万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2546)―

●歌は、「我が岡にさを鹿来鳴く初萩の花妻どひに来鳴くさを鹿」である。

大阪府柏原市高井田 高井田横穴公園万葉歌碑(プレート)(大伴旅人) 20240307撮影

●歌碑は、大阪府柏原市高井田 高井田横穴公園にある。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「大宰帥大伴卿歌二首」<大宰帥大伴卿が歌二首>である。

 

◆吾岳尓 棹壮鹿来鳴 先芽之 花嬬問尓 来鳴棹壮鹿

        (大伴旅人 巻八 一五四一)

 

≪書き下し≫我が岡にさを鹿(しか)来鳴く初萩(はつはぎ)の花妻(はなつま)どひに来鳴くさを鹿

 

(訳)この庭の岡に、雄鹿が来て鳴いている。萩の初花を妻どうために来て鳴いているのだな、雄鹿は。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)さをしか【小牡鹿】名詞:雄の鹿(しか)。 ※「さ」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)はなづま【花妻】名詞:①花のように美しい妻。一説に、結婚前の男女が一定期間会えないことから、触れられない妻。②花のこと。親しみをこめて擬人化している。③萩(はぎ)の花。鹿(しか)が萩にすり寄ることから、鹿の妻に見立てていう語(学研)ここでは、③の意

 

 この歌については、太宰府市坂本 坂本八幡宮の歌碑と一五四二歌ともども拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その924)」で紹介している。

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一五四一歌に関して、中西 進氏は、「大伴旅人―人と作品」(同氏編 祥伝社)の中で、次のように書いておられる。長いが引用させていただきます。

「『初萩の花嬬問ひ』だが、現代人のように萩と鹿を別物と考えると『花嬬』とは比喩(ひゆ)になってしまう。・・・しかし、有名な『紫の匂(にほ)へる妹』と同じで、そう形容された額田王と紫草(むらさき)の根とは、ほとんど区別がない。区別に目くじらを立てないのが古代人であった。少しややこしい説明をすると、もちろん王と紫草は物体としては別である。しかし美しく匂うことにおいてひとしい。そうした作用をむしろ重要視して物事を考えるのが古代人であった・・・。そう考えると、人間と草木が無縁だなどといえなくなる。動物と草木も同じ。鹿にとって萩は『つま』だったのである。『つま』とは相手という意味だ。雷が落ちると稲がよく実る。稲を妊娠させるから雷のことを『稲妻(いなづま)』という。古くは『稲交(いなつるび)』とさえいった。植物はそれぞれ固有の匂いを放つ。萩のその匂いを鹿が好む。そこで鹿はよく萩の咲いているところへ寄る。それがまさに萩という、鹿の花嬬なのである。軽く、萩の花は、鹿と仲好しだと考えてもよい。しかし万葉びとふうに考えると、それでは不十分で、ほんとうに萩と鹿が生命を通わせ合うといった方がよい。セックスをしなくとも、萩の匂いが鹿を活性化すればよい。・・・しきりに嬬を求める男鹿は、潜流する亡妻思慕が時として意識の表面に浮上してきたものにちがいない。・・・花ばかり見えて、いっこうに姿を見せない雌鹿もよく理解される。花を雌鹿の形代(かたしろ)として、いましきりに雄鹿は求愛する。初萩の花のように美しかった亡妻という想いも、旅人の胸の中に強いであろう・・・。」

 

 「花妻」なんという響きであろう。

 「花妻」を詠んだ歌をみてみよう。

 

■四一一三歌■

◆於保支見能 等保能美可等ゝ 末支太末不 官乃末尓末 美由支布流 古之尓久多利来安良多末能 等之能五年 之吉多倍乃 手枕末可受 比毛等可須 末呂宿乎須礼波 移夫勢美等 情奈具左尓 奈泥之故乎 屋戸尓末枳於保之 夏能ゝ 佐由利比伎宇恵天 開花乎 移弖見流其等尓 那泥之古我 曽乃波奈豆末尓 左由理花 由利母安波無等 奈具佐無流 許己呂之奈久波 安末射可流 比奈尓一日毛 安流へ久母安礼也

       (大伴家持 巻十八 四一一三)

 

≪書き下し≫大王(おほきみ)の 遠(とほ)の朝廷(みかど)と 任(ま)きたまふ 官(つかさ)のまにま み雪降る 越(こし)に下(くだ)り来(き) あらたまの 年の五年(いつとせ) 敷栲の 手枕(たまくら)まかず 紐(ひも)解(と)かず 丸寝(まろね)をすれば いぶせみと 心なぐさに なでしこを やどに蒔(ま)き生(お)ほし 夏の野の さ百合(ゆり)引き植(う)ゑて 咲く花を 出で見るごとに なでしこが その花妻(はなづま)に さ百合花(ゆりばな) ゆりも逢(あ)はむと 慰むる 心しなくは 天離(あまざか)る 鄙(ひな)に一日(ひとひ)も あるべくもあれや

 

(訳)我が大君の治めたまう遠く遥かなるお役所だからと、私に任命された役目のままに、雪の深々と降る越の国まで下って来て、五年もの長い年月、敷栲の手枕もまかず、着物の紐も解かずにごろ寝をしていると、気が滅入(めい)ってならないので気晴らしにもと、なでしこを庭先に蒔(ま)き育て、夏の野の百合を移し植えて、咲いた花々を庭に出て見るたびに、なでしこのその花妻に、百合の花のゆり―のちにでもきっと逢おうと思うのだが、そのように思って心の安まることでもなければ、都離れたこんな鄙の国で、一日たりとも暮らしていられようか。とても暮らしていられるものではない。(同上)

(注)手枕:妻の手枕。(伊藤脚注)

(注)まろね【丸寝】名詞:衣服を着たまま寝ること。独り寝や旅寝の場合にいうこともある。「丸臥(まろぶ)し」「まるね」とも。(学研)

(注)いぶせむ( 動マ四 )〔形容詞「いぶせし」の動詞化〕心がはればれとせず、気がふさぐ。ゆううつになる。(weblio辞書 三省堂大辞林第三版)

(注)花妻:花のように美しい妻の意だが、花だけで実のならぬ妻(逢えない妻)の意もこもるか。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1072)」で紹介している。

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■三三七〇歌■

◆安思我里乃 波故祢能祢呂乃 尓古具佐能 波奈都豆麻奈礼也 比母登可受祢牟

       (作者未詳 巻十四 三三七〇)

 

≪書き下し≫足柄(あしがり)の箱根(はこね)の嶺(ね)ろのにこ草(ぐさ)の花(はな)つ妻なれや紐(ひも)解(と)かず寝む

 

(訳)足柄の箱根の峰のにこ草のような、そんな花だけの妻ででもあるから、私はお前さんの紐も解かずに寝もしよう。そうでもないのにどうして・・・。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)足柄(あしがり):アシガラの訛り。(伊藤脚注)

(注)-ろ 接尾語〔名詞に付いて〕①強調したり、語調を整えたりする。②親愛の気持ちを添える。 ※上代の東国方言。(学研)

(注)上三句は序。「花つ妻」を起こす。(伊藤脚注)

(注)花つ妻なれや:触れてはならぬ期間の妻。ヤは反語。(伊藤脚注)

(注の注)はなづま【花妻】名詞:①花のように美しい妻。一説に、結婚前の男女が一定期間会えないことから、触れられない妻。②花のこと。親しみをこめて擬人化している。③萩(はぎ)の花。鹿(しか)が萩にすり寄ることから、鹿の妻に見立てていう語。(学研)ここでは①の意

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1236)」で紹介している。

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 「花妻」は、時間的、空間的のも離れた存在であるがゆえの神々しい美しさを漂わせている言葉である。

 

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴旅人―人と作品」 中西 進 編 (祥伝社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂大辞林第三版」