万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2483)―

●歌は、「松の葉に月はゆつりぬ黄葉の過ぐれや君が逢はぬ夜の多き」である。

茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森万葉歌碑(プレート)(池辺王) 20230927撮影

●歌碑(プレート)は、茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「池邊王宴誦歌一首」<池辺王(いけへのおほきみ)が宴誦歌(えんしようか)一首>である。

(注)池辺王:大友皇子の孫。淡海三船の父。(伊藤脚注)

(注の注)大友皇子>【弘文天皇】:第三九代天皇天智天皇の第一皇子。伊賀皇子、大友皇子とも。太政大臣を経て六七一年即位。在位八か月。皇居は近江滋賀の大津宮。弘文元年(六七二)壬申(じんしん)の乱で大海人皇子(おおあまのおうじ)(=天武天皇)と争って敗れ、自害した。「懐風藻」にその伝記と漢詩二首が収められる。明治三年(一八七〇)、正式に天皇の列に加えられ、弘文天皇諡号(しごう)がおくられた。大化四~弘文元年(六四八‐六七二)(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)宴誦歌:宴席朗誦の歌。お座敷歌の類。(伊藤脚注)

 

◆松之葉尓 月者由移去 黄葉乃 過哉君之 不相夜多焉

       (池辺王 巻四 六二三)

 

≪書き下し≫松の葉に月はゆつりぬ黄葉(もいちば)の過ぐれや君が逢はぬ夜ぞ多き

 

(訳)松の葉越しに月は渡っていくし、おいでを待ったあげくにいつしか月も替(か)わってしまった。まさかあの世に行ったわけでもあるまいに、あなたの逢いに来ぬ夜が重なること、重なること。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)松の葉:「待つの端(待った挙句)に意を懸ける。(伊藤脚注)

(注)ゆつる:「い移る」の約。天体の運行と暦月の推移とをいう。(伊藤脚注)

(注の注)ゆつる【移る】[動]:経過する。うつる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)もみぢばの【紅葉の・黄葉の】分類枕詞:木の葉が色づいてやがて散るところから「移る」「過ぐ」にかかる。 ※上代では「もみちばの」。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)過ぐれや:あの世に行ったわけでもあるまいに。おどけ。(伊藤脚注)

 

 池辺王は大友皇子弘文天皇)の孫である。壬申の乱で落城したと伝えられる大友皇子弘文天皇)の三尾の城は、高島の地にあったといわれている。

滋賀県高島市勝野にある乙女ヶ池一帯は、万葉の時代に「香取の海」と呼ばれ琵琶湖の入り江であったという。勝野の地名は、恵美押勝が挙兵に失敗し、高島郡三尾崎で捕らえられ、「勝野の鬼江」で斬罪されたと伝えられる地でも知られている。

乙女が池の湖畔には、巻十一 二四三六歌の歌碑が立てられている。

歌をみてみよう。

 

◆大船 香取海 慍下 何有人 物不念有

       (作者未詳 巻十一 二四三六)

 

≪書き下し≫大船(おほぶね)の香取(かとり)の海にいかり下ろしいかなる人か物思はずあらむ。

 

(訳)大船の香取の海にいかりを下ろすというではないが、この世のいかなる人が物思いをせずにいられるのであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)大船の:「香取」の枕詞。楫取の意。上三句は序。「いかなる」を起す。(伊藤脚注)

(注の注)おほぶねの【大船の】分類枕詞:①大船が海上で揺れるようすから「たゆたふ」「ゆくらゆくら」「たゆ」にかかる。②大船を頼りにするところから「たのむ」「思ひたのむ」にかかる。③大船がとまるところから「津」「渡り」に、また、船の「かぢとり」に音が似るところから地名「香取(かとり)」にかかる。「おほぶねの渡(わたり)の山」(学研)ここでは③の意

(注)香取の海:滋賀県高島市の地名か。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その251)」で紹介している。

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高島市勝野にはこの歌碑の他に、関電高島変電所前、大溝漁港、高島郵便局前に歌碑が立てられている。それぞれ歌をみてみよう。

 

■関電高島変電所前万葉歌碑■

◆何處 吾将宿 高嶋乃 勝野原尓 此日暮去者

       (高市黒人 巻三 二七五)

 

≪書き下し≫いづくにか我(わ)が宿りせむ高島の勝野の原にこの日くれなば。

 

(訳)いったいどのあたりでわれらは宿をとることになるのだろうか。高島の勝野の原でこの一日が暮れてしまったならば。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)高島:高島市

 

 上二句で、「いづくにか我(わ)が宿りせむ」と、主観的に、不安を先立たせ、目の前の現実の土地「高島の勝野の原」に落とし込む。「この日くれなば」と状況を畳みかけているのである。夕暮れ迫る中、西近江路を急ぐ不安な気持ちが時を越えて伝わってくるのである。

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その250)」で紹介している。

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■大溝漁港万葉歌碑■

◆大御船 竟而佐守布 高嶋之 三尾勝野之 奈伎左思所念

          (作者未詳 巻七 一一七一)

 

≪書き下し≫大御船(おほみふね)泊(は)ててさもらふ高島(たかしま)の三尾(みを)の勝野(かつの)の渚(なぎさ)し思ほゆ 

 

(訳)大君のお召の船が泊まって風待ちをした、高島の三尾の勝野の、渚のさまがはるかに思いやられる。(同上)

(注)さもらふ 【候ふ・侍ふ】:ようすを見ながら機会をうかがう。見守る。

(注)三尾(みを)の勝野(かつの):滋賀県高島市。琵琶湖西岸の野。

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その252)」で紹介している。

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■高島郵便局前万葉歌碑■

◆思乍 雖来ゝ不勝而 水尾埼 真長乃浦乎 又顧津

                   (碁師 巻九 一七三三)

 

≪書き下し≫思ひつつ来(く)れど来(き)かねて三尾(みを)の崎(さき)真長(まなが)の浦をまたかへり見つ

 

(訳)心ひかれながらも寄らずに来たけれど、やっぱり素通りしかねて、三尾の崎や真長の浦のあたりを、またまた振り返って見てしまった。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)碁師:碁氏出身の法師か。(伊藤脚注)

(注)三尾の崎:琵琶湖の西岸、高島市の明神崎か。その北の岬とも。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その254)」で紹介している。

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 これら高島の歌碑を訪れたのは2019年である。万葉集の歌の背景、歴史等まだまだ理解不足の所があり、歌碑優先となっているのは否めない。

 機会があれば、改めてもう一度歌碑巡りをして歌の背景にどっぷりとはまってみたい思いに捕らわれたのである。

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉