万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2333)―

●歌は、「我が園の李の花か庭に散るはだれのいまだ残りてあるかも」である。

富山市松川べり 越中万葉歌石板⑨(大伴家持) 20230705撮影

●歌石板は、富山市松川べり 越中万葉歌石板⑨である。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「天平勝寶二年三月一日之暮眺矚春苑桃李花作二首」<天平勝寶(てんぴょうしょうほう)三年の三月の一日の暮(ゆうへ)に、春苑(しゆんゑん)の桃李(たうり)の花を眺矚(なが)めて作る歌二首>である。

 

◆吾園之 李花可 庭尓落 波太礼能未 遣在可母

       (大伴家持 巻十九  四一四〇)

 

≪書き下し≫我(わ)が園の李(すもも)の花か庭に降るはだれのいまだ残りたるかも

 

(訳)我が園の李(すもも)の花なのであろうか、庭に散り敷いているのは。それとも、はだれのはらはら雪が残っているのであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)詩語「桃李」に導かれて、前歌の「桃」に「李」を読み継ぐ。紅と白との対比もある。(伊藤脚注)

(注)はだれ【斑】名詞:「斑雪(はだれゆき)」の略。<はだれゆき【斑雪】名詞:はらはらとまばらに降る雪。また、薄くまだらに降り積もった雪。「はだれ」「はだらゆき」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

新版 万葉集 四 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) [ 伊藤 博 ]

価格:1068円
(2023/9/30 13:54時点)
感想(1件)

ちなみに、「桃」はバラ科サクラ属で「李」はバラ科モモ属である。

 

 「松川べり散策 越中万葉 歌碑&歌石板めぐり」(富山県文化振興財団)の解説には、「天平勝宝二年(750)3月1日(太陽暦4月15日)の春の夕暮れに、『春の苑紅にほふ・・・』の歌とともに作られた歌。スモモの花の落花と残雪との取り合わせは、漢詩の伝統的な美的表現。当歌ではさらに古代日本人が感じていた、夕暮れにもののまぎれる不思議な感覚が歌われている。」と書かれている。

 

 

 この歌石板は、「舟橋」の北東袂ちかくにある。



 「はだれ」を詠んだ歌をもう一首みてみよう。

 

◆小竹葉尓 薄太礼零覆 消名羽鴨 将忘云者 益所念

       (作者未詳 巻十 二三三七)

 

≪書き下し≫笹(ささ)の葉にはだれ降り覆(おほ)ひ消(け)なばかも忘れむと言へばまして思ほゆ

 

(訳)笹の葉に薄雪が降り覆い、やがて消えてしまうように、私の命が消えでもすればあなたを忘れることもありましょう、などとあの子が言ったりするものだから、さらにいっそういとしく思われる。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は序。『消な』を起こす。「はだれ」はうっすらと置いた雪。(伊藤脚注)

(注の注)はだれなり【斑なり】形容動詞:(雪が降るさまが)まばらだ。まだらだ。(雪や霜などのおりたさまが)薄い。「はだらなり」とも。(学研)

(注)消なばかも忘れむと言へば:私の命が消えでもすればあなたを忘れることもありましょう、とあの子が言うので。(伊藤脚注)

(注)まして【況して】副詞:①それにもまして。なおさら。②いうまでもなく。いわんや。(学研)ここでは①の意

 

 この二三三七歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1817)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 「はだれ【斑】名詞」に関連した語句をみてみよう。いずれも形容動詞である。

 

□はだれ・なり 【斑なり】形容動詞□

(雪が降るさまが)まばらだ。まだらだ。(雪や霜などのおりたさまが)薄い。「はだらなり」とも。出典万葉集 一四二〇(学研)

 

□はだら・なり 【斑なり】形容動詞□

「はだれなり」に同じ。出典万葉集 二三一八(学研)

 

□ほどろ・なり 【斑なり】形容動詞□

(雪などが)まだらだ。出典万葉集 二三二三(学研)

 

□まだら・なり 【斑なり】形容動詞□

色がまじっている。濃淡がまじっている。(学研)

 

 一四二〇、二三一八、二三二三歌をみてみよう。

■一四二〇歌■

題詞は、「駿河釆女歌一首」<駿河釆女歌一首>である。

(注)駿河釆女:駿河出身の采女。(伊藤脚注)

 

◆沫雪香 薄太礼尓零登 見左右二 流倍散波 何物之花其毛

       (駿河采女 巻八 一四二〇)

 

≪書き下し≫沫雪(あわゆき)かはだれに降ると見るまでに流らへ散るは何(なに)の花ぞも

 

(訳)泡雪がはらはらと降ってくるかと見まごうばかりに、流れて散ってくるのは、何の花なのであろうか。(同上)

(注)はだれに:うっすらと積る状態。(伊藤脚注)

(注)花:梅の花であろう。梅・雪の歌は春と冬の双方に採られている。(伊藤脚注)

 

 

■二三一八歌■

◆夜乎寒三 朝戸乎開 出見者 庭毛薄太良尓 三雪落有  <一云 庭裳保杼呂尓 雪曽零而有>

       (作者未詳 巻八 二三一八)

 

≪書き下し≫夜(よ)を寒(さむ)み朝門(あさと)を開き出(い)で見れば庭もはだらに み雪降りたり <一には「庭もほどろに雪ぞ降りたる」といふ>

 

(訳)夜を通して寒かったので、朝、戸を開けて外に出て見ると、何と庭中うっすらと雪が降り積もっている。<何と庭中まだらに雪が降り積もっている>(同上)

(注)はだらなり【斑なり】形容動詞:(雪が降るさまが)まばらだ。まだらだ。(雪や霜などのおりたさまが)薄い。「はだれなり」とも。

(注)ほどろなり【斑なり】形容動詞:(雪などが)まだらだ。

 

 

 

■二三二三歌■

◆吾背子乎 且今ゝゝ 出見者 沫雪零有 庭毛保杼呂尓

       (作者未詳 巻八 二三二三)

 

≪書き下し≫我(わ)が背子(せこ)を今か今かと出(い)で見れば沫雪(あわゆき)降れり庭もほどろに 

 

(訳)あの方のお越しを今か今かと待ちかねて戸口に出て見ると、泡雪が降り積もっている。庭中うっすらと。(同上)

(注)ほどろなり【斑なり】形容動詞:(雪などが)まだらだ。

 

 

 二三一八、二三二三歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その221改)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「松川べり散策 越中万葉 歌碑&歌石板めぐり」(富山県文化振興財団)