万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2504)―

●歌は、「橘の下吹く風のかぐわしき筑波の山を恋ひずあらめかも」である。

茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森万葉歌碑(プレート)(占部広方) 20230927撮影

●歌碑(プレート)は、茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆多知波奈乃 之多布久可是乃 可具波志伎 都久波能夜麻乎 古比須安良米可毛

       (占部広方 巻二十 四三七一)

 

≪書き下し≫橘の下吹く風のかぐはしき筑波の山を恋ひずあらめかも

 

(訳)橘の木陰を吹き抜ける風がかぐわしく薫る筑波の山よ、ああ、あの山にどうして恋い焦がれずにいられようか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫

(注)かぐはしき:かぐわしくかおる。(伊藤脚注)

(注の注)かぐはし【香ぐはし・馨し】形容詞:①香り高い。かんばしい。②美しい。心がひかれる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意

(注)めかも:メカモは反語。(伊藤脚注)

(注の注)めかも :(推量の助動詞「む」の已然形「め」に、反語の意を表わす係助詞「か」、詠嘆を表わす係助詞「も」の付いたもの。東歌に見られる語法) =めやも (コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

左注は、「右一首助丁占部廣方」<右の一首は助丁占部広方(じよちやううらべのひろかた)>である。

 

この歌については、四三六三から四三七二歌の歌群(常陸の国の防人歌)とともに拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2465)」で紹介している。

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 万葉神事語辞典(國學院大學デジタルミュージアム)によると、項目名「かぐわし;かぐはし;香ぐはし」に「①においが良いこと。香りが高い。かんばしい。②なつかしい。心を惹きつけられる、慕わしく思う、の意。万葉集には全6例みられる。うち、作者未詳歌(10-1967)、大伴家持の橘の歌(18-4111)、同じく大伴坂上郎女宛の代作歌(19-4169)、占部広方の歌(20-4371)4例は「橘」に関連させて当該語を詠む。記紀の各1例も同様であり、また、『かぐはし君』と詠む18-4120番歌は橘諸兄葛城王)を念頭に置いた家持の歌であることから、基本的には「橘」を修飾する語と考えられる。常緑樹である橘は、『常世の国』の木とも呼ばれ、生命長久や繁栄を示す樹木とされた。当該語は、橘の五感にとらわれない霊妙な様子を表すことが原義とみられる。それゆえに、作者未詳歌において、やつれた恋人に贈る橘に冠して詠み、その霊性に触れて早期回復することを願うものと考えられる。唯一『梅』に使用している治部大輔市原王の歌(20-4500)も、梅花の香りの良さにとどまらず、それが霊妙な雰囲気を漂わせた姿であることを歌うものとみられる。なお、応神記43・応神紀35では花橘に美しい女性のイメージを含み持たせている。」と書かれている。

 

 「かぐはし」が詠まれた歌は、万葉集では六首と書かれている。順番にみてみよう。

 

■一九六七歌■

香細寸 花橘乎 玉貫 将送妹者 三礼而毛有香

       (作者未詳 巻十 一九六七)

 

≪書き下し≫かぐはしき花橘(はなたちばな)を玉に貫(ぬ)き贈(おく)らむ妹(いも)はみつれてもあるか

 

(訳)かぐわしい橘の花、この花を、薬玉に貫いて贈り届けてやりたいあの子だが、あの子はひょっとして病みやつれていはしないだろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)玉に貫き:薬玉につけて。(伊藤脚注)

(注)みつれてもあるか:身も心も疲れ果てていることか。「みつれ」は「みつる」の連用形。モ・・・カは詠嘆的疑問。(伊藤脚注)

(注の注)みつる【羸る】自動詞:やつれる。疲れはてる。(学研)                  

 

 

 

■四一一一歌■

◆可氣麻久母 安夜尓加之古思 皇神祖<乃> 可見能大御世尓 田道間守 常世尓和多利 夜保許毛知 麻為泥許之登吉 時及能 香久乃菓子乎 可之古久母 能許之多麻敝礼 國毛勢尓 於非多知左加延 波流左礼婆 孫枝毛伊都追 保登等藝須 奈久五月尓波 波都波奈乎 延太尓多乎理弖 乎登女良尓 都刀尓母夜里美 之路多倍能 蘇泥尓毛古伎礼 香具播之美 於枳弖可良之美 安由流實波 多麻尓奴伎都追 手尓麻吉弖 見礼騰毛安加受 秋豆氣婆 之具礼乃雨零 阿之比奇能 夜麻能許奴礼波 久礼奈為尓 仁保比知礼止毛 多知波奈乃 成流其實者 比太照尓 伊夜見我保之久 美由伎布流 冬尓伊多礼婆 霜於氣騰母 其葉毛可礼受 常磐奈須 伊夜佐加波延尓 之可礼許曽 神乃御代欲理 与呂之奈倍 此橘乎 等伎自久能 可久能木實等 名附家良之母

       (大伴家持 巻十八 四一一一)

 

≪書き下し≫かけまくも あやに畏(かしこ)し 天皇(すめろき)の 神(かみ)の大御代(おほみよ)に 田道間守(たぢまもり) 常世(とこよ)に渡り 八桙(やほこ)持ち 参(ま)ゐ出(で)来(こ)し時 時じくの かくの菓(このみ)を 畏(かしこ)くも 残したまへれ 国も狭(せ)に 生(お)ひ立ち栄(さか)え 春されば 孫枝(ひこえ)萌(も)いつつ ほととぎす 鳴く五月(さつき)には 初花(はつはな)を 枝(えだ)に手折(たを)りて 娘子(をとめ)らに つとにも遣(や)りみ 白栲(しろたへ)の 袖(そで)にも扱(こき)入れ かぐはしみ 置きて枯らしみ あゆる実(み)は 玉に貫(ぬ)きつつ 手に巻きて 見れども飽(あ)かず 秋づけば しぐれの雨降り あしひきの 山の木末(こぬれ)は 紅(くれなゐ)に にほひ散れども 橘(たちばな)の なれるその実は ひた照りに いや見が欲(ほ)しく み雪降る 冬に至れば 霜置けども その葉も枯れず 常磐(ときは)なす いやさかはえに しかれこそ 神(かみ)の御代(みよ)より よろしなへ この橘を 時じく かくの菓(このみ)の実と 名付けけらしも

 

(訳)口の端に上(のぼ)すのさえ恐れ多いこと、神の御裔(みすえ)の遥か遠い天皇(すめろぎ)の御代に、田道間守(たじまもり)が常世(とこよ)の国に渡って、八鉾(やほこ)を掲げて帰朝した時、時じくのかくの木(こ)の実(み)を、恐れ多くものちの世にお残しになったころ、その木は、国も狭しと生い立ち栄え、春ともなれば新たに孫枝(ひこえ)が次々と芽生え、時鳥の鳴く五月には、その初花を枝ごと手折って、包んで娘子(おとめ)に贈り物としたり、枝からしごいて着物の袖にも入れたり、あまりの気高さに枝に置いたまま枯らしてしまったりもし、熟(う)れて落ちる実は薬玉(くすだま)として緒に通して、手に巻きつけていくら見ても見飽きることがない。秋が深まるにつれてしぐれが降り、山の木々の梢(こずえ)は紅に色づいて散るけれども、橘の枝に生(な)っているその実は、あたり一面にますます照り映えていっそう目がひきつけられるばかり、雪の降る冬ともなると、霜が置いてもその葉も枯れず、いつもいつも盛りの時を見せる岩のようにますます照り栄(さか)えるばかり・・・、それだからこそ、遠く遥かなる神の御代から、いみじくもこの橘を、時じくのかくの木の実と、名づけたのであるらしい。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)かけまくも 分類連語:心にかけて思うことも。言葉に出して言うことも。 ⇒なりたち 動詞「か(懸)く」の未然形+推量の助動詞「む」の古い未然形「ま」+接尾語「く」+係助詞「も」(学研)

(注)たぢまもり【田道間守】:古代の伝説上の人物。新羅(しらぎ)王子天日矛(あめのひぼこ)の子孫。記紀によれば、第11代垂仁天皇の勅により、常世(とこよ)の国から非時香菓(ときじくのかくのこのみ)(橘)を10年かけて持ち帰ったが、すでに天皇は亡くなっていたので、悲嘆して陵の前で殉死したと伝えられる。三宅連(みやけのむらじ)の祖。(コトバンク  小学館デジタル大辞泉

(注)時じくのかくの菓(このみ):橘の実をほめる語。(伊藤脚注)

(注の注)ときじく【時じく】の香(かく)の菓(このみ・み):(冬期にもしぼむことなく、採っても長く芳香を保つところから) タチバナの実のこと。かくのみ。かくのこのみ。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)あゆる実:こぼれ落ちる実

(注)いやさか【弥栄】:[名]ますます栄えること。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)よろしなへ【宜しなへ】副詞:ようすがよくて。好ましく。ふさわしく。 ※上代語。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1171)」で紹介している。

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■四一六九歌■

題詞は、「為家婦贈在京尊母所誂作歌一首 幷短歌」<家婦(かふ)の、京に在(いま)す尊母(そんぼ)に贈るために、誂(あとら)へられて作る歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

(注)かふ【家婦】〘名〙: 家の妻。また、自分の妻。家の中の仕事をする女の意でいう。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注の注)ここでは、前年の秋に下向した家持の妻、坂上大嬢のこと。

(注)そんぼ【尊母】:他人の母を敬っていう語。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注の注)ここでは、大伴坂上郎女をいう。

(注)あつらふ【誂ふ】他動詞:①頼む。②(物を作るように)注文する。あつらえる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

◆霍公鳥 来喧五月尓 咲尓保布 花橘乃 香吉 於夜能御言 朝暮尓 不聞日麻祢久 安麻射可流 夷尓之居者 安之比奇乃 山乃多乎里尓 立雲乎 余曽能未見都追 嘆蘇良 夜須家奈久尓 念蘇良 苦伎毛能乎 奈呉乃海部之 潜取云 真珠乃 見我保之御面 多太向 将見時麻泥波 松栢乃 佐賀延伊麻佐祢 尊安我吉美 <御面謂之美於毛和>

         (大伴家持 巻二十 四一六九)

 

≪書き下し≫ほととぎす 来鳴く五月(さつき)に 咲きにほふ 花橘(はなたちばな)の かぐはしき 親の御言(みこと) 朝夕(あさよひ)に 聞かぬ日まねく 天離(あまざか)る 鄙(ひな)にし居(を)れば あしひきの 山のたをりに 立つ雲を よそのみ見つつ 嘆くそら 安けなくに 思ふそら 苦しきものを 奈呉(なご)の海人(あま)の 潜(かづ)き取るといふ 白玉(しらたま)の 見が欲(ほ)し御面(みおもわ) 直向(ただむか)ひ 見む時までは 松柏(まつかへ)の 栄(さか)えいまさね 貴(たひとき)き我(あ)が君 <御面、みおもわといふ>

 

(訳)時鳥が来て鳴く五月に咲き薫(かお)る花橘のように、かぐわしい母上様のお言葉、そのお声を朝に夕に聞かぬ日が積もるばかりで、都遠く離れたこんな鄙の地に住んでいるので、累々と重なる山の尾根に立つ雲、その雲を遠くから見やるばかりで、嘆く心は休まる暇もなく、思う心は苦しくてなりません。奈呉の海人(あま)がもぐって採るという真珠のように、見たい見たいと思う御面(みおも)、そのお顔を目(ま)の当たりに見るその時までは、どうか常盤(ときわ)の松や柏(かしわ)のように、お変わりなく元気でいらして下さい。尊い我が母君様。<御面は「みおもわ」と訓みます>(同上)

(注)「ほととぎす 来鳴く五月に 咲きにほふ 花橘の」は序。「かぐはしき」(ご立派な)を起こす。(伊藤脚注)

(注)かぐはし【香ぐはし・馨し】形容詞:①香り高い。かんばしい。②美しい。心がひかれる。(学研)

(注)みこと【御言・命】名詞:お言葉。仰せ。詔(みことのり)。▽神や天皇の言葉の尊敬語。 ※「み」は接頭語。上代語。(学研)

(注)やまのたをり【山のたをり】分類連語:山の尾根のくぼんだ所。(学研)

(注)よそ【余所】名詞:離れた所。別の所。(学研)

(注)そら【空】名詞:①大空。空。天空。②空模様。天気。③途上。方向。場所。④気持ち。心地。▽多く打消の語を伴い、不安・空虚な心の状態を表す。(学研) ここでは④の意

(注)やすげなし【安げ無し】形容詞:安心できない。落ち着かない。不安だ。(学研)

(注)「奈呉の海人の 潜き取るといふ 白玉の」は序。「見が欲し」を起こす。

(注)まつかへの【松柏の】[枕]:松・カシワが常緑で樹齢久しいところから、「栄ゆ」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)あがきみ【吾が君】名詞:あなた。あなたさま。▽相手を親しんで、また敬愛の気持ちをこめて呼びかける語。(学研)

 

 この歌については、世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その1123)」で紹介している。

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■四一二〇歌■

◆見麻久保里 於毛比之奈倍尓 賀都良賀氣 香具波之君乎 安比見都流賀母

       (大伴家持 巻十八 四一二〇)

 

≪書き下し≫見まく欲(ほ)り思ひしなへにかづらかけかぐはし君を相見(あひみ)つるかも

 

(訳)お逢いしたいものだと思っていたちょうどその折しも、縵(かずら)をつけた、お姿のすばらしいあなた様にお逢いすることができました。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)山かづら:ひかげのかずら。女の譬え。(伊藤脚注)

(注)ましばにも:打消に応じて、めったにの意を表す。マは接頭語。(伊藤脚注)

(注)置きや枯らさむ:妻にしないではおかない、の意。ヤは反語。男の執念。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1516)」で紹介している。

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■四五〇〇歌■

◆宇梅能波奈 香乎加具波之美 等保家杼母 己許呂母之努尓 伎美乎之曽於毛布

       (市原王 巻二十 四五〇〇)

 

≪書き下し≫梅の花香(か)をかぐはしみ遠けども心もしのに君をしぞ思ふ

 

(訳)お庭の梅の花、その漂う香りの高さに、遠く離れてはおりますけれども、心一途(いちず)に御徳をお慕い申しているのです。(同上)

(注)上二句は主人の高潔さを匂わす。(伊藤脚注)

(注)心もしのに:心も萎れるばかりに一途に。(伊藤脚注)

 

 左注は、「右一首治部大輔市原王」<右の一首は治部大輔(ぢぶのだいふ)市原王>である。

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1195)」で市原王の歌とともに紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉神事語辞典」 (國學院大學デジタルミュージアム

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2503)―

●歌は、「筑波嶺のさ百合の花の夜床にも愛しけ妹ぞ昼も愛しけ」である。

茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森万葉歌碑(プレート)(大舎人部千文) 20230927撮影

●歌碑(プレート)は、茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆都久波祢乃 佐由流能波奈能 由等許尓母 可奈之家伊母曽 比留毛可奈之礽

           (大舎人部千文 巻二十 四三六九)

 

≪書き下し≫筑波嶺(つくはね)のさ百合(ゆる)の花の夜床(ゆとこ)にも愛(かな)しけ妹(いも)ぞ昼も愛(かな)しけ

 

(訳)筑波の峰に咲き匂うさゆりの花というではないが、その夜(よる)の床でもかわいくてならぬ子は、昼間でもかわいくってたまらぬ。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は序。「夜床」を起こす。(伊藤脚注)

(注)さ百合の花:妻を匂わす。(伊藤脚注)

(注)愛しけ:「愛しき」の東国形。(伊藤脚注)

 

 「百合(ゆる)」から「夜床(ゆとこ)」を起こす、東国訛り同音でもってくるのが、微笑ましい。おのろけの様が目に浮かぶのである。

 東歌の部立「相聞」の歌ではない。巻二十の防人歌である。       

 

  約百首の防人歌のなかで、言立てや建前の世界の歌(「公の歌」)は十首程しかなく、残り九十首は四三六九歌のような、「私の歌」なのである。                  

 

 この歌については、直近では、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2464)」で紹介している。

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 今一度、「防人歌」についてみてみよう。

コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」に「防人のつくった歌の意だが、防人の家族のつくった歌も含めていう。『万葉集』に東国の防人の歌87首、父の歌1首、妻の歌10首、合計98首(長歌1首、短歌97首)が残る。このなかには、755年(天平勝宝7)2月に筑紫(つくし)(福岡県)に赴く防人を難波(なにわ)(大阪府)まで引率してきた防人部領使(さきもりのことりづかい)から、当時防人検閲の任にあった大伴家持(おおとものやかもち)が集録した歌が84首ある。これらは東国10国の国別にまとめられ作者名が記されている(防人の出身郡・地位が記されている国もある)。ほかに、同じときに磐余諸君(いわれのもろきみ)が大伴家持に贈った「昔年防人歌」8首や大原今城(いまき)が宴席で披露した「昔年相替防人歌」1首などもあるが、前記の84首以外はすべて作歌年次・作者名ともに不明。防人の歌の大部分は、生存の原点としての家郷から切り離された苦悩、原点への回帰の願望、家族への思い、また家郷から引き裂かれる将来への不安・恐怖などが生々しく歌われている。『我(わ)ろ旅は旅と思(おめ)ほど家(いひ)にして子持(め)ち痩(や)すらむ我が妻愛(みかな)しも』(巻20)はその好例の一つ。防人の家族の歌も『防人に行くは誰(た)が夫(せ)と問ふ人を見るが羨(とも)しさ物思ひもせず』(巻20)のように、夫を送り出さざるをえない妻の深く重い苦しみが詠出されている。総じて防人歌には、貴族の旅の歌とは同列に論じられない、生存の危機に立ち至った者の叫びが歌われていて、奈良時代の庶民の歌としても、また東国方言を提供する言語資料としても東歌(あずまうた)とともに貴重な存在である。」と書かれている。

(注)昔年防人歌<昔年(さきつとし)の防人(さきもり)が歌なり>:これについては、四四二五から四四三二歌八首を、大阪府吹田市津雲台千里南公園にある四四二五歌の万葉歌碑とともに、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その784)」で紹介している。

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 大阪府吹田市津雲台千里南公園には、下記の4基の万葉歌碑がある。



(注)大原今城(いまき)が宴席で披露した「昔年相替防人歌」1首:巻二十 四四三六歌である。

 

 上記「コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」の「昔年相替防人歌」(巻二十 四四三六歌)をみてみよう。

題詞は、「昔年相替防人歌一首」<昔年(さきつとし)に相替(あひかは)りし防人が歌一首>である。

(注)四四三六から四四三九歌の四首の古歌を、天平勝宝七年(756年)三月三日の「防人を検校(けんかう)する勅使と兵部の使人等」との宴で大原今城が披露したうちの一首である。

 

◆夜未乃欲能 由久左伎之良受 由久和礼乎 伊都伎麻佐牟等 登比之古良波母

       (作者未詳 巻二十 四四三六)

 

≪書き下し≫闇(やみ)の夜(よ)の行く先知らず行く我れをいつ来(き)まさむと問ひし子らはも

 

(訳)闇の夜のように、行く先のあても知らずに出て行くおれなのに、そんなおれに向かって、いつお帰りになりますと尋ねたあの子は、ああ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)闇の夜の:「行く先知らず」の枕詞。(伊藤脚注)

(注)行く先知らず:この先どう行くのかもわからず。(伊藤脚注)

 

左注は、「右件四首上総國大掾正六位上大原真人今城傳誦云尓  年月未詳」< 右の件(くだり)の四首は、上総(かみつふさ)の国の大掾(だいじよう)正六位上大原真人今城(おほはらまひといまき)伝誦してしか云ふ。  年月未詳>である。

 

 

 

 

上記の『我(わ)ろ旅は旅と思(おめ)ほど家(いひ)にして子持(め)ち痩(や)すらむ我が妻愛(みかな)しも』をみてみよう。

 

◆和呂多比波 多比等於米保等 已比尓志弖 古米知夜須良牟 和加美可奈志母

       (玉作部廣目 巻二十 四三四三)

 

≪書き下し≫我ろ旅は旅と思(おめ)ほど家(いひ)にして子持(こめ)ち痩(や)すらむ我が妻(み)愛(かな)しも

 

(訳)おれは、どうせ旅は旅だと諦めもするけれど、家で子を抱えてやつれている妻がいとおしくてならない。

(注)我ろ:我レの訛り。私は。「思ほど」に続く。(伊藤脚注)

(注)旅は旅と思ほど:旅は旅だと諦めもするが。(伊藤脚注)

(注)我が妻愛しも:我が妻がいとしくてたまらなぬ。ミはメの訛り。(伊藤脚注)

 

左注は、「右一首玉作部廣目」<右の一首は玉作部広目(たまつくりべのひろめ)>である。

 

 

 もう一首の『防人に行くは誰(た)が夫(せ)と問ふ人を見るが羨(とも)しさ物思ひもせず』もみてみよう。これは、先に紹介した大阪府吹田市津雲台千里南公園にある歌碑の四四二五歌である。重複するが、歌を紹介しておきます。

 

◆佐伎毛利尓 由久波多我世登 刀布比登乎 美流我登毛之佐 毛乃母比毛世受

       (作者未詳 巻二十 四四二五)

 

≪書き下し≫防人(さきもり)に行くは誰(た)が背(せ)と問(と)ふ人を見るが羨(とも)しさ物思(ものも)ひもせず

 

(訳)「今度防人に行くのはどなたの旦那さん」と尋ねる人、そんな人を見るのは羨(うらや)ましい限り。何の物思いもせずに。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)物思ひもせず:その人は何の物思いもしないでさ。問う人への批判。」(伊藤脚注)

 

 四四二五から四四三二歌の歌群の左注は、「右八首昔年防人歌矣 主典刑部少録正七位上磐余伊美吉諸君抄寫贈兵部少輔大伴宿祢家持」<右の八首は、昔年(さきつとし)の防人(さきもり)が歌なり。主典(さくわん)刑部少録(ぎやうぶのせうろく)正七位上磐余伊美吉諸君(いはれのいみきもろきみ)抄写(せうしや)し、兵部少輔大伴宿禰家持に贈る>である。

 

 

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」

 

 

 

 

 

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2502)―

●歌は、「磯の上のつままを見れば根を延へて年深くあらし神さびにけり」である。

茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森万葉歌碑(プレート)(大伴家持) 20230927撮影

●歌碑(プレート)は、茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「過澁谿埼見巌上樹歌一首  樹名都萬麻」<澁谿(しぶたに)の埼(さき)を過ぎて、巌(いはほ)の上(うへ)の樹(き)を見る歌一首   樹の名はつまま>である。

(注)澁谿:富山県高岡市太田(雨晴)(伊藤脚注)

 

◆礒上之 都萬麻乎見者 根乎延而 年深有之 神佐備尓家里

       (大伴家持 巻十九 四一五九)

 

≪書き下し≫磯(いそ)の上(うへ)のつままを見れば根を延(は)へて年深くあらし神(かむ)さびにけり

 

(訳)海辺の岩の上に立つつままを見ると、根をがっちり張って、見るからに年を重ねている。何という神々しさであることか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)としふかし【年深し】( 形ク ):何年も経っている。年老いている。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)あらし 分類連語:あるらしい。あるにちがいない。 ※なりたち ラ変動詞「あり」の連体形+推量の助動詞「らし」からなる「あるらし」が変化した形。ラ変動詞「あり」が形容詞化した形とする説もある。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 「つまま」については、「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)に、「・・・『つまま』についてはマツ・タブノキ・イヌツゲなど諸説あるものの、現在は海岸地に自生し、常緑で大木ともなるタブノキクスノキ科、一名イヌクス)がそれかとみられている。タブノキ越中能登の地に多く、常緑高木は『神さびにけり』の感慨にもふさわしい」と書かれている。

 

この四一五九歌から四一六五歌までの歌群の総題は、「季春三月九日擬出擧之政行於舊江村道上属目物花之詠并興中所作之歌」<季春三月の九日に、出擧(すいこ)の政(まつりごと)に擬(あた)りて、古江の村(ふるえのむら)に行く道の上にして、物花(ぶつくわ)を属目(しょくもく)する詠(うた)、并(あは)せて興(きよう)の中(うち)に作る歌>である。

 

 四一五九歌については、つまま公園の同歌碑、さらに四一六五歌までの歌群については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その867)」で紹介している。

 ➡ 

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 上の写真の歌碑の説明案内板は、表面の経年劣化により読みづらくなっているが、写真を拡大して何とか読み取れたので記してみた。

「・・・この歌碑は、安政五年(一八五八)に太田村伊勢領の肝煎(きもいり)(村長)宗九郎(そうくろう)が建立したものとされ、高岡では、最も古い万葉歌碑である。宗九郎は、相当の学問があり万葉集にも関心が高く、特に、都萬麻(つまま)はタモノキであると推定して一本のタモノキとこの碑を置いたとされるが、永年の風食により碑の文字を判読するのは難しい。都萬麻は、クスノキ科の常緑高木で一般にもタモまたはタブノキと呼ぶイヌグスのこととされている。老木は根が盛り上がり神々しい姿である。このことから神聖な木として扱われることが多い・・・」

案内文の後半は、家持が越中国射水郡渋谷の崎で根を露出した見慣れない大樹に驚き、初めて聞く「都万麻」(つまま)の名に異郷の風土を感じ、この歌を詠い、眼前の光景が未来永劫に続くことを願って「都万麻」の歌を詠じたと書かれている。

 江戸時代に万葉歌碑を建立する人がいたことに驚かされる。


 この歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2115)―年代を経た万葉歌碑」で紹介している。

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 その後、2023年7月5日に富山県で一番古い富山市東岩瀬 諏訪神社万葉歌碑を巡っている。

 これについては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2323)」で紹介している。

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 2023年11月19日には、日本で一番古いとされる埼玉県行田市埼玉前玉神社の万葉歌碑(万葉灯籠)を訪れたのである。

 これについては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2384)」で行程の概略を紹介している。(歌碑の紹介は後日の予定)

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 万葉歌碑も奥深いものがある。

 万葉集にも、万葉歌碑にも引き込まれている。

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

★「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

 

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2501)―

●歌は、「春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ娘子」である。

茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森万葉歌碑(プレート)(大伴家持) 20230927撮影

●歌碑(プレート)は、茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森にある。

 

●歌をみていこう。

 

 巻十九の巻頭歌である。その題詞は、「天平勝寶二年三月一日之暮眺矚春苑桃李花作二首」<天平勝宝(てんぴやうしようほう)二年の三月の一日の暮(ゆうへ)に、春苑(しゆんゑん)の桃李(たうり)の花を眺矚(なが)めて作る歌二首>である。

(注)天平勝宝二年:750年

 

◆春苑 紅尓保布 桃花 下照道尓 出立▼嬬

   (大伴家持 巻十九 四一三九)

    ※▼は、「女」+「感」、「『女』+『感』+嬬」=「をとめ」

 

≪書き下し≫春の園(その)紅(くれなゐ)にほふ桃の花下照(したで)る道に出で立つ娘子(をとめ)

 

(訳)春の園、園一面に紅く照り映えている桃の花、この花の樹の下まで照り輝く道に、つと出で立つ娘子(おとめ)よ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)春の園:桃花の咲く月に入ってその盛りを幻想した歌か。春苑・桃花・娘子の配置は中国詩の影響らしい。(伊藤脚注)

 

 この歌についてはこれまでも幾度となく紹介している。拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2436)」ではこれまで巡って来た同歌の歌碑ならびにプレート一覧とともに紹介している。

 ➡ こちら2436

 

 





 伊藤 博氏は、題詞の脚注に「巻十九は、この年三月から天平勝宝五年二月までの歌を収める。家持が自信を誇った歌巻で、末四巻は巻十九を核にしつつ成立したらしい。」と書いておられる。

 越中時代の家持について、高岡市万葉歴史館HPの「大伴家持万葉集」の項に次のように書かれている。

 「家持の生涯で最大の業績は『万葉集』の編纂に加わり、全20巻のうち巻17~巻19に自身の歌日記を残したことでしょう。家持の歌は『万葉集』の全歌数4516首のうち473首を占め、万葉歌人中第一位です。しかも家持の『万葉集』で確認できる27年間の歌歴のうち、越中時代5年間の歌数が223首であるのに対し、それ以前の14年間は158首、以後の8年間は92首です。その関係で越中は、畿内に万葉故地となり、さらに越中万葉歌330首と越中国の歌4首、能登国の歌3首は、越中の古代を知るうえでのかけがえのない史料となっています。」そして、「越中守在任中の家持は、都から離れて住む寂しさはあったことでしょうが、官人として、また歌人としては、生涯で最も意欲的でかつ充実した期間だったと考えられています。そして越中の5年間は政治的緊張関係からも離れていたためか、歌人としての家持の表現力が大きく飛躍した上に、歌風にも著しい変化が生まれ、歌人として新しい境地を開いたようです。」さらに「国守の居館は二上山(ふたがみやま)を背にし、射水川(いみずがわ)に臨む高台にあり、奈呉海(なごのうみ)・三島野(みしまの)・石瀬野(いわせの)をへだてて立山連峰を望むことができます。また、北西には渋谿(しぶたに)の崎や布勢(ふせ)の水海など変化に富んだ遊覧の地があります。家持はこの越中の四季折々の風物に触発されて、独自の歌風を育んで行きました。『万葉集』と王朝和歌との過渡期に位置する歌人として高く評価される大伴家持の歌風は、越中国在任中に生まれたのです。」と書かれている。

 天平勝宝三年7月17日少納言の報せを承け、胸躍らせて都に戻ったのであるが、藤原一族との暗闘に明け暮れ、頼みとした聖武天皇橘諸兄が相次いで亡くなり、橘奈良麻呂の変に直面することになるのである。

 歌の友であり、越中時代家持を支えた大伴池主とも袂を分かち奈良麻呂の変にあって、圏外に身を置き、己を守ったものの、因幡守として左遷され、天平宝字三年(759年)正月一日の因幡の国の庁における新年の宴の歌(四五一六歌)を最後に万葉集は終わりを告げたのである。

 

 この後の家持について、前出の高岡市万葉歴史館HPに次のように書かれている。

「この歌のあと家持の歌は残されていません。家持がこの後、歌を詠まなかったのかどうかもわかりません。家持は晩年の天応元年(781)にようやく従三位の位につきました。また、中納言・春宮大夫などの重要な役職につき、さらに陸奥按察使・持節征東将軍、鎮守府将軍を兼ねます。家持がこの任のために多賀城に赴任したか、遙任の官として在京していたかについては両説があり、したがって死没地にも平城京説と多賀城説とがあります。」とありさらに家持の没後として、「延暦4年(785)68歳で没しました。埋葬も済んでいない死後20日余り後、藤原種継暗殺事件に首謀者として関与していたことが発覚し、除名され、領地没収のうえ、実子の永主は隠岐に流されます。家持が無罪として旧の官位に復されたのは延暦25年(806大同元年)でした。」

越中をピークに都に戻ってからの家持を待ち受けていた歴史の渦は過酷なものであった。しかしある意味ではしたたかに生き延び、万葉集を完成させ、その時代を現在に伝える偉業を成し遂げたのである。

日々、万葉集に挑んでいるが、よくぞこの万葉集が残されたものであると思うことがしばしばである。

挑みがいがあるというのはおこがましい言い方であるが、毎日毎日少しでもいいので万葉集に触れられる喜びを、(その2501)に記し、次なる課題に挑戦していきたい。

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「高岡市万葉歴史館HP」

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

 

 

 

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2500)―

●歌は、「なでしこが花見るごとに娘子らが笑まひのにほい思ほゆるかも」である。

茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森万葉歌碑(プレート)(大伴家持) 20230927撮影

●歌碑(プレート)は、茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森にある。

 

●歌をみていこう。

 

 四一一三から四一一五歌の題詞は、「庭中の花を見て作る歌一首 幷せて短歌」である。

 

◆奈泥之故我 花見流其等尓 乎登女良我 恵末比能尓保比 於母保由流可母

        (大伴家持 巻十八 四一一四)

 

≪書き下し≫なでしこが花見るごとに娘子(をとめ)らが笑(ゑ)まひのにほひ思ほゆるかも

 

(訳)なでしこの花を見るたびに、いとしい娘子の笑顔のあでやかさ、そのあでやかさが思われてならない。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)娘子:都の妻大嬢を、憧れをこめて呼んだ語。(伊藤脚注)。

(注)ゑまひ【笑まひ】名詞:①ほほえみ。微笑。②花のつぼみがほころぶこと。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意

(注)にほひ【匂ひ】名詞:①(美しい)色あい。色つや。②(輝くような)美しさ。つややかな美しさ。③魅力。気品。④(よい)香り。におい。⑤栄華。威光。⑥(句に漂う)気分。余情。(学研)ここでは②の意

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その357)」で四一一三から四一一五歌を紹介している。

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 文字を見るだけでも微笑ましくなる「笑まふ」を調べてみる。

(注)ゑまふ【笑まふ】分類連語:①にこにこする。ほほえむ。②花のつぼみがほころびる。 ※上代語。 ⇒なりたち:動詞「ゑむ」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」(学研)

 「笑まひ」は「笑まふ」の名詞形である。

 「笑まひ」「笑まふ」を詠んだ歌をみてみよう。

 

■七一八歌■

◆不念尓 妹之咲儛乎 夢見而 心中二 燎管曽呼留

       (大伴家持 巻四 七一八)

 

≪書き下し≫思はぬに妹が笑(ゑま)ひを夢に見て心のうちに燃えつつぞ居(を)る

 

(訳)思いもかけずあなたの笑顔を夢に見て、心の中でますます恋心をたぎらせています。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)思はぬに:思いもかけず。(伊藤脚注)

(注)夢に見て:夢に姿が見えたのを相手が思っているためととりなしている。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その11改)」で紹介している。

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■一六二七歌■

題詞は、「大伴宿祢家持攀非時藤花幷芽子黄葉二物贈坂上大嬢歌二首」<大伴宿祢宿禰家持、時じき藤の花、幷(あは)せて萩の黄葉(もみじ)の二つの物を攀(よ)じて、坂上大嬢(さかのうへのおほいらつめ)に贈る歌二首>である。

 

◆吾屋前之 非時藤之 目頰布 今毛見壮鹿 妹之咲容

        (大伴家持 巻八 一六二七)

 

≪書き下し≫我がやどの時じき藤のめづらしく今も見てしか妹(いも)が笑(ゑ)まひ

 

(訳)我が家の庭の季節はずれに咲いた藤の花、この花のように、珍しくいとしいものとして今すぐでも見たいものです。あなたの笑顔を。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)ときじ【時じ】形容詞:①時節外れだ。その時ではない。②時節にかかわりない。常にある。絶え間ない。※参考上代語。「じ」は形容詞を作る接尾語で、打消の意味を持つ。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ゑまひ【笑まひ】名詞:①ほほえみ。微笑。②花のつぼみがほころぶこと。(同上)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その302)」で紹介している。

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■二六四二歌■

◆燈之 陰尓蚊蛾欲布 虚蝉之 妹蛾咲状思 面影尓所見

        (作者未詳 巻十一 二六四二)

 

≪書き下し≫燈火(ともしび)の影にかがよふうつせみの妹(いも)が笑(ゑ)まひし面影(おもかげ)に見ゆ

 

(訳)燈の火影(ほかげ)に揺れ輝いている、生き生きとしたあの子の笑顔、その顔が、ちらちら目の前に浮かんでくる。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)かがよふ【耀ふ】自動詞:きらきら光って揺れる。きらめく。(学研)

(注)うつせみ 名詞:(一)【現人・現身】①この世の人。生きている人。②この世。現世。(二)【空蟬】蟬(せみ)のぬけ殻。蟬。 ⇒語の歴史 「現(うつ)し臣(おみ)」の変化した「うつそみ」を、『万葉集』で「空蟬」「虚蟬」などと表記したところから、中古以降(二)の意味が生じた。(学研)

(注)ゑまふ【笑まふ】分類連語:①にこにこする。ほほえむ。②花のつぼみがほころびる。※上代語。 ⇒なりたち 動詞「ゑむ」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1234)」で紹介している。

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■三一三七歌■

◆遠有者 光儀者不所見 如常 妹之者 面影為而

       (作者未詳 巻十二 三一三七)

 

≪書き下し≫遠くあれば姿は見えず常(つね)のごと妹(いも)が笑(ゑ)まひは面影(おもかげ)にして

 

(訳)遠く離れているので実の姿は見えない。だけど、いつも見馴れているように、あの子の笑顔は目の前にちらついてばかりいて・・・・・・。(同上)

 

 

 

 

■四〇一一歌■

題詞は、「思放逸鷹夢見、感悦作歌一首幷短歌」<放逸(のが)れたる鷹(たか)を思ひて夢見(いめみ)、感悦(よろこ)びて作る歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

 

◆・・・朝猟尓 伊保都登里多氏 暮猟尓 知登理布美多氏 於敷其等邇 由流須許等奈久 手放毛 乎知母可夜須伎 許礼乎於伎氏 麻多波安里我多之 左奈良敝流 多可波奈家牟等 情尓波 於毛比保許里弖 恵麻比都追 和多流安比太尓 多夫礼多流 之許都於吉奈乃 許等太尓母 吾尓波都氣受 等乃具母利 安米能布流日乎 等我理須等 名乃未乎能里弖・・・

 

 

≪書き下し≫・・・朝猟(あさがり)に 五百(いほ)つ鳥(とり)立て 夕猟(ゆふがり)に 千鳥(ちとり)踏(ふ)み立て 追ふ毎(ごと)に 許すことなく 手放(たばな)れも をちもかやすき これをおきて またはありかたし さ慣(な)らへる 鷹(たか)はなけむと 心には 思ひほこりて 笑(ゑ)まひつつ 渡る間(あひだ)に 狂(たぶ)れたる 醜(しこ)つ翁(おきな)の 言(こと)だにも 我には告げず との曇(ぐも)り 雨の降る日を 鷹狩(とがり)すと 名のみを告(の)りて・・・

 

(訳)・・・朝猟に五百つ鳥を追い立て、夕猟に千鳥を踏み立てて、追うたびに取り逃がすことはなく、手から放れるのも手に舞い戻るのも思いのまま、これ以外には二つとは得がたい、これほど手慣れた鷹はほかにあるまいと、心中得意になってほそく笑みながら楽しみにして過ごしていた矢先、間抜けなろくでなしの爺(じじ)いが、一言も私には断りなしに、空一面に雲がかかって雨の降る日なんぞ、他の者に鷹狩をしますとほんの形だけ告げて出かけ、・・・(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)かやすし【か易し】形容詞:①たやすい。容易だ。②軽々しい。気軽だ。 ※「か」は接頭語。(学研)

(注)またはありがたし:二つとは得難い。(伊藤脚注)

(注)たぶる【狂る】自動詞:気が狂う。(学研)

(注)とのぐもる【との曇る】自動詞:空一面に曇る。 ※「との」は接頭語。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1867)」で四〇一一から四〇一五歌を紹介している。

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■四〇八六歌■

◆安夫良火乃 比可里尓見由流 和我可豆良 佐由利能波奈能 恵麻波之伎香母

        (大伴家持 巻十八    四〇八六)

 

≪書き下し≫油火(あぶらひ)の光に見ゆる我がかづらさ百合(ゆり)の花の笑(ゑ)まはしきかも

 

(訳)油火の光の中に浮かんで見える私の花縵、この縵の百合の花の、何とまあほほ笑ましいことよ。(同上)

(注)あぶらひ【油火】名詞:灯油に灯心を浸してともすあかり。灯火。※後に「あぶらび」とも。(学研)

(注)ゑまふ【笑まふ】分類連語:①にこにこする。ほほえむ。②花のつぼみがほころびる。※上代語。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その833)」で紹介している。

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 作者未詳の二六四二、三一三七歌以外は家持の歌である。家持はこの言葉が気に入っているのであろう。

 

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

 

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2499)―

●歌は、「紅はうつろふものぞ橡のなれにし衣になほしかめやも」である。

茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森万葉歌碑(プレート)(大伴家持) 20230927撮影

●歌碑(プレート)は、茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森にある。

 

●歌をみていこう。

 

四一〇六から四一〇九歌の題詞は、「教喩史生尾張少咋歌一首并短歌」<史生尾張少咋(ししやうをはりのをくひ)を教へ喩(さと)す歌一首幷(あは)せて短歌>である。

前文と長歌反歌三首で構成されている。

 

 

◆久礼奈為波 宇都呂布母能曽 都流波美能 奈礼尓之伎奴尓 奈保之可米夜母

       (大伴家持 巻十八 四一〇九)

 

≪書き下し≫紅(くれなゐ)はうつろふものぞ橡(つるはみ)のなれにし衣(きぬ)になほしかめやも

 

(訳)見た目鮮やかでも紅は色の褪(や)せやすいもの。地味な橡(つるばみ)色の着古した着物に、やっぱりかなうはずがあるものか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)紅:紅花染。ここでは、遊女「左夫流子」の譬え。(伊藤脚注)

(注)橡(つるはみ)のなれにし衣(きぬ):橡染の着古した着物。妻の譬え。(伊藤脚注)。

(注の注)つるばみ【橡】名詞:①くぬぎの実。「どんぐり」の古名。②染め色の一つ。①のかさを煮た汁で染めた、濃いねずみ色。上代には身分の低い者の衣服の色として、中古には四位以上の「袍(はう)」の色や喪服の色として用いた。 ※ 古くは「つるはみ」。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)なる【慣る・馴る】自動詞:①慣れる。②うちとける。なじむ。親しくなる。③よれよれになる。体によくなじむ。◇「萎る」とも書く。④古ぼける。(学研)ここでは③の意

(注)しかめやも【如かめやも】分類連語:及ぼうか、いや、及びはしない。 ⇒なりたち:動詞「しく」の未然形+推量の助動詞「む」の已然形+係助詞「や」+終助詞「も」(学研)

 

 ここでは、不倫相手の佐夫流子を「紅花染めの衣」に喩え、古女房のことを「橡染の着古した着物」に喩えている。

 

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その834)」で紹介している。

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 前文と長歌反歌三首については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その123改)」で紹介している。

 ➡ 

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 「橡(つるはみ)」を詠んだ歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その597)」で紹介している。

 ➡ 

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「染めに用いられた植物」については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1306)」で紹介している。

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 本稿では、衣の材料を詠った歌をいくつかみてみよう。

■四一三歌:藤■

◆須麻乃海人之 塩焼衣乃 藤服 間遠之有者 未著穢

      (大網公人主 巻三 四一三)

 

≪書き下し≫須磨(すま)の海女(あま)の塩焼(しほや)き衣(きぬ)の藤衣(ふぢごろも)間遠(まどほ)にしあればいまだ着なれず

 

(訳)須磨の海女が塩を焼く時に着る服の藤の衣(ころも)、その衣はごわごわしていて、時々身に着るだけだから、まだいっこうにしっくりこない。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)須磨:神戸市須磨区一帯。

(注)ふぢごろも【藤衣】名詞:ふじやくずなどの外皮の繊維で織った布の衣類。織り目が粗く、肌触りが硬い。貧しい者の衣服とされた。 ※「藤の衣(ころも)」とも。(学研)

(注の注)藤衣の目が粗いことから逢う感覚が遠く馴染の浅い意を譬える。

 

(注)まどほ【間遠】名詞:①間隔があいていること。②編み目や織り目があらいこと。(学研)

 

 「藤衣」という響きからくるイメージと異なり「織り目が粗く、肌触りが硬い。貧しい者の衣服とされた」とは。

四一三歌は、自分の恐らく新妻をおとしめて譬えたのであろうが、譬えられた妻の気持ちや如何。

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1161)」で紹介している。

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■一一九五歌:麻■

麻衣 著者夏樫 木國之 妹背之山二 蒔吾妹

       (藤原卿 巻七 一一九五)

 

≪書き下し≫麻衣(あさごろも)着(き)ればなつかし紀伊の国(きのくに)の妹背(いもせ)の山に蒔(ま)く我妹(わぎも)

 

(訳)麻の衣を着ると懐かしくて仕方がない。紀伊の国(きのくに)の妹背(いもせ)の山で麻の種を蒔いていたあの子のことが。(同上)

(注)藤原卿:藤原不比等か。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その732)」で紹介している。

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■一二七二歌:葛■

◆劔後 鞘納野 引吾妹 真袖以 著點等鴨 夏草苅母

       (柿本人麻呂歌集 巻七 一二七二)

 

≪書き下し≫大刀の後(しり)鞘(さや)に入野(いりの)に葛(くず)引く我妹(わぎも)真袖(まそで)に着せてむとかも夏草刈るも

 

(訳)大刀の鋒先(きっさき)を鞘に納め入れる、その入野(いりの)で葛を引きたぐっている娘さんよ。この私に両袖までついた葛の着物を着せたいと思って、せっせと周りの夏草まで刈っているのかな。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)「大刀の後鞘に」が序。「入野」を起こす。(伊藤脚注)

(注)いりの【入野】〔名〕 入り込んで奥深い野。(weblio辞書 精選版 日本国語大辞典

(注)くず【葛】名詞:「秋の七草」の一つ。つる草で、葉裏が白く、花は紅紫色。根から葛粉(くずこ)をとり、つるで器具を編み、茎の繊維で葛布(くずふ)を織る。[季語] 秋。 ⇒参考 『万葉集』ではつるが地を這(は)うようすが多く詠まれる。『古今和歌集』以後は、葛が風にひるがえって白い葉裏を見せる「裏見(うらみ)」を「恨み」に掛けることが多い。(学研)

(注)まそで【真袖】:左右の袖。両袖。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1314)」で紹介している。

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■三三五〇歌:絹■

 

◆筑波祢乃 尓比具波波麻欲能 伎奴波安礼杼 伎美我美家思志 安夜尓伎保思母

   或本歌日 多良知祢能 又云 安麻多氣保思母

       (作者未詳 巻十四 三三五〇)

 

≪書き下し≫筑波嶺(つくはね)の新桑繭(にひぐはまよ)の衣(きぬ)はあれど君が御衣(みけし)しあやに着(き)欲(ほ)しも

   或本の歌には「たらちねの」といふ。また「あまた着(き)欲しも」といふ。

 

(訳)筑波嶺一帯の、新桑で飼った繭の着物はあり、それはそれですばらしいけれど、やっぱり、あなたのお召がむしょうに着たい。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)新桑繭(読み)にいぐわまよ :新しい桑の葉で育った繭。今年の蚕の繭。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)みけし【御衣】名詞:お召し物。▽貴人の衣服の尊敬語。 ※「み」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)あやに【奇に】副詞:むやみに。ひどく。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2454)」で紹介している。

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■三七二五歌:栲■

◆和我世故之 氣太之麻可良婆 思漏多倍乃 蘇▼乎布良左祢 見都追志努波牟

  ▼は、「人偏+弖」→「蘇▼」=そで

       (狭野弟上娘子 巻十五 三七二五)

 

≪書き下し≫我(わ)が背子(せこ)しけだし罷(まか)らば白栲(しろたへ)の袖(そで)を振らさね見つつ偲(しの)はむ

 

(訳)いとしいあなた、あなたが万が一、遠い国に下って行かれるなら、その時は、まっ白な衣の袖を私に振って下さいね。せめてそれを見てお偲びしたいと思います。(同上)

(注)けだし【蓋し】副詞:①〔下に疑問の語を伴って〕ひょっとすると。あるいは。②〔下に仮定の表現を伴って〕もしかして。万一。③おおかた。多分。大体。(学研)ここでは②の意

(注)まかる【罷る】自動詞:①退出する。おいとまする。▽高貴な人のもとから。②出向く。下向する。▽高貴な場所や都から地方へ行く。③参上する。参る。▽「行く」の謙譲語。④行きます。参ります。▽「行く」の丁寧語。⑤〔他の動詞の上に連用形が付いて〕…ます。…いたします。▽謙譲・丁寧の意。(学研)ここでは②の意

(注)しろたへ【白栲・白妙】名詞:①こうぞ類の樹皮からとった繊維(=栲)で織った、白い布。また、それで作った衣服。②白いこと。白い色。(学研)

(注の注)しろたへの【白栲の・白妙の】分類枕詞:①白栲(しろたえ)で衣服を作ることから、衣服に関する語「衣(ころも)」「袖(そで)」「袂(たもと)」「帯」「紐(ひも)」「たすき」などにかかる。②白栲は白いことから、「月」「雲」「雪」「波」など、白いものを表す語にかかる。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1640)」で白妙を詠った歌とともに紹介している。

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■三八八四歌:皮■

◆伊夜彦 神乃布本 今日良毛加 鹿乃伏良武 皮服著而 角附奈我良

 

≪書き下し≫弥彦(いやひこ) 神(かみ)の麓(ふもと)に 今日(けふ)らもか 鹿(しか)の伏(ふ)すらむ 裘(かはころも)着て 角(つの)つきながら

 

(訳)弥彦の山、あの神山の麓、その麓では、今日あたりもまた、鹿が畏まってひれ伏しているだろうか。毛皮の着物を付け、角を戴きながら。(同上)

(注)万葉唯一の仏足石歌体歌。(伊藤脚注)

(注)鹿の伏すらむ:鹿のさまを、神に仕えるために威儀正しくつくろっていると見なした。(伊藤脚注)

(注)かはごろも【皮衣・裘】名詞:獣の皮で作った衣服。主に冬の防寒用とする。「かはぎぬ」とも。(学研)

 

 

 

■一六八二歌:皮■

題詞は、「獻忍壁皇子歌一首  詠仙人形」<獻忍壁皇子(おさかべのみこ)献(たてまつ)る歌一首  詠仙人の形(かた)を詠む>である。

(注)仙人の形:仙人の姿を描いた画像。その絵に添えた歌らしい。(伊藤脚注)

 

◆常之倍尓 夏冬徃哉 裘 扇不放 山住人

       (柿本人麻呂歌集 巻九 一六八二)

 

≪書き下し≫とこしへに夏冬行けや裘(かはごろも)扇(あふき)放たぬ山に住む人

 

(訳)永久(とこしえ)に、暑い夏と冬とが一緒に並んで過ぎて行くとでもいうのか、皮衣をまとい扇を手から放そうとはしないよ。山に住むこのお方は。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)夏冬行けや:夏と冬とが一緒に並んで経過するというのか。(伊藤脚注)

(注)かはごろも【皮衣・裘】名詞:獣の皮で作った衣服。主に冬の防寒用とする。「かはぎぬ」とも。(学研)

 

 「裘」については、日常的な生活における歌を歌ったものは見つからなかったが、仙人のモデル的な姿というものが何らの形であったと思われるので掲載した。

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 精選版 日本国語大辞典

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2498)―

●歌は、「をみなへし咲きたる野辺を行き廻り君を思ひ出た廻り来ぬ」である。

茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森万葉歌碑(プレート)(大伴池主) 20230927撮影

●歌碑(プレート)は、茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌」<八月の七日の夜に、守(かみ)大伴宿禰家持が館(たち)に集(つど)ひて宴(うたげ)する歌>である。

(注)家持出発後一月め。(伊藤脚注)

(注)館:二上山東麓勝興寺あたりという。(伊藤脚注)

(注)宴:家持を歓迎する宴であろう。越中歌壇の出発を告げる大切な宴であった。(伊藤脚注)

 

 

◆乎美奈敝之 左伎多流野邊乎 由伎米具利 吉美乎念出 多母登保里伎奴

      (大伴池主 巻十七 三九四四)

 

≪書き下し≫をみなへし咲きたる野辺(のへ)を行き廻(めぐ)り君を思ひ出(で)た廻(もとほ)り来(き)ぬ

 

(訳)女郎花の咲き乱れている野辺、その野辺を行きめぐっているうちに、あなたを思い出して廻り道をして来てしまいました。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)廻(もとほ)り来(き)ぬ:廻り道をしてわざわざ立ち寄ってしまいました。このように歌うのが挨拶歌の型。(伊藤脚注)

 

 

 この歌については、三九四三から三九五五歌までとともに、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その335)」で紹介しているが、歌碑巡りの初期でもあり、実際に高岡市の歌碑巡りを行ったのでそれらを踏まえて追記や修正を加えながら改めて全歌を見直したのである。。

 

■三九四三歌■

◆秋田乃 穂牟伎見我氐里 和我勢古我 布左多乎里家流 乎美奈敝之香物

       (大伴家持 巻十七 三九四三)

 

≪書き下し≫秋の田の穂向き見がてり我(わ)が背子がふさ手折(たを)り来(け)るをみなへしかも

 

(訳)秋の田の垂穂(たりほ)の様子を見廻りかたがた、あなたがどっさり手折って来て下さったのですね、この女郎花(おみなえし)は。(同上)

(注)我が背子:客をさす。大伴池主であろう。(伊藤脚注)

(注)ふさ手折る:ふさふさと手折って来た。(伊藤脚注)

(注の注)ふさ 副詞:みんな。たくさん。多く。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(1349表①~③)」で紹介している。

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■三九四五歌■

◆安吉能欲波 阿加登吉左牟之 思路多倍乃 妹之衣袖 伎牟餘之母我毛

        (大伴池主 巻十七 三九四五)

 

≪書き下し≫秋の夜(よ)は暁(あかとき)寒し白栲(しろたへ)の妹(いも)が衣手(ころもで)着むよしもがも

 

(訳)秋の夜は明け方がとくに寒い。いとしいあの子の着物の袖、その袖を重ねて着て寝る手立てがあればよいのに。(同上)

(注)土地の物を持ち上げる前二首に対し、これは都の妻を思う歌。(伊藤脚注)

(注)よし【由】名詞:①理由。いわれ。わけ。②口実。言い訳。③手段。方法。手だて。④事情。いきさつ。⑤趣旨。⑥縁。ゆかり。⑦情趣。風情。⑧そぶり。ふり。(学研)ここでは③の意

(注)もがも 終助詞:《接続》体言、形容詞・断定の助動詞の連用形などに付く。〔願望〕…があったらなあ。…があればいいなあ。 ※上代語。終助詞「もが」に終助詞「も」が付いて一語化したもの。(学研)

 

 

 

■三九四六歌■

◆保登等藝須 奈伎氐須疑尓 乎加備可良 秋風吹奴 余之母安良奈久尓

        (大伴池主 巻十七 三九四六)

 

≪書き下し≫ほととぎす鳴きて過ぎにし岡(をか)びから秋風吹きぬよしもあらなくに

 

(訳)時鳥(ほととぎす)が鳴き声だけ残して飛び去ってしまった岡のあたりから、秋風が寒々と吹いてくる。あの子の袖を重ねる手立てもありはしないのに。(同上)

(注)をかび 【岡傍】名詞:「をかべ」に同じ。 ※「び」は接尾語。(学研)

(注)よしもあらなくに:妻の着物を重ね着る手だてもないのに。前歌の望郷を深めて結ぶ。(伊藤脚注)

 

 左注は、「右の三首は、掾大伴宿禰池主作る」である。

 

 池主の三九四四から三九四六歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1798)」で紹介している。この稿では、池主の全三十一首と漢詩も紹介している。

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■三九四七歌■

◆家佐能安佐氣 秋風左牟之 登保都比等 加里我来鳴牟 等伎知可美香物

        (大伴家持 巻十七 三九四七)

 

≪書き下し≫今朝の朝明(あさけ)秋風寒し遠(とほ)つ人雁(かり)が来鳴かむ時近みかも

 

(訳)「秋の夜(よ)は暁(あかとき)寒し」との仰せ、たしかに今朝の夜明けは秋風が冷たい。遠来の客、雁が来て鳴く時が近いせいであろうか。(同上)

(注)秋風:前歌の「秋風」を承ける。(伊藤脚注)

(注)遠つ人:「雁」の枕詞。ここは、都の消息を運ぶ鳥として用いた。(伊藤脚注)

(注の注)とほつひと【遠つ人】分類枕詞:①遠方にいる人を待つ意から、「待つ」と同音の「松」および地名「松浦(まつら)」にかかる。②遠い北国から飛来する雁(かり)を擬人化して、「雁(かり)」にかかる。(学研)

 

 この歌碑は、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1350)」で紹介している。歌碑の写真のみ紹介します。

小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)万葉歌碑(大伴家持) 20211111撮影

 

 

■三九四八歌■

◆安麻射加流 比奈尓月歴奴 之可礼登毛 由比氐之紐乎 登伎毛安氣奈久尓

        (大伴家持 巻十七 三九四八)

 

≪書き下し≫天離(あまざか)る鄙(ひな)に月経(へ)ぬしかれども結(ゆ)ひてし紐(ひも)を解きも開(あ)けなくに

 

(訳)都離れたこの遠い鄙の地に来てから、月も変わった。けれども、都の妻が結んでくれた着物の紐、この紐を解き開けたことなどありはしない・・・。(同上)

(注)結ひてし紐:妻が結んでくれた紐。三九四五の下三句を承けて望郷の念を深めた。以下三首、紐をめぐって展開する。(伊藤脚注)

 

 

 

■三九四九歌■

◆安麻射加流 比奈尓安流和礼乎 宇多我多毛 比母毛登吉佐氣氐 於毛保須良米也

         (大伴池主 巻十七 三九四九)

 

≪書き下し≫天離る鄙にある我(わ)れをうたがたも紐解(と)き放(さ)けて思ほすらめや

 

(訳)都離れたこの遠い田舎で物恋しく過ごしてわれら、このわれらを、紐解き放ってくつろいでいるなどと思っておられるはずがあるものですか。(同上)

(注)うたがたも紐解き放(さ)けて:我らがゆめゆめ紐を解き放ってくつろいでいるなどと。(伊藤脚注)

(注の注)うたがたも 副詞:①きっと。必ず。真実に。②〔下に打消や反語表現を伴って〕決して。少しも。よもや。※上代語。(学研)

(注)思ほすらめや:都の方も思っておられることなどあるものですか。(伊藤脚注)

(注の注)めや 分類連語:…だろうか、いや…ではない。※なりたち推量の助動詞「む」の已然形+反語の係助詞「や」(学研)

 

 

 

◆伊敝尓之底 由比弖師比毛乎 登吉佐氣受 念意緒 多礼賀思良牟母

       (大伴家持 巻十七 三九五〇)

 

≪書き下し≫家にして結(ゆ)ひてし紐を解き放けず思ふ心を誰れか知らむも

 

(訳)奈良の家で妻が結んでくれた紐、この紐を解き開けることなく思いつめている心、さびしいこの心のうちを誰がわかってくれるのであろうか。(同上)

(注)誰れか知らむも:誰がわかってくれるだろうか。カは反語。わかってくれるのはあなた方だけの意がこもる。(伊藤脚注)

 

 

 

■三九五一歌■

◆日晩之乃 奈吉奴流登吉波 乎美奈敝之 佐伎多流野邊乎 遊吉追都見倍之

        (秦忌寸八千嶋 巻十七 三九五一)

 

≪書き下し≫ひぐらしの鳴きぬる時はをみなへし咲きたる野辺(のへ)を行(ゆ)きつつ見(み)べし

 

(訳)ひぐらしの鳴いているこんな時には、女郎花の咲き乱れる野辺をそぞろ歩きしながら、その美しい花をじっくり賞(め)でるのがよろしい。(同上)

(注)をみなえし:三九四三,三九四四歌の女郎花を承ける。越中のヲミナの意を込め、望郷の念の深まりを現地への関心に引き戻す。(伊藤脚注)

 

 

 

■三九五二歌■

題詞は、「古歌一首 大原高安真人作 年月不審 但随聞時記載茲焉」<古歌一首 大原高安真人作る 年月審らかにあらず。ただし、聞きし時のまにまに、ここに記載す>である。

 

◆伊毛我伊敝尓 伊久里能母里乃 藤花 伊麻許牟春母 都祢加久之見牟

        (大原高安真人 巻十七 三九五二)

 

≪書き下し≫妹が家に伊久里(いくり)の社(もり)の藤(ふぢ)の花今(いま)来(こ)む春も常(つね)かくし見む

 

(訳)いとしい子の家にいくという、ここ伊久里(いくり)の森の藤の花、この美しい花を、まためぐり来る春にもいつもこのように賞(め)でよう。(同上)

(注)いもがいえに いもがいへ【妹が家に】( 枕詞 )妹の家に行くの意から同音の地名「伊久里」にかかる。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)伊久里:富山県礪波市井栗谷か。(伊藤脚注)

(注)藤の花:ここも越中の女性の姿を匂わす。秋の花を歌う前歌に対し、春の花を歌う古歌を持ち出した。(伊藤脚注)

 

左注は、「右一首傳誦僧玄勝是也」<右の一首、伝誦(でんしよう)するは僧玄勝(げんしよう)ぞ>である。

 ※ この歌は、題詞と左注にあるように、僧玄勝が伝承・披露した大原高安真人作の古歌である。

 

 

 

 

■三九五三歌■

◆鴈我祢波 都可比尓許牟等 佐和久良武 秋風左無美 曽乃可波能倍尓

       (大伴家持 巻十七 三九五三)

 

≪書き下し≫雁(かり)がねは使ひに来(こ)むと騒(さわ)くらむ秋風寒みその川の上(へ)に

 

(訳)雁たちは消息を運ぶ使いとしてやって来ようと、今頃鳴き騒いでいることであろう。秋風が寒くなってきたので、なつかしいあの川べりで。(同上)

(注)その川:佐保川であろう。三九四七歌を承ける。宴の望郷歌のまとめ。(伊藤脚注)

 

 

 

■三九五四歌

◆馬並氐 伊射宇知由可奈 思夫多尓能 伎欲吉伊蘇末尓 与須流奈弥見尓

        (大伴家持 巻十七 三九五四)

 

≪書き下し≫馬並(な)めていざ打ち行かな渋谿(しぶたに)の清き礒廻(いそみ)に寄する波見(み)に

 

(訳)さあ、馬を勢揃いして鞭打ちながらでかけよう。渋谿の清らかな磯べに打ち寄せる波を見に。(同上)

(注)渋谿の清き礒廻(いそみ):富山県高岡市太田(雨晴)の海岸。宴の現地讃美をまとめる歌。場所の変更は宴の打ち上げを暗示する。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その847)」で紹介している。

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■三九五五歌■

◆奴婆多麻乃 欲波布氣奴良之 多末久之氣 敷多我美夜麻尓 月加多夫伎奴

        (土師道良 巻十七 三九五五)

 

≪書き下し≫ぬばたまの夜(よ)は更(ふ)けぬらし玉櫛笥(たまくしげ)二上山(ふたがみやま)に月かたぶきぬ

 

(訳)集うこの夜はすっかり更けたようです。玉櫛笥(たましげ)のあの二上山に、月が傾いてきました。(同上)

(注)たまくしげ:「二上山」の枕詞。以下、宴を閉ざす時間になったことを現す。(伊藤脚注)

(注の注)たまくしげ【玉櫛笥・玉匣】分類枕詞:くしげを開けることから「あく」に、くしげにはふたがあることから「二(ふた)」「二上山」「二見」に、ふたをして覆うことから「覆ふ」に、身があることから、「三諸(みもろ)・(みむろ)」「三室戸(みむろと)」に、箱であることから「箱」などにかかる。(学研)

(注)二上山高岡市北方の山。国府の西。(伊藤脚注)

 

 

 越中国府があったとされる勝興寺唐門と同寺境内の越中国庁碑(この裏に家持の四一三六歌が刻されている)

 これについては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その822)で紹介している。

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 三九五四歌の歌碑は、高岡市太田 道の駅「雨晴」にもある。

 これについては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その868)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」