万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2264)―

●歌は、「うつせみの世は常なしと知るものを秋風寒み偲ひつるかも」である。

    石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)万葉歌碑(大伴家持

             20230704撮影

●歌碑は、石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「移朔而後悲嘆秋風家持作歌一首」<朔(つきたち)に移りて後に、秋風を悲嘆(かな)しびて家持が作る歌一首>である。

(注)(ここでは)秋七月一日に入ってから後に。(伊藤脚注)

(注の注)つきたち【月立ち/一日/朔】> ついたち【一日/朔日/朔】《「つきた(月立)ち」の音変化》:①月の第1日。いちじつ。いちにち。②陰暦で、月の初めごろの日々。上旬。初旬。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

◆虚蝉之 代者無常跡 知物乎 秋風寒 思努妣都流可聞

       (大伴家持 巻三 四六五)

 

≪書き下し≫うつせみの世は常なしと知るものを秋風寒(さむ)み偲ひつるかも

 

(訳)この世ははかないものだとはわかっているものの、秋風が寒々と身にしみるので、亡き人が恋ひしくてたまらない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)つねなし【常無し】形容詞:変わりやすい。定まっていない。無常である。 ※漢語「無常(むじやう)」の訓読。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)-み 接尾語:①〔形容詞の語幹、および助動詞「べし」「ましじ」の語幹相当の部分に付いて〕(…が)…なので。(…が)…だから。▽原因・理由を表す。多く、上に「名詞+を」を伴うが、「を」がない場合もある。②〔形容詞の語幹に付いて〕…と(思う)。▽下に動詞「思ふ」「す」を続けて、その内容を表す。③〔形容詞の語幹に付いて〕その状態を表す名詞を作る。④〔動詞および助動詞「ず」の連用形に付いて〕…たり…たり。▽「…み…み」の形で、その動作が交互に繰り返される意を表す。(学研)ここでは①の意

 

 この歌は、家持が「妾」を亡くし、天平十一年(739年 家持22歳)に「亡妾を悲傷(かな)しびて作った下記の一連の歌群(四六二~四七四歌)のうちの一首である。妾を亡くした時期ははっきりしていないが、大嬢との結婚話が進む中で、改めて亡くした当時の気持ちに立ち帰り詠んだものと思われる。

(注)妾:正妻のほかに養って愛する女。目を掛けるの意。側室,そばめ,上臈などともいう。大化以前には〈うわなり〉等という次妻があったが、これを律令では妾(しょう)と呼び,夫の2等親とした。(コトバンク 株式会社平凡社百科事典マイペディア)

(注)四六二~四七四歌まで、亡妾悲歌としてまとまり三つの群に分かれる。(伊藤脚注)

 

四六二歌【題詞は、「十一年己卯夏六月大伴宿祢家持悲傷亡妾作歌一首」<十一年己卯(つちのとう)の夏の六月に、大伴宿禰家持、亡妾(ぼうせふ)を悲傷(かな)しびて作る歌一首>】、四六四歌【題詞は、「又家持見砌上瞿麦花作歌一首」<また、家持、砌(みぎり)の上(うへ)の瞿麦(なでしこ)の花を見て作る歌一首>】

(注)四六三歌は、弟の書持(ふみもち)が和(こた)ふる歌である。

四六五歌【題詞は、「移朔而後悲嘆秋風家持作歌一首」<朔(つきたち)に移りて後に、秋風を悲嘆(かな)しびて家持が作る歌一首】、四六六~四六九歌【題詞は、「又家持作歌一首 幷短歌」<また家持が作る歌一首 幷(あは)せて短歌>】

四七〇~四七四歌【題詞は、「悲緒未息更作歌五首」<悲緒(なかしび)いまだ息(や)まず、さらに作る歌五首】を作っている。

 

 弟の書持の四六三歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1348表①)」で紹介している。

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全体の歌群をながめてみよう。

 

四六二歌

 題詞は、「十一年己卯夏六月大伴宿祢家持悲傷亡妾作歌一首」<十一年己卯(つちのとう)の夏の六月に、大伴宿禰家持、亡妾(ぼうせふ)を悲傷(かな)しびて作る歌一首>である。

(注)天平十一年(739年)。作歌時を示せす。妾は天平八年頃、三歳ばかりの女の子を残して死んだらしい。(伊藤脚注)

(注)作歌時、家持二二歳で、内舎人。(伊藤脚注)

 

◆従今者 秋風寒 将吹焉 如何獨 長夜乎将宿

       (大伴家持 巻三 四六二)

 

≪書き下し≫今よりは秋風寒く吹きなむをいかにかひとり長き夜(よ)を寝(ね)む

 

(訳)今からは秋風がさぞ寒々と吹くであろうに、どのようにしてたった一人で、その秋の夜長を寝ようというのか。(同上)

(注)陰暦の夏の六月は秋七月の直前であるのでこのように詠っている。

(注)長き夜:秋の夜は長いとされた。独り寝の明しがたさがこもる。(伊藤脚注)

 

四六四歌

題詞は、「又家持見砌上瞿麦花作歌一首」<また、家持、砌(みぎり)の上(うへ)の瞿麦(なでしこ)の花を見て作る歌一首>である。

(注)みぎり【砌】「水限(みぎり)」の意で、雨滴の落ちるきわ、また、そこを限るところからという》:①時節。おり。ころ。「暑さの—御身お大事に」「幼少の—」②軒下や階下の石畳。③庭。➃ものごとのとり行われるところ。場所。⑤水ぎわ。水たまり。池。(weblio辞書 デジタル大辞泉)ここでは②の意

 

 

◆秋去者 見乍思跡 妹之殖之 屋前乃石竹 開家流香聞

        (大伴家持 巻三 四六四)

 

≪書き下し≫秋さらば見つつ偲へと妹(いも)が植ゑしやどのなでしこ咲きにけるかも

 

(訳)「秋になったら、花を見ながらいつもいつも私を偲(しの)んで下さいね」と、いとしい人が植えた庭のなでしこ、そのなでしこの花はもう咲き始めてしまった。(同上)

(注)咲きにけるかも:早くも夏のうちに咲いたことを述べ、秋の悲しみが一層増すことを予感している。(伊藤脚注)

 

 四六二・四六四歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1051)」で紹介している。

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四六五歌

 上述の歌碑の歌

 

 

四六六~四六九歌

題詞は、「又家持作歌一首 幷短歌」<また家持が作る歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

(注)この長歌は、家持最初の長歌である。(伊藤脚注)

 

◆吾屋前尓 花曽咲有 其乎見杼 情毛不行 愛八師 妹之有世婆 水鴨成 二人雙居 手折而毛 令見麻思物乎 打蝉乃 借有身在者 露霜乃 消去之如久 足日木乃 山道乎指而 入日成 隠去可婆 曽許念尓 胸己所痛 言毛不得 名付毛不知 跡無 世間尓有者 将為須辨毛奈思

       (大伴家持 巻三 四六六)

 

≪書き下し≫我(わ)がやどに 花ぞ咲きたる そを見れど 心もゆかず はしきやし 妹(いも)がありせば 水鴨(みかも)なす ふたり並(なら)び居(ゐ) 手折(たを)りても 見せましものを うつせみの 仮(か)れる身なれば 露霜(つゆしも)の 消(け)ぬるがごとく あしひきの 山道(やまぢ)をさして 入日(いりひ)なす 隠(かく)りにしかば そこ思(も)ふに 胸こそ痛き 言ひもえず 名付けも知らず 跡(あと)もなき 世間(よのなか)にあれば 為(せ)むすべもなし

 

(訳)わが家の庭前になでしこの花が咲いている。その花をいくら見ても心がなごまない。ああ、あの子が生きていてくれたら、仲よく水に浮かぶ鴨のように二人肩を寄せあってはながめ、手折って見せもしように。人の身ははかない仮りの命であるものだから、露が消えてしまうように、山道をさして沈む日のように隠れてしまったので、そのことを思うと胸がやたらに痛む、言いようもなく譬(たと)えようもわからない。行く舟の跡かたもないようなこの世であるのだから、どうするにも手だてがないのだ。(同上)

(注)花:四六四の「なでしこ」を承ける。(伊藤脚注)

(注)仮(か)れる身:肉体は仮の存在とする仏教思想による表現。(伊藤脚注)

(注)名付けも知らず:譬えようもない。(伊藤脚注)

 

◆時者霜 何時毛将有乎 情哀 伊去吾妹可 若子乎置而

        (大伴家持 巻三 四六七)

 

≪書き下し≫時はしもいつもあらむを心痛(こころいた)くい行く我妹(わぎも)かみどり子(こ)を置きて

 

(訳)死ぬ時はいつだってあろうに、今の今、この私の心を痛ませてなぜ家を出ていくのか。わがいとしい人よ。おさな子をあとに残して。(同上)

(注)しも 副助詞《接続》体言、活用語の連用形・連体形、副詞、助詞などに付く。:①〔多くの事柄の中から特にその事柄を強調する〕…にかぎって。②〔強調〕よりによって。折も折。ちょうど。▽多く「しもあれ」の形で。③〔逆接的な感じを添える〕…にもかかわらず。かえって。▽活用語の連体形に付く。④〔部分否定〕必ずしも…(でない)。▽下に打消の語を伴う。(学研)ここでは①の意

(注)い行く我妹か:死者となって家を出て行く我が妻であることよ。(伊藤脚注)

(注)みどりこ【嬰児】名詞:おさなご。乳幼児。 ※後には「みどりご」とも。(学研)

(注の注)「みどり子」はこの時六歳くらい。心を妾の死んだ時点に置いて詠んでいる。(伊藤脚注)

 

 ここに詠われている「みどり子」については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2262)」で紹介している。

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◆出行 道知末世波 豫 妹乎将留 塞毛置末思乎

       (大伴家持 巻三 四六八)

 

≪書き下し≫出(い)でて行く道知らませばあらかじめ妹(いも)を留(とど)めむ関(せき)も置かまし

 

(訳)家を出てあの世へ行く道がもしわかっていたなら、前もって、あの子をひき止める関でも据えておくのだったのに。(同上)

 

 

◆妹之見師 屋前尓花咲 時者經去 吾泣涙 未干尓

       (大伴家持 巻三 四六九)

 

≪書き下し≫妹が見しやどに花咲き時は経(へ)ぬ我(わ)が泣く涙(なみた)いまだ干(ひ)なくに

 

(訳)生前、あの子が見ていとしんだこの庭になでしこの花が咲き、早くも月日は流れ去った。私の泣く涙はまだ乾きもしないのに。(同上)

(注)長歌冒頭のなでしこの花を再び取り上げて長反歌をまとめ、同時に妻を呼び求めて慟哭する第二群を歌い納める。この歌、憶良が日本挽歌で慟哭する部分の最後の歌七九八を踏まえている。(伊藤脚注)

(注)七九八歌:妹が見し楝(あふち)の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干(ひ)なくに

 

 憶良の七九八歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その893)」で紹介している。

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四七〇~四七四歌

題詞は、「悲緒未息更作歌五首」<悲緒(なかしび)いまだ息(や)まず、さらに作る歌五首>である。

 

◆如是耳 有家留物乎 妹毛吾毛 如千歳 憑有来

       (大伴家持 巻三 四七〇)

 

≪書き下し≫かくのみにありけるものを妹(いも)も我(わ)れも千年(ちとせ)のごとく頼みたりけり

 

(訳)こんなにもはかなくなってしまう定めであったのに、あの子も私も千年も生きられるようなつもりで頼みにしあっていたことだった。(同上)

 

 

◆離家 伊麻須吾妹乎 停不得 山隠都礼 情神毛奈思

       (大伴家持 巻三 四七一)

 

≪書き下し≫家離(いへざか)りいます我妹(わぎも)を留(とど)めかね山隠(やまがく)しつれ心どもなし

 

(訳)家を離れて出て行かれるわがいとしき子、その子を引きとめることもできず、ついに山に隠れるままにしてしまったので、正気もない。(同上)

(注)やまがくす【山隠】〘他〙:山に隠す。山の中に隠して他からは見えないようにする。人に死なれることをいう。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 

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◆世間之 常如此耳跡 可都知跡 痛情者 不忍都毛

       (大伴家持 巻三 四七二)

 

≪書き下し≫世間(よのなか)は常(つね)かくのみとかつ知れど痛き心は忍(しの)びかねつも

 

(訳)世の中とはいつもこのようにはかないものだと、一方では知ってはいるのだけれど、せつない気持ちは抑えようもない。(同上)

(注)かくのみ:四七〇の初句を承ける。(伊藤脚注)

 

◆佐保山尓 多奈引霞 毎見 妹乎思出 不泣日者無

       (大伴家持 巻三 四七三)

 

≪書き下し≫佐保山(さほやま)にたなびく霞見るごとに妹を思ひ出(い)で泣かぬ日はなし

 

(訳)佐保山にたなびいている霞、その霞を見るたびに、あの子を思い出して泣かない日はない。(同上)

(注)佐保山:妾を葬った山。四七一の第四句を承ける。(伊藤脚注)

(注の注)さほやま【佐保山】:奈良市北部、佐保川の北側にある丘陵。京都府との境をなす。西部の佐紀(さき)山と合わせて古くは奈良山と呼んだ。さおやま。[歌枕](コトバンク 小学館デジタル大辞泉

(注)泣かぬ日はなし:前歌の悲嘆を具体化した表現。(伊藤脚注)

 

◆昔許曽 外尓毛見之加 吾妹子之 奥槨常念者 波之吉佐寳山

       (大伴家持 巻三 四七四)

 

≪書き下し≫昔こそ外(よそ)にも見しか我妹子(わぎもこ)が奥城(おくつき)と思へばはしき佐保山

 

(訳)これまでは関係もないと見ていたけれど、わがいとしき子の眠る隠りどころだと思うと、今はいとおしくてならない、佐保の山は。(同上)

(注)昔こそ外(よそ)にも見しか:以前には関係のない山と見ていたけれど。(伊藤脚注)

(注)はし【愛し】形容詞:愛らしい。いとおしい。慕わしい。 ※上代語。(学研)

 

 

 「亡妾」への思いは、この歌群全体を眺めてはじめて理解できる。また家持が好んだ「なでしこ」は、「亡妾悲歌」ならびに妻大嬢への思いにも歌いこまれ、家持にとっていとしい人そのものである。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 小学館デジタル大辞泉

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「コトバンク 株式会社平凡社百科事典マイペディア」