●歌は、「妹が門いや遠そきぬ筑波山隠れぬほとに袖ば振りてな」である。
●歌碑は、茨城県つくば市大久保 つくばテクノパーク大穂にある。
●歌をみていこう。
◆伊毛我可度 伊夜等保曽吉奴 都久波夜麻 可久礼奴保刀尓 蘇提婆布利弖奈
(作者未詳 巻十四 三三八九)
≪書き下し≫妹(いも)が門(かど)いや遠(とほ)そきぬ筑波山(つくはやま)隠れぬほとに袖(そで)ば振りてな
(訳)あの子の門はどんどん遠のいてしまう。しかし、筑波の山、この山が隠れてしまわないうちに、袖だけはどんどん振ってやりたい。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)筑波山隠れぬほとに:筑波山にあの子が隠れない間は。(伊藤脚注)
(注)袖ば:「袖は」の訛り。(伊藤脚注)
この歌を読んでいると、柿本人麻呂の「石見相聞歌」一三一歌の結びが浮かんでくる。みてみよう。
◆・・・顧為騰 弥遠尓 里者放奴 益高尓 山毛越来奴 夏草之 念思奈要而 志怒布良武 妹之門将見 靡此山
(柿本人麻呂 巻二 一三一)
≪書き下し≫・・・かへり見すれど いや遠(とほ)に 里は離(さか)りぬ いや高に 山も越え来ぬ 夏草の 思ひ萎(しな)えて 偲ふらむ 妹(いも)が門(かど)見む 靡(なび)けこの山」
(訳)・・・振り返って見るけど、あの子の里はいよいよ遠ざかってしまった。いよいよ高く山も越えて来てしまった。強い日差しで萎(しぼ)んでしまう夏草のようにしょんぼりして私を偲(しの)んでいるであろう。そのいとしい子の門(かど)を見たい。邪魔だ、靡いてしまえ、この山よ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
この一三一歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1271)」で紹介している。
➡
「妹が門」に妹が佇んでいようといまいと「妹」そのものがそこにいると強く思う「妹」と一体化された「門」、そのような「妹が門」を詠った歌をみてみよう。
■一一九一歌■
◆妹門 出入乃河之 瀬速見 吾馬爪衝 家思良下
(作者未詳 巻七 一一九一)
≪書き下し≫妹(いも)が門(かど)出入(いでいり)の川の瀬を早み我(あ)が馬(うま)つまづく家思ふらしも
(訳)いとしい子の家の門を出入りするという、その入(いり)の川の瀬が早いので、私の乗っている馬が躓(つまづ)いた。あとに残してきた家の者が私のことを思っているらしい。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)「出」までが序。「入」(所在不明)を起す。
(注)我が馬つまづく:馬がつまづくのは家人が思っているからだとされた。(伊藤脚注)
■一六九五歌■
◆妹門 入出見川乃 床奈馬尓 三雪遣 未冬鴨
(柿本人麻呂歌集 巻九 一六九五)
≪書き下し≫妹が門入り泉川の常滑にみ雪残れりいまだ冬かも
(訳)いとしい子の家の門に入っては出(い)ずという、その泉川の常滑に雪が残っている。いまだに冬なのであろうか。(同上)
(注)「入り」まで序。「泉川」を起す。(伊藤脚注)
(注)とこなめ【常滑】名詞:苔(こけ)がついて滑らかな、川底の石。一説に、その石についている苔(こけ)とも。(学研)
■二六八五歌■
◆妹門 去過不勝都 久方乃 雨毛零奴可 其乎因将為
(作者未詳 巻十一 二六八五)
≪書き下し≫妹が門行き過ぎかねつひさかたの雨も降らぬかそをよしにせむ
(訳)あの子の家の門、そこを素通りすることなどとてもできない。雨でも降ってくれないものか。それをよすがに立ち寄ろうものを。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)よし【由】名詞:①理由。いわれ。わけ。②口実。言い訳。③手段。方法。手だて。④事情。いきさつ。⑤趣旨。⑥縁。ゆかり。⑦情趣。風情。⑧そぶり。ふり。(学研)ここでは②の意
■三〇五六歌■
◆妹門 去過不得而 草結 風吹解勿 又将顧 <一云 直相麻弖尓>
(作者未詳 巻十二 三〇五六)
≪書き下し≫妹が門行き過ぎかねて草結ぶ風吹き解くなまたかへり見む <一には「直に逢ふまでに」といふ
(訳)いとしい子の門(かど)を素通りするにしかねて、せめてものことに私は草を結んで行く。風よ、吹いて解かないでくれ。またやって来て見ようから。<じかに逢うまでは>(同上)
(注)草結ぶ:事の成就を祈る呪的行為。(伊藤脚注)
「妹が門」までの距離と「妹」に対する思いの情熱度は正比例するようである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」