●歌は、「率ひて漕ぎ去にし舟は高島の安曇の港に泊てにけむかも(高市黒人 9-1718)」である。
【あどの湊】
「高市黒人(巻九‐一七一八)(歌は省略) 『阿渡(あど)の水門(みなと)』は、高島郡の安曇川(あどがわ)の河口付近にあった湊であろう。・・・湖西舟航のむかしにはたいせつな湊であったろう。この歌は湖上でのことで、自分の船とは反対の方向に何艘か“つれだって漕いでいった船は、いまごろ高島の安曇の川口に泊まったことだろうか”というのである。『率(あども)ひて・漕ぎ行く・船は』と一つの方向に焦点化してゆく表現は、作者の、船によせる心ひかれの心情でもあり、湖上のあとにのこる寂寥感をもあらわしてゆく。そこへ三・四句の地名によって縹渺(ひょうびょう)たる大景の中のはるかな一点が明示されて結句の詠歎となるから、作者の、船のあとを追う心情も、空虚な夕景の湖面にのこる旅のやるせなさ不安なわびしさもいちだんと強まってくる。去る船もゆく船も湖上の寂寥の中につつまれてしまうようだ。黒人のように地名を多用(一八首中二九)した作家もないが、ことに第三句に地名をおくこと一一にもおよんで、心情の特異なあらわしかたをしたものはめずらしい。」(「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)
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巻九 一七一八歌をみていこう。
■巻九 一七一八歌■
◆足利思代 榜行舟薄 高嶋之 足速之水門尓 極尓監鴨
(高市黒人 巻九 一七一八)
≪書き下し≫率(あども)ひて漕(こ)ぎ去(い)にし舟は高島(たかしま)の安曇(あど)の港に泊(は)てにけむかも
(訳)行く先は安曇(あど)だと、声を掛け合って漕ぎ出して行った舟は、もう高島のその安曇の港に着いたことであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)率ひて:声を掛け合って調子を合わせ。「安曇思ひ」を懸けるか。(伊藤脚注)
(注)あどもふ 【率ふ】他動詞:ひきつれる。 ※上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
一七一五から一七一九歌は、それぞれ題詞が、「槐本が歌一首」、「山上が歌一首」、「春日が歌一首」、「高市が歌一首」、「春日蔵が歌一首」となっており、一七一九歌の左注は、左注は、「右一首或本云 小辨作也 或記姓氏無記名字 或称名号不称姓氏 然依古記 便以次載 凡如此類下皆放焉」<右の一首は、或本には、「小弁(しょうべん)が作」といふ。或いは姓氏を記(しる)せど名字を記することなく、或は名号を偁(い)へれど姓氏を偁(い)はず。しかれども、古記によりてすなはち次(つぎて)をもちて載(の)す。すべてかくのごとき類(たぐひ)は、下(しも)みなこれに倣(なら)へ>である。
この五首について、伊藤氏は脚注で「近江の旅の歌」と書かれている。
(注)小弁:伝未詳(伊藤脚注)
(注の注)姓氏を記(しる)せど名字を記することなく:一七一五歌は「槐本が歌一首」、一七一六歌は「山上が歌一首」、一七一七歌「春日が歌一首」、一七一八歌「高市が歌一首」、一七一九歌が「春日蔵が歌一首」となっていることをいう。
(注の注)名号を偁(い)へれど姓氏を偁(い)はず:一七二〇~二二歌「元仁が歌三首」、以下「絹、島足、麻呂」となっていることをさしている。
一七一五歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その244・245)」で紹介している。
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一七一六歌については、同「同(その2430)」で紹介している。
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一七一七および一七一九歌については、同「同(その1417)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」