万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1236)―加古川市稲美町 中央公園万葉の森(34)―万葉集 巻十四 三三七〇

●歌は、「足柄の箱根の嶺ろのにこ草の花つ妻なれや紐解かず寝む」である。

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加古川市稲美町 中央公園万葉の森(34)万葉陶板歌碑(作者未詳)



●歌碑は、加古川市稲美町 中央公園万葉の森(34)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆安思我里乃 波故祢能祢呂乃 尓古具佐能 波奈都豆麻奈礼也 比母登可受祢牟

       (作者未詳 巻十四 三三七〇)

 

≪書き下し≫足柄(あしがり)の箱根(はこね)の嶺(ね)ろのにこ草(ぐさ)の花(はな)つ妻なれや紐(ひも)解(と)かず寝む

 

(訳)足柄の箱根の峰のにこ草のような、そんな花だけの妻ででもあるから、私はお前さんの紐も解かずに寝もしよう。そうでもないのにどうして・・・。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)足柄(あしがり):アシガラの訛り。

(注)-ろ 接尾語〔名詞に付いて〕①強調したり、語調を整えたりする。②親愛の気持ちを添える。 ※上代の東国方言。(学研)

(注)上三句は序。「花つ妻」を起こす。

(注の注)はなづま【花妻】名詞:①花のように美しい妻。一説に、結婚前の男女が一定期間会えないことから、触れられない妻。②花のこと。親しみをこめて擬人化している。

③萩(はぎ)の花。鹿(しか)が萩にすり寄ることから、鹿の妻に見立てていう語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意

 

 共寝をできない嘆きを詠っている。東歌である。この歌ならびに万葉集で収録されている「にこ草」を詠んだ歌についても、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1080)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 一人寝のわびしさが「紐解かず寝む」に凝縮されている。

「紐を解く」という言葉だと、色っぽさを感じてしまう。共寝の場合は、下着の紐を解く必要があるが、逢った時は、お互いに下紐を解き合ったらしい。そして別れるときはお互いに紐を結び合ったようである。古橋信孝氏は、その著「古代の恋愛生活 万葉集の恋歌を読む」(NHKブックス)の中で、万葉の時代、お互いの紐を解いたりするような行為は、「人の側」の手順的な要素が強く、それだけに数多く歌われていることについて、具体的な行為については「神の側」と考えられていたのではないかという趣旨のことを書かれている。

 

 

 「紐解く」と詠われている歌をみてみよう。

 

◆真薦苅 大野川原之 水隠 戀来之妹之 紐解吾者

      (作者未詳 巻十一 二七〇三)

 

≪書き下し≫ま薦(こも)刈る大野川原(おほのがはら)の水隠(みごも)りに恋ひ来(こ)し妹(いも)が紐(ひも)解く我(わ)れは

 

(訳)いつもま薦を刈るあの大野川原が水に浸って籠(こも)るように、心の奥底でじっと恋い焦がれてきた子、その子の紐を今こそ解くのだ、私は。(同上)

(注)上二句は序。「水隠りに」を起こす。

(注)みこもり【水籠り・水隠り】名詞:①水中に隠れること。②心に秘めて外に表さないこと。 ※「みごもり」とも。(学研)ここでは②の意

 

 もう一首みてみよう。

◆狛錦 紐解易之 天人乃 妻問夕叙 吾裳将偲

      (作者未詳 巻十 二〇九〇)

 

≪書き下し≫高麗錦(こまにしき)紐(ひも)解(と)きかはし天人(あめひと)の妻どふ宵(よひ)ぞ我(わ)れも偲(しの)はむ

 

(訳)高麗錦の紐を解き合って、天の彦星が妻どいをして過ごす夜だ。地上のわれらも、その一時を偲ぼう。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)こまにしき【高麗錦】名詞:高麗(こま)から伝わった錦。紐(ひも)や剣を入れる袋などに用いた。

(注の注)こまにしき【高麗錦】分類枕詞:高麗錦で紐(ひも)を作ったところから「紐」にかかる。(学研)

(注)天人:ここでは牽牛をさす。

 

 お互いに「紐を結ぶ」歌もみてみよう。

 

◆二為而 結之紐乎 一為而 吾者解不見 直相及者

     (作者未詳 巻十二 二九一九)

 

≪書き下し≫ふたりして結びし紐(ひも)をひとりして我(あ)れは解(と)きみじ直(ただ)に逢ふまでは

 

(訳)あの子と二人で結んだ着物の下紐、この紐を私は独りだけで解いたりはすまい。じかに逢えるまでは。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

伊藤 博氏はこの歌の脚注に、「ふたりして結びし紐」について、「男が旅などに出かける時に互いに下紐を結び、再会の折に解く」と、また「一人で解くのは他人と関係することを意味する。」と書いておられる。

 

 「結ぶ」という行為は、折口信夫氏は「『結び』の本義は『水を掬(むす)ぶ』という用語に示されるもので、『或内容のものが外部に逸脱しないようにした外形的な形』である」と定義されている。

 有間皇子の「岩代の松が枝を引き結び・・・」の歌があるが、結びこまれたのは、皇子の魂であり、旅の安全と自分の生命力の増強を祈ったのである。上述のような「紐を結ぶ」というのもお互いの魂の一部を結び込むことに依り、旅の夫は妻の魂によって守られると考えられていたからである。

 旅の間、紐を解かないのかと、ついつい考えてしまうが、「呪力」があると信じられていたので、衣服を脱がずに寝る「丸寝(まろね)」という言葉が生まれている。次の笠金村の歌をみてみよう。紐を解かない強い気持ちが表れている。

 

 

題詞は、「天平元年己巳冬十二月歌一首 幷短歌」<天平(てんびやう)元年己巳(つちのとみ)の冬の十二月の歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

 

◆虚蝉乃 世人有者 大王之 御命恐弥 礒城嶋能 日本國乃 石上 振里尓 紐不解 丸寐乎為者 吾衣有 服者奈礼奴 毎見 戀者雖益 色二山上復有山者 一可知美 冬夜之 明毛不得呼 五十母不宿二 吾歯曽戀流 妹之直香仁

     (笠金村 巻九 一七八七)

 

≪書き下し≫うつせみの 世の人なれば 大君の 命(みこと)畏(かしこ)み 敷島(しきしま)の 大和(やまと)の国の 石上(いそのかみ) 布留(ふる)の里に 紐(ひも)解(と)かず 丸寝(まろね)をすれば 我(あ)が着(き)たる 衣(ころも)はなれぬ 見るごとに 恋はまされど 色に出(い)でば 人知りぬべみ 冬の夜(よ)の 明かしも得(え)ぬを 寐も(い)寝ずに 我(あ)れはぞ恋ふる 妹(いも)が直香(ただか)に

 

(訳)私はこの世に生きている人間なので、大君の仰せを恐れ畏んで、敷島の大和の国の石上布留の里で、着物の紐も解かずにごろ寝を続けていると、私の着ている着物はよれよれになってしまった。みじめなこの姿を見るたびに妻恋しさはつのるばかりだが、表に出せば周りの人に感づかれてしまうので、冬の夜の寒くて明かしかねる長い夜を、まんじりともせずに私は恋い焦がれるばかりだ。家のあの人そのものに。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)まろね【丸寝】名詞:衣服を着たまま寝ること。独り寝や旅寝の場合にいうこともある。「丸臥(まろぶ)し」「まるね」とも。(学研)

(注)なる【慣る・馴る】自動詞①慣れる。②うちとける。なじむ。親しくなる。③よれよれになる。体によくなじむ。◇「萎る」とも書く。④古ぼける。(学研)ここでは③の意。

(注)色に出でば:そぶりに出したら。

(注)いもねず【寝も寝ず】分類連語:眠りもしない。 ⇒なりたち 名詞「い(寝)」+係助詞「も」+動詞「ぬ(寝)」の未然形+打消の助動詞「ず」(学研)

(注)ただか【直処・直香】名詞:その人自身。また、その人のようす。(学研)

 

短歌二首もみてみよう。

 

◆振山従 直見渡 京二曽 寐不宿戀流 遠不有尓

     (笠金村 巻九 一七八八)

 

≪書き下し≫布留山(ふるやま)ゆ直(ただ)に見わたす都にぞ寐(い)も寝ず恋ふる遠くあらなくに

 

(訳)この布留の山からまっすぐに見わたせる都、その都に待つ人に、まんじりともせずに私は恋い焦がれている。遠くもない所なのに。(同上)

(注)都:ここでは平城京

 

◆吾妹兒之 結手師紐乎 将解八方 絶者絶十方 直二相左右二

      (笠金村 巻九 一七八九)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)が結(ゆ)ひてし紐(ひも)を解かめやも絶えば絶ゆとも直(ただ)に逢ふまでに

 

(訳)いくら苦しくたって、いとしいあの子が結んでくれた紐なんだから、この紐を解いたりするものか。切れるなら切れてもよい。じかに逢えるまでは解いたりするものか。(同上)

 「着(き)たる 衣(ころも)はなれぬ」、「紐(ひも)解(と)かず 丸寝(まろね)をすれば」、「我妹子(わぎもこ)が結(ゆ)ひてし紐(ひも)を解かめやも」に「結ぶ」ことによる強い呪力よりも、強い絆、強い愛情が感じられる、凄い歌である。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「古代の恋愛生活 万葉集の恋歌を読む」 古橋信孝 著 (NHKブックス

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」