万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その497)―奈良市神功4丁目 万葉の小径(33)―万葉集 巻十九 四一四〇

●歌は、「我が園の李の花か庭に散るはだれのいまだ残りてあるかも」である。

 

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奈良市神功4丁目 万葉の小径(33)万葉歌碑(大伴家持 すもも)

●歌碑は、奈良市神功4丁目 万葉の小径(33)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆吾園之 李花可 庭尓落 波太礼能未 遣在可母

                  (大伴家持 巻十九  四一四〇)

 

≪書き下し≫我(わ)が園の李(すもも)の花か庭に降るはだれのいまだ残りたるかも

 

(訳)我が園の李(すもも)の花なのであろうか、庭に散り敷いているのは。それとも、はだれのはらはら雪が残っているのであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)はだれ【斑】名詞:「斑雪(はだれゆき)」の略。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)<はだれゆき【斑雪】名詞:はらはらとまばらに降る雪。また、薄くまだらに降り積もった雪。「はだれ」「はだらゆき」とも。(学研)

 

 

天平勝宝二年三月一日の夕暮れに、大伴家持越中国庁に於いて、桃李を続けて二首歌った中のスモモの歌である。スモモも落葉高木でモモが紅色の花を咲かせるのに対して、スモモは花の大きさも数も大差ないが、白い花を咲かせる。桃李と併称して中国では、詩文の中でもてはやされるのに、桃も李も日本ではそれほど詩歌の対象とはならず、モモの数も少なかったけれど、万葉集では、このスモモはただ一首きりに過ぎない。

大伴家持三三才の歌であるが、越中の春を歌って実に心の余裕のあるようなものが感じられる。雪国の春を謳歌するのであれば、家持赴任以来すでに四度目の春である。何もこの年に限って春を喜ぶ必要はない。それゆえ、一般には、冬季に都との交通を遮断されてしまう越の国へ、都の妻坂上大嬢が前年(天平勝宝元年)の秋には来越していただろうと推測される。来年は帰京の適う年であり、妻とともに初めて見る北国の春であるがゆえに、ある種の伸び伸びとした気分が漲っているのであろう。」 (万葉の小径歌碑 すもも)

 

ちなみに、「桃」はバラ科サクラ属で「李」はバラ科モモ属である。

 

上述の「万葉の小径歌碑 すもも」の説明にもあるように、「来年は帰京の適う年であり、妻とともに初めて見る北国の春であるがゆえに」越中生活で勉強した歌や中国文学の成果を花開かせたのかもしれない。万葉集に収録されている歌を見てみると、四一三九から四一五三歌までの十五首を、三日間で作っているのである。

 家持の越中生活における歌は二百二十首であり、生涯の四百八十五首の45%である。この三日間で越中生活の7%の歌を作っているのである。いかに精力的に作ったかがうかがえる。

 

家持の精力的な作歌活動を追ってみよう。

 

題詞は、「天平勝寶二年三月一日之暮眺矚春苑桃李花作歌二首」<天平勝宝二年の三月の一日の暮(ゆうへ)に、春苑(しゆんゑん)の桃李(たうり)の花を眺矚(なが)めて作る歌二首>である。重複するがみてみよう。

 

※三月一日

◆春苑 紅尓保布 桃花 下照道尓 出立▼嬬

               (大伴家持 巻十九 四一三九)

         ※▼は、「女」+「感」、「『女』+『感』+嬬」=「をとめ」

 

≪書き下し≫春の園(その)紅(くれなゐ)にほふ桃の花下照(したで)る道に出で立つ娘子(をとめ)

 

(訳)春の園、園一面に紅く照り映えている桃の花、この花の樹の下まで照り輝く道に、つと出で立つ娘子(おとめ)よ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

 

 

◆吾園之 李花可 庭尓落 波太礼能未 遣在可母

                   (大伴家持 巻二〇 四一四〇)

 

≪書き下し≫我(わ)が園の李(すもも)の花か庭に散るはだれのいまだ残りてあるかも

 

(訳)我が園の李(すもも)の花なのであろうか、庭に散り敷いているのは。それとも、はだれのはらはら雪が残っているのであろうか。(同上)

(注)はだれ【斑】名詞:「斑雪(はだれゆき)」の略。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

題詞は、「見飜翔鴫作歌一首」<飜(と)び翔(かけ)る鴫(しぎ)を見て作る歌一首>である。

 

◆春儲而 物悲尓 三更而 羽振鳴志藝 誰田尓加須牟

                 (大伴家持 巻二十 四一四一) 

 

≪書き下し≫春まけてもの悲(がな)しきにさ夜(よ)更(ふ)けて羽振(はぶ)き鳴く鴫(しぎ)誰(た)が田にか住む

 

(訳)春を待ち受けて物悲しい気分のする折も折、夜も更けてから、羽ばたきして鳴く鴫、あれは誰の田んぼに心を残してまだ棲みついているのか。(同上)

 

 

※三月二日

題詞は、「二日攀柳黛思京師歌一首」<二日に、柳黛(りうたい)を攀(よ)ぢて京師(みやこ)を思ふ歌一首>である。

 

◆春日尓 張流柳乎 取持而 見者京之 大路所思

                (大伴家持 巻二十 四一四二)

 

≪書き下し≫春の日に萌(は)れる柳を取り持ちて見れば都の大道(おほち)し思ほゆ

 

(訳)春の昼日中(ひるひなか)に、芽吹いている柳の枝を、手に取り持って、しげしげ見ると、奈良の都の大路がまざまざと思い出される。(同上)

 

 

題詞は、「攀折堅香子草花歌一首」<堅香子草(かたかご)の花を攀(よ)ぢ折る歌一首>である。

 

◆物部乃 八十▼嬬等之 挹乱 寺井之於乃 堅香子之花 

        ※▼は、「女」+「感」、「『女』+『感』+嬬」=「をとめ」

                 (大伴家持 巻二十 四一四三)

 

≪書き下し≫もののふの八十娘子(やそをとめ)らが汲(く)み乱(まが)ふ寺井(てらゐ)の上(うへ)の堅香子(かたかご)の花

 

(訳)たくさんの娘子(おとめ)たちが、さざめき入り乱れて水を汲む寺井、その寺井のほとりに群がり咲く堅香子の花よ。(同上)

(注)もののふの【武士の】分類枕詞:「もののふ」の「氏(うぢ)」の数が多いところから「八十(やそ)」「五十(い)」にかかり、それと同音を含む「矢」「岩(石)瀬」などにかかる。また、「氏(うぢ)」「宇治(うぢ)」にもかかる。(学研)

 

 

題詞は、「見歸鴈歌二首」<帰雁(きがん)を見る歌二首>である。

 

◆燕来 時尓成奴等 鴈之鳴者 本郷思都追 雲隠喧

                 (大伴家持 巻二十 四一四四)

 

≪書き下し≫燕(つばめ)来(く)る時になりぬと雁(かり)がねは国偲ひつつ雲隠(くもがくり)り鳴く

 

(訳)燕がやって来る時節になったと、雁は遠くの故郷を偲(しに)びながら、雲に隠れに鳴き渡って行く。(同上)

 

 

◆春設而 如此歸等母 秋風尓 黄葉山乎 不越来有米也  一云 春去者 歸此鴈

                  (大伴家持 巻二十 四一四五)

 

≪書き下し≫春まけてかく帰るとも秋風にもみたむ山を越え来(こ)ずあらめや  一には「春されば帰るこの雁」といふ

 

(訳)春をまちうけてこのように帰って行っても、やがて吹く秋風にもみじする山、その山を越えてまたここに来ないことがあろうか。<春になると帰って行く雁、この雁も>(同上)

 

 

題詞は、「夜裏聞千鳥喧歌二首」<夜裏に千鳥(ちどり)の喧(な)くを聞く歌二首>である。

 

◆夜具多知尓 寐覺而居者 河瀬尋 情毛之努尓 鳴知等理賀毛

                   (大伴家持 巻二十 四一四六)

 

≪書き下し≫夜(よ)ぐたちに寝覚(ねざ)めて居(を)れば川瀬(かはせ)尋(と)め心もしのに鳴く千鳥かも

 

(訳)夜中過ぎに眠れずにいると、川の浅瀬伝いに、我が心もうちしおれるばかりに鳴く千鳥よ、ああ。(同上)

(注)くたつ【降つ】自動詞:①(時とともに)衰えてゆく。傾く。②夕方に近づく。夜がふける。(学研)

(注)しのに 副詞:①しっとりとなびいて。しおれて。②しんみりと。しみじみと。③しげく。しきりに。(学研)

 

 

◆夜降而 鳴河波知登里 宇倍之許曽 昔人母 之努比来尓家礼

                  (大伴家持 巻二十 四一四七)

 

≪書き下し≫夜くたちて鳴く川千鳥(かはちどり)うべしこそ昔の人も思(しの)ひきにけれ

 

(訳)夜中過ぎになって鳴く川千鳥よ、なるほどもっともなことだ、昔の人もこの声のせつなさに心引かれてきたのは。(同上)

(注)うべ【宜・諾】副詞:なるほど。もっともなことに。▽肯定の意を表す。 ※中古以降「むべ」とも表記する。(学研)

 

 

題詞は、「聞暁鳴雉歌二首」<暁(あかとき)に鳴く雉(きぎし)を聞く歌二首>である。

 

◆椙野尓 左乎騰流雉 灼然 啼尓之毛将哭 己母利豆麻可母

                  (大伴家持 巻二十 四一四八)

 

≪書き下し≫杉の野にさ躍(をど)る雉(きぎし)いちしろく音(ね)にしも泣かむ隠(こも)り妻(づま)かも

 

(訳)杉林の中で鳴き立てて騒いでいる雉(きざし)よ、お前は、はっきりと人に知られてしまうほど、たまりかねて声をあげて泣くような隠り妻だというのか。(同上)

(注)いちしろし>いちしるし【著し】形容詞:明白だ。はっきりしている。 ※参考古くは「いちしろし」。中世以降、シク活用となり、「いちじるし」と濁って用いられる。「いち」は接頭語。(学研)

 

 

◆足引之 八峯之雉 鳴響 朝開之霞 見者可奈之母

                 (大伴家持 巻二十 四一四九)

 

≪書き下し≫あしひきの八 (や)つ峰(を)の雉(きぎし)鳴き響(とよ)む朝明(あさけ)の霞(かすみ)見れば悲しも

 

(訳)あちこちの峰々の雉、その雉が鳴き立てる明け方のやたらと悲しい思いにかきたてられる。(同上)

(注)あしひきの【足引きの】分類枕詞:「山」「峰(を)」などにかかる。語義・かかる理由未詳。 ※中古以後は「あしびきの」とも。(学研)

 

 

題詞は、「遥聞泝江船人之唱歌一首」<遥かに、江(かう)を泝(さかのぼ)る舟人(ふなびと)の唱(うた)ふを聞く歌一首>である。

 

◆朝床尓 聞者遥之 射水河 朝己藝思都追 唱船人

                (大伴家持 巻二十 四一五〇)

 

≪書き下し≫朝床(あさとこ)に聞けば遥(はる)けし射水川(いづみかは)朝漕(こ)ぎしつつ唱(うた)ふ舟人

 

(訳)朝床の中で耳を澄ますと遠く遥かに聞こえてくる。射水川、この川を朝漕ぎして泝(さかのぼ)りながら唱(うた)う舟人の声が。(同上)

 

 

※三月三日

題詞は、「三日守大伴宿祢家持之舘宴歌三首」<三日に、守(かみ)大伴宿禰家持が館(たち)にして宴(うたげ)する歌三首>である。

 

◆今日之為等 思標之 足引乃 峯上之櫻 如此開尓家里

               (大伴家持 巻二十 四一五一)

 

≪書き下し≫今日(けふ)のためと思ひて標(し)めしあしひきの峰(を)の上(うへ)の桜かく咲きにけり

 

(訳)今日の宴(うたげ)のためにと思って私がとくに押さえておいた山の峰の桜は、こんなに見事に咲きました。(同上)

 

 

◆奥山之 八峯乃海石榴 都婆良可尓 今日者久良佐祢 大夫之徒

                 (大伴家持 巻二十 四一五二)

 

≪書き下し≫奥山の八 (や)つ峰(を)の椿(つばき)つばらかに今日は暮らさねますらをの伴(とも)

 

(訳)奥山のあちこちの峰に咲く椿、その名のようにつばらかに心ゆくまで、今日一日は過ごして下さい。お集まりのますらおたちよ。(同上)

(注)つばらかなり>つばらなり【委曲なり】形容動詞:詳しい。十分だ。存分だ。(学研)

 

 

漢人毛 筏浮而 遊云 今日曽和我勢故 花縵世奈

                  (大伴家持 巻二十 四一五三)

 

≪書き下し≫漢人(からひと)も筏(いかだ)浮かべて遊ぶといふ今日ぞ我が背子(せこ)花(はな)かづらせな

 

(訳)唐の国の人も筏を浮かべて遊ぶといふ今日この日なのです、さ、皆さん、花縵(はなかずら)をかざして楽しく遊ぼうではありませんか。(同上)

 

 

主題も、桃(4139)、李(4140)、鴫(4141)、柳(4142)、堅香子(4143)、雁(4144,4145)、千鳥(4146,4147)、鴙(4148,4149)、舟人の歌(4150)、桜(4151)、椿(4152)、花縵(4153)と多種多様に歌い上げている。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「太陽 特集 万葉集」 (平凡社

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「万葉の小径歌碑 すもも」