万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2334)―

●歌は、「なでしこが花見るごとに娘子らが笑まひのにほい思ほゆるかも」である。

富山市松川べり 越中万葉歌石板⑧(大伴家持) 20230705撮影

●歌石板は、富山市松川べり 越中万葉歌石板⑧である。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「庭中花作歌一首并短歌」<庭中の花を見て作る歌一首并せて短歌>である。長歌(四一一三)と反歌二首(四一一四、四一一五歌)からなっている。

 

 四一一三歌からみてみよう。

 

◆於保支見能 等保能美可等ゝ 末支太末不 官乃末尓末 美由支布流 古之尓久多利来安良多末能 等之能五年 之吉多倍乃 手枕末可受 比毛等可須 末呂宿乎須礼波 移夫勢美等 情奈具左尓 奈泥之故乎 屋戸尓末枳於保之 夏能ゝ 佐由利比伎宇恵天 開花乎 移弖見流其等尓 那泥之古我 曽乃波奈豆末尓 左由理花 由利母安波無等 奈具佐無流 許己呂之奈久波 安末射可流 比奈尓一日毛 安流へ久母安礼也

       (大伴家持 巻十八 四一一三)

 

≪書き下し≫大王(おほきみ)の 遠(とほ)の朝廷(みかど)と 任(ま)きたまふ 官(つかさ)のまにま み雪降る 越(こし)に下(くだ)り来(き) あらたまの 年の五年(いつとせ) 敷栲の 手枕(たまくら)まかず 紐(ひも)解(と)かず 丸寝(まろね)をすれば いぶせみと 心なぐさに なでしこを やどに蒔(ま)き生(お)ほし 夏の野の さ百合(ゆり)引き植(う)ゑて 咲く花を 出で見るごとに なでしこが その花妻(はなづま)に さ百合花(ゆりばな) ゆりも逢(あ)はむと 慰むる 心しなくは 天離(あまざか)る 鄙(ひな)に一日(ひとひ)も あるべくもあれや

 

(訳)我が大君の治めたまう遠く遥かなるお役所だからと、私に任命された役目のままに、雪の深々と降る越の国まで下って来て、五年もの長い年月、敷栲の手枕もまかず、着物の紐も解かずにごろ寝をしていると、気が滅入(めい)ってならないので気晴らしにもと、なでしこを庭先に蒔(ま)き育て、夏の野の百合を移し植えて、咲いた花々を庭に出て見るたびに、なでしこのその花妻に、百合の花のゆり―のちにでもきっと逢おうと思うのだが、そのように思って心の安まることでもなければ、都離れたこんな鄙の国で、一日たりとも暮らしていられようか。とても暮らしていられるものではない。

(注)任(ま)きたまふ:御任命になった役目に従って。「任けたまふ」とあるべきところ。(伊藤脚注)

(注)まにま【随・随意】名詞:他の人の意志や、物事の成り行きに従うこと。まま。▽形式名詞と考えられる。連体修飾語を受けて副詞的に用いられる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)手枕:妻の手枕。(伊藤脚注)

(注)まろね【丸寝】名詞:衣服を着たまま寝ること。独り寝や旅寝の場合にいうこともある。「丸臥(まろぶ)し」「まるね」とも。(学研)

(注)いぶせむ( 動マ四 )〔形容詞「いぶせし」の動詞化〕心がはればれとせず、気がふさぐ。ゆううつになる。(weblio辞書 三省堂大辞林第三版)

(注)花妻:花のように美しい妻の意だが、花だけで実のならぬ妻(逢えない妻)の意もこもるか。(伊藤脚注)

 

 

◆奈泥之故我 花見流其等尓 乎登女良我 恵末比能尓保比 於母保由流可母

        (大伴家持 巻十八 四一一四)

 

≪書き下し≫なでしこが花見るごとに娘子(をとめ)らが笑(ゑ)まひのにほい思ほゆるかも

 

(訳)なでしこの花を見るたびに、いとしい娘子の笑顔のあでやかさ、そのあでやかさが思われてならない。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)ゑまひ【笑まひ】名詞:①ほほえみ。微笑。②花のつぼみがほころぶこと。

 

 

◆佐由利花 由利母相等 之多波布流 許己呂之奈久波 今日母倍米夜母

      (大伴家持 巻十八 四一一五)

 

≪書き下し≫さ百合花(ゆりばな)ゆりも逢はむと下(した)延(は)ふる心しなくは今日(けふ)も経(へ)めやも

 

(訳)百合の花の名のように、ゆり―のちにでもきっと逢おうと、ひそかに頼む心がなかったなら、今日一日たりと過ごせようか。とても過ごせるものではない。(同上)

(注)したばふ【下延ふ】自動詞:ひそかに恋い慕う。「したはふ」とも。(学研)

(注)ゆり【後】名詞:後(のち)。今後。 ※上代語。(学研)

 

 

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 四一一三から四一一五歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その357)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

大君の命とはいえ、なぜにこのようなあまざかる鄙の越中に飛ばされ、五年も辛抱せねばならないのか、というやるせない気持ちが、「天離る鄙に一日もあるべくもあれや」に強烈に出ている。そして、「敷栲の手枕もまかず」と妻への悲痛な思いをぶちまけている。

 

 四一一四歌について、「松川べり散策 越中万葉歌碑&歌石板めぐり」(富山県文化振興財団発行)には、解説として、「天平感宝元年(749)閏(うるう)5月26日(太陽暦7月19日)に、庭に咲く花を眺めて作った長歌に添えられた短歌。庭に植えたナデシコは、都に残した妻坂上大嬢(さかのうえのおおおとめ)をしのぶためのものであった。『娘子』は坂上大嬢のことで、『娘子ら』の『ら』は親しみの表現である。花を見るたびに、妻のにおうような美しい笑顔が思い出されるのである。」と美しく書かれている。

 小生も東京単身赴任を二度経験しているので、単身赴任に対するやるせない気持ちの方に同調してしまう。「箱根越えのお江戸に一日もあるべくもあれや」の心境であった。

 

 

 

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂大辞林第三版」