<浜松市1⃣>
静岡県浜松市浜北区にある「万葉の森公園」は、万葉植物約300種類を中心に万葉の森を創出、万葉集ゆかりの植物や文化を体験できる公園である。
平城京を模して造られた築地塀と門が待ち構えており、そこが万葉の世界への入り口となっている。
門をくぐると目に飛び込んでくるのが曲水庭園である。
じっくりと歌碑や歌碑プレートを追ってみよう。
■静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園駐車場万葉歌碑<巻五 八〇三>■
●歌をみていこう。
◆銀母 金母玉母 奈尓世武尓 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母
(山上憶良 巻五 八〇三)
≪書き下し≫銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに)まされる宝子にしかめやも
(訳)銀も金も玉も、どうして、何よりすぐれた宝である子に及ぼうか。及びはしないのだ。(同上)
(注)なにせむに【何為むに】分類連語:どうして…か、いや、…ない。▽反語の意を表す。 ※なりたち代名詞「なに」+サ変動詞「す」の未然形+推量の助動詞「む」の連体形+格助詞「に」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)しかめやも【如かめやも】分類連語:及ぼうか、いや、及びはしない。※なりたち動詞「しく」の未然形+推量の助動詞「む」の已然形+係助詞「や」+終助詞「も」(学研)
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この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1508)」で紹介している。
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■静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園万葉歌碑<巻二十 四三二二>■
●歌をみていこう。
◆和我都麻波 伊多久古非良之 乃牟美豆尓 加其佐倍美曳弖 余尓和須良礼受
(若倭部身麻呂 巻二十 四三二二)
≪書き下し≫我が妻(つま)はいたく恋ひらし飲む水に影(かげ)さへ見えてよに忘られず
(訳)おれの妻は、ひどくこのおれを恋しがっているらしい。飲む水の上に影まで映って見えて、ちっとも忘れられない。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)よに【世に】副詞:①たいそう。非常に。まったく。②〔下に打消の語を伴って〕決して。全然。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
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この歌の左注は、「右一首主帳丁麁玉郡若倭部身麻呂」<右の一首は主帳丁(しゆちやうのちやう)麁玉(あらたま)の郡(こほり)の若倭部身麻呂(わかやまとべのみまろ)>である。
(注)しゆちやう【主帳】:律令制で、諸国の郡または軍団に置かれ、文書の起草・受理をつかさどった職。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1509)」で紹介している。
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■静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園万葉歌碑<巻十四 三三五四>■
●歌をみていこう。
◆伎倍比等乃 萬太良夫須麻尓 和多佐波太 伊利奈麻之母乃 伊毛我乎杼許尓
(作者未詳 巻十四 三三五四)
≪書き下し≫伎倍人(きへひと)のまだら衾(ぶすま)に綿(わた)さはだ入(い)りなましもの妹(いも)が小床(をどこ)に
(訳)伎倍人(きへひと)の斑(まだら)模様の蒲団(ふとん)に真綿がたっぷり。そうだ、たっぷり入りこみたいものだ。あの子の床の中に。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)伎倍:所在未詳。(伊藤脚注)
(注)まだらぶすま【斑衾】:まだら模様のある夜具。(コトバンク デジタル大辞泉)
(注)上三句は序。「入り」を起こす。(伊藤脚注)
(注)さはだ【多だ】副詞:たくさん。多く。 ※「だ」は程度を表す接尾語。(学研)
(注)なまし 分類連語:①〔上に仮定条件を伴って〕…てしまっただろう(に)。きっと…てしまうだろう(に)。▽事実と反する事を仮想する。②〔上に疑問語を伴って〕(いっそのこと)…たものだろうか。…してしまおうか。▽ためらいの気持ちを表す。③〔終助詞「ものを」を伴って〕…してしまえばよかった(のに)。▽実現が不可能なことを希望する意を表す。 ⇒注意:助動詞「まし」の意味(反実仮想・ためらい・悔恨や希望)に応じて「なまし」にもそれぞれの意味がある。 ⇒なりたち:完了(確述)の助動詞「ぬ」の未然形+反実仮想の助動詞「まし」(学研)ここでは③の意
(注) をどこ【小床】〘名〙: (「お」は接頭語) 床。寝床。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
左注は、「右二首遠江國歌」<右の二首は遠江(とほつあふみ)の国の歌>である。
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この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1510)」で紹介している。
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■静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園万葉歌碑<巻二 一六六> ■
●歌をみていこう。
一六五、一六六歌の題詞は、「移葬大津皇子屍於葛城二上山之時大来皇女哀傷御作歌二首」<大津皇子の屍(しかばね)を葛城(かづらき)の二上山(ふたかみやま)に移し葬(はぶ)る時に、大伯皇女の哀傷(かな)しびて作らす歌二首>である。
◆磯之於尓 生流馬酔木乎 手折目杼 令視倍吉君之 在常不言尓
(大伯皇女 巻二 一六六)
≪書き下し≫磯(いそ)の上(うえ)に生(お)ふる馬酔木(あしび)を手折(たを)らめど見(み)すべき君が在りと言はなくに
(訳)岩のあたりに生い茂る馬酔木の枝を手折(たお)りたいと思うけれども。これを見せることのできる君がこの世にいるとは、誰も言ってくれないではないか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
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この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1511)」で紹介している。
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以上、見てきたように駐車場には、山上憶良の八〇三歌の、公園内に、若倭部身麻呂の四三二二、東歌の三三五四歌、大伯皇女の一六六歌の四基の歌碑が立てられている。
また万葉の森にふさわしく、万葉植物に因んだ歌碑プレートが、下記のように数多く立てられている。
単なる歌碑プレートだけでなく、色鮮やかな色を使い、またイラストも交えわかりやすく解説されているのは見る人を引き付けるのである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」