万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1333)―島根県江津市都野津町 都野津柿本神社―万葉集 巻二 一三二

●歌は、「石見のや高角山の木の間より我が振る袖を妹見つらむか」である。

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島根県江津市都野津町 都野津柿本神社万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌碑は、島根県江津市都野津町 都野津柿本神社にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆石見乃也 高角山之 木際従 我振袖乎 妹見都良武香

      (柿本人麻呂 巻二 一三二)

 

≪書き下し≫石見(いはみ)のや高角山(たかつのやま)の木の間より我(わ)が振る袖を 妹見つらむか

 

(訳)石見の、高角山の木の間から名残を惜しんで私が振る袖、ああこの袖をあの子は見てくれているであろうか。(同上)

(注)高角山:角の地の最も高い山。妻の里一帯を見納める山をこう言った。(伊藤脚注)

(注)我が振る袖を妹見つらむか:最後の別れを惜しむ所作。(伊藤脚注)

(注)つらむ 分類連語:①〔「らむ」が現在の推量の意の場合〕…ているだろう。…たであろう。▽目の前にない事柄について、確かに起こっているであろうと推量する。②〔「らむ」が現在の原因・理由の推量の意の場合〕…たのだろう。▽目の前に見えている事実について、理由・根拠などを推量する。 ⇒なりたち 完了(確述)の助動詞「つ」の終止形+推量の助動詞「らむ」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意

(注の注)「妹見つらむか」に作者の興奮した気持ちが表れている。(学研)

 

この歌は、題詞、「柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時歌二首并短歌」<柿本朝臣人麻呂、石見(いはみ)の国より妻に別れて上(のぼ)り来(く)る時の歌二首并(あは)せて短歌>の前群の反歌二首の一首である。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1271)」で紹介している。

 ➡ 

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境内

 江津市HPの「柿本神社の歌碑」には、次のように書かれている。

「ここは『姫御所』と呼ばれていた所で、人麻呂が妻『依羅娘子』と暮らしていたと伝えられています。境内には樹齢800年といわれた「人麻呂の松」がありましたが、平成9年に枯死してしまい、今はその一部が保存されています。

歌碑は昭和44年に建立され、碑文は大阪大学名誉教授犬養孝先生の筆によるものです。

人麻呂の妻、依羅娘子の出生についてはいろいろな説がありますが、その一つがここ都野津町の医師井上道益の娘説です。

姫は「よさみ姫」あるいは「えら姫」と呼ばれ、今でも非常に親しまれています。」

 

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人麻呂の松 説明案内板

 

 境内には、「都津野柿本神社に就いて」という説明案内板が設置されており、祭神は「柿本人麻呂・依羅娘子」となっている。また「依羅娘子の末裔と伝う井上氏によって祀られたという人麻呂依羅娘子の寓居跡(姫御所という)の祠を解体。明治四十三年九月新たに現社殿を造営。」と書かれている。

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都野津柿本神社説明案内安

 そしてコーナーには「つねの里(萬葉のころ、この地方は「つねの郷」とよび、人麻呂と依羅娘子縁りの地として伝えられている)」の説明碑が建てられている。

 

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「つねの里」説明案内碑

 

 益田市江津市大田市の万葉歌碑巡りをしている時は、まだ「水底の歌 柿本人麿論」(梅原猛著 新潮文庫)を読んでいなかったので、万葉の時代の人麻呂と依羅娘子の睦まじい生活の場がここであったのかと感慨ぶかく境内を見わたしていたのであった。

 しかし、同著を読んでから、柿本人麻呂流人説という見方があるという衝撃を受けたのである。

 「別れ」ということで仲睦まじかった故に、人麻呂も一三二歌のような男としては未練たらたら的な歌を詠ったのだろうと考えていたが、同著から「死を覚悟した別れ」とみてくると、歌の響きが全然違ってくる。

 長歌一三一歌の結句「靡けこの山」のトーンが全然違うのである。読み返すたびに「靡けこの山」の悲痛な叫び度合いがアップしてくるのである。

 

 同著の「・・・人麿の入水の事実は覆いがたい。・・・人麿は死後まもなく神に、しかも水に関係のある神になっていることを知った。『古今集』仮名序において、人麿は『ひじり』と呼ばれ、・・・そのころ、すでに人麿は人ではなく神であったのである。そして、日本において死後まもなく神になるのは、ほとんど非業の死をとげた人であった。非業の死をとげた人の復讐が、怨恨が恐ろしいので、その亡霊をなぐさめ、怨恨を押さえるためにそのような人を神と祀る。そして、そのような人を聖化する名を死後その人に贈るのである。」という箇所ならびに、一三一、一三二歌に関して「歌は、女に別れて都に行く男の悲しみを歌っている。その悲しみは異常である。しばらく同棲した現地妻と別れる、それはたしかに悲しいことである。しかし、そういう場合、悲しむのは、男の方より、むしろ女の方である。男の方は悲しいにはちがいないが、長い地方ずまいを終えて、都に帰れる期待にどこか心ウキウキするものである。・・・」の箇所は強烈に頭に残っている。これをベースにおいて歌を詠み返すと流人説の納得性が高まってくる。

 

 石見相聞歌、鴨山五首については、様々な論が展開されているが、まだまだこれだという自分の判断を下すには、万葉集の存在が余りにも大きいことを知ったばかりである小生には荷が重すぎる。何度も書いているが、一歩一歩前進しかないのである。

 近づけば遠ざかる万葉集ではあるが・・・。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「水底の歌 柿本人麿論 上下」 梅原 猛 著  (新潮文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「江津市HP」

 

万葉歌碑を訪ねて(その1332)―島根県江津市波子町 辛の崎(石見海浜公園大崎鼻地区)―万葉集 巻二 一三五

●歌は、「つのさはふ石見の海の言さへく唐の崎なる海石にぞ深海松生える荒磯にぞ・・・」である。

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島根県江津市波子町 辛の崎(石見海浜公園大崎鼻地区)万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌碑は、島根県江津市波子町 辛の崎(石見海浜公園大崎鼻地区)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆角障經 石見之海乃 言佐敝久 辛乃埼有 伊久里尓曽 深海松生流 荒礒尓曽 玉藻者生流 玉藻成 靡寐之兒乎 深海松乃 深目手思騰 左宿夜者 幾毛不有 延都多乃 別之来者 肝向 心乎痛 念乍 顧為騰 大舟之 渡乃山之 黄葉乃 散之乱尓 妹袖 清尓毛不見 嬬隠有 屋上乃 <一云 室上山> 山乃 自雲間 渡相月乃 雖惜 隠比来者 天傳 入日刺奴礼 大夫跡 念有吾毛 敷妙乃 衣袖者 通而沾奴

         (柿本人麻呂 巻二 一三五)

 

≪書き下し≫つのさはふ 石見の海の 言(こと)さへく 唐(から)の崎なる 海石(いくり)にぞ 深海松(ふかみる)生(お)ふる 荒礒(ありそ)にぞ 玉藻は生ふる 玉藻なす 靡(なび)き寝し子を 深海松の 深めて思へど さ寝(ね)し夜(よ)は 幾時(いくだ)もあらず 延(は)ふ蔦(つた)の 別れし来れば 肝(きも)向(むか)ふ 心を痛み 思ひつつ かへり見すれど 大船(おほぶね)の 渡(わたり)の山の 黄葉(もみちば)の 散りの乱(まが)ひに 妹が袖 さやにも見えず 妻ごもる 屋上(やかみ)の<一には「室上山」といふ> 山の 雲間(くもま)より 渡らふ月の 惜しけども 隠(かく)らひ来れば 天伝(あまづた)ふ 入日(いりひ)さしぬれ ますらをと 思へる我(わ)れも 敷栲(しきたへ)の 衣の袖は 通りて濡(ぬ)れぬ

 

(訳)石見の海の唐の崎にある暗礁にも深海松(ふかみる)は生い茂っている、荒磯にも玉藻は生い茂っている。その玉藻のように私に寄り添い寝たいとしい子を、その深海松のように深く深く思うけれど、共寝した夜はいくらもなく、這(は)う蔦の別るように別れて来たので、心痛さに堪えられず、ますます悲しい思いにふけりながら振り返って見るけど、渡(わたり)の山のもみじ葉が散り乱れて妻の振る袖もはっきりとは見えず、そして屋上(やかみ)の山<室上山>の雲間を渡る月が名残惜しくも姿を隠して行くように、ついにあの子の姿が見えなくなったその折しも、寂しく入日が射して来たので、ひとかどの男子だと思っている私も、衣の袖、あの子との思い出のこもるこの袖は涙ですっかり濡れ通ってしまった。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)つのさはふ 分類枕詞:「いは(岩・石)」「石見(いはみ)」「磐余(いはれ)」などにかかる。語義・かかる理由未詳。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ことさへく【言さへく】分類枕詞:外国人の言葉が通じにくく、ただやかましいだけであることから、「韓(から)」「百済(くだら)」にかかる。 ※「さへく」は騒がしくしゃべる意。(学研)

(注)唐の崎:江津市大鼻崎あたりか。

(注)いくり【海石】名詞:海中の岩石。暗礁。(学研)

(注)ふかみる【深海松】名詞:海底深く生えている海松(みる)(=海藻の一種)(学研)

(注)ふかみるの【深海松の】分類枕詞:同音の繰り返しで、「深む」「見る」にかかる。(学研)

(注)たまもなす【玉藻なす】分類枕詞:美しい海藻のようにの意から、「浮かぶ」「なびく」「寄る」などにかかる。(学研)

(注)さね【さ寝】名詞:寝ること。特に、男女が共寝をすること。 ※「さ」は接頭語。(学研)

(注)はふつたの【這ふ蔦の】分類枕詞:蔦のつるが、いくつもの筋に分かれてはいのびていくことから「別る」「おのが向き向き」などにかかる。(学研)

(注)きもむかふ【肝向かふ】分類枕詞:肝臓は心臓と向き合っていると考えられたことから「心」にかかる。(学研)

(注)おほぶねの【大船の】分類枕詞:①大船が海上で揺れるようすから「たゆたふ」「ゆくらゆくら」「たゆ」にかかる。②大船を頼りにするところから「たのむ」「思ひたのむ」にかかる。③大船がとまるところから「津」「渡り」に、また、船の「かぢとり」に音が似るところから地名「香取(かとり)」にかかる。(学研)

(注)渡の山:所在未詳

(注)つまごもる【夫隠る/妻隠る】[枕]:① 地名「小佐保(をさほ)」にかかる。かかり方未詳。② つまが物忌みのときにこもる屋の意から、「屋(や)」と同音をもつ地名「屋上の山」「矢野の神山」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)屋上の山:別名 浅利富士、室神山、高仙。標高246m(江津の萬葉ゆかりの地MAP)

(注)わたらふ【渡らふ】分類連語:渡って行く。移って行く。 ⇒なりたち 動詞「わたる」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」(学研)

(注)かくらふ【隠らふ】分類連語:繰り返し隠れる。 ※上代語。 ⇒なりたち 動詞「かくる」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」(学研)

(注)あまづたふ【天伝ふ】分類枕詞:空を伝い行く太陽の意から、「日」「入り日」などにかかる。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1258)」で紹介している。

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歌の解説案内板

 一三一から一三九歌の歌群は「石見相聞歌」と言われている。一三一から一三四歌の歌群と一三五から一三七歌が、題詞、「柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時歌二首 幷短歌」<柿本朝臣人麻呂、石見(いはみ)の国より妻に別れて上り来(く)る時の歌二首 幷(あは)せて短歌>の歌群であり、題詞、「或本歌一首 幷短歌」<或本の歌一首 幷(あは)せて短歌>の一三八、一三九歌の歌群からなっている。

 

 江津市HP「辛の崎の歌碑」には、次のように書かれている。

「ここは人麻呂の長歌の中に出てくる『辛の崎』と言われているところです。京都大学名誉教授澤瀉久孝(おもだかひさたか)先生は唐山を求めてこの地を訪れ、ここを辛の崎とその著書に発表されました。

歌碑は昭和62年に建立され、碑文はその澤瀉先生の筆によるものです。」

 

 島根県立海浜公園は、浜田市江津市にまたがる全長5.5kmにおよぶ公園である。

 歌碑は、大崎鼻地区と呼ばれるゾーンにある。

 海浜公園というので海辺を連想してしまうが、海浜を展望できる高台にある。

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石見海浜公園案内図



 

 新古今和歌集の選者として知られる藤原定家の歌について、小川靖彦氏は、その著「万葉集と日本人 読み継がれる千二百年の歴史」(角川選書)の中で、「・・・定家は『万葉集』のさまざまな歌を本歌取りしました。・・・本歌取りするためには、古歌について十分な知識が必要です。『万葉集』について、定家が長歌までも一首全体を深く読み込んだ上で本歌取りしている・・・」と書かれている。

<たをやめの袖(そで)かもみぢか明日香風(あすかかぜ)いたづらに吹(ふ)く霧(きり)の遠方(をちかた)>の歌は、志貴皇子の<采女の袖吹き返す明日香風都を遠みいたづらに吹く(巻一 五一)>を本歌取りして、「風に翻っているのは袖か紅葉かわからない」(前出小川氏著)と詠っていることにふれ、「これは、柿本人麿の『石見相聞歌』の第二長歌の『・・・大船(おほぶね)の 渡(わたり)の山の 黄葉(もみちば)の 散りの乱(まが)ひに 妹が袖 さやにも見えず・・・』と、自分を慕って妻が袖を振っているのが、紅葉が散るのにまぎれて見えないことを言った歌句を踏まえているのかもしれません。そして、さらに見ようと目を凝らしてみても、霧の彼方に明日香風が吹くばかりです。」(前出小川氏著)と書かれている。

(注)本歌取り【ほんかどり】;和歌の修辞法の一つ。古歌を素材にとり入れて新しく作歌すること。とられた古歌を本歌という。古歌の1句もしくは数句を素材として新しい表現に用い,表現効果の複雑化を意図するので,余情の表現に適している。平安中期以来行われ,新古今時代に盛行,連歌にもうけつがれた。」(コトバンク 株式会社平凡社百科事典マイペディア)

 

 志貴皇子の五一歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その155)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集と日本人 読み継がれる千二百年の歴史」 小川靖彦 著 (角川選書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 株式会社平凡社百科事典マイペディア」

★「江津市HP」

万葉歌碑を訪ねて(その1330、1331)―島根県益田市 高津柿本神社、萩・石見空港駐車場―万葉集 巻二 二二三、巻二 一三二

―その1330―

●歌は、「鴨山の岩根しまける我れをかも知らにと妹が待ちつつあるらむ」である。

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島根県益田市 高津柿本神社万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌碑は、島根県益田市 高津柿本神社にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「柿本朝臣人麻呂在石見國臨死時自傷作歌一首」<柿本朝臣人麻呂、石見(いはみ)の国に在りて死に臨む時に、自(みづか)ら傷(いた)みて作る歌一首>である。

 

◆鴨山之 磐根之巻有 吾乎鴨 不知等妹之 待乍将有

       (柿本人麻呂 巻二 二二三)

 

≪書き下し≫鴨山(かもやま)の岩根(いはね)しまける我(わ)れをかも知らにと妹(いも)が待ちつつあるらむ

 

(訳)鴨山の山峡(やまかい)の岩にして行き倒れている私なのに、何も知らずに妻は私の帰りを今日か今日かと待ち焦がれていることであろうか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)鴨山:石見の山の名。所在未詳。

(注)いはね【岩根】名詞:大きな岩。「いはがね」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)まく【枕く】他動詞:①枕(まくら)とする。枕にして寝る。②共寝する。結婚する。※②は「婚く」とも書く。のちに「まぐ」とも。上代語。(学研)ここでは①の意

(注)しらに【知らに】分類連語:知らないで。知らないので。 ※「に」は打消の助動詞「ず」の古い連用形。上代語。(学研)

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1266)」で紹介している。

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「鴨山五首」といわれる歌群の人麻呂の歌である。

妻依羅娘子の二首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1267)」および「同(その1268)」」で紹介している。

 二二四歌

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 二二五歌

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丹比真人の二二六歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1269)」で紹介している。

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作者未詳の或る本の歌、二二七歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1270)」で紹介している。

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 「益田市観光ガイド」(益田市観光協会HP)には、高津柿本神社について次のように解説されている。

柿本人麻呂が祀られており、(国重要美術品)正一位柿本大明神の神位を持ち、 疫病防除、開運、学問、農業、安産、眼疾治癒、火防などのご利益があります。入母屋造の本殿は県建造物文化財です。

その歴史は、人麿没後まもなく神亀年間(724〜729)に、聖武天皇の勅命によって終焉の地である鴨島に人麿を祀る小社が立てられましたが、300年後の万寿3年(1026)の大地震で島は海底に沈み、人麿のご神体も津波で流され、現在の高津松崎に漂着しました。そして地元の人によってこの高津松崎に人丸社が建てられ、 長い間人々の信仰を集めたとされており、更に600年後、風波のため破損がひどくなったため、1681年に津和野藩主亀井茲親(これちか)によって、高角山(標高約50m高津城跡)に移築され、今に残っています。拝殿は津和野城から参拝できるように津和野の方向へ向いています。(後略)」

 「火防」もご利益とあるが、「火止まる」のごろ合わせであろうがほほえましく思える。

 

 同神社に設置されている「柿本神社本殿」説明案内板にも同様のことならびに建造物に関する説明がなされている。

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柿本神社本殿」説明案内板

 

 柿本神社を写真でながめてみよう。

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柿本神社社殿

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境内と歌碑

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人麻呂公像

 

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参道石段

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楼門

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楼門由緒

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正一位柿本神社扁額

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人麿社扁額

 

 同神社境内には、「鴨島(鴨山)遺跡改訂調査状況」という解説案内板も設置されている。そこには、「昭和五十二年七月梅原猛先生、考古学、地質学の先生等は、人麿公終焉の地である鴨島を科学的に立証するため十日間の海底遺跡調査を試みられた。(海底調査資料より抜粋の箇所は省略) 調査終了後、現地座談会の締括りに於いて『やはりここに鴨島はあるんだというぬき難い確信がある。』と述べられた。」と書かれている。

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鴨島(鴨山)遺跡改訂調査状況」説明案内板

 梅原猛氏が、その著「水底の歌 柿本人麿論」(新潮文庫)で展開されている「鴨島(鴨山)」の地を調査し裏付けられたとされている。

 

 万葉植物園から高津柿本神社の間に「万葉一人者・梅原猛先生鴨島展望台1,5m石碑」なるものをに落としてしまったのが悔やまれるのである。

 

 

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パンフレット「令和の万葉公園を楽しむ!」(島根県立万葉公園管理センター)

 

 前稿で島根県立万葉公園・万葉植物園の歌碑(プレート)の紹介を終えたのであるが、「万葉公園」の案内板にも歌のシートが張られ歌碑っぽいので紹介します。

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万葉公園の歌碑っぽい案内板

歌は、「笹の葉はみ山もさやにさやけども我は妹思ふ別れ来ぬれば」である。

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1272)」で紹介している。

➡ 

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万葉植物園案内図

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島根県立万葉公園の碑

 

 島根県立万葉公園、高津柿本神社を後にして次の目的地、萩。石見空港に向かったのである。

 

 

 

―その1331―

●歌は、「石見のや高角山の木の間より我が振る袖を妹見つらむか」である。

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萩・石見空港駐車場万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌碑は、島根県益田市 萩・石見空港駐車場にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆石見乃也 高角山之 木際従 我振袖乎 妹見都良武香

      (柿本人麻呂 巻二 一三二)

 

≪書き下し≫石見(いはみ)のや高角山(たかつのやま)の木の間より我(わ)が振る袖を 妹見つらむか

 

(訳)石見の、高角山の木の間から名残を惜しんで私が振る袖、ああこの袖をあの子は見てくれているであろうか。(同上)

(注)高角山:角の地の最も高い山。妻の里一帯を見納める山をこう言った。(伊藤脚注)

(注)我が振る袖を妹見つらむか:最後の別れを惜しむ所作。(伊藤脚注)

(注)つらむ 分類連語:①〔「らむ」が現在の推量の意の場合〕…ているだろう。…たであろう。▽目の前にない事柄について、確かに起こっているであろうと推量する。②〔「らむ」が現在の原因・理由の推量の意の場合〕…たのだろう。▽目の前に見えている事実について、理由・根拠などを推量する。 ⇒なりたち 完了(確述)の助動詞「つ」の終止形+推量の助動詞「らむ」(学研)ここでは①の意

(注の注)「妹見つらむか」に作者の興奮した気持ちが表れている。(学研)

 

この歌は、題詞、「柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時歌二首并短歌」<柿本朝臣人麻呂、石見(いはみ)の国より妻に別れて上(のぼ)り来(く)る時の歌二首并(あは)せて短歌>の反歌二首の一首である。

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1271)」で紹介している。

➡ 

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 萩。石見空港駐車場の空港正面に人麻呂の歌碑が設置されているのは、町挙げて「人麻呂さん」と敬愛を込めて呼んでいるだけのことはあるように感じられた。

 

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萩・石見空港  手前駐車場の白煉瓦の右手に歌碑がある。

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空港内の「益田市の歓迎案内パネル:万葉ロマンただよう 石見の里 益田市へようこそ」

 

 今回のブログは観光案内的になってしまった。

 次回からは、江津市大田市の歌碑を紹介していきます。

 ありがとうございました。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「水底の歌 柿本人麿論 上下」 梅原 猛 著 (新潮文庫

★「令和の万葉公園を楽しむ!」(パンフレット;島根県立万葉公園管理センター)

★「益田市観光ガイド」(益田市観光協会HP)

                                                       

万葉歌碑を訪ねて(その1329)―島根県益田市 県立万葉植物園(P40)―万葉集 巻三 三二二

●歌は、「すめろきの 神の命の 敷きいます 国のことごと 湯はしもさわにあれども 島山の宣しき国とこごしかも伊予の高嶺の射狭庭の岡に立たして 歌思ひ 辞思ほししみ湯の上の木群を見れば臣の木も生ひ継ぎにけり鳴く鳥の声も変らず遠き代に神さびゆかむ幸しところ」である。

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島根県益田市 県立万葉植物園(P40)万葉歌碑<プレート>(山部赤人

●歌碑(プレート)は、島根県益田市 県立万葉植物園(P40)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「山部宿祢赤人至伊豫温泉作歌一首幷短歌」<山部宿禰赤人、伊予(いよ)の温泉(ゆ)に至りて作る歌一首幷せて短歌>である。

(注)伊予の温泉:愛媛県松山市道後温泉

 

◆皇神祖之 神乃御言乃 敷座 國之盡 湯者霜 左波尓雖在 嶋山之 宣國跡 極是疑 伊豫能高嶺乃 射狭庭乃 崗尓立而 敲思 辞思為師 三湯之上乃 樹村乎見者 臣木毛 生継尓家里 鳴鳥之 音毛不更 遐代尓 神左備将徃 行幸

      (山部赤人 巻三 三二二)

 

≪書き下し≫すめろきの 神(かみ)の命(みこと)の 敷きいます 国のことごと 湯(ゆ)はしも さわにあれども 島山(しまやま)の 宣(よろ)しき国と こごしかも 伊予の高嶺(たかね)の 射狭庭(いざには)の 岡に立たして 歌(うた)思ひ 辞(こと)思ほしし み湯(ゆ)の上(うへ)の 木群(こむら)を見れば 臣(おみ)の木も 生(お)ひ継ぎにけり 鳴く鳥の 声も変らず 遠き代(よ)に 神(かむ)さびゆかむ 幸(いでま)しところ

 

(訳)代々の天皇がお治めになっている国のどこにでも、温泉(ゆ)はたくさんあるけれども中でも島も山も足り整った国と聞こえる、いかめしくも険しい伊予の高嶺、その嶺に続く射狭庭(いざにわ)に立たれて、歌の想いを練り詞(ことば)を案じられた貴い出で湯の上を覆う林を見ると、臣の木も次々と生い茂っている。鳴く鳥の声もずっと盛んである。遠い末の世まで、これからもますます神々しくなってゆくことであろう、この行幸(いでまし)の跡所(あとどころ)は。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)しきます【敷きます】分類連語:お治めになる。統治なさる。 ※なりたち動詞「しく」の連用形+尊敬の補助動詞「ます」

(注)ことごと【尽・悉】副詞:①すべて。全部。残らず。②まったく。完全に。(学研) ここでは①の意

(注)さはに【多に】副詞:たくさん。 ※上代語。(学研)

(注)こごし 形容詞:凝り固まってごつごつしている。(岩が)ごつごつと重なって険しい。 ※上代語。(学研)

(注)射狭庭の岡:温泉の裏にある岡の名

(注)歌思ひ辞思ほしし:斉明七年(661年)の行幸の折、女帝が舒明天皇と昔来た時(639年)のことを偲んだ歌を詠んだことをいう。八左注(伊藤脚注)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1149)」で紹介している。

 ➡ 

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萬葉集道後温泉」愛媛松山道後温泉HPから引用させていただきました。

 短歌の方もみてみよう。

 

百式紀乃 大宮人之 飽田津尓 船乗将為 年之不知久

       (山部赤人 巻三 三二三)

 

≪書き下し≫ももしきの大宮人(おほみやひと)の熟田津(にぎたつ)に船乗(ふなの)りしけむ年の知らなく

 

(訳)ももしきの大宮人が熟田津で船出をした年がいつのことかわからなくなってしまった。(同上)

(注)巻一 八歌(額田王)「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」が念頭にある。

 

この歌は、熟田津の歌の六~七〇年後、山部赤人が伊予の温泉を訪れ、離宮の跡で往時を偲んで詠んだ歌である。

愛媛県史 文 学(昭和59年3月31日発行)」(愛媛県生涯学習センターHP)によると、「赤人は伊予の国に来て、まず、その温泉・島・山のすばらしさをあげて讃めたたえている。この歌はいわゆる国讃め歌の形をとっている。(中略)一方、反歌の「熟田津に舟乗りしけむ年」は、明らかに八番の額田王作歌を踏まえたもの。すると、赤人は、前述の『書紀』にも載る舒明天皇代の行幸(六三九年)の時と斉明天皇代の行幸(六六一年)の時との、昔を偲んで詠んだわけである。

 なお、赤人が伊予に来浴した事情は知るすべもないが、舒明・斉明両帝だけでなくそれ以前の天皇がたの伊予の温泉行幸の伝承は知って訪れたであろう。赤人は、天皇に従駕して歌詠することの多い宮廷歌人だけに、行幸先の景観の讃美を通して皇室の権威を称揚したのである。なお、山部氏は伊予と深い因縁がある。その先祖を伊予来目部小楯(よのくめべのおだて)といい、播磨の国の巡察使の時に世をのがれている二皇子(後の顕宗・仁賢天皇)を見つけ出した。小楯はその功績によって山部連に任ぜられ、のち伊予に帰郷したという(『古事記』清寧・顕宗。松山市北梅本に播磨塚が現存する)。そういう先祖の地を訪れた感銘も深かったのであろう。」

 

 巻一 八歌の方もみてみよう。

 

標題は、「後岡本宮御宇天皇代 天豊財重日足姫天皇位後即位後岡本宮」<後(のち)の岡本の宮に天の下知らしめす天皇の代 天豊財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)、後に後の岡本の宮に即位したまふ>である。

(注)後岡本宮:「高市の岡本の宮」と同地。(伊藤脚注)

(注)天豊財重日足姫天皇皇極天皇重祚。三七代斉明天皇。(伊藤脚注)

 

題詞は、「額田王歌」<額田王が歌>である。

 

◆熟田津尓 船乗世武登 月待者 潮毛可奈比沼 今者許藝乞菜

      (額田王 巻一 八)

 

≪書き下し≫熟田津(にきたつ)に船乗り(ふなの)せむと月待てば潮(しほ)もかなひぬ今は漕ぎ出(い)でな

 

(訳)熟田津から船出をしようと月の出を待っていると、待ち望んでいた通り、月も出(で)、潮の流れもちょうどよい具合になった、さあ、今こそ漕ぎ出そうぞ。(同上)

(注)熟田津:松山市和気町・堀江町付近。(伊藤脚注)

(注)かなふ【適ふ・叶ふ】自動詞:①適合する。ぴったり合う。②思いどおりになる。成就する。③〔多く下に打消の語を伴って〕いられる。すまされる。かなう。④〔多く下に打消の語を伴って〕対抗できる。かなう。⑤〔多く下に打消・否定表現を伴って〕できる。可能である。(学研)ここでは①の意。

 

左注は、「右檢山上憶良大夫類聚歌林曰 飛鳥岡本宮御宇天皇元年己丑九年丁酉十二月己巳朔壬午天皇大后幸于伊豫湯宮 後岡本宮馭宇天皇七年辛酉春正月丁酉朔壬寅御船西征 始就于海路 庚戌御船泊于伊豫熟田津石湯行宮 天皇御覧昔日猶存之物 當時忽起感愛之情 所以因製歌詠為之哀傷也 即此歌者天皇御製焉 但額田王歌者別有四首」<右は、山上憶良大夫が類聚歌林に検すに、曰(い)はく、「飛鳥(あすか)の岡本の宮に天の下知らしめす天皇の元年己丑(つちのとうし)の、九年丁酉(ひのととり)の十二月己巳(つちのとみ)の朔(つきたち)の壬午(みづのえうま)に、天皇・大后(おほきさき)、伊予(いよ)の湯の宮に幸(いでま)す。 後(のち)の岡本の宮に天の下知らしめす天皇の七年辛酉(かののととり)の春の正月丁酉(ひのととり)の朔(つきたち)の壬寅(みづのえとら)に、御船西つかたに征(ゆ)き、始めて海路(うみぢ)に就く。庚戌(かのえいぬ)に、御船伊予の熟田津の石湯(いはゆ)の行宮(かりみや)に泊(は)つ。天皇、昔日(むかし)のなほし存(のこ)れる物を御覧(みここなは)して、その時に、たちまちに感愛の情(こころ)を起したまふ。この故(ゆゑ)によりて御詠(みうた)を製(つく)りて哀傷(かなしび)たまふ」といふ。すなはち、この歌は天皇の御製なり、ただし、額田王(ぬかたのおほきみ)が歌は別に四首あり>である。

(注)飛鳥岡本宮御宇天皇:三四代舒明天皇

(注)九年:書紀には十一年のこととする。(伊藤脚注)

(注)壬午:舒明九年(637年)十二月十四日。(伊藤脚注)

(注)大后:後の皇極・斉明天皇。(伊藤脚注)

(注)壬寅:斉明七年(661年)正月六日。(伊藤脚注)

(注)庚戌:正月十四日。(伊藤脚注)

(注)泊つ:斉明天皇疲労におり道後温泉で静養したらしい。三月二十五日近くまでここにいた。(伊藤脚注)

(注)昔日:亡き夫君舒明と来た昔日。(伊藤脚注)

(注)所以因製歌詠為之哀傷也:類聚歌林には、上の記事の後に到着早々の斉明の哀傷歌を載せ、続けて、滞在中の作、さらに、船出宣言の八の歌を載せていたらしい。(伊藤脚注)

(注)天皇御製:御言持ちとして額田王が八の歌を代作したのでこの伝えがある。(伊藤脚注)

(注)別有四首:この四首、今伝わらず不明。(伊藤脚注)

 

「七年辛酉(かののととり)の春の正月丁酉(ひのととり)の朔(つきたち)の壬寅(みづのえとら)に、御船西つかたに征(ゆ)き、始めて海路(うみぢ)に就く」とあるように。斉明七年(661年)正月六日、斉明天皇自ら新羅出兵の船団を率い難波を後にしたのであった。熟田津に寄って道後温泉で休息し博多に到着したのが三月二十五日である。

斉明天皇が亡くなったのは、七月二十四日である。斉明の死は厭戦からの暗殺とも言われている。

この船団には、中大兄皇子大海人皇子、中大兄の皇女の大田皇女、妹の鸕野讃良(うのささら)皇女(後の持統天皇)、額田王らが乗っていたという。大伯(おおく)皇女は、この船団が岡山県邑久郡(おほくのこほり)の海上で生まれたので大伯皇女と言われている。

壬申の乱大津皇子の謀反などなど歴史を震撼させる火種はこの船団のなかに生まれたといっても過言ではない。

万葉集は歌で歴史を語っていくのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代史で楽しむ万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「大津皇子」 生方たつゑ 著 (角川選書

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「愛媛県史 文 学(昭和59年3月31日発行)」 (愛媛県生涯学習センターHP)

★「萬葉集道後温泉」 (愛媛松山道後温泉HP)

万葉歌碑を訪ねて(その1327,1328)―島根県益田市 県立万葉植物園(P38、39)―万葉集 巻十一 二四六九、巻十六 三八五五

―その1328―

●歌は、「山ぢさの白露重みうらぶれて心も深く我が恋やまず」である。

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島根県益田市 県立万葉植物園(P38)万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂歌集)

●歌碑(プレート)は、島根県益田市 県立万葉植物園(P38)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆山萵苣 白露重 浦經 心深 吾戀不止

      (柿本人麻呂歌集 巻十一 二四六九)

 

≪書き下し≫山ぢさの白露(しらつゆ)重(おも)みうらぶれて心も深く我(あ)が恋やまず

 

(訳)山ぢさが白露の重さでうなだれているように、すっかりしょげてしまって、心の底も深々と、私の恋は止むこともない。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は序。「うらぶれて」をおこす。

(注)うらぶる:自動詞:わびしく思う。悲しみに沈む。しょんぼりする。 ※「うら」は心の意。(学研)

 

 

「ちさ」「やまちさ」はエゴノキのことで、「ちさ」は家持の歌が一首、「やまちさ」は二四六九歌ともう一首が収録されている。

 この三首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1081)」で紹介している。

 ➡ 

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 ちさ エゴノキ  「みんなの趣味の園芸」 NHK出版HPより引用させていただきました。

 二四六九歌では、白露が詠われている。

秋の心地良く張りつめた冷気のなか、山ぢさの花に置いて白く光っている白露、白露に映る超極小の球体映像、すべてがはかない白露のその重みにうなだれているように見える山ぢさの花、一瞬を切り取った「山ぢさの白露(しらつゆ)重(おも)みうらぶれて」の情景はくっきりと目に浮かぶ。

 白露という透明感があふれ、すぐに消えゆくはかなさ。

 白露は俳句などでも「秋の季語」で季節的には秋の萩や尾花とともに詠われている歌が多いが、冬から春への季変わりの時期の歌もある。

 白露を詠った歌をいくつかみてみよう。

 

大伴家持は三首詠っている。

 

題詞は、「大伴家持白露歌一首」<大伴家持が白露(はくろ)の歌一首>である。

 

◆吾屋戸乃 草花上之 白露乎 不令消而玉尓 貫物尓毛我

      (大伴家持 巻八 一五七二)

 

≪書き下し≫我がやどの尾花(をばな)が上の白露(しらつゆ)を消(け)たずて玉に貫(ぬ)くものにもが

 

(訳)我が家の庭の尾花の上の白露、この見事な白露を、消さずに玉として糸に通せたらよいのに。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)けつ【消つ】他動詞:①消す。②取り除く。隠す。③圧倒する。無視する。ないものにする。(学研)

(注)もが 終助詞:《接続》体言、形容詞・助動詞の連用形、副詞、助詞などに付く。〔願望〕…があったらなあ。…があればなあ。 ⇒参考 上代語。上代には、多く「もがも」の形で用いられ、中古以降は「もがな」の形で用いられた。(学研)

 

 はかないのは分かりつつも、白露のあまりの見事さを詠んだもので、糸に貫ければプレゼントにできるのになあと考えたのであろう。

 

 

◆棹壮鹿之 朝立野邊乃 秋芽子尓 玉跡見左右 置有白露

         (大伴家持 巻八 一五九八)

 

≪書き下し≫さを鹿(しか)の朝立つ野辺(のへ)の秋萩に玉と見るまで置ける白露

 

(訳)雄鹿が朝佇(たたず)んでいる野辺の秋萩に、玉と見まごうばかりに置いている白露よ、ああ。(同上)

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(1203)」で紹介している。

 ➡ 

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◆秋草尓 於久之良都由能 安可受能未 安比見流毛乃乎 月乎之麻多牟

      (大伴家持 巻二十 四三一二)

 

≪書き下し≫秋草(あきくさ)に置く白露(しらつゆ)の飽(あ)かずのみ相見(あひみ)るものを月をし待たむ

 

(訳)秋草に置く白露の美しく飽かず見られるように、今宵(こよい)だけは心おきなくお逢いできる夜だというのに、私は、いたずらに月ばかりを待たねばならぬというのか。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は序。「飽かず」を起こす。(伊藤脚注)

(注)月をし待たむ:月のみ待って相手を待ちえぬ嘆き。(伊藤脚注)

 

 この歌は、題詞「七夕(しちせき)の歌八首」のうちの一首である。

 

 

次に、湯原王の二首をみてみよう。

 

題詞は、「湯原王蟋蟀歌一首」<湯原王(ゆはらのおほきみ)が蟋蟀(こほろぎ)の歌一首>である、

 

◆暮月夜 心毛思努尓 白露乃 置此庭尓 蟋蟀鳴毛

      (湯原王 巻八 一五五二)

 

≪書き下し≫夕月夜(ゆふづくよ)心もしのに白露の置くこの庭にこほろぎ鳴くも

 

(訳)月の出ている夕暮れ、心がしおれてしまうばかりに、白露の置いているこの庭でこおろぎが鳴いている。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ゆふづくよ【夕月夜】名詞:①夕方に空に出ている月。夕月。②月が出ている日暮れ方。夕月がかかっている夜。 ※「ゆふづきよ」とも。(学研)ここでは②の意

(注)しのに 副詞:①しっとりとなびいて。しおれて。②しんみりと。しみじみと。③しげく。しきりに。(学研)ここでは①の意

 

 

題詞は、「湯原王贈娘子歌一首」<湯原王、娘子(をとめ)に贈る歌一首>である。

 

◆玉尓貫 不令消賜良牟 秋芽子乃 宇礼和ゝ良葉尓 置有白露

      (湯原王 巻八 一六一八)

 

≪書き下し≫玉(たま)に貫(ぬ)き消(け)たず賜(たば)らむ秋萩の末(うれ)わくらばに置ける白露

 

(訳)玉として糸に貫き、消さないままで頂きたいものです。秋萩の枝先にとりわけ見事に置いている白露を。(同上)

(注)「消た」は「消つ」の未然形。

(注)わくらば【病葉】名詞:病害や虫害などで変色した葉。特に、夏の青葉にまじる赤や黄色に変色した葉をいう。[季語] 夏。(学研)

(注の注)原文は「和ゝ良葉尓」だが「和久良葉尓」の誤りと見る。特に際立って。(伊藤脚注)

 

 

次は、笠女郎の歌である。

 

 ◆吾屋戸之 暮陰草乃 白露之 消蟹本名 所念鴨

       (笠女郎 巻四 五九四)

 

≪書き下し≫我がやどの夕蔭草(ゆふかげくさ)の白露の消(け)ぬがにもとな思ほゆるかも

 

(訳)わが家の庭の夕蔭草に置く白露のように、今にも消え入るばかりに、むしょうにあの方のことが思われる。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上三句は序。「消ぬがに」を起こす。作者の人恋う姿を連想させる。

(注)夕蔭草:夕日に照り映える草。

(注)ぬがに 分類連語:今にも…てしまいそうに。今にも…てしまうほどに。 ※上代語。⇒なりたち 完了の助動詞「ぬ」の終止形+接続助詞「がに」(学研)

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1094)」で紹介している。

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 次は、弓削皇子の歌である。

 

◆秋芽子之 上尓置有 白露乃 消可毛思奈萬思 戀管不有者

      (弓削皇子 巻八 一六〇八)

 

≪書き下し≫秋萩(あきはぎ)の上に置きたる白露(しらつゆ)の消(け)かもしなまし恋ひつつあらずは

 

(訳)秋萩の上に置いている白露、そのはかない露のように、消え果ててしまった方がまだましではないか。こうして焦がれつづけてなどおらずに。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上三句は序。「消」を起こす。(伊藤脚注)

(注)消かもしなまし:消えてしまう方がむしろましではないか。カモは疑問、「し」はサ変「す」の連用形。(伊藤脚注)

(注)なまし 分類連語:①〔上に仮定条件を伴って〕…てしまっただろう(に)。きっと…てしまうだろう(に)。▽事実と反する事を仮想する。②〔上に疑問語を伴って〕(いっそのこと)…たものだろうか。…してしまおうか。▽ためらいの気持ちを表す。③〔終助詞「ものを」を伴って〕…してしまえばよかった(のに)。▽実現が不可能なことを希望する意を表す。 ⇒注意 助動詞「まし」の意味(反実仮想・ためらい・悔恨や希望)に応じて「なまし」にもそれぞれの意味がある。 ⇒なりたち 完了(確述)の助動詞「ぬ」の未然形+反実仮想の助動詞「まし」(学研)ここでは②の意

 

 

◆暮立之 雨落毎<一云 打零者> 春日野之 尾花之上乃 白霧所念

       (作者未詳 巻十 二一六九)

 

≪書き下し≫夕立(ゆふだち)の雨降るごとに <一には「うち降れば」といふ>春日野(かすがの)の尾花(をばな)が上(うへ)の白露思ほゆ

 

(訳)夕立の雨が降るたびに<さっと降ると>、春日野の尾花の上に輝く白露が思われてならない。

 

 

白露 与秋芽子者 戀乱 別事難 吾情可聞

      (作者未詳 巻十 二一七一)

 

≪書き下し≫白露と秋萩とには恋ひ乱れ別(わ)くことかたき我(あ)が心かも

 

(訳)白露と秋萩とは、どちらも心がひかれてしまって、そのどちらがよいなどと、私にはとても区別しかねる。(同上)

 

 

 「白露」を詠った作者未詳歌で巻十三の巻頭歌がある。巻十三は、万葉集では唯一長歌を集めている。

 

◆冬木成 春去来者 朝尓波 白露置 夕尓波 霞多奈妣久 汗瑞能振 樹奴礼我之多尓 鴬鳴母

      (作者未詳 巻十三 三二二一)

 

≪書き下し≫冬こもり 春さり来(く)れば 朝(あした)には 白露(しらつゆ)置き 夕(ゆうへ)には 霞(かすみ)たなびく 風の吹く 木末(こぬれ)が下(した)に うぐひす鳴くも

 

(訳)冬木も茂る春がやってくると、朝方には白露が置き、夕方には霞がたなびく。そして、風の吹く山の梢(こずえ)の下では、鴬(うぐいす)がしきりに鳴き立てている。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ふゆごもり【冬籠り】分類枕詞:「春」「張る」にかかる。かかる理由は未詳。 ※古くは「ふゆこもり」。(学研)

 

 白露の美しさを玉に譬え、すぐ消えることからはかなさを感じ、秋の萩と尾花と共に詠い、

はかないが故に萩や尾花に(そっと)置くと詠う、センシティブな歌が多い。であるが故に、悩む歌も多く、万葉びとの鋭い観察力と繊細な心根が感じられるのである。

 

 

 

―その1328

●歌は、「ざう莢に延ひおほとれる屎葛絶ゆることなく宮仕へせむ」である。

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島根県益田市 県立万葉植物園(P39)万葉歌碑<プレート>(高宮王)

●歌碑(プレート)は、島根県益田市 県立万葉植物園(P39)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「高宮王詠數首物歌二首」<高宮王(たかみやのおほきみ)、数種の物を詠む歌二首>である。

 

◆    ▼莢尓 延於保登礼流 屎葛 絶事無 宮将為

       (高宮王 巻十六 三八五五)

   ▼は「草かんむりに『皂』である。「▼+莢」で「ざうけふ」と読む。

 

≪書き下し≫ざう莢(けふ)に延(は)ひおほとれる屎葛(くそかづら)絶ゆることなく宮仕(みやつか)へせむ

 

(訳)さいかちの木にいたずらに延いまつわるへくそかずら、そのかずらさながらの、こんなつまらぬ身ながらも、絶えることなくいついつまでも宮仕えしたいもの。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)おほとる 自動詞:乱れ広がる。(学研)

(注)上三句は序。「絶ゆることなく」を起こす。自らを「へくそかずら」に喩えている。

(注)ざう莢(けふ)>さいかち【皂莢】:マメ科の落葉高木。山野や河原に自生。幹や枝に小枝の変形したとげがある。葉は長楕円形の小葉からなる羽状複葉。夏に淡黄緑色の小花を穂状につけ、ややねじれた豆果を結ぶ。栽培され、豆果を石鹸(せっけん)の代用に、若葉を食用に、とげ・さやは漢方薬にする。名は古名の西海子(さいかいし)からという。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)へくそかづら〕【屁糞葛】:アカネ科の蔓性(つるせい)の多年草。草やぶに生え、全体に悪臭がある。葉は卵形で先がとがり、対生。夏、筒状で先が5裂した花をつけ、灰白色で内側が赤紫色をしている。実は丸く、黄褐色。やいとばな。さおとめばな。くそかずら。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 この歌ならびにもう一首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1100)で紹介している。

 ➡ こちら

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「みんなの趣味の園芸」 (NHK出版HP)

万葉歌碑を訪ねて(その1326)―島根県益田市 県立万葉植物園(P37)―万葉集 巻二 九〇

●歌は、「君が行き日長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ」である。

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島根県益田市 県立万葉植物園(P37)万葉歌碑<プレート>(衣通王)

●歌碑は、島根県益田市 県立万葉植物園(P37)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆君之行 氣長久成奴 山多豆乃 迎乎将徃 待尓者不待  此云山多豆者是今造木者也

       (衣通王 巻二 九〇)

 

≪書き下し≫君が行き日(け)長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ  ここに山たづといふは、今の造木をいふ

 

(訳)あの方のお出ましは随分日数が経ったのにまだお帰りにならない。にわとこの神迎えではないが、お迎えに行こう。このままお待ちするにはとても堪えられない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)やまたづの【山たづの】分類枕詞:「やまたづ」は、にわとこの古名。にわとこの枝や葉が向き合っているところから「むかふ」にかかる。(weblio辞書 Wiktionary(日本語版 日本語カテゴリ)

(注)みやつこぎ【造木】:① ニワトコの古名。 〔和名抄〕② タマツバキの古名。 〔本草和名〕(weblio辞書 三省堂大辞林第三版)

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やまたづ (ニワトコ) 「植物データベース」(熊本大学薬学部 薬草園HP)より引用させていただきました。

 この歌ならびに題詞および左注はブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その番外200513)」で紹介している。

 ➡ 

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衣通王については、玉津島神社の祭神の一柱と言われている。同神社は、住吉大社柿本神社と並ぶ『和歌三神(わかさんじん)』の社である。

これに関連することについては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その734)」で紹介している。

➡ 

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 九〇歌の「やまたづ」を詠んだ歌はもう一首ある。こちらもみてみよう。

 

◆白雲乃 龍田山乃 露霜尓 色附時丹 打超而 客行公者 五百隔山 伊去割見 賊守筑紫尓至 山乃曽伎 野之衣寸見世常 伴部乎 班遣之 山彦乃 将應極 谷潜乃 狭渡極 國方乎 見之賜而 冬木成 春去行者 飛鳥乃 早御来 龍田道之 岳邊乃路尓 丹管土乃 将薫時能 櫻花 将開時尓 山多頭能 迎参出六 公之来益者

     (高橋虫麻呂 巻六 九七一)

 

≪書き下し≫白雲の 龍田(たつた)の山の 露霜(つゆしも)に 色(いろ)づく時に うち越えて 旅行く君は 五百重(いほへ)山 い行いきさくみ 敵(あた)まもる 筑紫(つくし)に至り 山のそき 野のそき見よと 伴(とも)の部(へ)を 班(あか)ち遣(つか)はし 山彦(やまびこ)の 答(こた)へむ極(きは)み たにぐくの さ渡る極み 国形(くにかた)を 見(め)したまひて 冬こもり 春さりゆかば 飛ぶ鳥の 早く来まさね 龍田道(たつたぢ)の 岡辺(をかへ)の道に 丹(に)つつじの にほはむ時の 桜花(さくらばな) 咲きなむ時に 山たづの 迎へ参(ま)ゐ出(で)む 君が来まさば

 

(訳)白雲の立つという龍田の山が、冷たい霧で赤く色づく時に、この山を越えて遠い旅にお出かけになる我が君は、幾重にも重なる山々を踏み分けて進み、敵を見張る筑紫に至り着き、山の果て野の果てまでもくまなく検分せよと、部下どもをあちこちに遣わし、山彦のこだまする限り、ひきがえるの這い廻る限り、国のありさまを御覧になって、冬木が芽吹く春になったら、空飛ぶ鳥のように早く帰ってきて下さい。ここ龍田道の岡辺の道に、赤いつつじが咲き映える時、桜の花が咲きにおうその時に、私はお迎えに参りましょう。我が君が帰っていらっしゃったならば。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)しらくもの【白雲の】分類枕詞:白雲が立ったり、山にかかったり、消えたりするようすから「立つ」「絶ゆ」「かかる」にかかる。また、「立つ」と同音を含む地名「竜田」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)つゆしも【露霜】名詞:露と霜。また、露が凍って霜のようになったもの。(学研)

(注)五百重山(読み)いおえやま:〘名〙 いくえにも重なりあっている山(コトバンク精選版 日本国語大辞典

(注)さくむ 他動詞:踏みさいて砕く。(学研)

(注)まもる【守る】他動詞:①目を放さず見続ける。見つめる。見守る。②見張る。警戒する。気をつける。守る。(学研)

(注)そき:そく(退く)の名詞形<そく【退く】自動詞:離れる。遠ざかる。退く。逃れる(学研)➡山のそき:山の果て

(注)あかつ【頒つ・班つ】他動詞:分ける。分配する。分散させる。(学研)

(注)たにぐく【谷蟇】名詞:ひきがえる。 ※「くく」は蛙(かえる)の古名。(学研)

(注)きはみ【極み】名詞:(時間や空間の)極まるところ。極限。果て。(学研)

(注)ふゆごもり【冬籠り】分類枕詞:「春」「張る」にかかる。かかる理由は未詳。(学研)

(注)とぶとりの【飛ぶ鳥の】分類枕詞:①地名の「あすか(明日香)」にかかる。②飛ぶ鳥が速いことから、「早く」にかかる。(学研)

(注)に【丹】名詞:赤土。また、赤色の顔料。赤い色。(学研)

(注)やまたづの【山たづの】分類枕詞;「やまたづ」は、にわとこの古名。にわとこの枝や葉が向き合っているところから「むかふ」にかかる。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その512)」で紹介している。

 ➡ 

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この歌では、「山彦の 答へむ極み たにぐくの さ渡る極み 国形を 見したまひて (山彦のこだまする限り、ひきがえるの這い廻る限り、国のありさまを御覧になって)」と歌われている。国の広がりを見るに、山彦はイメージ的に距離感が理解できるが、たにぐく(ひきがえる)がひっかかる。

 

國學院大學デジタルミュージアムの「万葉神事語事典」によると、「たにぐく」について次のように書かれている。

 「ひき蛙。記の神代では、大国主神の国作りの段において、少名毘古那神の名を明かす場面に「多邇具久」が見える。大国主神に従う諸の神は少名毘古那神の名を明かすことが出来ず、尽く天の下の事を知れる神である「久延毘古」によって、その名が明かされるのだが、久延毘古ならば知っていると注進する役割を多邇具久が果たす。谷蟆とは、国土の隅々まで知り尽くした存在であるとするものや、地上を這い回る支配者とする解釈などがある。谷蟆は、地上の至る所に存し、それゆえ、地上のことを知る存在と認識されていたと考えられる。これらは万葉集における「たにぐくのさ渡る極み」という語からもうかがえる。万葉集では、「山上憶良の惑へる情を反さしむるの歌」において、「倍俗先生」と名乗り、俗世を離れたと自称する者に対して、地上の全ては天皇の支配領域であると諭す際に、「天雲の向伏極み谷蟆のさ渡る極み」(5-800)と見え、身体が地にある以上、天皇の支配領域以外の場所に存することは出来ないという意味であろう。これは、天皇の地上における支配領域が谷蟆の渡るところすべてとする認識を基盤とする表現であり、その根底には、天孫降臨に先行して行われた大国主神からの支配権の献上という行為があると考えられる。」

 

 山上憶良の歌もみてみよう。

 

題詞は、「令反或情歌一首 幷序」<惑情(わくじやう)を反(かへ)さしむる歌一首 幷せて序>である。

(注)惑情:煩悩にまみれた心。(伊藤脚注)

 

◇序◇或有人 知敬父母忘於侍養 不顧妻子軽於脱屣 自称倍俗先生 意氣雖揚青雲之上 身體猶在塵俗之中 未驗修行得道之聖 蓋是亡命山澤之民 所以指示三綱更開五教 遣之以歌令反其或 歌曰

 

◇序の書き下し◇或(ある)人、父母(ふぼ)を敬(うやま)ふことを知りて侍養(じやう)を忘れ、妻子(さいし)を顧(かへり)みずして脱屣(だつし)よりも軽(かろ)みす。自(みづか)ら倍俗先生(ばいぞくせんせい)と称(なの)る。意気は青雲(せいうん)の上に揚(あが)るといへども、身体はなほ塵俗(ぢんぞく)の中(うち)に在り。いまだ修行(しゆぎやう)得道(とくだう)の聖(ひじり)に験(しるし)あらず、けだしこれ山沢(さんたく)に亡命する民ならむか。

このゆゑに、三綱(さんかう)を指し示し、五教(こけう)を更(あらた)め開(と)き、遣(おく)るに歌をもちてし、その惑(まと)ひを反(かへ)さしむ。歌に曰(い)はく、

 

◇序の訳◇ある人がいて、父母を敬うことを知りながら孝養を尽くすことを忘れ、しかも妻子の扶養をも意に会せず、脱ぎ捨てた履物よりも軽んじている。そして、自分から“倍俗先生”などと称している。その意気は青雲かかる天空の上に舞う観があるけれども、身体は依然として俗世の塵(ちり)の中にある。といって、行を修め道を得た仏聖の証(あかし)があるわけでもない。多分これは戸籍を脱して山野に亡命する民なのであろう。

そこで、三綱の道を指し示し、さらに改めて五教の道を諭すべく、贈るのにこんな倭歌(やまとうた)を作って、その迷いを直させることにする。その歌に曰く、

(注)じやう【侍養】〘名〙:そばに付き添って孝養を尽くしたり、養い育てたりすること。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)だっし【脱屣】: 履物をぬぎ捨てること。転じて、未練なく物を捨て去ること。(goo辞書)

(注)倍俗先生:俗に背く先生。「先生」は学人の称。(伊藤脚注)

(注)とくだう【得道】〘名〙 仏語: 聖道または仏の無上道の悟りをうること。成道。悟道。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)亡命:戸籍を捨てて逃亡すること。養老初年頃から、逃亡民を戒める詔勅がしきりに出ている。(伊藤脚注)

(注)さんかう【三綱】:儒教で、君臣・父子・夫婦の踏み行うべき道。(goo辞書)

(注)ごけう【五教】: 儒教でいう、人の守るべき五つの教え。君臣の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、朋友(ほうゆう)の信の五つとする説(孟子)と、父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝の五つとする説(春秋左氏伝)とがある。五倫。(weblio辞書 デジタル大辞泉) ⇒伊藤氏は後者

(注の注)管内に五教を諭し農耕を勧めるのは、令の定める国守の任務の一つ。(伊藤脚注)

 

 

◆父母乎 美礼婆多布斗斯 妻子見礼婆 米具斯宇都久志 余能奈迦波 加久叙許等和理 母智騰利乃 可可良波志母与 由久弊斯良祢婆 宇既具都遠 奴伎都流其等久 布美奴伎提 由久智布比等波 伊波紀欲利 奈利提志比等迦 奈何名能良佐祢 阿米弊由迦婆 奈何麻尓麻尓 都智奈良婆 大王伊摩周 許能提羅周 日月能斯多波 雨麻久毛能 牟迦夫周伎波美 多尓具久能 佐和多流伎波美 企許斯遠周 久尓能麻保良叙 可尓迦久尓 保志伎麻尓麻尓 斯可尓波阿羅慈迦

      (山上憶良 巻五 八〇〇)

 

≪書き下し≫父母を 見れば貴(たふと)し 妻子(めこ)見れば めぐし愛(うつく)し 世の中は かくぞことわり もち鳥(どり)の かからはしもよ ゆくへ知らねば 穿沓(うけぐつ)を 脱(ぬ)き棄(つ)るごとく 踏(ふ)み脱(ぬ)きて 行(ゆ)くちふ人は 石木(いはき)より なり出(で)し人か 汝(な)が名告(の)らさね 天(あめ)へ行(ゆ)かば 汝(な)がまにまに 地(つち)ならば 大君(おほきみ)います この照らす 日月(ひつき)の下(した)は 天雲(あまくも)の 向伏(むかぶ)す極(きは)み たにぐくの さ渡る極み きこしをす 国のまほらぞ かにかくに 欲(ほ)しきまにまに しかにはあらじか

 

(訳)父母を見ると尊いし、妻子を見るといとおしくかわいい。世の中はこうあって当然で、恩愛の絆は黐(もち)にかかった鳥のように離れがたく断ち切れぬものなのだ。行く末どうなるともわからぬ有情世間(うじょうせけん)のわれらなのだから。それなのに穴(あな)あき沓(ぐつ)を脱ぎ棄てるように父母妻子をほったらかしてどこかへ行くという人は、非情の岩や木から生まれ出た人なのか。そなたはいったい何者なのか名告りたまえ。天へ行ったらそなたの思い通りにするもよかろうが、この地上にいる限りは大君がおいでになる。

この日月の照らす下は、天雲のたなびく果て、蟇(ひきがえる)の這(は)い回る果てまで、大君の治められる秀(ひい)でた国なのだ。あれこれと思いどおりにするもよういが、物の道理は私の言うとおりなのではあるまいか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)めぐし【愛し・愍し】形容詞:①いたわしい。かわいそうだ。②切ないほどかわいい。いとおしい。 ※上代語。(学研)ここでは②の意

(注)もちどり【黐鳥】〘名〙: (「もちとり」とも) とりもちにかかった鳥。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注の注)恩愛の絆の譬え(伊藤脚注)

(注)かからはし【懸からはし】形容詞:ひっかかって離れにくい。とらわれがちだ。(学研)

(注)ゆくへ知らねば:俗世の人は行く末どうなるともわからぬのだから。(伊藤脚注)

(注)うけぐつ【穿沓】〘名〙 (「うけ」は穴があく意の動詞「うぐ(穿)」の連用形) はき古して穴のあいたくつ。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)ちふ 分類連語:…という。 ⇒参考 「といふ」の変化した語。上代には「とふ」の形も用いられ、中古以後は、「てふ」が用いられる。(学研)

(注)いはき【石木・岩木】名詞:岩石や木。多く、心情を持たないものをたとえて言う。(学研)

(注)きこしめす【聞こし召す】他動詞:①お聞きになる。▽「聞く」の尊敬語。②お聞き入れなさる。承知なさる。▽「聞き入る」の尊敬語。③関心をお持ちになる。気にかけなさる。④お治めになる。(政治・儀式などを)なさる。▽「治む」「行ふ」などの尊敬語。⑤召し上がる。▽「食ふ」「飲む」の尊敬語。(学研)ここでは④の意

(注)まほら 名詞:まことにすぐれたところ。まほろば。まほらま。 ※「ま」は接頭語、「ほ」はすぐれたものの意、「ら」は場所を表す接尾語。上代語。(学研)

 

 中西 進氏は、その著「万葉の心」(毎日新聞社)の中で、この歌について「・・・こうした煩悩ともいうべき愛の否定は、広く人間への絶望でもあったが、しかし彼(山上憶良)ほど人間を愛したものも稀だっただろう。・・・志賀の荒雄への哀悼・・・(大伴)旅人の妻への挽歌、他人の死を契機として、これほど多くの愛を歌いあげた万葉歌人はいない。彼の愛の否定は、『わが』煩悩の否定だったのであり、そのゆえに多くの愛を歌うことができた。一首もわが恋の歌を残さぬ歌人が、もっともすぐれた愛の省察者だったのである。」

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の心」 中西 進 著 (毎日新聞社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「weblio辞書 Wiktionary (日本語版 日本語カテゴリ)」

★「weblio辞書 三省堂大辞林第三版」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「goo辞書」

★「万葉神事語事典」 (國學院大學デジタルミュージアム

★「植物データベース」 (熊本大学薬学部 薬草園HP)

★「玉津島神社HP」

万葉歌碑を訪ねて(その1325)―島根県益田市 県立万葉植物園(P36)―万葉集 巻七 一二九三

●歌は、「霰降り遠江の吾跡川楊 刈れどもまたも生ふといふ吾跡川楊」である。

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島根県益田市 県立万葉植物園(P36)万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂歌集)

●歌碑(プレート)は、島根県益田市 県立万葉植物園(P36)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

丸雪降 遠江 吾跡川楊 雖苅 亦生云 余跡川楊

      (柿本人麻呂歌集 巻七 一二九三)

 

≪書き下し≫霰(あられ)降(ふ)り遠江(とほつあふみ)の吾跡川楊(あとかわやなぎ) 刈れどもまたも生(お)ふといふ吾跡川楊

 

(訳)遠江の吾跡川の楊(やなぎ)よ。刈っても刈っても、また生い茂るという吾跡川の楊よ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)あられふり【霰降り】[枕]:あられの降る音がかしましい意、また、その音を「きしきし」「とほとほ」と聞くところから、地名の「鹿島(かしま)」「杵島(きしみ)」「遠江(とほつあふみ)」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)恋心を川楊に喩えている。(伊藤脚注)

(注)吾跡川:静岡県浜松市北区細江町の跡川か。(伊藤脚注)

 

 万葉集では、「かはやなぎ」を詠んだ歌は三首収録されている。この歌ならびに他の二首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その262)」で紹介している。

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 「霰」を「丸雪」と書いて「あられ」と読むが、これも書き手の遊び心なのであろう。

 

 「あられふり」で詠い出す歌をみてみよう。

 

霰零 吉志美我高嶺乎 險跡 草取可奈和 妹手乎取

     (作者未詳 巻三 三八五)

 

≪書き下し≫霰(あられ)降り吉志美(きしみ)が岳(たけ)をさがしみと草取りかなわ妹(いも)が手を取る

 

(訳)霰が降ってかしましというではないが、吉志美(きしみ)が岳、この岳が険しいので、私は草を取りそこなっていとしい子の手を取る。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)霰降り:「吉志美が岳(所在未詳)」の枕詞。(伊藤脚注)

(注)さがし【険し・嶮し】形容詞:①(山などが)険(けわ)しい。②危ない。危険である。(学研)

(注)かなわ:「かねて」と同じ意か。(伊藤脚注)

 

 この歌は、題詞「仙柘枝(やまびめつみのえ)の歌三首」の一首である。ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1020)」で紹介している。

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霰零 鹿嶋之埼乎 浪高 過而夜将行 戀敷物乎

      (作者未詳 巻七 一一七四)

 

≪書き下し≫霰(あられ)降(ふ)り鹿島(かしま)の崎(さき)を波高み過ぎてや行かむ恋(こひ)しきものを

 

(訳)鹿島の崎には波が高くうち寄せているので、素通りして行くことになるのであろうか。こんなにこころひかれているのに。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)霰降り:「鹿島(茨城県)」の枕詞。(伊藤脚注)

 

 

霰落 板玖風吹 寒夜也 旗野尓今夜 吾獨寐牟

      (作者未詳 巻十 二三三八)

 

≪書き下し≫霰(あられ)降りいたも風吹き寒き夜(よ)や旗野(はたの)に今夜(こよひ)我が独り寝む

 

(訳)霰が降り、ひどく風が吹いて寒い夜、こんな夜に、ここ籏野で今夜、私はたった独りで寝なければならないのか。(同上)

(注)いたも【甚も】副詞:甚だ。全く。(学研)

(注)や:詠嘆的疑問。(伊藤脚注)

(注)旗の:所在未詳。

 

 この歌の霰降りは文字通り霰が降りであって枕詞として使われているものではない。

 万葉の時代に霰が降り、風が強い状態で野宿するなんて考えられない。一晩過ごすのも命がけである。

 

◆霰零 遠津大浦尓 縁浪 縦毛依十万 憎不有君

       (作者未詳 巻十一 二七二九)

 

≪書き下し≫霰(あられ)降り遠(とほ)つ大浦(おほうら)に寄する波よしも寄すとも憎(にく)くあらなくに

 

(訳)あの遠くの大浦に寄せる波ではないが、よしたとえ二人の仲を人が寄せたとしてもかまいはしない。あの人がいやなわけではないのだから。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)霰降り:「遠つ」の枕詞。霰の音を「とほ」と聞いたか。(伊藤脚注)

(注)上三句は序。同音で「よしも寄す」を起こす。(伊藤脚注)

(注)よし【縦し】副詞:①仕方がない。ままよ。どうでも。まあよい。▽「よし」と仮に許可するの意。②〔多く下に逆接の仮定条件を伴って〕たとえ。もし仮に。万が一。(学研)

 

 

阿良例布理 可志麻能可美乎 伊能利都ゝ 須米良美久佐尓 和例波伎尓之乎

      (大舎人部千文 巻二十 四三七〇)

 

≪書き下し≫霰降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍に我れは来にしを

 

(訳)霰が降ってかしましいというではないが、鹿島の神、その猛々(たけだけ)しい神に祈りながら、天皇(すめらき)の兵士として、おれはやって来たつもりなのに・・・(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

左注は、「右二首那賀郡上丁大舎人部千文」<右の二首は那賀(なか)の郡の上丁(じやうちやう)大舎人部千文(おほとねりべのちふみ)>である。

(注)霰降り:「鹿島」の枕詞。

(注)鹿島の神:鹿島神宮の祭神、武甕槌神。(伊藤脚注)

(注)結句「我れは来にしを」のしたに、四三六九歌のような妻への愛着に暮れるとは、の嘆きがこもる。(伊藤脚注)

(注の注)四三六九歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1072)」で紹介している。

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 他に「霰」を詠った歌もみてみよう。

 

打 安良礼松原 住吉乃 弟日娘与 見礼常不飽香聞

      (長皇子 巻一 六五)

 

≪書き下し≫霰(あられ)打つ安良礼(あられ)松原(まつばら)住吉(すみのえ)の弟日娘子(おとひをとめ)と見(み)れど飽(あ)かぬかも

 

(訳)霰のたたきつける安良礼松原、この松原は、住吉の弟日娘子と同じに、見ても見ても、見飽きることがない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)霰打つ:同音の次句の地名「安良礼(住吉付近か)」をほめる枕詞。(伊藤脚注)

(注)と:並立、と共にの意をもつ。(伊藤脚注)

(注)見れど飽かぬかも:現地への賛美である。(伊藤脚注)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その797)」で紹介している。

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◆我袖尓 手走 巻隠 不消有 妹高見

      (柿本人麻呂歌集 巻十 二三一二)

 

≪書き下し≫我が袖に霰(あられ)た走る巻き隠し消(け)たずてあらむ妹(いも)が見むため

 

(訳)私の袖に霰がぱらぱらと飛び跳ねる。包み隠して消さないでおこう。あの子にみせるために。(伊藤 博著「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)

(注)巻き隠す:袖に包み隠して(伊藤脚注)

 

 ここでは「雹」と書いて「あられ」と読ませている。

 袖の霰を愛しい人に見せたいという熱い心が伝わる心理描写の歌である。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その70改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦ください。)

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◆霜上尓 安良礼多婆之里 伊夜麻之尓 安礼波麻為許牟 年緒奈我久 <古今未詳>

       (大伴千室 巻二十 四二九八)

 

≪書き下し≫霜の上(うへ)に霰(あられ)た走(ばし)りいやましに我(あ)れは参(ま)ゐ来(こ)む年の緒(を)長く

 

(訳)置く霜の上にさらに霰が飛び散るように、いよいよしげしげと私は参上いたしましょう。この先いついつまでも。<歌の新古は不明>

(注)上二句は序。「いやましに」を起こす。(伊藤脚注)

(注)たばしる【た走る】自動詞:激しい勢いでとび散る。 ※「た」は接頭語。(学研)

(注)いやましに【弥増しに】副詞:いよいよ多く。ますます。(学研)

(注)としのを【年の緒】分類連語:年が長く続くのを緒(=ひも)にたとえていう語。(学研)

 

 霜の上に霰とは、おもしろい表現である。どこかのアイスクリームのレギュラーダブルみたいなイメージかな。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」