万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2288)―

●歌は、「あしひきの山はなくもが月見れば同じき里を心隔てつ」である。

石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)万葉歌碑(大伴家持) 
20230704撮影

●歌碑は、石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)にある。

 

●歌をみていこう。

 

四〇七六から四〇七九歌の歌群の題詞は、「越中國守大伴家持報贈歌四首」<越中(こしのみちなか)の国の守(かみ)大伴家持、報(こた)へ贈る歌四首>である。

 

  副題詞は、「一 答古人云」<一 古人云はくに答ふる>である。

(注)家持の四首ならびに池主の三首には、それぞれ、いまでいうサブタイトルが付いている。「副題詞」と仮に呼ぶことにする。

 

◆安之比奇能 夜麻波奈久毛我 都奇見礼婆 於奈自伎佐刀乎 許己呂敝太底都

      (大伴家持 巻十八 四〇七六)

 

≪書き下し≫あしひきの山はなくもが月見れば同(おな)じき里を心隔(へだ)てつ

 

(訳)立ちはだかる山なんかなければよいのに。月を見ると同じ里であるのに、山にこと寄せて心を隔てておられる。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

                           

 題詞にあるように、池主が家持に「来贈(おこ)する歌三首(四〇七三~四〇七五)」に対して家持が「報(こた)へ贈る歌四首(四〇七六から四〇七九)」の一首である。

 

 

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■池主が家持に贈った書簡ならびに歌からみてみよう。

 

 題詞は、「越前國掾大伴宿祢池主来贈歌三首」<越前(こしのみちのくち)の国の掾(じよう)大伴宿禰池主が来贈(おこ)する歌三首>である。

(注)越前の国:福井県北部と石川県南部(伊藤脚注)

(注)天平十九年(747年)秋頃、越中掾より越前掾となる。(伊藤脚注)

 

◆書簡

以今月十四日到来深見村 望拜彼北方常念芳徳 何日能休 兼以隣近忽増戀 加以先書云 暮春可惜 促膝未期 生別悲兮 夫復何言臨紙悽断奉状不備   三月一五日大伴宿祢池主

 

≪書簡書き下し≫今月の十四日をもちて、深見(ふかみ)の村に到来し、その北方を望拜す。常に芳徳を念ふこと、いづれの日にか能(よ)く休(や)すまむ。兼ねて隣近(りんきん)にあるをもちて、たちまちに恋緒を増す。しかのみにあらず、先の書に云はく、「暮春惜しむべし、膝(ひざ)を促(ちかづ)くることいまだ期(ご)せず。生別は悲しび、それまたいかにか言はむ」と。紙に臨(のぞ)みて悽断(せいだん)し、状を奉ること不備。   三月の十五日、大伴宿禰池主。

(注)深見の村:石川県河北郡津幡町付近。越中との国境の郡で、越中国府は間近。(伊藤脚注)

(注)その北方:深見の北方。越中国府の方向。(伊藤脚注)

(注)ぼうはい【望拝】:拝謁する。(コトバンク 平凡社「普及版 字通」)

(注)兼ねて:その上ここは。(伊藤脚注)

(注)ぼしゅん【暮春】:①春の終わり。春の暮れ。晩春。《季 春》②陰暦3月の異称。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

(注)ごす【期す】他動詞:①予期する。期待する。②心積もりをする。予定する。③覚悟する。心に決める。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意

(注)【悽断】せいだん:きわめてかなしい。悽切。(コトバンク 平凡社「普及版 字通」)

 

(略訳)今月十四日に深見村を訪れ、その北の方を拝謁いたしました。いつもあなた様の芳徳を思いますと、いずれの日にあなた様への思いを休めることができましょうか。そのうえここは、(越中の)隣近であることから、あなた様への思いが一層強くなります。そればかりか、先の書簡で書かれていました、「晩春の風情惜しみながら、共に楽しむことができていない。お目にかかれていないことを悲しく思い、共に風景を楽しむことを果たしていない」と。お手紙を前にきわめて悲しい思いにかられながらもお手紙を差し上げますが、満足のいくものではありません。三月一五日 大伴宿禰池主

 

 

副題詞は、「一 古人云」<一 古人云はく>

 

◆都奇見礼婆 於奈自久尓奈里 夜麻許曽婆 伎美我安多里乎 敝太弖多里家礼

       (大伴池主 巻十八 四〇七三)

 

≪書き下し≫月見れば同じ国なり山こそば君があたりを隔てたりけれ

 

(訳)月を見ていると、同じ一つ月の照らす国です。なのに、山は、あなたの住んでいらっしゃるあたりを、遮っていたりして・・・。(同上)

 

 

副題詞は、「一 属物発思」<一 属物発思(しよくぶつはつし)>である。

(注)属物発思:見聞きする物に応じて触発された思いを述べる。(伊藤脚注)

 

◆櫻花 今曽盛等 雖人云 我佐不之毛 支美止之不在者

       (大伴池主 巻十八 四〇七四)

 

≪書き下し≫桜花(さくらばな)今ぞ盛りと人は言へど我れは寂(さぶ)しも君としあらねば

 

(訳)桜の花、それは今がまっ盛りだと人は言いますが、私の心はさびしくて仕方がありません。あなたとご一緒ではないので。(同上)

 

 

 副題詞は、「一 所心歌」<一 所心歌(しょしんか)>である。

(注)所心歌:物に拠らず、じかに思いを述べる歌、の意か。(伊藤脚注)

 

◆安必意毛波受 安流良牟伎美乎 安夜思苦毛 奈氣伎和多流香 比登能等布麻泥

       (大伴池主 巻十八 四〇七五)

 

≪書き下し≫相(あひ)思(おも)はずあるらむ君をあやしくも嘆きわたるか人の問ふまで

 

(訳)私のことなど思っていて下さりそうにもないあなたなのに、何とまあ我ながら不思議と嘆きつづけています。人がいぶかり問うほどに。(同上)

(注)あやし【怪し・奇し】形容詞:①不思議だ。神秘的だ。②おかしい。変だ。③みなれない。もの珍しい。④異常だ。程度が甚だしい。(思わず熱中して)異常なほど、狂おしい気持ちになるものだ。◇「あやしう」はウ音便。⑤きわめてけしからぬ。不都合だ。⑥不安だ。気がかりだ。 ◇「あやしう」はウ音便。(学研)ここでは①の意

(注)人の問ふまで:人がどうしたのかと尋ねるほどに。(伊藤脚注)

 

 池主の書簡ならびに四〇七三~四〇七五歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1370)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 上述の、池主の書簡ならびに四〇七三~四〇七五歌に対して、家持が報(こた)へ贈ったのが、次の四〇七六~四〇七九歌である。

 

 

■家持が、報(こた)へ贈った「四〇七六~四〇七九歌」をみてみよう。

 

 四〇七六から四〇七九歌の歌群の題詞は、「越中國守大伴家持報贈歌四首」<越中(こしのみちなか)の国の守(かみ)大伴家持、報(こた)へ贈る歌四首>である。

 

副題詞は、「一 答古人云」<一 古人云はくに答ふる>である。

 

◆安之比奇能 夜麻波奈久毛我 都奇見礼婆 於奈自伎佐刀乎 許己呂敝太底都

       (大伴家持 巻十八 四〇七六)

 

≪書き下し≫あしひきの山はなくもが月見れば同(おな)じき里を心隔(へだ)てつ

 

(訳)立ちはだかる山なんかなければよいのに。月を見ると同じ里であるのに、山にこと寄せて心を隔てておられる。(同上)

(注)同(おな)じき里を心隔(へだ)てつ:同じ里なのに、山を理由にあなたは心を隔てておられる。戯れていったものか。(伊藤脚注)

 

 

 副題詞は、「一 答属目發思兼詠云遷任舊宅西北隅櫻樹」<一 属目発思(しよくもくはつし)に答へ、兼ねて遷任したる旧宅(きうたく)の西北(いぬゐ)の隅の桜樹(あうじゆ)を詠(よ)みて云ふ>である。

(注)属目発思:四〇七四題の「属目発思」に同じ。(伊藤脚注)

(注)遷任したる旧宅:転任した後の池主の官舎。(伊藤脚注)

 

◆和我勢故我 布流伎可吉都能 佐久良婆奈 伊麻太敷布賣利 比等目見尓許祢

       (大伴家持 巻十八 四〇七七)

 

≪書き下し≫我が背子(せこ)が古き垣内(かきつ)の桜花いまだ含めり一目(ひとめ)見に来(こ)ね

 

(訳)懐かしいあなたがおられたもとのお屋敷の桜の花、その花はまだ蕾(つぼみ)のままです。一目見に来られよ。(同上)

(注)かきつ【垣内】:《「かきうち」の音変化か》垣根に囲まれたうち。屋敷地の中。かいと。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

(注)ふふむ【含む】自動詞:花や葉がふくらんで、まだ開ききらないでいる。つぼみのままである。(学研)

 

 

 副題詞は、「答所心即以古人之跡代今日之意」<所心に答へ、すなはち古人の跡をもちて、今日(けふ)の意に代ふる>である。

(注)すなはち古人の跡をもちて、今日(けふ)の意に代ふる:同時に古人の言い継いできたことによって今の私の思いに代える。(伊藤脚注)

 

◆故敷等伊布波 衣毛名豆氣多理 伊布須敝能 多豆伎母奈吉波 安我未奈里家利

      (大伴家持 巻十八 四〇七八)

 

≪書き下し≫恋ふといふはえも名付(なづ)けたり言ふすべのたづきもなきは我(あ)が身なりけり

 

(訳)「恋い焦がれる」というのは、なるほどうまく名付けたもの。この苦しさをどう言ったらよいのか、その手立てもないというのは、なるほど今の私の身なのでありました。(同上)

(注)上二句が「古人の跡」に当たる。

(注)えも 分類連語:①〔下に肯定表現を伴って〕よくもまあ(…できるものだ)。②〔下に否定表現を伴って〕どうしても(…できない)。 ※なりたち 副詞「え」+係助詞「も」(学研) ここでは①

(注)たづき【方便】名詞:①手段。手がかり。方法。②ようす。状態。見当。 ※参考 古くは「たどき」ともいった。中世には「たつき」と清音にもなった。(学研)ここでは①の意

(注)言ふすべのたづきもなきは我(あ)が身なりけり:池主の「相思(あひおも)はずあるらむ君をあやしくも嘆きわたるか人の問ふまで(四〇七五歌)」に対して我が恋は、そのような代物ではないと応じた。戯れ。(伊藤脚注)

 

 「古人の跡」は、例えば三二五五歌の「古(いにしへ)ゆ 言い継(つ)ぎけらく 恋すれば 苦しきものと 玉の緒の 継ぎては言へど・・・(遠く古い時代から言い継いできたことには、恋をすれば苦しいものだと。そのように言い継がれてよく知っていることではあるが・・・」などをさすのであろう。

 

 

 副題詞は、「一 更矚目」<一 さらに嘱目(しよくもく)>である。

(注)さらに:前三首(四〇七六から四〇七八歌)をまとめることを意味する。(伊藤脚注)

 

 

◆美之麻野尓 可須美多奈妣伎 之可須我尓 伎乃敷毛家布毛 由伎波敷里都追

       (大伴家持 巻十八 四〇七九)

 

≪書き下し≫三島野に霞(かすみ)たなびきしかすがに昨日(きのふ)も今日(けふ)も雪は降りつつ

 

                     

 

(訳)三島野に霞がたなびいてすっかり春だというのに、それなのに昨日も今日も雪は降り続いていて・・・(同上)

(注)三島野:家持の館から南方に見える野。越中国府の南東、高岡市付近から射水市にかけての野。(伊藤脚注)

(注)雪は降りつつ:三月でも雪深い越中の風土への感慨の中に、別れて住む哀愁をこめて一連を結ぶ。(伊藤脚注)

 

 左注は、「三月十六日」<三月の十六日>である。

 

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 家持の四〇七六から四〇七九歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その936)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 これらの池主と家持との歌の贈答に関して、藤井一二氏は、その著「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯(中公新書)」のなかで、「池主は三月十四日に深見村に到来してから、少なくとも十六日まで同地に滞在したことになる。西一夫(にしかずお)氏は、右の天平勝宝元年暮春にみる家持と池主の贈答作品の原点は、池主が越中在任中であった天平十九年暮春における家持との間の集中的な贈答にあると理解している(「大伴家持と越前遷任後の池主」)。家持と池主の関係は、池主の越中・越前在任期を通して変わることはなかった。家持の生活にとって、池主と越中時代を共にしたことは、歌作の研鑽に大きな意味をもったはずである。」と書かれている。

 

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 平凡社『普及版 字通』」

★「コトバンク 小学館デジタル大辞泉