<高岡市4⃣>
■高岡市城光寺 旧二上山郷土資料館万葉歌碑(巻十七 三九八七)■
●歌をみていこう。
◆多麻久之氣 敷多我美也麻尓 鳴鳥能 許恵乃孤悲思吉 登岐波伎尓家里
(大伴家持 巻十七 三九八七)
≪書き下し≫玉櫛笥(たまくしげ)二上山に鳴く鳥の声の恋(こひ)しき時は来にけり
(訳)玉櫛笥二上山に鳴く鳥の、その声の慕わしくならぬ季節、待ち望んだ時は、今ここにとうとうやって来た。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)たまくしげ【玉櫛笥・玉匣】名詞:櫛(くし)などの化粧道具を入れる美しい箱。 ※「たま」は接頭語。歌語。
(注) たまくしげ【玉櫛笥・玉匣】分類枕詞:くしげを開けることから「あく」に、くしげにはふたがあることから「二(ふた)」「二上山」「二見」に、ふたをして覆うことから「覆ふ」に、身があることから、「三諸(みもろ)・(みむろ)」「三室戸(みむろと)」に、箱であることから「箱」などにかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
旧二上山郷土資料館は昭和44年(1969)に開館、平成25年(2013)に閉館となった。資料の一部を高岡市立博物館が、万葉集関係資料は高岡市万葉歴史館受け継いだのである。
その後この地がどうなったかを検索したが新しい情報は見つけることができなかった。
令和3年3月発行の「高岡地区広域圏 高岡・氷見・小矢部 万葉歌碑めぐりマップ」には、「旧二上山郷土資料館 高岡市伏木古国府・西海老坂」として掲載してある。
L_万葉歌碑めぐりマップ-オモテ_2021 (takaoka-kouiki.jp)
●この歌は、上述の旧二上山郷土資料館万葉歌碑と同じなので省略させていただきます。
旧二上山郷土資料館の歌と歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その848)」で、大伴家持像台座万葉歌碑については、同「同(その849)」で紹介している。
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■高岡市二上鳥越 旧二上まなび交流館万葉歌碑(巻十九 四一九二)■
●歌をみていこう。
題詞は、「詠霍公鳥并藤花一首幷短歌」<霍公鳥(ほととぎす)幷(あは)せて藤の花を詠(よ)む一首并せて短歌>である。
◆桃花 紅色尓 ゝ保比多流 面輪乃宇知尓 青柳乃 細眉根乎 咲麻我理 朝影見都追 ▼嬬良我 手尓取持有 真鏡 盖上山尓 許能久礼乃 繁谿邊乎 呼等余米 旦飛渡 暮月夜 可蘇氣伎野邊 遥ゝ尓 喧霍公鳥 立久久等 羽觸尓知良須 藤浪乃 花奈都可之美 引攀而 袖尓古伎礼都 染婆染等母
(大伴家持 巻十九 四一九二)
▼「『女+感」+嬬」=をとめ
≪書き下し≫桃の花 紅(くれなゐ)色(いろ)に にほひたる 面輪(おもわ)のうちに 青柳(あをやぎ)の 細き眉根(まよね)を 笑(ゑ)み曲(ま)がり 朝影見つつ 娘子(をとめ)らが 手に取り持てる まそ鏡 二上山(ふたがみやま)に 木(こ)の暗(くれ)の 茂き谷辺(たにへ)を 呼び響(とよ)め 朝飛び渡り 夕月夜(ゆふづくよ) かそけき野辺(のへ)に はろはろに 鳴くほととぎす 立ち潜(く)くと 羽触(はぶ)れに散らす 藤波(ふぢなみ)の 花なつかしみ 引き攀(よ)ぢて 袖(そで)に扱入(こき)れつ 染(し)まば染(し)むとも
(訳)桃の花、その紅色(くれないいろ)に輝いている面(おもて)の中で、ひときは目立つ青柳の葉のような細い眉、その眉がゆがむほどに笑みこぼれて、朝の姿を映して見ながら、娘子が手に掲げ持っている真澄みの鏡の蓋(ふた)ではないが、その二上山(ふたがみやま)に、木(こ)の下闇の茂る谷辺一帯を鳴きとよもして朝飛び渡り、夕月の光かすかな野辺に、はるばると鳴く時鳥、その時鳥が翔けくぐって、羽触(はぶ)れに散らす藤の花がいとおしくて、引き寄せて袖にしごき入れた。色が染みつくなら染みついてもかまわないと思って。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)「桃の花・・・まそ鏡」の箇所が序で、「二上山」を起こす。(伊藤脚注)
(注)ゑみまぐ【笑み曲ぐ】自動詞:うれしくて笑いがこぼれる。(口や眉(まゆ)が)曲がるほど相好(そうごう)を崩す。(学研)
(注)まそかがみ【真澄鏡】名詞:「ますかがみ」に同じ。 ※「まそみかがみ」の変化した語。上代語。 >ますかがみ【真澄鏡】名詞:よく澄んで、くもりのない鏡。
(注)まそかがみ【真澄鏡】分類枕詞:鏡の性質・使い方などから、「見る」「清し」「照る」「磨(と)ぐ」「掛く」「向かふ」「蓋(ふた)」「床(とこ)」「面影(おもかげ)」「影」などに、「見る」ことから「み」を含む地名「敏馬(みぬめ)」「南淵山(みなぶちやま)」にかかる。
(注)かそけし【幽けし】形容詞:かすかだ。ほのかだ。▽程度・状況を表す語であるが、美的なものについて用いる。(学研) ⇒家持のみが用いた語(伊藤脚注)
(注)はろばろなり【遥遥なり】形容動詞:遠く隔たっている。「はろはろなり」とも。 ※上代語。(学研) ⇒こちらは、家持が好んだ語(伊藤脚注)
(注)たちくく【立ち潜く】自動詞:(間を)くぐって行く。 ※「たち」は接頭語。(学研)
歌碑の側面には短歌四一九三が書かれている。
●短歌もみてみよう。
◆霍公鳥 鳴羽觸尓毛 落尓家利 盛過良志 藤奈美能花 <一云 落奴倍美 袖尓古伎納都 藤浪乃花也>
(大伴家持 巻十九 四一九三)
≪書き下し≫ほととぎす鳴く羽触れにも散りにけり盛り過ぐらし藤波の花 <一には「散りぬべみ袖に扱入れつ藤波の花」といふ>
(訳)時鳥が鳴き翔ける羽触れにさえ、ほろほろと散ってしまうよ。もう盛りは過ぎているらしい、藤波の花は。<今にも散りそうなので、袖にしごき入れた、藤の花を>(同上)
左注は、「同九日作之」<同じき九日に作る>である。
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四一九二、四一九三歌と歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その856)」
で紹介している。
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2020年3月に閉館が決まり、お訪れた時は、備品や機材等の整理等でバタバタされていた。そんな折に厚かましくも歌碑の見学をお願いしたところ、快く、庭まで案内していただき、歌碑群を見ることができたのである。
このような立派な歌碑や、庭のあちこちにある歌碑(プレート)はどうなるんだろうと思いながら、しっかり写真に収めさせていただいた。
現地に来てはじめて閉館を知り、半ば諦めかけていたのであったが、ありがたいことであった。
その後どうなったのか気になるので検索してみたが、情報は得られなかった。
「高岡地区広域圏 高岡・氷見・小矢部 万葉歌碑めぐりマップ」を見てみると、削除されていた。寂しい限りである。
■高岡市二上鳥越 旧二上まなび交流館万葉歌碑(巻四 七七三)■
●歌をみていこう。
◆事不問 木尚味狭藍 諸弟等之 練乃村戸二 所詐来
(大伴家持 巻四 七七三)
≪書き下し≫言(こと)」とはぬ木すらあぢさゐ諸弟(もろと)らが練(ね)りのむらとにあざむかえけり
(訳)口のきけない木にさえも、あじさいのように色の変わる信用のおけないやつがある。まして口八丁の諸弟らの練りに練った託宣(たくせん)の数々にのせられてしまったのはやむえないことだわい。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)あぢさゐ:あじさいのように色の変わる信用のおけないものがある。(伊藤脚注)
(注)諸弟:使者の名か。(伊藤脚注)
(注)練のむらと:練に練った荘重な言葉の意か。「むらと」は「群詞」か。(伊藤脚注)
■高岡市二上鳥越 旧二上まなび交流館万葉歌碑(巻十九 四一五九)■
●歌をみていこう。
◆礒上之 都萬麻乎見者 根乎延而 年深有之 神佐備尓家里
(大伴家持 巻十九 四一五九)
≪書き下し≫磯(いそ)の上(うへ)のつままを見れば根を延(は)へて年深くあらし神(かむ)さびにけり
(訳)海辺の岩の上に立つつままを見ると、根をがっちり張って、見るからに年を重ねている。何という神々しさであることか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)としふかし【年深し】( 形ク ):何年も経っている。年老いている。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)
(注)あらし 分類連語:あるらしい。あるにちがいない。 ※なりたち ラ変動詞「あり」の連体形+推量の助動詞「らし」からなる「あるらし」が変化した形。ラ変動詞「あり」が形容詞化した形とする説もある。(学研)
■高岡市二上鳥越 旧二上まなび交流館万葉歌碑(巻二 一六六)■
●歌をみていこう。
◆磯之於尓 生流馬酔木乎 手折目杼 令視倍吉君之 在常不言尓
(大伯皇女 巻二 一六六)
≪書き下し≫磯(いそ)の上(うえ)に生(お)ふる馬酔木(あしび)を手折(たを)らめど見(み)すべき君が在りと言はなくに
(訳)岩のあたりに生い茂る馬酔木の枝を手折(たお)りたいと思うけれども。これを見せることのできる君がこの世にいるとは、誰も言ってくれないではないか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
大津皇子が二上山(奈良・大阪)に移葬されたときに詠ったとされる歌であるので、二上山が縁で、ここ二上山まなび交流館に歌碑(プレート)が建てられたのだろう。
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●歌をみていこう。
◆物部乃 八十▼嬬等之 挹乱 寺井之於乃 堅香子之花
(大伴家持 巻十九 四一四三)
※▼は「女偏に感」⇒「▼嬬」で「をとめ」
≪書き下し≫もののふの八十(やそ)娘子(をとめ)らが汲(う)み乱(まが)ふ寺井(てらゐ)の上の堅香子(かたかご)の花
(訳)たくさんの娘子(おとめ)たちが、さざめき入り乱れて水を汲む寺井、その寺井のほとりに群がり咲く堅香子(かたかご)の花よ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)もののふの【武士の】分類枕詞:「もののふ」の「氏(うぢ)」の数が多いところから「八十(やそ)」「五十(い)」にかかり、それと同音を含む「矢」「岩(石)瀬」などにかかる。また、「氏(うぢ)」「宇治(うぢ)」にもかかる。(学研)
七七三歌と歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その850)」で、四一五九歌は、その851で、一六六歌は、その852で、四一四三歌は、その853で紹介している。
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■高岡市二上鳥越 旧二上まなび交流館万葉歌碑(巻十七 三九七〇)■
●歌をみていこう。
◆安之比奇能 夜麻佐久良婆奈 比等目太尓 伎美等之見氐婆 安礼古悲米夜母
(大伴家持 巻十七 三九七〇)
≪書き下し≫あしひきの山桜花(やまさくらばな)一目だに君とし見てば我(あ)れ恋ひめやも
(訳)山々に咲きにおう桜の花、その花をを一目だけでもあなたと一緒に見られたなら、私がこんなに恋い焦がれることなどありましょうか。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
天平十九年(747年)越中で初めて新春を迎えたが、家持は、2月下旬になって、病床に伏した。この時、悲しみにくれた長歌ならびに短歌を作って池主に贈っている。3月初めまでやり取りは続いたのであるが、家持にとって池主の歌の往来は、どれほど励みになったことであろうか。
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この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その854)」で紹介している。
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2月20日から3月5日にかけての家持と池主の歌の往来については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2074)」で紹介している。
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大伴池主の歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1798)」で紹介している。
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■高岡市二上鳥越 旧二上まなび交流館万葉歌碑(巻十八 四〇九一)■
●歌をみていこう。
◆宇能花能 登聞尓之奈氣婆 保等登藝須 伊夜米豆良之毛 名能里奈久奈倍
(大伴家持 巻十八 四〇九一)
≪書き下し≫卯(う)の花のともにし鳴けばほととぎすいやめづらしも名告(なの)り鳴くなへ
(訳)卯の花の連れ合いとばかり鳴くものだから、時鳥の、その鳴く声にはいよいよと心引かれるばかりだ。自分はホトトギスだとちゃんと名を名告って鳴くにつけても。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)とも【友】名詞:友人。仲間。(学研)
(注)なへ 接続助詞:《接続》活用語の連体形に付く。〔事柄の並行した存在・進行〕…するとともに。…するにつれて。…するちょうどそのとき。 ※上代語。中古にも和歌に用例があるが、上代語の名残である。(学研)
四〇八九から四〇九二歌までの歌群の題詞は、「獨居幄裏遥聞霍公鳥喧作歌一首幷短歌」<独り幄(とばり)の裏(うち)に居(を)り、遥(はる)かに霍公鳥(ほととぎす)の喧(な)くを聞きて作る歌一首幷(あは)せて短歌>である。
(注)幄(とばり)の裏(うち)に居(を)り:ここは部屋の中にいる、の意
(注)四〇八九歌の長歌は、四〇一一歌から、実に一年八か月ぶりの長歌である。
この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その855)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「高岡地区広域圏 高岡・氷見・小矢部 万葉歌碑めぐりマップ」 (高岡地区広域圏事務組合)