●歌は、「筑波嶺にかか鳴く鷲の音のみをか泣きわたりなむ逢ふとはなしに」である。
●歌碑は、茨城県つくば市大久保 つくばテクノパーク大穂にある。
●歌をみていこう。
◆筑波祢尓 可加奈久和之能 祢乃未乎可 奈伎和多里南牟 安布登波奈思尓
(作者未詳 巻十四 三三九〇)
≪書き下し≫筑波嶺(つくはね)にかか鳴く鷲(わし)の音(ね)のみをか泣きわたりなむ逢(あ)ふとはなしに
(訳)筑波嶺でかっかっと鳴き立てる鷲のように、私はただもう声を張りあげて泣き続けるばかりであろうか。あの人に逢うということはないままに。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)上二句は序。「音を泣く」を起す。「かか」は擬声語。(伊藤脚注)
「鷲」を詠った歌は、集中三首が収録されている。「真鳥」は「鷲」をさすといわれているので、併せて五首である。
この五首をみてみよう。
■一七五九歌■
◆鷲住 筑波乃山之 裳羽服津乃 其津乃上尓 率而 未通女壮士之 徃集 加賀布嬥歌尓 他妻尓 吾毛交牟 吾妻尓 他毛言問 此山乎 牛掃神之 従来 不禁行事叙 今日耳者 目串毛勿見 事毛咎莫 <嬥歌者東俗語曰賀我比]>
(高橋虫麻呂 巻九 一七五九)
≪書き下し≫鷲(わし)の棲(す)む 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)の その津の上(うへ)に 率(あども)ひて 娘子(をとめ)壮士(をとこ)の 行き集(つど)ひ かがふ嬥歌(かがひ)に 人妻(ひとづま)に 我(わ)も交(まじ)はらむ 我(わ)が妻に 人も言(こと)とへ この山を うしはく神の 昔より 禁(いさ)めぬわざぞ 今日(けふ)のみは めぐしもな見そ 事もとがむな <嬥歌は、東の俗語(くにひとのことば)には「かがひ」といふ>
(訳)鷲の巣くう筑波に山中(やまなか)の裳羽服津(もはきつ)、その津のあたりに、声掛け合って誘い合わせた若い男女が集まって来て唱(うた)って踊るこのかがいの晩には、人妻におれも交わろう。おれの女房に人も言い寄るがよい。この山を支配する神様が、遠い昔からお許し下さっている行事なのだ。今日一日だけは、あわれだなと思って見て下さるな。何をしてもとがめ立てして下さるな。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)鷲(わし)の棲(す)む:恐しい深山を表すための形容。(伊藤脚注)
(注)裳羽服津:どこか不明。常陸風土記には東峰女山の側の泉に集まったと記す。(伊藤脚注)
(注)あどもふ【率ふ】他動詞:ひきつれる。 ※上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)かがふ【嬥歌ふ】自動詞:男女が集まって飲食し、踊り歌う。(学研)
(注)うしはく【領く】他動詞:支配する。領有する。 ※上代語。(学研)
(注)めぐし【愛し・愍し】形容詞:①いたわしい。かわいそうだ。②切ないほどかわいい。いとおしい。 ※上代語。(学研)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1172)」で紹介している。
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■三八八二歌■
三八八一から三八八四歌の題詞は、「越中國歌四首」<越中(こしのみちのなか)の国の歌四首>である。
◆澁谿乃 二上山尓 鷲曽子産跡云 指羽尓毛 君之御為尓 鷲曽子生跡云
(作者未詳 巻十六 三八八二)
≪書き下し≫渋谿(しぶたに)の二上山(ふたかみやま)に鷲(わし)ぞ子(こ)産(む)といふ翳(さしは)にも君のみために鷲ぞ子産むといふ
(訳)渋谷(しぶたに)に二上山にも鷲が子を生むといいます。せめて翳(さしは)になりとなって、我が君のお役に立とうと、鷲が子を生むといいます。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)さしは【翳・刺し羽】名詞:貴人の外出のときに従者が後ろからさしかける、柄の長いうちわのようなもの。鳥の羽や薄絹などで作る。(学研)
■一三四四歌■
◆真鳥住 卯名手之神社之 菅根乎 衣尓書付 令服兒欲得
(作者未詳 巻七 一三四四)
≪書き下し≫真鳥(まとり)棲む雲梯(うなて)の杜(もり)の菅(すが)の根を衣(きぬ)にかき付け着せむ子もがも
(訳)鷲が棲(す)む雲梯(うなて)の杜(もり)の長い菅(すげ)の根、その根を衣(きぬ)に描き付けて着せてくれるかわいい子がいたらいいのになあ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)うなて(雲梯):奈良県中西部、橿原(かしはら)市の一地区。市西部の曽我(そが)川曲流部に位置する水田農業地区。橿原運動公園があり、国道24号、165号が通じる。『和名抄(わみょうしょう)』の高市郡雲梯郷に比定される。『万葉集』では卯名手と記され、「真鳥住む卯名手の神社(もり)の菅(すが)の根を衣に書きつけ着せむ子もがも」(巻7)「思はぬを思ふといはば真鳥住む卯名手の杜(もり)の神し知らさむ」(巻12)と詠まれている。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典精選版)
(注の注)うんてい【雲梯】:①昔、中国で城攻めに使った長いはしご。②体育・遊戯施設の一。水平または弧状に作られた金属製のはしご状のもので、ぶらさがって渡れるようにした固定遊具。くもばしご。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
(注)もがも:終助詞 《接続》体言、形容詞・断定の助動詞の連用形などに付く。
〔願望〕…があったらなあ。…があればいいなあ。(学研)
■三一〇〇歌■
◆不想乎 想常云者 真鳥住 卯名手乃社之 神思将御知
(作者未詳 巻十二 三一〇〇)
≪書き下し≫思はぬを思ふと言はば真鳥(まとり)棲(す)む雲梯(うなて)の社(もり)の神し知らさむ
(訳)思ってもいないのに思っているなど言おうものなら、恐ろしい鷲(わし)の棲む雲梯(うてな)の社の神様が見通して処分されることであろう。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)まとり【真鳥】:鳥の美称。多く、鷲(わし)をさす。(weblio辞書 三省堂大辞林)
(注)しらす 【知らす・領らす】( 連語 )〔「しる」に上代の尊敬の助動詞「す」が付いたもの〕① お知りになる。知っていらっしゃる。② 国を統治される。しろす。しろしめす。(weblio辞書 三省堂大辞林)
鷲が住むような森があり、雲に届かんばかりの高い木々が、梯子のように見えたので雲梯(うなて)と名付けられたのだろうか。
一三四四歌ならびに三一〇〇歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その131改)で紹介している。
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後期高齢者の今初めて気が付きました。
子供の頃学校や公園で遊んでいた「うんてい」は、運動するための梯とずーっと思い込んでいた。「運梯」でなく「雲梯」だったんだ、と。反省・・・
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」