万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2525)―

●歌は、「野辺見ればなでしこの花咲にけり我が待つ秋は近づくらしも」である。

茨城県土浦市小野 朝日峠展望公園万葉の森万葉歌碑(作者未詳) 20230927撮影

●歌碑は、茨城県土浦市小野 朝日峠展望公園万葉の森にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆野邊見者 瞿麦之花 咲家里 吾待秋者 近就良思母

      (作者未詳 巻十 一九七二)

 

≪書き下し≫野辺(のへ)見ればなでしこの花咲きにけり我(わ)が待つ秋は近づくらしも

 

(訳)野辺を見やると、なでしこの花がもう一面に咲いている。私が待ちに待っている秋は、すぐそこまで来ているらしい。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)らし 助動詞特殊型 《接続》活用語の終止形に付く。ただし、ラ変型活用の語には連体形に付く。:①〔推定〕…らしい。きっと…しているだろう。…にちがいない。▽現在の事態について、根拠に基づいて推定する。②〔原因・理由の推定〕(…であるのは)…であるかららしい。(…しているのは)きっと…というわけだろう。(…ということで)…らしい。▽明らかな事態を表す語に付いて、その原因・理由となる事柄を推定する。

助動詞特殊型語法(1)連体形と已然形の「らし」(2)上代の連体形「らしき」 上代の連体形には「らしき」があったが、係助詞「か」「こそ」の結びのみで、しかも用例は少ない。係助詞「こそ」の結びの場合、上代では、形容詞型活用の語の結びはすべて連体形であるので、これも連体形とされる。(3)「らむ」との違い⇒らむ(4)主として上代に用いられ、中古には和歌に見られるだけである。(5)ラ変型活用の語の連体形に付く場合、活用語尾の「る」が省略されて、「あらし」「けらし」「ならし」などの形になる傾向が強い。⇒注意「らし」が用いられるときには、常に、推定の根拠が示されるので、その根拠を的確にとらえることである。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)も 終助詞:《接続》文末、文節末の種々の語に付く。〔詠嘆〕…なあ。…ね。…ことよ。 ※上代語。(学研)

 

 

 なでしこを詠った歌をみてみよう。

■四〇八歌■

題詞は、「大伴宿祢家持贈同坂上家之大嬢歌一首」<大伴宿禰家持、同じき坂上家(さかのうえのいへ)の大嬢(おほいらつめ)に贈る歌一首>である。

石竹之 其花尓毛我 朝旦 手取持而 不戀日将無

       (大伴家持 巻三 四〇八)

 

≪書き下し≫なでしこがその花にもが朝(あさ)な朝(さ)な手に取り持ちて恋ひぬ日なけむ

 

(訳)あなたがなでしこの花であったらいいんいな。そうしたら、毎朝毎朝、この手に取り持って賞(め)でいつくしまない日とてなかろうに。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 

 

■四六四歌■

題詞は、「又家持見砌上瞿麦花作歌一首」<また、家持、砌(みぎり)の上(うへ)の瞿麦(なでしこ)の花を見て作る歌一首>である。

(注)みぎり【砌】「水限(みぎり)」の意で、雨滴の落ちるきわ、また、そこを限るところからという》:①時節。おり。ころ。「暑さの—御身お大事に」「幼少の—」②軒下や階下の石畳。③庭。➃ものごとのとり行われるところ。場所。⑤水ぎわ。水たまり。池。(weblio辞書 デジタル大辞泉)ここでは②の意

 

◆秋去者 見乍思跡 妹之殖之 屋前乃石竹 開家流香聞

        (大伴家持 巻三 四六四)

 

≪書き下し≫秋さらば見つつ偲へと妹(いも)が植ゑしやどのなでしこ咲きにけるかも

 

(訳)「秋になったら、花を見ながらいつもいつも私を偲(しの)んで下さいね」と、いとしい人が植えた庭のなでしこ、そのなでしこの花はもう咲き始めてしまった。(同上)

(注)咲きにけるかも:早くも夏のうちに咲いたことを述べ、秋の悲しみが一層増すことを予感している。(伊藤脚注)

 

 家持の「亡妾悲歌」の一首である。

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2264)」で)四六二~四七四歌までの「亡妾悲歌」とともに紹介している。

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■一四四八歌■

 題詞は、「大伴宿祢家持贈坂上家之大嬢歌一首」<大伴宿禰家持、坂上家(さかのうえのいへ)の大嬢(おほいらつめ)に贈る歌一首>である。

 

◆吾屋外尓 蒔之瞿麦 何時毛 花尓咲奈武 名蘇経乍見武

       (大伴家持 巻八 一四四八)

 

≪書き下し≫我がやどに蒔(ま)きしなでしこいつしかも花に咲きなむなそへつつ見む

 

(訳)我が家の庭に蒔いたなでしこ、このなでしこはいつになったら花として咲き出るのであろうか。咲き出たならいつもあなただと思って眺めように。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)なそふ【準ふ・擬ふ】:なぞらえる。他の物に見立てる。

 

 

 

■一四九六歌■

題詞は、「大伴家持石竹花歌一首」<大伴家持が石竹(なでしこ)の花の歌一首>である。

 

◆吾屋前之 瞿麥乃花 盛有 手折而一目 令見兒毛我母

       (大伴家持 巻八 一四九六)

 

≪書き下し≫我がやどのなでしこの花盛(さか)りなり手折(たを)りて一目(ひとめ)見せむ子もがも

 

(訳)我が家の庭のなでしこの花、この花は、今がまっ盛りだ。手折って一目なりと、見せてやる子がいればよいのに。(同上)

 

 

 

■一五一〇歌■

題詞は、「大伴家持贈紀女郎歌一首」<大伴家持、紀女郎(きのいらつめ)に贈る歌一首>である。

 

瞿麥者 咲而落去常 人者雖言 吾標之野乃 花尓有目八方

      (大伴家持 巻八 一五一〇)

 

≪書き下し≫なでしこは咲きて散りぬと人は言へど我が標(し)めし野の花にあらめやも

 

(訳)なでしこの花は咲いてもう散ったと人は言いますが、よもや、私が標(しめ)を張っておいた野の花のことではありますまいね。(同上)

(注)上二句は、女が心変わりして他人のものになった意を寓する。(伊藤脚注)

(注)我が標(し)めし野の花:私の物として印をつけておいた野の花。意中の女の譬え。(伊藤脚注)

 

 歌碑の一九七二歌ならびに四〇八から一五一〇歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1808)」で紹介している。

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■一五三八歌■

◆芽之花 乎花葛花 瞿麦之花 姫部志 又藤袴 朝▼之花

        (山上憶良 巻八 一五三八)

   ▼は「白」の下に「八」と書く。「朝+『白』の下に『八』」=「朝顔

 

≪書き下し≫萩の花 尾花(をばな) 葛花(くずはな) なでしこの花 をみなへし また藤袴(ふぢはかま) 朝顔の花

 

(訳)一つ萩の花、二つ尾花、三つに葛の花、四つになでしこの花、うんさよう、五つにおみなえし。ほら、それにまだあるぞ、六つ藤袴、七つ朝顔の花。うんさよう、これが秋の七種の花なのさ。(同上)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2371)」で紹介している。

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■一五四九歌■

◆射目立而 跡見乃岳邊之 瞿麦花 總手折 吾者将去 寧樂人之為

      (紀鹿人 巻八 一五四九)

 

≪書き下し≫射目(いめ)立てて跡見(とみ)の岡辺(をかへ)のなでしこの花 ふさ手折(たを)り我れは持ちて行く奈良人(ならひと)のため

 

(訳)跡見の岡辺に咲いているなでしこの花。この花をどっさり手折って私は持ち帰ろうと思います。奈良で待つ人のために。(同上)

(注)いめたてて【射目立てて】分類枕詞:射目(いめ)に隠れて、動物の足跡を調べることから「跡見(とみ)」にかかる。(学研)

(注)とみ【跡見】:狩猟の時、鳥や獣の通った跡を見つけて、その行方を推しはかること。また、その役の人。(学研)

(注)ふさ手折る:ふさふさと折り取って。(伊藤脚注)

 

 

 

■一六一〇歌■

題詞は、「丹生女王贈大宰帥大伴卿歌一首」<丹生女王(にふのおほきみ)大宰帥(だざいのそち)大伴卿に贈る歌一首>である。

(注)大宰帥大伴卿:大伴旅人

◆高圓之 秋野上乃 瞿麦之花 丁壮香見 人之挿頭師 瞿麦之花

      (丹生女王  巻八  一六一〇)

 

≪書き下し≫高円(たかまと)の秋野(あきの)の上(うへ)のなでしこの花 うら若み人のかざししなでしこの花

 

(訳)高円の秋野のあちこちに咲くなでしこの花よ。その初々しさゆえに、あなたが、挿頭(かざし)に賞(め)でたこの花よ。(同上)

(注)うらわかし【うら若し】形容詞:①木の枝先が若くてみずみずしい。②若くて、ういういしい。 ⇒参考 「うら若み」は、形容詞の語幹に接尾語「み」が付いて、原因・理由を表す用法。(学研)

(注の注)うら- 接頭語:〔多く形容詞や形容詞の語幹に付けて〕心の中で。心から。何となく。「うら悲し」「うら寂し」「うら恋し」(学研)

 

 一六一〇ならびに一六一六歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1314)」で紹介している。

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■一六一六歌■

題詞は、「笠女郎贈大伴宿祢家持歌一首」<笠女郎、大伴宿禰家持に贈る歌一首>である。

 

◆毎朝 吾見屋戸乃 瞿麦之 花尓毛君波 有許世奴香裳

       (笠女郎 巻八 一六一六)

 

≪書き下し≫朝ごとに我が見るやどのなでしこの花にも君はありこせぬかも

 

(訳)朝ごとに私が見る庭のなでしこの花、あの方は、この花ででもあって下さらないものなのかな。(同上)

(注)ありこす【有りこす】分類連語:(こちらに対して)あってくれる。 ⇒なりたち:ラ変動詞「あり」の連用形+上代の希望の助動詞「こす」(学研)

 

 家持は、なでしこをこよなく愛好していたのである。女郎は家持に逢いたいあまり、なでしこを切り札に使ったのだが、それでも効果がなかったと悔やんでいる。

 女郎のあの手この手の巧みな歌は、歌としての素晴らしさには、家持は惹かれていたのであろう。歌から垣間見える女郎の強すぎる思いゆえに家持は一歩引いていたのかもしれない。

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1710)」で紹介している。

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■一九七〇歌■

◆見渡者 向野邊乃 石竹之 落巻惜毛 雨莫零行年

       (作者未詳 巻十 一九七〇)

 

≪書き下し≫見わたせば向(むか)ひの野辺(のへ)のなでしこの散らまく惜(を)しも雨な降りそね

 

(訳)ここから見わたすと、ま向かいの野辺に美しく咲いているなでしこ、その花が散ってしまうのが惜しまれる。雨よ、降らないでおくれ。(同上)

(注)雨な降りそね:雨よ降らないでおくれ。ナ…ソは禁止。ネは誂え望む助詞。(伊藤脚注)

 

 

 

■一九九二歌■

◆隠耳 戀者苦 瞿麦之 花尓開出与 朝旦将見

       (作者未詳 巻十 一九九二)

 

≪書き下し≫隠(こも)りのみ恋ふれば苦しなでしこの花に咲き出(で)よ朝(あさ)な朝(さ)な見む

 

(訳)人目を忍んで心ひそかに恋焦がれてばかりいるのはつらいことです。どうか、なでしこの花になって我が家の庭先に咲き出てください。そしたら朝ごとにみることができように。(同上)

(注)隠(こも)りのみ:心の中でばかり。(伊藤脚注)

(注)なでしこの花に咲き出よ:なでしこの姿になって咲き出て欲しい。(伊藤脚注)

 

 

 

■四〇〇八歌■

◆安遠邇与之 奈良乎伎波奈礼 阿麻射可流 比奈尓波安礼登 和賀勢故乎 見都追志乎礼婆 於毛比夜流 許等母安利之乎 於保伎美乃 美許等可之古美 乎須久尓能 許等登理毛知弖 和可久佐能 安由比多豆久利 無良等理能 安佐太知伊奈婆 於久礼多流 阿礼也可奈之伎 多妣尓由久 伎美可母孤悲無 於毛布蘇良 夜須久安良祢婆 奈氣可久乎 等騰米毛可祢氐 見和多勢婆 宇能婆奈夜麻乃 保等登藝須 祢能未之奈可由 安佐疑理能 美太流々許己呂 許登尓伊泥弖 伊波婆由遊思美 刀奈美夜麻 多牟氣能可味尓 奴佐麻都里 安我許比能麻久 波之家夜之 吉美賀多太可乎 麻佐吉久毛 安里多母等保利 都奇多々婆 等伎毛可波佐受 奈泥之故我 波奈乃佐可里尓 阿比見之米等曽

      (大伴池主 巻十七 四〇〇八)

 

≪書き下し≫あをによし 奈良を来離(きはな)れ 天離(あまざか)る 鄙(ひな)にはあれど 我が背子(せこ)を 見つつし居(を)れば 思ひ遣(や)る こともありしを 大君(おほきみ)の 命(みこと)畏(かしこ)み 食(を)す国の 事取り持ちて 若草の 足結(あゆ)ひ手作(たづく)り 群鳥(むらとり)の 朝立(あさだ)ち去(い)なば 後(おく)れたる 我(あ)れや悲しき 旅に行く 君かも恋ひむ 思ふそら 安くあらねば 嘆かくを 留(とど)めもかねて 見わたせば 卯(う)の花山の 霍公鳥 音(ね)のみし泣かゆ 朝霧(あさぎり)の 乱るる心 言(こと)に出でて 言はばゆゆしみ 礪波山(となみやま) 手向(たむ)けの神に 幣(ぬさ)奉(まつ)り 我(あ)が祈(こ)ひ禱(の)まく はしけやし 君が直香(ただか)を ま幸(さき)くも ありた廻(もとほ)り 月立たば 時もかはさず なでしこが 花の盛りに 相見(あひみ)しめとぞ

 

(訳)あをによし奈良の都をあとにして来て、遠く遥かなる鄙(ひな)の地にある身であるけれど、あなたの顔さえ見ていると、故郷恋しさの晴れることもあったのに。なのに、大君の仰せを謹んでお受けし、御国(みくに)の仕事を負い持って、足ごしらえをし手甲(てつこう)をつけて旅装(たびよそお)いに身を固め、群鳥(むらとり)の飛びたつようにあなたが朝早く出かけてしまったならば、あとに残された私はどんなにか悲しいことでしょう。旅路を行くあなたもどんなにか私を恋しがって下さることでしょう。思うだけでも不安でたまらいので、溜息(ためいき)が洩(も)れるのも抑えきれず、あたりを見わたすと、彼方卯の花におう山の方で鳴く時鳥、その時鳥のように声張りあげて泣けてくるばかりです。たゆとう朝霧のようにかき乱される心、この心を口に出して言うのは縁起がよくないので、国境の礪波(となみ)の山の峠の神に弊帛(ぬさ)を捧(ささ)げて、私はこうお祈りします。「いとしいあなたの紛れもないお姿、そのお姿に、何事もなく時がめぐりめぐって、月が変わったなら時も移さず、なでしこの花の盛りには逢わせて下さい。」と。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)おもひやる【思ひ遣る】他動詞:①気を晴らす。心を慰める。②はるかに思う。③想像する。推察する。④気にかける。気を配る。(学研)ここでは①の意

(注)わかくさの【若草の】分類枕詞:若草がみずみずしいところから、「妻」「夫(つま)」「妹(いも)」「新(にひ)」などにかかる。(学研)

(注の注)「若草の」は「足結ひ」の枕詞。懸り方未詳。(伊藤脚注)

(注)あゆひ【足結ひ】名詞:古代の男子の服飾の一つ。活動しやすいように、袴(はかま)をひざの下で結んだ紐(ひも)。鈴・玉などを付けて飾りとすることがある。「あよひ」とも。(学研)

(注)てづくり【手作り】名詞:①手製。自分の手で作ること。また、その物。②手織りの布。(学研)

(注の注)足結ひ手作り:足首を紐で結び、手の甲を覆って。旅装束をするさま。(伊藤脚注)

(注)嘆かくを:嘆く心を。「嘆かく」は「嘆く」のク語法。(伊藤脚注)

(注)「見わたせば 卯(う)の花山の 霍公鳥」は季節の景物を用いた序。「音のみ泣く」を起こす。(伊藤脚注)

(注)ね【音】のみ泣(な)く:(「ねを泣く」「ねに泣く」を強めた語) ひたすら泣く。泣きに泣く。また、(鳥などが)声をたてて鳴く。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)あさぎりの【朝霧の】分類枕詞:朝霧が深くたちこめることから「思ひまどふ」「乱る」「おほ(=おぼろなようす)」などにかかる。(学研)

(注)礪波山:富山・石川県の境の山。倶利伽羅峠のある地。この地まで家持を見送るつもりでの表現。(伊藤脚注)

(注)「君が直香(ただか)を ま幸(さき)くも ありた廻(もとほ)り 月たてば」:あなたの紛れもないお姿に、何の不幸もなく時がずっとめぐって、の意か。(伊藤脚注)

 

この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2387)」で紹介している。

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■四〇一〇歌■

◆宇良故非之 和賀勢能伎美波 奈泥之故我 波奈尓毛我母奈 安佐奈ゝゝ見牟

      (大伴池主 巻十七 四〇一〇)

 

≪書き下し≫うら恋(ごひ)し我が背(せ)の君はなでしこが花にもがもな朝(あさ)な朝(さ)な見む

 

(訳)ああお慕わしい、そのあなたはいっそなでしこででもあればよいのに。そしたら毎朝毎朝見られるだろうに。(同上)

(注)うらこひし【うら恋し】形容詞:何となく恋しい。心ひかれる。慕わしい。「うらごひし」とも。 ※「うら」は心の意。(学研)

(注)あさなあさな【朝な朝な】副詞:朝ごとに。毎朝毎朝。「あさなさな」とも。[反対語] 夜(よ)な夜な。(学研)

 

左注は、「右大伴宿祢池主報贈和歌 五月二日」<右は大伴宿禰池主が報(こた)へて贈りて和(こた)ふる歌 五月の二日>である。

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1353)」で紹介している。

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■四〇七〇歌■

題詞は、「詠庭中牛麦花歌一首」<庭中の牛麦(なでしこ)が花を詠(よ)む歌一首>である。

 

◆比登母等能 奈泥之故宇恵之 曽能許己呂 多礼尓見世牟等 於母比曽米家牟

      (大伴家持 巻十八 四〇七〇)

 

≪書き下し≫一本(ひともと)のなでしこ植ゑしその心誰(た)れに見せむと思ひ始めけむ

 

(訳)一株(ひとかぶ)のなでしこを庭に植えたその私の心、この心は、いったい誰に見せようと思いついてのことであったのだろか・・・。(同上)

 

左注は、「右先國師従僧清見可入京師 因設飲饌饗宴 于時主人大伴宿祢家持作此歌詞送酒清見也」<右は、先(さき)の国師(こくし)の従僧(じゆうそう)清見(せいけん)、京師(みやこ)に入らむとす。よりて、飲饌(いんせん)を設(ま)けて饗宴(きやうえん)す。時に、主人(あろじ)大伴宿禰家持、この歌詞(かし)を作り、酒を清見に送る>である。

(注)この歌は、花に先立って上京してしまう相手を惜しむ送別歌。(伊藤脚注)

(注)こくし【国師】:奈良時代の僧の職名。大宝令により、諸国に置かれ、僧尼の監督、経典の講義、国家の祈祷(きとう)などに当たった。のちに講師(こうじ)と改称。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)じゅうそう【従僧】〘名〙 高僧や住職などに付き従う僧侶。従者である僧。ずそう。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(訳)一株(ひとかぶ)のなでしこを庭に植えたその私の心、この心は、いったい誰に見せようと思いついてのことであったのだろうか・・・。(伊藤「四」)

 

 

 

 

■四一一三歌■

題詞は、「庭中花作歌一首并短歌」<庭中の花を見て作る歌一首并せて短歌>である。長歌(四一一三)と反歌二首(四一一四、四一一五歌)からなっている。

 

◆於保支見能 等保能美可等ゝ 末支太末不 官乃末尓末 美由支布流 古之尓久多利来安良多末能 等之能五年 之吉多倍乃 手枕末可受 比毛等可須 末呂宿乎須礼波 移夫勢美等 情奈具左尓 奈泥之故乎 屋戸尓末枳於保之 夏能ゝ 佐由利比伎宇恵天 開花乎 移弖見流其等尓 那泥之古我 曽乃波奈豆末尓 左由理花 由利母安波無等 奈具佐無流 許己呂之奈久波 安末射可流 比奈尓一日毛 安流へ久母安礼也

       (大伴家持 巻十八 四一一三)

 

≪書き下し≫大王(おほきみ)の 遠(とほ)の朝廷(みかど)と 任(ま)きたまふ 官(つかさ)のまにま み雪降る 越(こし)に下(くだ)り来(き) あらたまの 年の五年(いつとせ) 敷栲の 手枕(たまくら)まかず 紐(ひも)解(と)かず 丸寝(まろね)をすれば いぶせみと 心なぐさに なでしこを やどに蒔(ま)き生(お)ほし 夏の野の さ百合(ゆり)引き植(う)ゑて 咲く花を 出で見るごとに なでしこが その花妻(はなづま)に さ百合花(ゆりばな) ゆりも逢(あ)はむと 慰むる 心しなくは 天離(あまざか)る 鄙(ひな)に一日(ひとひ)も あるべくもあれや

 

(訳)我が大君の治めたまう遠く遥かなるお役所だからと、私に任命された役目のままに、雪の深々と降る越の国まで下って来て、五年もの長い年月、敷栲の手枕もまかず、着物の紐も解かずにごろ寝をしていると、気が滅入(めい)ってならないので気晴らしにもと、なでしこを庭先に蒔(ま)き育て、夏の野の百合を移し植えて、咲いた花々を庭に出て見るたびに、なでしこのその花妻に、百合の花のゆり―のちにでもきっと逢おうと思うのだが、そのように思って心の安まることでもなければ、都離れたこんな鄙の国で、一日たりとも暮らしていられようか。とても暮らしていられるものではない。(同上)

(注)手枕:妻の手枕

(注)まろね【丸寝】名詞:衣服を着たまま寝ること。独り寝や旅寝の場合にいうこともある。「丸臥(まろぶ)し」「まるね」とも。(学研)

(注)いぶせむ( 動マ四 )〔形容詞「いぶせし」の動詞化〕心がはればれとせず、気がふさぐ。ゆううつになる。(weblio辞書 三省堂大辞林第三版)

 

 

 

■四一一四歌■

◆奈泥之故我 花見流其等尓 乎登女良我 恵末比能尓保比 於母保由流可母

      (大伴家持 巻十八 四一一四)

 

≪書き下し≫なでしこが花見るごとに娘子(をとめ)らが笑(ゑ)まひのにほい思ほゆるかも

 

(訳)なでしこの花を見るたびに、いとしい娘子の笑顔のあでやかさ、そのあでやかさが思われてならない。(同上)

(注)ゑまひ【笑まひ】名詞:①ほほえみ。微笑。②花のつぼみがほころぶこと。

 

 四〇七〇、四一一三、四一一四歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1808)」で紹介している。

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■四二三一歌■

題詞は、「于時積雪彫成重巌之起奇巧綵發草樹之花 属此掾久米朝臣廣縄作歌一首」<時に、雪を積みて重巌(ちょうがん)の起(た)てるを彫(ゑ)り成し、奇巧(たく)みに草樹の花を綵(いろど)り発(いだ)す。これに属(つ)きて掾久米朝臣廣縄が作る歌一首>である。

(注)ちようがん【重巌】:層巌。>重なる巖 (コトバンク 平凡社「普及版 字通」)

(注)花:歌によれば、造花のなでしこ。主人縄麻呂はこれが守家持の好きな花であることを知っていて、用意したものであろう。(伊藤脚注)

(注)これに属きて:これを題材にして。(伊藤脚注)

 

奈泥之故波 秋咲物乎 君宅之 雪巌尓 左家理家流可母

       (久米広縄 巻十九 四二三一)

 

≪書き下し≫なでしこは秋咲くものを君が家の雪の巌(いはほ)に咲けりけるかも

 

(訳)なでしこは秋咲くものなのに、まあ、あなたの家の雪の岩にはずっと咲いていたのですね。(同上)

(注)咲けりけるかも:咲いていたのですね。瑞祥を賀しながらの、主人の趣向への驚嘆。(伊藤脚注)

(注の注)ずいしやう【瑞祥/瑞象】:めでたいことが起こるという前兆。吉兆。祥瑞。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 

 

■四二三二歌■

題詞は、「遊行女婦蒲生娘子歌一首」<遊行女婦(うかれめ)蒲生娘子(かまふのをとめ)が歌一首>

 

◆雪嶋 巌尓殖有 奈泥之故波 千世尓開奴可 君之挿頭尓

       (蒲生娘子 巻十九 四二三二)

 

≪書き下し≫雪の山斎(しま)巌(いはほ)に植ゑたるなでしこは千代(ちよ)に咲かぬか君がかざしに

 

(訳)雪の積もった美しい園、その園の岩に植えてあるなでしこは、千代常(ちよとことわ)に咲いてくれないものか。あなた様の挿頭(かざし)にするために。(同上)

(注)雪の山斎:雪景色の庭園。以下、前歌の語を多く承けつつ、主人への賀を強調した歌。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1721)」で、万葉集に数多く収録されている「遊行女婦」あるいはそれと思われる娘子の歌とともに紹介している。

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■四四四二歌■

題詞は、「五月九日兵部少輔大伴宿祢家持之宅集宴歌四首」<五月の九日に、兵部少輔大伴宿禰家持が宅(いへ)にして集宴(うたげ)する歌四首>である。

 

◆和我勢故我 夜度乃奈弖之故 比奈良倍弖 安米波布礼杼母 伊呂毛可波良受

       (大原真人今城 巻二十 四四四二)

 

≪書き下し≫我が背子(せこ)がやどのなでしこ日並(ひなら)べて雨は降れども色も変らず

 

(訳)あなたのお庭のなでしこ、この花は、毎日毎日雨に降られていますが、色一つ変わりませんね。(同上)

(注)色も変らず:なでしこに言寄せての主人家持への讃美(伊藤脚注)

 

左注は、「右一首大原真人今城」<右の一首は大原真人今城>である。

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2521)」で、大原真人今城の歌とともに紹介している。

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■四四四三歌■

◆比佐可多能 安米波布里之久 奈弖之故我 伊夜波都波奈尓 故非之伎和我勢

       (大伴家持 巻二十 四四四三)

 

≪書き下し≫ひさかたの雨は降りしくなでしこがいや初花(はつはな)に恋(こひ)しき我が背(せ)

 

(訳)ひさかたの雨はしとしとと降り続いております。しかし、なでしこは今咲いた花のように初々しく、その花さながらに心引かれるあなたです。(同上)

 

 これは、今城が上総帰任を送る集まりの歌で、四首とも女の歌を装うことで悲別の情を深めている。(伊藤脚注)

 

 

 

■四四四六歌■

 四四四六から四四四八歌の歌群の題詞は、「同月十一日左大臣橘卿宴右大辨丹比國人真人之宅三首」<同じ月の十一日に、左大臣橘卿(たちばなのまへつきみ)、右大弁(うだいべん)丹比國人真人(たぢひのくにひとのまひと)が宅(いへ)にして宴(うたげ)する歌三首>である。

 

◆和我夜度尓 佐家流奈弖之故 麻比波勢牟 由米波奈知流奈 伊也乎知尓左家

      (丹比國人真人 巻二十 四四四六)

 

≪書き下し≫我がやどに咲けるなでしこ賄(まひ)はせむゆめ花散ちるないやをちに咲け

 

(訳)我が家の庭に咲いているなでしこよ、贈り物は何でもしよう。けっしてちるなよ。いよいよ若返り続けて咲くのだぞ。(同上)

(注)なでしこ:左大臣橘諸兄に言寄せている

(注)まひ【幣】名詞:依頼や謝礼のしるしとして神にささげたり、人に贈ったりする物。「まひなひ」とも。(学研)

(注)いやをちに【弥復ちに】副詞:何度も繰り返して。ますます若返って。(学研)

 

左注は、「右一首丹比國人真人壽左大臣歌」<右の一首は、丹比国人真人、左大臣を寿(ほ)ぐ歌>である。

 

 

 

■四四四七歌■

◆麻比之都ゝ 伎美我於保世流 奈弖之故我 波奈乃未等波無 伎美奈良奈久尓

        (橘諸兄 巻二十 四四四七)

 

≪書き下し>賄(まひ)しつつ君が生(お)ほせるなでしこが花のみ問(と)はむ君ならなくに 

 

(訳)贈り物をしてはあなたがたいせつに育てているなでしこ、あなたは、そのなでしこの花だけに問いかけるようなお方ではないはずです。(同上)

 

左注は、「右一首左大臣和歌」<右の一首は、左大臣が和(こた)ふる歌>である。

 

 四四四六、四四四七歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その467)」で紹介している。

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■四四四九歌■

題詞は、「十八日左大臣宴於兵部卿橘奈良麻呂朝臣之宅歌三首」<十八日に、左大臣兵部卿(ひやうぶのきやう)橘奈良麻呂朝臣が宅(いへ)にして宴する歌三首>である。

 

◆奈弖之故我 波奈等里母知弖 宇都良ゝゝゝ 美麻久能富之伎 吉美尓母安流加母

       (船王 巻二十 四四四九)

 

≪書き下し≫なでしこが花取(と)り持(も)ちてうつらうつら見まくの欲(ほ)しき君にもあるかも

 

(訳)なでしこの花を手に取り持ってまざまざと見るように、いつもお側近く目(ま)のあたりにお見かけしていたいあなたでございます。(同上)

(注)上二句は、今手に取り持って花に寄せる序。「うつらうつら見る」を起す。(伊藤脚注)

(注)うつらうつら(と) 副詞:まのあたりにはっきりと。 ※「うつ」は現実の意。「ら」は接尾語。(学研)

 

左注は、「右一首治部卿船王」<右の一首は治部卿船王(ぢぶのきやうふねのおほきみ)>である。

 

 

 

 

 

■四四五〇歌■

題詞は、「十八日左大臣宴於兵部卿橘奈良麻呂朝臣之宅歌三首」<十八日に、左大臣兵部卿橘奈良麻呂朝臣(ひやうぶきやうたちばなのならまろのあそみ)が宅(いへ)にして宴(うたげ)する歌三首>である。

 

◆和我勢故我 夜度能奈弖之故 知良米也母 伊夜波都波奈尓 佐伎波麻須等母

      (大伴家持 巻二十 四四五〇)

 

≪書き下し≫我が背子(せこ)がやどのなでしこ散らめやもいや初花(はつはな)に咲きは増(ま)すとも

 

(訳)あなたのお庭のなでしこ、このなでしこはよもや散ったりなどしましょうか。今咲き出した花のように初々しく咲き増さることはあっても。(同上)

 

 

 

■四四五一歌■

◆宇流波之美 安我毛布伎美波 奈弖之故我 波奈尓奈蘇倍弖 美礼杼安可奴香母

      (大伴家持 巻二十 四四五一)

 

≪書き下し≫うるはしみ我(あ)が思(も)ふ君はなでしこが花になそへて見れど飽(あ)かぬかも

 

(訳)すばらしいお方だと私が思うあなた様は、咲きほこるこのなでしこの花と見紛うばかりで、見ても見ても見飽きることがありません。(同上)

(注)なそふ【準ふ・擬ふ】他動詞:なぞらえる。他の物に見立てる。 ※後には「なぞふ」とも。(学研)

 

 四四四三、四四五〇、四四五一歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1808)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 平凡社 普及版 字通」

★「weblio辞書 三省堂大辞林第三版」