■なんばんぎせる■
●歌は、「道の辺の尾花が下の思ひ草今さらさらに何をか思はむ」である。
●歌碑(プレート)は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。
●歌をみていこう。
◆道邊之 乎花我下之 思草 今更尓 何物可将念
(作者未詳 巻十 二二七〇)
≪書き下し≫道の辺(へ)の尾花(をばな)が下(した)の思(おも)ひ草(ぐさ)今さらさらに何をか思はむ
(訳)道のほとりに茂る尾花の下蔭の思い草、その草のように、今さらうちしおれて何を一人思いわずらったりするものか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)上三句は序。下二句の譬喩。(伊藤脚注)
(注)思ひ草:おもひぐさ〘名〙: 植物「なんばんギセル(南蛮煙管)」の異名。《季・秋》 ⇒[補注]どの植物を指すのかについては古来諸説がある。和歌で「尾花が下の思草」と詠まれることが多いところから、ススキなどの根に寄生する南蛮煙管と推定されている。「思ふ」を導いたり、「思ひ種」にかけたりして用いられるが、下向きに花をつける形が思案する人の姿を連想させることによるものか。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
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この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2044)」で紹介している。
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「おもひぐさ(ナンバンギセル)」については、「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)に、「1年生寄生植物のナンバンギセル(南蛮煙管)」。これが集中に詠まれている『おもひぐさ』であるかどうかについては、古来意見が分かれるところであるが、チガヤ・ミョウガ・オカボ・サトウキビなどにも寄生して、その根元にひっそりと花を咲かせる。失ってしまった恋を想い、ホッと大きなため息をついているような風情は、読み人知らずのこの歌にまさにぴったりの花ではないだろうか。」と書かれている。
拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2045)」にも書いているが、「ナンバンキセル」の花を初めて見たのは、2021年8月19日である。以来毎年平城宮跡にナンバンキセルの花を追っかけているのである。
今年は、8月10日から10月11日まで何と10回も平城宮跡に足を運んでいるのである。夏が暑かったせいか今年は10月に入っても花を見ることができたのである。時の移ろいとともに枯れてしまった花、黒く寂しくも哀愁がただようが、それなりに可憐さを持ち合わせているのである。
いずれも平城宮跡で撮影。10月11日撮影の枯れた花はこれまでと同じ場所であるが、花の方は、荻の根元から離れた通路中央あたりの雑草の根元で確認されたものである。
「道の辺(へ)の尾花(をばな)が下(した)の思(おも)ひ草(ぐさ)今さらさらに何をか思はむ」
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)
★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」