万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その250)―高島市勝野 関電高島変電所前―万葉集 巻三 二七五

●歌は、「いづくにか我が宿りしせむ高島の勝野の原にこの日暮れなば」である。

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高島市勝野 関電高島変電所前万葉歌碑(高市黒人

●歌碑は、高島市勝野 関電高島変電所前にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆何處 吾将宿 高嶋乃 勝野原尓 此日暮去者

       (高市黒人 巻三 二七五)

 

≪書き下し≫いづくにか我(わ)が宿りせむ高島の勝野の原にこの日くれなば。

 

(訳)いったいどのあたりでわれらは宿をとることになるのだろうか。高島の勝野の原でこの一日が暮れてしまったならば。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 上二句で、「いづくにか我(わ)が宿りせむ」と、主観的に、不安を先立たせ、目の前の現実の土地「高島の勝野の原」に落とし込む。「この日くれなば」と状況を畳みかけているのである。夕暮れ迫る中、西近江路を急ぐ不安な気持ちが時を越えて伝わってくるのである。

 

 歌碑の歌が収録されている、題詞「高市連黒人覊旅歌八首」をみておこう。

※ 訳はすべて、(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫)によっている。

 

◆客為而 物戀敷尓 山下 赤乃曽保舡 奥榜所見(二七〇歌)

≪書き下し≫旅にしてもの恋(こひ)しきに山下(やました)し赤(あけ)のそほ船(ふね)沖に漕(こ)ぐ見ゆ

(訳)旅先にあって妻(つま)恋しく思っている時に、ふと見ると、先ほどまで山の下にいた朱塗りの船が沖のかなたを漕ぎ進んでいる。

(注)この冒頭歌だけ地名がない

 

◆櫻田部 鶴鳴渡 年魚市方 塩干二家良之 鶴鳴渡(二七一歌)

≪書き下し≫桜田 (さくらだ)へ鶴(たづ)鳴き渡る年魚市潟(あゆちがた)潮干(しほひ)にけらし鶴鳴き渡る

(訳)桜田の方へ、鶴が群れ鳴き渡って行く。年魚市潟(あゆちがた)では潮が引いたらしい。今しも鶴が鳴き渡って行く。

 

◆四極山 打越見者 笠縫之 嶋榜隠 棚無小舟(二七二歌)

≪書き下し≫四極山(しはつやま)うち越(こ)え見れば笠縫(かさぬひ)の島漕(こ)ぎ隠(かく)る棚(たな)なし小舟(をぶね)

(訳)四極山を越えて海上を見わたすと、笠縫(かさぬい)の島陰に漕ぎ隠れようとする小舟が見える。

 

◆礒前 榜手廻行者 近江海 八十之湊尓 鵠佐波二鳴 未詳 (二七三歌)

≪書き下し≫磯(いそ)の崎(さき)漕(こ)ぎ廻(た)み行けば近江(あふみ)海(うみ)八十(やそ)の港(みなと)に鶴(たづ)さはに鳴く 未詳

 (注)未詳とあるが、二七四、二七五歌の近江の歌と同じ折か不明、の意らしい

(訳)磯の崎を漕ぎめぐって行くと、近江の海、この海にそそぐ川の河口ごとに、鶴がたくさんうち群れて鳴き騒いでいる。

 

◆吾船者 枚乃湖尓 榜将泊 奥部莫避 左夜深去來(二七四歌)

≪書き下し≫我(わ)が舟は比良(ひら)の港に漕(こ)ぎ泊(は)てむ沖へな離(さか)りさ夜(よ)更(ふ)けにけり

(訳)われらの舟は比良の港でとまることにしよう。沖の方へ離れてくれるなよ。もはや夜も更けてきたことだし。

 

◆何處 吾将宿 高嶋乃 勝野原尓 此日暮去者(二七五歌)

≪書き下し≫いづくにか我(わ)が宿りせむ高島(たかしま)の勝野(かつの)の原にこの日暮れなば

(訳)いったいどのあたりでわれらは宿を取ることになるのだろうか。高島の勝野の原でこの一日が暮れてしまったならば。

 

◆妹母我母 一有加母 三河有 二見自道 別不勝鶴(二七六歌)

一本云 水河乃 二見之自道 別者 吾勢毛吾文 獨可文将去

≪書き下し≫妹も我(あ)れも一つなれかも三河(みかは)なる二見(ふたみ)の道ゆ別れかねつる

 一本には「三河の二見の道ゆ別れなば我(わ)が背(せ)も我(あ)れも一人かも行かむ」といふ

(訳)あなたも私も一つだからでありましょうか、三河の国の二見の道で、別れようとしてなかなか別れられないのは。

 一本「三河の国の二見の道でお別れしてしまったならば、あなたも私も、これから先一人ぼっちで旅行くことになるのでしょうか。

 

◆速来而母 見手益物乎 山背 高槻村 散去奚留鴨(二七七歌)

≪書き下し≫早(はや)来ても見てましものを山背の多賀(たが)の槻群(つきむら)散りにけるかも

(訳)もっと早くやって来て見たらよかったのに。山背の多賀のもみじした欅(けやき)、この欅林(けやきばやし)は、もうすっかり散ってしまっている。

 

  犬養 孝氏は、その著「万葉の人びと」(新潮文庫)のなかでおもしろい分析をされている。黒人の歌は、上二句で切れるか、小休止している歌が多いという。

 さらに、万葉集に収録されている十八首の歌の中に地名が二十九も出て来るのであるが、奈良の地名はわずかで、よその土地や見知らぬ土地を詠いこんでいるのである。

また、普通は、第一句に地名が多いのであるが、黒人の場合、二十九の地名のうち、十一の地名が第三句目にあり、他の作者にはない大きな特徴を有しているのである。

 

 この羇旅の歌八首をこのような見方で見てみよう。地名にはアンダーラインをつけた。冒頭歌二七〇歌には地名がない。地名ではないが、「山下」という場所的要素が同じような雰囲気を醸し出している。

 

客為而 物戀敷尓 山下 赤乃曽保舡 奥榜所見(二七〇歌)

櫻田部 鶴鳴渡 年魚市方 塩干二家良之 鶴鳴渡(二七一歌)

四極山 打越見者 笠縫之 嶋榜隠 棚無小舟(二七二歌)

礒前 榜手廻行者 近江海 八十之湊尓 鵠佐波二鳴 未詳 (二七三歌)

吾船者 乃湖尓 榜将泊 奥部莫避 左夜深去來(二七四歌)

何處 吾将宿 高嶋乃 勝野原尓 此日暮去者(二七五歌)

妹母我母 一有加母 三河有 二見自道 別不勝鶴(二七六歌)

速来而母 見手益物乎 山背 高槻村 散去奚留鴨(二七七歌)

 

 この八首の歌にも、地名は、十あり、ほとんどが第三句目にある。また、上二句で切れるか、小休止している歌が多く、小気味よいリズムになっている。

 

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高島市勝野 関西電力高島変電所



 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「コトバンク ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」

 

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