●歌は、「藤波の花は盛りになりにけり奈良の都を思ほすや君」である。
●歌碑(プレート)は、茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森にある。
●歌をみていこう。
◆藤浪之 花者盛尓 成来 平城京乎 御念八君
(大伴四綱 巻三 三三〇)
≪書き下し≫藤波(ふぢなみ)の花は盛りになりにけり奈良の都を思ほすや君
(訳)ここ大宰府では、藤の花が真っ盛りになりました。奈良の都、あの都を懐かしく思われますか、あなたさまも。(同上)
(注)「思ほすや君」:大伴旅人への問いかけ。(伊藤脚注)
この三三〇歌を含む三二八から三三七歌までの歌群は、小野老が従五位上になったことを契機に大宰府で宴席が設けられ、その折の歌といわれている。参加者は、小野老(おののおゆ)、大伴四綱(おおとものよつな)、大伴旅人、沙弥満誓(さみまんぜい)、山上憶良である。
大伴四綱( おおともよつな)については、「コトバンク 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus」に次のように書かれている。
「?-? 奈良時代の官吏。天平(てんぴょう)(729-749)初年のころに大宰府防人司佑(さきもりのつかさのじょう)をつとめた。17年雅楽助(ががくのすけ)となり、正六位上をさずかった。『万葉集』に歌5首がおさめられている。名は四縄ともかく。」
大伴四綱の歌をみてみよう。
■三二九歌■
◆安見知之 吾王乃 敷座在 國中者 京師所念
(大伴四綱 巻三 三二九)
≪書き下し≫やすみしし我(わ)が大君(おほきみ)の敷きませる国の中(うち)には都し思ほゆ
(訳)安らかに見そなわす我が大君がお治めになっている国、その国々の中では、私はやはり都が一番懐かしい。(同上)
(注)やすみしし【八隅知し・安見知し】分類枕詞:国の隅々までお治めになっている意で、「わが大君」「わご大君」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)しきます【敷きます】分類連語:お治めになる。統治なさる。 ※なりたち動詞「しく」の連用形+尊敬の補助動詞「ます」(学研)
この歌ならびに三三〇歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その506)」で紹介している。
➡ こちら506
■五七一歌■
◆月夜吉 河音清之 率此間 行毛不去毛 遊而将歸
(大伴四綱 巻四 五七一)
≪書き下し≫月夜(つくよ)よし川の音(おと)清しいざここに行くも行かぬも遊びて行かむ
(訳)月夜(ゆきよ)もよいし、川の音も清らかだ。さあここで、都へ行く人も筑紫に残る人も、歓を尽くして別れることにしよう。(同上)
左注は、「右一首防人佑大伴四綱」<右の一首は防人佑(さきもりのすけ)大伴四綱(おほとものよつな)>である。
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その899)」で紹介している。
➡ こちら899
■六二九歌■
題詞は、「大伴四綱宴席歌一首」<大伴四綱が宴席歌一首>である。
(注)四綱が娘子の立場で歌ったもの。(伊藤脚注)
◆奈何鹿 使之来流 君乎社 左右裳 待難為礼
(大伴四綱 巻四 六二九)
≪書き下し≫何(なに)すとか使(つかひ)の来つる君をこそかにもかくにも待ちかてにすれ
(訳)どうしようと使いなんぞよこしたの。何はさておき、あなたご自身をこそ今や遅しと待ちかねておりますのに。(同上)
(注)かにもかくにも:前歌の第四句を「何をさしおいても」の意に転じながら応じている。(伊藤脚注)
六二七から六三〇歌は、宴席での歌の掛け合いである。娘子と初老の男との駆け引きである。娘子(架空の遊行女婦)が、赤麻呂に初老の男は、まず若返りの水を探して来てはとからかう。赤麻呂は、水を探しに行くとじらす。待っているのにと娘子、しかし結局ためらい尻込みする赤麻呂という流れである。
歌を見ているだけでも、宴会でのにぎやかな情景が伝わってくる。
この歌群については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2004)」で紹介している。
➡ こちら2004
■一四九九歌■
題詞は、「大伴四縄宴吟歌一首」<大伴四綱が宴吟(えんぎん)の歌一首>である。
(注)宴吟の歌:宴席吟誦の歌。女の立場。(伊藤脚注)
◆事繁 君者不来益 霍公鳥 汝太尓来鳴 朝戸将開
(大伴四綱 巻八 一四九九)
≪書き下し≫言繁(ことしげ)み君は来まさずほととぎす汝(な)れだに来鳴け朝戸(あさと)開かむ
(訳)人の口がうるさいのにかこつけてあの方はいっこうにお見えにならない。時鳥よ、せめてお前だけでも来て鳴いておくれ。そしたら朝戸を開けように。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫)
(注)朝戸:朝開ける戸。この句、前四句といかにかかわるか不明。(伊藤脚注)
(注の注)あさと【朝戸】名詞:朝、起きて開ける戸。(学研)
(参考文献)
★萬葉集 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」