<高岡市5⃣>
■高岡市野村 いわせ野郵便局万葉歌碑(巻十九 四二四九)■
●歌をみてみよう。
◆伊波世野尓 秋芽子之努藝 馬並 始鷹獏太尓 不為哉将別
(大伴家持 巻十九 四二四九)≪
≪書き下し≫石瀬野(いはせの)に秋萩(あきはぎ)しのぎ馬並(な)めて初(はつ)鳥猟(とがり)だにせずや別れむ
(訳)石瀬野で、秋萩を踏みしだき、馬を勢揃いしてせめて初鳥猟だけでもと思っていたのに、それすらできずにお別れしなければならないのか。(同上)
(注)石瀬野:富山県高岡市庄川左岸の石瀬一帯か。(伊藤脚注)
(注)しのぐ【凌ぐ】他動詞①押さえつける。押しふせる。②押し分けて進む。のりこえて進む。③(堪え忍んで)努力する。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典) ここでは②の意
(注)とがり【鳥狩り】名詞:鷹(たか)を使って鳥を捕らえること。「とかり」とも。(学研)
四二四八、四二四九歌の題詞は、「以七月十七日遷任少納言 仍作悲別之歌贈貽朝集使掾久米朝臣廣縄之舘二首」<七月の十七日をもちて、少納言(せうなごん)に遷任(せんにん)す。よりて、悲別の歌を作り、朝集使掾(てうしふしじよう)久米朝臣廣縄(くめのあそみひろつな)が館(たち)に贈(おく)り貽(のこ)す二首>である。
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この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その857)」で紹介している。
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お別れの鷹狩もしないでと鷹狩に触れているが、なんと家持は、鷹を飼っていたのである。鄙での悶々とした思いを鷹狩で気分をはらしていたのがわかる石瀬野と鷹狩にちなんだ歌四一五四ならびに四一五五歌についても、(その857)で紹介している。
鷹を詠んだ歌は万葉集には六首収録されているが、すべて家持の作である。上述以外では四〇一一、四〇一二、四〇一三歌がそれである。大事にしていた鷹を逃がされ、心のなかでは怒りに燃えつつも体面を考え、さらに夢にまでみたところを歌にするなど家持らしさをにじませる力作である。四〇一一から四〇一三歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1867)」で紹介している。
➡ こちら1867
■高岡市下関町 JR高岡駅前広場「家持と乙女二人のブロンズ像」台座万葉歌碑(プレート)(巻十九 四一四三)■
●歌をみていこう。
◆物部乃 八十▼嬬等之 挹乱 寺井之於乃 堅香子之花
(大伴家持 巻十九 四一四三)
※▼は「女偏に感」⇒「▼嬬」で「をとめ」
≪書き下し≫もののふの八十(やそ)娘子(をとめ)らが汲(う)み乱(まが)ふ寺井(てらゐ)の上の堅香子(かたかご)の花
(訳)たくさんの娘子(おとめ)たちが、さざめき入り乱れて水を汲む寺井、その寺井のほとりに群がり咲く堅香子(かたかご)の花よ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)もののふの【武士の】分類枕詞:「もののふ」の「氏(うぢ)」の数が多いところから「八十(やそ)」「五十(い)」にかかり、それと同音を含む「矢」「岩(石)瀬」などにかかる。また、「氏(うぢ)」「宇治(うぢ)」にもかかる。(学研)
■高岡市和田上北島 荊波神社万葉歌碑(巻十八 四一三八)■
●歌をみていこう。
この歌は、巻十八の巻末歌である。
題詞は、「縁檢察墾田地事宿礪波郡主帳多治比部北里之家 于時忽起風雨不得辞去作歌一首」<墾田地(こんでんぢ)を検察する事によりて、礪波(となみ)の郡(こほり)主帳(しゆちやう)多治比部北里(たぢひべのきたさと)が家に宿る。時に、たちまちに風雨起(おこ)り、辞去すること得ずして作る歌一首>である
(注)こんでん【墾田】:律令制下、新たに開墾した田。朝廷が公民を使役して開墾した公墾田と、有力社寺や貴族・地方豪族が開墾した私墾田がある。はりた。(weblio辞書 デジタル大辞泉) ここでは庶民の開墾した土地。
(注)主帳:郡の四等官。公文に関する記録等をつかさどる。
◆夜夫奈美能 佐刀尓夜度可里 波流佐米尓 許母理都追牟等 伊母尓都宜都夜
(大伴家持 巻十八 四一三八)
≪書き下し≫薮波(やぶなみ)の里に宿(やど)借り春雨(はるさめ)に隠(こも)りつつむと妹(いも)に告(つ)げつや
(訳)薮波の里で宿を借りた上に、春雨に降りこめられていると、我がいとしき人に知らせてくれましたか。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)や 係助詞 《接続》種々の語に付く。活用語には連用形・連体形(上代には已然形にも)に付く。文末に用いられる場合は活用語の終止形・已然形に付く。:文末にある場合。
①〔疑問〕…か。②〔問いかけ〕…か。③〔反語〕…(だろう)か、いや、…ない。:。
(学研) ここでは②の意
左注は、「二月十八日守大伴宿祢家持作」<二月の十八日に、守大伴宿禰家持作る>である。
四一四三歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その858)」で、四一三八歌ならびに歌碑については、同「同(その859)」で紹介している。
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■高岡市太田 つまま公園万葉歌碑(巻十九 四一五九)■
●歌をみていこう。
◆礒上之 都萬麻乎見者 根乎延而 年深有之 神佐備尓家里
(大伴家持 巻十九 四一五九)
≪書き下し≫磯(いそ)の上(うへ)のつままを見れば根を延(は)へて年深くあらし神(かむ)さびにけり
(訳)海辺の岩の上に立つつままを見ると、根をがっちり張って、見るからに年を重ねている。何という神々しさであることか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)としふかし【年深し】( 形ク ):何年も経っている。年老いている。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)
(注)あらし 分類連語:あるらしい。あるにちがいない。 ※なりたち ラ変動詞「あり」の連体形+推量の助動詞「らし」からなる「あるらし」が変化した形。ラ変動詞「あり」が形容詞化した形とする説もある。(学研)
題詞は、「過澁谿埼見巌上樹歌一首 樹名都萬麻」<澁谿(しぶたに)の埼(さき)を過ぎて、巌(いはほ)の上(うへ)の樹(き)を見る歌一首 樹の名はつまま>である。
この四一五九歌から四一六五歌までの歌群の総題は、「季春三月九日擬出擧之政行於舊江村道上属目物花之詠并興中所作之歌」<季春三月の九日に、出擧(すいこ)の政(まつりごと)に擬(あた)りて、古江の村(ふるえのむら)に行く道の上にして、物花(ぶつくわ)を属目(しょくもく)する詠(うた)、并(あは)せて興(きよう)の中(うち)に作る歌>である。
上の写真の「歌碑の解説案内板」には、この歌碑は、安政五年(1858年)に太田村伊勢領の肝煎(きもいり)(村長)宗九郎(そうくろう)が建立したと書かれている。
年代物の歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2115)」で紹介している。
➡ こちら2115
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■高岡市太田 道の駅「雨晴」万葉歌碑(巻十七 三九五四)■
●歌をみていこう。
馬並氐 伊射宇知由可奈 思夫多尓能 伎欲吉伊蘇未尓 与須流奈弥見尓
(大伴家持 巻十七 三九五四)
≪書き下し≫馬並(な)めていざ打ち行かな渋谿(しぶたに)の清き礒廻(いそみ)に寄する波見(み)に
(訳)さあ、馬を勢揃いして鞭打ちながらでかけよう。渋谿の清らかな磯べにうち寄せる波を見に。(同上)
四一五九歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その867)」で、三九五四歌ならびに歌碑については、同「同(その868)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の旅 下 山陽・四国・九州・山陰・北陸」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「万葉歌碑めぐりマップ」 (高岡地区広域圏事務組合)