―その2254―
●歌は、「港の葦が中なる玉小菅刈り来我が背子床の隔しに」である。
●歌碑(プレート)は、名古屋市千種区東山元町 東山動植物園万葉の散歩道にある。
●歌をみていこう。
◆美奈刀能 安之我奈可那流 多麻古須氣 可利己和我西古 等許乃敝太思尓
(作者未詳 巻十四 三四四五)
≪書き下し≫港(みなと)の葦(あし)が中なる玉小菅(たまこすげ)刈(か)り来(こ)我(わ)が背子(せこ)床(とこ)の隔(へだ)しに
(訳)川口の葦たちに交じって生い茂る小菅、あのきれいな菅を刈って来てよ、あんた。寝床の目隠しのためにさ。(伊藤 博 著「万葉集三」 角川ソフィア文庫より)
(注)みなと【水門・湊・港】名詞:①川や海の、水の出入り口。河口・湾口・海峡など。「みと」とも。②船のとまる所。船着き場。③行き着く所。 ※「な」は「の」の意の上代の格助詞。水の門(と)(=出入り口)の意。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)へだし【隔し】名詞:仕切り。隔て。 ※上代の東国方言。(学研)
万葉時代は、共寝の場合、菅などを編んだ菅畳を敷くとか、薦で編んだ蓆(むしろ)などを敷くとか三四四五歌のように床の仕切りを作るなど、共寝の場、すなわち床を整えていたのが伺える。神聖な場と考えられていたのだろう。共寝をした敷物には二人の霊が着くとも考えられていたようである。
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二八三七歌もみてみよう。
◆三吉野之 水具麻我菅乎 不編尓 苅耳苅而 将乱跡也
(作者未詳 巻十一 三八三七)
≪書き下し≫み吉野の水隈(みぐま)が菅(すげ)を編まなくに刈りのみ刈りて乱りてむとや
(訳)み吉野の川隈に生える菅、この菅を編み上げもしないのに、刈るだけ刈って、散らかしっぱなしにしておくつもりですか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」(角川ソフィア文庫より)
(注)この歌は、男の不誠実をなじる女の歌で、「水隈が菅」は女自身の譬え。(伊藤脚注)
(注)編まなくに:まだ妻にしていないのに。(伊藤脚注)
(注)刈りのみ刈りて乱りてむとや:関係だけ結んで放ったらかしにしておくことへの詰問。(伊藤脚注)
(注)とや 分類連語:①〔文中の場合〕…と…か。…というのか。▽「と」で受ける内容について疑問の意を表す。②〔文末の場合〕(ア)…とかいうことだ。▽伝聞あるいは不確実な内容であることを表す。(イ)…というのだな。…というのか。▽相手に問い返したり確認したりする意を表す。 ⇒参考:②(ア)は説話などの末尾に用いられる。「とや言ふ」の「言ふ」が省略された形。 ⇒なりたち:格助詞「と」+係助詞「や」(学研)ここでは②(イ)
―その2255―
●歌は、「筑波嶺のさ百合の花の夜床にも愛しけ妹ぞ昼も愛しけ」である。
●歌碑(プレート)は、名古屋市千種区東山元町 東山動植物園万葉の散歩道にある。
●歌をみていこう。
◆都久波祢乃 佐由流能波奈能 由等許尓母 可奈之家伊母曽 比留毛可奈之礽
(大舎人部千文 巻二十 四三六九)
≪書き下し≫筑波嶺(つくはね)のさ百合(ゆる)の花の夜床(ゆとこ)にも愛(かな)しけ妹(いも)ぞ昼も愛(かな)しけ
(訳)筑波の峰に咲き匂うさゆりの花というではないが、その夜(よる)の床でもかわいくてならぬ子は、昼間でもかわいくってたまらぬ。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)上二句は序。「夜床」を起こす。(伊藤脚注)
(注)さ百合の花:妻を匂わす。(伊藤脚注)
(注)愛しけ:「愛しき」の東国形。(伊藤脚注)
「百合(ゆる)」から「夜床(ゆとこ)」を起こす、東国訛り同音でもってくるのが、微笑ましい。おのろけの様が目に浮かぶのである。
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この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1072)」で紹介している。
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大舎人部千文はもう一首詠んでいる。四三七〇歌もみてみよう。
◆阿良例布理 可志麻能可美乎 伊能利都ゝ 須米良美久佐尓 和例波伎尓之乎
(大舎人部千文 巻二十 四三七〇)
≪書き下し≫霰降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍に我れは来にしを
(訳)霰が降ってかしましいというではないが、鹿島の神、その猛々(たけだけ)しい神に祈りながら、天皇(すめらき)の兵士として、おれはやって来たつもりなのに・・・(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)あられふり【霰降り】[枕]:あられの降る音がかしましい意、また、その音を「きしきし」「とほとほ」と聞くところから、地名の「鹿島(かしま)」「杵島(きしみ)」「遠江(とほつあふみ)」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
(注)結句「我れは来にしを」の下に、四三六九歌のような妻への愛着に暮れるとは、の嘆きがこもる。(伊藤脚注)
左注は、「右二首那賀郡上丁大舎人部千文」<右の二首は那賀(なか)の郡の上丁(じやうちやう)大舎人部千文(おほとねりべのちふみ)>である。
犬養 孝氏は、その著「万葉の人びと」(新潮文庫)のなかで、「『私』に徹する思いがあればこそ、『われは来にしを』、私は皇軍として来たのだ・・・公と私という二つの苦しい気持ちが胸の中で闘っている状態を、瞬間に押さえた気持なのです。だからこそ、次の瞬間には、『筑波嶺のさ百合(ゆる)の花の夜床(ゆとこ)にも愛(かな)しけ妹そ昼も愛(かな)しけ』という歌が生まれてくるのです・・・防人の歌というのは、一言でいえば何といったらよいかというと、・・・『真情の輝き』だと思います。人間の真実の心、真心の輝きでしょう。万葉第四期にこういう庶民の歌があるということは素晴らしいことだと思います。」と書かれている。
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―その2256―
●歌は、「向つ峰の若桂の木下枝取り花待つい間に嘆きつるかも」である。
●歌碑(プレート)は、名古屋市千種区東山元町 東山動植物園万葉の散歩道にある。
●歌をみていこう。
◆向岳之 若楓木 下枝取 花待伊間尓 嘆鶴鴨
(作者未詳 巻七 一三五九)
≪書き下し≫向つ峰(むかつを)の若楓(わかかつら)の木下枝(しづえ)とり花待つい間に嘆きつるかも
(訳)向かいの高みの若桂の木、その下枝を払って花の咲くのを待っている間にも、待ち遠しさに思わず溜息がでてしまう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)むかつを【向かつ峰・向かつ丘】名詞:向かいの丘・山。 ※「つ」は「の」の意の上代の格助詞。上代語。(学研)
(注)上二句、少女の譬え。(伊藤脚注)
(注)下枝(しづえ)とり:下枝を払う。何かと世話をする意。(伊藤脚注)
(注)花待つい間に:成長するのを待っている間にも。(伊藤脚注)
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この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その465)」で紹介している。
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拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2217)」以降本稿までの歌碑の写真に「20210216撮影」とありますが、東山動植物園万葉の散歩道の歌碑巡りを行った際、いつも通りデジカメを持参、予備的に携帯でも撮影しているが、これらの歌碑(プレート)の一連は携帯で撮り、後で整理して紹介しようとしていたが、忘れてしまったものであり、万葉故地シリーズで紹介している時にこのデータが未紹介であったことに気付いたためです。
いよいよ次稿から、7月4~6日にかけての石川県・富山県の万葉歌碑巡りシリーズを紹介させていただきます。
大伴家持も通ったといわれる石川県から富山県にかけての「臼が峰往来」の歌碑巡りはかねてから是非行ってみたいと思い続けていたもので、グーグルマップのストリートビューで追跡できているということは車でも行けるのだとの確信を持って今回、思い切って行ってきたものである。後期高齢者であるが故、余裕をもったスケジュールにしたのは言うまでもない。
引き続き、ご高覧賜りますようお願い申し上げます。
この歌碑巡りから戻った時、ちょうど、紹介した四三六九歌の「ヤマユリ」が咲いてお帰りなさい、といってくれたのはうれしかった。大きな花であり、あたりに漂う甘い香りは官能的でもある。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」