万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2541)―

●歌は、「鹿背の山木立を茂み朝さらず来鳴き響もすうぐひすの声」である。

京都府木津川市鹿背山東大平万葉歌碑(田辺福麻呂) 20240123撮影

●鹿背山歌碑は、京都府木津川市鹿背山東大平にある。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「讃久迩新京歌二首幷短歌」<久邇の新京を讃(ほ)むる歌二首 幷(あは)せて短歌>である。一〇五〇歌(長歌)と反歌二首、一〇五三歌(長歌)と反歌五首の歌群である。この歌は第二群の反歌の四首目である。

 第二群の長歌からみてみよう。

 

◆吾皇 神乃命乃 高所知 布當乃宮者 百樹成 山者木高之 落多藝都 湍音毛清之 鸎乃 来鳴春部者 巌者 山下耀 錦成 花咲乎呼里 左壮鹿乃 妻呼秋者 天霧合 之具礼乎疾 狭丹頬歴 黄葉散乍 八千年尓 安礼衝之乍 天下 所知食跡 百代尓母 不可易 大宮處

       (田辺福麻呂 巻六 一〇五三)

 

≪書き下し≫我(わ)が大君(おほきみ) 神の命(みこと)の 高知(たかし)らす 布当(ひたぎ)の宮は 百木(ももき)もり 山は木高(こだか)し 落ちたぎつ 瀬の音(おと)も清し うぐひすの 来鳴く春へは 巌(いはは)には 山下(やました)光り 錦なす 花咲きををり さを鹿の 妻呼ぶ秋は 天霧(あまぎ)らふ しぐれをいたみ さ丹(に)つらふ 黄葉(もみぢ)散りつつ 八千年(やちとせ)に 生(あ)れ付(つ)かしつつ 天(あめ)の下(した) 知らしめさむと 百代(ももよ)にも 変るましじき 大宮ところ

 

(訳)われらの大君、尊い神の命が高々と宮殿を造り営んでおられる布当の宮、このあたりには木という木が茂り、山は鬱蒼(うっそう)として高い。流れ落ちて逆巻く川の瀬の音も清らかだ。鴬(うぐいす)の来て鳴く春ともなれば、巌(いわお)には山裾も輝くばかりに、錦を張ったかと見紛う花が咲き乱れ、雄鹿が妻を呼んで鳴く秋ともなると、空かき曇って時雨が激しく降るので、赤く色づいた木の葉が散り乱れる・・・。こうしてこの地には幾千年ののちまでも次々と御子が現われ出で給い、天下をずっとお治めになるはずだとて営まれた大宮所、百代ののちまでも変わることなどあるはずもない大宮所なのだ、ここは。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)大君:ここは聖武天皇

(注)布当(ふたぎ)の宮:久邇京の皇居(伊藤脚注)

(注の注)布当野(ふたいのの)京都府相楽郡加茂町瓶原布当野:歌枕。「五代集歌枕」「八雲御抄」に載る。「八雲御抄」が「みかのはら也」と注するように、恭仁京の置かれた瓶原の地であり、恭仁京の内裏は布当宮と称されている。万葉集」では「布当」を「ふたぎ」と読み、布当の野辺、布当の原、また布当山などが詠まれている。コトバンク 平凡社「日本歴史地名大系」)

(注)ももき【百木】〘名〙: たくさんの木。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)もる:茂る(伊藤脚注)

(注)山下光り:山裾が照り輝くばかりに。(伊藤脚注)

(注)あまぎらふ【天霧らふ】分類連語:空が一面に曇っている。 ⇒なりたち:動詞「あまぎる」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)さにつらふ【さ丹頰ふ】分類連語:(赤みを帯びて)美しく映えている。ほの赤い。⇒参考:赤い頰(ほお)をしているの意。「色」「君」「妹(いも)」「紐(ひも)」「もみぢ」などを形容する言葉として用いられており、枕詞(まくらことば)とする説もある。 ⇒なりたち:接頭語「さ」+名詞「に(丹)」+名詞「つら(頰)」+動詞をつくる接尾語「ふ」(学研)

(注)生れ付かしつつ:こうして、幾千年の後までも皇子が生れついて統治者として次々とこの世に現れ。(伊藤脚注)

(注)知らしめさむと:お治めになるものとして。(伊藤脚注)

(注の注)しらしめす【知らしめす・領らしめす】他動詞:お治めになられる。▽「知る・領(し)る」の尊敬語。連語「知らす」より敬意が高い。 ⇒参考:動詞「しる」の未然形+上代の尊敬の助動詞「す」からなる「しらす」に尊敬の補助動詞「めす」が付いて一語化したもの。上代語。中古以降は「しろしめす」。(学研)

(注)変るましじき:変るはずもなく栄えている大宮所よ。マシジキはマシジの連体形。(伊藤脚注)

(注の注)ましじき>ましじ 助動詞特殊型《接続》活用語の終止形に付く。活用{○/○/ましじ/ましじき/○/○}:〔打消の推量〕…ないだろう。…まい。 ※上代語。 ⇒語法:多く、「得(う)」「敢(あ)ふ」「かつ(補助動詞)」「ゆ(助動詞)」など、可能の意味を表す語の下に付いて用いられた。中古には「まじ」がこれに代わって用いられた。(学研)

 

 

 

 「反歌五首」をみてみよう。

◆泉川 往瀬乃水之 絶者許曽 大宮地 遷往目

       (田辺福麻呂 巻六 一〇五四)

 

≪書き下し≫泉川(いづみかわ)行く瀬の水の絶えばこそ大宮ところうつろひゆかめ

 

(訳)泉川、この川の行く瀬の水が絶えるようなことでもあれば、大宮所のさびれてゆくこともありはしようが・・・。(同上)

(注)泉川:木津川の古名(伊藤脚注)

 

 

 

◆布當山 山並見者 百代尓毛 不可易 大宮處

        (田辺福麻呂 巻六 一〇五五)

 

≪書き下し≫布当山(ふたぎやま)山なみ見れば百代(ももよ)にも変わるましじき大宮ところ

 

(訳)布当山、この山の連なりを見ると、ここは百代ののちまで変わることなどあるはずのない大宮所だ。(同上)    

 

 

 

◆  ▼等之 續麻繋云 鹿脊之山 時之往者 京師跡成宿

    ▼「『女+感』+嬬」=をとめ

                ( 田辺福麻呂 巻六 一〇五六)

 

≪書き下し≫娘子(をとめ)らが続麻(うみを)懸(か)くといふ鹿背(かせ)の山(やま)時しゆければ都となりぬ

 

(訳)おとめたちが續(う)んだ麻糸を掛けるという桛(かせ)、その名にちなみの鹿背の山、この山のあたりも、時移り変わって、今や皇城の地となっている。(同上)

(注)上二句は序。「鹿背」を起す。つむいだ麻糸をかける桛(かせ)の意。桛は糸を掛けて巻くH字型の道具。(伊藤脚注)

(注)うみを 【績み麻】名詞:紡(つむ)いだ麻糸。麻や苧(からむし)の茎を水にひたし、蒸してあら皮を取り、その細く裂いた繊維を長くより合わせて作った糸。「うみそ」とも。(学研)

(注の注)うむ【績む】他動詞:(麻または苧(からむし)の繊維を)長くより合わせて糸にする。(学研)

 

 

 

◆鹿脊之山 樹立牟繁三 朝不去 寸鳴響為 鸎之音

        (田辺福麻呂 巻六 一〇五七)

 

≪書き下し≫鹿背(かせ)の山木立(こだち)を茂(しげ)み朝さらず来鳴き響(とよ)もすうぐひすの声

 

(訳)鹿背の山、この山には木立がいっぱい茂っているので、朝毎にやって来ては鶯が鳴き立てている。(同上)

(注)かせやま【鹿背山】:京都府木津川市にある山。布当(ふたぎ)の山。[歌枕](コトバンク デジタル大辞泉

 

 


1月22日、ブログ作成のため、京都府城陽市木津川市の万葉歌碑関連の記事を調べていたら、京都府木津川市鹿背山東大平の「鹿背山歌碑(万葉歌碑)」が目に飛び込んできた。

 ノーマークであった。家から車で15分のところにある。

 早速、翌23日に超ミニ万葉歌碑巡りのドライブで撮影をしてきたのである。

 

 

◆狛山尓 鳴霍公鳥 泉河 渡乎遠見 此間尓不通 一云渡遠哉不通有武

     (田辺福麻呂 巻六 一〇五八)

 

≪書き下し≫狛山(こまやま)に鳴くほととぎす泉川渡りを遠みここに通はず<一には「渡り遠みか通はずあるらむ」とある>

 

(訳)狛山で鳴いている時鳥、その時鳥は、泉川の渡し場が遠いせいか、ここまでは通って来ない。<渡し場が遠いので通って来ないのか>(同上)

(注)狛山:鹿背山の対岸の山。(伊藤脚注)

(注)泉川:木津川の古名(伊藤脚注)

(注)ここに通はず:久邇京(皇后宮はその一部)の自然の峻厳をほめたもの。(伊藤脚注)

 

 

 

一〇五三、一〇五八歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その181改)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 一〇五四から一〇五七歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その182改)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

 鹿背山歌碑(万葉歌碑)と史跡恭仁宮ならびに京都府立山城郷土館は下記の地図の通りである。



 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク デジタル大辞泉