●歌は、「さすすみの栗栖の小野の萩に花散らむ時にし行きて手向けむ」である。
●歌をみていこう。
題詞は、「三年辛未大納言大伴卿在寧樂家思故郷歌二首」<三年辛未大納言大伴卿在寧樂家思故郷歌二首>である。
(注)天平三年:731年。旅人はこの秋七月二十五日に他界。年六七。(伊藤脚注)
(注)故郷:明日香古京。旅人が生まれ、三〇歳になるまで過ごした地。(伊藤脚注)
◆指進乃 粟栖乃小野之 芽花 将落時尓之 行而手向六
(大伴旅人 巻六 九七〇)
≪書き下し≫さすすみの栗栖(くるす)の小野(をの)の萩(はぎ)の花散らむ時にし行きて手向(たむ)けむ
(訳)来栖の小野の萩の花、その花が散る頃には、きっと出かけて行って神祭りをしよう。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)ささすみの:「来栖」の枕詞。墨縄を繰り寄せる意か。(伊藤脚注)
(注)来栖:そこに生まれ育った者だけが知っている明日香の小地名であろう。(伊藤脚注)
(注)萩:旅人が死のまぎわまで関心を寄せた花。(伊藤脚注)
(注)手向けむ:神に幣を捧げて願い事をしよう。
万葉植物園の歌碑(プレートを含む)は、ほとんどが重複してくるのは否めない。しかし、このブログも2518回を迎え、植物園の歌碑(プレートを含む)においてこの歌は初めて取り上げられていたのであった。
万葉植物園の歌碑(プレート)は、どうしても重複するので、当該歌について、記述することもむつかしくなってくる。写真だけの紹介にとどめようかとこれまでも幾度か悩んだことがあった。しかし、何とか歌に関連することを重箱の隅を突いて書き続けているのである。
川砂のなかから砂金の粒を見つけたような感動である。
これからも続けようと新たに決意をしたのである。
歌にもどろう。
九六九歌もみてみよう。
◆須臾 去而見壮鹿 神名火乃 淵者淺而 瀬二香成良武
(大伴旅人 巻六 九六九)
≪書き下し≫しましくも行きて見てしか神(かむ)なびの淵(ふち)はあせにて瀬にかなるらむ
(訳)ほんのちょっとの間だけでも行ってみたいものだ。神なびの川の淵は、浅くなって、背になっているのではなかろうか。(伊藤脚注)
(注)しましく【暫しく】副詞:少しの間。 ※上代語。(学研)
(注)神なびの淵:橘寺南東のミハ山か。この山に沿って飛鳥川が流れる。(伊藤脚注)
(注)あす【浅す・褪す】自動詞:①(海・川・池などが)浅くなる。干上がる。②(色が)さめる。あせる。③(勢いが)衰える。(学研)ここでは①の意
伊藤一彦氏は、九七〇歌について、「大伴旅人―人と作品」(祥伝社)の中で、「初句の『指進乃』は古くから難解難訓で、『さしずみの』他の訓(よ)みがあるが、次に続く『来栖』の枕詞であろうとする説が有力である。その『来栖』も、いずこの地方とするか幾つかの説があって、特定できない。ただ、第一首目との関連から言えば、やはり飛鳥地方が想像される。この上三句は、四つの『の』音がきわめて印象的である。なめらかなこの歌い出しは『指進乃来栖の小野』が旅人にとって親しみのある既知のものであることを感じさせる表現であり、そのよく知り尽くした野辺の萩の花への憧れが畳(たた)みかけるようなリズムによく出ている。・・・外来の梅を愛した旅人だった。しかし、病の床では旧京の古来の萩の花を心に思い描いている。もちろん、梅の花の季節でないから当然といえば当然だが、萩の花が歌われているのは象徴的である。そして、病気の今は無理としても、萩の花が散るだろう頃には快癒(かいゆ)して手向けをしたいというのが一首の意味である。もっとも、何に対して手向けをするのかははっきりしていない。ただ、われわれ読者には、旅人が病の床の心のなかで。萩の花の散るなかに自分の姿をくっきりと立たせていたということは痛いほど伝わってくる。自分自身のための挽歌であったように思われる一首である。」と書いておられる。
大伴旅人の歌については、六十三歳の頃、大宰帥に任命されて以降がそのほとんどを占めている。それ以前の歌としては、万葉集にはわずか二首が収録されているだけである。
二首とは、題詞「暮春之月幸芳野離宮時中納言大伴卿奉勅作歌一首幷短歌 未逕奏上歌」<暮春の月に、吉野(よしの)の離宮(とつみや)に幸(いでま)す時に、中納言大伴卿、勅(みことのり)を奉(うけたまは)りて作る歌一首幷(あは)せて短歌 いまだ奏上を経ぬ歌>の歌である。
この二首については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その974)」で紹介している。
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旅人は、神亀四年(727年)、大宰帥に任ぜられる。大伴氏ら旧氏族に対抗する藤原氏による策略といわれている。さらに大宰府に同行して来た妻を病で亡くしている。旅人が六十四歳の時である。こういったことから、旅人は歌を詠むことによって、現実逃避を図っていたのかもしれない。
旅人は、亡妻悲傷歌を十三首作っている。また望郷の念に駆られた歌を詠っている。奈良の都からそして明日香へと時間的・空間的にフォーカスされていく。
自身の挽歌ともいわれる九七〇歌にあって、「そこに生まれ育った者だけが知っている明日香の小地名」(伊藤脚注)である「栗栖(くるす)の小野」に焦点を合わしているのである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「古代史で楽しむ万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」