万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2208)―静岡県浜松市<2>―

浜松市2⃣>

静岡県浜松市浜北区貴布祢 浜北文化センター万葉歌碑<巻十四 三三五三>■

静岡県浜松市浜北区貴布祢 浜北文化センター万葉歌碑<作者未詳>
 20220412撮影

●歌をみてみよう。

 

◆阿良多麻能 伎倍乃波也之尓 奈乎多弖天 由伎可都麻思自 移乎佐伎太多尼

       (作者未詳 巻十四 三三五三)

 

≪書き下し≫麁玉(あらたま)の伎倍(きへ)の林に汝(な)を立てて行きかつましじ寐(い)を先立(さきだ)たね

 

(訳)麁玉のこの伎倍の林にお前さんを立たせたままで行ってしまうなんてことは、とてもできそうもない。何はさておいても、寝ること、そいつを先立てよう。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)麁玉:遠江の郡名。(伊藤脚注)

(注)伎倍:所在未詳(伊藤脚注)

(注)汝(な)を立てて行きかつましじ:お前を立てたままで行き過ごすことはできそうにない。もと、歌垣での歌か。(伊藤脚注)

(注)かつましじ 分類連語:…えないだろう。…できそうにない。 ※上代語。 ⇒なりたち:可能の補助動詞「かつ」の終止形+打消推量の助動詞「ましじ」(学研)

 

 

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感想(1件)

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1588)」で紹介している。

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静岡県浜松市浜北区宮口 八幡神社(旧若倭神社)万葉歌碑<巻二十 四三二二>■

静岡県浜松市浜北区宮口 八幡神社(旧若倭神社)万葉歌碑<若倭部身麻呂> 
20220412撮影

●歌をみていこう。

 

◆和我都麻波 伊多久古非良之 乃牟美豆尓 加其佐倍美曳弖 余尓和須良礼受

      (若倭部身麻呂 巻二十 四三二二)

 

≪書き下し≫我が妻(つま)はいたく恋ひらし飲む水に影(かげ)さへ見えてよに忘られず

 

(訳)おれの妻は、ひどくこのおれを恋しがっているらしい。飲む水の上に影まで映って見えて、ちっとも忘れられない。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)よに【世に】副詞:①たいそう。非常に。まったく。②〔下に打消の語を伴って〕決して。全然。(学研)

 

 この歌の左注は、「右一首主帳丁麁玉郡若倭部身麻呂」<右の一首は主帳丁(しゆちやうのちやう)麁玉(あらたま)の郡(こほり)の若倭部身麻呂(わかやまとべのみまろ)>である。

(注)しゆちやう【主帳】:律令制で、諸国の郡または軍団に置かれ、文書の起草・受理をつかさどった職。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)麁玉の郡:静岡県浜松市付近一帯。(伊藤脚注)

 

 

 

静岡県浜北区宮口 麁玉協働センター万葉歌碑<巻十一 二五三〇>■

静岡県浜北区宮口 麁玉協働センター万葉歌碑<作者未詳> 20220412撮影

●歌をみていこう。

 

◆璞之 寸戸我竹垣 編目従毛 妹志所見者 吾戀目八方

       (作者未詳 巻十一 二五三〇)

 

≪書き下し≫あらたまの寸戸(きへ)が竹垣(たかがき)網目(あみめ)ゆも妹し見えなば我(あ)れ恋ひめやも

 

(訳)寸戸の竹垣、この垣根のわずかな編み目からでも、あなたの姿をほの見ることさえできたら、私はこんなに恋い焦がれたりなどするものか。(同上)

(注)あらたまの:「寸戸」の枕詞。懸り方未詳。(伊藤脚注)

(注)寸戸が竹垣編目ゆも:未詳。寸戸の竹垣の編み目からでも。(伊藤脚注)

 

 四三二二歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1589)」で、二五三〇歌ならびに歌碑については、、同「同(その1590)」で紹介している。

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静岡県浜松市北区細江町 細江公園「文学の丘」万葉歌碑<巻十四 三四二九>■

静岡県浜松市北区細江町 細江公園「文学の丘」万葉歌碑<作者未詳>  
20230412撮影

●歌をみてみよう。

 

部立は「譬喩歌」である。

 

◆等保都安布美 伊奈佐保曽江乃 水乎都久思 安礼乎多能米弖 安佐麻之物能乎

      (作者未詳 巻十四 三四二九)

 

≪書き下し≫遠江(とほつあふみ)引佐細江(いなさほそえ)のみをつくし我(あ)れを頼(たの)めてあさましものを

 

(訳)遠江の引佐細江(いなさほそえ)のみおつくし、そいつは俺をすっかり安心させておいてからが・・・、いっそ水を干しあげて役立たずにさせてやればよかったのに。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)いなさほそえ【引佐細江】:静岡県浜名湖北東部の支湖。風景絶佳で知られる。歌枕。(広辞苑無料検索 日本国語大辞典

(注)みをつくし【澪標】名詞:往来する舟のために水路の目印として立ててある杭(くい)。⇒参考:「水脈(みを)つ串(くし)」の意。「つ」は「の」の意の古い格助詞。難波の淀(よど)川河口のものが有名。昔、淀川の河口は非常に広がっていて浅く、船の航行に難渋したことから澪標が設けられた。歌では、「わびぬれば今はた同じ難波なるみをつくしても逢(あ)はむとぞ思ふ」(『後撰和歌集』)〈⇒わびぬればいまはたおなじ…。〉のように、「身を尽くし」にかけ、また、「難波」と呼応して詠まれることが多い。(学研)

(注)三四二九歌は、一時頼りに思わせて裏切った女を恨む歌。「みをつくし」は女の譬え。(伊藤脚注)

(注)あさましものを:いっそつれなくしてやればよかった。「あさ」は四段動詞「あす」の未然形で、浅くするの意か。(伊藤脚注)

(注の注)あす【浅す・褪す】自動詞:①(海・川・池などが)浅くなる。干上がる。②(色が)さめる。あせる。③(勢いが)衰える。(学研)

(注の注)ましものを 分類連語:…だったらよかったのに。…していたらよかったものを。⇒なりたち:反実仮想の助動詞「まし」の連体形+詠嘆の終動詞「ものを」(学研)

 

左注は、「右一首遠江國歌」<右の一首は遠江(とほつあふみ)の国の歌>である。

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1591)」で紹介している。

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静岡県浜松市北区細江町気賀 小森橋万葉歌碑<巻七 一二九三>■

静岡県浜松市北区細江町気賀 小森橋万葉歌碑<柿本人麻呂歌集> 20220412撮影

●歌をみてみよう。

 

◆丸雪降 遠江 吾跡川楊 雖苅 亦生云 余跡川楊

       (柿本人麻呂歌集 巻七 一二九三)

 

≪書き下し≫霰(あられ)降(ふ)り遠江(とほつあふみ)の吾跡川楊(あとかわやなぎ) 刈れどもまたも生(お)ふといふ吾跡川楊

 

(訳)遠江の吾跡川の楊(やなぎ)よ。刈っても刈っても、また生い茂るという吾跡川の楊よ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)あられふり【霰降り】[枕]:あられの降る音がかしましい意、また、その音を「きしきし」「とほとほ」と聞くところから、地名の「鹿島(かしま)」「杵島(きしみ)」「遠江(とほつあふみ)」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)やうりう【楊柳】名詞:やなぎ。 ※「楊」はかわやなぎ、「柳」はしだれやなぎの意。(学研)

(注)恋心を川楊に譬える。(伊藤脚注)

(注)吾跡川:静岡県浜松市北区細江町の跡川か。(伊藤脚注)

 

 

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感想(0件)

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1592)」で紹介している。

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静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(浅間山)万葉歌碑<巻十四 三四四八>■

静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(浅間山)万葉歌碑<作者未詳> 
20220412撮影

●歌をみていこう。

 

◆波奈治良布 己能牟可都乎乃 乎那能乎能 比自尓都久麻提 伎美我与母賀母

       (作者未詳 巻十四 三四四八)

 

≪書き下し≫花散(はなぢ)らふこの向(むか)つ峰(を)の乎那(をな)の峰(を)のひじにつくまで君が代(よ)もがも

 

(訳)花散り紛う真向いの丘、この乎那(をな)の丘が泥に漬かるのちの世までもずっと、我が君の命があってくれたらなあ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ひじ:ヒヂ(泥)の訛りか。(伊藤脚注)

(注の注)ひじ【洲】〘名〙 洲(す)。[補注]「ひし」との違いについては、上代東国方言(「ひじ」)と九州大隅地方の方言(「ひし」)の違いかとする説や、万葉例の「ひじに」の「に」によって「ひし」が連濁したものかとする説などがある。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1462)」で紹介している。

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 「乎那の峯案内図」にあるように山裾には万葉植物が植えられており、万葉歌碑プレートが下記のように数多く立てられている。

 ただ残念なことに自然劣化とは考えにくい破壊が見られるのである。



 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫) 

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典