万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その356、357)―東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(97、98)―

―その356―

●歌は、「萩の花尾花葛花なでしこの花をみなへしまた藤袴朝顔の花」である。

 

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万葉の森船岡山万葉歌碑(97)(山上憶良

●歌碑は、東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(97)である。

 

●歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その62)でふれている。

歌をみていこう。

 

◆芽之花 乎花葛花 瞿麦之花 姫部志 又藤袴 朝<顔>之花

                  (山上憶良 巻八 一五三八)

   ※<顔>と書いているが、白の下に八であるが、漢字が見当たらなかったため

 

≪書き下し≫萩の花 尾花(をばな) 葛花(くずはな) なでしこの花 をみなへし また藤袴(ふぢはかま) 朝顔の花

 

(訳)一つ萩の花、二つ尾花、三つに葛の花、四つになでしこの花、うんさよう、五つにおみなえし。ほら、それにまだあるぞ、六つ藤袴、七つ朝顔の花。うんさよう、これが秋の七種の花なのさ。(伊藤 博著「萬葉集 二」角川ソフィア文庫より)

                           

 「藤袴」は万葉集で詠われているのはこの一首のみである。本来は、中国原産で、古い時代に薬草として伝来し、のちに栽培され野生化したと思われる。中国では、「蘭草」、「香草」、「香水蘭」といい、藤袴は生乾きの状態ではいい香りがするのである。

 

 

―その357―

●歌は、「なでしこが花見るごとに娘子らが笑まひのにほい思ほゆるかも」である。

 

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万葉の森船岡山万葉歌碑(98)(大伴家持

●歌碑は、東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(98)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆奈泥之故我 花見流其等尓 乎登女良我 恵末比能尓保比 於母保由流可母

                          (大伴家持 巻十八 四一一四)

 

≪書き下し≫なでしこが花見るごとに娘子(をとめ)らが笑(ゑ)まひのにほい思ほゆるかも

 

(訳)なでしこの花を見るたびに、いとしい娘子の笑顔のあでやかさ、そのあでやかさが思われてならない。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)ゑまひ【笑まひ】名詞:①ほほえみ。微笑。②花のつぼみがほころぶこと。

 

 山上憶良が、秋の七草のひとつとして「なでしこ」を詠んだ歌は、上記、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その356)」に紹介したところである。万葉集では二五首に詠まれている。大伴家持は十一首も詠んでいる。

 

この歌の題詞は、「庭中花作歌一首并短歌」<庭中の花を見て作る歌一首并せて短歌>である。長歌(四一一三)と反歌二首(四一一四、四一一五歌)からなっている。

 

長歌をみてみよう。

 

◆於保支見能 等保能美可等ゝ 末支太末不 官乃末尓末 美由支布流 古之尓久多利来安良多末能 等之能五年 之吉多倍乃 手枕末可受 比毛等可須 末呂宿乎須礼波 移夫勢美等 情奈具左尓 奈泥之故乎 屋戸尓末枳於保之 夏能ゝ 佐由利比伎宇恵天 開花乎 移弖見流其等尓 那泥之古我 曽乃波奈豆末尓 左由理花 由利母安波無等 奈具佐無流 許己呂之奈久波 安末射可流 比奈尓一日毛 安流へ久母安礼也

               (大伴家持 巻十八 四一一三)

 

≪書き下し≫大王(おほきみ)の 遠(とほ)の朝廷(みかど)と 任(ま)きたまふ 官(つかさ)のまにま み雪降る 越(こし)に下(くだ)り来(き) あらたまの 年の五年(いつとせ) 敷栲の 手枕(たまくら)まかず 紐(ひも)解(と)かず 丸寝(まろね)をすれば いぶせみと 心なぐさに なでしこを やどに蒔(ま)き生(お)ほし 夏の野の さ百合(ゆり)引き植(う)ゑて 咲く花を 出で見るごとに なでしこが その花妻(はなづま)に さ百合花(ゆりばな) ゆりも逢(あ)はむと 慰むる 心しなくは 天離(あまざか)る 鄙(ひな)に一日(ひとひ)も あるべくもあれや

 

(訳)我が大君の治めたまう遠く遥かなるお役所だからと、私に任命された役目のままに、雪の深々と降る越の国まで下って来て、五年もの長い年月、敷栲の手枕もまかず、着物の紐も解かずにごろ寝をしていると、気が滅入(めい)ってならないので気晴らしにもと、なでしこを庭先に蒔(ま)き育て、夏の野の百合を移し植えて、咲いた花々を庭に出て見るたびに、なでしこのその花妻に、百合の花のゆり―のちにでもきっと逢おうと思うのだが、そのように思って心の安まることでもなければ、都離れたこんな鄙の国で、一日たりとも暮らしていられようか。とても暮らしていられるものではない。

(注)手枕:妻の手枕

(注)まろね【丸寝】名詞:衣服を着たまま寝ること。独り寝や旅寝の場合にいうこともある。「丸臥(まろぶ)し」「まるね」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)いぶせむ( 動マ四 )〔形容詞「いぶせし」の動詞化〕心がはればれとせず、気がふさぐ。ゆううつになる。(weblio辞書 三省堂大辞林第三版)

 

反歌二首のもう一首もみてみよう。

 

◆佐由利花 由利母相等 之多波布流 許己呂之奈久波 今日母倍米夜母

                (大伴家持 巻十八 四一一五)

 

≪書き下し≫さ百合花(ゆりばな)ゆりも逢はむと下(した)延(は)ふる心しなくは今日(けふ)も経(へ)めやも

 

(訳)百合の花の名のように、ゆり―のちにでもきっと逢おうと、ひそかに頼む心がなかったなら、今日一日たりと過ごせようか。とても過ごせるものではない。(同上)

 

 

大君の命とはいえ、なぜにこのようなあまざかる鄙の越中に飛ばされ、五年も辛抱せねばならないのか、というやるせない気持ちが、そして、今でいう単身赴任みたいなもので、「敷栲の手枕もまかず」と妻への悲痛な思いをぶちまけている。

家持は、望郷や妻を思うやるせない思いをバネに、歌人大伴家持への道を究めて行くのである。家持生涯の歌の数は四八五首といわれ、越中で作られた歌は二二〇首と半数近いのである。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂大辞林第三版」