●歌は、「いづくにか我が宿りしせむ高島の勝野の原にこの日暮れなば(高市黒人 3-275)」である。
【勝野の原】
「高市黒人(巻三‐二七五)(歌は省略)・・・勝野はひところまで舟運の港だったがいまは小さな漁舟の泊り場だ。かつての『大御舟(おおみふね)泊(は)ててさもらふ高島の三尾(みを)の勝野(かつの)の渚(なぎさ)』(巻七‐一一七一)はここであろう。・・・安曇川(あどがわ)の南北にひろがる一帯は湖西でのいちばん広い平野部である。・・・もとは荒涼とした原野であったろう。勝野の原は勝野を中心とした湖畔の広野のことであろう。・・・この歌は、宿るところてない旅の不安な心細さを上の二句にうったえて、三句以下には具体的に土地の名をあげていって今日の日の暮れてしまう実機の中に主観を定着させてゆく呼吸である。だから原野の夜への不安は旅人の心魂をひしひしとつつんでゆくようだし、逆に感動も孤愁の色を深めてゆらぎ出てくる。しかも、しーんとたたえた勝野の湖面の残光が広野の空に反映していることも忘れることができない、」(「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)
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巻三 二七五歌をみていこう。
■巻三 二七五歌■
◆何處 吾将宿 高嶋乃 勝野原尓 此日暮去者
(高市黒人 巻三 二七五)
≪書き下し≫いづくにか我(わ)が宿りせむ高島(たかしま)の勝野(かつの)の原(はら)にこの日くれなば。
(訳)いったいどのあたりでわれらは宿をとることになるのだろうか。高島の勝野の原でこの一日が暮れてしまったならば。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)高島:高島市。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その250)」で、高市連黒人(たけちのむらじくろひと)が羇旅(きりょ)の歌八首(二七歌から二七七歌)ならびに二七五歌の高島市勝野 関電高島変電所前万葉歌碑とともに紹介している。
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次に、巻七 一一七一歌をみてみよう。
■巻七 一一七一歌■
◆大御船 竟而佐守布 高嶋之 三尾勝野之 奈伎左思所念
(作者未詳 巻七 一一七一)
≪書き下し≫大御船(おほみふね)泊(は)ててさもらふ高島(たかしま)の三尾(みを)の勝野(かつの)の渚(なぎさ)し思ほゆ
(訳)大君のお召の船が泊まって風待ちをした、高島の三尾の勝野の、渚のさまがはるかに思いやられる。(同上)
(注)さもらふ 【候ふ・侍ふ】自動詞:①ようすを見ながら機会をうかがう。見守る。②貴人のそばに仕える。伺候する。 ※「さ」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)高島の三尾の勝野:滋賀県高島市。琵琶湖西岸の野。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その252)」で高島市勝野 大溝漁港万葉歌碑とともに紹介している。
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犬養著の解説文の地名は、下記の地図を参考にしてください。

(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「グーグルマップ」