した。現在の場所へは平城京遷都に伴って移築された。現在では遺構として金堂跡と東西両塔跡に大きな礎石だけが残されている。伽藍配置については奈良の薬師寺と全く同じものであったという。金堂跡の巨大な礎石群が、かつての大寺を今に伝える。西ノ京の薬師寺の前身にあたる寺の跡。8世紀の初めの建設で、当時は金堂や東西に二つの塔があったが、現在では建物の基礎となる石や土壇などを残すだけ。石の配置から大寺だったことが想像される。(後略)」とある。

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薬師寺の巨大な礎石

 本薬師寺跡周辺の水田に植えられているホテイアオイが、八月中旬から九月初旬にかけて咲き誇るのである。三年前にホテイアオイの花を見にきたことがあった。

 

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水田いっぱいに咲くホテイアオイの花(本薬師寺跡近く)20160830撮影

 

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ホテイアオイの花と畝傍山そして遠くに二上山

 

 歌をみていこう。

◆萱草 吾紐二付 香具山乃 故去之里乎 忘之為

                 (大伴旅人 巻三 三三四)

 

≪書き下し≫忘れ草我が紐に付く香具山の古(ふ)りにし里を忘れむがため

 

(訳)忘れ草、憂いを忘れるこの草を私の下紐につけました。香具山のあのふるさと飛鳥の里を、いっそのことわすれてしまうために。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫

(注)忘れ草><くゎんざう 【萱草】:草の名。忘れ草。夏、花を咲かせる。

 

 三三一から三三五歌の題詞は、「帥大伴卿歌五首」<帥(そち)大伴卿(おほとものまへつきみ)が歌五首>である。大宰府の長官大伴旅人の望郷の歌である。

 

この5首をみていこう。

 

◆吾盛 復将變八方 殆 寧楽京乎 不見歟将成

                  (大伴旅人 巻三 三三一)

 

≪書き下し≫我が盛りまたをちめやもほとほとに奈良の都をみずかなりなむ

 

(訳)私の盛りの時がまた返ってくるだろうか。いやそんなことは考えられない。ひょっとして、奈良の都、あの都を見ないままに終わってしまうのではないだろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫

(注)をつ【復つ】:元に戻る。若返る。

(注)めやも:〔推量の助動詞「む」の已然形「め」に係助詞「や」、係助詞「も」の

付いたもの。「や」は反語、「も」は詠嘆の意を表す〕

推量または意志を反語的に言い表し、それに詠嘆の意が加わったもの。

…だろうか、いや、そんなことはないなあ。

(注)ほとほと【殆・幾】ひょっとして

 

◆吾命毛 常有奴可 昔見之 象小河乎 行見為

                  (大伴旅人 巻三 三三二)

 

≪書き下し≫我が命も常にあらぬか昔見し象(きさ)の小川(をがわ)を行きて見むため

 

(訳)私の命、この命もずっと変わらずにあってくれないものか。その昔見た象の小川(きさのをがわ)、あの清らかな流れを、もう一度行ってみるために。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫

 

◆淺茅原 曲曲二 物念者 故郷之 所念可聞

                   (大伴旅人 巻三 三三三)

 

≪書き下し≫淺茅原(あさぢはら)つばらつばらにもの思へば古(ふ)りにし里し思ほゆるかも

 

(訳)浅茅原(あさじはら)のチハラではないが、つらつらと物思いに耽(ふけ)っている、若き日を過ごしたあのふるさとと明日香がしみじみと思い出される。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫

(注)つばらつばらに【委曲委曲に】:つくづく。しみじみ。よくよく。

 

◆吾行者 久者不有 夢乃和太 湍者不成而 淵有毛

                   (大伴旅人 巻三 三三五)

 

≪書き下し≫我が行きは久(ひさ)にはあらじ夢(いめ)のわだ瀬にならずて淵(ふち)にしありこそ

 

(訳)私の筑紫在住はそんなに長くはあるまい。あの吉野の夢のわだよ、浅瀬なんかにならずに深い淵のままであっておくれ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫

(注)我が行き:私の旅。大宰府在住をいう。

(注)わだ 【曲】:入り江など、曲がった地形の所。

 

 大伴旅人大宰府に赴任したのは六三、四歳のころである。都では藤原氏が勢いを増し名家の大伴家は没落の一途であった。奈良の都から大宰府に今でいう左遷であるので、やりきれない気持ちが旅人に歌を磨かせたと思われる。万葉集に収録されている旅人の歌はほとんどが大宰府在任中である。山上憶良らと「筑紫歌壇」を形成していったといわれている。

大宰府という「天離(あまざか)る鄙」やりきれないきもちから「望郷の歌」が生まれたと考えられる。

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「太陽 特集万葉集」(平凡社

★「かしはら探訪ナビ」(橿原市HP)

★「橿原の万葉歌碑めぐり」(橿原市観光政策課)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio古語辞典 三省堂大辞林

★「なら旅ネット」(奈良県観光公式サイト)

奈良県橿原市大久保町の大久保町公民館の前庭に「桜児伝説」の桜児の「娘子塚(おとめづか)」がある。(万葉歌碑を訪ねて―その134―)

奈良県橿原市大久保町の大久保町公民館の前庭に「桜児伝説」の桜児の「娘子塚(おとめづか)」がある。二人の男に結婚を申し込まれ、二人の争いをやめさせようと自死したという桜児のお話である。万葉集巻十六の巻頭に「有由縁幷雑歌」とある。他の巻にあるような「題詞」とことなり、「由縁」となる物語と物語に登場する人物の歌を収録する、すなわち「由縁」+「歌」で一つの歌物語を形成する形も取られている。万葉集として、このような形での歌の世界を広げている試みがなされているのである。

 

 

●サンドイッチはサニーレタスと焼き豚である。デザートはりんごの縦切りの半分を十文字状に並べ周りを、バナナ、トンプソンとクリムゾンシードレスの切合わせやスライスで加飾。干しぶどうもアクセントに使った。

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7月14日のザ・モーニングセット

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7月14日のフルーツフルデザート

●万葉歌碑を訪ねて―その134―

「春さらばかざしにせむと我が思ひし桜の花は散り行けるかも」

 

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奈良県橿原市大久保町 大久保町公民館万葉歌碑(作者未詳)

この歌碑は、奈良県橿原市大久保町の大久保町公民館にある。

写真に写っている、歌碑のうしろの白い説明板に、桜児のお墓とされる「娘子塚(おとめづか)」がこの歌碑の前にある丸い小さな塚であると説明されている。

 

歌をみてみよう。

◆春去者 挿頭尓将為跡 我念之 櫻花者 散去流香聞 其一

                  (作者未詳    巻十六 三七八六)

 

≪書き下し≫春さらばかざしにせむと我が思ひし桜の花は散り行けるかも その一

 

(訳)春がめぐってきたら、その時こそ挿頭(かざし)にしようと私が心に思い込んでいた桜の花、その花ははや散って行ってしまったのだ、ああ。 その一 (伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)挿頭にせむ:髪飾りにしようと。妻にすることの譬え。

 

 この歌は、巻十六の巻頭歌である。巻十六は、巻頭に「有由縁幷雑歌」とある。「有由縁幷せて雑歌」ないし「有由縁、雑歌を幷せたり」と訓読され、「『由縁』(ことの由来)ある歌と雑歌」を収録している標示であると理解される。ただ、「目録」には、「幷」の文字はなく、「有由縁雑歌」であることから、「由縁有る雑歌」とする説もある。

 ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて―その116―」にも触れているが、神野志隆光氏は、その著「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」(東京大学出版会)の中で、単なる「由縁ある雑歌」を収録したものではないとして「『由縁』(ことの由来)ある歌と雑歌」を収録しているとしている。その理由として、巻十六は、大きく分けて、次の五つのグループに分けられると分析されている。

①題詞が、物語的な内容をもち、歌物語といえるような歌のグループ(三七八六~三八〇五歌)

②題詞でなく、左注が歌物語的に述べる歌のグループ(三八〇六~三八一五歌)

③いろいろな物を詠いこまれるように題を与えられたのに応じた形の歌のグループ(三八二四~三八三四歌)(三八五五~三八五六歌)

④「嗤う歌」と題詞にいう歌のグループ(三八四〇~三八四七歌)

⑤国名を題詞に掲げる歌のグループ(三八七六~三八八四歌)

巻十六は、①②のように物語的な内容を踏まえた歌、まさに「有由縁」歌であり、そのほかは他の巻とは異なる視点からの「雑歌」を集めた形をなしており、「歌物語をはじめとして、雑多な、歌においてありうるこころみを(万葉集として)つくして見せ」ていると述べておられる。

 

 再び、歌碑の歌に戻ってみていこう。この歌は、「由縁」となる歌物語が収録されており、「其の一」と「其の二」の歌からなる歌物語である。

 「由縁」をみていこう。

◆昔者有娘子 字曰櫻兒也 于時有二壮子 共誂此娘 而捐生挌竟貪死相敵 於是娘子戯欷曰 従古来于今 未聞未見 一女之見徃適二門矣 方今壮子之意有難和平 不如妾死相害永息 尓乃尋入林中懸樹經死 其兩壮子不敢哀慟血泣漣襟 各陳心緒作謌二首

 

≪書き下し≫昔、娘子(をとめ)あり。字(あざな)を桜児(さくらこ)といふ。時に、二人(ふたり)の壮士(をとこ)あり。共にこの娘子(をとめ)を誂(とぶら)ひ、生(いのち)を捐(す)てて挌競(あらそ)ひ、死を貪(むさぼ)りて相敵(あひあた)る。ここに、娘子戯欷(なげ)きて日(い)はく、「古(いいしへ)より今に来(いた)るまで、いまだ聞かずいまだ見ず、一人(ひとり)の女(をみな)の身、二つの門(かど)に往適(ゆ)くといふことを。方今(いま)し壮士(をとこ)の意(こころ)、和平(やは)しかたきことあり。如(し)かじ、妾(われ)死(みま)かりて相害(あひそこな)ふこと永(なが)く息(や)まむには」といふ。すなはち、林の中に尋(たづ)ね入(い)り、樹(き)に懸(かか)りて経(わな)き死にき。その両人(ふたり)の壮士(をとこ)、哀慟(かなしび)に敢(あ)へず、血の泣(なみた)襟(えり)に漣(なが)る。おのもおのも心緒(おもひ)を陳(の)べて作る歌二首

 

(訳)昔娘子がいた。名を桜児という。時に二人の男がいて、ともにこの娘に求婚し、命を捨ててあらそい、死をおそれずに挑みあった。そこで娘はすすり泣きしながらいった。「昔から今にいたるまで、ひとりの女が二つの家に嫁ぐなど、聞いたことも見たこともありません。いま男たちの気持ちは、和解しようもありません。わたしが死んでたたかいをおさめるほかありません」と。娘はそこで林の中に入り、木に首を吊って死んだ。その二人の男は、深い悲しみに堪えず、血の涙に襟を濡らした。めいめいが思いを陳べて作った歌二首(神野志隆光 著 「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 東京大学出版会より)

(注)あざな【字】:呼びならわされている名。通称。

(注)あとらふ 【誂ふ】頼んで自分の思いどおりにさせる。誘う。

(注)戯欷(なげ)きて:すすり泣いて

 

 

もう一首のほうもみてみよう。

◆妹之名尓 繋有櫻 花開者 常哉将戀 弥年之羽尓 其二

                  (作者未詳 巻十六 三七八七)

 

≪書き下し≫妹(いも)が名に懸(か)けたる桜花(はな)咲かば常(つね)にや恋ひむいや年のはに その二

 

(訳)いとしいあの子の名にかかわりのある桜、その桜の花が咲く時になったなら、いつも恋しさに堪えきれないであろう、来る年も来る年もずっと。 その二 (伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)懸けたる:かかわりのある

(注)いやとし【弥年】:毎年。年ごと。(コトバンク 大辞林 第三版)

 

先にあげていた事例の①にように題詞の語る物語の中の登場人物が、歌を詠うという点で、通常の題詞と意味合いが異なり、題詞という物語的な内容に加え歌があり、全体として、歌物語となっているのである。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「橿原の万葉歌碑めぐり」(橿原市観光政策課)

★「かしはら探訪ナビ」(橿原市HP)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 大辞林 第三版」

畝火山口神社(うねびやまぐちじんじゃ)は、もともと畝傍山の西麓にあったが、一度、畝傍山の山頂に移され、昭和十五年の橿原神宮の大拡張工事の際、橿原神宮や神武天皇陵を見下ろす位置にあることから、のぞましくないと考えられ現在の位置に移されたという。(万葉歌碑を訪ねて―その133―)

● 畝火山口神社(うねびやまぐちじんじゃ)は、畝傍山(うねびやま)の西山麓にある。もともと畝傍山の西麓にあったが、一度、畝傍山の山頂に移されたという。しかし、昭和十五年の橿原神宮の大拡張工事の際、橿原神宮神武天皇陵を見下ろす位置にあることから、のぞましくないと考えられ現在の位置に移されたという。

 

●サンドイッチの中味は、ミックスベジタブルを使ったミニオムレツである。マヨネーズを混ぜフンワリ感を出した。デザートは、りんごの輪切りの花柄型抜きを置き、バナナとトンプソンならびにクリムゾンシードレスの切合わせで加飾。干しぶどうでアクセントをつけた。

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7月13日のザ・モーニングセット

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7月13日のフルーツフルデザート

●万葉歌碑を訪ねて―その133―

「思ひあまりいたもすべなみ玉たすき畝傍の山に我れ標結ひつ」

 

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奈良県橿原市大谷町畝火山口神社万葉歌碑(作者未詳)

 この歌碑は、奈良県橿原市大谷町 畝火山口神社にある。

 畝火山口神社(うねびやまぐちじんじゃ)は、畝傍山(うねびやま)の西山麓にある。もともと畝傍山の西麓にあったが、一度、畝傍山の山頂に移されたものの、昭和十五年の橿原神宮の大拡張工事の際、橿原神宮神武天皇陵を見下ろす位置にあることから、現在の位置に移されたという。

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畝傍山西麓

 畝火山口神社に上る道は狭そうなので、下の方の広場に車を止める。そこから歩いていく。

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畝火山口神社への上り道

しばらく上ると鳥居が見えて来る。このあたりから登りがすこしきつくなる。鳥居の手前に「畝火山口神社」の銘碑がある。さらに手前の右手の草蒸したところに歌碑はあった。

 

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畝火山口神社鳥居と神社銘碑

 

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拝殿

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拝殿から本殿を見る

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本殿

 

歌をみていこう。

◆思賸 痛文為便無 玉手次 雲飛山仁 吾印結

               (作者未詳 巻七 一三三五)

 

≪書き下し≫思ひあまりいたもすべなみ玉たすき畝傍(うねび)の山に我(わ)れ標結(しめゆ)ひつ

 

(訳)思い余ったあげく、何とも致し方がなくて、私は、神聖な畝傍の山に占有の標縄(しめなわ)を張ってしまった。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)おもひあまる【思ひ余る】:思案に余る。恋しさに堪え切れなくなる。

               (weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)たまだすき【玉襷】:分類枕詞 たすきは掛けるものであることから「掛く」

   に、また、「頸(うな)ぐ(=首に掛ける)」ものであることから、

   「うなぐ」に似た音を含む地名「畝火(うねび)」にかかる。(同上)

(注)標結う:占有を示す標識として、縄などをむすんで巡らす。

     また、草などをむすんで目印をつける。(コトバンク デジタル大辞泉

 

 

 遺構展示館駐車場脇から車で東院庭園に向かう。同庭園前の駐車場に車を止め庭園めぐりをする。二回目である。「東院庭園」は、孝謙天皇重祚した称徳天皇の時代に宴会や儀式を催した庭園を復原したものである。隅楼や中央建物の柱をよくみてみると正八角形である。最初来た時に資料室で八角柱基礎の発掘模型を見たのだが、建物の柱までじっくり見ていなかったのである。

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東院庭園隅楼の八角

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中央建物の八角柱と隅楼

 

 庭園の池をひとまわりして、駐車場に戻る。次は、車を遺構展示館の駐車場に止め、平城天皇陵から佐紀神社を歩いて巡ることに。

 平城天皇(へいぜいてんのう)は、「[774~824]第51代天皇。在位806~809。桓武天皇の第1皇子。名は安殿(あて)。中央官制の縮小など政治の刷新に努めたが、病のため嵯峨天皇に譲位。のち、薬子(くすこ)の変で復位をはかったが失敗して出家。奈良の帝。」(コトバンク 小学館デジタル大辞泉より)とある。

 陵は、平城宮跡大極殿の北北東の位置にある。神功皇后陵、成務天皇陵、孝謙天皇陵、日葉酢媛命陵、宇和奈辺陵、小奈辺陵、磐之媛命陵と何度も行っているがなぜかこの陵だけは行ったことがなかった。歌姫街道に通じる佐紀町の交差点の一本東の道を北にまっすぐ進むと陵がある。入り口横は電気屋さんである。

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平城天皇

 陵の次は、佐紀神社である。大極殿の裏(北側)を見ながらしばらく歩くと、幼稚園が左手にあり、その反対側にこんもりした杜がある。そこが佐紀神社(亀畑)である。

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佐紀神社(亀畑)鳥居と参道

 

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佐紀神社(亀畑)拝殿と境内

 驚くことに御前池を挟んで同名の佐紀神社(西畑)がある。

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佐紀神社(西畑)鳥居と参道

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佐紀神社(西畑)拝殿と境内

 

 佐紀神社の裏手に接する形で池にそってもう一つ釣殿神社がある。釣殿神社も佐紀神社(西畑)も佐紀神社(亀畑)から分祀下らとのことである。

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釣殿神社鳥居と境内

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拝殿

 御前池は昔、釣堀であった。何度か釣りに来たことがあった。

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釣殿神社境内から御前池越しに佐紀神社(亀畑)を望む

 釣殿神社や佐紀神社のことはこのころは関心がなかったのである。池の縁を歩くと鯉がたくさん口パクをやっている。エサを求めているのだろう。のんびりとした平城京周辺めぐりであった。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「橿原の万葉歌碑めぐり」(橿原市観光政策課)

★「かしはら探訪ナビ」(橿原市HP)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク デジタル大辞泉

万葉集の歌の理解にも時間軸、空間軸が違っても三現主義の考え方は生かすべきと思う(万葉歌碑を訪ねて―その132―)

● 一九六歌に、明日香乃河之 上瀬 石橋渡(一云、石浪)<明日香の川の 上(かみ)つ瀬に 石橋(いしばし)渡す<一には「石並」といふ> とあるが、七月八日に行った、明日香村の稲淵の飛石(石橋)を見たのであるが、情景が具体的に目に浮かぶし、「石浪>石並」と言う言葉も納得できる。万葉集の歌の理解にも三現主義(現場、現物、現実を重視する)は欠かせないものである。

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明日香村稲淵の飛石(石橋)―飛鳥川

 

 

●サンドイッチは、フランスパン、中味は、レタスと焼き豚である。デザートは、りんごの縦切りスライスを風車の羽のように並べ、トンプソンとクリムゾンシードレスの切り合わせを中央と4か所に飾り、それぞれの4分の1カットを随所に加飾。干しぶどうも使った。

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7月12日のザ・モーニングセット

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7月12日のフルーツフルデザート

●万葉歌碑を訪ねて―その132―

  「明日香川しがらみ渡し塞かませば流るる水ものどにかあらまし」

 

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奈良県橿原市今井町今井まちなみ交流センター夢甍北側中庭万葉歌碑(柿本人麻呂

この歌碑は、奈良県橿原市今井町まちなみ交流センター「華(はないらか)」にある。

 

 今井町まちなみ交流センター「華甍」は、奈良県の指定文化財である。明治36年(1903)高市郡教育博物館として建設され、昭和4年からは今井町役場として使用されていた。当時、奈良県社会教育施設としては、奈良市所在の重要文化財「旧帝国博物館」に次ぐものだったという。「華甍」の北側に「明日香川」をイメージした「流れ」があり、建物との間の中庭に歌碑がある。駐車場も観光トイレも整備されている。

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今井まちなみ交流センター夢甍

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夢甍正面


歌をみていこう。

◆明日香川 四我良美渡之 塞益者 進留水母 能杼尓賀有萬思  一云水乃与杼尓加有益

                            (柿本人麻呂 巻二 一九七)

 

≪書き下し≫明日香川しがらみ渡し塞(せ)かませば流るる水ものどにかあるまし  一には「水の淀にからまし」といふ

 

(訳)明日香川、この川にしがらみを掛け流して塞きとめたなら、激(たぎ)ち流れる水もゆったりと逝くであろうに。<水が淀(よど)みでもすることになるであろうか>(伊藤 博  著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より) 

 

 この歌は、題詞、「明日香皇女木▼殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首幷短歌」の短歌二首のうちの一首である。題詞の書き下しは、「明日香皇女(あすかのひめみこ)の城上(きのへ)の殯宮(あらきのみや)の時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首幷せて短歌」である。

          ※▼は「瓦+缶」 「木▼」=きのへ

 

長歌をみてみよう。

◆飛鳥 明日香乃河之 上瀬 石橋渡(一云、石浪) 下瀬 打橋渡 石橋(一云、石浪) 生靡留 玉藻毛叙 絶者生流 打橋 生乎為礼流 川藻毛叙 干者波由流 何然毛 吾王生乃 立者 玉藻之如許呂 臥者 川藻之如久 靡相之 宣君之 朝宮乎 忘賜哉 夕宮乎 背賜哉 宇都曽臣跡 念之時 春部者 花折挿頭 秋立者 黄葉挿頭 敷妙之 袖携 鏡成 唯見不献 三五月之 益目頬染 所念之 君与時ゞ 幸而 遊賜之 御食向 木瓲之宮乎 常宮跡定賜 味澤相 目辞毛絶奴 然有鴨(一云、所己乎之毛) 綾尓憐 宿兄鳥之 片戀嬬(一云、為乍) 朝鳥(一云、朝霧) 往来為君之 夏草乃 念之萎而 夕星之 彼往此去 大船 猶預不定見者 遺問流 情毛不在 其故 為便知之也 音耳母 名耳毛不絶 天地之 弥遠長久 思将往 御名尓懸世流 明日香河 及万代 早布屋師 吾王乃 形見何此為

                                          (柿本人麻呂 巻二 一九六)

 

≪書き下し≫飛ぶ鳥 明日香の川の 上(かみ)つ瀬に 石橋(いしばし)渡す<一には「石並」といふ> 下(しも)つ瀬に 打橋(うちはし)渡す 石橋に<一には「石並」といふ> 生(お)ひ靡(なび)ける 玉藻ぞ 絶ゆれば生(は)ふる 打橋に 生ひををれる 川藻もぞ 枯るれば生ゆる なにしかも 我が大君の 立たせば 玉藻のもころ 臥(こ)やせば 川藻のごとく 靡かひし 宜しき君が 朝宮を 忘れたまふや 夕宮を 背(そむ)きたまふや うつそみと 思ひし時に 春へは 花折りかざし 秋立てば 黄葉(もみぢば)かざし 敷栲(しきたへ)の 袖たづさはり 鏡なす 見れども飽かず 望月(もちづき)の いや愛(め)づらしみ 思ほしし 君と時時(ときとき) 出でまして 遊びたまひし 御食(みけ)向かふ 城上(きのへ)の宮を 常宮(とこみや)と 定めたまひて あぢさはふ 目言(めこと)も絶えぬ しかれかも<一には「そこをしも」といふ> あやに悲しみ ぬえ鳥(どり)の 片恋(かたこひ)づま(一には「しつつ」といふ) 朝鳥(あさとり)の<一つには「朝霧の」といふ> 通(かよ)はす君が 夏草の 思ひ萎(しな)えて 夕星(ゆふつづ)の か行きかく行き 大船(おほふな)の たゆたふ見れば 慰(なぐさ)もる 心もあらず そこ故(ゆゑ)に 為(せ)むすべ知れや 音(おと)のみも 名のみも絶えず 天地(あめつち)の いや遠長(とほなが)く 偲ひ行かむ 御名(みな)に懸(か)かせる 明日香川 万代(よろづよ)までに はしきやし 我が大君の 形見(かたみ)にここを

 

(訳)飛ぶ鳥明日香の川の、川上の浅瀬に飛石を並べる(石並を並べる)、川下の浅瀬に板橋を掛ける。その飛石に(石並に)生(お)い靡いている玉藻はちぎれるとすぐまた生える。その板橋の下に生い茂っている川藻は枯れるとすぐまた生える。それなのにどうして、わが皇女(ひめみこ)は、起きていられる時にはこの玉藻のように、寝(やす)んでいられる時にはこの川藻のように、いつも親しく睦(むつ)みあわれた何不足なき夫(せ)の君の朝宮をお忘れになったのか、夕宮をお見捨てになったのか。いつまでもこの世のお方だとお見うけした時に、春には花を手折って髪に挿し、秋ともなると黄葉(もみぢ)を髪に挿してはそっと手を取り合い、いくら見ても見飽きずにいよいよいとしくお思いになったその夫の君と、四季折々にお出ましになって遊ばれた城上(きのえ)の宮なのに、その宮を、今は永久の御殿とお定めになって、じかに逢うことも言葉を交わすこともなされなくなってしまった。そのためであろうか(そのことを)むしょうに悲しんで片恋をなさる夫の君(片恋をなさりながら)朝鳥のように(朝霧のように)城上の殯宮に通われる夫の君が、夏草の萎(な)えるようにしょんぼりして、夕星のように行きつ戻りつ心落ち着かずにおられるのを見ると、私どももますます心晴れやらず、それゆえどうしてよいかなすすべを知らない。せめて、お噂(うわさ)だけ御名(みな)だけでも絶やすことなく、天地(あめつち)とともに遠く久しくお偲びしていこう。その御名にゆかりの明日香川をいついつまでも……、ああ、われらが皇女の形見としてこの明日香川を。(伊藤 博  著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)ををれる<ををる 【撓る】:(たくさんの花や葉で)枝がしなう。

                 たわみ曲がる。

(注)もころ【如・若】名詞〔連体修飾語を受けて〕…のごとく。…のように。

                    ▽よく似た状態であることを表す

(注)はるへ<はるべ 【春方】名詞 春のころ。春。古くは「はるへ」

(注)しきたへの 【敷き妙の・敷き栲の】分類枕詞 「しきたへ」が寝具である

      ことから「床(とこ)」「枕(まくら)」「手枕(たまくら)」に、

      また、「衣(ころも)」「袖(そで)」「袂(たもと)」「黒髪」

      などにかかる。

(注)たづさふ 【携ふ】:手を取りあう。連れ立つ。連れ添う。

(注)あぢさはふ:分類枕詞 「目」にかかる。語義・かかる理由未詳。

(注)目言(めこと):名詞 実際に目で見、口で話すこと。

            顔を合わせて語り合うこと。

(注)たゆたふ:定まる所なく揺れ動く。

        (注)は、「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」による。

 

もう一つの短歌をみてみよう。

◆明日香川 明日谷(一云左倍)将見等 念八方(一云念香毛) 吾王 御名忘世奴(一云御名不所忘)

               (柿本人麻呂 巻二 一九八)

 

≪書き下し≫明日香川(あすかがは)明日(あす)だに<一には「さへ」といふ>見むと思へやも<一には「思へかも」という>我が大君の御名(みな)忘れせぬ<一には「御名忘らえぬ」といふ>

 

(訳)明日香川がこの川の名のように、せめて明日だけでもお逢いしたいと来る日も来る日もおもっているからなのか、いやもうお逢いできないとは知りながら、我が皇女の御名を忘れることができない。これまでのように明日もお逢いしたいと思うからか、わが皇女の御名が忘れられない。(伊藤 博  著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

 

(参考文献)

★{萬葉集} 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「橿原の万葉歌碑めぐり」(橿原市観光政策課)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

「真鳥住 卯名手乃社」という七文字に、壮大かつ荘厳な光景と自然への畏怖をも感じさせる描写感覚に完全脱帽(万葉歌碑を訪ねて―その131―)

●真鳥住 雲梯の社(杜)というだけで、雲に届くかのような梯子に見立てられるような大木があり、その高いところに鷲が住んでいる、何と壮大な光景であろうか。万葉びとの自然に対する畏怖が感じられるのである。「真鳥住 卯名手乃社」七文字でこのような広大で荘厳な世界を言い表している描写感覚に完全脱帽である。

 

●サンドイッチはロメインレタスと焼き豚である。食パン八分の一の三角形のサンドイッチにした。デザートは、りんご、バナナ、トンプソンとクリムゾンシードレスの飾り切合わせで加飾。干しぶどうはアクセントに。ご近所さんからまたまた野菜をいただく。ミニトマトは瓶に入れ、ピーマンやキュウリも並べてオブジェとした。

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7月11日のザ・モーニングセット

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7月11日のフルーツフルデザート

●万葉歌碑を訪ねて―その131―

 「思はぬを思ふと言はば真鳥棲む雲梯の社の神し知らさむ」

 

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河俣神社万葉歌碑(作者未詳)

この歌碑は、奈良県橿原市雲梯町の河俣神社境内にある。

 

歌をみていこう。

◆不想乎 想常云者 真鳥住 卯名手乃社之 神思将御知

(作者未詳 巻十二 三一〇〇)

 

≪書き下し≫思はぬを思ふと言はば真鳥(まとり)棲(す)む雲梯(うなて)の社(もり)の神し知らさむ

 

(訳)思ってもいないのに思っているなど言おうものなら、恐ろしい鷲(わし)の棲む雲梯(うてな)の社の神様が見通して処分されることであろう。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

 

(注)まとり【真鳥】:鳥の美称。多く、鷲(わし)をさす。(weblio辞書 三省堂大辞林

(注)しらす 【知らす・領らす】( 連語 )〔「しる」に上代の尊敬の助動詞「す」が付いたもの〕① お知りになる。知っていらっしゃる。

②  国を統治される。しろす。しろしめす。(weblio辞書 三省堂大辞林

 

 河俣神社は、南都銀行ポータルサイト「ええ古都なら」によると、「曽我川の畔に建つ万葉の古社。曽我川の東岸、近鉄坊城駅から歩いて15分ほどのところに鎮座する。曽我川の堤は春は桜並木、秋は紅葉が美しい。祭神は鴨八重事代主神(かものやえことしろぬしのかみ)。延喜式内社(えんぎしきないしゃ)にある高市郡高市御県坐鴨事代主神社(たかいちみあがたにいますかものことしろぬしじんじゃ)と考えられている。現在も、大阪の住吉神社畝傍山(うねびやま)の埴土(はにつち)を採取しに来る行事の際のお旅所となっており、ここで装束を整えることから「装束の宮」の名前でも親しまれている。」とある。

 

 磐余神社から、雲梯町(うなてちょう)の河俣神社(かわまたじんじゃ)を目指す。神社には、駐車場がないので、「河俣神社」名碑が立っている、曽我川にかかる戎智橋の手前のちょっとしたスペースに車を止める。

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河俣神社名碑

 参道があり、途中に鳥居が立っている。さらに奥に、境内を囲むように石柱塀が立っている。石柱塀から少し奥に入ったところにも鳥居が立っている。

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参道ほぼ中央の鳥居と境内入口の石柱塀

拝殿に向かって右手、曽我川側の石柱塀のうしろに歌碑がある。

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鳥居と石柱塀と万葉歌碑

 歌碑と反対側の石柱塀にそって左に進むと、畑があり、視界が広がる。畝傍山がくっきりと見える。

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河俣神社からの畝傍山の眺め

曽我川に沿って桜の木が何本も植えられているので、春は見事な景色を見せることだろう。

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曽我川

 

「真鳥住 卯名手乃杜」と詠いこんだ歌が一三四四歌である。

◆真鳥住 卯名手之神社之 菅根乎 衣尓書付 令服兒欲得

                   (作者未詳 巻七 一三四四)

 

≪書き下し≫真鳥(まとり)棲む雲梯(うなて)の杜(もり)の菅(すが)の根を衣(きぬ)にかき付け着せむ子もがも

 

(訳)鷲が棲(す)む雲梯(うなて)の杜(もり)の長い菅(すげ)の根、その根を衣(きぬ)に描き付けて着せてくれるかわいい子がいたらいいのになあ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)もがも:終助詞 《接続》体言、形容詞・断定の助動詞の連用形などに付く。

〔願望〕…があったらなあ。…があればいいなあ。

weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 鷲が住むような森があり、雲に届かんばかりの高い木々が、梯子のように見えたので雲梯(うなて)と名付けられたのだろうか。

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「橿原の万葉歌碑めぐり」(橿原市観光政策課)

★「ええ古都なら」(南都銀行ポータルサイト

磐余神社の西側には曽我川が流れている。神社のある中曽司町の南に隣接するのは曽我町である。大化の改新で滅亡した蘇我氏一族と縁が深い土地である。(万葉歌碑を訪ねて―その130―)

●磐余神社の西側には曽我川が流れている。神社のある中曽司町の南に隣接するのは曽我町である。大化の改新で滅亡した蘇我氏一族と縁が深い土地である。飛鳥で勢力を伸ばした蘇我氏の大和の国における誕生の地であったのだ。歌から調べていって広がる世界、ますます万葉集の魅力にひかれる思いである。

 

●サンドイッチは、サンチュと焼き豚である。焼き豚が少し厚めであったので、トマトをはさむのをやめた。デザートは、りんごの縦切りの半分を8切れ立ててみた。周りをトンプソンとクリムゾンシードレス、バナナで加飾。干しぶどうでアクセントをつけた。

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7月10日のザ・モーニングセット

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7月10日のフルーツフルデザート

●万葉歌碑を訪ねて―その130―

 「ま菅よし宗我の川原に鳴く千鳥間なし我が背子我が恋ふらくは」

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奈良県橿原市中曽司町磐余神社参道万葉歌碑(作者未詳)


 この歌碑は、奈良県橿原市中曽司町 磐余神社にある。

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磐余神社鳥居と参道

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磐余神社拝殿


 

歌をみていこう。

◆真菅吉 宗我乃河原尓 鳴千鳥 間無吾背子 吾戀者

               (作者未詳 巻十二 三〇八七)

 

≪書き下し≫ま菅よし宗我(そが)の川原に鳴く千鳥(ちどり)間(ま)なし我(わ)が背子(せこ)我(あ)が恋ふらくは

 

(訳)ま菅の名の宗我の川原に鳴きしきる千鳥、その声のようにのべつまくなしです、あなた。私の恋心は。(伊藤 博 著 「万葉集 三」角川ソフィア文庫より)

(注)ま菅よし:「宗我」にかかる枕詞。類音。

(注)宗我川:曽我川(そががわ)は、奈良県中西部を流れる大和川水系一級河川

奈良盆地西部を多く北流する大和川の支流の一つで、中流域では最大の支流

である。古代には宗我川と綴った。また重阪川(上流渓谷部)、百済川などの

異称もある。(出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)

 

 私の恋心は、千鳥の声のようにのべつまくなしですよ。あなた、と、いう強い気持ちは、ますが、そが、わが、あがと強いリズムに裏打ちされているように感じる。

 

●磐余神社があるのは橿原市中曽司町(なかぞしちょう)でるが、南に隣接して曽我町がある。この歌の「真菅」については、南都銀行ポータルサイト「ええ古都なら」によると、「現在の橿原市曽我町は、旧真菅(ますげ)村の村域に入りますが、いまも真菅(ますが)駅や真菅(ますげ)小学校など、同じ字で読み方の異なる名称が並存しています。この枕詞の読みにも、「ますがよし」「ますげよし」の2つの説があります。地名や名称の中に、いまも万葉の世界が生きているとは、なんともロマンチックです。」とある。

 磐余神社の西側には曽我川が流れている。橿原市曽我町は、蘇我氏と縁の深い土地だという。「ええ古都なら」によると、「河内から移ってきた石川宿祢(いしかわのすくね)が居館を構え、そのときに当時の地名表記であった『蘇我』を、一族の姓としたといわれています。のちに飛鳥で勢力を伸ばしていく前の、いわば大和国における蘇我氏の誕生の地といえるでしょう。真菅駅の南側には蘇我氏の祖神を祀り、曽我さんと親しまれる宗我坐宗我都比古(そがにいますそがつひこ)神社が、また大和八木駅の西には、蘇我入鹿を祀る入鹿神社が鎮座しています。」とある。この入鹿神社については、明治時代、「歴史上『逆臣』の蘇我氏を祀るのはやめるよう政府から命令が下されましたが、地元の人々が断固反対したといいます。約1500年も前の人々でありながら、いまも地元民に愛される蘇我一族」と言われているそうである。

 歌の「真菅」「宗我の川原」から手繰っていくと、蘇我氏一族のルーツまで紐解けたのは驚きであった。

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「ええ古都なら」 (南都銀行ポータルサイト

★「フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』」

 

大伴家持の歌の数も、花を詠った歌の数も越中時代におよそ半数が詠われているという。(万葉歌碑を訪ねて―その129―)

越中国守として赴任、大伴家持越中に五年も暮らすことになったので、やりきれない思いが強く、また望郷の念も強かったと思われる。そうした思いを紛らわすために、歌を作る、歌の勉強に没頭したと考えられる。花の歌が多いのも、花を通して妻や都への思いを訴えていたようである。歌の数も、花を詠った歌の数も越中時代におよそ半数が詠われているという。

 

●サンドイッチは、サンチュとトマトと焼き豚である。包丁をかえてから、三角形に切りお皿に並べた。デザートは、りんご、キウイ、バナナ、レッドグローブそれに久々のトンプソンである。干しぶどうも使った。

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7月9日のザ・モーニングセット

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7月9日のフルーツフルデザート

●万葉歌碑を訪ねて―その129―

 

「吾が園の李の花か庭に散るはだれのいまだ残りたるかも」

 

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奈良県橿原市南浦町万葉の森万葉歌碑(大伴家持

この歌碑は、奈良県橿原市南浦町万葉の森にある。橿原万葉の森第9弾(最後の歌碑)である。

 

歌をみていこう。

◆吾園之 李花可 庭尓落 波太礼能未 遺在可母

                                      (大伴家持    巻十九 四一四〇)

 

≪書き下し≫我が園の李の花か庭に散るはだれのいまだ残りてあるかも

 

(訳)我が園の李(すもも)の花なのであろうか、庭に散り敷いているのは。それとも、はだれのはらはら雪が残っているのであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」角川ソフィア文庫より)

(注)はだれ 【斑】:「斑雪(はだれゆき)」の略 

※はだれゆき 【斑雪】:はらはらとまばらに降る雪。また、薄くまだらに

降り積もった雪。「はだれ」「はだらゆき」とも。

                  (weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 題詞は、「天平勝寶二年三月一日之暮眺矚春苑桃李花作二首」<天平勝寶(てんぴょうしょうほう)三年の三月の一日の暮(ゆうへ)に、春苑(しゆんゑん)の桃李(たうり)の花を眺矚(なが)めて作る歌二首>である。

 

 もう一首をみていこう。こちらは、巻十九の冒頭歌である。

 

◆春苑 紅尓保布 桃花 下照道尓 出立▼嬬

               (大伴家持 巻十九 四一三九)

※           ▼は「女+感」であり「女+感心」「嬬」で「をとめ」

 

≪書き下し≫春の園、紅(くれなゐ)にほふ桃の花下照(したで)る道に出で立つ娘子(をとめ)

 

(訳)春の園、園一面に紅く照り映えている桃の花、この花の樹の下まで照り輝く道に、つと出で立つ娘子(おとめ)よ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」角川ソフィア文庫より)

(注)いでたつ:出て行ってそこに立つ

 

 大伴家持天平一八年(七四六年)から天平勝宝三年(七五一年)まで、越中国守として赴任している。

 家持生涯の歌が、四八五首ほどあるといわれているが、この五年間に二二〇首と半数近い歌を作っている。花を詠ったのは一三五首で、越中時代に七十首と言われている。犬養 孝氏は、「万葉の人びと」(新潮文庫)のなかで、「大伴家持越中生活というのは、歌人家持にとってこれほど大事な時はないと思うんです。歌人家持が生まれるのも、越中生活があったからだと思います。」と書いておられる。都を遠く離れた「天ざかる鄙」である越中に五年も暮らすことになったので、やりきれない思いが強く、また望郷の念も強かったと思われる。そうした思いを紛らわすために、歌を作る、歌の勉強に没頭したと考えられる。花の歌が多いのも、花を通して妻や都への思いを訴えていたようである。

 

 飛鳥川雷橋右岸上流100m位のところに、「なでしこ」と銘打った歌碑があった。作歌名も揮毫者名もなく、民家の家の前の道端にあり、ベコニアの花がその前に植えてあるので、今様の歌の歌碑だと勝手に判断したのである。せっかく目の前にありながらで万葉歌碑ではないと思い撮影もしなかったが、後で調べると大伴家持の歌碑であることが分かった。写しておいて違えば消去すればよいのだが、なぜか写す気にもならなかったのである。昨日の明日香村犬養孝揮毫万葉歌碑めぐりの帰路改めて撮影したのであった。

 今日、家持の花の歌の数が多いのを知り、改めてこの「なでしこ」の歌を調べてみた。巻八 部立「春相聞」の冒頭歌であり、妻になった大伴坂上家之大嬢に贈った歌と知ったのである。「我がやどに蒔きしなでしこいつしかも花に咲きなむなそへつつ見む」(巻八 一四四八)

今日は、己の不勉強さをいやというほど思い知らされたのである。

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)    

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「かしはら探訪ナビ」(橿原市HP)