万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2456)―

●歌は、「筑波嶺の嶺ろに霞居過ぎかてに息づく君を率寝て遣らさね」である。

茨城県つくば市大久保 つくばテクノパーク大穂万葉歌碑(作者未詳) 20230927撮影

●歌碑は、茨城県つくば市大久保 つくばテクノパーク大穂にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆筑波祢乃 祢呂尓可須美為 須宜可提尓 伊伎豆久伎美乎 為祢弖夜良佐祢

       (巻十四 三三八八)

 

≪書き下し≫筑波嶺の嶺ろに霞居過ぎかてに息づく君を率寝て遣らさね

 

(訳)筑波嶺の天辺(てっぺん)に霞がかかってたゆとうているように、門を素通りできずに溜息をついているお方、あのお方を共寝に誘い込んでからお帰えしなさいよ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は序。「過ぎかてに」を起す。(伊藤脚注)

(注)すぎがてに【過ぎがてに】分類連語:通り過ぎることができなくて。素通りできずに。 ⇒なりたち:動詞「す(過)ぐ」の連用形+上代補助動詞「かつ」の未然形「かて」+打消の助動詞「ず」の上代の連用形「に」からなる「すぎかてに」の濁音化。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ゐぬ【率寝】他動詞:連れていって一緒に寝る。共寝する。(学研)

(注)さね[連語]《尊敬の助動詞「す」の未然形+終助詞「ね」。上代語》:敬意を込めて相手にぜひそうしてほしいという気持ちを表す。…なさいね。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 歌の内容は、「過ぎかてに息づく君を率寝て遣らさね」と「過ぎかてに息づく君」の思っている相手の女性に対する、からかかいというかけしかけであるので、嬥歌で歌われた歌であろう。

 

ここで「いさめぬわざ」を通して、嬥歌について、もう少し詳しくみてみよう。

 「万葉神事語辞典」(國學院大學デジタルミュージアム)に次のような説明がある。

 高橋虫麻呂の一七五九歌に詠われている「いさめぬわざ」についてであるが、「神の禁止しない行事。『いさめ』は動詞下二段『いさむ』の未然形。禁止すること。『わざ』は行事。高橋虫麻呂筑波山で行われたカガイ(嬥歌(かがひ)の会)の時に、人妻との交わりは山の神の禁止しない行事だと詠んでいる(9-1759)。カガイは歌垣の東国方言で、春秋の季節に男女が飲食物を持って山に登り、歌を掛け合う行事。筑波山の歌垣は女岳の水辺で行われた。虫麻呂の歌にも裳羽服津(もはきつ)のその津の辺で男女が行き集い、嬥歌(かがひ)が行われたとある。そのカガイの折に『人妻に 吾も交らむ わが妻に 他も言問へ』といい、『この山を 領く神の 昔より 禁めぬ行事ぞ 今日のみは めぐしもな見そ 言も咎むな』という。この山を支配する神が、昔から禁止しない行事であるから、今日ばかりは不都合なことも見るな、いろいろ咎め立てをするな、というのである。普段は神が禁止する行為であるが、今日ばかりは神も禁止しないというのは、人妻に言い寄る行為のことである。我も他人の妻に言い寄り、他人も我が妻に言い寄れということから、カガイに乱婚や性的解放が行われたと説かれたりする。都の官人からは蛮族の風習に見えたのだが、カガイという行事は男女の自由恋愛が主たる目的であり、いわば恋の祝祭がカガイである。その自由恋愛は恋歌によってのみ成立し、恋歌の中にのみ自由恋愛が存在したのである。カガイは未婚・既婚が交じり合い、原初の背と妹との関係になって恋歌を掛け合う。この人妻とは本来結婚すべきであった妹のことであり、カガイは日常の社会性から解放された、背(他人の旦那さん)と妹(他人の奥さん) との自由恋愛でもあり、カガイの行事ではそうした兄と妹との恋愛(模擬恋愛)が許されたのである。嬥歌という漢字は中国西南の少数民族の歌会を指したものだが、貴州省族の歌会では、他人の旦那さん・他人の奥さんと呼び合って恋歌を掛け合う。愛しながらも一緒になれない男女が、歌会の折にのみ兄と妹となって恋歌を歌う。そこには民族における愛の苦難の歴史が存在したのである。」と書かれている。

 

 

高橋虫麻呂の一七五九(長歌)・一七六〇(短歌)をみてみよう。

題詞は、「登筑波嶺為嬥歌會日作歌一首 幷短歌」<筑波嶺(つくはね)に登りて嬥歌会(かがひ)為(す)る日に作る歌一首 幷(あは)せえ短歌>である。

(注)嬥歌>歌垣【うたがき】:古代の風習で,春秋に多数の男女が飲食を携えて山の高みや市などに集い,歌舞を行ったり,求愛して性を解放したりする行事。東国の方言で【かがい】といった。万葉集常陸(ひたち)国風土記に見え,常陸筑波山や大和の海柘榴市(つばいち)で行われたものが名高い。貴族の間で行われるようになると野趣を失い,踏歌(とうか)がこれに代わった。(コトバンク 株式会社平凡社百科事典マイペディア)

 

◆鷲住 筑波乃山之 裳羽服津乃 其津乃上尓 率而 未通女壮士之 徃集 加賀布嬥歌尓 他妻尓 吾毛交牟 吾妻尓 他毛言問 此山乎 牛掃神之 従来 不禁行事叙 今日耳者 目串毛勿見 事毛咎莫 <嬥歌者東俗語曰賀我比]>

          (高橋虫麻呂 巻九 一七五九)

 

≪書き下し≫鷲(わし)の棲(す)む 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)の その津の上(うへ)に 率(あども)ひて 娘子(をとめ)壮士(をとこ)の 行き集(つど)ひ かがふ嬥歌(かがひ)に 人妻(ひとづま)に 我(わ)も交(まじ)はらむ 我(わ)が妻に 人も言(こと)とへ この山を うしはく神の 昔より 禁(いさ)めぬわざぞ 今日(けふ)のみは めぐしもな見そ 事もとがむな <嬥歌は、東の俗語(くにひとのことば)には「かがひ」といふ>

 

(訳)鷲の巣くう筑波に山中(やまなか)の裳羽服津(もはきつ)、その津のあたりに、声掛け合って誘い合わせた若い男女が集まって来て唱(うた)って踊るこのかがいの晩には、人妻におれも交わろう。おれの女房に人も言い寄るがよい。この山を支配する神様が、遠い昔からお許し下さっている行事なのだ。今日一日だけは、あわれだなと思って見て下さるな。何をしてもとがめ立てして下さるな。(同上)

(注)鷲(わし)の棲(す)む:恐しい深山を表すための形容。(伊藤脚注)

(注)裳羽服津:どこか不明。常陸風土記には東峰女山の側の泉に集まったと記す。(伊藤脚注)

(注)あどもふ【率ふ】他動詞:ひきつれる。 ※上代語。(学研)

(注)かがふ嬥歌(かがひ)に:謡って踊るこのかがいの夜には。(伊藤脚注)

(注の注)かがふ【嬥歌ふ】自動詞:男女が集まって飲食し、踊り歌う。(学研)

(注)「人妻に」以下八句、筑波の嬥歌会に許されていた群婚の風俗を歌う。(伊藤脚注)

(注)うしはく【領く】他動詞:支配する。領有する。 ※上代語。(学研)

(注)めぐしもな見そ:女に対して哀れとみるな。(伊藤脚注)

(注の注)めぐし【愛し・愍し】形容詞:①いたわしい。かわいそうだ。②切ないほどかわいい。いとおしい。 ※上代語。(学研)

(注)事もとがむな:男に対してめくじらをたてるな。(伊藤脚注)

 

反歌

男神尓 雲立登 斯具礼零 沾通友 吾将反哉

         (高橋虫麻呂 巻九 一七六〇)

 

≪書き下し≫男神(ひこかみ)に雲立ち上(のぼ)りしぐれ降り濡(ぬ)れ通るとも我(わ)れ帰らめや

 

(訳)男神の嶺(みね)に雲が湧き上がってしぐれが降り、びしょ濡(ぬ)れになろうとも、楽しみ半ばで帰ったりするものか。(同上)

 

 

この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1172)」紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 都の人からみれば、何と低俗なと思いつつも興味もある内容である。万葉集が、巻十四において東歌の性に関する歌の類を収録しているのは、硬軟併せ持つ週刊誌のようにも思える。

万葉集は、国家的見地から見れば、五七五七七という定型短歌が東国を含む国家的領域に及んでいることを示すとともに、都の人々にとってはある種の娯楽性をも提供するツールにもなっている。

硬軟併せ持つ巨大な底知れぬパワーを秘めて現在の我々の前にあってもその存在感をしらしめているのである。

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「万葉神事語辞典」 (國學院大學デジタルミュージアム

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 株式会社平凡社百科事典マイペディア」