万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2519)―

●歌は、「春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ娘子」である。

茨城県土浦市小野 朝日峠展望公園万葉の森万葉歌碑(大伴家持) 20230927撮影

●歌碑は、茨城県土浦市小野 朝日峠展望公園万葉の森にある。

 

●歌をみていこう。

 

巻十九の巻頭歌である。その題詞は、「天平勝寶二年三月一日之暮眺矚春苑桃李花作二首」<天平勝宝(てんぴやうしようほう)二年の三月の一日の暮(ゆうへ)に、春苑(しゆんゑん)の桃李(たうり)の花を眺矚(なが)めて作る歌二首>である。

(注)天平勝宝二年:750年

 

◆春苑 紅尓保布 桃花 下照道尓 出立▼嬬

     (大伴家持 巻十九  四一三九)

    ※▼は、「女」+「感」、「『女』+『感』+嬬」=「をとめ」

 

≪書き下し≫春の園(その)紅(くれなゐ)にほふ桃の花下照(したで)る道に出で立つ娘子(をとめ)

 

(訳)春の園、園一面に紅く照り映えている桃の花、この花の樹の下まで照り輝く道に、つと出で立つ娘子(おとめ)よ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)春の園:桃花の咲く月に入ってその盛りを幻想した歌か。春苑・桃花・娘子の配置は中国詩の影響らしい。(伊藤脚注)

(注)したでる【下照る】自動詞:花の色などで、その木の下が美しく照り映える。「したてる」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その825)」他で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

「桃」或は「毛桃」を詠った歌は七首収録されている。

 

「桃」も「桃の木(一三五六歌)」、「桃染の(二九七〇歌)、「桃の花(四一三九、四一九二歌)、「毛桃(一三五八歌、一八八九歌、二八三四歌)と木や花、染めについてであり、果実そのものは詠われていない。

 

歌をみてみよう。

■桃の木:一三五六歌■

◆向峯尓 立有桃樹 将成哉等 人曽耳言為 汝情勤

      (作者未詳 巻七 一三五六)

 

≪書き下し≫向(むか)つ峰(を)に立てる桃(もも)の木ならむやと人ぞささやく汝(な)が心ゆめ

 

(訳)向かいの高みに立っている桃の木、あんな木に実(み)などなるものかと人がひそひそ噂している。お前、しりごみするなよ、決して。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句、思う人の譬え。(伊藤脚注)

(注)ならめやと:実など成るものかと。二人の仲が成就しないことの譬え。(伊藤脚注)

(注)ゆめ【努・勤】副詞:①〔下に禁止・命令表現を伴って〕決して。必ず。②〔下に打消の語を伴って〕まったく。少しも。(学研)ここでは②の意

 

 

 

■桃染の:二九七〇歌■

桃花褐 淺等乃衣 淺尓 念而妹尓 将相物香裳

      (作者未詳 巻十二 二九七〇)

 

≪書き下し≫桃染(ももそ)めの浅らの衣浅らかに思ひて妹に逢はむものかも

 

(訳)桃色染めの色の浅い着物、その色浅い着物のように、あっさりと軽い気持ちであなたに逢ったりするものか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)桃花(もも)染の浅らの衣:上二句は序。「桃花染め」は衛士など、下級のひとの服色。(伊藤脚注)

 

 「桃花褐」については、「ももぞめの」(増訂萬葉集全註釋)、「つきそめの」(岩波古典文学大系萬葉集)(塙書房萬葉集)の読みがある。

 「桃花褐」に関して、ダ・ヴィンチKADOKAWA Groupe HP)に「古代には、まだ『桃色』という名称はなく、桃色は桃の花を摺りこんで着色したので『桃染(ももそめ)』『桃花褐(つきそめ)』と呼ばれていたそうだ。現代では『女性の色』としてのイメージが強いが、平安時代に成立した『令義解(りょうのぎげ)』(律令の注釈書にあたる書物)によると、衛士(宮廷の警護をした兵士)の服の色に『桃染』が採用されている。衛士は白い布の帯に脛(すね)当て、そして桃染の衫(ひとえ)を着用することが規定されていた。桃色と白……現代人の感覚からすれば、かなり可愛らしい組み合わせで兵士のイメージとはかけ離れている。だが、桃は不老長寿を表す神聖な果物でもあったので、命をかけて都を守護する衛士だからこそ、その身を案じた『おまじない』としての意味合いも込められていたのかもしれない。」と書かれている。

 

 

 

■桃の花:四一三九■

※四一三九歌は、歌碑の歌である。

 

■桃の花:四一九二歌■

題詞は、「詠霍公鳥并藤花一首幷短歌」<霍公鳥(ほととぎす)幷(あは)せて藤の花を詠(よ)む一首并せて短歌>である。

 

桃花 紅色尓 ゝ保比多流 面輪乃宇知尓 青柳乃 細眉根乎 咲麻我理 朝影見都追 ▼嬬良我 手尓取持有 真鏡 盖上山尓 許能久礼乃 繁谿邊乎 呼等余米 旦飛渡 暮月夜 可蘇氣伎野邊 遥ゝ尓 喧霍公鳥 立久久等 羽觸尓知良須 藤浪乃 花奈都可之美 引攀而 袖尓古伎礼都 染婆染等母

      (大伴家持 巻十九 四一九二)

   ▼「『女+感」+嬬」=をとめ

 

≪書き下し≫桃の花 紅(くれなゐ)色(いろ)に にほひたる 面輪(おもわ)のうちに 青柳(あをやぎ)の 細き眉根(まよね)を 笑(ゑ)み曲(ま)がり 朝影見つつ 娘子(をとめ)らが 手に取り持てる まそ鏡 二上山(ふたがみやま)に 木(こ)の暗(くれ)の 茂き谷辺(たにへ)を 呼び響(とよ)め 朝飛び渡り 夕月夜(ゆふづくよ) かそけき野辺(のへ)に はろはろに 鳴くほととぎす 立ち潜(く)くと 羽触(はぶ)れに散らす 藤波(ふぢなみ)の 花なつかしみ 引き攀(よ)ぢて 袖(そで)に扱入(こき)れつ 染(し)まば染(し)むとも

 

(訳)桃の花、その紅色(くれないいろ)に輝いている面(おもて)の中で、ひときは目立つ青柳の葉のような細い眉、その眉がゆがむほどに笑みこぼれて、朝の姿を映して見ながら、娘子が手に掲げ持っている真澄みの鏡の蓋(ふた)ではないが、その二上山(ふたがみやま)に、木(こ)の下闇の茂る谷辺一帯を鳴きとよもして朝飛び渡り、夕月の光かすかな野辺に、はるばると鳴く時鳥、その時鳥が翔けくぐって、羽触(はぶ)れに散らす藤の花がいとおしくて、引き寄せて袖にしごき入れた。色が染みつくなら染みついてもかまわないと思って。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)「桃の花・・・まそ鏡」の箇所が序で、「二上山」を起こす。(伊藤脚注)

(注)ゑみまぐ【笑み曲ぐ】自動詞:うれしくて笑いがこぼれる。(口や眉(まゆ)が)曲がるほど相好(そうごう)を崩す。(学研)

(注)まそかがみ【真澄鏡】名詞:「ますかがみ」に同じ。 ※「まそみかがみ」の変化した語。上代語。 >ますかがみ【真澄鏡】名詞:よく澄んで、くもりのない鏡。(学研)

(注)まそかがみ【真澄鏡】分類枕詞:鏡の性質・使い方などから、「見る」「清し」「照る」「磨(と)ぐ」「掛く」「向かふ」「蓋(ふた)」「床(とこ)」「面影(おもかげ)」「影」などに、「見る」ことから「み」を含む地名「敏馬(みぬめ)」「南淵山(みなぶちやま)」にかかる。

(注)かそけし【幽けし】形容詞:かすかだ。ほのかだ。▽程度・状況を表す語であるが、美的なものについて用いる。(学研) ⇒家持のみが用いた語

(注)はろばろなり【遥遥なり】形容動詞:遠く隔たっている。「はろはろなり」とも。 ※上代語。(学研) ⇒こちらは、家持が好んだ語

(注)たちくく【立ち潜く】自動詞:(間を)くぐって行く。 ※「たち」は接頭語。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その856)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

■毛桃本茂く:一三五八歌■

◆波之吉也思 吾家乃毛桃 本繁 花耳開而 不成在目八方

      (作者未詳 巻七 一三五八)

 

≪書き下し≫はしきやし我家(わぎへ)の毛桃(けもも)本(もと)茂(しげ)く花のみ咲きてならずあらめやも

 

(訳)かわいい我が家の毛桃、この桃の木には根元までいっぱい花が咲くだけで、実がならないのであろうか。まさかそんなことはあるまいな。(伊藤 博 著 「万葉集 二」  角川ソフィア文庫より)

(注)はしけやし:かわいい。上二句、愛する娘の譬え。親の立場。(伊藤脚注)

(注)けもも【毛桃】:桃の一品種。日本在来のもので、果実は小さくて堅く、毛深い。観賞用。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)「咲きて」まで、男の申し込みが多いだけで、の意。(伊藤脚注)

(注)なる:実が成る。結婚成立の譬え。(伊藤脚注)

 

 

 

■毛桃:一八八九歌■

◆吾屋前之 毛桃之下尓 月夜指 下心吉 菟楯項者

      (作者未詳 巻十 一八八九)

 

≪書き下し≫我がやどの毛桃(けもも)の下(した)に月夜(つくよ)さし下心(したごころ)よしうたてこのころ

 

(訳)我が家の庭の毛桃の下に、月の光が射し込んで、心中が何となくの楽しい。不思議にこのごろは。(同上)

(注)下心よし:心の中がなぜか楽しくて仕方がない。(伊藤脚注)

(注の注)したごころ【下心】名詞:①内心。本心。②前からのたくらみ。(学研)ここでは①に意。

(注)うたてこのころ:奇妙にこのごろは。(伊藤脚注)

(注の注)うたて【転】副詞:①ますますはなはだしく。いっそうひどく。②異様に。気味悪く。③面白くなく。不快に。いやに。(学研)ここでは①の意

 

 

 

■毛桃:二八三四歌■

◆日本之 室原乃毛桃 本繁 言大王物乎 不成不止

      (作者未詳 巻十一 二八三四)

 

≪書き下し≫大和(やまと)の室生(むろふ)の毛桃(けもも)本繁(もとしげ)く言ひてしものを成らずはやまじ

 

(訳)大和の室生(むろう)の毛桃、その根元がよく茂っているように、心をこめてしげしげと言葉を交わしたのだもの、実らせないではおくまい。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は序。「本繁く」を起す。(伊藤脚注)

(注)本繁く:心をこめてしげしげと。(伊藤脚注)

(注)ず-は 分類連語:①…ないで。②もし…でないならば。▽打消の順接仮定条件を表す。 ⇒なりたち:打消の助動詞「ず」の連用形+係助詞「は」。 ⇒参考:②については「ず」の未然形に接続助詞「は」が付いたものとの説がある。(学研)ここでは①の意。

 

左注は、「右一首寄菓喩思」<右の一首は、菓(このみ)に寄せて思ひを喩(たと)ふ>である。

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「ダ・ヴィンチ」 (KADOKAWA Groupe HP)