万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2195)―富山県(10)小矢部市<3>―

小矢部市3⃣>

小矢部市蓮沼 万葉公園万葉歌碑(巻十七 三九四三、三九五一、三九七七、四〇二一、巻十八 四〇六六、四〇七〇)■

小矢部市蓮沼 万葉公園万葉歌碑(大伴家持、秦忌寸八千島)

 この歌碑の表には、六首(巻十七 三九四三、三九五一、三九七七、四〇二一、巻十八 四〇六六、四〇七〇)が刻されている。

順にみていこう。

 

【巻十七 三九四三】

◆秋田乃 穂牟伎見我氐里 和我勢古我 布左多乎里家流 乎美奈敝之香物

      (大伴家持 巻十七 三九四三)

 

≪書き下し≫秋の田の穂向き見がてり我(わ)が背子がふさ手折(たお)り来(け)る女郎花(をみなへし)かも

 

(訳)秋の田の垂穂(たりほ)の様子を見廻りかたがた、あなたがどっさり手折って来て下さったのですね、この女郎花は。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)我が背子:客の大伴池主をさしている。

(注)ふさ 副詞:みんな。たくさん。多く。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

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題詞は、「八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌」<八月の七日の夜に、守(かみ)大伴宿禰家持が館(たち)に集(つど)ひて宴(うたげ)する歌である。

この宴について、伊藤 博氏は、脚注で「家持を歓迎する宴であろう。越中歌壇の出発を告げる大切な宴であった。」と書いておられる。

 


【巻十七 三九五一】

◆日晩之乃 奈吉奴流登吉波 乎美奈敝之 佐伎多流野邊乎 遊吉追都見倍之

     (秦忌寸八千嶋 巻十七 三九五一)

 

≪書き下し≫ひぐらしの鳴きぬる時はをみなへし咲きたる野辺(のへ)を行(ゆ)きつつ見(み)べし

 

(訳)ひぐらしの鳴いているこんな時には、女郎花の咲き乱れる野辺をそぞろ歩きしながら、その美しい花をじっくり賞(め)でるのがよろしい。(同上)

(注)をみなえし:三九四三(家持),三九四四歌(池主)の女郎花を承ける。越中の「ヲミナ」の意をこめ、望郷の念の深まりを現地への関心に引き戻す。(伊藤脚注)

 

 上述の家持の三九四三歌と同じ宴で歌われた歌である。

 秦忌寸八千嶋(はだのいみきやちしま)については伝未詳である。

 


【巻十七 三九七七】

◆安之可伎能 保加尓母伎美我 余里多々志 孤悲家礼許曽婆 伊米尓見要家礼

      (大伴家持 巻十七 三九七七)

 

≪書き下し≫葦垣(あしかき)の外(ほか)にも君が寄り立たし恋ひけれこそば夢(いめ)に見えけれ

 

(訳)葦の垣根の外にあなたが寄り立たれながら、私に心を寄せていて下さったからこそ、お姿が夢に見えたのですね、(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)恋ひけれこそば:「恋ひければこそ」に同じ。(伊藤脚注)

(注の注)ばこそ 分類連語:(一)〔活用語の未然形に付いて〕①〔文中に用いて〕…ならばきっと。▽順接の仮定条件を強調する。②〔文末に用いて〕…はずがない。…ものか。▽ある事態を仮定し、それを強く否定する。◇中世以降の用法。

(二)〔活用語の已然形に付いて〕…からこそ。▽順接の確定条件を強調する。語法文中に用いられる場合、文末の活用語は係助詞「こそ」を受けて已然形となる。 ⇒なりたち 接続助詞「ば」+係助詞「こそ」(学研)

 

 家持が越中に赴任した新春の二月の末に病に倒れ、二月二〇日から三月五日まで、その胸中を訴え、大伴池主が励ましの歌や書簡を送りあった三月五日の書簡と短歌二首のうちの一首である。

 


 三九四三、三九五一、三九七七歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1349表①~③)」で紹介している。

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【巻十七 四〇二一】

◆乎加未河泊 久礼奈為尓保布 乎等賣良之 葦附[水松之類]等流登 湍尓多々須良之

      (大伴家持 巻十七 四〇二一)

 

≪書き下し≫雄神川(をがみかは)紅(くれなひ)にほふ娘子(をちめ)らし葦付(あしつき)<水松之類>取ると瀬(せ)に立たすらし

 

(訳)雄神川、この川は一面に紅色に照り映えている。娘子たちが、葦付<水松の一種>を取るとて、裳裾濡らして立っておられるのであるらしい。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)雄神川:礪波平野を流れる荘川の、富山県砺波市荘川町付近での古名。(伊藤脚注)

 

題詞は、「礪波郡雄神河邊作歌一首」<礪波(となみ)の郡(こほり)の雄神(をかみ)の川辺(かはへ)びして作る歌一首>である。

(注)礪波郡:富山県西南部の郡。越前との境。(伊藤脚注)

 


【巻十八 四〇六六】

◆宇能花能 佐久都奇多知奴 保等登藝須 伎奈吉等与米余 敷布美多里登母

      (大伴家持 巻十八 四〇六六)

 

≪書き下し≫卯(う)の花の咲く月立ちぬほととぎす来鳴き響(とよ)めよふふみたりとも

 

(訳)卯の花の咲く四月がついに来た。時鳥よ、来て鳴き立てておくれ。花はまだつぼんでいようとも。(同上)

(注)うのはな【卯の花】 ウツギの白い花。また、ウツギの別名。うつぎのはな。《季 夏》(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

(注)つきたつ【月立つ】分類連語:①月が現れる。月がのぼる。②月が改まる。月が変わる(学研)ここでは②の意

(注)ふふむ【含む】自動詞:花や葉がふくらんで、まだ開ききらないでいる。つぼみのままである。(学研)

 

題詞は、「四月一日掾久米朝臣廣縄之舘宴歌四首」<四月の一日に、掾(じよう)久米朝臣広縄が館(たち)にして宴(うたげ)する歌四首>である。

 

左注は、「右一首守大伴宿祢家持作之」<右の一首は守(かみ)大伴宿禰家持作る>である。

 

 


【巻十八 四〇七〇】

◆比登母等能 奈泥之故宇恵之 曽能許己呂 多礼尓見世牟等 於母比曽米家牟

      (大伴家持 巻十八 四〇七〇)

 

≪書き下し≫一本(ひともと)のなでしこ植ゑしその心誰(た)れに見せむと思ひ始めけむ

 

(訳)一株(ひとかぶ)のなでしこを庭に植えたその私の心、この心は、いったい誰に見せようと思いついてのことであったのだろか・・・。(同上)

 

左注は、「右先國師従僧清見可入京師 因設飲饌饗宴 于時主人大伴宿祢家持作此歌詞送酒清見也」<右は、先(さき)の国師(こくし)の従僧(じゆうそう)清見(せいけん)、京師(みやこ)に入らむとす。よりて、飲饌(いんせん)を設(ま)けて饗宴(きやうえん)す。時に、主人(あろじ)大伴宿禰家持、この歌詞(かし)を作り、酒を清見に送る>である。

(注)この歌は、花に先立って上京してしまう相手を惜しむ送別歌。(伊藤脚注)

(注)こくし【国師】:奈良時代の僧の職名。大宝令により、諸国に置かれ、僧尼の監督、経典の講義、国家の祈祷(きとう)などに当たった。のちに講師(こうじ)と改称。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)じゅうそう【従僧】〘名〙 高僧や住職などに付き従う僧侶。従者である僧。ずそう。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 

 


 四〇二一、四〇六六、四〇七〇歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1349表④~⑥)」で紹介している。

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小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)(裏)万葉歌碑(巻十八 四一〇九、四一一五、四一三六、巻十九 四一三九、四一四〇)■

小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)(裏)万葉歌碑(大伴家持

この歌碑の裏には、五首(巻十八 四一〇九、四一一五、四一三六、巻十九 四一三九、四一四〇)が刻されている。

順にみていこう。

 

【巻十八 四一〇九】

題詞は、「教喩史生尾張少咋歌一首并短歌」<史生(ししやう)尾張少咋(をはりのをくひ)を教へ喩(さと)す歌一首 并(あは)せて短歌>である。

 

◆久礼奈為波 宇都呂布母能曽 都流波美能 奈礼尓之伎奴尓 奈保之可米夜母

     (大伴家持 巻十八 四一〇九)

 

≪書き下し≫紅(くれなゐ)はうつろふものぞ橡(つるはみ)のなれにし衣(きぬ)になほしかめやも

 

(訳)見た目鮮やかでも紅は色の褪(や)せやすいもの。地味な橡(つるばみ)色の着古した着物に、やっぱりかなうはずがあるものか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)紅:紅花染。ここでは、遊女「左夫流子」の譬え

(注)橡(つるはみ)のなれにし衣(きぬ):橡染の着古した着物。妻の譬え

(注)つるばみ【橡】名詞:①くぬぎの実。「どんぐり」の古名。②染め色の一つ。①のかさを煮た汁で染めた、濃いねずみ色。上代には身分の低い者の衣服の色として、中古には四位以上の「袍(はう)」の色や喪服の色として用いた。 ※ 古くは「つるはみ」。(学研)

 

 左注は、「右五月十五日守大伴宿祢家持作之」<右は、五月の十五日に、守(かみ)大伴宿禰家持作る>である。

 

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【巻十八 四一一五】

 ◆佐由利花 由利母相等 之多波布流 許己呂之奈久波 今日母倍米夜母

      (大伴家持 巻十八 四一一五)

 

≪書き下し≫さ百合花(ゆりばな)ゆりも逢はむと下(した)延(は)ふる心しなくは今日(けふ)も経(へ)めやも

 

(訳)百合の花の名のように、ゆり―のちにでもきっと逢おうと、ひそかに頼む心がなかったなら、今日一日たりと過ごせようか。とても過ごせるものではない。(同上)

(注)したばふ【下延ふ】自動詞:ひそかに恋い慕う。「したはふ」とも。(学研)

 

題詞は、「庭中の花を見て作る歌一首 幷せて短歌」である。

 

 


【巻十八 四一三六】

◆安之比奇能 夜麻能許奴礼能 保与等里天 可射之都良久波 知等世保久等曽

      (大伴家持 巻十八 四一三六)

 

≪書き下し≫あしひきの山の木末(こぬれ)のほよ取りてかざしつらくは千年(ちとせ)寿(ほ)くとぞ

 

(訳)山の木々の梢(こずえ)に一面生い栄えるほよを取って挿頭(かざし)にしているのは、千年もの長寿を願ってのことであるぞ。(同上)

(注)ほよ>ほや【寄生】名詞:寄生植物の「やどりぎ」の別名。「ほよ」とも。(学研)

 

題詞は、「天平勝寶二年正月二日於國廳給饗諸郡司等宴歌歌一首」<天平勝寶(てんびやうしようほう)二年の正月の二日に、国庁(こくちょう)にして饗(あへ)を諸(もろもろ)の郡司(ぐんし)等(ら)に給ふ宴の歌一首>である。

(注)天平勝寶二年:750年

(注)国守は天皇に代わって、正月に国司、群詞を饗する習いがある。

 律令では、元日に国司は同僚・属官や郡司らをひきつれて庁(都の政庁または国庁)に向かって朝拝することになっており、翌日に、新年を寿ぐ宴が開かれたのである。

 

 


【巻十九 四一三九】

◆春苑 紅尓保布 桃花 下照道尓 出立▼嬬

    (大伴家持 巻十九 四一三九)

   ※▼は、「女」+「感」、「『女』+『感』+嬬」=「をとめ」

 

≪書き下し≫春の園(その)紅(くれなゐ)にほふ桃の花下照(したで)る道に出で立つ娘子(をとめ)

 

(訳)春の園、園一面に紅く照り映えている桃の花、この花の樹の下まで照り輝く道に、つと出で立つ娘子(おとめ)よ。(同上)

 


【巻十九 四一四〇】

◆吾園之 李花可 庭尓落 波太礼能未 遣在可母

      (大伴家持 巻十九 四一四〇)

 

≪書き下し≫我(わ)が園の李(すもも)の花か庭に散るはだれのいまだ残りてあるかも

 

(訳)我が園の李(すもも)の花なのであろうか、庭に散り敷いているのは。それとも、はだれのはらはら雪が残っているのであろうか。(同上)

(注)はだれ【斑】名詞:「斑雪(はだれゆき)」の略。(学研)

 


上述の五首(巻十八 四一〇九、四一一五、四一三六、巻十九 四一三九、四一四〇)については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(そのその1349裏①~⑤)」で紹介している。

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小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)(表)万葉歌碑(巻十七 三九四七)■

小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)(表)万葉歌碑(大伴家持

◆家佐能安佐氣 秋風左牟之 登保都比等 加里我来鳴牟 等伎知可美香物

      (大伴家持 巻十七 三九四七)

 

≪書き下し≫今朝の朝明(あさけ)秋風寒し遠(とほ)つ人雁(かり)が来鳴かむ時近みかも

 

(訳)「秋の夜(よ)は暁(あかとき)寒し」との仰せ、たしかに今朝の夜明けは秋風が冷たい。遠来の客、雁が来て鳴く時が近いせいであろうか。(同上)

(注)秋風は前の歌の秋風を受けている。

(注)とほつひと【遠つ人】分類枕詞:①遠方にいる人を待つ意から、「待つ」と同音の「松」および地名「松浦(まつら)」にかかる。②遠い北国から飛来する雁(かり)を擬人化して、「雁(かり)」にかかる。(学研)

(注)ここは都の消息を運ぶ鳥として用いた。(伊藤脚注)

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1350表)」で紹介している。

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小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)(裏)万葉歌碑(巻十九 四二五〇)■

 

小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)(裏)万葉歌碑(大伴家持

◆之奈謝可流 越尓五箇年 住ゝ而 立別麻久 惜初夜可毛

      (大伴家持 巻十九 四二五〇)

 

≪書き下し≫しなざかる越に五年住み住みて立ち別れまく惜しき宵かも

 

(訳)都を離れて山野層々たる越の国に、五年ものあいだ住み続けて、今宵かぎりに立ち別れゆかねばならぬと思うと、名残惜しい。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注) しなざかる 分類枕詞:地名「越(こし)(=北陸地方)」にかかる。語義・かかる理由未詳。(学研) 

枕詞「しなざかる」について、伊藤 博氏は、「万葉集 四(角川ソフィア文庫)」の脚注で「階段状に坂が重なって遠い意。家持の造語か。」と書いておられる。

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1350裏)」で紹介している。

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 源平ラインの万葉公園は、2020年11月に氷見・高岡万葉歌碑巡りに行ったときに訪れようと考えていたが、特定できずあきらめた経緯があった。2021年11月は事前に小矢部市観光協会に確認をいれ、さらにいろいろな資料を送っていただいたのである。この資料をもとに、ストリートビューで位置関係を入念に調べておいたのでスムーズに周れたのである。

 萬葉公園は源平ラインの連続ヘアピンカーブゾーンを抜けた石川県側にある。

 下記の写真は、「グーグルマップ・ストリートビュー」から引用作成したものである。

写真中央の白い「萬葉公園」の説明案内板、右手を上れば「倶利伽羅県定公園・萬葉公園口(源平ライン)万葉歌碑」がある。左手に「萬葉公園」の碑があり、そこを上れば公園に行きつくのである。


 ところどころに真新しい「熊出没注意」の黄色い看板が建てられている。あたりには人影がない。萬葉公園といった歴史的なゾーンを独占できるのは良いが、熊注意とは、緊張してしまう。あまりの静けさに物音がするとドキッとする。(今となっては「熊出没注意」の看板を撮影してこなかったのが悔やまれる)

 

頂上に漸く到着。四阿がある。向かって左に二基、右に三基の歌碑が建てられている。シーンと静まり返っている。時折雨が落ちて来る。何かピーンと張りつめた緊張感がただよう中での写真撮影である。

じっくりと万葉の世界に浸りたいのであるが、「熊出没注意」の看板のせいか、早く切り上げて退散しようという衝動に駆られる。

人里離れた山奥に立派な歌碑が立てられ、手入れも行き届いており、機会があればもう一度行ってみたいところである。

 



 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の旅 下 山陽・四国・九州・山陰・北陸」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「万葉歌碑めぐりマップ」 (高岡地区広域圏事務組合)

★「グーグルマップ・ストリートビュー