万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2537)―

●歌は、「足柄の御坂に立して袖振らば家なる妹はさやに見もかも(四四二三歌)」と

「色深く背なが衣は染めましをみ坂給らばまさやかに見む(四四二四歌)」である。

埼玉県行田市藤原町 八幡山公園万葉歌碑(藤原部等母麻呂・物部刀自売) 20231119撮影

●歌碑は、埼玉県行田市藤原町 八幡山公園にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆安之我良乃 美佐可尓多志弖 蘇埿布良波 伊波奈流伊毛波 佐夜尓美毛可母

       (藤原部等母麻呂 巻二十 四四二三)

 

≪書き下し≫足柄(あしがら)の御坂(みさか)に立(た)して袖(そで)振らば家(いは)なる妹(いも)はさやに見もかも

 

(訳)足柄の御坂に立って袖を振ったら、家にいるそなたは、はっきり見てくれるであろうか。

(注)立して:「立ちて」の東国形。(伊藤脚注)

(注)見もかも:見てくれるであろうか。「見も」は「見む」の東国形(伊藤脚注)

 

左注は、「右一首埼玉郡上丁藤原部等母麻呂」<右の一首は埼玉(さきたま)の郡(こほり)上丁(じやうちやう)藤原部等母麻呂(ふぢはらべのともまろ)>である。

 

続いて四四二四歌をみてみよう。

◆伊呂夫可久 世奈我許呂母波 曽米麻之乎 美佐可多婆良婆 麻佐夜可尓美無

       (物部刀自売 巻二十 四四二四)

 

≪書き下し≫色深(いろぶか)く背(せ)なが衣(ころも)は染(そ)めましをみ坂(さか)給(たま)らばまさやかに見む

 

(訳)色濃くうちの人の着物は染めておけばよかったなあ。足柄の御坂を通していただく時、はっきり見られるだろうに。(同上)

(注)まし 助動詞特殊型:《接続》活用語の未然形に付く。①〔反実仮想〕(もし)…であったら、…であるだろうに。…であっただろう。…であるだろう。▽実際には起こり得ないことや、起こらなかったことを想像し、それに基づいて想像した事態を述べる。②〔悔恨や希望〕…であればよいのに。…であったならばよかったのに。▽実際とは異なる事態を述べたうえで、そのようにならなかったことの悔恨や、そうあればよいという希望の意を表す。③〔ためらい・不安の念〕…すればよいだろう(か)。…したものだろう(か)。…しようかしら。▽多く、「や」「いかに」などの疑問の語を伴う。④〔単なる推量・意志〕…だろう。…う(よう)。 ⇒語法:(1)未然形と已然形の「ましか」已然形の「ましか」の例「我にこそ開かせ給(たま)はましか」(『宇津保物語』)〈私に聞かせてくださればよいのに。〉(2)反実仮想の意味①の「反実仮想」とは、現在の事実に反する事柄を仮定し想像することで、「事実はそうでないのだが、もし…したならば、…だろうに。(だが、事実は…である)」という意味を表す。(3)反実仮想の表現形式反実仮想を表す形式で、条件の部分、あるいは結論の部分が省略される場合がある。前者が省略されていたなら、上に「できるなら」を、後者が省略されていたなら、「よいのになあ」を補って訳す。「この木なからましかばと覚えしか」(『徒然草』)〈この木がもしなかったら、よいのになあと思われたことであった。〉(4)中世以降の用法 中世になると①②③の用法は衰え、推量の助動詞「む」と同じ用法④となってゆく。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)給らば:タバルはタマハルの約。(伊藤脚注)

 

左注は、「右一首妻物部刀自賣」<右の一首は妻(め)の物部刀自売(もののべのとぢけ)

 

 

 

「万葉遺跡 防人藤原部等母麿遺跡」説明案内板 20231119撮影



 

 

行田市HPの「万葉遺跡・防人藤原部等母麿遺跡」の項に「文化財の概要」として「読み まんよういせき・さきもりふじわらべのともまろいせき

区分 県指定記念物

種別  旧跡

所在地 行田市藤原町1-27-2  八幡山公園内

公開/非公開 公開

指定年月日 昭和36年9月1日」とあり、

さらに「文化財の説明」として「天平勝宝7年(755)に防人(さきもり)を派遣する際、諸国より選ばれた壮丁(そうてい:成年男子)が父母妻子と惜別の情を歌った短歌90余詩が『万葉集第20巻』に載せられています。市内若小玉地区にある春日神社、大御田等の地名等から、この地を藤原部等母麿の遺跡と考察し、昭和36年5月1日に八幡山古墳に隣接して歌碑が建てられました。碑表には『藤原部等母麿』とその妻である『物部刀自売』の2首の歌が刻まれています。」と書かれている。



 

 この歌は、四四一三から四四三四歌の歌群の左注「二月廿九日武蔵國部領防人使掾正六位上安曇宿祢三國進歌數廿首 但拙劣歌者不取載之」<二月の二十九日、武蔵(むさし)の国(くに)の部領防人使(さきもりのことりづかい)掾(じよう)正六位上安曇宿禰三国(あづみのすくねみくに)。進(たてまつ)る歌の数二十首。ただし、拙劣(せつれつ)の歌は取り載せず>の歌である。

 武蔵の国の防人は国府に集結し、大宰府に向かったようである。四四一四から四四三四歌について、伊藤 博氏は脚注で「妻の歌と男の歌六首づつ。家族と共に国府に集結した時の歌らしい。」と書いておられる。また「家持が省いた『拙劣の歌』は、言葉や声調の上で防人の心情を表わすには未熟であると見られた歌らしい。」とも書かれている。

 

八幡山公園→小田急狛江駅前■

 タクシー様様である。前玉神社、八幡山公園の万葉歌碑を巡り吹上駅に戻ったのは8時30分前であった。

 そこからJR、小田急線と乗り継ぎ、狛江駅に。多摩川の鉄橋を渡ったのが10時43分であった。


 効率優先!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「行田市HP」