●歌は、「霰降り遠江の吾跡川楊 刈れどもまたも生ふといふ吾跡川楊」である。
●歌碑(プレート)は、島根県益田市 県立万葉植物園(P36)にある。
●歌をみてみよう。
◆丸雪降 遠江 吾跡川楊 雖苅 亦生云 余跡川楊
(柿本人麻呂歌集 巻七 一二九三)
≪書き下し≫霰(あられ)降(ふ)り遠江(とほつあふみ)の吾跡川楊(あとかわやなぎ) 刈れどもまたも生(お)ふといふ吾跡川楊
(訳)遠江の吾跡川の楊(やなぎ)よ。刈っても刈っても、また生い茂るという吾跡川の楊よ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)あられふり【霰降り】[枕]:あられの降る音がかしましい意、また、その音を「きしきし」「とほとほ」と聞くところから、地名の「鹿島(かしま)」「杵島(きしみ)」「遠江(とほつあふみ)」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
(注)恋心を川楊に喩えている。(伊藤脚注)
万葉集では、「かはやなぎ」を詠んだ歌は三首収録されている。この歌ならびに他の二首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その262)」で紹介している。
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「霰」を「丸雪」と書いて「あられ」と読むが、これも書き手の遊び心なのであろう。
「あられふり」で詠い出す歌をみてみよう。
◆霰零 吉志美我高嶺乎 險跡 草取可奈和 妹手乎取
(作者未詳 巻三 三八五)
≪書き下し≫霰(あられ)降り吉志美(きしみ)が岳(たけ)をさがしみと草取りかなわ妹(いも)が手を取る
(訳)霰が降ってかしましというではないが、吉志美(きしみ)が岳、この岳が険しいので、私は草を取りそこなっていとしい子の手を取る。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)霰降り:「吉志美が岳(所在未詳)」の枕詞。(伊藤脚注)
(注)さがし【険し・嶮し】形容詞:①(山などが)険(けわ)しい。②危ない。危険である。(学研)
(注)かなわ:「かねて」と同じ意か。(伊藤脚注)
この歌は、題詞「仙柘枝(やまびめつみのえ)の歌三首」の一首である。ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1020)」で紹介している。
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◆霰零 鹿嶋之埼乎 浪高 過而夜将行 戀敷物乎
(作者未詳 巻七 一一七四)
≪書き下し≫霰(あられ)降(ふ)り鹿島(かしま)の崎(さき)を波高み過ぎてや行かむ恋(こひ)しきものを
(訳)鹿島の崎には波が高くうち寄せているので、素通りして行くことになるのであろうか。こんなにこころひかれているのに。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)霰降り:「鹿島(茨城県)」の枕詞。(伊藤脚注)
◆霰落 板玖風吹 寒夜也 旗野尓今夜 吾獨寐牟
(作者未詳 巻十 二三三八)
≪書き下し≫霰(あられ)降りいたも風吹き寒き夜(よ)や旗野(はたの)に今夜(こよひ)我が独り寝む
(訳)霰が降り、ひどく風が吹いて寒い夜、こんな夜に、ここ籏野で今夜、私はたった独りで寝なければならないのか。(同上)
(注)いたも【甚も】副詞:甚だ。全く。(学研)
(注)や:詠嘆的疑問。(伊藤脚注)
(注)旗の:所在未詳。
この歌の霰降りは文字通り霰が降りであって枕詞として使われているものではない。
万葉の時代に霰が降り、風が強い状態で野宿するなんて考えられない。一晩過ごすのも命がけである。
◆霰零 遠津大浦尓 縁浪 縦毛依十万 憎不有君
(作者未詳 巻十一 二七二九)
≪書き下し≫霰(あられ)降り遠(とほ)つ大浦(おほうら)に寄する波よしも寄すとも憎(にく)くあらなくに
(訳)あの遠くの大浦に寄せる波ではないが、よしたとえ二人の仲を人が寄せたとしてもかまいはしない。あの人がいやなわけではないのだから。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)霰降り:「遠つ」の枕詞。霰の音を「とほ」と聞いたか。(伊藤脚注)
(注)上三句は序。同音で「よしも寄す」を起こす。(伊藤脚注)
(注)よし【縦し】副詞:①仕方がない。ままよ。どうでも。まあよい。▽「よし」と仮に許可するの意。②〔多く下に逆接の仮定条件を伴って〕たとえ。もし仮に。万が一。(学研)
◆阿良例布理 可志麻能可美乎 伊能利都ゝ 須米良美久佐尓 和例波伎尓之乎
(大舎人部千文 巻二十 四三七〇)
≪書き下し≫霰降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍に我れは来にしを
(訳)霰が降ってかしましいというではないが、鹿島の神、その猛々(たけだけ)しい神に祈りながら、天皇(すめらき)の兵士として、おれはやって来たつもりなのに・・・(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
左注は、「右二首那賀郡上丁大舎人部千文」<右の二首は那賀(なか)の郡の上丁(じやうちやう)大舎人部千文(おほとねりべのちふみ)>である。
(注)霰降り:「鹿島」の枕詞。
(注)結句「我れは来にしを」のしたに、四三六九歌のような妻への愛着に暮れるとは、の嘆きがこもる。(伊藤脚注)
(注の注)四三六九歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1072)」で紹介している。
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他に「霰」を詠った歌もみてみよう。
◆霰打 安良礼松原 住吉乃 弟日娘与 見礼常不飽香聞
(長皇子 巻一 六五)
≪書き下し≫霰(あられ)打つ安良礼(あられ)松原(まつばら)住吉(すみのえ)の弟日娘子(おとひをとめ)と見(み)れど飽(あ)かぬかも
(訳)霰のたたきつける安良礼松原、この松原は、住吉の弟日娘子と同じに、見ても見ても、見飽きることがない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)霰打つ:同音の次句の地名「安良礼(住吉付近か)」をほめる枕詞。(伊藤脚注)
(注)と:並立、と共にの意をもつ。(伊藤脚注)
(注)見れど飽かぬかも:現地への賛美である。(伊藤脚注)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その797)」で紹介している。
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◆我袖尓 雹手走 巻隠 不消有 妹高見
(柿本人麻呂歌集 巻十 二三一二)
≪書き下し≫我が袖に霰(あられ)た走る巻き隠し消(け)たずてあらむ妹(いも)が見むため
(訳)私の袖に霰がぱらぱらと飛び跳ねる。包み隠して消さないでおこう。あの子にみせるために。(伊藤 博著「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)
(注)巻き隠す:袖に包み隠して(伊藤脚注)
ここでは「雹」と書いて「あられ」と読ませている。
袖の霰を愛しい人に見せたいという熱い心が伝わる心理描写の歌である。
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その70改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦ください。)
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◆霜上尓 安良礼多婆之里 伊夜麻之尓 安礼波麻為許牟 年緒奈我久 <古今未詳>
(大伴千室 巻二十 四二九八)
≪書き下し≫霜の上(うへ)に霰(あられ)た走(ばし)りいやましに我(あ)れは参(ま)ゐ来(こ)む年の緒(を)長く
(訳)置く霜の上にさらに霰が飛び散るように、いよいよしげしげと私は参上いたしましょう。この先いついつまでも。<歌の新古は不明>
(注)上二句は序。「いやましに」を起こす。(伊藤脚注)
(注)たばしる【た走る】自動詞:激しい勢いでとび散る。 ※「た」は接頭語。(学研)
(注)いやましに【弥増しに】副詞:いよいよ多く。ますます。(学研)
(注)としのを【年の緒】分類連語:年が長く続くのを緒(=ひも)にたとえていう語。(学研)
霜の上に霰とは、おもしろい表現である。どこかのアイスクリームのレギュラーダブルみたいなイメージかな。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」