万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1949)―兵庫県南あわじ市岩屋 慶野松原―万葉集 巻三 二五六

●歌は、「笥飯の海の庭よくあらし刈菰の乱れて出づ見ゆ海人の釣船」である。

兵庫県南あわじ市岩屋 慶野松原万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌碑は、兵庫県南あわじ市岩屋 慶野松原にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆飼飯海乃 庭好有之 苅薦乃 乱出所見 海人釣船

    一本云 武庫乃海能 尓波好有之 伊射里為流 海部乃釣船 浪上従所見

      (柿本人麻呂 巻三 二五六)

 

≪書き下し≫笥飯(けひ)の海(うみ)の庭(には)よくあらし刈薦(かりこも)の乱れて出(い)づ見ゆ海人(あま)の釣船(つりぶね)

     一本には「武庫(むこ)の海船庭(ふなには)ならし漁(いざ)りする海人の釣船波の上(うへ)ゆ見ゆ」といふ

 

(訳)笥飯(けい)の海の漁場は風もなく潮の具合もよいらしい。刈薦のように入り乱れて漕ぎ出ているのが見える。たくさんの漁師の釣船が。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(一本の訳)武庫の海、この海は漁場であるらしい。漁をする海人の釣船が波の上に群れているのが見える。

(注)笥飯(けひ)の海:淡路島西岸一帯の海(伊藤脚注)

(注)海の庭:仕事場。ここは漁をする海。(伊藤脚注)

(注の注)には【庭】名詞:①家屋の前後などにある平地。のち、邸内の、草木を植え、池・島などを設けた場所。②神事・農事・狩猟・戦争・教育など、物事が行われる場所。③海面。④家の中の土間。(学研)ここでは③の意

(注)あらし 分類連語:あるらしい。あるにちがいない。 ⇒なりたち:ラ変動詞「あり」の連体形+推量の助動詞「らし」からなる「あるらし」が変化した形。ラ変動詞「あり」が形容詞化した形とする説もある。(学研)

(注)かりこもの【刈り菰の・刈り薦の】分類枕詞:刈り取った真菰(まこも)が乱れやすいことから「乱る」にかかる。(学研)

(注)船庭:海の漁場。(伊藤脚注)

 

 

 この歌については、ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その561)」で紹介している。

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歌碑背面

 この歌碑がある慶野松原(けいのまつばら)について、「コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」もよると次のように書かれている。

兵庫県南部、南あわじ市松帆(まつほ)慶野にあり、淡路島西岸の砂丘に連なる広大な松原をいう。国の名勝。古代は笥飯野(けひの)と書き、中世以後慶野を用いる。樹齢数百年の黒松の大木が白砂に展開し、瀬戸内海国立公園の一部となっている。夏季は若人(わこうど)のキャンプ場、海水浴場としてにぎわう。近くの丘陵地からは銅鐸(どうたく)が出土し、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)が『万葉集』に「飼飯(けい)の海の庭良くあらし……」と詠んだ由緒の深い海岸である。」

慶野松原説明案内板

 

 庭は、今ではガーデンという意味合いが強いが、その語源的なことについて、「万葉神事語事典(國學院大學デジタルミュージアム)に次の様に書かれている。

「ニハは、土地にしろ海にしろ、総じて平らな所を指す。海をニハと詠んだ歌は、『笥飯の海の庭よくあらし刈薦の乱れて出づ見ゆ海人の釣船』(3-256)のようにあり、これは漁場を指している。また、『庭に立つ麻手小衾今夜だに夫寄しこせね麻手小衾』(14-3454)とあり、これは農作業の場所を指す。ニハが庭園へと展開を示すのは『夕月夜心もしのに白露の置くこの庭にこほろぎ鳴くも』(8-1552)のように、ヤドから展開した人工的な聖なる空間をつくったことによる。この庭は、『山斎』(シマ)と結合して、大陸的な庭園様式となった。ニハはまた祭事の行われる空間であり、『庭中の阿須波の神に小柴さし我れは斎はむ帰り来までに』(20-4350)のように、集落の共同の神を祭る場でもあり、あるいはそれが本義であった。」

庭(には)の歴史を紐解くために、上述の巻三 二五六歌以外をみてみよう。

 

■巻十四 三四五四歌■

◆尓波尓多都 安佐提古夫須麻 許余比太尓 都麻余之許西祢 安佐提古夫須麻

      (作者未詳 巻十四 三四五四)

 

<書き下し>に立つ麻手(あさで)小衾(こぶすま)今夜(こよひ)だに夫(つま)寄(よ)しこせね麻手小衾

 

(訳)庭畠に茂り立つ麻、その麻で作った夜着よ。せめて今夜だけでも夫(つま)をここに呼ぶ寄せられるようにしておくれ。麻の夜着よ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)にはにたつ【庭に立つ】[枕]:庭に生い立つ麻の意から、「麻」にかかる。(goo辞書)

 

 この歌については、ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1588)」で紹介している。

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■巻八 一五五二歌■

題詞は、「湯原王蟋蟀歌一首」<湯原王(ゆはらのおほきみ)が蟋蟀(こほろぎ)の歌一首>である、

 

◆暮月夜 心毛思努尓 白露乃 置此尓 蟋蟀鳴毛

      (湯原王 巻八 一五五二)

 

≪書き下し≫夕月夜(ゆふづくよ)心もしのに白露の置くこの庭にこほろぎ鳴くも

 

(訳)月の出ている夕暮れ、心がしおれてしまうばかりに、白露の置いているこの庭でこおろぎが鳴いている。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ゆふづくよ【夕月夜】名詞:①夕方に空に出ている月。夕月。②月が出ている日暮れ方。夕月がかかっている夜。 ※「ゆふづきよ」とも。(学研)ここでは②の意

(注)しのに 副詞:①しっとりとなびいて。しおれて。②しんみりと。しみじみと。③しげく。しきりに。(学研)ここでは①の意

 

 この歌については、ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1327)」で紹介している。

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■巻二十 四三五〇歌■

尓波奈加能 阿須波乃可美尓 古志波佐之 阿例波伊波々牟 加倍理久麻泥尓

       (作者未詳 巻二十 四三五〇)

 

≪書き下し≫庭中(にはなか)の阿須波(あすは)の神に小柴(こしば)さし我(あ)れは斎(いは)はむ帰り来(く)までに

 

(訳)庭の真ん中にまします阿須波(あすは)の神に小柴を捧(ささ)げ、私は潔斎して無事を祈ろう。無事に帰って来られるその日まで。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)阿須波(あすは)の神:農業神。古事記大年神の子とする。(伊藤脚注)

(注)こしば【小柴】名詞:①小さい柴。細い雑木の枝。②「小柴垣(がき)」の略。(学研)

(注の注)小柴:神の憑り代としてさす木の枝。(伊藤脚注)

 

左注は、「右一首主帳丁若麻續部諸人」<右の一首は主帳丁(しゆちゃうのちやう)若麻續部諸人(わかをみべのもろひと)>である。

 

 

 

淡路市浅野南「浅野公園」→慶野松原(国民宿舎慶野松原荘側)■

 浅野公園から下り、海岸線に沿って国民宿舎慶野松原荘を目指して走る。40分ほどで国民宿舎の駐車場到着。すぐ傍の松原に歌碑は建てられている。ここで淡路島の歌碑巡りは予定通り終えたのである。そして徳島に向かう。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」

★「万葉神事語事典」 (國學院大學デジタルミュージアム