万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その356、357)―東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(97、98)―

―その356―

●歌は、「萩の花尾花葛花なでしこの花をみなへしまた藤袴朝顔の花」である。

 

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万葉の森船岡山万葉歌碑(97)(山上憶良

●歌碑は、東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(97)である。

 

●歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その62)でふれている。

歌をみていこう。

 

◆芽之花 乎花葛花 瞿麦之花 姫部志 又藤袴 朝<顔>之花

                  (山上憶良 巻八 一五三八)

   ※<顔>と書いているが、白の下に八であるが、漢字が見当たらなかったため

 

≪書き下し≫萩の花 尾花(をばな) 葛花(くずはな) なでしこの花 をみなへし また藤袴(ふぢはかま) 朝顔の花

 

(訳)一つ萩の花、二つ尾花、三つに葛の花、四つになでしこの花、うんさよう、五つにおみなえし。ほら、それにまだあるぞ、六つ藤袴、七つ朝顔の花。うんさよう、これが秋の七種の花なのさ。(伊藤 博著「萬葉集 二」角川ソフィア文庫より)

                           

 「藤袴」は万葉集で詠われているのはこの一首のみである。本来は、中国原産で、古い時代に薬草として伝来し、のちに栽培され野生化したと思われる。中国では、「蘭草」、「香草」、「香水蘭」といい、藤袴は生乾きの状態ではいい香りがするのである。

 

 

―その357―

●歌は、「なでしこが花見るごとに娘子らが笑まひのにほい思ほゆるかも」である。

 

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万葉の森船岡山万葉歌碑(98)(大伴家持

●歌碑は、東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(98)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆奈泥之故我 花見流其等尓 乎登女良我 恵末比能尓保比 於母保由流可母

                          (大伴家持 巻十八 四一一四)

 

≪書き下し≫なでしこが花見るごとに娘子(をとめ)らが笑(ゑ)まひのにほい思ほゆるかも

 

(訳)なでしこの花を見るたびに、いとしい娘子の笑顔のあでやかさ、そのあでやかさが思われてならない。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)ゑまひ【笑まひ】名詞:①ほほえみ。微笑。②花のつぼみがほころぶこと。

 

 山上憶良が、秋の七草のひとつとして「なでしこ」を詠んだ歌は、上記、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その356)」に紹介したところである。万葉集では二五首に詠まれている。大伴家持は十一首も詠んでいる。

 

この歌の題詞は、「庭中花作歌一首并短歌」<庭中の花を見て作る歌一首并せて短歌>である。長歌(四一一三)と反歌二首(四一一四、四一一五歌)からなっている。

 

長歌をみてみよう。

 

◆於保支見能 等保能美可等ゝ 末支太末不 官乃末尓末 美由支布流 古之尓久多利来安良多末能 等之能五年 之吉多倍乃 手枕末可受 比毛等可須 末呂宿乎須礼波 移夫勢美等 情奈具左尓 奈泥之故乎 屋戸尓末枳於保之 夏能ゝ 佐由利比伎宇恵天 開花乎 移弖見流其等尓 那泥之古我 曽乃波奈豆末尓 左由理花 由利母安波無等 奈具佐無流 許己呂之奈久波 安末射可流 比奈尓一日毛 安流へ久母安礼也

               (大伴家持 巻十八 四一一三)

 

≪書き下し≫大王(おほきみ)の 遠(とほ)の朝廷(みかど)と 任(ま)きたまふ 官(つかさ)のまにま み雪降る 越(こし)に下(くだ)り来(き) あらたまの 年の五年(いつとせ) 敷栲の 手枕(たまくら)まかず 紐(ひも)解(と)かず 丸寝(まろね)をすれば いぶせみと 心なぐさに なでしこを やどに蒔(ま)き生(お)ほし 夏の野の さ百合(ゆり)引き植(う)ゑて 咲く花を 出で見るごとに なでしこが その花妻(はなづま)に さ百合花(ゆりばな) ゆりも逢(あ)はむと 慰むる 心しなくは 天離(あまざか)る 鄙(ひな)に一日(ひとひ)も あるべくもあれや

 

(訳)我が大君の治めたまう遠く遥かなるお役所だからと、私に任命された役目のままに、雪の深々と降る越の国まで下って来て、五年もの長い年月、敷栲の手枕もまかず、着物の紐も解かずにごろ寝をしていると、気が滅入(めい)ってならないので気晴らしにもと、なでしこを庭先に蒔(ま)き育て、夏の野の百合を移し植えて、咲いた花々を庭に出て見るたびに、なでしこのその花妻に、百合の花のゆり―のちにでもきっと逢おうと思うのだが、そのように思って心の安まることでもなければ、都離れたこんな鄙の国で、一日たりとも暮らしていられようか。とても暮らしていられるものではない。

(注)手枕:妻の手枕

(注)まろね【丸寝】名詞:衣服を着たまま寝ること。独り寝や旅寝の場合にいうこともある。「丸臥(まろぶ)し」「まるね」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)いぶせむ( 動マ四 )〔形容詞「いぶせし」の動詞化〕心がはればれとせず、気がふさぐ。ゆううつになる。(weblio辞書 三省堂大辞林第三版)

 

反歌二首のもう一首もみてみよう。

 

◆佐由利花 由利母相等 之多波布流 許己呂之奈久波 今日母倍米夜母

                (大伴家持 巻十八 四一一五)

 

≪書き下し≫さ百合花(ゆりばな)ゆりも逢はむと下(した)延(は)ふる心しなくは今日(けふ)も経(へ)めやも

 

(訳)百合の花の名のように、ゆり―のちにでもきっと逢おうと、ひそかに頼む心がなかったなら、今日一日たりと過ごせようか。とても過ごせるものではない。(同上)

 

 

大君の命とはいえ、なぜにこのようなあまざかる鄙の越中に飛ばされ、五年も辛抱せねばならないのか、というやるせない気持ちが、そして、今でいう単身赴任みたいなもので、「敷栲の手枕もまかず」と妻への悲痛な思いをぶちまけている。

家持は、望郷や妻を思うやるせない思いをバネに、歌人大伴家持への道を究めて行くのである。家持生涯の歌の数は四八五首といわれ、越中で作られた歌は二二〇首と半数近いのである。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂大辞林第三版」

 

万葉歌碑を訪ねて(その355)―東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(96)―

●歌は、「道の辺の茨のうれに延ほ豆のからまる君をはかれか行かむ」である。

 

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万葉の森船岡山万葉歌碑(96)(丈部鳥)

●歌碑は、東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(96)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆美知乃倍乃 宇万良能宇礼尓 波保麻米乃 可良麻流伎美乎 波可礼加由加牟

                (丈部鳥 巻二十 四三五二)

 

≪書き下し≫道の辺(へ)の茨(うまら)のうれに延(は)ほ豆(まめ)のからまる君をはかれか行かむ

 

(訳)道端の茨(いばら)の枝先まで延(は)う豆蔓(まめつる)のように、からまりつく君、そんな君を残して別れて行かねばならないのか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)うまら【茨・荊】名詞:「いばら」に同じ。※上代の東国方言。「うばら」の変化した語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)うれ【末】名詞:草木の枝や葉の先端。「うら」とも。

(注)「延(は)ほ」:「延(は)ふ」の東国系

 

 「うまら」は、いばらの古語で棘(とげ)あるものの総称である。「道の辺(へ)の茨(うまら)」となっているのでノイバラと考えられてる。

 ノイバラは、日本の野生バラの代表種である。

 万葉集では、「うまら」とよまれているのはこの一首だけである。「うばら」と詠まれているもの集中一首のみであるこの歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その209)」でとりあげている。歌のみ再掲載する。

 

◆枳 棘原苅除曽氣 倉将立 尿遠麻礼 櫛造刀自

               (忌部黒麻呂 巻十六 三八三二)

 

≪書き下し≫からたちの茨(うばら)刈り除(そ)け倉(くら)建てむ屎遠くまれ櫛(くし)造る刀自(とじ)

 

(訳)枳(からたち)の痛い茨(いばら)、そいつをきれいに刈り取って米倉を建てようと思う。屎は遠くでやってくれよ。櫛作りのおばさんよ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

 

題詞は、「忌部首詠數種物歌一首 名忘失也」<忌部首(いむべのおびと)、数種の物を詠む歌一首 名は、忘失(まうしつ)せり>である。

 

歌碑の歌にもどるが、この歌の上三句「道の辺(へ)の茨(うまら)のうれに延(は)ほ豆(まめ)の」は、「からまる」を起こす序になっている。まつわりついて離れようとしない愛しい妻を振り切って、任に赴く防人の心情を歌い上げている。

 この歌は、「上総(かみつふさ)の国」の防人部領使(さきもりのことりづかひ)によって、進(たてまつ)られている。

 東国、上総の国という「故郷」を離れ、愛しい妻からも離れ、難波の港から筑紫に赴いたのである。防人たちは農民たちのなかから選出されているのである。「防人」に任じられるや、このような「五七五七七」形式の歌が歌えるのだろうか。

 「大君の命」が、彼らを妻や故郷から引き離す力が強力であるさまが、歌の心情が心情だけに逆に浮き彫りになってくる。防人と共に、防人部領使によって「五七五七七」形式に整った歌が奉られていることが「明記」されている。このことは、本来中央とは、言語や文化までが異なる「東国」まで中央の威光が及んでいたことを如実に示しており、そのことも踏まえて万葉集の防人の歌も編纂されたのであろう。

 ここにも、万葉集万葉集たる所以がみえてくる。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「万葉集と日本人」 読み継がれる千二百年の歴史」 小川靖彦 著 (角川選書

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「太陽 特集万葉集」(平凡社

万葉歌碑を訪ねて(その354)―東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(95)―

●歌は、「梨棗黍に粟つぎ延ふ葛の後も逢はむと葵花咲く」である。

 

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万葉の森船岡山万葉歌碑(95)(作者未詳)

●歌碑は、東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(95)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆成棗 寸三二粟嗣 延田葛乃 後毛将相跡 葵花咲

               (作者未詳 巻十六 三八三四)

 

≪書き下し≫梨(なし)棗(なつめ)黍(きみ)に粟(あは)つぎ延(は)ふ葛(くず)の後(のち)も逢(あ)はむと葵(あふひ)花咲く

 

(訳)梨、棗、黍(きび)、それに粟(あわ)と次々に実っても、々にれた君と今は逢えないけれど、延び続ける葛のようにのちにでも逢うことができようと、葵(逢ふ日)の花が咲いている。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)はふくずの「延(は)ふ葛(くず)の」枕詞:延びていく葛が今は別れていても先で逢うことがあるように、の意で「後も逢はむ」の枕詞になっている。

 

この歌には、植物が六種類、詠まれている。梨(なし)・棗(なつめ)・黍(きみ)・粟(あは)・葛(くず)・葵(あおい)である。

「きみ」は、現在のイネ科のキビのことで五穀(米・麦・黍<きび><または稗≪ひえ>>・粟<あわ>・豆)の一つである。秋に実をなす。実は球形で淡黄色をしているので「黄実(きみ)」と呼ばれた。

 この歌には、植物の名前にかけた言葉遊びが隠されている。「黍(きみ)」は「君(きみ)」に、「粟(あは)」は「逢(あ)ふ」に、そして「葵(あふひ)」には「逢(あ)ふ日(ひ)」の意味が込められている。このような言葉遊びは、後の時代に「掛詞(かけことば)」という和歌の技法として発展していくのである。

 

 秋の宴席で出された食材の植物の名前を詠み込んだこの歌は、きわめて技巧的ともいえるが、逆に、自然と共にある万葉びとならではのセンスといえよう。技巧に走る、いわば目的的に作られた歌でなく、万葉人の素朴な自然密着型の生き方がなせる業と考える方が万葉集たる所以がそこにあると言えると思う。いずれにしても脱帽である。

 

この歌の題詞は、「作主未詳歌一首」<作主未詳の歌一首>である。

万葉集巻十六の巻頭には「有由縁幷雑歌」とあり、他の巻と比べても特異な位置づけにあること、次の六つのグループ分けることができる。(神野志隆光 著 「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 東京大学出版会を参考にFグループを追加)

 

 Aグループ:題詞が他の巻と異なり物語的な内容をもつ歌物語の類(三七八六~三八〇五歌)

 Bグル―プ:同じく歌物語的ではあるが、左注が物語的に述べる類(三八〇六~三八一五歌)

 Ⅽグループ:いろいろな物を詠みこむように題を与えられたのに応じた類(三八二四~三八三四歌、三八五五~三八五六歌)

 Dグループ:「嗤う歌」という題詞をもつ類(三八三〇~三八四七歌、三八五三~三八五四歌)

 Eグループ:国名を題詞に掲げる歌の類(三八七六~三八八四歌)

 Fグループ:その他特異な歌の類(「乞食者詠二首」(三八八五、三八八六歌)と「怕物歌三首」(三八八七~三八八九歌))

 

三八三四歌は、Ⅽグループの歌である。このグループの歌は、目の前の食材などをテーマとして、即興的に作られるので、極論すれば、物を並べた「歌にもならない歌」といった類である。しかし、これらの歌も、万葉集には収録されている。ここにも万葉集万葉集たる所以があるといえよう。

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「はじめての万葉集 vol.29」 (奈良県HP)

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「万葉の心」 中西 進 著 (毎日新聞社

万葉歌碑を訪ねて(その353)―東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(94)―

●歌は、「醤酢に蒜搗き合てて鯛願ふ我にな見えそ水葱の羹は」である。

 

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万葉の森船岡山万葉歌碑(94)(長忌寸意吉麻呂)

●歌碑は、東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(94)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆醤酢尓 蒜都伎合而 鯛願 吾尓勿所見 水葱乃▼物

(長忌寸意吉麻呂 巻十六 三八二九)

 ※▼は、「者」の下が「灬」でなく「火」である。「▼+物」で「あつもの」

 

≪書き下し≫醤酢(ひしほす)に蒜(ひる)搗(つ)き合(か)てて鯛願ふ我(われ)にな見えそ水葱(なぎ)の羹(あつもの)は

 

(訳)醤(ひしお)に酢を加え蒜(ひる)をつき混ぜたたれを作って、鯛(たい)がほしいと思っているこの私の目に、見えてくれるなよ。水葱(なぎ)の吸物なんかは。

 

「長忌寸意吉麻呂歌八首」<長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)が歌八首>の中の一首で、題詞は、「詠酢醤蒜鯛水葱歌」<酢(す)、醤(ひしほ)、蒜(ひる)、鯛(たひ)、水葱(なぎ)を詠む歌>である。

 

この歌には、「蒜」と「水葱」の二つの植物名が出ている。万葉集では、いずれもこの一首でのみ詠われている。

 

「蒜」は、今でいう「ノビル」、「水葱」は、「ミズアオイ」のことである。

作者の長忌寸意吉麻呂については、「《万葉集》第2期(壬申の乱後~奈良遷都),藤原京時代の歌人。生没年不詳。姓(かばね)は長忌寸(ながのいみき)で渡来系か。名は奥麻呂とも記す。柿本人麻呂と同時代に活躍,短歌のみ14首を残す。699年(文武3)のおりと思われる難波行幸に従い,詔にこたえる歌を作り,701年(大宝1)の紀伊国行幸(持統上皇文武天皇),翌年の三河国行幸(持統上皇)にも従って作品を残す。これらを含めて旅の歌6首がある。ほかの8首はすべて宴席などで会衆の要望にこたえた歌で,数種のものを詠み込む歌や滑稽な歌などを即妙に曲芸的に作るのを得意とする。」(株式会社平凡社 世界大百科事典 第2版)とある。

 

この歌のように、宴会の席などで、事物の名を歌の意味とは無関係に詠み込んだ遊戯的な歌を「物名歌(ぶつめいか)」という。和歌の分類の一つとして、「もののな」の歌,隠題 (かくしだい) の歌ともいわれ、古今集の時代などで定着した。この長忌寸意吉麻呂 (ながのいみきおきまろ) の歌は、その萌芽と言われる。

 

宴会の席上で、その場にある題材をあげて、即興で作るのであるから、題材となったテーマのものが、宴席に出ていた可能性は随分と高い。そうすると、「鯛」があるということは、当時としても、かなり高級な食材が供されていたことがうかがえる。

下二句「吾尓勿所見 水葱乃▼物」と。日常的な「水葱」の吸物を否定し、「鯛」が欲しいと強調し、場の宴席の料理のレベルを巧みに詠み込んでいる即興性には驚かされる。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「コトバンク 株式会社平凡社 世界大百科事典 第2版」

万葉歌碑を訪ねて(その352)―東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(93)―

●歌は、「うち靡く春さり来れば小竹の末に尾羽打ち触れてうぐひす鳴くも」である。

 

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万葉の森船岡山万葉歌碑(93)(作者未詳)

●歌碑は、東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(93)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆打靡 春去来者 小竹之末丹 尾羽打觸而 鸎之音

               (作者未詳 巻十 一八三〇)

 

≪書き下し≫うち靡(なび)く春さり来(く)れば小竹(しの)の末(うれ)に尾羽(をは)打ち触(ふ)れてうぐひす鳴くも

 

(訳)草木の靡く春がやって来たので、篠(しの)の梢に尾羽(おばね)を打ち触れて、鶯がしきりにさえずっている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)うちなびく【打ち靡く】分類枕詞:なびくようすから、「草」「黒髪」にかかる。また、春になると草木の葉がもえ出て盛んに茂り、なびくことから、「春」にかかる。

 

「しの」には「小竹」「細竹」の字をあてている。文字通り、稈(茎)が細くて群がって生えている小形の竹類の総称で、メダケ、ヤダケ、ネザサなどがあてはまる。

 

この歌は、題詞「詠鳥」一八一九から一八四〇歌(ただし内七首は鳥が詠われていない)の一首である。鴬が十首、呼子鳥が四首、杲鳥(かほとり)が一首である。

(注)よぶこどり【呼子鳥・喚子鳥】名詞:鳥の名。人を呼ぶような声で鳴く鳥。

かっこうの別名か。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)かほとり【貌鳥・容鳥】名詞:鳥の名。未詳。

顔の美しい鳥とも、「かっこう」とも諸説ある。「かほどり」とも。(学研)

 

 鴬と共に、春の枕詞「うち靡く」に呼応するかのように、植物では、しなやかになびく「しの」と「やなぎ」が詠われている。植物の特性を巧みに詠み込む万葉びとの自然観察力に頭がさがる思いである。

 

「打ち靡く」とともに柳を詠んだこの歌群のなかの歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その260)」でとりあげている。歌を見てみよう。

 

◆打靡 春立奴良志 吾門之 柳乃宇礼尓 鸎鳴都

              (作者未詳 巻十 一八一九)

 

≪書き下し≫うち靡(なび)く春立ちぬらし我が門の柳の末(うれ)にうぐひす鳴きつ

 

(訳)草木の靡く春がいよいよやって来たらしい。我が家の門の柳の枝先に、鶯が鳴きはじめた。(伊藤 博 著「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

春の鳥、「鴬」とともに、この歌群では、春の植物として「柳」(二首)、「梅」(二首)、「小竹」(一首)が詠われている。梅二首と柳一首もみておこう。

 

 

◆梅花 開有岳邊尓 家居者 乏毛不有 鸎之音

                (作者未詳 巻十 一八二〇)

 

≪書き下し≫梅の花咲ける岡辺(をかへ)に家居(いへを)れば乏(とも)しくもあらずうぐひすの声

 

(訳)梅の花の咲いている岡のほとりに家を構えて住んでいると、ふんだんに聞こえてくる。鴬の声が。(同上)

 

◆梅枝尓 鳴而移徙 鸎之 翼白妙尓 沫雪曽落

                (作者未詳 巻十 一八四〇)

 

≪書き下し≫梅が枝(え)に鳴きて移ろふうぐひすの羽(はね)白妙(しろたへ)に沫雪(あわゆき)ぞ降る

 

(訳)梅の枝から枝へと鳴きながら飛び移っている鶯の、その羽も真っ白になるほど、泡雪が降っている。(同上)

(注)あわゆき 沫雪・泡雪】名詞:泡のように消えやすい、やわらかな雪。

 

◆春霞 流共尓 青柳之 枝喙持而 鸎鳴毛

                (作者未詳 巻十 一八二一)

 

≪書き下し≫春霞流るるなへに青柳(あをやぎ)の枝(えだ)くひ持ちてうぐひす鳴くも

 

(訳)春霞が流れたなびく折しも、青柳(あおやぎ)の枝を口にくわえ持って、鶯が鳴いている。(同上)

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

万葉歌碑を訪ねて(その351)―東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(92)―

●歌は、「朝咲き夕は消ぬる月草の消ぬべき恋も我れはするかも」である。

 

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万葉の森船岡山万葉歌碑(92)(作者未詳)

●歌碑は、東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(92)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆朝開 夕者消流 鴨頭草乃 可消戀毛 吾者為鴨

             (作者未詳 巻十 二二九一)

 

≪書き下し≫朝(あした)咲き夕(ゆふへ)は消(け)ぬる月草(つきくさ)の消(け)ぬべき恋も我(あ)れはするかも

 

(訳)朝咲いても夕方にはしぼんでしまう露草のように、身も消え果ててしまいそうな恋、そんなせつない恋を私はしている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)つきくさの【月草の】分類枕詞:月草(=つゆくさ)の花汁で染めた色がさめやすいところから「移ろふ」「移し心」「消(け)」などにかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

この歌に詠われている「つきくさ」は露草のことである。露草は五月から九月にかけてかわいい青い花を咲かせる。別名、「青花」「藍花」とも呼ばれ、染料に使われる。衣に染め付きやすかったので「つきくさ」と呼ばれていたそうである。

 もっともこの色は、変わりやすく褪せやすいことから、人の心の移ろいに喩える歌が見られ、なかんずく男女の心の表現にも使われている。(注)にもあるように、月草(=つゆくさ)の花汁で染めた色がさめやすいところから「移ろふ」「移し心」「消(け)」などにかかる枕詞として使われている。

 

 

この二二九一歌の場合は、染色の移ろいでなく、露草そのものの日々の変化を喩えにしている。次の歌をみてみよう。

 

◆鴨頭草丹 服色取 揩目伴 移戀色登 偁之苦沙

               (作者未詳 巻七 一三三九)

 

≪書き下し≫月草(つきくさ)に衣(ころも)色どり摺らめどもうつろふ色と言ふが苦しさ

 

(訳)露草の花で着物を色取って染めたいと思うけれど、褪せやすい色だと人が言うのを聞くのがつらい。(同上)

 

露草に人の心の移ろいやすさを重ねる万葉人の繊細な心に惹かれてしまう。

 

万葉集では「つきくさ」を詠った歌が、九首が収録されている。他の七首を見ておこう。

 

◆月草之 徒安久 念可母 我念人之 事毛告不来

              (大伴坂上大嬢 巻四 五八三)

 

≪書き下し≫月草(つきくさ)のうつろひやすく思へかも我(あ)が思ふ人の言(こと)も告げ来(こ)ぬ

 

(訳)こんなにもお慕いしている私を、月草のように移り気な女とお思いなのか、私の思うお方がお便りすらも下さらない。(伊藤 一)

 

◆月草尓 衣曽染流 君之為 綵色衣 将摺跡念而

               (作者未詳 巻七 一二五五)

 

≪書き下し≫月草(つきくさ)に衣(ころも)ぞ染(そ)むる君がため斑(まだら)の衣(ころも)摺(す)らむと思ひて

 

(訳)露草で着物を摺染めにしている。あの方のために、斑に染めた美しい着物に仕立てようと思って。(伊藤 二)

 

◆月草尓 衣者将摺 朝露尓 所沾而後者 徒去友

               (作者未詳 巻七 一三五一)

 

≪書き下し≫月草(つきくさ)に衣(ころも)は摺らむ朝露(あさつゆ)に濡(ぬ)れての後(のち)はうつろひぬとも

 

(訳)露草でこの衣は摺染(すりぞ)めにしよう。朝露に濡れたそののちは、たとえ色が褪せてしまうことがあるとしても。(伊藤 二)

 

◆朝露尓 咲酢左乾垂 鴨頭草之 日斜共 可消所念

              (作者未詳 巻十 二二八一)

 

≪書き下し≫朝露(あさつゆ)に咲きすさびたる月草の日くたつなへに消(け)ぬべく思ほゆ

 

(訳)朝露を浴びて咲きほこる露草が、日が傾くとともにしぼむように、日が暮れてゆくにつれて、私の心もしおれて消え入るばかりだ。(伊藤 二)

(注)さきすさぶ 【咲きすさぶ】自動詞:(花が)咲き乱れる。盛んに咲く。※「すさぶ」はその傾向が強まるようすを表す。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)くたつ【降つ】自動詞:①(時とともに)衰えてゆく。傾く。②夕方に近づく。夜がふける。※「くだつ」とも。上代語。

(注)なへに>なへ 接続助詞:《接続》活用語の連体形に付く。〔事柄の並行した存在・進行〕…するとともに。…するにつれて。…するちょうどそのとき。※上代語。中古にも和歌に用例があるが、上代語の名残である。

 

 

◆月草之 借有命 在人乎 何知而鹿 後毛将相云

              (作者未詳 巻十一 二七五六)

 

≪書き下し≫月草の借(か)れる命(いのち)にある人をいかに知りてか後(のち)も逢はむと言ふ

 

(訳)露草の花のようにはかない仮の命しか持ち合わせていない人の身であるのに、それをどういう身と知って、のちにでも逢おうなどと言うのですか。(伊藤 三)

 

 

◆内日刺 宮庭有跡 鴨頭草乃 移情 吾思名國

              (作者未詳 巻十二 三〇五八)

 

≪書き下し≫うちひさす宮にはあれど月草(つきくさ)のうつろふ心我(わ)が思はなくに

 

(訳)はなやかな宮廷に仕えている身ではあるけれど、色のさめやすい露草のような移り気な心、そんな心で私は、思っているわけではないのに。(伊藤 三)

(注)うちひさす【打ち日さす】分類枕詞:日の光が輝く意から「宮」「都」にかかる。

 

 

◆百尓千尓 人者雖言 月草之 移情 吾将持八方

              (作者未詳 巻十二 三〇五九)

 

≪書き下し≫百(もも)に千(ち)に人は言ふとも月草のうつろふ心我(わ)れ持ためやも

 

(訳)あれやこれやと人は噂を言いふらしても、露草のような移り気な心、そんな心をこの私としたことが持つものですか。(伊藤 三)

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

万葉歌碑を訪ねて(その350)―東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(91)―

●歌は、「婦負の野のすすき押しなべ降る雪に宿借る今日し悲しく思ほゆ」である。

 

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万葉の森船岡山万葉歌碑(91)(高市黒人

●歌碑は、東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(91)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆賣比能野能 須ゝ吉於之奈倍 布流由伎尓 夜度加流家敷之 可奈之久於毛倍遊

              (高市黒人 巻十七 四〇一六)

 

≪書き下し≫婦負(めひ)の野のすすき押しなべ降る雪に宿借る今日(けふ)し悲しく思ほゆ

 

(訳)婦負(めひ)の野のすすきを押し靡かせて降り積もる雪、この雪の中で一夜の宿を借りる今日は、ひとしお悲しく思われる。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)婦負(めひ)の野:富山市から、その南にかけての野。

 

この歌に歌われている「すすき」については、漢字では「芒」、国字では「薄」と書く。文学的には花穂の姿が獣の尾に似ていることから「尾花」と称されれる。万葉集では十五首ほど詠まれている。

 

中西 進氏は、その著「万葉の心」(毎日新聞社)のなかで、「この孤独の詩人の見た雪は、(中略)旅路の野宿に降りしきる雪であり、旅愁を象徴するものであった。」と書いておられる。高市黒人はそのような歌人であったか。

 

次の歌をみてみよう。

 

◆何所尓可 船泊為良武 安礼乃崎埼 榜多味行之 棚無小舟

               (高市黒人 巻一 五八)

 

≪書き下し≫いづくにか舟泊(ふなは)てすらむ安礼(あれ)の崎漕(こ)ぎ廻(た)み行きし棚(たな)なし小舟(をぶね)

 

(訳)今頃、どこに舟泊(ふなど)まりしているのであろうか。さっき安礼(あれ)の崎を漕ぎめぐって行った、あの横板もない小さな舟は。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

五八歌の題詞は、「二年壬寅(みずのえとら)に、太上天皇(おほきすめらみこと)、三河(みかは)の国に幸(いでま)す時の歌」である。持統天皇三河行幸されたときにお供していて、宮廷歌人として歌を詠っている。

しかし、公的な歌というより独特の孤独感的自己感覚を前面に出している。

行幸であれば、お供も当然複数であり、その中にあって、自己感覚の強い「孤独感」を詠っているのである。

 

次の歌も、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その250)」でとりあげたが、同様の感覚である。重複するが記載してみる。

 

◆何處 吾将宿 高嶋乃 勝野原尓 此日暮去者

              (高市黒人 巻三 二七五)

 

≪書き下し≫いづくにか我(わ)が宿りせむ高島の勝野の原にこの日くれなば。

 

(訳)いったいどのあたりでわれらは宿をとることになるのだろうか。高島の勝野の原でこの一日が暮れてしまったならば。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

上二句で、「いづくにか我(わ)が宿りせむ」と、主観的に、不安を先立たせ、目の前の現実の土地「高島の勝野の原」に落とし込む。「この日くれなば」と状況を畳みかけているのである。夕暮れ迫る中、西近江路を急ぐ不安な気持ちが時を越えて伝わってくるのである。

 

或る程度の複数者の不安な気持ちを代弁していると思われるが、独特の孤独感的自己感覚をにじみださせるリズム感あふれる独特の詠いぶりである。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「万葉の心」 中西 進 著 (毎日新聞社