本稿では、相模の国の歌、巻十四 三三六七歌~三三七二歌を紹介していきます。
■巻十四 三三六七歌■
◆母毛豆思麻 安之我良乎夫祢 安流吉於保美 目許曽可流良米 己許呂波毛倍杼
(作者未詳 巻十四 三三六七)
≪書き下し≫百(もも)つ島足柄(あしがら)小舟(をぶね)歩(ある)き多(おほ)み目こそ離(か)るらめ心は思(も)へど
(訳)いくつもの島、その島々を経めぐる足柄小舟のように、たち廻る所が多いので、目と目を合わせる機会はこんなに遠のいているわけよね。心の中では思ってくれているんでしょうけど。(同上)
(注)百つ島:百つ島を経巡る。上二句は序。(伊藤脚注)
(注)歩き多み:女を漁る尻の軽い男への揶揄。(伊藤脚注)
(注)目こそ離るらめ:逢うのは遠のいているんですね。(伊藤脚注)
■巻十四 三三六八歌■
◆阿之我利能 刀比能可布知尓 伊豆流湯能 余尓母多欲良尓 故呂河伊波奈久尓
(作者未詳 巻十四 三三六八)
≪書き下し≫足柄(あしがり)の土肥(とひ)の河内(かふち)に出づる湯の余にもたよらに子ろが云はなくに
(訳)足柄の土肥(とい)の河内に湧きゆらぐ湯のように、ほんにちらっとでもゆらぐ気持ちをあの子が洩らしたわけでもないのにさ。(同上)
(注)「あしがり」は「あしがら」の訛り。上三句は序。「たよらに」を起す。(伊藤脚注)
(注)土肥の河内:千歳川をはさむ湯河原谷。(伊藤脚注)
(注)よにも【世にも】副詞:①極めて。いかにも。②〔下に打消の語を伴って〕決して。断じて。 ※副詞「よに」に係助詞「も」を付けて、意味を強めた語。(学研)
(注)たよらなり>たゆらなり 形容動詞:ゆれ動いて定まらない。「たよらなり」とも。(学研)
【土肥の河内】
「東歌(巻十四‐三三六八)(歌は省略) この歌の原文に『阿之我利』とあって、当時足柄(あしがら)を訛って『あしがり』とも呼ばれていた。『土肥(とひ)』はいまの足柄下(しも)郡湯河原(ゆがわら)町にあたる。『河内(かふち)』は水流をはさんだ一帯の地のことで『土肥の河内』はいまの湯河原温泉の地である。・・・“その湧き出る湯のように、ほんとにゆたゆたとゆれ動くようには、あの娘(こ)はいってはいないのだ”という意で、相手の心のたしかさをいっているようだが、実は恋する者の不安の心がうたわれているのであろう。この地方の代表的な郷土色と巧みにむすびついた民謡である。四・五句は恋する者に通じる類型的な調子のよい表現だから、上三句の郷土色さえかえれば、(巻十四‐三三九二)(歌は省略)と、場所をかえて、筑波の地方でもうたわれるのだ。」(「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)
■巻十四 三三六九歌■
◆阿之我利乃 麻萬能古須氣乃 須我麻久良 安是加麻可左武 許呂勢多麻久良
(作者未詳 巻十四 三三六九)
≪書き下し≫足柄(あしがり)の麻万(まま)の小菅(こすげ)の菅枕(すがまくら)あぜかまかさむ子(こ)ろせ手枕(たまくら)
(訳)足柄の麻万(まま)の小菅の菅枕、そんなものを何で枕にしなさるのか。いとし子よ、私のこの手を枕にしなされ。(同上)
(注)あぜかまかさむ:そんなものを何で枕にされるのか。(伊藤脚注)
(注の注)あぜ【何】副詞:なぜ。どのように。 ※上代の東国方言。(学研)
(注)子ろせ手枕:娘さん、私の手枕をしなされ。(伊藤脚注)
(注の注)ころ【子ろ・児ろ】名詞:女性や子供を親しんで呼ぶ語。 ※「ろ」は接尾語。「子ら」の上代の東国方言。(学研)
■巻十四 三三七〇歌■
◆安思我里乃 波故祢能祢呂乃 尓古具佐能 波奈都豆麻奈礼也 比母登可受祢牟
(作者未詳 巻十四 三三七〇)
≪書き下し≫足柄(あしがり)の箱根の嶺(ね)ろのにこ草(ぐさ)の花つ妻なれや紐解かず寝(ね)む
(訳)足柄の箱根の峰のにこ草のような、そんな花だけの妻ででもあるなら、私はお前さんの紐も解かずに寝もしよう。そうでもないのにどうして・・・(同上)
(注)にこぐさ【和草】:葉や茎の柔らかい草。一説に、ハコネシダの古名とも。多く序詞に用いられる。(weblio辞書 小学館デジタル大辞泉)
(注)上三句は序。「花」の縁で「花つ妻」を起こす。(伊藤脚注)

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■巻十四 三三七一歌■
◆安思我良乃 美佐可加思古美 久毛利欲能 阿我志多婆倍乎 許知弖都流可母
(作者未詳 巻十四 三三七一)
≪書き下し≫足柄(あしがら)の御坂(みさか)畏(かしこ)み曇(くも)り夜(よ)の我(あ)が下(した)ばへをこちでつるかも
(訳)足柄の神の御坂の恐ろしさに、曇り夜のような私の秘めた思い、その思いをとうとう口に出してしまった。(同上)
(注)御坂畏み:境の峠には恐ろしい神がいるとされた。(伊藤脚注)
(注)曇り夜の:「下ばへ」の枕詞。(伊藤脚注)
(注の注)くもりよの【曇り夜の】:[枕]曇りの夜は物の区別もさだかでないところから、「たどきも知らず」「あがしたばへ」「迷(まど)ふ」などにかかる。(weblio辞書 小学館デジタル大辞泉)
(注)したばふ【下延ふ】自動詞:ひそかに恋い慕う。「したはふ」とも。(学研)
(注)こちでつる:言出つる→口に出す
【足柄のみ坂】
「この歌の『下延』は“心のうちに深くひろがっている秘密の思い”の意で、『曇り夜の』は“曇った夜のように暗くおもてに見えない”意から『下延』の枕詞となっている。歌は、“足柄の坂の神のおそろしさに、すっかり思い込んだ秘密の思い、たいせつな恋人の名を、言葉に出して言ってしまった”というのである。・・・当時、往還の人々に、恐るべき神のいます御坂として畏怖され、物を手向(たむ)けて祈るばかりでなく、神の威霊の前には“曇り夜の我が下延”をも告白しないではいられないのも当然である。足柄のみ坂によせる古代地方のこうした共通の心情が、民謡として街道筋にうたわれたものであろう。足柄以東の東国の人たちもこの峠に深い意識の持たれていたことは、常陸出身の防人に『足柄のみ坂賜はり(坂を通させていただいての意か)かへりみず我(あれ)は越(く)え行く・・・』とうたわれているし、武蔵出身の防人が、離郷のせつなさと望郷の情にたえきれなくなって、(巻二十‐四四二三)(歌は省略)とうたっているのでもわかる。また、徭役の人か誰か、難路に行き倒れの人もあったようで、『足柄の坂を過る死人を見て作る歌』(巻九‐一八〇〇)がある。足柄は箱根をもふっくめた足柄上(かみ)郡・足柄下郡にわたる広い地域で、交通の要衝として民謡の栄える地盤もあったらしく、他にも庶民の生活感情に根ざした歌がこの地方に集中している。」(「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)
■巻十四 三三七二歌■
◆相模治乃 余呂伎能波麻乃 麻奈胡奈須 兒良波可奈之久 於毛波流留可毛
(作者未詳 巻十四 三三七二)
≪書き下し≫相模路(さがむぢ)の余綾(よろぎ)の浜の真砂(まなご)なす子らは愛(かな)しく思はるるかも
(訳)相模路の余綾(よろぎ)の浜の真砂のような子、あの子はむやみやたらにいとしく思われてならぬ。(同上)
(注)余綾(よろぎ):古代の大磯海岸は「よろぎ(ゆるぎ・こゆるぎ・こよろぎ)」の磯と呼ばれていた。(大磯町の観光情報サイト)
左注は、「右十二首相模國歌」<右の十二首は相模(さがむ)の国の歌>である。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)
★「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「weblio辞書 小学館デジタル大辞泉」
★「大磯町の観光情報サイト」