万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2192)―富山県(8)射水市―

射水市

射水市桜町 高周波文化ホール(新湊中央文化会館)前大石川沿い万葉歌碑(巻十七 四〇一八)■

射水市桜町 高周波文化ホール(新湊中央文化会館)前大石川沿い万葉歌碑(大伴家持) 20201106撮影

●歌をみていこう。

 

◆美奈刀可是 佐牟久布久良之 奈呉乃江尓 都麻欲妣可波之 多豆左波尓奈久 <一云 多豆佐和久奈里>

        (大伴家持 巻十七 四〇一八)

 

≪書き下し≫港風(みなとかぜ)寒く吹くらし奈呉の江に妻呼び交(かは)し鶴(たづ)多(さは)に鳴く <一には「鶴騒くなり」といふ>

 

(訳)川口の風が寒々と吹くらしい。奈呉の入江では、連れ合いを呼び合って、鶴がたくさん鳴いている。<鶴の鳴き立てる声がする>(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)みなとかぜ【港風】:河口または港のあたりに吹く風。(goo辞書)

 

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感想(1件)

歌碑は、新湊小学校のグランドと文化ホールの間の大石川沿い(小学校側)である。

 

 

射水市八幡町 放生津八幡宮万葉歌碑(巻十七 四〇一七)■

射水市八幡町 放生津八幡宮万葉歌碑(大伴家持) 20201106撮影

●歌をみていこう。

 

◆東風<越俗語東風謂之安由乃可是也> 伊多久布久良之 奈呉乃安麻能 都利須流乎夫祢 許藝可久流見由

         (大伴家持 巻十七 四〇一七)

 

≪書き下し≫あゆの風(かぜ)<越の俗の語には東風をあゆのかぜといふ> いたく吹くらし奈呉(なご)の海人(あま)の釣(つり)する小舟(おぶね)漕(こ)ぎ隠(かく)る見(み)ゆ

 

(訳)東風(あゆのかぜ)<越(こし)の土地言葉で、東風を「あゆの風」という>が激しく吹くらしい。奈呉の海人(あま)たちの釣する舟が、今まさに浦風(うらかぜ)に漕ぎ隠れて行く。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)あゆ【東風】名詞:東風(ひがしかぜ)。「あゆのかぜ」とも。 ※上代の北陸方言。(学研)

(注)奈呉:高岡市から射水市にかけての海岸。国府の東。(伊藤脚注)

 

 

射水市立町 大楽寺万葉歌碑(巻十七 四〇一七)■

射水市立町 大楽寺万葉歌碑(大伴家持) 20201106撮影

●この歌は、上述の射水市桜町 高周波文化ホール(新湊中央文化会館)前大石川沿い万葉歌碑と同じなので省略させていただきます。

 



 高周波文化ホール(新湊中央文化会館)前大石川沿い万葉歌碑の歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その860)」で、放生津八幡宮万葉歌碑のは、同「同(その861)」で、大楽寺については、同「同(その862)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

射水市港町 奈呉の浦大橋欄干万葉歌碑(巻十七 三九八七)■

射水市港町 奈呉の浦大橋欄干万葉歌碑(大伴家持) 20201106撮影

●歌をみていこう。

 

◆多麻久之氣 敷多我美也麻尓 鳴鳥能 許恵乃孤悲思吉 登岐波伎尓家里

        (大伴家持 巻十七 三九八七)

 

≪書き下し≫玉櫛笥(たまくしげ)二上山に鳴く鳥の声の恋(こひ)しき時は来にけり

 

(訳)玉櫛笥二上山に鳴く鳥の、その声の慕わしくならぬ季節、待ち望んだ時は、今ここにとうとうやって来た。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

この歌は、「二上山の賦」の短歌の一首である。

 

 

射水市港町 奈呉の浦大橋欄干万葉歌碑(巻十七 四〇〇一)■

射水市港町 奈呉の浦大橋欄干万葉歌碑(大伴家持) 20201106撮影

●歌をみていこう。

 

◆多知夜麻尓 布里於家流由伎乎 登己奈都尓 見礼等母安可受 加武賀良奈良之

        (大伴家持 巻十七 四〇〇一)

 

≪書き下し≫立山(たちやま)に降り置ける雪を常夏(とこなつ)に見れども飽かず神(かむ)からならし

 

(訳)立山に白々と降り置いている雪、この雪は夏の真っ盛りの今、見ても見ても見飽きることがない。神の品格のせいであるらしい。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)-から【柄】接尾語:名詞に付いて、そのものの本来持っている性質の意を表す。「国から」「山から」  ※参考後に「がら」とも。現在でも「家柄」「続柄(つづきがら)」「身柄」「時節柄」「場所柄」などと用いる。(学研)

 

 この歌は、「立山の賦」の短歌の一首である。

 

射水市港町 奈呉の浦大橋欄干万葉歌碑(巻十七 四〇一七)■

射水市港町 奈呉の浦大橋欄干万葉歌碑(大伴家持) 20201106撮影

●歌をみていこう。

 

◆東風<越俗語東風謂之安由乃可是也> 伊多久布久良之 奈呉乃安麻能 都利須流乎夫祢 許藝可久流見由

        (大伴家持 巻十七 四〇一七)

 

≪書き下し≫あゆの風(かぜ)<越の俗の語には東風をあゆのかぜといふ> いたく吹くらし奈呉(なご)の海人(あま)の釣(つり)する小舟(おぶね)漕(こ)ぎ隠(かく)る見(み)ゆ

 

(訳)東風(あゆのかぜ)<越(こし)の土地言葉で、東風を「あゆの風」という>が激しく吹くらしい。奈呉の海人(あま)たちの釣する舟が、今まさに浦風(うらかぜ)に漕ぎ隠れて行く。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

この歌は、家持が、天平二十年正月の二十九日に作った四首のうちの一首である。

 

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感想(1件)

三九八七歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その863)」で、四〇〇一歌については、同「同(その864)」で、四〇一七歌については、同「同(その865)」で紹介している。

➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

射水市港町 奈呉の浦大橋万葉歌碑(巻十九 四一五〇)■

射水市港町 奈呉の浦大橋万葉歌碑(大伴家持) 20201106撮影

●歌をみていこう。

 

◆朝床尓 聞者遥之 射水河 朝己藝思都追 唱船人

        (大伴家持 巻十九 四一五〇)

 

<書き下し>朝床(あさとこ)に聞けば遥けし射水川(いみずかは)朝漕(こ)ぎしつつ唄(うた)ふ舟人

 

(訳)朝床の中で耳を澄ますと遠く遥かに聞こえて来る。射水川、この川を朝漕ぎして泝(さかのぼ)りながら唱(うた)う舟人の声が。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その866)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 これまで見て来た奈呉の浦大橋欄干の歌碑をまとめると次のとおりである。



 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「goo辞書」

★「万葉の旅 下 山陽・四国・九州・山陰・北陸」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー

★「万葉歌碑めぐりマップ」 (高岡地区広域圏事務組合)