―その254―
●歌は、「思ひつつ来れど来かねて三尾の崎真長の浦をまたかへり見つ」である。
●歌碑は、高島市勝野 高島郵便局前にある。
大溝漁港の北500m位のところに高島郵便局がある。郵便局の前の駐車場や近くをうろつくが歌碑は見当たらない。郵便局の前に、道をはさんで駐車場にチェーンがかかった建物がある。雰囲気的に元郵便局と思しき建屋がある。チェーン越しにのぞくと左手の植込みの中に「巻九 一七三三」の歌碑があった。
●この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その248)」で紹介した、高島市鵜川の四十八体石仏群参道にあった歌碑の歌と同じである。
◆思乍 雖来ゝ不勝而 水尾埼 真長乃浦乎 又顧津
(碁師 巻九 一七三三)
≪書き下し≫思ひつつ来(く)れど来(き)かねて三尾(みを)の崎(さき)真長(まなが)の浦をまたかへり見つ
(訳)心ひかれながらも寄らずに来たけれど、やっぱり素通りしかねて、三尾の崎や真長の浦のあたりを、またまた振り返って見てしまった。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)碁師:碁氏出身の法師か。(同上)
(注)三尾の崎:琵琶湖の西岸、高島市の明神崎か。その北の岬とも。(同上)
この日予定していた高島の万葉歌碑めぐりは無事終了である。大津市の万葉歌碑で、まだ行けていない雄松崎の歌碑に3度目の挑戦をすることにする。事前に某観光協会に電話で確認しておいた。民宿の雄松館の近くの浜辺と教えてもらった。前回、車を止めたところが雄松館の近くであった。近くの浜辺や少し足を延ばして散策するも見当たらない。
「琵琶湖八景 涼風 雄松崎白汀」の石碑がある。
仕方なく、もう一度電話をしてみると、万葉集にない歌の万葉歌碑のことを言っている。結局わからずじまいである。
湖畔をぶらつき探す。民宿の方と思しき人が植栽の手入れをされていたので、聞いてみると、手を止めて案内していただく。しかし方向はあの歌碑の方向である。
これは違うんですと言うと、地元の有志で出資して歌碑を3つ建てたが、場所は忘れたなと言いながら、落ちていた枝で地面に地図を書き、ホテルオーツカの前にもあったな、と。そこは行きましたと答えた。あと一個はどこだったかなあ、と地面に線が走る。
ひょっとしたらっと、立ち上がり、この先の水泳関係の店が切れた辺りにあったかもしれない、と。
礼を言い、再チャレンジである。
雄松館まで来た道を引き返す。民宿などが左手に軒を連ね、右手にびわ湖が広がるデコボコ道である。「名勝雄松崎湖岸」の碑が右手に見えて来る。
もう少し行くと「近江舞子水泳事務所」がある。その近くで車を止め、湖岸に出て見る。ありました。ありました。「巻一 三一」の歌碑が。
ここら辺りは近江舞子中浜水泳場である。車を止めた先の左手には「近江舞子中浜水泳場」の大駐車場がある。
―その255―
●歌は、「楽浪の志賀の大わだ淀むとも昔の人にまたも逢はめやも」である。
●この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その233)」大津市役所正面横時計台の下の歌碑で紹介した歌と同じである。
歌をもう一度みておこう。
◆左散難弥乃 志我能<一云比良乃> 大和太 與杼六友 昔人二 亦母相目八毛<一云将會跡母戸八>
(柿本人麻呂 巻一 三一)
≪書き下し≫楽浪(ささなみ)の志賀(しが)の<一には「比良の」といふ>大わだ淀むとも昔(むかし)の人にまたも逢はめやも<一には「逢はむと思へや」といふ>
(訳)楽浪(ささなみ)の志賀(しが)の<比良の>大わだよ、お前がどんなに淀(よど)んだとしても、ここで昔の人に、再びめぐり逢(あ)うことができようか、できはしない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
大津市と高島市の万葉歌碑はほぼ巡ることができた。次回からびわ湖東岸の草津市、東近江市の歌碑紹介に移る。順次東岸の各市の歌碑を巡る予定である。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社
★「高島 万葉歌碑めぐり(前篇・後編)」(琵琶レイクオーツカHP)
★「びわ湖高島観光ガイド」 (<公社>びわ湖高島観光協会HP)
★「びわ湖大津 光くんマップ(大津市観光地図)」(大津市・(公社)びわ湖大津観光協会
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」