万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1948)―兵庫県淡路市浅野南 浅野公園―万葉集 巻三 三八八

●歌は、「海神はくすしきものか淡路島中に立て置きて白波を伊予に廻らし居待月明石の門ゆは夕されば 潮を満たしめ明けされば潮を干しむ潮騒の波を畏み淡路島礒隠り居ていつしかもこの夜の明けむとさもらふに寐の寝かてねば滝の上の浅野の雉明けぬとし立ち騒くらしいざ子どもあへて漕ぎ出む庭も静けし」である。

兵庫県淡路市浅野南 浅野公園万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、兵庫県淡路市浅野南 浅野公園にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「羈旅歌一首 幷短歌」<羈旅(たび)の歌一首 幷せて短歌>である。

左注は、「右歌若宮年魚麻呂誦之 但未審作者」<右の歌は、若宮年魚麻呂(わかみやのあゆまろ)誦(よ)む。ただし、いまだ作者を審(つばひ)にせず>である。

(注)誦む:口誦した、の意。(伊藤脚注)

 

◆海若者 霊寸物香 淡路嶋 中尓立置而 白浪乎 伊与尓廻之 座待月 開乃門従者 暮去者 塩乎令満 明去者 塩乎令于 塩左為能 浪乎恐美 淡路嶋 礒隠居而 何時鴨 此夜乃将明跡 待従尓 寐乃不勝宿者 瀧上乃 淺野之▼ 開去歳 立動良之 率兒等 安倍而榜出牟 尓波母之頭氣師

   ▼は「矢+鳥=「きざし」

       (作者未詳 巻三 三八八)

 

≪書き下し≫海若(わたつみ)は くしきものか 淡路島(あはぢしま) 中に立て置きて 白波を 伊予に廻(めぐ)らし 居待月(ゐまちつき) 明石の門(と)ゆは 夕(ゆふ)されば 潮(しほ)を満(み)たしめ 明(あ)けされば 潮(しほ)を干(ひ)しむ 潮騒(しほさゐ)の 波を畏(かしこ)み 淡路島 礒(いそ)隠(かく)り居て いつしかも この夜(よ)の明けむと さもらふに 寐(い)の寝(ね)かてねば 滝(たき)の上(うへ)の 浅野(あさの)の雉(きぎし) 明けぬとし 立ち騒(さわ)くらし いざ子ども あへて漕(こ)ぎ出(で)む 庭(には)も静けし

 

(訳)海の神は何と霊妙あらたかな存在(もの)であることか。淡路島(あわじしま)を大海(おおうみ)の真ん中に立てて置いて、白波をば伊予(いよ)の国までめぐらし、明石の海峡(せと)を通じて、夕方には潮を満ちさせ、明け方には潮を引かせる。その満ち引きの潮鳴りのとどろく波が恐ろしいので、淡路島の磯かげにひそんでいて、いつになったらこの夜が明けるかとじっと様子をうかがってまんじりともしないでいると、滝のそばの浅野の雉(きじ)が夜明けを告げて立ち騒いでいる。さあ、者どもよ、勇を鼓(こ)して漕ぎ出そうぞ。ちょうど海面もおだやかだ。                    

(注)くすし【奇し】形容詞:①神秘的だ。不思議だ。霊妙な力がある。②固苦しい。窮屈だ。不自然でそぐわない感じだ。 ⇒参考:「くすし」と「あやし」「けし」の違い 類義語「あやし」はふつうと違って理解しがたいもの、「けし」はいつもと違って好ましくないものにいうことが多いのに対して、「くすし」は神秘的なものにいう。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ゐまちづき【居待ち月】名詞:陰暦十八日の夜の月。陰暦十七日の「立ち待ちの月」よりやや遅く十九日の「臥(ふ)し待ちの月」よりやや早く月の出があり、座って月の出を待つというところからこの名がある。季語としては、特に、八月十八日の夜の月をいう。居待ちの月。居待ち。[季語] 秋。(学研)

(注の注)ゐまちづき【居待ち月】分類枕詞:地名「明石(あかし)」にかかる。月を待って夜を明かすことからとも、十八日の夜の月が明るい意からともいう。(学研)ここでは枕詞として使われている。

(注)いつしかも【何時しかも】分類連語:〔下に願望の表現を伴って〕早く(…したい)。今すぐにも(…したい)。 ⇒なりたち:副詞「いつしか」+係助詞「も」(学研)

(注)さもらふ【候ふ・侍ふ】自動詞:①ようすを見ながら機会をうかがう。見守る。②貴人のそばに仕える。伺候する。 ※「さ」は接頭語。(学研)ここでは①の意。

(注)さもらふに 寐(い)の寝(ね)かてねば:様子を窺って寝るに寝られずにいると。(学研)

(注の注)いのねらえぬに【寝の寝らえぬに】分類連語:眠れないときに。寝ることができないでいると。 ⇒なりたち:名詞「い(寝)」+格助詞「の」+動詞「ぬ(寝)」の未然形+上代の可能の助動詞「らゆ」の未然形+打消の助動詞「ず」の連体形+接続助詞「に」(学研)

(注)庭:漁村の前に開けた海面。(伊藤脚注)

 

三八九歌もみてみよう。

◆嶋傳 敏馬乃埼乎 許藝廻者 日本戀久 鶴左波尓鳴

       (作者未詳 巻三 三八九)

 

≪書き下し≫島伝ひ敏馬(みぬめ)の崎を漕ぎ廻(み)れば大和(やまと)恋(こひ)しく鶴(たづ)さはに鳴く

 

(訳)島伝いに敏馬(みぬめ)の崎を漕ぎめぐって行くと、家郷大和恋しさをつのらせて。鶴が群がって鳴いている。(同上)

歌碑(主碑と副碑)



 

 

淡路市富島「JA淡路日の出 北淡支店」隣→淡路市浅野南「浅野公園」■

 淡路島のほとんどの歌碑は海岸近くにあるが、ここ浅野公園は、小高い山の上にあり、途上播磨灘の美しい景色が見下ろせる。

 ようやく公園入口前に到着、駐車。

 公園入口には、イノシシが入らないように「扉は開けたら閉めてください」の文字が。錠を開け中に入り、錠を閉じる、誰もいない。またしても公園を独り占めである。

 

公園入口

 「じゃらんHP 浅野公園(兵庫県淡路市)に、次の様に書かれている。

「万葉の昔から歌に詠まれた由緒ある自然公園である浅野公園は、明治32年に郡立の公園として県知事から指定を受けました。春は2000本ものソメイヨシノが観光客を迎えます。芝生の広場の奥には高さ15mの『不動の滝』は、かえでの巨木に覆われていることから『紅葉が滝』とも呼ばれ、滝から池のほとりを歩いていく散策コースは大変風情があります。」

 

 公園には、主碑と副碑が建てられており、どちらも年代がいっている。風化しており文字は判読しがたい。

 前稿(その1947)でも紹介したが、「飛鳥を愛する会 秋季現地講座 1:「飛鳥を愛する会 淡路・讃岐、吉備の史跡と万葉秀歌の舞台をめぐる旅」2016年10月2日~4日のブログ(日記)にこの万葉歌碑の副碑の碑文に、次の様に書かれているそうである。

「~中略 今地誌を案ずるに、ここを去ること一里ばかり机浦(つくえうら)、瀕海(ひんかい)の田中に碣(いしぶみ)を立つるあり。古歌一首 たまもかる 敏馬をすぎて 夏草の 野島が崎に 舟近づきぬ を勒(ろく)し、以てこれを表す。~中略」 (原文は漢文、勒し→刻むこと) (ここから4kmばかりの机浦(富嶋)の田の中に石碑がある。古歌 たまもかる 敏馬をすぎて 夏草の 野島が崎に 舟近づきぬ の一首が刻まれている。)

そして、「浅野公園の副碑には嘉永7年(1854年)申寅3月の日付があります。」(同上)

 

➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

主碑背面

副碑



 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「飛鳥を愛する会 秋季現地講座 1:『飛鳥を愛する会 淡路・讃岐、吉備の史跡と万葉秀歌の舞台をめぐる旅』 (2016年10月2日~4日のブログ)

★「じゃらんHP」