―その2233―
●歌は、「いにしへに恋ふる鳥かも弓絃葉の御井の上より鳴き渡り行く」である。
●歌碑(プレート)は、名古屋市千種区東山元町 東山動植物園万葉の散歩道にある。
●歌をみていこう。
◆古尓 戀流鳥鴨 弓絃葉乃 三井能上従 鳴嚌遊久
(弓削皇子 巻二 一一一)
≪書き下し≫いにしへに恋ふらむ鳥かも弓絃葉(ゆずるは)の御井(みゐ)の上(うへ)より鳴き渡り行く
(訳)古(いにしえ)に恋い焦がれる鳥なのでありましょうか、鳥が弓絃葉の御井(みい)の上を鳴きながら大和の方へ飛び渡って行きます。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)こふ【恋ふ】他動詞:心が引かれる。慕い思う。なつかしく思う。(異性を)恋い慕う。恋する。 ⇒注意 「恋ふ」対象は人だけでなく、物や場所・時の場合もある。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
題詞は、「幸于吉野宮時弓削皇子贈与額田王歌一首」<吉野の宮に幸(いでま)す時に、弓削皇子(ゆげのみこ)の額田王(ぬかたのおほきみ)に贈与(おく)る歌一首>である。
(注)吉野の宮に幸(いでま)す時:藤原遷都(持統八年 694年)以前の行幸らしい。(伊藤脚注)
(注)弓削皇子:天武天皇の子。母は大江皇女。文武三年(699年)七月没。持統統治政下に不遇であったらしい。(伊藤脚注)
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この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(1041)」」で歌の背景とともに紹介している。
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桜井市粟原寺跡の歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その110改)」で紹介している。
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―その2234―
●歌は、「伎波都久の岡の茎韮我れ摘めど籠にも満たなふ背なと摘まさね」である。
●歌碑(プレート)は、名古屋市千種区東山元町 東山動植物園万葉の散歩道にある。
●歌をみていこう。
◆伎波都久乃 乎加能久君美良 和礼都賣杼 故尓毛美多奈布 西奈等都麻佐祢
(作者未詳 巻十四 三四四四)
≪書き下し≫伎波都久(きはつく)の岡(おか)の茎韮(くくみら)我(わ)れ摘めど籠(こ)にも満(み)たなふ背(せ)なと摘まさね
(訳)伎波都久(きわつく)の岡(おか)の茎韮(くくみら)、この韮(にら)を私はせっせと摘むんだけれど、ちっとも籠(かご)にいっぱいにならないわ。それじゃあ、あんたのいい人とお摘みなさいな。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)茎韮(くくみら):《「くく」は茎、「みら」はニラの意》ニラの花茎が伸びたもの。(コトバンク デジタル大辞泉)
(注の注)みら(韮):ユリ科のニラの古名。コミラ、フタモジの異名もある。中国の南西部が原産地。昔から滋養分の多い強精食品として知られる。(「植物で見る万葉の世界」 万葉の花の会発行)
(注)なふ 助動詞特殊型《接続》動詞の未然形に付く:〔打消〕…ない。…ぬ。 ◆※上代の東国方言。(学研)
上四句と結句が二人の女が唱和する形になっている。韮摘みの歌と思われる。
明らかに巻十四、東歌であるが、歌碑が島根県益田市西平原町 鎌手公民館に立てられている。
この歌碑の解説案内板には、江戸時代の同地の古文書に書かれていたことを根拠に、柿本人麻呂の作として書かれている。
巻十四で「柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ」と書かれている歌は、三四一七、三四七〇、三四八一、三四九〇歌の四首である。三四四一歌では、左注に「柿本朝臣人麻呂が歌集には『遠くして』といふ。また『歩め黒駒』といふ。」とあり、「類歌」である旨注釈がついているので、柿本人麻呂歌集にあって巻十四に収録されたのは四首である。
島根県の柿本人麻呂に対する思いは桁外れであるように思える。地元愛がこの歌を当地で柿本人麻呂が詠ったとして歌碑を作っている。この地元愛には驚かされる。
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この島根県益田市西平原町 鎌手公民館の歌碑と歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1980)」で紹介している。
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―その2235―
●歌は、「紫草のにほえる妹を憎くあらば人妻故に我れ恋ひめやも」である。
●歌碑(プレート)は、名古屋市千種区東山元町 東山動植物園万葉の散歩道にある。
●歌をみていこう。
題詞は、「皇太子答御歌 明日香宮御宇天皇謚曰天武天皇」<皇太子(ひつぎのみこ)の答へたまふ御歌 明日香(あすか)の宮に天の下知らしめす天皇、謚(おくりな)して天武天皇(てんむてんのう)といふ>である。
◆紫草能 尓保敝類妹乎 尓苦久有者 人嬬故尓 吾戀目八方
(大海人皇子 巻一 二一)
≪書き下し≫紫草(むらさき)のにほへる妹(いも)を憎(にく)くあらば人妻(ひとづま)故(ゆゑ)に我(あ)れ恋(こ)ひめやも
(訳)紫草のように色美しくあでやかな妹(いも)よ、そなたが気に入らないのであったら、人妻と知りながら、私としてからがどうしてそなたに恋いこがれたりしようか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)むらさきの【紫の】( 枕詞 ):①植物のムラサキで染めた色のにおう(=美シクカガヤク)ことから、「にほふ」にかかる。②ムラサキは染料として名高いことから、地名「名高(なたか)」にかかる。③ムラサキは濃く染まることから、「こ」にかかる。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)
左注は、「紀曰 天皇七年丁卯夏五月五日縦獦於蒲生野 于時大皇弟諸王内臣及群臣皆悉従焉」<紀には、「天皇の七年丁卯(ひのとう)の夏の五月の五日に、蒲生野(かまふの)に縦猟(みかり)す。 時に大皇弟(ひつぎのみこ)・諸王(おほきみたち)・内臣(うちのまへつきみ)また群臣(まへつきみたち)、皆悉(ことごと)に従(おほみとも)なり>である。
(注)七年:天智七年(668年)
(注)大皇弟:皇太弟、すなわち大海人皇子。(伊藤脚注)
(注)内臣:ここは、藤原鎌足。(伊藤脚注)
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この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その651)」で紹介している。
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額田王の歌(二〇歌)に答えた歌である。
二〇歌、二一歌の歌碑(プレートを除く)は結構立派なものがある。これまで見てきた歌碑をみてみよう。
■滋賀県東近江市糠塚町 万葉の森船岡山 蒲生野狩猟レリーフ横万葉歌碑
■大阪府吹田市津雲台 千里南公園ならびに大分県豊前国府跡公園万葉歌の森万葉歌碑(額田王)
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 (國學院大學万葉の花の会発行)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」