万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2193)―富山県(9)小矢部市<1>―

小矢部市1⃣>

富山県小矢部市 臼谷八幡宮万葉歌碑(巻十八 四一三八)■

富山県小矢部市 臼谷八幡宮万葉歌碑(大伴家持

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「縁檢察墾田地事宿礪波郡主帳多治比部北里之家 于時忽起風雨不得辞去作歌一首」<墾田地(こんでんぢ)を検察する事によりて、礪波(となみ)の郡(こほり)主帳(しゆちやう)多治比部北里(たぢひべのきたさと)が家に宿る。時に、たちまちに風雨起(おこ)り、辞去すること得ずして作る歌一首>である

(注)こんでん【墾田】:律令制下、新たに開墾した田。朝廷が公民を使役して開墾した公墾田と、有力社寺や貴族・地方豪族が開墾した私墾田がある。はりた。(weblio辞書 デジタル大辞泉) ここでは庶民の開墾した土地。

(注)主帳:郡の四等官。公文に関する記録等をつかさどる。(伊藤脚注)

 

◆夜夫奈美能 佐刀尓夜度可里 波流佐米尓 許母理都追牟等 伊母尓都宜都夜

      (大伴家持 巻十八 四一三八)

 

≪書き下し≫薮波(やぶなみ)の里に宿(やど)借り春雨(はるさめ)に隠(こも)りつつむと妹(いも)に告(つ)げつや

 

(訳)薮波の里で宿を借りた上に、春雨に降りこめられていると、我がいとしき人に知らせてくれましたか。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)薮波:当時の礪波郡の地名だが、所在未詳。(伊藤脚注)

(注)つつむ【包む】他動詞:①包む。②隠す。包み隠す。

つつむ 【恙む・障む】自動詞:障害にあう。差し障る。病気になる。

つつむ 【慎む】他動詞:気がねする。はばかる。遠慮する。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注の注)隠(こも)りつつむ:(雨ごもりして)宿にじっとしていること。(伊藤脚注)

(注)や 係助詞 《接続》種々の語に付く。活用語には連用形・連体形(上代には已然形にも)に付く。文末に用いられる場合は活用語の終止形・已然形に付く。:文末にある場合。

①〔疑問〕…か。②〔問いかけ〕…か。③〔反語〕…(だろう)か、いや、…ない。

(学研)ここでは②の意

(注)この歌の「妹」:家持の妻、坂上大嬢のことである。

 

左注は、「二月十八日守大伴宿祢家持作」<二月の十八日に、守大伴宿禰家持作る>である。

 

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感想(1件)

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1343)」で紹介している。

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富山県小矢部市蓮沼 砺波の関跡石碑(地蔵堂前)<新・旧碑>(巻十八 四〇八五)■

富山県小矢部市蓮沼 砺波の関跡石碑(地蔵堂前)<新碑>(大伴家持



富山県小矢部市蓮沼 砺波の関跡石碑(地蔵堂前)<旧碑>(大伴家持

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「天平感寶元年五月五日饗東大寺之占墾地使僧平榮等 于時守大伴宿祢家持送酒僧歌一首」<天平感宝(てんびやうかんぽう)元年の五月の五日に、東大寺の占墾地使(せんこんぢし)の僧平栄(びやうえい)等に饗(あへ)す。時に、守大伴宿禰家持、酒を僧に送る歌一首>である。

(注)天平感寶元年:749年

(注):寺院に認められた開墾地の所属を確認するための使者。(伊藤脚注)

 

◆夜伎多知乎 刀奈美能勢伎尓 安須欲里波 毛利敝夜里蘇倍 伎美乎等登米

      (大伴家持 巻十八 四〇八五)

 

≪書き下し≫焼大刀(やきたち)を礪波(となみ)の関に明日(あす)よりは守部(もりへ)遣(や)り添(そ)へ君を留(とど)めむ                    

 

(訳)焼いて鍛えた大刀(たち)、その大刀を磨(と)ぐという礪波(となみ)の関に、明日からは番人をもっとふやして、あなたをお引き留めしましょう。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)やきたちの【焼き太刀の】分類枕詞:①太刀を身につけるところから、近くに接する意の「辺(へ)付かふ」にかかる。②太刀が鋭い意から「利(と)」にかかる。(学研)ここでは②の意

(注)礪波の関:富山県小矢部おやべ市の砺波山に置かれた古代の関所。倶利伽羅くりから峠の東麓にあたり、加賀と越中を結ぶ旧北陸道の要地。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)もりべ【守部】名詞:番人。特に、山野・河川・陵墓などの番人。(学研)

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1344)」で紹介している。

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小矢部市蓮沼 倶利伽羅県定公園・万葉公園口(源平ライン)万葉歌碑(巻十八 四〇八五)■

小矢部市蓮沼 倶利伽羅県定公園・万葉公園口(源平ライン)万葉歌碑(大伴家持

●この歌は、上述の砺波の関跡石碑(地蔵堂前)<新・旧碑>と同じなので省略させていただきます。

 

 

 

 

 

小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)万葉歌碑表(右:巻十七 [三九九五]の一部、左:巻十九 四二一一の一部)■

小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)万葉歌碑表(右:大伴池主、左:大伴家持

 

 小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)には、歌碑が5基立てられており、表裏両面に次の歌が刻されている。

   

 

(注)[        ]は、「新編 国歌大観」の新番号のみを持つ歌である。

(注)歌の一部であるものも含む。

 

 

歌碑①表からみていこう。

【巻十七 [三九九五]】

 この歌は、家持が病に倒れ池主との間で二月二十日から三月五日にかけやり取りした歌や書簡のうちの、三月四日の池主の「七言、晩春三日遊覧一首 幷せて序」の八句の律詩の一部である。

家持は、越中に赴任して初めて迎えた新春の二月下旬に病に倒れたのである。二月の二十日の三九六二歌の題詞に、「たちまちに枉疾(わうしつ)に沈み、ほとほとに泉路(せんろ)に臨む・・・」とある。「枉疾」の「枉」には、道理をゆがめる等の意味があるから、思いもかけない煩わしい病にかかり、「泉路」(黄泉へのみち。死出の旅路。<goo辞書>)をさまようほどの不安感にさいなまれていたのである。

 万葉時代の、極寒の鄙ざかる越中で病に倒れた家持の心中がうかがい知れる。小生も単身赴任が長かったが、熱がありふらふらになると不安感におしつぶされそうになる。夜中の部屋の暗さは重みを感じる。水を飲みたいと思っても自分で台所まで這って行かなければならない。みじめにもなる。

家持はお付きの人がいたであろうが、それでも不安な気持ちはいたたまれなかったのであろう。

 家持は、病床にあり不安と悲しみのなか歌を作り池主に贈っている。その時の家持と池主のやりとりは次のよに三月五日まで及んでいる。

 

 

◆餘春媚日宜怜賞 上巳風光足覧遊

柳陌臨江縟袨服 桃源通海泛仙舟

雲罍酌桂三清湛 羽爵催人九曲流

縦酔陶心忘彼我 酩酊無處不淹留

 

≪律詩の書き下し≫余春の媚日(びじつ)は怜賞(れんしやう)するに宜(よ)く、上巳(じやうし)の風光は覧遊(らんいう)するに足(た)る。

柳陌(りうばく)は江(かは)に臨みて袨服(げんふく)を縟(まだらか)にし、桃源(たうげん)は海に通ひて仙舟(せんしう)を泛(うか)ぶ。

雲罍(うんらい)桂を酌(く)みて三清の湛(たた) 羽爵(うしやく)人を催(うなが)して九曲(きうきよく)の流。

縦酔(しょうすい)陶心(たうしん)彼我(ひが)を忘れ、酩酊(めいてい)し処として淹留(えんりう)せずといふことなし

 

(律詩の訳)

 

晩春のうららかなる日ざしは賞美するに甲斐(かい)あり、

上巳のさわやかなる風景は遊覧するに値する。

柳の路は江に沿うて人の晴れ着を色様々に染め、

桃咲く里は流れ海に通じて仙舟を浮かべる。

雲雷模様の酒壺に桂(かつら)の香を酌み入れて清酒(すみざけ)満々、

鳥型(とりがた)の盃は詩詠を促して曲がりくねる水面潺々(せんせん)。

欲しきままに酔い陶然(とうぜん)として彼我を忘れ、

酩酊して所かまわず坐(すわ)りこむばかり。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)よしゅん【余春】〘名〙:① 春の末。晩春。② 立夏が過ぎてもまだ春らしさが残っていること。また、その時季。旧暦の四月。《季・夏》(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)ここでは①の意

(注)媚日:なまめいた日ざし。(伊藤脚注)

(注)【柳陌】リュウハク:①柳のあるあぜみち。②いろざと。③花柳街。(広辞苑無料検索学研漢和大字典)

(注)げんぷく【袨服】:①黒色の衣。②はれぎ。盛装。(広辞苑無料検索 広辞苑)ここでは②の意

(注)桃源:桃の花咲く里を仙境に見立てた。(伊藤脚注)

(注)雲罍(うんらい)桂を酌(く)みて:入道雲の形を刻んだ酒壺は桂の香りを入れて。(伊藤脚注)

(注)さんせい【三清】〔名〕 清酒をいう。(weblio辞書 精選版 日本国語大辞典

(注)たたはしい【湛】〘形〙 (四段動詞「たたう(湛)」の形容詞化した語):① (満月のように)満ちているさまである。欠けたところのないさまである。② 大きくて威厳がある。いかめしく、立派である。厳格である。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)羽爵>うしょう【羽觴】に同じ:もと、雀すずめの形に作って頭部や翼などをつけた杯のこと。転じて、杯。酒杯。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

(注)きうきょく【九曲】〘名〙: 数多く曲がりくねること。また、その所。ななまがり。つづらおり。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)縦酔陶心彼我を忘れ:欲しいままに酔い、うっとりしてすべてを忘れ。(伊藤脚注)

(注)えんりう【淹留】[名]:長く同じ場所にとどまること。滞留。滞在。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

 

 萬葉公園口の歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1345)」で、萬葉公園のそれは、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1346表①)」で紹介している。

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【巻十九 四二一一】

 この歌と短歌(四二一二歌)の題詞は、「追同處女墓歌一首幷短歌」<処女墓(をとめはか)の歌に追同する一首併せて短歌。である。

(注)処女:ここでは葦屋の菟原娘子(うなひをとめ)のこと。(伊藤脚注)

(注)処女墓の歌:田辺福麻呂(一八〇一~一八〇三歌)、高橋虫麻呂(一八〇九~一八一一歌)などがある。

(注)追同:後から唱和する意。(伊藤脚注)

 

◆古尓 有家流和射乃 久須婆之伎 事跡言継 知努乎登古 宇奈比牡子乃 宇都勢美能 名乎競争登 玉剋 壽毛須底弖 相争尓 嬬問為家留 ▼嬬等之 聞者悲左 春花乃 尓太要盛而 秋葉之 尓保比尓照有 惜 身之壮尚 大夫之 語勞美 父母尓 啓別而 離家 海邊尓出立 朝暮尓 滿来潮之 八隔浪尓 靡珠藻乃 節間毛 惜命乎 露霜之 過麻之尓家礼 奥墓乎 此間定而 後代之 聞継人毛 伊也遠尓 思努比尓勢餘等 黄楊小櫛 之賀左志家良之 生而靡有

    (大伴家持 巻十九 四二一一)

▼は、{女偏に感} 「▼嬬」で「をとめ」と読む

 

 

 

 

≪書き下し≫いにしへに ありけるわざの くすばしき 事と言ひ継(つ)ぐ 茅渟壮士(ちぬをとこ) 菟原壮士(うなひをとこ)の うつせみの 名を争ふと たまきはる 命(いのち)も捨てて 争ひに 妻(つま)どひしける 娘子(をとめ)らが 聞けば悲しさ 春花(はるはな)の にほえ栄(さか)えて 秋の葉の にほひに照れる あたらしき 身の盛りすら ますらをの 言(こと)いたはしみ 父母(ちちはは)に 申(まを)し別れて 家(いへ)離(ざか)り 海辺(うみへ)に出で立ち 朝夕(あさよひ)に 満ち来る潮(しほ)の 八重波(やへなみ)に 靡(なび)く玉藻(たまも)の 節(ふし)の間(ま)も 惜(を)しき命(いのち)を 露霜(つゆしも)の 過ぎましにけれ 奥城(おくつき)を ここと定(さだ)めて 後(のち)の世の 聞き継ぐ人も いや遠(とほ)に 偲(しの)ひにせよと 黄楊(つげ)小櫛(をぐし) しか挿(さ)しけらし 生(お)ひて靡けり

 

(訳)遠き遥かなる世にあったという出来事で、世にも珍しい話と云い伝えている、茅渟壮士(ちぬおとこ)と菟原壮士(うないおとこ)とが、この世の名誉にかけても負けてなるかと、命がけで先を争って妻どいしたという、その娘子の話は聞くもあわれだ。春の花さながらに照り栄え、秋の葉さながらに光り輝いている、そんなもったいない女盛りの身なのに、二人の壮士の言い寄る言葉をつらいことと思い、父母に暇乞(いとまご)いをして家をあとに海辺に佇(たたず)み、朝に夕に満ちてくる潮の、幾重もの波に靡く玉藻、その玉藻の節(ふし)の間(ま)ほどのあいだも惜しい命なのに、冷たい露の消えるようにはかなくなってしまわれたとは。それでお墓をここと定めて、のちの世の聞き伝える人もいついつまでも偲(しの)ぶよすがにしてほしいと、娘子の黄楊(つげ)の小櫛(おぐし)をそんなふうに墓に挿したのであるらしい。それが生い茂ってそちらに靡いている。(同上)

(注)くすばし【奇ばし】[形]:珍しい。不思議である。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)名を争ふ:外者の茅渟壮士に娘子を取られまいとした菟原壮士が同郷の若者の名誉をかけて争ったことをいう。(伊藤脚注)

(注)にほえ:つやつやと色香に溢れて。 にほゆの連用形か。(伊藤脚注)

(注)あたらしき身の盛りすら:そんなもったいない女盛りの身なのに。「過ぎましにけれに続く。(伊藤脚注)

(注)言いたはしみ:言い寄る言葉に心を痛めて。(伊藤脚注)

(注)「朝夕(あさよひ)に 満ち来る潮(しほ)の 八重波(やへなみ)に 靡(なび)く玉藻(たまも)の」は序。「節の間」を起こす。娘子の入水をも暗示している。(伊藤脚注)

(注)ふしのま【節の間】分類連語:(竹・葦(あし)などの)節と節との間。きわめて短い時間。ごくわずかの間。(学研)

(注)つゆしもの【露霜の】分類枕詞:①露や霜が消えやすいところから、「消(け)」「過ぐ」にかかる。②露や霜が置く意から、「置く」や、それと同音を含む語にかかる。③露や霜が秋の代表的な景物であるところから、「秋」にかかる。(学研)

(注)おくつき【奥つ城】名詞:①墓。墓所。②神霊をまつってある所。 ※「つ」は「の」の意の上代の格助詞。「き」は構え作ってある所の意。(学研)

(注)黄楊小櫛:黄楊で作った櫛。女の大切な持ち物。ここは娘子の霊魂の象徴。(伊藤脚注)

 

左注は、「右五月六日依興大伴宿祢家持作之」<右は、五月六日に、興に依りて大伴宿禰家持作る>である。

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1346表②)」で紹介している。

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小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)万葉歌碑裏(右:巻十九 四一六九の一部、左:巻十九 四二〇七の一部)■

小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)万葉歌碑裏(右:大伴家持、左:大伴家持

●歌をみていこう。

 

【巻十九 四一六九の一部】

題詞は、「為家婦贈在京尊母所誂作歌一首 幷短歌」<家婦(かふ)の、京に在(いま)す尊母(そんぼ)に贈るために、誂(あとら)へられて作る歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

(注)かふ【家婦】〘名〙: 家の妻。また、自分の妻。家の中の仕事をする女の意でいう。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注の注)ここでは、前年の秋に下向した家持の妻、坂上大嬢のこと。

(注)そんぼ【尊母】:他人の母を敬っていう語。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注の注)ここでは、大伴坂上郎女をいう。

(注)あつらふ【誂ふ】他動詞:①頼む。②(物を作るように)注文する。あつらえる。(学研)

 

 越中の家持のところ都から来た妻の坂上大嬢にかわって、京にいる母(大嬢の母、大伴坂上郎女)に長歌と短歌を贈っている。ある意味美辞麗句も歌として詠み込まれていると気持ちを表したものと受けとめられるのであろう。当時の相聞歌のべたべた感が当たり前の時代であったことを考えるとさもありなんある。

 

◆霍公鳥 来喧五月尓 咲尓保布 花橘乃 香吉 於夜能御言 朝暮尓 不聞日麻祢久 安麻射可流 夷尓之居者 安之比奇乃 山乃多乎里尓 立雲乎 余曽能未見都追 嘆蘇良 夜須家奈久尓 念蘇良 苦伎毛能乎 奈呉乃海部之 潜取云 真珠乃 見我保之御面 多太向 将見時麻泥波 松栢乃 佐賀延伊麻佐祢 尊安我吉美 <御面謂之美於毛和>

     (大伴家持 巻二十 四一六九)

 

≪書き下し≫ほととぎす 来鳴く五月(さつき)に 咲きにほふ 花橘(はなたちばな)の かぐはしき 親の御言(みこと) 朝夕(あさよひ)に 聞かぬ日まねく 天離(あまざか)る 鄙(ひな)にし居(を)れば あしひきの 山のたをりに 立つ雲を よそのみ見つつ 嘆くそら 安けなくに 思ふそら 苦しきものを 奈呉(なご)の海人(あま)の 潜(かづ)き取るといふ 白玉(しらたま)の 見が欲(ほ)し御面(みおもわ) 直向(ただむか)ひ 見む時までは 松柏(まつかへ)の 栄(さか)えいまさね 貴(たひとき)き我(あ)が君 <御面、みおもわといふ>

 

(訳)時鳥が来て鳴く五月に咲き薫(かお)る花橘のように、かぐわしい母上様のお言葉、そのお声を朝に夕に聞かぬ日が積もるばかりで、都遠く離れたこんな鄙の地に住んでいるので、累々と重なる山の尾根に立つ雲、その雲を遠くから見やるばかりで、嘆く心は休まる暇もなく、思う心は苦しくてなりません。奈呉の海人(あま)がもぐって採るという真珠のように、見たい見たいと思う御面(みおも)、そのお顔を目(ま)の当たりに見るその時までは、どうか常盤(ときわ)の松や柏(かしわ)のように、お変わりなく元気でいらして下さい。尊い我が母君様。<御面は「みおもわ」と訓みます>

(注)「ほととぎす 来鳴く五月に 咲きにほふ 花橘の」は序。「かぐはしき」を起こす。

(注)かぐはし【香ぐはし・馨し】形容詞:①香り高い。かんばしい。②美しい。心がひかれる。(学研)

(注)みこと【御言・命】名詞:お言葉。仰せ。詔(みことのり)。▽神や天皇の言葉の尊敬語。 ※「み」は接頭語。上代語。(学研)

(注)やまのたをり【山のたをり】分類連語:山の尾根のくぼんだ所。(学研)

(注)よそ【余所】名詞:離れた所。別の所。(学研)

(注)そら【空】名詞:①大空。空。天空。②空模様。天気。③途上。方向。場所。④気持ち。心地。▽多く打消の語を伴い、不安・空虚な心の状態を表す。(学研) ここでは④の意

(注)やすげなし【安げ無し】形容詞:安心できない。落ち着かない。不安だ。(学研)

(注)「奈呉の海人の 潜き取るといふ 白玉の」は序。「見が欲し」を起こす。

(注)まつかへの【松柏の】[枕]:松・カシワが常緑で樹齢久しいところから、「栄ゆ」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)あがきみ【吾が君】名詞:あなた。あなたさま。▽相手を親しんで、また敬愛の気持ちをこめて呼びかける語。(学研)

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1346裏①)」で紹介している。

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【巻十九 四二〇七の一部】

題詞は、「廿二日贈判官久米朝臣廣縄霍公鳥怨恨歌一首幷短歌」<二十二日に、判官久米朝臣広縄に贈る霍公鳥を怨恨の歌一首幷(あは)せて短歌>である。

 

◆此間尓之氐 曽我比尓所見 和我勢故我 垣都能谿尓 安氣左礼婆 榛之狭枝尓 暮左礼婆 藤之繁美尓 遥ゝ尓 鳴霍公鳥 吾屋戸能 殖木橘 花尓知流 時乎麻太之美 伎奈加奈久 曽許波不怨 之可礼杼毛 谷可多頭伎氐 家居有 君之聞都ゝ 追氣奈久毛宇之

     (大伴家持 巻十九 四二〇七)

 

≪書き下し≫ここにして そがひに見ゆる 我が背子(せこ)が 垣内(かきつ)の谷に 明けされば 榛(はり)のさ枝(えだ)に 夕されば 藤(ふぢ)の茂(しげ)みに はろはろに 鳴くほととぎす 我がやとの 植木橘(うゑきたちばな) 花に散る 時をまだしみ 来鳴かなく そこは恨(うら)みず しかれども 谷片付(かたづ)きて 家(いへ)居(を)れる 君が聞きつつ 告(つ)げなくも憂(う)し

 

(訳)ここからはうしろの方に見える、あなたの屋敷内の谷間に、夜が明けてくると榛の木のさ枝で、夕暮れになると藤の花の茂みで、はるばると鳴く時鳥(ほととぎす)、その時鳥が、我が家の庭の植木の橘はまだ花が咲いて散る時にならないので、来て鳴いてはくれない、が、そのことは恨めしいとは思わない。しかしながら、その谷の傍らに家を構えてお住まいの君が、時鳥の声を聞いていながら、報せてもくれないのはひどいではないか。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ここ:家持の館をさす

(注)そがひ【背向】名詞:背後。後ろの方角。後方。(学研)

(注)かきつ【垣内】《「かきうち」の音変化か》:垣根に囲まれたうち。屋敷地の中。かいと。(weblio辞書 デジタル大辞泉) >>>「垣内の谷」広縄の館が、時鳥の鳴く谷に近かったので、このように言ったのである。(伊藤脚注)

(注)はろばろ【遥遥】[副]《古くは「はろはろ」》:「はるばる」に同じ。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(訳)かたつく【片付く】自動詞:一方に片寄って付く。一方に接する。(学研)

 

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感想(1件)

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1346裏②)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の旅 下 山陽・四国・九州・山陰・北陸」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「コトバンク 小学館デジタル大辞泉

★「goo辞書」

★「万葉歌碑めぐりマップ」 (高岡地区広域圏事務組合)

 

※20230614小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)の歌碑が5基の表裏の歌の表の「歌碑②裏」に四一八六歌を追記。