―その1459―
●歌は、「四極山うち越え見れば笠縫の島漕ぎ隠る棚なし小舟」である。
●歌をみていこう。
◆四極山 打越見者 笠縫之 嶋榜隠 棚無小舟
(高市黒人 巻三 二七二)
≪書き下し≫四極山(しはつやま)うち越(こ)え見れば笠縫(かさぬひ)の島漕(こ)ぎ隠(かく)る棚(たな)なし小舟(をぶね)
(訳)四極山を越えて海上を見わたすと、笠縫(かさぬい)の島陰に漕ぎ隠れようとする小舟が見える。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
―その1460―
●歌は、「妹も我も一つなれかも三河なる二見の道ゆ別れかねつる」である。
●歌をみていこう。
◆妹母我母 一有加母 三河有 二見自道 別不勝鶴
(高市黒人 巻三 二七六)
一本云 水河乃 二見之自道 別者 吾勢毛吾文 獨可文将去
≪書き下し≫妹も我(あ)れも一つなれかも三河(みかは)なる二見(ふたみ)の道ゆ別れかねつる
一本には「三河の二見の道ゆ別れなば我(わ)が背(せ)も我(あ)れも一人かも行かむ」といふ
(訳)あなたも私も一つだからでありましょうか、三河の国の二見の道で、別れようとしてなかなか別れられないのは。(同上)
一本「三河の国の二見の道でお別れしてしまったならば、あなたも私も、これから先一人ぼっちで旅行くことになるのでしょうか。
(注)妹:(ここでは)旅先で出逢った遊行女婦か。(伊藤脚注)
(注)二見:豊川市の国府(こう)町と御油(ごゆ)町との境、東海道と姫街道の分岐点か。(伊藤脚注)
(注の注)ひめかいどう【姫街道】:江戸時代、東海道の脇街道の一。見付宿の先から浜名湖の北岸を回り、本坂ほんざか峠を越えて御油宿へ至る道。女性の多くが今切いまぎれの渡しと新居関あらいのせきを避けてこの街道を通ったことによる名。本坂越え。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉)
(注)二から四句には「一二三」の数の遊びがある。
二七二、二七六歌は題詞「高市黒人が羇旅の歌八首」のうちの二首である。
八首については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その250)」で紹介している。
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二七六歌には「一二三」という数の遊びがあったが、書き手の遊び心溢れる歌をみてみよう。(小林洋次郎氏「日本のことば遊び」(万葉集の戯書)より)
◆言云者 三ゝ二田八酢四 小九毛 心中二 我念羽奈九二
(作者未詳 巻十一 二五八一)
≪書き下し≫言(こと)に言(い)へば耳にたやすし少なくも心のうちに我(わ)が思はなくに
(訳)恋心は、口に出すと、聞く耳には大したこともないように聞こえるものです。けれど、心の底ではちょっとやそっとの思いでいる私ではないのに、(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
書き手の遊び心も極まると洒落た色合いを持つ「戯書」と呼ばれる範疇に入るものが見られる。この戯書の中で数字に関わるものをみてみよう。
■「八十一」と書いて「くく」と読ませる
◆若草乃 新手枕乎 巻始而 夜哉将間 二八十一不在國
(作者未詳 巻十一)
≪書き下し≫若草(わかくさ)の新手枕(にひたまくら)をまきそめて夜(よ)をや隔(へだ)てむ憎(にく)くあらなくに
(訳)若草のような新妻の手枕、その手枕をせっかくまきはじめたのに、これから幾夜も逢えぬというのであろうか。かわいくって仕方がにのに。(同上)
(注)わかくさの【若草の】分類枕詞:若草がみずみずしいところから、「妻」「夫(つま)」「妹(いも)」「新(にひ)」などにかかる。(学研)
■「十六」と書いて「しし」と読ませる
◆ 八隅知之 吾大王 高光 吾日乃皇子乃 馬並而 三獦立流 弱薦乎 獦路乃小野尓 十六社者 伊波比拜目 鶉己曽 伊波比廻礼 四時自物 伊波比拜 鶉成 伊波比毛等保理 恐等 仕奉而 久堅乃 天見如久 真十鏡 仰而雖見 春草之 益目頬四寸 吾於富吉美可聞
(柿本朝臣人麻呂 巻二 二三九)
≪書き下し≫やすみしし 我が大君(おほきみ) 高光(たかひか)る 我が日の御子(みこ)の 馬並(うまな)めて 御狩(みかり)立たせる 若薦(わかこも)を 猟路(かりぢ)の小野(おの)に 鹿(しし)こそば い匐(は)ひ拝(をろが)め 鶉(うづら)こそ い匐(は)ひ廻(もとほ)れ 鹿(しし)じもの い匐(は)ひ拝(をろが)み 鶉(うづら)なす い匐(は)ひ廻(もとほ)り 畏(かしこ)みと 仕(つか)へまつりて にさかたの 天(あめ)見るごとく まそ鏡 仰(あふ)ぎて見れど 春草(はるくさ)の いやめづらしき 我が大君かも
(訳)あまねく天下を支配せられるわが主君、高々と天上に光ろ輝く日の神の皇子、このわが皇子が、馬を勢揃いして御狩りに立っておられる猟路野(かりじの)の御猟場では、鹿は膝を折って匍(は)うようにしてお辞儀をし、鶉はうろうろとおそばを匍(は)いまわっているが、われらも、その鹿のように匍(は)って皇子をうやまい、その鶉のように匍(は)いまわって皇子のおそばを離れず、恐れ多いことだと思いながらお仕え申し上げ、はるか天空を仰ぐように皇子を仰ぎ見るけれども、春草のようにいよいよお慕わしく心ひかれるわが大君でいらっしゃいます。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)やすみしし【八隅知し・安見知し】分類枕詞:国の隅々までお治めになっている意で、「わが大君」「わご大君」にかかる。(学研)
(注)たかひかる【高光る】分類枕詞:空高く光り輝くの意で、「日」にかかる。 (学研)
(注)わかごもを【若菰を】分類枕詞:若菰を刈る意から同音を含む地名「猟路(かりぢ)」にかかる。(学研)
(注)まそかがみ【真澄鏡】名詞:「ますかがみ」に同じ。 ※「まそみかがみ」の変化した語。 上代語。
(注の注)ますかがみ【真澄鏡】名詞:よく澄んで、くもりのない鏡。 ※「ますみのかがみ」の変化した語。中古以後の語で、古くは「まそかがみ」。(学研)
(注)まそかがみ【真澄鏡】分類枕詞:鏡の性質・使い方などから、「見る」「清し」「照る」「磨(と)ぐ」「掛く」「向かふ」「蓋(ふた)」「床(とこ)」「面影(おもかげ)」「影」などに、「見る」ことから「み」を含む地名「敏馬(みぬめ)」「南淵山(みなぶちやま)」にかかる。(学研)
■「二五」と書いて「とを」と読ませる
◆狗上之 鳥籠山尓有 不知也河 不知二五寸許瀬 余名告奈
(作者未詳 巻十一 二七一〇)
≪書き下し≫犬上(いぬかみ)の鳥籠(とこ)の山なる不知哉川(いさやがは)いさとを聞こせ我が名告らすな
(訳)犬上の鳥籠の山辺の不知哉川、その名の“いさ”―さあね“とぐらいにおっしゃって下さい。私の名前だけは人におっしゃらないでね。(同上)
(注)犬上の鳥籠山:彦根市東南の山。(伊藤脚注)
(注)上三句は序。「いさ」を起こす。(伊藤脚注)
(注)不知哉川:鳥籠山の裾を流れる芹川。(伊藤脚注)
このように「九九」を使った「戯書」が歌に花を添えている。
「戯書」とは、通常の那訓によらず、表記語の意味と文字の意義とが合致しない特殊な用法をいう。①文字の戯れに属するもの(山上復有山=いで<出>)、②擬声語を利用したもの(喚犬追馬=まそ)、③数字の戯れ、④その他義訓の複雑なもの(少熱=ぬる)の四種類に分類される。
詠み手と書き手のそれぞれの遊び心が万葉集の魅力の一つといってもよいだろう。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「日本のことば遊び」 小林洋次郎氏稿(万葉集の戯書)