■にら■
●歌は、「伎波都久の岡の茎韮我れ摘めど籠にも満たなふ背なと摘まさね」である。
●歌碑(プレート)は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。
●歌をみていこう。
◆伎波都久乃 乎加能久君美良 和礼都賣杼 故尓毛美多奈布 西奈等都麻佐祢
(作者未詳 巻十四 三四四四)
≪書き下し≫伎波都久(きはつく)の岡(おか)の茎韮(くくみら)我(わ)れ摘めど籠(こ)にも満(み)たなふ背(せ)なと摘まさね
(訳)伎波都久(きわつく)の岡(おか)の茎韮(くくみる)、この韮(にら)を私はせっせと摘むんだけれど、ちっとも籠(かご)にいっぱいにならないわ。それじゃあ、あんたのいい人とお摘みなさいな。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)茎韮(くくみら):花茎の立った韮。(伊藤脚注)
(注の注)茎韮(くくみら):ユリ科のニラの古名。コミラ、フタモジの異名もある。中国の南西部が原産地。昔から滋養分の多い強精食品として知られる。(「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)
(注)なふ 助動詞特殊型:《接続》動詞の未然形に付く。〔打消〕…ない。…ぬ。 ※上代の東国方言。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)さね 分類連語:…なさってほしい。 ※上代語。 ⇒なりたち尊敬の助動詞「す」の未然形+終助詞「ね」(学研)
この歌に関して、伊藤 博氏は脚注で、「上四句と結句とを二人の女が唱和する形。」と書かれている。
韮摘みの歌と思われる。
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この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1182)」で紹介している。
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農畜産業振興機構HPに「にら」について次の詳しく書かれているので引用させていただきます。
「にらは中国西部原産の野菜です。東アジアの各地に自生していますが、にらそのものはヨーロッパにはない野菜です。
日本のにら栽培の歴史は平安時代の記録に記されるほど古く、古事記では「加美良(かみら)」、万葉集では「久君美良(くくみら)」として登場。「にら」という名は、おいしいという意味の古語「美良」(みら)が変化(子音交替)した言葉といわれています。
江戸時代には、薬用として利用されており、食用として利用されるようになったのは、明治時代に入ってからです。戦前は家庭菜園での栽培が主で、あまり店頭には並びませんでした。野菜として消費が増えたのは戦後。現在では、ビタミン豊富で栄養価の高いスタミナ野菜として健康志向を背景に消費が伸びています。
品種と栽培方法の改良で、北海道から沖縄まで全国的に栽培されるようになっており、一年中手に入りますが、1~5月の入荷量が比較的多く、旬は春先から初夏にかけてです。」
拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1182)」では、「黄にら」についてもふれている。
この歌の歌碑が、東歌であるが、島根県益田市西平原町 鎌手公民館にある。
歌碑の解説案内文には、「鎌手山あたりは人麿の時代には伎波都久の岡と呼ばれていたという。江戸時代の有名な地誌「石見八重葎」には石見名所三十六か所の一つとしてこれを紹介している。・・・石見八重葎及び石見岡名所和歌集成によると、この歌は柿本人麿が作るとなっている。万葉集四千五百首のうち石見で歌われたものの数は少ない。人麿にあやかって、今一首伎波都久の秀歌を世に紹介できることはこの里に住むものの大きい喜びである。」と書かれている。
島根県益田の地では、柿本人麻呂を、敬愛を込めて『人丸さん』と呼んでいるようである。人麻呂に少しでも結びつく可能性があれば、親しみを込めて取り込もうとする地元の強い思いが伝わってくる歌碑であり歌の解説案内文である。
島根県益田市西平原町 鎌手公民館の歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1980)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「農畜産業振興機構HP」