●歌は、「妹も我も一つなれかも三河なる二見の道ゆ別れかねつる(高市黒人 3-276)」である。
【二見の道】
「高市黒人(巻三‐二七六)(歌は省略)・・・音羽川にかかった御油橋から東へ〇・二キロほどいった追分(御油町)で道は二つにわかれる。右手(南側)は本海道で新居(あらい)・浜松に向い、左手(北側)は、浜名湖の口もとの今切(いまぎれ)の険をさけて、国境の本坂(ほんざか)峠を越え浜名湖北岸を回って本海道に合する姫街道である。『東海道名所図会』はこの姫街道を『二見道(ふたみみち)』としており、・・・この説をとるものが多い・・・この分かれ道に立ってみると、黒人が妻(おそらく旅先の女)との別れに“あなたもわたしも一つであるから、三河の二見の道からなかなかわかれられない”と数字をかさねての即興の気持もわかるようだ。妻もこれをうけて次の答歌で応じている。(二七六、一本云)(歌は省略)」(「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)
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巻三 二七六歌をみていこう。
■巻三 二七六歌■
◆妹母我母 一有加母 三河有 二見自道 別不勝鶴
(高市黒人 巻三 二七六)
一本云 水河乃 二見之自道 別者 吾勢毛吾文 獨可文将去
≪書き下し≫妹も我(あ)れも一つなれかも三河(みかは)なる二見(ふたみ)の道ゆ別れかねつる
一本には「三河の二見の道ゆ別れなば我(わ)が背(せ)も我(あ)れも一人かも行かむ」といふ
(訳)あなたも私も一つだからでありましょうか、三河の国の二見の道で、別れようとしてなかなか別れられないのは。(同上)
一本「三河の国の二見の道でお別れしてしまったならば、あなたも私も、これから先一人ぼっちで旅行くことになるのでしょうか。
(注)妹:(ここでは)旅先で出逢った遊行女婦か。(伊藤脚注)
(注)二見:豊川市の国府(こう)町と御油(ごゆ)町との境、東海道と姫街道の分岐点か。以上三句、数の遊びがある。(伊藤脚注)
(注の注)ひめかいどう【姫街道】:江戸時代、東海道の脇街道の一。見付宿の先から浜名湖の北岸を回り、本坂(ほんざか)峠を越えて御油宿へ至る道。女性の多くが今切(いまぎれ)の渡しと新居関(あらいのせき)を避けてこの街道を通ったことによる名。本坂越え。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉)
(注)別れ:女はその地に残り、男は都へ帰る。(伊藤脚注)
(注)一本:女の返歌か。または土地の歌か。(伊藤脚注)
二七六歌は題詞「高市黒人が羇旅の歌八首(二七〇~二七七)」のうちの一首である。
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1460)」で愛知県蒲郡市西浦町万葉の小径の歌碑とともに紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」