―その2085―
●歌は、「御園生の竹の林にうぐひすはしば鳴きにしを雪は降りつつ」である。
●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(91)である。
●歌をみていこう。
四二八五から四二八七歌の題詞は、「十一日大雪落積尺有二寸 因述拙懐歌三首」<十一日に、大雪落(ふ)り積(つ)みて、尺に二寸有り。 よりて拙懐(せつくわい)を述ぶる歌三首>である。
(注)拙懐:自分の思い。
◆御苑布能 竹林尓 鸎波 之波奈吉尓之乎 雪波布利都ゝ
(大伴家持 巻十九 四二八六)
≪書き下し≫御園生(みそのふ)の竹の林にうぐひすはしば鳴きにしを雪は降りつつ
(訳)御苑(ぎよえん)の竹の林で、鴬(うぐいす)はひっきりなしに鳴いていたのに、雪はなおも降り続いていて・・・(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)みそのふ【御園生】名詞:お庭。 ▽「園生(そのふ)」の尊敬語。 ※「み」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)しば【廔】副詞:しばしば。しきりに。 ⇒参考:主に「しば立つ」「しば鳴く」「しば見る」のように、動詞のすぐ上に付いてその動詞を修飾するので、形の上では接頭語に近い。(学研)
この歌ならびに他の二首については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その547)」で紹介している。
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鶯が鳴き、春だと思っているのに雪が・・・、といった歌、「うぐいす」と「雪」を詠った歌をみてみよう。
■一四四一歌■
題詞は、「大伴宿祢家持鸎歌一首」<大伴宿禰家持が鶯(うぐひす)の歌一首>
◆打霧之 雪者零乍 然為我二 吾宅乃苑尓 鸎鳴裳
(大伴家持 巻八 一四四一)
≪書き下し≫うち霧(き)らひ雪は降りつつしかすがに我家(わぎへ)の園(その)にうぐひす鳴くも
(訳)このごろ、空一面をかき曇らせて雪は降りつづいている、が、それでいて、我が家の園には鶯が鳴いている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
■一八三七歌■
◆山際尓 鸎喧而 打靡 春跡雖念 雪落布沼
(作者未詳 巻十 一八三七)
≪書き下し≫山の際(ま)にうぐひす鳴きてうち靡(なび)く春と思へど雪降りしきぬ
(訳)山あいで鶯が鳴いて、草木の靡く春だと思われるのに、雪はまだ降りしきっている。(同上)
(注)山の際:山あいで。(伊藤脚注)。
■一八四〇歌■
◆梅枝尓 鳴而移徙 鸎之 翼白妙尓 沫雪曽落
(作者未詳 巻十 一八四〇)
≪書き下し≫梅が枝(え)に鳴きて移ろふうぐひすの羽(はね)白妙(しろたへ)に沫雪(あわゆき)ぞ降る
(訳)梅の枝から枝へと鳴きながら飛び移っている鶯の、その羽も真っ白になるほど、泡雪が降っている。(同上)
(注)羽白妙に:羽が真っ白になるほど。(伊藤脚注)
(注)あわゆき【沫雪・泡雪】名詞:泡のように消えやすい、やわらかな雪。(学研)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1384)」で紹介している。
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■四二八七歌■
◆鸎能 鳴之可伎都尓 ゝ保敝理之 梅此雪尓 宇都呂布良牟可
(大伴家持 巻十九 四二八七)
≪書き下し≫うぐひすの鳴きし垣内(かきつ)ににほへりし梅この雪にうつろふらむか
(訳)鴬が鳴いて飛んだ御庭の内に美しく咲いていた梅、あの梅の花は、この降る雪に今頃散っていることであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)にほふ【匂ふ】自動詞:美しく咲いている。美しく映える。(学研)
(注)うつろふ【移ろふ】自動詞①移動する。移り住む。②(色が)あせる。さめる。なくなる。③色づく。紅葉する。④(葉・花などが)散る。⑤心変わりする。心移りする。⑥顔色が変わる。青ざめる。⑦変わってゆく。変わり果てる。衰える。 ※「移る」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」からなる「移らふ」が変化した語。(学研)ここでは④
―その2086―
歌は、「印南野の赤ら柏は時はあれど君を我が思ふ時はさねなし」である。
歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(92)である。
歌をみていこう。
◆伊奈美野之 安可良我之波ゝ 等伎波安礼騰 伎美乎安我毛布 登伎波佐祢奈之
(安宿王 巻二十 四三〇一)
≪書き下し≫印南野(いなみの)の赤ら柏(がしは)は時はあれど君を我(あ)が思(も)ふ時はさねなし
(訳)印南野の赤ら柏は、赤らむ季節が定まっておりますが、大君を思う私の気持ちには、いついつと定まった時など、まったくありません。(同上)
(注)印南野 分類地名:歌枕(うたまくら)。今の兵庫県加古川市から明石市付近。「否(いな)」と掛け詞(ことば)にしたり、「否」を引き出すため、序詞(じよことば)的な使い方をすることもある。稲日野(いなびの)。(学研)
(注)あからがしは【赤ら柏】①葉が赤みを帯びた柏。供物を盛る具。②《供物を①に盛るところから》京都の北野天満宮の11月1日の祭り。6月には青柏祭がある。(コトバンク デジタル大辞泉)
(注)時はあれど:紅葉するのに定まった季節というものがあるけれどの意か。(伊藤脚注)。
(注)さね 副詞:①〔下に打消の語を伴って〕決して。②間違いなく。必ず。(学研)
この歌については、安宿王の万葉集のもう一首の歌とともに、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1120)」で紹介している。
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―その2087―
●歌は、「我が背子がやどの山吹咲きてあらばやまず通はむいや年のはに」である。
●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(93)である。
●歌をみていこう。
◆和我勢故我 夜度乃也麻夫伎 佐吉弖安良婆 也麻受可欲波牟 伊夜登之能波尓
(大伴家持 巻二十 四三〇三)
≪書き下し≫我が背子(せこ)がやどの山吹咲きてあらばやまず通(かよ)はむいや年のはに
(訳)あなたのお庭の山吹、その花がいつもこんなにも美しく咲いているなら、これから先もしょっちゅうここをお訪ねしましょう。来る年も来る年も。(同上)
(注)としのは【年の端】分類連語:毎年。(学研)
この歌については、山吹の歌全十七首とともに拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1317)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」