万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1327,1328)―島根県益田市 県立万葉植物園(P38、39)―万葉集 巻十一 二四六九、巻十六 三八五五

―その1327―

●歌は、「山ぢさの白露重みうらぶれて心も深く我が恋やまず」である。

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島根県益田市 県立万葉植物園(P38)万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂歌集)

●歌碑(プレート)は、島根県益田市 県立万葉植物園(P38)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆山萵苣 白露重 浦經 心深 吾戀不止

      (柿本人麻呂歌集 巻十一 二四六九)

 

≪書き下し≫山ぢさの白露(しらつゆ)重(おも)みうらぶれて心も深く我(あ)が恋やまず

 

(訳)山ぢさが白露の重さでうなだれているように、すっかりしょげてしまって、心の底も深々と、私の恋は止むこともない。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は序。「うらぶれて」をおこす。

(注)うらぶる:自動詞:わびしく思う。悲しみに沈む。しょんぼりする。 ※「うら」は心の意。(学研)

 

 

「ちさ」「やまちさ」はエゴノキのことで、「ちさ」は家持の歌が一首、「やまちさ」は二四六九歌ともう一首が収録されている。

 この三首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1081)」で紹介している。

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 ちさ エゴノキ  「みんなの趣味の園芸」 NHK出版HPより引用させていただきました。

 二四六九歌では、白露が詠われている。

秋の心地良く張りつめた冷気のなか、山ぢさの花に置いて白く光っている白露、白露に映る超極小の球体映像、すべてがはかない白露のその重みにうなだれているように見える山ぢさの花、一瞬を切り取った「山ぢさの白露(しらつゆ)重(おも)みうらぶれて」の情景はくっきりと目に浮かぶ。

 白露という透明感があふれ、すぐに消えゆくはかなさ。

 白露は俳句などでも「秋の季語」で季節的には秋の萩や尾花とともに詠われている歌が多いが、冬から春への季変わりの時期の歌もある。

 白露を詠った歌をいくつかみてみよう。

 

大伴家持は三首詠っている。

 

題詞は、「大伴家持白露歌一首」<大伴家持が白露(はくろ)の歌一首>である。

 

◆吾屋戸乃 草花上之 白露乎 不令消而玉尓 貫物尓毛我

      (大伴家持 巻八 一五七二)

 

≪書き下し≫我がやどの尾花(をばな)が上の白露(しらつゆ)を消(け)たずて玉に貫(ぬ)くものにもが

 

(訳)我が家の庭の尾花の上の白露、この見事な白露を、消さずに玉として糸に通せたらよいのに。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)けつ【消つ】他動詞:①消す。②取り除く。隠す。③圧倒する。無視する。ないものにする。(学研)

(注)もが 終助詞:《接続》体言、形容詞・助動詞の連用形、副詞、助詞などに付く。〔願望〕…があったらなあ。…があればなあ。 ⇒参考 上代語。上代には、多く「もがも」の形で用いられ、中古以降は「もがな」の形で用いられた。(学研)

 

 はかないのは分かりつつも、白露のあまりの見事さを詠んだもので、糸に貫ければプレゼントにできるのになあと考えたのであろう。

 

 

◆棹壮鹿之 朝立野邊乃 秋芽子尓 玉跡見左右 置有白露

         (大伴家持 巻八 一五九八)

 

≪書き下し≫さを鹿(しか)の朝立つ野辺(のへ)の秋萩に玉と見るまで置ける白露

 

(訳)雄鹿が朝佇(たたず)んでいる野辺の秋萩に、玉と見まごうばかりに置いている白露よ、ああ。(同上)

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(1203)」で紹介している。

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◆秋草尓 於久之良都由能 安可受能未 安比見流毛乃乎 月乎之麻多牟

      (大伴家持 巻二十 四三一二)

 

≪書き下し≫秋草(あきくさ)に置く白露(しらつゆ)の飽(あ)かずのみ相見(あひみ)るものを月をし待たむ

 

(訳)秋草に置く白露の美しく飽かず見られるように、今宵(こよい)だけは心おきなくお逢いできる夜だというのに、私は、いたずらに月ばかりを待たねばならぬというのか。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は序。「飽かず」を起こす。(伊藤脚注)

(注)月をし待たむ:月のみ待って相手を待ちえぬ嘆き。(伊藤脚注)

 

 この歌は、題詞「七夕(しちせき)の歌八首」のうちの一首である。

 

 

次に、湯原王の二首をみてみよう。

 

題詞は、「湯原王蟋蟀歌一首」<湯原王(ゆはらのおほきみ)が蟋蟀(こほろぎ)の歌一首>である、

 

◆暮月夜 心毛思努尓 白露乃 置此庭尓 蟋蟀鳴毛

      (湯原王 巻八 一五五二)

 

≪書き下し≫夕月夜(ゆふづくよ)心もしのに白露の置くこの庭にこほろぎ鳴くも

 

(訳)月の出ている夕暮れ、心がしおれてしまうばかりに、白露の置いているこの庭でこおろぎが鳴いている。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ゆふづくよ【夕月夜】名詞:①夕方に空に出ている月。夕月。②月が出ている日暮れ方。夕月がかかっている夜。 ※「ゆふづきよ」とも。(学研)ここでは②の意

(注)しのに 副詞:①しっとりとなびいて。しおれて。②しんみりと。しみじみと。③しげく。しきりに。(学研)ここでは①の意

 

 

題詞は、「湯原王贈娘子歌一首」<湯原王、娘子(をとめ)に贈る歌一首>である。

 

◆玉尓貫 不令消賜良牟 秋芽子乃 宇礼和ゝ良葉尓 置有白露

      (湯原王 巻八 一六一八)

 

≪書き下し≫玉(たま)に貫(ぬ)き消(け)たず賜(たば)らむ秋萩の末(うれ)わくらばに置ける白露

 

(訳)玉として糸に貫き、消さないままで頂きたいものです。秋萩の枝先にとりわけ見事に置いている白露を。(同上)

(注)「消た」は「消つ」の未然形。

(注)わくらば【病葉】名詞:病害や虫害などで変色した葉。特に、夏の青葉にまじる赤や黄色に変色した葉をいう。[季語] 夏。(学研)

(注の注)原文は「和ゝ良葉尓」だが「和久良葉尓」の誤りと見る。特に際立って。(伊藤脚注)

 

 

次は、笠女郎の歌である。

 

 ◆吾屋戸之 暮陰草乃 白露之 消蟹本名 所念鴨

       (笠女郎 巻四 五九四)

 

≪書き下し≫我がやどの夕蔭草(ゆふかげくさ)の白露の消(け)ぬがにもとな思ほゆるかも

 

(訳)わが家の庭の夕蔭草に置く白露のように、今にも消え入るばかりに、むしょうにあの方のことが思われる。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上三句は序。「消ぬがに」を起こす。作者の人恋う姿を連想させる。

(注)夕蔭草:夕日に照り映える草。

(注)ぬがに 分類連語:今にも…てしまいそうに。今にも…てしまうほどに。 ※上代語。⇒なりたち 完了の助動詞「ぬ」の終止形+接続助詞「がに」(学研)

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1094)」で紹介している。

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 次は、弓削皇子の歌である。

 

◆秋芽子之 上尓置有 白露乃 消可毛思奈萬思 戀管不有者

      (弓削皇子 巻八 一六〇八)

 

≪書き下し≫秋萩(あきはぎ)の上に置きたる白露(しらつゆ)の消(け)かもしなまし恋ひつつあらずは

 

(訳)秋萩の上に置いている白露、そのはかない露のように、消え果ててしまった方がまだましではないか。こうして焦がれつづけてなどおらずに。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上三句は序。「消」を起こす。(伊藤脚注)

(注)消かもしなまし:消えてしまう方がむしろましではないか。カモは疑問、「し」はサ変「す」の連用形。(伊藤脚注)

(注)なまし 分類連語:①〔上に仮定条件を伴って〕…てしまっただろう(に)。きっと…てしまうだろう(に)。▽事実と反する事を仮想する。②〔上に疑問語を伴って〕(いっそのこと)…たものだろうか。…してしまおうか。▽ためらいの気持ちを表す。③〔終助詞「ものを」を伴って〕…してしまえばよかった(のに)。▽実現が不可能なことを希望する意を表す。 ⇒注意 助動詞「まし」の意味(反実仮想・ためらい・悔恨や希望)に応じて「なまし」にもそれぞれの意味がある。 ⇒なりたち 完了(確述)の助動詞「ぬ」の未然形+反実仮想の助動詞「まし」(学研)ここでは②の意

 

 

◆暮立之 雨落毎<一云 打零者> 春日野之 尾花之上乃 白霧所念

       (作者未詳 巻十 二一六九)

 

≪書き下し≫夕立(ゆふだち)の雨降るごとに <一には「うち降れば」といふ>春日野(かすがの)の尾花(をばな)が上(うへ)の白露思ほゆ

 

(訳)夕立の雨が降るたびに<さっと降ると>、春日野の尾花の上に輝く白露が思われてならない。

 

 

白露 与秋芽子者 戀乱 別事難 吾情可聞

      (作者未詳 巻十 二一七一)

 

≪書き下し≫白露と秋萩とには恋ひ乱れ別(わ)くことかたき我(あ)が心かも

 

(訳)白露と秋萩とは、どちらも心がひかれてしまって、そのどちらがよいなどと、私にはとても区別しかねる。(同上)

 

 

 「白露」を詠った作者未詳歌で巻十三の巻頭歌がある。巻十三は、万葉集では唯一長歌を集めている。

 

◆冬木成 春去来者 朝尓波 白露置 夕尓波 霞多奈妣久 汗瑞能振 樹奴礼我之多尓 鴬鳴母

      (作者未詳 巻十三 三二二一)

 

≪書き下し≫冬こもり 春さり来(く)れば 朝(あした)には 白露(しらつゆ)置き 夕(ゆうへ)には 霞(かすみ)たなびく 風の吹く 木末(こぬれ)が下(した)に うぐひす鳴くも

 

(訳)冬木も茂る春がやってくると、朝方には白露が置き、夕方には霞がたなびく。そして、風の吹く山の梢(こずえ)の下では、鴬(うぐいす)がしきりに鳴き立てている。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ふゆごもり【冬籠り】分類枕詞:「春」「張る」にかかる。かかる理由は未詳。 ※古くは「ふゆこもり」。(学研)

 

 白露の美しさを玉に譬え、すぐ消えることからはかなさを感じ、秋の萩と尾花と共に詠い、

はかないが故に萩や尾花に(そっと)置くと詠う、センシティブな歌が多い。であるが故に、悩む歌も多く、万葉びとの鋭い観察力と繊細な心根が感じられるのである。

 

 

 

―その1328

●歌は、「ざう莢に延ひおほとれる屎葛絶ゆることなく宮仕へせむ」である。

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島根県益田市 県立万葉植物園(P39)万葉歌碑<プレート>(高宮王)

●歌碑(プレート)は、島根県益田市 県立万葉植物園(P39)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「高宮王詠數首物歌二首」<高宮王(たかみやのおほきみ)、数種の物を詠む歌二首>である。

 

◆    ▼莢尓 延於保登礼流 屎葛 絶事無 宮将為

       (高宮王 巻十六 三八五五)

   ▼は「草かんむりに『皂』である。「▼+莢」で「ざうけふ」と読む。

 

≪書き下し≫ざう莢(けふ)に延(は)ひおほとれる屎葛(くそかづら)絶ゆることなく宮仕(みやつか)へせむ

 

(訳)さいかちの木にいたずらに延いまつわるへくそかずら、そのかずらさながらの、こんなつまらぬ身ながらも、絶えることなくいついつまでも宮仕えしたいもの。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)おほとる 自動詞:乱れ広がる。(学研)

(注)上三句は序。「絶ゆることなく」を起こす。自らを「へくそかずら」に喩えている。

(注)ざう莢(けふ)>さいかち【皂莢】:マメ科の落葉高木。山野や河原に自生。幹や枝に小枝の変形したとげがある。葉は長楕円形の小葉からなる羽状複葉。夏に淡黄緑色の小花を穂状につけ、ややねじれた豆果を結ぶ。栽培され、豆果を石鹸(せっけん)の代用に、若葉を食用に、とげ・さやは漢方薬にする。名は古名の西海子(さいかいし)からという。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)へくそかづら〕【屁糞葛】:アカネ科の蔓性(つるせい)の多年草。草やぶに生え、全体に悪臭がある。葉は卵形で先がとがり、対生。夏、筒状で先が5裂した花をつけ、灰白色で内側が赤紫色をしている。実は丸く、黄褐色。やいとばな。さおとめばな。くそかずら。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 この歌ならびにもう一首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1100)で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「みんなの趣味の園芸」 (NHK出版HP)