万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2258)―

●歌は、「うち霧らし雪は降りつつしかすがに我家の園にうぐいす鳴くも」である。

石川県羽咋郡宝達志水町下石万葉歌碑(大伴家持) 20230704撮影

●歌碑は、石川県羽咋郡宝達志水町下石にある。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「大伴宿祢家持鸎歌一首」<大伴宿禰家持が鶯(うぐひす)の歌一首>

(注)家持の最も早い作の一つ。天平四年(732年)頃か。(伊藤脚注)

(注の注)天平四年とすると、家持十五歳の時の作品である。

 

 

◆打霧之 雪者零乍 然為我二 吾宅乃苑尓 鸎鳴裳

       (大伴家持 巻八 一四四一)

 

≪書き下し≫うち霧(き)らひ雪は降りつつしかすがに我家(わぎへ)の園(その)にうぐひす鳴くも

 

(訳)このごろ、空一面をかき曇らせて雪は降りつづいている、が、それでいて、我が家の園には鶯が鳴いている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)うちきらす【打ち霧らす】他動詞:(雪・雨・霧などが)空一面を曇らせる。 ※「うち」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注の注)きらす【霧らす】他動詞:(辺り一面を)霧や雪などが曇らせる。(学研)

(注)しかすがに【然すがに】副詞:そうはいうものの。そうではあるが、しかしながら。※上代語。 ⇒参考:副詞「しか」、動詞「す」の終止形、接続助詞「がに」が連なって一語化したもの。中古以降はもっぱら歌語となり、三河の国(愛知県東部)の歌枕(うたまくら)「志賀須賀(しかすが)の渡り」と掛けて用いることも多い。一般には「しか」が「さ」に代わった「さすがに」が多く用いられるようになる。(学研)

 

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感想(0件)

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2085)」で鶯が鳴き、春だと思っているのに雪が・・・、といった思いの「うぐいすと雪」を詠った歌とともに紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 「・・・うぐひす鳴くも」のフレーズで頭に浮かぶのは、「春愁三首」とか「春愁絶唱三首」と呼ばれる四二九〇~四二九二歌の四二九〇歌である。

 

 四二九〇歌をみてみよう。

 

◆春野尓 霞多奈▼伎 宇良悲 許能暮影尓 鸎奈久母

           (大伴家持 巻十九 四二九〇)

▼は「田+比」➡「多奈▼伎」=たなびき

 

≪書き下し≫春の野に霞(かすみ)たなびきうら悲(がな)しこの夕影(ゆふかげ)にうぐひす鳴くも

 

(訳)春の野に霞がたなびいて、何となしに物悲しい、この夕暮れのほのかな光の中で、鴬が鳴いている。(同上)

(注)春たけなわの夕暮れ時につのるうら悲しさが主題。

(注)うらがなし【うら悲し】形容詞:何とはなしに悲しい。もの悲しい。 ※「うら」:心の意。(学研)

(注)ゆふかげ【夕影】名詞:①夕暮れどきの光。夕日の光。 [反対語] 朝影(あさかげ)。②夕暮れどきの光を受けた姿・形。(学研)ここでは①の意

 

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感想(1件)

 「春愁絶唱三首」については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その551)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 家持の「うぐひす鳴くも」は、一四四一歌では、「うち霧らひ雪は降りつつ」と鶯が鳴く状況ではないにもかかわらず、鶯が鳴いている、と詠っている。

 また四二九〇歌では、「うら悲しこの夕影に」と家持自身の気持では鶯に鳴いてほしくないにもかからわず、「うぐひす鳴くも」と詠っている。

 鶯がどちらかといえば否定される状況とは逆に「うぐひす鳴くも」とそこには季節性や心理状態における段差(ベクトル 方向性+大きさ)が見られるのである。

 他の歌では、次にみるように当然鳴いてしかるべき状況で「うぐひす鳴くも」と詠われているのである。 ここでは、書き下しと訳を列挙させていただきました。

 

 

 

<八二四歌>

≪書き下し≫梅の花散らまく惜しみ我が園の竹の林にうぐひす鳴くも [少監(せうげん)阿氏奥嶋(あじのおきしま)]

 

(訳)梅の花の散るのを惜しんで、この我らが園の竹の林で、鴬(うぐいす)がしきりに鳴いている。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

<八三八歌>

≪書き下し≫梅の花散り乱(まが)ひたる岡(をか)びにはうぐひす鳴くも春かたまけて  [大隅目(おほすみのさくわん)榎氏鉢麻呂(かじのはちまろ)]

 

(訳)春の花の入り乱れて散る岡辺には鴬がしきりに鳴いている。今はすっかり春の季節を迎えて。(同上)

 

<八四二歌>

≪書き下し≫我がやどの梅の下枝(しづえ)に遊びつつうぐひす鳴くも散らまく惜しみ  [薩摩目]さつまのさくわん)高氏海人(かうじのあま)]

 

(訳)この我らが庭の梅の下枝を飛び交いながら、鴬が鳴き立てている。花の散るのをいとおしんで。(同上)

 

 

<一八二一歌>

≪書き下し≫春霞(はるかすみ)流るるなへに青柳(あをやぎ)の枝(えだ)くひ持ちてうぐひす鳴くも(作者未詳)

 

(訳)春霞が流れたなびく折しも、青柳(あおやぎ)の枝を口にくわえ持って。鶯が鳴いている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

 

<一八二四歌>

≪書き下し≫冬こもり春さり来(く)ればあしひきの山にも野にもうぐひす鳴くも(作者未詳)

 

(訳)冬も去って春がやって来たので、あしひきの山にも野にも、鶯がさえずっている。(同上)

 

 

<一八二五歌>

≪書き下し≫紫草(むらさき)の根延(ねば)ふ横野(よこの)春野(はるの)には君を懸(か)けつつうぐひす鳴くも(作者未詳)

 

(訳)紫草(むらさきぐさ)の根を張る横野のその春の野には、あなたを心にかけるようにして、鴬が鳴いている。(同上)

 

 

<一八三〇歌>

≪書き下し≫うち靡(なび)く春さり来(く)れば小竹(しの)の末(うれ)に尾羽(をは)打ち触(ふ)れてうぐひす鳴くも(作者未詳)

 

(訳)草木の靡く春がやって来たので、篠(しの)の梢に尾羽(おばね)を打ち触れて、鶯がしきりにさえずっている。(同上)

 

 

<一八八八歌>

≪書き下し≫白雪の常(つね)敷(し)く冬は過ぎにけらしも 春霞(はるかすみ)たなびく野辺(のへ)のうぐひす鳴くも(作者未詳)

 

(訳)白雪がいつも降り積もっていた冬は、もう過ぎ去ったらしい。春霞のたなびく野辺の鶯が鳴きしきっている。(同上)

 

 

<三二二一歌>

≪書き下し≫冬こもり 春さり来(く)れば 朝(あした)には 白露(しらつゆ)置き 夕(ゆうへ)には 霞(かすみ)たなびく 風の吹く 木末(こぬれ)が下(した)に うぐひす鳴くも(作者未詳)

 

(訳)冬木も茂る春がやってくると、朝方には白露が置き、夕方には霞がたなびく。そして、風の吹く山の梢(こずえ)の下では、鴬(うぐいす)がしきりに鳴き立てている。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 

 「うぐひす鳴くも」を基準としたベクトルの差が家持の歌の深みにつながっているように思えるのである。

 

 

 

■石川県羽咋郡宝達志水町下石21「歌碑」→同町下石7「下石の歌碑」

 グーグルマップで「下石の歌碑」として確認ができる。能登乙美の四〇六九歌碑から北東方向、少し坂を上ったところに「下石の歌碑」群が見える。

 車でも行ける。

ここには、地元の有志の立てたと思われる歌碑が五基、道の傍らに並んでいる。(歌の横に住所や個人名が刻されているので地元の有志と想像される)

 特に、歌碑に関する説明案内板はなかった。


                           

グーグルマップより引用させていただきました。

 

 下石の歌碑を撮影していても車1台通らない。テレビではないが、「村人発見 !」もなかった。独占状態である。

 万葉の世界に誘われる特権みたいな感じである。

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「グーグルマップ」